Monday, August 16th, 2021

映画『もののけ姫』ネタバレ感想・解説・考察!石火矢や舞台設定、シシガミから見る神話について

映画『もののけ姫』は、1997年に公開されたスタジオジブリ制作の映画です。本作はこれまでも傑作を生みだし続けてきたジブリ映画の中で異色の作品となっており、複雑で難解なストーリーや膨大な裏設定が見どころです。

作品としてはかなり理解が難しい作風に仕上げられているものの、総興行収入は約193億円とアニメ映画のみならず日本映画の頂点へと君臨し、今なおジブリ屈指の傑作として知られています。

今回はそんな『もののけ姫』に隠されたいくつもの複雑な設定やメッセージ・考察を徹底解説します!

なお、ネタバレには注意してください。

映画『もののけ姫』を観て学んだこと・感じたこと

・歴史学や神話を本当によく分析している
・知れば知るほど深みが出る作品
・このテーマで超ヒット作を生み出した宮崎駿は改めて偉大である

映画『もののけ姫』の基本情報

公開日 1997年7月21日
監督 宮崎駿
脚本 宮崎駿
出演者 アシタカ(松田洋治)
サン(石田ゆり子)
エボシ(田中裕子)
ジコ坊(小林薫)
モロの君(美輪明宏)
乙事主(森繁久彌)

映画『もののけ姫』のあらすじ・内容

映画『もののけ姫』のあらすじ・内容

エミシの村に住む少年・アシタカのもとを、タタリ神と呼ばれる怪物が襲いました。

アシタカは苦戦の末にこれを退治。しかし、その名が現す通りこの生物は呪いを有しており、それがアシタカの右腕に死の呪いを与えます。

村を救ったものの、呪われの存在となったアシタカは周囲から敬遠されるようになり、呪いを解くため追われるように旅へ出ました。

道中でアシタカは様々な困難に直面しましたが、なんとかそれを乗り越えていくと、ジコ坊と呼ばれる謎の男に出会います。

彼より「神が住む村」の話を耳にしたアシタカは、タタラ場において製鉄事業を営んでいたこの村へと向かいました。そこはエボシと呼ばれた女が取り仕切る村であり、彼女らは鉄によって生み出された石火矢によって村を守っていました。

アシタカは、エボシにこれ以上自然を破壊してはならないと忠告しますが、彼女はこれを受け入れようとはしません。

ここで、自然と人間の対立が本格化し、エボシはもののけ姫と呼ばれた少女サンによって、その命を狙われてしまうのでした…。

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映画『もののけ姫』のネタバレ感想

【解説】もののけ姫の舞台設定は日本の中世とされ、時代背景をよく反映している

【解説】もののけ姫の舞台設定は日本の中世とされ、時代背景をよく反映している(C)1997 Studio Ghibli・ND

この作品の舞台設定が現代でないことは一見してすぐに理解できると思いますが、大まかにどの時代を想定しているかご存じでしょうか。私の見たところ、この作品では日本の中世、それも室町時代あたりを指しているのではないかと推定できます。以下では、その根拠を指摘していきましょう。

まず、エボシたちが生産している「石火矢」の存在から、大まかな時代を推定することが可能です。この武器は、後述するように主に戦国時代に入ってから日本中に普及した武器です。そのため、おおむね室町時代の末期~戦国時代の初期が舞台であると推定できます。

さらに、作中では石火矢を狙って暗躍する「侍」たちの存在が確認できます。侍が登場したのは言うまでもなく平安時代後期の「源平合戦」ごろの話ですから、どんなにさかのぼっても平安時代以降の出来事であることは間違いありません。

したがって、鎌倉時代・室町時代・戦国時代といった「中世」と呼ばれる時代を舞台に描かれた物語であることはほぼ間違いなく、同時に作中の描写がおおむね当時の世相をしっかりと反映していることがわかるでしょう。

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【解説】アシタカが生活していたエミシの村という舞台には、縄文文化や大和王権の影響が散見される

【解説】アシタカが生活していたエミシの村という舞台には、縄文文化や大和王権の影響が散見される

アシタカが物語以前から生活していた「エミシの村」についても、実態を正確に知るためには日本史の知識を要します。例えば、「エミシ」というネーミング。高校で日本史を選択していた方ならばピンとくるかもしれませんが、彼らは主に東北地方で古代に勢力を広げた「蝦夷」と呼ばれた実在の存在をモチーフにしていたことがわかります。

しかし、ここで歴史を知っている方ならば疑問に思うかもしれません。そう、本作の舞台である中世にはすでに蝦夷が中央政府(彼らに言わせれば大和王権)に打倒されており、名実ともに鎌倉幕府や室町幕府へと取り込まれていってしまっているのです。

さらに、彼らの村が位置している場所は本州の中部であると推定されています。どうしてこう推定されるのかは省略しますが、蝦夷が現代でいう東北地方で勢力を伸ばしていたことはすでに触れました。以上の点を考えると、場所や時代の整合性がとれません。

