本日の日記

一瞬で

2021年8月21日(土曜日)

口の中が喜びいっぱいです。
生ビールが、喜びを与えてくれた張本人。
シュパ~、ゴクン。咽喉を通過する時のあの感触。
このように書けるのは、ビールの美味しさを知っているからです。
ビールの良さがわからない人には伝わりにくいかもしれません。
でもね。口の中って凄い。
だって、口に入れただけで体中を喜ばせてくれますからね。
あなたの好きな食べ物は何ですか?
今日はね、大好きな食べ物、飲み物を口の中に入れた瞬間に、「幸せだなぁ」と言ってみてください。
きっと、心の中がパッと明るくなりますからね。

松原照子の印

本日の世見

五代友厚

2021年8月21日(土曜日)

  • 古代文明・歴史

旅の良さは、心が軽くなるからいい。
日頃何を思うと、心がざわつくのだろうか。
朝目覚めてから眠りに就くまで、その人の人生が作られる。
悩み事のない日もある日も、時は当たり前のように過ぎて行きます。
だったら、シャキッとして笑顔一発、自分のためにニッコリ、やってみようではありませんか。
あなたはどの人の生き方に心がときめきますか。
私はネ。幕末から明治にかけて、官僚を体験して実業家として数々の功績を残した、五代友厚に興味が湧いて来ます。
五代友厚といえば、大阪商人から英雄として名を残した人でもあります。
彼がいたからこそ、明治維新後、疲弊していた大阪経済が復興したのだと思う。
あの頃はまだ幼名とか元服があり、その度に名前が変わった。
五代の幼名は、徳助。
元服を迎えた時は、才助。
薩摩藩士・五代家の次男として誕生。
千歳丸に水夫に扮して乗り込み、上海へ。この時、蒸気船の購入交渉をしたという。26歳の若さで。今の若者に五代の生き方を一度は知って欲しい。
五代にはイギリス軍の捕虜の経験もあります。27歳の時のことです。
32歳の若さで、明治新政府の参与職である外国事務局判事に任命されてもいます。
会計局権判事に任命された時には2カ月で退官し、大阪へ戻ってもいます。
大阪造幣局開業が(35歳)
大阪株式取引所を設立したのが(42歳)
大阪市立大学を設立したのが(44歳)
南海電気鉄道を設立したのが(48歳)
49歳の時、東京・築地の別邸で彼は亡くなりました。

松原照子の印