かなり進行した筋ジストロフィーを患いつつも病院暮らしなんざまっぴらごめんと自前の大量ボランティアを手足に院外生活を送っていたハードコア障害者・鹿野靖明に取材したノンフィクションの映画。タイトルはバナナですけど骨のある映画でしたよねなんか。
ボランティア志望者の「一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる」との言葉がある。
ようするに当たり前なのですが介護とか介助というのは綺麗事では済まないし、それはシモの世話がどうとか行為に対してだけ言われるのではなく、精神的なことや介護/介助者とその対象者の関係も含めてそうなのだ。
俺がこの映画がすげぇ良いなと思ったのは、その綺麗事では済まなさにちゃんと正面から切り込んでいて、準主役である学生ボランティアの二人、高畑充希と三浦春馬が大泉演ずる鹿野に翻弄されてメンタル壊れかけになるまでの過程を描く。
弱者と強者の関係が介護をする/される中で入れ替わったり、またある面では弱者と強者の関係にあっても別の面ではその逆の関係が成り立っていたり、たとえばここには昨今話題のパワハラもセクハラも出てきますが、それは大泉鹿野→ボランティアからの場合もあればボランティア→大泉鹿野の場合もある。
『愛しき実話』なる手前味噌で寒いサブタイがいかにも観る気を削ぐが、そうした表面的な穏やかさの下には苛烈な介護/介助のリアルがあるわけで、そのへん、結構な社会派力作感だった。
それに付随してまた別のことも頭に浮かび、なにかと言えば今や懐かしトピックに属しつつある乙武さんの不倫。
そうか乙武さんもたぶんこういう風に女の人を口説いていったんだろうなーって思いましたよ。心理的マウントを取ってそりゃ断れないよねっていう状況に追い込んだり、あるいは尽くすことで自身の善性を確かめようとする健常者のある種のエゴを利用したり。権力の非対称性がその当事者のジェンダーと絡む時に、無自覚的にこうしたことは起るんだろうなぁとかなる。
話は逸れたが、で、こういう人たちが大泉鹿野に振り回されて対立したり結束したりメンタルをやられたり希望をもらったりする。
リアルな介護/介助はする側もされる側も一様とはいかない。医師なり介助者なり両親なりそれぞれのポジションの正義というものがあるし、それぞれのポジションから正当な要求を投げ合うから清濁だっくだく、その上この場合は介助者が金で雇われたプロではなくボランティアなので状況は一層複雑になる。
うーん、カオス。題材からいってこのカオスをお定まりの美辞麗句で収まりよく解釈すべきではないだろうと思われるので涙涙のむかつく感動作かと思ったら血で血を洗うアクチュアルで社会派な介助戦争映画だった、とお茶を濁して感想終わる。