戦場の泥濘に片銅貨はまみれる
ヴァイツ帝国リヒエルトの下町、ハンナ孤児院。
昼までは晴れていた天気が、夕方には急激に悪化していた。
にわかに黒い雲が空を埋め、風と雨の音が響く。
孤児院の建物は風で揺れ、いまにも倒れるのではないかという不安をあおる。
だが、急激に、そして予想外に天候が悪化したとき、それは買い物する者にとって最高の天気である。
特に食料品のような安さのわりにかさばるものを売る店は、持ち帰る手間を嫌い、ありえないような安値で売ってくれることがあるのだ。
レオはこんな時こそ掘り出し物を求めて買い物に行きたいと思っているのだが、今日は重要な任務がある。
彼はハンナ院長から年少組の足止め、という任務を与えられていた。
普段とは違う悪天候。それも子供たちにとっては遊びの種に過ぎない。
年少組はほっておくとテンションが上がり、嵐の中に走り出してしまうことさえあるのだ。
下町で走り回り鍛えられた年少組は、多少のことでは体を壊すことはない、はずである。
だが、院長は決して逃がすんじゃないよ、と言った。その後に恐ろしいことをつぶやいて。
(ちくしょー、あの場所まで見破られてるのかよ!自信あったのに!)
こういう時には逃げようかとも思うのだが、院長には『小銭の隠し場所』という情報を握られている。
本音を言えばすべてを身に付けて行動したいところだが、それでは小銭がじゃらじゃらと音を立て、その音に聞き惚れている間に特売品や試食品や落ちている小銭を入手し損ねるという本末転倒なことになってしまうのだ。それに、小銭も数がそろえばそれなりに重い。
「まあ仕方ねえ、今回はこっちに集中するか。
それじゃ、みんな集まれー。本読むぞー」
レオの声を聴き、年少組が集まってくる。
人数がそろっていることを確認し、小さくうなずく。
「絵本よんで~!」
「面白いお話ー!」
「おおきいこえでね~!かぜうるさいー」
「それじゃ、どれにするかな、ちょっと待ってろよ。
……だめだ、暗くて全然読めねえわ」
夕方といえど雲に覆われた空のせいで室内は暗く、絵本を読むのは難しくなっている。
ただでさえ、ハンナ孤児院の本はみんなボロボロで読みにくいのだ。
レオはあっさりとあきらめ、本なしでいくらでもできる話をすることにした。
「今日は暗くて本が読めません。だから、お金のカッコよさについての話をします」
「天気悪いときじゃなくてもしてるー」
「まいにちだー」
「毎日してるよね」
「かっこよさが語りつくせないんだから仕方ないだろ。
でも今日は片銅貨の話だから、聞いたことはないはずだぞ」
「片銅貨?」
「こぜにだー」
「でも、片銅貨1枚でクッキー1枚買えるのよ、拾った時には買ってるわ」
「そうなんだ、こぜにすごいね」
「すごーい!」
クッキー、とは言っても、保存を優先するために作られた硬くて甘味の少ない食料である。
騎士団などで非常用として保存されていたもののうち、保存期限が切れかけたものや、いろんな理由で限界を超えたものなどが下町で売られるのである。
それでも、孤児院の子供たちにとっては「すごーくおいしいお菓子」なのである。
アンネの指摘に、ほかの子供たちが感心したようにうなずく。
レオは、守銭道の教育は間違ってなかったと、自分の進んでいた道の正しさを再確認した。
理想を言えば片銅貨は貯めておいて複数購入し、値引きかおまけを求めるべきなのだが、そこまで求めるにはまだ若い。
片銅貨の大切さを知るために、まずは片銅貨のすばらしさを知るべき。そのためには、高値での買い物も勉強の一つになるのだ。
「でも、レオ兄ちゃんはいつも銅貨磨いてるけど、小銅貨は時々だし、片銅貨のことは磨かないよね。
あんまり好きじゃないと思ってた」
「片銅貨のことももちろん好きだぞ。
だが、愛でる対象というよりは戦友に対する気持ちに近いな。
こいつらがいれば戦える、っていう感じだ」
