み〜けデュオ一曲目「外の光」が好きすぎて好きすぎて、ずっと追いかけ続けたオタクの悲鳴を書いておきます。歌詞に合わせて感想とレポ書いてるだけなのに異様に長いのでおヒマな時に……
以下、歌詞と欲目のメモ感想書き
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「天下五剣が一振り、大典太光世だ」
ここは最初は堂々とした感じだったのだけど、だんだんしっとりした柔らかい感じになった
「天下五剣」「大典太光世」という大典太にとって「呪いの象徴たることば」を受け入れているような感じ
前までは受け入れた上で少し厭うている感じだった
立派な名前のせいで
蔵に封印されていた
ここは「立派な名前のせいで」のあとに分かりやすくクク、と自嘲するようになった
言葉にできなくても名前という線に対して、大典太も思うところがある証かなあと
武器としての役割は
ここのぬーっと本体を抜いて眺めるシーン
清麿と天下五剣の話をしている時と同じなんだけど、ちょっと目を伏せて考え込んでる感じがする
欲目だけど、刀の頃の自分に思いを馳せてるのかなあと思った
どうせ誰も期待してはいないんだろう
凱旋から「どうせ誰も期待してはいないんだろう」をめちゃくちゃ力強く歌うようになったんですよ
ここまでの声音と圧が変わるというか
期待されていないことも大典太のコンプレックスのひとつだったのかなと、思ったり
分かってるさ みんなそう だった
ここも「みんなそう」でフ、って自嘲するようになった
だがな
ここ〜〜〜〜〜!!! ここで顔つきが一変する……!
めちゃくちゃ目をかっぴらいて、やや俯いて上目遣い。力をむき出しにしている感じ。
愛知までは、最初からここまでも結構圧が強いというか、
一貫してとにかくめちゃくちゃ怖い刀の雰囲気を纏っていたのに、
凱旋からはここがスイッチングポイントになった。
愛知まで(というか私が見た愛知で)は、ここまでも強い力を持った者が蟠りを抱えている印象がすごく強かった。
ひとつひとつの歌詞の歌い上げ方が、太い棘でゆっくりと相手を刺し貫く…みたいな感じ。
でも凱旋でのここまでの歌い方は、自分の今までを受け入れて、自嘲している方向になった。
だからこそ、ここの「だがな」でギン!って目をかっぴらくのが最高に〜〜最高に〜〜いい!!!
と、思って配信見たけどそうでも無い、かな?
だがな、で三白眼でギロッと正面を睨みつける印象がすごいあるので、多分回ブレ。
そしてここから大典太バトルです。
あとのソハヤと同じで曲に合わせたダンス殺陣なんだけど、
軽やかに、文字通り踊るようにステップを踏んでソハヤに対し、
所作一つひとつで強引にリズムを取るし、周りにも取らせる。
戦い方としても、斬るというより強い力をぶつける、という感じ。
なかのひとが言ってたけど、ずっと蔵にいて身体が硬くなっていて……というのも、
確かにな〜とめちゃくちゃ頷いてしまった。
「場を支配する」印象があって、戦い方五億点です。
そしてここから先はずっと瞳孔開いた感じで、殺意MAX。最高。
その癖上げた手の、指の、細かい所作が繊細でしなやかで美しくて、
(本人喜ばないかもしれないけど)天下五剣…!って風格があるんです、よい
暗く黴臭いあの場所
俺がいた あの場所
突き刺して引きずったりぐりぐりしたりするのってめちゃくちゃ残酷なので、
普通に考えたらものすごく異常な筈なのに、大典太はごく当たり前にその
「圧倒的な力で場を支配する」ことを行なってるんですよね。
最初の内は刀という「武器で戦っている」感じだったんですけど、
後半公演は大典太自身の身体……というか、そこから発散される強い霊力で戦ってる印象だったな〜。
周囲の睨め付ける視線は最初からかなり怖く、突き刺すような鋭い感じで、
初演の頃はもう少し威嚇する感じがあったけども、凱旋は威嚇ですらなかった感じがする。
大典太の周りで圧倒されてるのを順に見回してるだけ。
こうして書くと、ここは大典太光世の「強すぎる力」=「それはもはや呪い」の図式を
具体例を出して表現してたのかもね。
戦は好きじゃないが
ここ、戦闘中なので依然殺意ある顔なんですけど、凱旋から眉根をほんの少し寄せた
悲しそうな雰囲気が入るようになって
大典太!!なんて!!なんて優しい刀!!!!ってめちゃくちゃ興奮したんです
戦は好きじゃないがという言葉をここまで昇華してくれることある…? 最高…
配信見返してたらここだけ歌声の雰囲気も違いますね。そ、そんなこと…ある…!?すごいなあ…芸細かい…
戻るわけにもいかない
ここで荒々しい感じに戻る。ちょっと苛立ったようにも聞こえるけど、
蔵に戻りたくない!という強い意志の発露って方が近いかな
その理由がこの後に続くし、その表現があまりにも見事なんですよ、はああ……
知ってるか!
