門司区門司港駅周辺地区 2004年5月10日開設 |
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1 門司港駅 | 11 旧門司信用金庫 | |
2 JR九州第一庁舎 | 12 大分銀行 | |
3 旧三井倶楽部 | 13 明治屋 | |
4 旧日本郵船 | 14 山口銀行 | |
5 旧大阪商船 | 15 九軌境界石 | |
6 旧門司税関 | 16 九州鉄道記念館 | |
7 鎮西橋 | 17 門司区役所 | |
8 旧日本銀行 | 18 旧大連航路 | |
9 門司電気通信館 | 19 出征軍馬水飲場 | |
10 福岡中央銀行 | - |
1 門司港駅 | ||
駅舎 木造2階建で、大正3年(1914年)二代目の門司駅舎として建設されました。この駅舎は九州で最も古く、鉄道駅としては、初めて国の重要文化財に指定されました。ネオルネサンス様式の青銅の屋根が、特徴となっております。 幸運の手水鉢(右) この手水鉢(手洗い器)は、青銅製ですが、戦時中の貴金属供出から逃れて建設時のままであることから、いつからかともなくこう呼ばれるようになりました。 |
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洗面所 この洗面所は、大理石とタイル貼りで造られており、汽車の乗換時にすすけた顔や手を洗って見づくろいする所です。流し台が低いのは、足を洗いやすくするためとも言われております。 帰り水(右) この水栓は、建設時からあり特に戦前、海外へ向かう時、日本の名残に水を飲み、戦後、復員軍人や引揚者の人たちが、帰国できた喜びをかみしめながら水を飲んだということから、この名で呼ばれるようになりました。 |
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駅長室の入口 |
駅舎内2階の廊下 |
駅舎内の階段(右) |
関門連絡通路跡 関門連絡船への連絡通路の跡です。関門鉄道トンネル開通に伴い関門連絡船は衰退し、昭和39年10月31日廃止となりました。 ①通路跡 ②現在封鎖されている通路跡部分(現在の道路下) ③通路の中央部に設置されている監視所 ④監視所に設けられた監視窓 ※関門連絡船 明治34年、本州と九州を結ぶ輸送機関として発足した関門連絡船は、明治39年12月には国有鉄道直営となり、桟橋施設も整備されたため、最盛期の昭和16年には1日平均53往復し、年間880万人を輸送していました。 しかし、昭和17年(1942年)11月の関門鉄道トンネル開通とともに、連絡船の利用者は減少の一途をたどり、昭和39年(1964年)10月31日、午後10時10分、門司発の最終便によって、63年の歴史を閉じました。 |
① |
② |
③ |
④ |
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2 JR九州第一庁舎 | ||
JR九州第一庁舎(旧三井物産門司支店→国鉄九州総局) 鉄筋コンクリート6階建で、昭和12年(1937年)の建設です。アメリカ式のオフィスビルで、建設当時は九州一の高層建築だったと云われています。一見、シンプルでありますが、玄関の装飾は黒御影石が使われ重厚さを表しているのが特徴となっています。 レリーフ(右) 玄関の社名上に刻まれたレリーフ。このビルの唯一の装飾となっています。さて、何を表現しているのでしょうか? |
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3 旧門司三井倶楽部 | ||
木造2階建で、大正10年(1921年)の建設です。三井物産の社交場として門司区谷町に建築され、大正11年にはアインシュタイン博士夫妻が宿泊しております。また、建物はこのレトロ地区へ移築整備された後、平成2年に国の重要文化財に指定され、現在1階はレストランやイベントホール、2階はアインシュタインメモリアルルームと作家林芙美子の資料室として活用されています。 | ||
4 旧日本郵船門司支店 | ||
鉄筋コンクリート4階建で、昭和2年の建設です。門司における最初のアメリカ式オフィスで、暖房、給湯、エレベーター等当時の最新設備が整えられていました。竣工当時は、アール・デコ的装飾が要所に施されていたと思われますが、幾度かの改修により装飾のない外観となっています。 | ||
5 旧大阪商船 | ||
木造2階建で、大正6年(1917年)の建設です。一見石及びレンガ造りの建物に見えますが木造で、1階は、大陸航路の旅客待合室、税関の派出所として利用されていました。また、八角形の塔屋と、塔つなぎ目に鱗のような紋様が入るなど非常に凝った造りで、また上部が丸い縦長の大きな窓と、その窓に合わせカーブを描く庇も大きな特徴となっています。現在1階は多目的ホール、2階は「わたせせいぞうと海のギャラリー」として活用されています。またこの建物は国の登録有形文化財に指定されています。 | ||
6 旧門司税関 | ||
煉瓦造2階建で、明治45年(1912年)の建設です。昭和2年(1927年)まで税関庁舎として使用されましたが、現在は補強復元され展望室、展示室、カフェがあり市民の憩いの場としても提供されています。 |
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7 鎮西橋 | ||
旧門司税関前の第一船溜りから、老松公園の前を経由して、現在は埋立てられてしまった甲宗八幡神社下の第二船溜りまでを繋ぐ堀川と呼ばれていた運河があり、その運河に架かっていた鎮西橋の橋柱が残っています。運河は埋立てられ道路となっております。また、 橋の袂には、かつて日本銀行門司支店がありました。 | ||
