だれでも
ミュの典ソハ、天海入寂のあとの歌の話。

三池の天海入寂のあとの歌で、
ソハヤはずっと今にも泣きそうにひとりで歌っている。
自分や天海が、終わる世界の中で、
自分たちの運命を違わず全うするしかない「物語」という構造を憂いている。
「知ってるさ 物語を全うするのは何にでも骨が折れる」
光世はじいっとそれを見つめてて、同じように泣きそうなしんどそうな顔をしている。
「よくやったんじゃねえか 互いにな」
天海を見て、笑うソハヤ。
そこで、こらえきれず歌にするのが、
「持て余した強さが もたらした皮肉
 持て余した強さ それはもはや呪い」
で、これは大典太自身の話。
(ミュ大典太は「自分が蔵から出られていれば、江戸を守れたかもしれない」=ソハヤひとりにこんな悲しい運命を負わせることもなかったかもしれない、と思ってるんじゃないかな)
でも、そこでソハヤが
「俺も兄弟も待つのが得意だ」
って「兄弟」に言及して返すと、
(私が見た回たまたまかもしれないけど、)
光世が、はっ、と顔を上げてソハヤを見る、っていうのがあって。
さらにソハヤが続ける。
「焦るよりはいいだろう
 どうせ長すぎる旅なんだ」
これってつまり、大典太のコンプレックスに対するソハヤの解というか。
それに対して、大典太は弱った顔をキッと鋭くさせて
「全うしてやろうぜ、どうせなら」
って返す。ソハヤはそれに、
「どうせなら」
って呼応する。そしてふたりで、
「期待以上の物語を」
これは、どちらかというとソハヤのコンプレックスに対する解に近いのかなと。
でも、大典太のコンプレックスに対する解でもあるんですよね。

最終的に、お互いがお互いのコンプレックスに対する解決案を歌うっていう……、
三池最後のデュオ曲っていうのが本当にありがとう。
刀剣男士として、生きて、ふたりで支えあって物語をたくさん作っていってほしいな〜。

ちなみに…
ここのやり取りを見て、それまでの大典太はもしかすると、
ソハヤに自分の言葉が届くと思ってなかったのかなあと思ったりしたのでした。
「ソハヤの問題」に「自分が寄り添えるかどうか」自信がなかったというか。
ソハヤの方は、そもそも大典太の問題を正確には捉えられていなかったけれど、
無意識に解を持っていたような感じ。
ふたりでこれからの刀剣男士としての刃生の道筋を見つけたような感じがして、
本当に素敵な歌だし大好きだなあ。

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