「片銅貨と戦うの?」
「小銅貨のことは家族だから守りたいって言ってたのに、片銅貨は違うんだね」
「これがげんじつってやつか、せちがらいね」
「いや、片銅貨たちは兵隊さんだからな。
戦うときには自分たちがまっさきに突っ込むぞ、って思ってるんだよ」
「銅貨が大人で、小銅貨が子供って言ってたよね。
それだったら、片銅貨は赤ちゃんじゃないの?」
「赤ちゃんが10人揃ったって強くはならないだろ。
片銅貨は10枚で小銅貨と同じ強さになれるんだぞ」
「あっ、そうだね。10人も赤ちゃんいたら、戦える人も戦えなくなっちゃいそう。
あれ、でも、兵隊さんより子供が強いの?」
「あれだな、小人の兵隊なんだろ。
片銅貨の兵隊さんから見れば、小銅貨とか銅貨は「なんだあの巨大な人間は!…なんだと、強すぎる、バケモノか!?」って感じになるわけだな」
「片銅貨ちっちゃいもんね。片銅貨から見たら銅貨とかは熊よりおっきいかも」
「小さい兵隊さんなんだね」
「そうそう、そんな感じ。
100人揃うと大人と同じ強さになるわけだ」
「100人と一人が同じ強さ、って、すごく小さいんだね100人のほうは」
「まあそうなるだろうな。
でも兵隊さんは、強いやつ相手にたくさんの数で戦ったりするのには慣れてるし、状況によってどんな方法でも使って戦うんだぞ。
泥に埋まって隠れたり、逃げるのも戦略のうちなんだ。今は勝てなくても、次に勝てばいい、っていう作戦もある。
倒れた仲間を踏み越えたり、どんな汚い手を使おうとも、彼らは最後に守るべきもののために戦うんだ」
「カッコいー!」
「片銅貨すごいね!レオ兄ちゃんみたいだ!」
どんな汚い手を使おうとも。
逃げるのも戦略のうち。
今は勝てなくとも!
最後に守るべき小銭のために、レオは今日も戦い続けているのである。
院長には勝てそうな気はしないが。
「ああ、レオ兄ちゃんがよく土の中とか泥の中から見つけてくるよね、片銅貨」
「そうそう、雨のあととか足元見てるとけっこう小銭が落ちてるんだよな。
兵隊さんの言葉で言うと、作戦のために現地で人員補充、ってことだ」
「仲間を守るために泥に埋まって隠れてたのに、レオ兄ちゃんに見つかっちゃったんだね…」
「いや、兵隊さんは、一人では勝てないから隠れてただけで、見つけられたくないってことはないんだぞ。
いっぱい揃えば戦えるわけだから、人数集まりたいと思ってるんだ。
だから、小銭を持ってる人に小銭は集まると思っている」
小銭を持ってる人に小銭は集まる。
子供たちは資本主義の厳しさに顔を伏せ、一瞬あとに顔を上げ、話の続きを促す。
「レオ兄ちゃんはそんな現実に負けはしない」それを確信したような、力強い表情であった。
「それじゃ、兵隊さんはたくさんいたらだれと戦うの?子供?」
「10人がかりで子供と戦うんだったら、かっこ悪いよね」
「いや、彼らは子供を戦場に出さないために戦場に行くんだ。たとえ自分より強い子供でも。
例えば片銅貨が10人くらいいれば『燐業』と戦えるし、25人揃えば『魔餓人』だって倒せる。小銅貨がいなくてもな」
巨大な怪物の名を呼ぶかのような声に、子供たちは首をかしげる。
「りんごー?もしかして、リンゴが買えるってこと?」
「そういうこと。だいたい10枚あればリンゴが買える、だいたい25枚で古本屋の絵本が安くてぼろいものだったら買える、ってことだ。値切りがうまければもう少し下がる」
「25人だと、ひとり余っちゃうね。いつもAからZの26枚持ってるんでしょ?」
「いつも持ち歩いてるってわけじゃないけど、26枚持っていくことは多いな。ゲン担ぎってやつだ。
26枚持ってる時はZは使わないようにしてるから、25枚しか持ってないのと変わらないな」
「Zはどうして使わないの?」
「Zはズーっていう名前なんだけどな、「見世物小屋」って意味らしいんだよ。
見世物小屋ってのは「変なやつらを集めるところ」だろ?
