声を上げていない女性たちへ
――本の冒頭で、「被害者としてふるまうことはかえって相手を喜ばせることになる」というスタンスの下、『AV女優の社会学』(青土社)を書いたとありますが、最後は被害を認めない態度については、反省したとありました。
鈴木:上野さんと往復書簡という形でやり取りしたので、自分の中で「こういう言葉は使わない」と頑なになっていたことに少し幅が出たのかなという気はしています。
また、これから世の中に出る下の世代の女性たちが生きやすい社会にするには、時には構造的な被害者としての女性たちの側面を訴えていく必要もきっとあるのでしょう。
一方で、日々恋愛や仕事に振り回されながら前に進んでいかなくてはならない多くの女性たちは、いちいち立ち止まって「男性に搾取された」「この構造はおかしい」と被害を訴える時間すらなく生きています。だから痛みには強くなるし、器用になるし、逞しくなるし、それゆえに時に社会構造にも甘くなる。
そういう女性たちを「笑っている女性」たちと呼んでいます。そして私は彼女たちが大好きです。
平塚らいてうの時代には一部のエリートの思想だった「フェミニズム」や「女性運動」が街場に降りてきた今、それらの言葉がたまたま自分の境遇にマッチした人にとっては、とても声があげやすい状況になりました。
でもそうした言葉を拾う時間のない「笑っている女性」たちや、女性の権利よりまずは仕事やお金が必要だと感じている女性たちを「声を上げていない」人と断罪することはできません。
「笑っている女性」たちの中には「自分が女性であることで得をした」という自覚のために「被害者」ぶることをよしとしない人もいるでしょう。かつての私は、というか今の私も半分はそうです。
そういう人たちが、いつか自分が必死に回している人生の歯車の不具合を感じたり、回す手が疲れすぎて痛くなったりした時に、この本を手にとってもらえたら嬉しいです。