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「コロナ以前には戻れない」 感染症法上の分類、緩める議論が必要なわけ

新型コロナの感染拡大で医療が逼迫していますが、医療者と一般の人の間にある危機感のギャップをどうしたらいいのでしょうか。 感染症法上の分類を緩和する議論も始まっています。コロナとどう向き合うべきなのか専門家に聞きました。

全国的に新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、重症者も入院先がなかなか見つからない状況に陥っている。

だが、医療者や専門家が持つ危機感の高さは、なかなか社会に伝わらない。ギャップを埋めるには、どうしたらいいのか。

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

「入院治療が必要な人はすぐに入院できるようにする体制が必要」と語る岡部信彦さん

またこのタイミングで新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けを緩和する議論が浮上している。感染爆発している今は現実感が湧かない議論だが、ワクチンが普及したあとはどのようにこのウイルスと付き合っていくべきなのか。

新型コロナウイルス感染症対策分科会構成員で、川崎市健康安全研究所所長の岡部信彦さんに聞いた。

※インタビューは8月12日に行い、その時点の情報に基づいている。

コロナ病床の使用率、100%でなくても切羽詰まっているのはなぜ?

ーー各自治体が出しているコロナ病床の数は100%に至っていないのに、「もう受け入れられない」という声があちこちの現場で聞こえます。これはどういうことなのでしょう?

例えば、10床空いているところに毎日1人ずつ入ってくることがわかっていれば、10日間かけてベッドは埋まってくるので余裕があります。また、10日間の間には誰か退院する可能性もあります。

でもそこに一気に5人入ったらどうなるか。

1人の緊急入院患者を受け持ったら、その人を診て、検査をして、全体の評価をして治療方針を立てて、本人や家族に説明をして、治療にとりかかり、その適否を確認して、報告書やら届けやらもろもろの書類作業をやる。重症度によって異なりますが、優に半日ぐらいかかります。

2人入ったら丸1日つぶれます。一気に5人入ったら数字上は50%でも、6人目を受け入れるのは難しくなるかもしれません。数字の上での空床のあるなしだけで、状況を判断することはできません。

危機感のギャップを埋めるための強い言葉、届くか?

ーー「もう患者を受け入れられなくなっている」と切羽詰まっている医療者と一般の人の危機感のギャップを埋めるにはどうしたらいいと思いますか?

簡単なのは、身の回りに広く感染が広がることです。そうすれば危機感はあっという間に伝わるでしょう。けれど、それはもちろん良くないことです。

逆にこの病気が少数になってしまえば危機感はなくなるでしょう。でもそれは、危機感がない=安心=油断となってしまいそうです。

多くの患者を診る医療現場と、ごく近いところには患者はごく少数しかいない一般の人たちの間では、当然、危機感にギャップが出てきます。

しかし私たちはそれ以上の危機的状況にならないために、「気を付けてください」と呼びかけなくてはいけない。「そんなこと言ったって自分たちは大丈夫。大げさな!」という人たちも含めてです。

ーー市民との危機感のギャップを埋めるために、今、医療者が「軽症」「中等症」「重症」という言葉について、一般の人はこう思っているかもしれないけれど、医療者からするとこうなんだと伝える発信が増えています。ただ、重症を「死にかけ」や「助からないかもしれない」と表現するなど、患者や家族からすれば厳しい言葉も使われています。

一般の多くの人は人工呼吸器につながれている人を見ているわけではないし、いつもの日常生活を送っています。不便さをかこちながらも、世の中は穏やかです。いつも通りの風景が広がっています。

その人たちに危機感を共有してもらうのはとても難しい。しかも危機感を伝えることで極度の不安感を煽らないようにしなければいけません。

また病気の重症感は、一般の人と医療者では大きい差があります。

それはコロナ診療だけの話ではないですね。夜間の救急医療で「お腹がとても痛い」と訴える人がやってきても、「診た感じでは重症ではないので少し様子をみておいてください」と家に帰すこともあるのが医療側の感覚です。

しかし、本人は「とにかく痛い」「盲腸かもしれない」「腸閉塞かもしれない」などと考えて救急に来るわけです。本人にとっては「重症」なんです。

「当事者の重症感」と「医療が判断する重症」は全く違います。

重症だと訴える人を全て受け入れるのは優しい医療だと思いますが、すべてに優しい医療をやっていると、本当に重症な人を救えなくなります。

また病気には流れがあるので、すべてを最初から判断することはできず、流れを見なくてはいけないことが多々あります。

「今、重症な人を診ているから様子をみて」と言われたら、「様子を見て」と言われた側は放っておかれたと思うかもしれません。でもそのギャップと現実を埋めるのは、常に難しい。医療とはそういうものでもあります。