はい、どこかの誰かさんも大好きなセリフですね!!!
ここの気迫も公演重ねるにつれてどんどん鬼気迫るものになっていって最高…
大典太の切実さを痛いくらいに感じるんですよ。
辛さとか、悲しさとか、やるせなさとか、そういうものを全部まとめて吐き出したような。
刀なのにずうっと戦えずにいたまま蔵の中にいた自分のコンプレックスの爆発なんですよ…
どうせ誰もわからないだろう、この鬱憤は、という
しかし、これをソハヤ役の中尾くんがすき、と言っていたのを発端に気付いたんですが、
大典太のこの「知っているか」に知ってるよ、って胸張って答えられるのは、
同じくずっと久能山でしまわれてたソハヤだけなんだなあ……
もちろんしまわれ歴的には断然大典太の方が永いんだけど、
それに「分かるよ」って名実ともに頷ける相手がいるのって、大典太みたいな性格のひとにとっては
重要なことなんじゃないかなあって。話が逸れた。
暗いところからはよく見える
光ある世界 眩しいほどの季節
ここも知ってるか、から引き継いですごい気迫の。
ここまでは戦うこと、斬ること、殺すことが前面に出てる顔だったんですけど、
絶妙に大典太の胸の中にある痛ましいほどの羨望を感じさせる、辛さが入ってくる。
手の動きが、本当に、渇望感があるんですよ、光のある世界への。
外に出されたからにはーー
その辛い感情のピーク、じりじり煮詰めて縮こめた限界みたいなここ。
表情はもう最高潮に修羅の顔で、霊力ガンガンに出して誰も近づけまい!みたいな。
ずっと思ってたんですけど、ここで歌詞続いてたら、
かなり痛々しい言葉が続いてたんじゃないかなと思うんですよ。
でも、そこでですよ。
「待たせたな! 兄弟!」
\きゃー! まちゃきー!/
なんていい笑顔なんだ! 最初から最後まで、いつ見ても最高にいい笑顔で!!
そりゃあ中の人もきゃあなりますよ、ここのソハヤは嬉しそうすぎる。
実はここ、大典太の顔が見えるのはめちゃくちゃ見える場所が絞られるんですけど、
ソハヤの言葉で軽く振り向いたあと、鬼気迫る目元が僅かに緩んでる……ように見えた。
緩むというか、殺気立った感じが丸くなるというか。
ここまでがかなり攻撃的な表情をしているので、スイッチングの兼ね合いもあるかもしれないけど、
このセリフで大典太の表情が変わるっていうのが、もう、ほんと最高だなあ……
ここで大典太は左に逸れる。センターをソハヤに譲る。
この時も、ソハヤはぴょこぴょこ!って軽やかなステップで移動していくのに、
大典太は自分の身体で道を割り開いて進んでいく感じでとても対照的。めちゃくちゃ良い。
外の光に限らず、ふたりは徹底的に対照的に描写してくださっててありがとうしかないんですよ。
ありがとう!!! ありがとう!!!!
ソハヤノツルキウツスナリ この言葉が俺を示すもの
左の階段に行った大典太は、愛知まではぬるっと上がっていくだけだったんですけど、
凱旋からソハヤの名乗りに足を止めて振り返る、という仕草が追加に。
なので、愛知までは後ろを向いたまま、ってパターンがあったけど、
凱旋は立ったまま肩に刀を担ぐか、段差に腰掛けるかの2パターンになった。
ソハヤがこちらを向いてにやっとするのは、日によって結構印象違ったな。
きりっとした雰囲気の神っぽいパターンと、元気な青年…というか人間っぽいパターンと。
人間パターンの時は始終楽しそうにセンターで歌い踊っていました。生命力を感じたな〜。
神パターンは剣戟の動作の最後の折にニッと笑う感じ。
とはいえ、私の目は一対しかないので、双眼鏡使わねばならぬ時は大典太見てたので
申し訳ない、もっと、細かい機微があったかもしれない…。
坂上宝剣の写しといえば俺のことだ
ここから先、降りていくまで、特になんの感情も篭ってない顔でソハヤをどこか物珍しそうに眺めている。
戦ってるのをずーっとニュートラルな表情で目で追ってるんですよね。
(最後の本丸で鳥さんを見てる時よりももっとニュートラルな感じ。
そういえば、天海の結界初見の時にも同じような顔してたな……上段左)
なんなら口が薄く開いてるときもあった。あんなに鬼気迫る顔で戦ってたのに……気だるいというか、なんというか。
何かアプデあるかな?と思ったけど、最後までなかったんだよなあ…
表情豊かなミュ典太にしては珍しいなと思った。
ここからは独り言なんですけど、大典太とソハヤの距離感というか、出会った当初はこんな感じで
生き生き戦うソハヤを不思議そうに眺めてたりしてたのかなーと思ったり。
霊力があるのに、そんな人の身体を使った戦い方をするんだ、という感じとか…?
