フェミニズム運動が盛んな韓国で大反響を呼んだ原作を映画化したフェミニズムの映画というか女性の生きづらさエッセイみたいな映画ということで話題になっていたっぽい。確かに女性の生きづらさ映画でもあったがそれと同じくらい標準モデルから外れる人たちの生きづらさの映画でもあった。
キム・ジヨンはそこそこお金に困らない生活をしている今は専業主婦の一児の母。学生時代は作家になりたかったが無理な気がしたので広告業界に身を置いて、まぁなんか色々あったりしたものの結局は出産を機に退社。
事件が起きたのはそんなジヨンが明らかに学歴の低い感じの夫の実家(※ジヨンを縛ってきたものの多くは無学者の伝統とか慣習だったのでジヨンはそれを打破するために学力を身につけており、その視点からの物語が低学歴蔑視を隠さないのはこの映画を語るときのちょっとした論点になりそうではある)を訪れた時のことだった。台所仕事は嫁の仕事。あんま悪気はなさそうだがナチュラルにあれやれこれやれと言ってくる姑に、ついにジヨンは裏の顔を見せてしまう。これじゃあウチのジヨンが可哀想じゃあありませんか。ジヨンを私に返してくださいよ。あの子も帰りたがってるはずですよ…。
突発的に母親とか祖母が乗り移ってエクソシストしてしまう症候群。という名前ではないと思うが何病なのかよくわからない人格変化病(解離性障害でいいのだろうか)をジヨンは患っていたのだった。そうでない時に起こる場合もあるが基本的にはストレスゲージいっぱいになると発動して自分の母親か祖母として話し出す。これは困った。ジヨンも困ったし夫も困ったし姑も困ったし母親も困ってわりとみんな困った。うーん困ったな、という映画だった。
慣習と伝統の標準モデル、学歴ある人の標準モデル、母親や妻の標準モデル、あるいは職場復帰の標準モデル…様々な種類の標準モデルがジヨンのストレスゲージをゆっくりとしかし確実に赤く染めていく。で爆発してエクソシストする。結局わたしは何者なんだ、というわけでそこからタイトルにもなっている「82年生まれ、キム・ジヨン」の台詞に繋がっていく。色んなロールを押しつけられて色んなロールを自分から演じて、でもどれも私じゃないよな、私は82年生まれのキム・ジヨンです、そういうお話。
ヒーリング映画ですね。精神分析が重要な要素になっているし、音楽がメンタルクリニックの待合室で流れてそうなイージーリスニング風だったりとかするし。そういう意味ではフェミニズムっていう狭い括りには収まらないものをテーマにした映画で、ジヨンの標準モデル外れにどう対処していいかわからない夫の悩む姿があったり、ジヨンの標準モデル外れを通してジヨンの家族が標準モデルの押しつけを自覚したり、このへん結構食い足りないところに感じたが標準モデル以外の生き方を徐々に受け入れていくジヨンの母親が描かれたりして、標準じゃなくても全然生きていけるんですよみたいな、なんか、そういう感じがしたよね。