ただし医療者が外に向かって強めの言葉を使うのは気をつけたほうがいい。警告するつもりで、注意喚起するつもりで言っている言葉を、「もうだめだ」という絶望感でとらえられてしまい、不安感が高まることがあります。

逆もそうで、不安感をなだめるつもりで「まだまだ大丈夫ですよ。そんなに心配しないでください」という言葉が強いと、「なんだ、大丈夫か」と注意は緩んでしまいます。

ーー医療者が強めの言葉を使うのは、かなり危機感が強まり、いら立っているのだと思います。「この危機感をわかってくれよ。あなたやあなたの大切な人の命も危ないのだよ」と必死に伝えたいのだと思いますが、それがなかなか伝わらない。

その危機の現場は一般の人には見えないし、見えなくて当たり前です。医療者からしてみれば、「明日は『あなた』がどうなるかわからないのにオリンピックをやっている場合か。お盆休みで遊びに行きたいと思っている場合か」との思いでしょう。

新型コロナはインフルエンザ並みではない

ーー感染症法上の新型コロナウイルスの位置付けを緩和する検討を厚労省が始めたと報じられています。感染症は感染力や致死率などに基づいて、1〜5類と新型コロナも入る「新型インフルエンザ等」などに分類され、新型コロナは入院勧告や濃厚接触者などの調査、治療費の公費負担など1、2類に近い手厚い、強い対策がとられています。今から議論することが必要ですか?

議論しておかなければいけないことだと思います。

「季節性インフルエンザと同レベルの5類に引き下げろ」という主張がよく出ていますね。2類か5類かどっちかというのは、極端に右か左かそれしか選択がないと受け取っているようにも思います

私は、新型コロナは、軽症者に関しては普通に外来で診てもよい病気になってきていると思ってます。

もちろん受診時には麻疹や風疹など他の感染症と同様に、感染症対策はきちんとやる必要がありますが、軽い人はほかの人にうつさないよう気を付けて自宅で様子を見てもらう。医療機関をちゃんと受診する、あるいは連絡が取れるようにし、また在宅医療のように往診してもらうようにする。

具合が悪くなれば、その程度に応じてそれなりの病院に入院できるようにする。

一般の病院も「この感染症は診られない」とするのではなくて、今までも肺炎を診ているし、感染対策もできるようになっているので、酸素吸入や点滴をやる程度のことなら入院できるようにする。

重症者はもちろん感染症や重症管理を専門とする部門を持つ医療機関でいつでも受け入れられるようにする。

これが現状の感染症法の区分の中では、新型コロナは診る医療機関も決められていて、全ての陽性者に保健所が介入しなければならなくなっています。

少数例のうちはいいのですが、多数の軽症例を含み数的に莫大になってきた時は難しい。

重症例への対応、全体の効率性、拡大予防や人の生活の制限などへのバランスも考えなくてはならず、問題が膨らんでくるので、今の感染症法上の位置づけでいいとは決して思いません。

しかし、5類で季節性インフルエンザ並みにするのがいいかといえば、そんなことはありません。

インフルエンザよりかかりにくいけれど、かかったら悪化する可能性はインフルエンザよりはるかに高い。

また、5類ということになると、外来受診も検査も診察も治療費も、入院費用も健康保険を使うことになり自己負担もが生じます。これもこのままストンと5類にすれば大きな問題となります。

ーー抵抗感を示す人も出てくるかもしれないですね。

抵抗感というより、「費用がかかるなら医療機関には行かないで何とか自分で治そう」と考えたり、無理して仕事を続けて悪化する人も出てきたりするマイナス面も考えられます。

繰り返しますが、新型コロナは軽症であればインフルエンザ並みですが、重症になる割合はインフルエンザ並みなんかではない。

でもかからないための注意は、インフルエンザ対策と基本的には同じです。今のエボラ出血熱並みの扱いからは緩める必要があると思いますが、少なくともインフルエンザよりも注意しなければならない病気です。

ーー新しいカテゴリーを作る必要もあり得るのでしょうか?

むしろそちらの方が現実的かとも思います。今までの分類の中で特殊なカテゴリーを作ってもいいかもしれません。

新型インフルエンザにしても、エボラ出血熱にしても、時間軸から言えば短い出来事です。

しかし新型コロナはもうすでに1年半以上を経ている。緊急の対応を1年、2年経ち、3年に渡ってやれば、緊急ではなくなります。この感染症が今後もあり続けることを考えた対応にシフトしていかなければいけません。

「プレコロナ」には戻れない

ーー今後もコロナウイルスはあり続けることを前提に、ワクチンが普及して、ある程度コントロールしながら付き合える病気になった時の対応を考えるということですね。

それがウィズコロナ(コロナと共生)という考え方です。

ーーその時に保健所が全て関与とか、全て濃厚接触者調査などをする必要はなくて、入院費や治療費も一部自己負担にするということですか?