だから、「ほかの家で居心地悪いような変わり者がいたらこっちに来ないかなー」って感じに、サイフという受け入れ場所で新人を迎え入れるメンバーがZなんだよ」
「なるほどー、まずレオ兄ちゃんが変わり者だもんね。片銅貨にわざわざ名前つけてるし」
「レオ兄ちゃんが捕まっちゃう、逃げてー!」
「そのまえにつかまえるー!」
「落ち着け落ち着け。
抱きつかなくても兄ちゃんは危なくなる前に逃げれるからな。一番逃げ足早いのは知ってるだろ?
それに、AからZまで1個ずつつけただけだし、そのくらいだったら珍しくもないだろ。
昔はエランド語の単語勉強のためにエランド語で名前つけてたけど、今は普通の名前だし、数も26個に絞ってるしな」
当時片銅貨に付けた名前の6割ほどが、レオでさえ人前では呼べないような名前である。
だが彼らの犠牲と献身を踏み越え、レオはエランド語の本の翻訳をできるほどの言語知識を手に入れたのだ。
ちなみに、その時から数えても、翻訳した本の9割強はエロ本である。作業代の単価が高いのだ。
「珍しい!」
「へんだ~!」
「珍しいよね。ところで、Zが見世物小屋なら、ほかのAからYには意味があるの?」
「んー、あんまりないな。適当に名前つけただけだし。
意味が多少あるものだと、Gのゲインが利益とか稼ぎ、Iのインセンティブが出来高払いみたいな意味、出来高払いってのは手伝いがうまくいくほどもらえるお金が増える契約ってことだ。GとIの間に挟まれたHはハッピーで幸せっていう意味。儲かって幸せってことになる。
ついでに、Yのイェンは欲望とか欲求とかお金、その前のX、エクストラがすごいとか特別なとか余分なっていう意味だから、XとYをつなげるとすごい欲望とかすごいお金になる」
「Hの前後がお金のことなんだね。お金に囲まれて幸せ、って、レオ兄ちゃんみたいだね」
「そうだな。囲まれて過ごしたいもんだな」
「というわけで、レオ兄ちゃんがエッチだー!」
「えっちだー!」
「えっちだー!」
「なんだよ、お金稼いだら幸せになるのはみんな一緒だろ?」
「そうかもしれないけど一番Hなのはレオ兄ちゃんだ~!」
「いちばんエッチだ~~!」
「えっちだー!」
「そんな繰り返して言うようなことか?」
騒いでいると、扉が開く音が聞こえた。
こんな悪天候で出かけるのはレオと年少組のほかには一人しかいない。
レオは振り向かずに話しかける。
「おう、ブルーノ、お帰り。どうだった?安く買えたか?」
「上々だ。やはり夕方の買い出しは悪天候が良い。
それはそうと、レオ、おめでとう」
「はぁ?なんのことだ?」
レオは怪訝な顔をして振り向いた。
「お前がエッチだ、言われる、初めてだ。
金銭以外にも、興味を持ったか」
「なんのことかさっぱりわからねえけど、お祝いになんかくれるなら現金がいい!できればたくさん!」
軽いお祝いは「おめでとう」の一言で終わりなのがハンナ孤児院の日常だが、万が一の望みを持ってリクエストだけはしておく。
何度ねだっても、なにも失うものはない。タダなら言っておけ、という習性である。
「そっちの欲、なくなったわけではないのか。ある意味安心した。
買い物途中に拾った、受け取れ」
「ん?おっと危ねえ、落とすところだ」
ブルーノは買ってきた食料品を置いた後、レオに向かってなにかを勢いよく投げる。
普段のレオなら顔面で受け取るような速さだが、小銭の匂いを感じた時の彼は普段とは性能が違う。
すっと顔をよけると同時に手を伸ばし、人差し指と中指で受け止める。
「おいおい、片銅貨じゃねえか!ありがとう!
