立教新座中学・高校の渡辺憲司校長(70)が3月末をもって定年退任します。4年前の2011年、東日本大震災の影響で卒業式が中止になった卒業生へのメッセージをホームページに載せたところ、大きな反響を呼びました。「大学に行くとは『海を見る自由』を得るためなのではないか」。そう記した渡辺さんに、新生活を始める人に贈る言葉を聞きました。
2011年に公開したメッセージとは
4年前の2011年、学校の卒業式は3月14日に予定されていました。その3日前に震災が起こり、生徒の安全を考えて式は中止に。そこで「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」と題した校長メッセージを学校ホームページに載せました。冒頭で祝意を述べた後、こう切り出します。
大学で学ぶとは、どういうことなのか? 他の道を行くことと何が違うのか? 具体例を挙げた後に持論を述べます。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
そして、具体的な行動として「海を見よ」と訴えます。
悲惨な現実を前に、孤独を直視して大海原に漕ぎ出して行けというメッセージ。事前に文章の原型を書き上げていましたが、震災発生を受けて、より現実に即した形で再構成したといいます。掲載すると瞬く間にツイッターを中心に拡散しました。
遊郭研究の第一人者
渡辺さんは1944年、北海道生まれ。教育者としての道を歩き始めたのは大学院修士課程のとき。生計を立てるために定時制高校の教師になり、中高一貫の進学校や短大講師などを経て、母校である立教大教授に。65歳で大学を定年退職し、立教新座中学・高校の校長を5年務めました。校長を引き受けた理由については「この年になっても自分が中途半端だからです。時間通り起きれなかったり、遅刻したり。まだまだ働かなきゃと思ったんです」と笑う。
近世文学が専門で、遊郭研究の第一人者としても知られています。タモリさんが街の歴史に迫るNHK番組「ブラタモリ」に出演した際は「あのメッセージを書いた人とは思えない」といった声も聞かれたそうです。
今年3月、渡辺さんにとって最後の高校卒業式。変わらぬ思いとして4年前のメッセージを引用しつつ語りました。式の数日前に福島を訪ねて海を見たときのことを、こう述べています。
(中略)
忘れてはならない。まだ行き場を持てないでいる未来のあることを。黒い壁の海のあることを。しかし、未定は絶望ではない。黒い壁の向こうには青い海があるのだ。青い海への道を切り開くのは、苦難である。その苦しみを乗り越えるのは若さでしかない。
(中略)
希望は苦難を直視することから生まれる。苦難に目をそらさないで欲しい。苦しみが生み出すのは、希望である。
新生活を始める人へ贈る言葉
これから新生活を始める人たちに向けて贈る言葉とは? 渡辺さんに二つを挙げてもらいました。
「拠り所がない自由などあり得ない。凧は糸とつながることで初めて自由を得る」
自分を縛るものを大切にしてほしい。恋人だったり仕事だったり、人生そのときどきで違うと思う。自分の命を投げ出しても守りたいもの、それこそが自分を自由にしてくれる
「恋愛は偶然にも出会うもの。しかし友情は違う。その出会いに偶然性はない」
恋人と友人は違う。恋愛は「性」が媒介する理性を超えた関係だ。結婚は喜びや悲しみ、貧しさをも共有しなければならない関係だ。一方で、友人は互いに孤独の時間を共有できる、理性と理性で付き合っていく関係だ。価値観が同じ仲間が集まったからといって、それは友人ではない。友情を築くとは、自分にないものを求める知的な作業。自らが選び取っていってほしい
◇ ◇ ◇
渡辺さんは校長退任後、幼稚園から大学部までの少人数制一貫教育校「自由学園」で大学部の最高学部長に就任し、再び現場で授業を受け持つ予定です。