そんな高額ではなく、いくらかは自己負担も払ってもらうことを考えるかもしれません。僕は医療費が全額無料、あるいは医療費がどのくらいかかるかがわからないまま済んでしまうと、結局医療費の無駄遣いや「やってもらって当たり前感」が出てきてしまい、よくないと常々思っています。

費用負担に関しては、「新型コロナ」の診断(あるいはその可能性を考えて)の下で行う医療行為は、原則として公費負担です。保健所が関与したら国負担になりますね。積極的疫学調査の場合はそうです。

が、自主的に自分で検査(正確に言うと診断のためではない検査)を受けるような場合には自己負担です。例えば、旅行に行くためとか、飲食のための安心検査まで全て国負担で行う必要はないと思います。

また、特定の医療機関で診なければいけない、特定の医療機関でなければ診られないという条件も外したほうがいいでしょう。

今までの外来と違って、熱のある人は感染対策のために発熱外来など別の場所で診ることは、インフルエンザなどの時からずっと提案しています。感染症の診断治療を一般医療の中でちゃんとできるようにすることは、今後に向けても重要です。

ただし、入院以上の医療的な介入が必要な場合は、ちゃんと入院医療機関で診られるようにしなければいけません。

ーー今の「新型インフルエンザ等」の位置付けから、感染症法上はどの位置付けにしたらいいでしょう。

今、3類(コレラ、腸管出血性大腸菌感染症、細菌性チフス、細菌性赤痢、パラチフス)はほとんどお腹の病気、腸管系感染症です。

そうすると4類(日本脳炎、マラリア、デング熱など)の中の特殊カテゴリーにする、あるいは実情に即した2類感染症にするという考え方もある。例えば結核のようにできるかもしれません。

いずれにせよ、1、2類から5類へという単純な議論であってはいけません。

従来のカテゴリーに捉われずに、軽症な人はうちで様子を見ることができ、入院治療の方が経過をよくすることができるなら一般病院で入院治療ができる。重症か重症化するようであれば、しかるべき高度専門医療機関で引き受けることができる。より柔軟に医療費の負担が全ての個人に及ばないようにする、などが基本であると思い続けています。

保健所は本来、診断したり治療方針を決めたりするところではありません。本来の行政的な世話や疫学的データの取りまとめなどの公衆衛生に関わる保健行政に戻らなければいけません。本来の行政的な世話や疫学的データの取りまとめなどの公衆衛生に関わる保健行政に戻らなければいけません。

ーーもちろんそれはワクチンが普及してからの話ですね。

100%の接種率は達成できるはずもないですが、今のインフルエンザ以上の接種率になり、患者数が何人に減ったらというよりも、致死率が今の半分から10分の1ぐらいになれば、一般医療の中で注意すべき重症な病気として診ることができるのではないでしょうか。

人から人へ完全にうつらないようにするのは難しいですが、今後も感染を下げる努力はしないといけません。その意味でも暮らしの一定の制限は今後もあり得るかもしれません。

プレコロナ(コロナ以前)には完全には戻れません。

むしろ、あの便利すぎる、なんでも24時間楽しめるかのように見えた世の中こそ、是正が必要なのかもしれません。新型コロナは「眠らない夜」ではなく、「静かなる夜」に戻すための鉄槌かもしれない。通常の生活が制限されないぐらいの注意はこれからも必要でしょうね。

3回接種、必要か?

ーー日常生活に徐々に移行することもそろそろ考え始めたほうがいいということですね。

現状の爆発的流行はまず沈めていかなくてはいけません。そうでないと、治療に届かない人が増えてくるし、一般医療にも響いてくるし、ワクチン接種が進まなくなります。結局は「大丈夫」と思い込んでいる人に影響が出てくることになります。

その上でですが、その先には日常生活を徐々に取り戻すことを考えていく、示していく必要があると思います。

制限を全面解除したイギリスのやり方には批判もありますが、僕は基本的な考え方としては、あのやり方は悪くないと思っています。でもそれをやるにはある程度の割り切りも必要です。また英国のように一斉に舵を切るというやり方には、賛成できません。

そして、その割り切りを一般の人も理解してくれないといけません。どこかで一人亡くなったとか、学校でクラスターが出たなどがある度に、「責任追及」という声が社会で大きくなるのだとすれば、緩和などできません。