ブルーノ、お前、買い物お買い得に買えて、そのうえ片銅貨まで拾ってきたのか!?
すげえな、うはうはじゃねぇか」
ブルーノをほめちぎりながら、素早く隠しポケットにしまう。
ハンナ孤児院には「すべては平等に分けよ」という堅固な方針があるので、普段は稼いだ金も数十分の一しか自分には回ってはこない。いや、食料などの必要なものを買ったあとの余剰金が珍しくあった時に分配するので数百、数千分の一残るかどうかといったことになってしまうことさえある。
だが、片銅貨はそれ以下の貨幣がないため、「分けられない」。そして、分けられないものを拾い主以外が受け取るのもおかしい。つまり、拾ったなら即自分のものとして使えるのだ。
その片銅貨を拾うという幸運、それを惜しみもせず自分に譲ってくれる親友。
レオは思った。自分はなんと幸せな環境にいるのだろうかと。
風に揺れる孤児院のボロい建物さえ、煌々と輝いて見えるほどだった。
「だから言っている、上々だったと」
年少組がブルーノの周りに集まってくる。
「ブルーノ兄ちゃん、どんなの買ってきたのー?
りんごーさんいる?」
「りんごーさん?なんのことだ?
リンゴのことなら買ってきている。」
「りんごーさんだー!
片銅貨なんまいつかったの?」
「いや、今回は小銅貨だな。小銅貨8枚で22個だ。明日のおやつ、楽しみにしてろ」
それを聞いて4人が声を上げる、だがその言葉は大きく違っていた。
「ブルーノすげえな、そんなに安く買えたのか!」
「ブルーノ兄ちゃんの外道!」
「ひどいよブルーノ兄ちゃん!」
「あっちいっちゃえ!あめにぬれてればいいんだー!!」
「おい、どうした。おまえら」
「ブルーノ兄ちゃんの声なんか聞きたくないから僕たち寝るね、レオ兄ちゃんおやすみ」
「レオ兄ちゃんおやすみー。隣の人は知らないー」
「れおにいちゃん、おやすみ!」
「おう、おやすみ。もう寝るのか、珍しいな」
「レオ、どんな話をした?あの反応はさすがに心外なんだが」
「片銅貨はカッコいいって話だ。もちろん銅貨や小銅貨だってカッコいいんだけどな」
「なんだ、いつもの話か。
それにしてはずいぶん怒っていたな」
「片銅貨のカッコよさがわかったから、片銅貨が活躍した話でも聞きたかったんじゃないか?
今日は小銅貨の話はしてないからな。明日は小銅貨の話にしてやるか」
「……今日の様子なら、明日は晴れる。
その話は、天気が悪いときのために取っておいてやってくれ」
「ブルーノ…。
そうだな。天気悪くて不安になった時のために、とっておきの話は温存しておくのもいいよな!
天気がこんなのだと絵本も読みにくいけど、明るければ普通に絵本を読めるしな」
大好きな小銭の話を存分にして上機嫌な友人。
ブルーノの気分も、明るく染められていくようだった。
「おい、ブルーノ、機嫌悪いのか?
顔ひきつってるぞ」
「問題ない。もともとこういう顔だ」