この地を先住民は草の海と呼んだ、みたいな主人公のモノローグから始まる全部うまくいかない版『俺たちに明日はない』。『ミークス・カットオフ』にも先住民が重要な役どころで出てきたからこれはきっとケリー・ライカートという監督の作家性の核にあるものなんだろうと思う。先住民のように生きられたらなぁ、と憧れつつも現実にはそのようには生きられないし、現実の先住民の生活はきっと憧れるような楽しいものではなかっただろう(とくに女の人にとっては)。そういう幻滅と、それでも幻滅の先に何かがあるかもしれないというようなやけっぱちの希望が『リバー・オブ・グラス』にはあった気がした。