「DANGEROUS」のコンセプトを聞かれて答えていますので、和訳をしてみました。
「チャイコフスキーの『くるみ割り人形組曲』みたいなものにしたかったんだ。
これから何年経っても、みんなが聴いてくれているような。永遠に生き続けるようなね。
子供たちとか若者とか、その親とか世界中の全ての民族が、これから何百年経っても、あのアルバムから曲を取り出して分析してくれていたらいいなと思う。
アルバムに生き続けて欲しいんだよ。」
マイケルのアルバム制作の中でも、特に長い期間を掛けて作られたのが、この「DANGEROUS」です。
デンジャラス (2010/06/23) マイケル・ジャクソン 商品詳細を見る |
アーティストとして油が乗り切った時期に、長年タッグを組んだプロデューサー・クインシーの元を離れることを決意し、初めて自身が全指揮を取ったアルバム。
今後の自分のアーティスト人生を掛けた、まさに、「満を持して」という言葉がピッタリのアルバム。
このアルバムでマイケルは、シンガーとしてだけでなくソングライター、プロデューサーとしての才能もトップレベルなのだということを、改めて証明したと言っていいでしょう。
アルバム「BAD」も自作曲が多かったのですが、マイケルには常にプロデューサー、クインシー・ジョーンズの名が付いて回っていて、「クインシーあってこそのマイケル」なんて捉えられることもあったようです。
そのことへの苛立ちも、多少はあったのでしょう。
でも考えてみると、マイケルの曲で有名なものは「Thriller」を除いて、ほとんど自作曲なんですよね。
(「Bad」、「Billie Jean」、「Beat It」、「Smooth Criminal」、「Heal The World」、「Black Or White」・・・・)
不安やプレッシャーはどのくらいあったのでしょうか。
結果的に、アルバムの売り上げは「BAD」を超えたのですから、相当嬉しかったに違いありません。
(でもマイケルは、後年になってもクインシーへの感謝の気持ちを語っていましたから、ソロのシンガーとして土台を作ってくれたクインシーへの尊敬の気持ちは変わらなかったのでしょう。)
そしてマイケルは全ての曲でプロデュースを担っていますが、共同プロデューサーとして抜擢されたのが、9歳年下のテディ・ライリー。
このアルバム、曲順にクレジットを書き出してみると、面白いことが分かるんですよね。
テディ・ライリーを青、マイケルを赤で書いてみました。
1.Jam
作詞:MJ 作曲:R・Moore、B・Swedien、MJ、T・Riley プロデュース:MJ、T・Riley、B・Rwedien
2.Why You Wanna Trip On Me
作詞/作曲:T・Riley、B・Belle プロデュース:T・Riley、MJ
3.In The Closet
作詞/作曲:MJ、T・Riley プロデュース:T・Riley、MJ
4.She Drives Me Wild
作詞/作曲:MJ、T・Riley プロデュース:T・Riley、MJ
5.Remember The Time
作詞/作曲:T・Riley、MJ、B・Bell プロデュース:T・Riley、MJ
6.Can’t Let Her Get Away
作詞/作曲:MJ、T・Riley プロデュース:T・Riley、MJ
7.Heal TheW orld
作詞/作曲:MJ、B・Swedien プロデュース:MJ、B・Swedien
8.Black Or White
作詞/作曲:MJ プロデュース:MJ、B・Bottrell
9.Who Is It
作詞/作曲:MJ プロデュース:MJ、B・Bottrell
10.Give In To Me
作詞/作曲:MJ、B・Bottrell プロデュース:MJ、B・Bottrell
11.Wiii You Be There
作詞/作曲:MJ プロデュース:MJ、B・Swedien
12.Keep The Faith
作詞/作曲:G・Ballard、S・Garrett、MJ プロデュース:MJ、B・Swedien
13.Gone Too Soon
作詞:B・Kohan 作曲:L・Grossman プロデュース:MJ、B・Swedien
14.Dangerous
作詞/作曲:MJ、B・Bottrell、T・Riley プロデュース:T・Riley、MJ
アルバムの前半と後半で、はっきりと分けられていますよね。
前半はテディの関与曲、後半は、自分の曲。
マイケルが作詞・作曲とも関わっていないのは、2曲だけですね。
(ビル・ボットレイルとブルース・スウェディンは、昔からマイケルと仕事をしてきたベテランですね)
はじめテディがマイケルからオファーを受けた際、「いくつか曲をプロデュースしてほしい」というものだったそうですが、最終的にアルバム収録曲の半分を占めたのを見ると、マイケルにとってテディは最高の仕事をしたと言えるのでしょう。
しかも、最後にまたテディの関与曲「Dangerous」を持ってきているのを見ると、マイケル、相当テディを気に入ったのかな、なんて思ったりします。