この辺まだ妄想が言語化できないな〜
ソハヤくん出てきてるのでソハヤくんの話もしたいのですが、あいにく体に目が一対しか付いていない。
悔しい。悔しいよ、三池それがめちゃくちゃ多かった……
なまじ霊力があると どうせ置物扱いになる それだけ
一回レアパターンで「どうせ置物扱いになる」のところで、
僅かに眉根を寄せてソハヤから目を逸らした時がありました。向かって左に目を逸らす感じ。
すごく興奮したので、幻覚かもしれません。
ソハヤはいつもここをカラッと笑顔で歌い上げるので気付かないのだけど、これがコンプレックスなんだよなあ……
分かってるけど 皮肉なもん だな!
歌詞起こしてて気付いたんだけど、この歌のソロ部分は大典太とソハヤ、
ふたりとも自分のコンプレックスの話で、それに対して今、どう捉えて処理しているかを歌ってるんですね。
大典太は「外の光に焦がれるばかりの蔵に戻りたくはないので、呪いでもある強い力を用いて戦い続ける」
ソハヤは「強い力のせいで置物にされたが、今の自分はそうではない。自分の手でこれから新しい物語を作る、と笑って前を向く」
「大典太光世とは兄弟だな!」
ここのソハヤはいつもドヤア!と嬉しそうな顔をしていてとても可愛いです。
表情ブレはここはなかったな〜、ソハヤにとって、三池銘のある大典太と兄弟であるということは
とても価値のある事実なんだなと感じてとても良いです。
自分の名前が出たことに対して、大典太は必ず何かしら反応するんだけど、
珍しく明確に「反応しました」という仕草はないんだよね。(はっという感じで視線と顔を向けるやつ)
初期は、首の紐に指をかけて緩めるように動かすか、首ゴキするか、ジャケット(の左側)を直すか、
だったけど、後半公演では、首の紐(この仕草自体、後半公演では全然しなくなったね)、首ゴキはなくなった。ジャケットの左を直す、は中盤からかな?
中盤公演からたまに自分の刀身を眺めながら指を添わせて汚れを払う、みたいな仕草をするようになって、
ああ〜〜〜ソハヤのそのセリフに!!刀身見ちゃうの!!って興奮してたんですけど、
見事盤収録でもこの仕草だったので全景をお楽しみに……。
愛知公演だともう少しじっと見ているのに指添わせてるような感じだったけど、
凱旋だと拭うようなニュアンスが強かった気がするな。
知ってるか 写しからはじまってもいい さ!
生きた証こそ 俺だけの物語
俺の霊力舐めんな
とにかく元気にぴょこぴょこ笑顔で戦ってるソハヤ。を、じいっと目で追いかけている大典太。
書いてて気付いたんですが、ここソハヤも「知ってるか」の歌い出しなんですね
書くことがそんなに無いのは、自分の問題解決方法を登場曲から高らかに歌い上げているソハヤが
とても眩しいからです。こうして見るとやっぱりソハヤの方が
(人間的な感情に折り合いをつけるという意味で)精神的にちょっとできてる印象あるなあ。
「俺の霊力舐めんな」は結構変わりましたが、最終的にかなりキリッとした印象。
大典太は「生きた証こそ」でゆっくり降りてきて、
「俺の霊力舐めんな」のところで、わーっと一気に駆け寄ります。
三池は顔を合わせると笑う習性がありますが、ここで刀を交わすところでソハヤが
「きたな!」って感じでニヤッと笑うのが最高。
ここから先サビに入るともう脳のキャパが爆発してしまっているので、
ロクな記憶がありません。白んでいます。こころおぼえてない。
聞こえたのは声
俺を呼ぶ声
永い眠りから目覚め そこで光を見た
ここの歌詞割りが〜〜〜〜ああ〜〜〜〜〜たまらんな〜〜〜〜〜!