ですが、そういった疑問解決のカギもしっかりと作中に含まれているのです。結論から言ってしまえば、彼らは大和王権との戦に敗れた蝦夷たちの生き残りであり、根城として勢力を有していた東北地方から逃げるように小さな村でひっそりと生活していると推理できます。作中でも、「我々が大和王権に敗れた」という旨の発言がなされており、彼らの存在だけをフィクションと仮定すれば極めて妥当な存在となるのです。

【解説】実際の歴史上でも重要な役割を担った「石火矢」という武器

【解説】実際の歴史上でも重要な役割を担った「石火矢」という武器

タタラ場にてエボシ一味が生産している「石火矢」という武器ですが、作中に出てくる石火矢そのものは架空の存在でしかないものの、この「石火矢」という名前が付いた武器自体は架空のものではなくしっかりと歴史上に登場した武器のことを指すと思われます。

日本において石火矢が導入されたのは戦国時代のこと。皆さんもご存じかもしれませんが、戦国時代に今の大分県付近で強大な勢力を有した大名・大友宗麟が、積極的に交流した南蛮人(ヨーロッパ人)たちとの貿易によって入手したと言われています。

以後、彼は戦場で石火矢を効率的に用いて敵を撃退していったことから、やがて実用性が全国に認知されるようになっていきました。その結果、まさしく本作で描かれている「タタラ場」のように、石火矢を輸入ではなく国内で生産しようという動きが各地で盛んになります。

ただ、上述するように本作における「石火矢」は、実在の石火矢と少し様相が異なっています。そのため、個人的には実在の「石火矢」をモデルにしたというよりは、ヨーロッパ人から輸入し、急速に全国へと拡大していった「鉄砲」をモデルにこの武器や生産の様子を再現したように思われ、それを踏まえると当時における「鉄砲」の重要性がよく理解できるでしょう。

たとえ彼らが後述する非人たちに作業をさせていたとしても、そこで生産される武器はなくてはならないもの。だからこそ、当時は差別の対象であった女性たちを生産にあたらせるという「フィクション」を取り入れたとしても、さほど違和感が生まれないように内容がうまく構成されているのです。

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【解説】エボシが保護したのは、ハンセン病患者や人狩りの被害者といった「非人たち」

【解説】エボシが保護したのは、ハンセン病患者や人狩りの被害者といった「非人たち」

先ほどの項で、エボシが「非人」たちを保護するという役割をも担っているという話に触れました。しかし、日本史に詳しくない方にとって「非人」という存在がどのようなものかは非常にわかりづらいでしょう。そこで、以下では「日本の暗部」として捨て置かれてきた、非人という人たちについて解説します。

そもそも、非人というネーミングが彼らの社会的な立ち位置を端的に表現しています。あえて文章にしてみると「人に非ず」、つまり「人ではない」とされた「人たち」なのです。ここで矛盾が生じる理由としては「現代では人として扱われる人たちが、近世以前では人扱いされていなかった」ということが原因です。

皆さんも、「江戸時代は身分制社会だった」ということはご存じかもしれません。江戸時代の身分制度は「士農工商」と呼ばれ、それぞれ武士・農民・職人・商人を示しています。しかし、現代の社会を思い浮かべてみてもわかるかもしれませんが、このカテゴリーに含まれない人々も当然存在したのです。例えば、「遊女」と呼ばれた遊郭の女性たちや、穢多として死んだ馬や牛の解体や革製品の製造に従事していた人々が代表でしょうか。

このように、社会を構成する身分制度の枠から外れた人々を「非人」と呼び、彼らは絶えず差別されながら生活していました。特に、らい菌と呼ばれる細菌に感染したことで「ハンセン病」を発症し、外見が変化してしまった人々は強烈な差別を受けました。彼らは本作で舞台となった中世だけでなく、日本では昭和時代の中頃まで社会から完全に隔離されて過ごすことを強いられたのです。

 

しかし、本作ではエボシの尽力によってハンセン病患者たちも石火矢の製造を担っており、こうした歴史的背景を知ると彼女が自然を破壊するだけの単なる「悪役」ではないことがよく理解できます。

このあたりが、本作には「正義の味方」もいなければ、「純然たる悪役」もいないと言われるゆえんであり、誰の立場から物語を鑑賞するかによって登場人物たちの評価が大きく左右される作品であるということを示しています。

【解説】シシ神やもののけの存在には、日本神話や環境問題が深く影響している

【解説】シシ神やもののけの存在には、日本神話や環境問題が深く影響している

本作には、自然を破壊しようとする人間の行動を妨害するべく、シシ神をはじめとする多数の神たちが登場します。彼らは、日本のはじまりを象徴する歴史書『古事記』に表現される獣の姿をした八百万の神々をモデルにしていると考えられ、その大半は神ではなく「もののけ」として人でもなく、また神でもない存在として生きることを余儀なくされてしまっているのです。

