
|
[第一次世界大戦の勃発] 第1次世界大戦の直接の原因、サライェヴォ事件は、あまりにも人口に膾炙しているが、その裏には、哀しい夫婦の物語が…。 オーストリア帝国の事実上のラストエンペラー・フランツヨーゼフ1世には、れっきとした皇太子がいた。 しかし、デキの悪い皇太子はマイアーリンク事件により死去、帝位継承権は甥のフランツフェルディナントの手に渡る。 とはいえ、この甥もまた、重大な問題を抱えており、皇帝と甥の確執は深刻化していく。 この2人の確執が悲劇の導火線となっていくのだが、はたして…。
|

|
[大戦直前における各国の思惑] サライェヴォ事件後、ヨーロッパ情勢は風雲急を告げる! 20世紀初頭、ヨーロッパに存在する“帝国”は、独・墺・露の3つだけだったが、その3人の皇帝が3人とも暗君であったことは、悲劇に滑車をかけることになった。 事の重大性にまったく気づかなかった独帝ヴィルヘルム2世が、クルージングに夢中になっている間に、歴史は想像を絶する展開をしていく。 彼が自分の置かれた状況に気づいたときには、すでに、帝国を滅ぼすことになる戦争は始まってしまっていた。 無能なリーダーに率いられた組織はいつも悲惨である。
|

|
[第一次世界大戦参戦諸国] あれよあれよ、という間に、ヨーロッパ中を巻き込み、世界をも巻き込んでいく第一次世界大戦はこうして勃発した!
ヨーロッパ諸国は、こたびの戦争に、どう立ち回ったのか。 同盟側についたのか、協商側についたのか、中立を守ったのか、守れなかったのか。 このページでは、ヨーロッパ諸国の対応を達観する。
|

|

|
[シュリーフェン計画] 第一次世界大戦でのドイツの敗因は、シュリーフェン計画の失敗にある、と巷間よく言われる。 では、シュリーフェン計画とは、いかなる計画であったか。 その失敗の原因はどこにあったのか。 そもそも、ほんとうにシュリーフェン計画の失敗が原因なのか。 失敗原因の究明は、貴重な人生訓となる。
|

|
[1914年の西部戦線] “叔父の七光り”で参謀総長の地位にまで出世したモルトケ。 しかし、無能な者が人の上に立つということほど罪深く、また悲劇はない。 おのれの器を越えた高い地位を得ることは、一見、羨ましいようで、じつは悲劇である。 その人にとっても、その下々の者にとっても。 無能モルトケにとって、戦時下の参謀総長の地位はあまりにも重荷すぎた。 彼は、その重圧に耐えかね、たちまち精神を蝕まれていくことになるが…。
|

|
[1914年の東部戦線] 西部戦線での膠着化とは対照的に、東部戦線ではルーデンドルフ・ヒンデンブルクのコンビが大活躍、その戦果はめざましいものがあった。 しかし、勝敗というものは、戦術的な勝利をどれだけ重ねたところで、戦略的に負ければ意味がない。 項羽と劉邦の戦闘がよい例である。 東部戦線でのドイツの優勢など、“総力戦”という今まで経験したことのない戦争の前にはまったく無意味だった。 「国民の戦争は国王の戦争より怖ろしい」とは、かのW.チャーチルの言葉。 チャーチルは、大戦が勃発する13年も前に、すでに“総力戦”の恐ろしさを看破していた。
|

|

|
[オスマン参戦①] 長期化の様相を呈してきた戦争を勝ち抜くためには、是が非でもオスマンを味方につける必要がドイツにはあった。 イギリスに海上封鎖をされて、経済的苦境に立たされたドイツが、一気に形勢を逆転、英露の補給路を断つと同時に、自国の補給路を確保するためには、オスマンを味方につけるしかなかったのである。 かたや、オスマン側では、ロシアにつくか、フランスにつくか、ドイツにつくかで揺れに揺れていた。 オスマンを自陣営に組み込むことに成功したのは、ドイツか、協商側か。
|