ーーインフルエンザでも人は亡くなりますが、確かにその都度、生活の制限はしていないですね。

でもインフルエンザでも院内感染が広がれば、責任は問われますね。

ーーこの議論の中ではワクチン接種の普及が重要になってくると思いますが、2回接種が普及し終えていない段階で、3回目の接種が必要だという議論が始まっています。

それは次の段階の話です。よりよいものを求めるのは当然で、その方法を追求し準備しておく必要はあります。

しかし先ばかり見て足元が固められないのでは、元も子もなくなります。今あるものでまずベストを尽くすのが最優先です。つまり2回のワクチン接種をまずリスクの高い方、次に多くの方がきっちりと受けていただくことが大事です。

3回接種を受けなければ意味がないのか、と不安に陥らないでほしい。米国CDC(疾病管理予防センター)は2回接種しても感染するという報告を出していますが、確実に2回接種した人は重症化を防いでいるということも同時に発表されています。

また2回接種しても感染対策をやめてしまっては感染源になる可能性があるので、全面的にマスクを外すことはやめるべきだ、という呼びかけに論点があることも注意していただきたい。

「2回は意味がない。3回目はいつやるんだ!」ということになると、2回接種を進めるエネルギーが削がれます。それより今必要な2回をちゃんとすべきです。

ーーただ、2回接種をした後もブレイクスルー感染は起きていますね。

それはいろいろなワクチンで見られる現象で、ワクチンが中途半端に普及してくると目立ってきます。

水ぼうそうのワクチンでも、前からブレイクスルーがあることはわかっていました。ワクチン接種が進み、本物の水ぼうそうが減っても、まだぱらぱらと自然の水ぼうそうが出ている状態だと、ワクチンを受けた子供たちの水ぼうそう(ブレイクスルー水ぼうそう)が目立ちはじめます。

コロナでも同じ現象が起きると思います。それがいいとは思いませんが、「だからワクチンはダメなんだ」と、ワクチンの不信感に結びつかないようにしなければなりません。

ーー日本の2回接種はいつ頃、ある程度の目標が達成できますか?

高齢者はほとんど接種できました。今、次の世代に移行していますが、高齢者ほど一斉にやっていないのでスピード感は遅くなる。担当者にしてみれば入荷の状況を見ながらですから調整は難しいです。

でもすごく不足しているわけではありません。いろいろな意見はありますが、私は重症者を一人でも少なくする、死亡者を一人でも少なくするという医療の考え方の原点に帰れば、高齢者の次に重症化リスクの高い、中壮年者層が優先的に受けていただきたいし、受けられる環境にしていただきたいと思っています。

新型コロナ、今後どうなる?

ーー今後、新型コロナはどうなりそうでしょう?最後の波になりますか?

感染症は際限なく広がることはないですから、どこかで収まります。完全に収まるかどうかは、変異や免疫からの逃れなど、ウイルス側の動きもあるのでなんとも言えません。

人間に都合よく変異する場合もあるし、人間に都合悪く姿を変える場合もあります。そこは読めないところです。

楽観的なことばかりは言っていられなくて、備えはしておかなければなりません。

ーーペルー由来の変異ウイルス「ラムダ株」はどこまで広がりそうですか?

現時点ではわかりません。アルファ株の時もみんな心配していましたが、結果的には大したことはありませんでした。でもそうこう言っているうちにデルタ株が出てきたわけです。

ーー最後に一般の方に今伝えたいメッセージをお願いします。

心からのお願いです。一人一人の注意力を5割ぐらい増やして、行動を5割ぐらい減らしてほしい。人の動きを減らすと感染者が減るというデータは出ています。

例えば、5回外でご飯を食べに行くのを、2回くらいに減らしてください。5割減の努力をしてください。今の感染拡大を収めるために、一人ひとりにそういう努力をぜひお願いします。

リスクある行動を半分減らすことが、見えないリスクから自分の身を救うことにもなります。家族も含めた身近な人が重症になることも防ぎます。その行動は結局、見知らぬ人をも救うことになります。

やはり優しさがないとこのウイルスには勝てません。どうかよろしくお願いいたします。

【岡部信彦(おかべ・のぶひこ)】川崎市健康安全研究所所長

1971年、東京慈恵会医科大学卒業。同大小児科助手などを経て、1978〜80年、米国テネシー州バンダービルト大学小児科感染症研究室研究員。帰国後、国立小児病院感染科、神奈川県衛生看護専門学校付属病院小児科部長として勤務後、1991〜95年にWHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局伝染性疾患予防対策課長を務める。1995年、慈恵医大小児科助教授、97年に国立感染症研究所感染症情報センター室長、2000年、同研究所感染症情報センター長を経て、2012年、現職(当時は川崎市衛生研究所長)。

WHOでは、予防接種の安全性に関する国際諮問委員会(GACVS)委員、西太平洋地域事務局ポリオ根絶認定委員会議長などを務める。日本ワクチン学会名誉会員、日本ウイルス学会理事、アジア小児感染症学会会長など。

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