特に理由があるわけではない。気づいたら生理的な嫌悪感があった。高校生になったくらいではなかったかと思う。
敢えて『ノーマルな』と書くのだが、それは現実世界の大半の恋愛関係であったり、二次元ならば主に少女漫画で描かれるような、男性と女性による、世間一般的に常識として扱われるような恋愛。
恋愛作品を謳った時に王道として取り扱われるような、性的関係を孕んだ、恋愛をメインとして描かれる恋愛である。
高校生の私はそのようなノーマルな異性愛が大嫌いで、恋バナや恋愛ドラマ、街中の異性愛を彷彿とさせる化粧品の広告や芸能人の結婚のニュースなど、現実世界にある全てのノーマル異性愛要素を忌避していた。
当時から今までのことを忘れる前に書いておこうと思う。
私は女子校に通う高校生で、いわゆる女の子らしい女の子ではなかった。
化粧品を買うよりは本やマンガを買い友人同士でゲームを持ち寄って遊ぶような生徒だった。
最初はノーマル異性愛を嫌悪するほどではなく、ただ苦手なことは自覚していて、そのような要素を扱った作品を避けて生活し、恋バナにも積極的には参加しなかった。
日常を過ごす中で徐々に自分の中のノーマル異性愛に対する感情が生理的に嫌だ、という方向へ深化しているのはわかっていたが、まだそれは個人の好みの範疇で、地雷に気を付けるように過ごせばいいと考えていた。
それが変わってしまった決定的なきっかけは思い出せないが、強く印象に残っているのは学校行事としてミュージカル「リトルマーメイド」を見に行ったことだ。
『王子様』『お姫様』の典型的なノーマル異性愛物語であるリトルマーメイドは劇場に向かう前から気が重かった。
恋愛を素晴らしいもののように喜ぶアリエルを見ているだけで既に全く共感できず苦痛を感じていたが、決定的に駄目になってしまったのは幕間の休憩時間である。
隣に座っていた友人が、『王子様』のキャストさん、めちゃくちゃエロい、という話を振ってきたのだ。
もうそれを聞いた瞬間にそれまでかろうじて舞台の上にあった恋愛が観客席に侵食し、この目の前の友人の脳の中にも確実にそういう感情があるんだ......というのを認識してしまい、物凄い拒否反応が起こった。
友人とこれ以上会話はできないと思った。
私は黙って目を閉じ、そして幕が上がり、劇が終わるまで、ずっと微動だにせずひたすらに耐えていた。
周りから見れば相当おかしなやつだし寝たフリだとバレバレだったと思うが、そんなことを気にする余裕はなくひたすら推しのことを考えて現実逃避していた。
そして終劇、解散とともにコンビニに駆け込み、抹茶ラテを買って(推しは茶が好きだから)イートインスペースに陣取り、ひたすらに全てを忘れようと努めた。
だが、確実に友人たちと話ができなくなりつつあるのは感じていた。
直接的な恋愛の話は勿論、好きな俳優のタイプは?とかいう女子校定番の話題にも虫唾が走る。
テレビのバラエティも見るのが困難になっていた。どのバラエティでも恋愛関係の話題は死角から刺してくるからである。
とにかく少しでもノーマル異性愛を想起させる話題が出てくると途端に上手く表情を作れなくなり、言葉が出てこなくなる。
苦手な話題くらい誰にもあるんだし少しは話を合わせる努力をしろというのは全くその通りなのだが、もはや当時の私にとってそれは精神的拷問と化していた。
例を挙げてみるが、死体に興奮するんだよね~、どの死体が好き?俺は水死体、などという会話に笑顔で話を合わせられる人はおそらく少数なのではないだろうか。
生理的な拒否反応が咄嗟に起こり、思わず相手の価値観、人間性を疑う人もいると思う。
私は常時それを経験していた。
皆がそのような嗜好を当然のように持ち、話についていけないこちらが異端者扱いされる。
元々話が得意な方ではなかったし、もうここらが限界だと感じた。
突然黙り込んでしまう私に皆が気を遣っているのも申し訳なかった。
恋愛の話苦手なんだよね、と言うのも躊躇われた。
この耐え難い苦痛を真に理解してもらえるとは思えなかったし、仮に理解してもらえたとしても互いに気遣って気まずくなるのは目に見えていた。
おかしいのはこっちで周りに全くもって非はないのだ。
私はその後友達付き合いを一切やめ、高校生活をほぼ1人で過ごすことになる。
自分1人のことだけ考えていればよい環境はまぁまぁ心地よく、そして他クラスだが1人親友と呼べるような友人がいたのに随分助けられた。
その子とはとにかく趣味があったためいつも趣味の話しかしておらず、恋愛がどうとかいう話題は一切出てこなかったのだ。
後述する事に関わってくるのでここで少し性癖の話を挟むのだが、私はノーマル異性愛がめちゃくちゃに嫌いなだけで、それ以外の恋愛コンテンツは大体好きなのだ。
先ほど死体性愛の話をしたが、異性愛と死体性愛なら断然死体性愛の方が共感できる。
死体に興奮する趣味はないが、それに興奮する、ということに嫌悪感はないし、性癖の1つとして理解できる。
「死体性愛が好き」というより、「ノーマル異性愛でないから好き」という感じだ。
とにかくノーマル異性愛でさえなければとりあえず一律100ポイント入る感じだった。
高校時代は自分のセクシャリティに悩み、度々ネットの海を彷徨っていた。