(この「Dangerous」は、はじめビル・ボットレイルのプロデュースでしたが、マイケルが出来に満足しなかったため、テディが呼ばれたようです)
でもテディは、ものすごいプレッシャーだったそうです。そりゃそうですよね(笑)
若くして、絶頂期のマイケル・ジャクソンのプロデュースをしなければいけなかったのですから。
「マイケル・ジャクソンの顔を潰すようなことは、したくなかった。」(テディ・ライリー)
テディは、自分の曲がどれくらい採用されるか不安だったそうです。
マイケルはテディの他にも、いろいろなところから曲を集めていたそうですから。
それにしても、当時若干23歳程の新進気鋭のクリエイターであったテディを「マイケル・ジャクソン」が選んだ、というのは、改めて考えるとすごい組み合わせだなと思います。
だって、前作の「BAD」アルバムで「THE・マイケル・ジャクソン」的な、流行そっちのけのジャンル分け不可能なスタイルを確立したばかりでしたから。(それでも名曲揃いでしたけど)
周りの人間はびっくりしたんじゃないのかな、と思うんです。
でもこの「DANGEROUS」を聴く限り、自分がテディと組むとどういう効果を生むのか、しっかりとビジョンが見えていたのかな、と思います。
「Jam」に始まり、「In The Closet」だとか「Remember The Time」だとか、マイケルにしか歌えない曲ばかりですよね。
アルバムの実質的な制作期間は18ヶ月に及んだと言われていますが、18ヶ月もあれば、音楽の流行も少なからず変化していたでしょう。
でもそんな変化も、マイケル・ジャクソンという人にとっては、気にもならなかったのかもしれません。
発売前から、CDが空港で大量に盗まれたり収録曲の曲名が漏れたりしましたが、それだけ世間の関心が高かったのでしょう。
流行の音をも飲み込み、アルバムごとにあくまでもオリジナルの存在としての「マイケル・ジャクソン」を更新し続ける、というのがこの人の真骨頂と言うべきか、誰にも真似できない部分なんだと思います。
そして、あのエリザベス・テイラーがマイケルを「True King of ‘POP’,‘ROCK’ and ‘SOUL’」と言ったように、その音楽の多様性。
このアルバム1枚、通して聴くととんでもないボリューム感なんですよね。
例により怒涛のシングルカット(10枚のヒットシングルを生みました)となりましたけど、クラブ、R&B、ポップ、ロック、ゴスペルと多彩なジャンル構成をしているのは、マイケルのアルバムの特徴。
またメインはポップとR&Bだと思いますが、そこに「Give In To Me」というハードロックを絶妙に混ぜ込み(「Dirty Diana」の進化版ですね)シングルとしてもしっかりヒットさせているところが、マイケル・ジャクソンの才能の凄まじさを物語っていると思います。
それから、曲ごとに変える歌唱法。
「BAD」からさらに腕を上げていて、シンガーとしての魅力も存分に堪能させる、そこら辺も充分に考慮されたアルバム構成になっています。
ところで、マイケルのアルバムについて語るとき、クインシーがプロデュースした「OFF THE WALL」、「THRILLER」、「BAD」のいわゆる「3部作」と、「DANGEROUS」以降のマイケルのプロデュース作品と、分けて考えられることが多いように思います。
でも個人的には、3部作の中でも「BAD」はかなり「DANGEROUS」寄りだと思います。
「BAD」ではクインシーの体調不良などで、実質的にはマイケルのプロデュースの比重が大きかったようですし、なんと言っても、マイケルの自作曲に見られるメッセージ性が強く表れてきたのは、「BAD」からなんですよね。
このアルバムでは、「Heal The World」や「Black Or White」などがその代表ですが、こういった曲をダンスナンバーと共に上手く組み込んでいるバランスの良さは、マイケルのアルバムの中でも随一といっていいでしょう。
このアルバムで私が特に好きなのは、オープニングの「Jam」と、エンディングの「Dangerous」です。
「Jam」のグイグイ引きつける破壊力と、「Dangerous」を聴いた後に残るミステリアスな余韻、アルバムを包むこの2つの曲の雰囲気が、すごく好きです。
今年は、「DANGEROUS」発売からちょうど20年の年でしたね。
今聴いてもマイケルの「情熱」を生々しく感じさせる、傑作だと思います。
「BAD」を超えたのも、「DANGEROUS」を一番好きなアルバムに挙げるファンが多いのも、納得です。
この記事へのコメント
けんじ
けんじ
テト
フェイドアウトですね。あまりアルバム別に考えてみたことはなかったですけど、そうなんですね。面白いですね(^^)
でも「OFF THE WALL」に関して言えば、当時はディスコ・ミュージック期だったからフェイドアウトが多いんだろうな、と個人的には思っていました。それが正しいかは解りませんが・・・・。