8 日本銀行門司支店跡 | ||
明治31年、大阪以西初の支店として開設され、その後大正6年門司支店と改称されました。西部支店の初代支店長は、後に総理大臣となった高橋是清でした。そして、昭和39年小倉北区に北九州支店が開設されたのを機会に閉店となりました。 | ||
9 門司電気通信レトロ館 10 福岡中央銀行門司支店 | ||
門司電気通信レトロ館(旧門司郵便局郵便電信局) 鉄筋コンクリート3階建で、大正13年の建設です。この建物が完成して門司の電話業務は本格化しました。放物線アーチと垂直線を基調とした外観デザインが特徴です。また、1階には大正から昭和に活躍した昔なつかしい電信・電話機等、約380点が展示されています。 福岡中央銀行門司支店(旧藤本銀行門司支店) 鉄筋コンクリート2階建で、大正13年の建設です。玄関脇の柱と庇、その上部2階の半円形の窓が特徴です。 |
門司電気通信レトロ館 |
福岡中央銀行門司支店 |
11 福岡ひびき信用金庫門司港支店 12 大分銀行門司支店 | ||
福岡ひびき信用金庫門司港支店 (旧門司信用組合→旧門司信用金庫) 鉄筋コンクリート2階建で、昭和5年の建設です。正面玄関の大きな庇が特徴です。 大分銀行門司支店(旧二十三銀行門司支店) 鉄筋コンクリート3階建で、大正10年の建設です。玄関のギリシャ神殿の柱形式が特徴です。 |
福岡ひびき信用金庫門司港支店 |
大分銀行門司支店 |
13 明治屋門司出張所 | ||
明治屋門司出張所(旧明治屋門司支店) 煉瓦造2階建で、明治42年(1909年)の建設です。第二次大戦で戦火を受けたため、戦後正面の赤煉瓦壁にモルタルが塗られています。一階の左右大きなショーウインドウが設けられていますが、煉瓦造りでありながらこれ程大きい開口部をもつ建物は大変珍しいとされています。 |
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14 山口銀行門司支店 | ||
山口銀行門司支店(旧横浜正金銀行門司支店) 鉄筋コンクリート2階建で、昭和9年の建設です。玄関上の2階窓上に花綱装飾がありますが、全体の装飾は少なく重厚さを主体とした銀行建築の特徴がでています。 |
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15 九軌境界石柱 | ||
西日本鉄道株式会社の前身である九州電気軌道株式会社は、明治41年に発足し、明治44年6月5日、現在の北九州市門司区東本町から八幡東区大蔵川まで18.3キロの運輸事業を開始しました。その際の敷地境界石が現在も道路わきに残っています。 |
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16 九州鉄道記念館 | ||
九州鉄道記念館(旧九州鉄道本社JR→九州第二庁舎) 煉瓦造り2階建で、門司港最古の明治24年(1891年)の建設です。設計は、ドイツ人技術者によるものです。門司港駅の開業にあわせて、新築された九州鉄道の本社屋で、煉瓦を化粧積みにして、2階の床近くの外壁や玄関上部の切妻部には、色違いの煉瓦を使用するなどして、装飾的効果を高めた洒落た造りとなっています。 ② ①の窓枠花崗岩の壁際に彫られた雨水切りの溝 ③ 床下の換気口(現在は塞がれている) |
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① |
③ |
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17 門司区役所 | ||
門司区役所(旧門司市役所) 鉄筋コンクリート3階建で、昭和5年の建設です。門司港を見下ろす丘の上に建てられています。外観は、クリーム色と茶色のツ-トンカラーです。装飾のないシンプルなデザインですが、内部には欄間 にステンドグラスがはめ込まれ、当時のままの扉や枠が保存されています。また平成11年4月に国の登録有形文化財に指定されています。 |
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ステンドグラス |
天井の漆喰で造られた装飾 |
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18 旧大連航路発着所 | ||
旧門司税関1号上屋(旧大連航路発着所) 鉄筋コンクリート2階建で、昭和4年の建設です。北側の妻に玄関があり、1階は検査場で2階は乗船広間や待合室がありました。 戦前中国満洲の玄関口であった大連と日本を結ぶ航路は、「日満連絡船」と呼ばれ、日露戦争以降、大阪商船が主体となって運航していました。 神戸を昼に出港した船は翌日、門司に寄ったのち、4日目の早朝、大連に入港していました。 |
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19 出征軍馬の水飲み場 | ||
昭和6年の満州事変勃発から第二次世界大戦にかけて、全国から多くの農耕馬が軍馬として徴発され、門司港から戦地へ運ばれました。それらの馬が水を飲んだところが、この水飲み場で以前は数箇所ありましたが、現在はこの一箇所だけとなってしまいました。 |
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参考文献等 | ||
北九州の史跡探訪 昭和61年1月15日発行 北九州史跡同好会 北九州の歴史的建造物 平成元年9月30日発行 (財)北九州都市協会 福岡県の近代化遺産 平成5年6月15日発行 (財)西日本文化協会 |