|
[オスマン参戦②] 依違逡巡のオスマンに業を煮やすドイツ。 ついに、ドイツ巡洋艦ゲーベンがダーダネルス・ボスフォラス両海峡を強行突破する! イギリスはこれに抗議と懐柔をもって臨む。 それでも、最後の最後まで揺れるオスマンに、とうとうドイツは実力行使に至る。 その“実力行使”とは?
|

|
[1914年の極東戦線] 日露戦争の大勝利に沸き返ったのも束の間、戦後、帝国日本は膨大な戦債赤字と貿易赤字を前に、破産寸前であった。 「もはや打つ手なし!」 そこまで追い込まれていた日本に、降って湧いたように勃発した第一次世界大戦! 井上馨元帥をして「こたびの欧州大戦は大勝新時代の天佑(神の助け)である!」と言わしめた幸運! 「これに乗らぬ手はない!」と、日本もただちに参戦するが、これが第二次世界大戦の序曲となろうとは、このとき、誰も予想できなかった…。
|

|

|
[1915年の西部戦線] 塹壕戦による膠着化は、新兵器開発を促すことになった。 毒ガス・戦車・戦闘機・爆撃機・潜水艦…。 いつの時代も、技術革新は、戦争という惨劇の中から育まれてきた。 ちなみに、毒ガスを開発したフリッツハーバーは、空気から火薬を生成する製法も発明しているが、この製法のために開発した“空中窒素固定法”でノーベル賞を受賞している。 毒ガスで大量無差別殺戮に貢献した科学者がノーベル賞受賞。 皮肉な結果ではある。
|

|
[1915年の参戦状況] イタリアいまだ参戦せず! 独墺伊三国同盟があったにもかかわらず、イタリアは動かない。 独墺の参戦要請は拒否されつづける。 その一方で、裏工作に奔走した英仏は、イタリアに三国同盟を破棄させることに成功。 これで、イタリアまで味方につけ、連合国側は意気盛ん…となるハズであったが…。 しかし、この密約は、戦中戦後、のちのちまで英仏を苦しめることになる。
|

|
[1915~16年の海戦] ドイツ起死回生の拠は海上にあり! ドイツがジリ貧なのは、イギリスによる海上封鎖が原因であることは明らか。 制海権を打破する以外に逆転の道はない! 幸い、イギリスすら保有していない新兵器、世界唯一の潜水艦Uボートもある! しかし、哀しいかな、新兵器に欠陥は付き物といってよい。 イギリスのマーク1しかり。 Uボートもまた例外ではなかった。 そこで、ドイツは、正面突破の挙に出、海上帝国イギリスを敵に、戦術的勝利を果たしたにもかかわらず、ドイツはいよいよ追い込まれていく…。
|

|

|
[1916年の西部戦線] 「もはや勝ちはない。」 そう悟ったドイツは、少しでも有利な講和を結ぶべくヴェルダンに軍を投入。 ヴェルダン攻防に忙殺されるフランス。 対するイギリスは、ソンムに軍を結集させる。 大戦最大の会戦、ヴェルダン要塞攻防戦とソンムの会戦は、こうして、ドイツが敗戦を覚悟したあとに幕を開けたのである。 そして、それは、百万単位の死傷者と、“帝国滅亡”という、ドイツにとって最悪のシナリオへ驀進していく結果となった。
|

|
[1916年の東部戦線] 西部戦線で、悲惨な消耗戦、ヴェルダン要塞攻防戦が繰り広げられていたころ、東部戦線では、ブルシロフ攻勢が始まった! さらに、その直後には、ソンムの会戦が勃発。 挟撃状態のドイツに、ルーマニアの対墺参戦の報が届く。 これを聞いたドイツ皇帝は嘆息した。 「これで戦争に負けた。」 ところが、皇帝の言葉とは裏腹に、その後、東部戦線は快進撃! いったい、何があったのか……?
|