ディスコやファンクとかのダンス・ミュージックって、フレーズがループするのが特徴ですよね?「何回繰り返すんだろうか?」とか「いつまで続くんだろうか?」的なある意味単調なグルーヴのノリというか。そういうのは、無理に終わらせずにフェイドアウトさせるのかベストだと思うんです。JBの曲もフェイドアウトがすごく多いですし、80年代までは今のポップスと比べてそういう音楽が流行だったから、「OFF THE WALL」もそうなのかな?と。
そういえば、JB愛丸出しのどファンク「Can't Let Her Get Away」も、本来ならフェイドアウトしそうに思いませんか?でもあの曲では、フェイドアウトせずに音を少しずつ抜いていって終了させるっていう工夫があって、面白いなぁーと思ったり・・・・・。「Stranger In Moscow」はフェイドアウトだったはずですが、超スロー・テンポとはいえ、同じ類いの音楽ですよね?ダンス・チャートで人気があったのも、そう考えると改めて納得かな?「Unbreakable」もそうだったかと。
後期のアルバムでフェイドアウトが減ったのは、時代の流れもあるでしょうし、クインシーに大部分任せていた「OFF THE WALL」は別として、マイケルは音楽性が特定のジャンルだけに片寄らないように意識して選曲していたわけですから、フェイドアウトが減ったのも自然なのかな?と思ったりします。ロックやラテン、北欧チックな曲もありますしね。
なーんて考えてみましたが・・・・うーん、どうでしょう?けんじさん、調べてみてください(笑)
けんじ
結構、時代性(流行)という理由が大きいのかなと思ったりします。
テト
・フォーマットの制限とフェイド・アウトに大きな関係性はない。
・技術的制限があり、その解決策として曲をの長さを抑える必要があった。
・フェイド・アウトの有利な点は、音楽のフックを頭の中でリピートし、その気分を家まで持って帰れることだ。
・ラジオDJに、話し始める(又は次の曲をかける)合図として重宝された。
・ファンクにおいては、フェイド・アウトは「音楽は永遠に終わらない」という意図を示す役割がある、
・フェイド・アウトするのは、「このサウンドを終わらせたくない」というアピールだ。
・スローなダンス・ソングにおいては、唐突に終了するのではなく、憂いを帯びたエンディングに持っていくという効果がある。
・プロデューサーがエンディングを考えていなかったこともあったし、ラジオの為に短くしたかったというのもある。
・レコーディングの歴史の中で、ビッグ・バンドなどは(事前に想定されるエンディングの為に)構成された大人数のグループではなく、小規模で即興で演奏され録音されることが多くなっていた。その為、ラジオ局の要求に合わせ3分以内に抑えるのにフェイド・アウトという手法がとられた。
・90年代以降にフェイド・アウトが減ってきたのは、「逃げ」「安ぽい」と考える人が出てきたことによる。
こんなところです。プロの人でも人それぞれですね。
けんじ
テト
「Dirty Diana」のライブ、そうでしたっけ(笑)。確かにあの曲は終わらせるのが難しそうですね。
ところで、映画「ボヘミアン・ラプソディー」はご覧になりました?もしこれからご覧になるご予定があったら若干ネタバレで申し訳ないのですが、あの映画の中で、QUEENのメンバーが6分間にわたる楽曲「ボヘミアン・ラプソディー」を発表しようとした時に、レコード会社のお偉いさんから「長すぎる、こんなものラジオで流してもらえない!」と言われ喧嘩するシーンがあります。これって、「Billie Jean」のイントロに関する逸話と似ていますよね。当時は今より媒体が限られていたから、ラジオで流してもらうのはかなり大事だったんでしょうね。そう考えると、クインシーが「イントロが長すぎる」とマイケルに進言したのは納得です。プロデューサーとしては、より「売れる」アルバムに仕上げる責任があるわけですから、ラジオでの扱いやすさは重要視しますよね。でもマイケルはQUEEN同様、あくまでもアーティスト視点で考えるから、どうしても譲れない部分がある・・・・・。映画を観ていて、なるほどなーなんて思いました。マイケルは自分の意見を通した分、ラストの方ではいくらかフェイドアウトで削ったのかもしれませんね?(笑)
けんじ
テト
「radio edit」、そうなんですよね。私もよくわからずに聴いてました(笑)。けんじさんは音楽やってらっしゃるから、制作面での面白さをより実感できるんでしょうね。私も楽器続けておけばよかったな(笑)。
べってん
わたしもボヘミアン~は2回観に行きました!やはり皆さんも観られたんですね~。
フェードアウトやradio editについて。ライブでカヴァーする時エンディングを考えるの面倒~という以外特に深く考えずにいたので、お二人のやりとりを読んでとても勉強になりました。
invincibleのunbreakableではイントロの近未来的な音を聴くと、どんなSFにしたかったんだろうなんて考えてしまいますよね。
テトさん、楽器なにをやっていらっしゃったんですか?