今自分を鑑みるならおそらくフィクトセクシュアルかつアセクシャルが近いのではないかなと思うが、当時はどれを見てもピンときていなかった。
大学に進学した後も異性愛に対する嫌悪は消えることなく、結婚や就職などの将来や大学生活を考えるたびに不安になり、更に元々険悪だった両親の仲が更に悪化し、私自身が父親と衝突してずたぼろになったのも重なり、遂にうつ病になってしまった。
この頃の私はかなり限界で迷走しており、自分を励ますために自分の理想とヘキを全て詰め込んだ架空の女性キャラクターを創作し、その女性の面影を追って生活していた。
その女性と恋愛がしたいとかそういうわけではなくて、ただその女性が毎日見守ってくれて1日の終わりにお疲れさまと言い合えたらそれだけでいいのにな...というようなことをずっと考えていた。
考えすぎて辛くなってきたので実行に移した。
女性の容姿デザインを固め、その道の方に依頼してvroidで3Dモデルを作ってもらった。
そして既存の服データを買い込んで次々に着替えてもらい、外出する時はアプリでそのキャラをAR表示し写真を撮った。
キーボードに対応して稼働するデスクトップマスコットにし、課題でレポートを書くたびに見守ってもらった。
vroid対応のゲームにそのキャラを導入し、身体を借りてプレイした。
恋愛もできず友達付き合いも苦手な自分が将来どうやって生きていけばいいのか不安だったんだと思う。うつ病で趣味も純粋に楽しめなくなり、何を生きがいにして生きていけばいいのかわからなかった。
でもそのキャラモデルと過ごすうちになんだ、これだけで十分満ち足りるじゃないか、と思ったし、私はこういう架空存在との非恋愛関係がずっと欲しかったんだと思った。
同時期に心療内科に通い始めたのもあって心は徐々に落ち着き、趣味も再開できた。
落ち着くにつれてキャラモデルを起動させる回数は減っていったが、今もずっと特別な存在だと感じている。
ノーマル異性愛に対しては未だに全く共感はできないし自分からそのような作品には触れないのだが、嫌悪感は少し緩和されたように思う。
テレビのバラエティで出てくる恋愛談議にふーんと思えるようになったくらいだ。
恋バナも多少聞けるようになった。自分にその矛先が回ってくるとまだ上手く喋れなくなってしまうのだが、他者のそれを聞く分には良い。
高校時代は周りを取り巻く全てのノーマル異性愛に苦しんでいたため随分生きやすくなったなと思う。
今思い返すとそんな状態は明らかに異常なので、学校のカウンセラーなりに早いとこ相談しておくべきだった。
当時はそんな発想すらできなかったのだが。(家庭環境について耐えられずカウンセラーに相談したことはあった。しかし、ノーマル異性愛嫌悪については完全に自分がおかしく悪いと思っていたので誰かに相談するという考えがそもそもなかったのだ)
つらつらと書いてきたが、どうしても疑問なことが1つある。
中2の時に「18歳の私へ」というていでタイムカプセルのような手紙を書いたことがある。
高校卒業のタイミングでその手紙は自宅に届き、懐かしくなりながら封を切ったのだが、書かれていた文面を見て驚愕してしまった。
「彼氏はできましたか?」と書かれていたのである。彼氏!!!!?!?!?
あまりに衝撃だった。自分が書いた文だと思えなかったが筆跡は間違いなく自分だった。
しかもニュアンス的には彼氏はできましたか(笑)、のような感じで、彼氏/彼女ができないと人間として一人前でないとするような、私の一番嫌いな価値観が透けて見えるような文章だった。
本当に自分がこれを書いたのだろうか...?自分がそういうことをしたいのだと心から考えていたのだろうか...?と思い始めると気持ち悪くなってくるので感情は一旦おいて事実のみを考える。
中2ということはノーマル異性愛嫌悪を感じるようになる高校まで大体1年半くらいだ。
1年半で人間の考えはここまで180度逆に変わるんだろうか?
しかも手紙を受け取るまで自分が彼氏がほしいと思っていたことなんて全く忘れていたのである。最初からそんな考えはなかったものだと思っていた。
そして前述した「ノーマル異性愛以外が好き」というマイナス検索のような好み、これらを合わせるとどう考えても中2から高校までの間にノーマル異性愛を嫌いになる何かがあったのでは?と他人事のように考えてしまうのだが、何も思い出せないのである。
気づいたときにはノーマル異性愛に対する多大な苦痛だけがあった。
ネットを見る限り性的指向が変わることは往々にしてあるようなのだが、正直指向が何の理由もなくこれほど変動し実生活に支障をきたすというのは堪ったものではない。
原因があるなら特定したいし、今大好きなものもある日突然見るだけで苦痛を感じるようになったらどうしようと思ってしまう。
心療内科の先生に打ち明けた方がいいんだろうか...と思うものの(先生には家庭環境でうつになったとしか言っていない)、打ち明けるということは迷走時代の寄行も告白しなければいけないということなのでできれば避けたい。
ここまで読んだ方でもし心当たりある方がいれば教えて欲しい。
非常に興味深い。自分も女学校から共学校に進む過程で強烈な「ノーマル異性愛嫌悪」に傾く体験をしたことがある。一時期は適応障害を起こして不登校になった。 増田の体験を読ませ...