「群青村」伝承記「群青村」伝承記

今は昔——。
山を越え谷を下り、鬱蒼と生い茂る森の奥のそのまた奥に、密やかに佇む集落があった。
『群青村』と呼ばれたその村は、瑠璃に似た特殊な鉱石が多く採れ、その石から生成される群青色の顔料が、村人の衣服や家々を美しく彩っていた。
ある新月の晩。村人たちは大掛かりな炎を囲み、古きより伝わる舞を踊っていた。豊作豊穣を祈願する年行事の祭りである。その踊りは村人八人ずつで一組を成し、更にその一組のうちの四人と四人が掛け合うように舞う。
その踊りにいざなわれるように、母子であろう野良狐がその村に現れた。野良にしては身綺麗で人懐っこいその狐は、祭りの興奮も相まってか、いつしか村に棲み着くことを許され、雨露を凌ぐ寝屋と餌を与えられた。
しかしその後、その村を続けざまに異変が襲った。日照りが続き作物が育たず、病に倒れる者が続出した。
ある者が口にした。
「狐が災いの元だ」
村人たちは総出で狐の母子を襲った。逃げ惑う狐を村人は追いかけ回し、子狐は命からがら逃げ延びたが、母狐は捕えられ、深き穴に閉じ込められた。
それからすぐ、恵みの雨が降り注いだ。村は歓喜に包まれ、或る者は踊り、或る者は狂喜に咆えた。
子狐は夜の闇に隠れ、愛しき母狐を探した。雨の中、飲まず食わずで三日三晩と探し続け、やっと見つけたその母は、もはや母ではなかった。穴の中にたった一匹閉じ込められ、這い上がることも出来ず、孤独のうちに死んでいた。
母を亡くした子狐の絶望は怒りと憎しみに変わり、やがて底知れぬ恨みとなった。そうして子狐は、何処へともなく、夜の闇へと消えていった。
それからまた、新月の晩のことである。
群青村から二里ほど離れたふもとの里に、ある男が立ち現れた。男は狼狽し、取り乱した様子で、何やら訳の分からぬことを叫んでいる。
——狐の呪いだ。
——みんな消されてしまった。
息も絶え絶えにその男の言うことには、ある日を境に突然、男の住む群青村の村人が一人、また一人と消えていったという。村人総出で行方を捜したが一向に見つからず、そればかりか失踪者は増えていく一方であった、と。
そんな失踪者捜索に精を出すある日、ふと男は、後ろから誰かに肩を叩かれた。誰ぞ何の用かと振り返ろうとした矢先に、一瞬にして男の意識は遠のいた。
目覚めると、いつも通っている山道にいた。だが、どこかが違う。寸分違わぬ路々である筈であるのだが、一種異様な空気が辺りを包んでいる。
村に戻ろうと歩き出すが、いつもなら十分とかからない道の出口が見つからない。村の姿も見えず、そればかりか、同じ地蔵の前を何度も通っている。…………
そうして男は、昼も夜も無い不可思議な世界で孤独に打ち震え、永劫とも思える時間を過ごしたのだという。
何処をどう彷徨い歩いたのかは分からぬ。朦朧とする視界の先に、一縷の光を見つけた男は、慌ててその光へと駆けていった。
そうして気付けば、この常世へと戻っていたのだという。
だが——、村には誰も居なかった。まるで村ごと神隠しにでもあったかの如き様相に空恐ろしくなった男は、森を抜け谷を越えたこの里へと、ようやく辿り着いた。
此処までの話を一息に捲し立てる男を、里の人間は一笑に付した。だが夜が明けて群青村に赴けば、男の言う通り、誰一人として村人は残っていなかった。
そればかりではない。誰がつけたか村の至るところに、大きく開かれた青き手形が幾つも残されていた。それを見た里の者は恐れ慄き、一目散に逃げ出したという。

やがてその話は人から人へ伝わり、いつしか「青き呪い」と呼ばれるようになった。
時を待たずして里の者は、その「青き呪い」を鎮めるため、もぬけの殻と成り果てたその村に神社を建て、親子の青い狐の面を祀ったという。
そうして「群青村」と呼ばれたその村は、やがて誰からも忘れられ、森の奥の奥でひっそりと朽ちていった。
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