|
[1917年の転機①] 焦るドイツは、軍隊の暴走が始まる。 政府(ベートマン首相)は、アメリカの参戦を畏れ、無制限潜水艦作戦の再開に反対するも、軍部(ルーデンドルフ参謀次長)は、これを強力に推し進めようとする。 「アメリカが参戦したところで取るに足らないだろう!」 もはや、ルーデンドルフに理屈は通じなくなっていた。 太平洋戦争中の旧日本軍しかり、戦況が悪化すると、軍部が暴走するのは、いつの時代も同じである。 そのとき、外相ツィンメルマンは、別の一手を狙っていたが…。
|

|

|
[1917年の転機②] ベートマン首相がその参戦を畏れたアメリカ合衆国は伝統的に中立主義。 ウィルソン大統領も、当初、この伝統国策を踏襲するべく宣言し、再選を果たす。しかし、時代がそれを許さない。 世界の国際情勢が、アメリカを戦争に巻き込もうとする。 世論の急速な右傾化の中にあっても、ウィルソン大統領にはどうしても参戦できない事情があった。 果たして、その事情とは…? アメリカの参戦はいかにしてなされるのか…?
|

|
[1918年上半期ドイツ最終攻勢] ロシアでは、十一月革命が成功(詳しくは第2回配本にて)! ロマノフ朝を滅ぼした新政府は、ドイツとの和平交渉に乗り出す。 「無併合・無賠償・民族自決」を掲げるソヴィエト全権トロツキーに、交渉は難航するが、ついに、ドイツ側の要求が全面的に通る形で、ブレストリトフスク条約に結実。 東部戦線が片づいたドイツは、全軍事力を西部戦線に傾け、「カイザー戦」と銘打って総反攻を決定する。 しかし、その会議には、首相も、参謀総長も、そして、皇帝の姿すらなかった…。 ルーデンドルフの暴走は止まらない。
|

|
[1918年下半期ドイツ総崩れ] 18年8月、とうとうドイツの総崩れが始まった。 9月には、ブルガリアが降伏、トルコはすでに死に体(10月に降伏)。 追い詰められたルーデンドルフは、その小者ぶりを露呈! 「抗戦」と「和平」を無定見に朝令暮改するルーデンドルフ。 心身耗弱に陥ったルーデンドルフは、ようやく更迭されるも、時はすでにあまりにも遅すぎた! 仲介に乗り出したアメリカは、帝制廃止を突きつけてくる。 もはや、帝国の命運は尽きた…。
|

|

|
[第一次世界大戦パネル位置] ここまで見てきた第一次世界大戦の各パネルの出来事は、ヨーロッパ地図全体の中で、どこに位置しているのか。 これを理解することは、歴史理解を深めるために必須である。 地図を目にしたときは、つねに、全体地図の中でどのあたりの地図なのかを理解するように努めよう。
|

|
[ドイツ革命の勃発] 軍部を暴走させていたルーデンドルフが心神耗弱に陥って更迭されたその日、今度は海軍が暴走しはじめた。 「たとえ全滅したとしても名誉ある最期を!」との号令の下、皇帝の裁可なしに勝手に出撃命令が発せられる。 これではもはや、帝国は、実際に滅亡する前に、すでにその体を成さなくなっていたと言ってよい。 水兵の不満が爆発、それはアッという間に革命騒ぎに拡大していく。 事ここに至っても、ヴィルヘルム2世は、目の前の出来事の重大性が理解できず、帝位にしがみつこうとするが、子供のような駄々が通用するはずもなく…。
|

|
[ドイツ革命の収束] 帝国の崩壊後は、エーベルト率いる「ドイツ共和国」と、カールリープクネヒト率いる「ドイツ社会主義共和国」の主導権争いに入る。 しかし、軍部を味方につけて、いち早く主導権を握ったのは「共和国」側であった。 エーベルトは、第二第三の手をつぎつぎと打ち、あれよあれよという間にリープクネヒトを追い詰める。 急速に沈静化する革命の動きに、あせったリープクネヒトは、無計画な革命騒ぎを起こしてしまい、それは取り返しのつかない結果を生むことに…。
|

|