そんな「神秘的なもの」たちの中でも、ひときわ異彩を放っているのが「シシ神」という存在です。この生き物は人ともののけの双方から畏怖されており、言葉を発することはないものの強烈な存在感を放っています。

この「シシ神」の「シシ」という名称は、古代~近世まで日本で食用にされてきたシカやイノシシを象徴する語であると考えられています。意外と知られていない事実ですが、実は牛や馬などの家畜の肉を食べることは社会通念上許されておらず、その代用としてかつての日本人はシカやイノシシの肉を食べたのです。

 

では、作中でこの生き物はどのような役割を果たしているのでしょうか。私に言わせれば、シシ神は自然と人、それぞれにとっての「神」であり、世界のすべてを支配下に置いている全知全能の存在であると指摘できます。

作中の描写を見ていると理解できますが、シシ神は決してどちらの勢力にも肩入れしません。彼はつねに双方の争いにおけるバランサーとして機能しており、ある意味で自然と人の「共存の象徴」であるともいえます。

しかし、宮崎駿はシシ神を殺し、そして自然と人との全面的な共存が不可能であることを我々に示しました。もともと、シシ神のネーミングからもわかるように、自然と人との調和を図る存在に対し「人に食べられるもの」と名付けたわけですから、やはりこれが監督の表現意図ではないでしょうか。

人が「シシ」を殺して生きていくことに関しては、それを止められるものではない。しかし、それが「過剰」で「無用」なものになってはいまいか。彼は、そんなメッセージを込めて本作の結末をデザインしたように思えます。

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【考察】糸井重里による有名なキャッチコピー「生きろ。」の意味とは?

【考察】糸井重里による有名なキャッチコピー「生きろ。」の意味とは?

本作のキャッチコピーである「生きろ。」の四文字。名付け親がコピーライターとして絶大な人気を誇る糸井重里であることは有名ですが、映画を鑑賞し終えてもなお直接的な物語との関連は見出しにくいかもしれません。しかし、もちろんキャッチコピーになっている以上、本作の極めて重要なメッセージを端的に示しているのが、この「生きろ。」という言葉なのです。

本作に込められたテーマについては、宮崎駿が「いくつもの複雑なテーマを詰め込み、かつそのどれもが解決不可能な問題である」と述べています。これは、先ほど触れた「人間と自然の関係性」からもよく感じ取ることができ、何か一つの正解を得るような課題ではないことがわかるでしょう。

そのうえで、宮崎駿は「世の中というものは、非常に不条理なものである」と語ります。彼は、人類がいつか滅亡するような目にあう可能性を指摘したうえで、それでも「生きろ。」と命じるのです。

彼は、現代にも「ババを引いてしまったと感じる若者たち」がいることを指摘します。それは本作でアシタカの存在に集約されており、彼はいわれのない不条理な理由によって村を追われ、瀕死の重傷を負います。こうした絶望的な状況にもかかわらずアシタカは果敢に生き延びていき、そしてサンと新たなる歩みを開始するのです。

これこそが、監督の最も表現したかったメッセージでしょう。つまり、たとえ絶望的な状況に置かれ、生まれたことさえ後悔してしまうような心境にあっても、それでも、そんな世界でも生きていく方法を彼は示しているのではないでしょうか。絶望の中でも、その絶望をより大きな「歴史」という枠組みから考え直せば、それは大した苦しみではないのかもしれませんね。

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【評価】一般大衆だけでなく、学者からの評価も非常に高い学術的な作品

本作が一般の映画ファンから極めて高い評価を勝ち得ていることは、興行収入の高さや再放送時の注目度などから容易に推測できます。ただ、本作の真に優れている点は、中世以前の日本における歴史や神話を極めて精緻に分析し、そして映画に反映したことによって、歴史学や神話学を専門にする学者たちからの評価も非常に高い点です。

例えば、日本中世史の大学者として現代にも多大な影響を与えた学者・網野善彦は、生前に彼自身の歴史観に多大な影響を受けた本作を鑑賞し「ずいぶん勉強した上でつくられている」と高評価を下しました。彼に認められるということは本作が日本中世を描いた作品として学術的にも高い評価を得たことを示しており、私が大学で受講した日本中世史の授業においても、担当教授が講義内で本作の鑑賞をさせていたことを思い出します。

さらに、本作は歴史学の領域だけでなく他分野の研究者からも重要な研究課題として高く評価されています。王道のアニメーション文化論というような文化的側面だけでなく、環境学や生物学、さらには死生学の領域においても、本作を題材にした研究を確認することができました。

以上の点から、本作は「一般の映画ファン」というライトな客層と「本作の題材における専門家」というコアな客層のどちらも唸らせるという、たぐいまれな作品であることがわかるのです。

日本史を専門的に勉強しているということもあって、個人的には宮崎駿とスタジオジブリが生み出した最高傑作であると位置づけたい本作。本記事を一度お読みになったうえで、また違う視点から作品を読み解くのも面白いかもしれません。

(Written by とーじん)

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