こういう話だと大典太の話っぽく見えちゃうんですけど、ソハヤもしっかりこの歌詞なんですね……
ふたりがお互いの境遇が「理解る」証だよなあ。
大典太の「聞こえたのは声 俺を呼ぶ声」は公演終盤になるにつれて、より切実になった印象。
顔つきもソハヤを漫然と目で追っていた時と変わって、キッと前を見て吠える。
ソハヤの振り付けも秀逸で、ぱって顔を上げて同じ前を向くんですよ…
きりりとした力強い笑顔で鋭い。同じ方向を向いている。
ここ、いつも霊力バチバチに溢れてるなってすごい思う……共鳴している!
「そこで光を見た」って歌詞でハモるのが最高じゃないですか? 最高です。
ちなみにここで大典太は刺してて止まってて、ソハヤは貫いて動いています。静と動!!
ここのふりはひたすらふたり対称に作られていて一緒に視界に収めると本当に見事なんですが、
一緒にみると表情が追えないとの脳のダムが一気に崩壊します。
俺が怖いか
我が霊力を怖れよ
左右に分かれて、決め台詞きました。きましたよ。
原作を知っている人ならみな聞いているであろうセリフを、
ここまでの文脈のあとに、こうして感情を込めて歌っていただけることがありがたい!
「俺が怖いか」は公演進むにつれてどんどん何かが憑いていきましたね。
もう圧が強い怖い様を表現する言葉が、私の中になくなってしまった!!!
なぜ封印されていたか、が分かる、というのが近いかな…
顔もすごいんですよ、目をガンガンに開いて瞳孔開いてる感じで。
これが封印されてた頃(に、人々に想像されていた)大典太の姿かなあと。
ちなみにこの顔は、ソハヤが近い位置にいる時はしていなかった……はず。欲目かもしれないけど。
ソハヤの表情に関しては、目が一対しかないことを呪いながら配信の映像を見ています。
俺が怖いか、が横方向の手の動きに対して、我が霊力を怖れよ、は縦なんです。たまらん。
俺が 俺が 斬る!
俺が!という強い宣言がめちゃくちゃかっこいいんです。守り刀なのに、斬る。
大典太も私の感覚的なものなのですが、ソハヤと合流してからは比較的「刀を使う」ような
動きが多い気がします。
ポーズもまた秀逸で、ソハヤは斬りさげ、大典太は切り上げで、同時にやる様は本当に!!本当に!!! めちゃくちゃカタルシス〜〜〜〜!!!!!!うわ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!スタンディングオベーション。
外の光の殺陣の振り付け最高すぎて清水神には感謝の祈りを捧げるしかない…
眩く光るこの鋒で
この歌詞の流れで〜〜外の光というタイトルで〜〜
自分たちの持っている刀の「鋒」が光っているということはですよ〜〜〜
外の世界に出た自分たちはどう生きるか、というのが、三池のお話だと思うわけです。
(お話全体としても、結論は最後のあの本丸の会話なんですけど、
あれだけのセンテンス数で見事に全部の問題に対するふたりの解を出している。すごい)
その証明のように、階段を駆け上ったふたりの構えた刀がきらきら輝いていて素晴らしい。語彙力がやはりもうない…
ここもソハヤは前に刀を構え、大典太は上方向後ろに構えるのが、まあ原作戦闘ポーズなのかもですが、
最高なわけです。
で、ふたりまたわーーーっと敵を蹴散らして真ん中に集合するんですけど、
最後は納刀して決めポーズできりっとした感じで終わりますが、
やっぱり集合時の目があった時ににやっと笑うソハヤが私は愛しくて愛しくてたまらないのでした。ありがとう。
途中の公演では最後の決めポーズでも笑ってた時期あったけど、
この雰囲気で盤収めてくれたのはとても嬉しい。
またね! ここの納刀がね! 大典太が達者にくるくる刀回してて見事なわけですよ。
そして最後の手の構えが最高に綺麗で、最高なんですよ……語彙力がなくなった……ない……。
ありがとう、外の光だけでこんなに書いてしまった。
書き始めて傍で配信流していたら一公演終わってしまいました。さすがです。
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最後のおまけ。
愛知公演で一度、最後の決めポーズの時に勢いよく納刀して跳ね返ったか、
納刀後の払う手に引っかかったかして、ソハヤの本体がぽーんと下手側に飛んで行ってしまい、
ソハヤ自身も何が起こったのかわからず「???」って顔をした後、
てへへ、って顔で悠々と拾いに行って納刀し直した事件は最高に可愛かったです。
なかのひと的にはそっとしておいた方がいいのかもだけど、とにかく可愛かった…。
最後のポーズのまま、視線だけでちらちら隣の様子を伺っていた大典太も良かったです。
ふたりとも刀として100点の対応でした最高。
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