テト
ボヘミアン、すごい人気ですよね・・・・。レディ・ガガの映画も良いらしいので、行こうかなー?と思っているところです。
私は物心ついた頃からクラシックピアノをやってました。あとフルートですね。フルートは父がやっていたので、1本お下がりをもらってやっていました。
結構真剣にやっていたのですが、高校受験の時に進路を迷った結果、自分の才能に見切りをつけ(笑)別の道を選びました。
べってん
なんと、テトさんもそうだったなんて!わたしも高校2年まで結構真剣にピアノをやっていたのですが、同じく自分の才能に見切りをつけました。というかそもそも練習嫌いだったので無理に続けてもダメだったと思います(^_^;)
小学生の頃は器楽部でヴァイオリンをやっていたのですが、卒業してから全く触っていないので今は全くできません。
お父様もされていたフルートですか?素敵!というか、ソウルミュージックもたしなみフルートも演奏されるお父様って素敵!!!
さっき紅白で「おかあさんといっしょ」の歌が流れて、そういやわたしも子供の頃は「おかあさんといっしょ」や「みんなのうた」の歌をよく歌っていたなあなんて思い出していたので、同じ年頃のテトさんはお父様と一緒にThrillerを聴いているなんてどんなカッコいい親子なんだ!!!と思ってしまいました(笑)
今年はテトさんのおかげで沢山勉強させていただいて感謝の一言に尽きます!来年もついてまいりますのでよろしくお願いいたしますm(_ _)m
けんじ
マイケルのライバルといえば、プリンスというのが相場ですが、実の妹であるジャネットこそ、最大のライバルではなかったのかなと、ふと思ったりしている今日この頃です(笑)
追伸、ネガティブなコメントが続いているようなので、ライトなコメントを書かせていただきました。
テト
「Rhythm Nation」、今も時々聴きます。このアルバムは何と言っても、タイトル曲の衝撃でしょうか?マイケルはべた褒めしていましたし、「The Knowledge」も気に入っていましたよね。「DANGEROUS」制作時のマイケルにとって、ライバルは間違いなくジャネットだったのでしょうね。マイケル自身が「ライバル」と口にしたのは、私が知る限りではジャネットだけでしたし。まさか、溺愛する可愛い妹がここまで追い駆けて来るとは思っていなかったでしょうから、マイケルは内心すごく嬉しかったんじゃないでしょうか。他の兄弟たちは、ソロではそこまではいきませんでしたし・・・。一つの家族から二人もスーパー・スターが出るなんて、今考えてもまさかと思いますよね。
そんな中で、マイケルが次作の1曲目でどう勝負するか?というのは、かなりのプレッシャーだったと思うのですが・・・私が個人的にこの1曲目の「JAM」が大好きなのは、そういった今の音楽界にはない緊張感も感じることが出来るからなんです。しかも、ブルース御代の本気のドラムサウンドを採用しているわけですしね(キックの音、すごいと思いません?笑)。
この時のマイケルは、今後の自分の立ち位置についてかなり考えていたのでしょうし、けんじさんが仰る通り選曲にもかなり影響したのでしょうね。スティーヴ・ポーカロの「For All Time」なんかもマイケルは凄く好きだったそうですが、「DANGEROUS」を聴いていると、とても入る余地なんて無かっただろうなーなんて思いますし・・・・。