現在何かと物議を醸している、いじめについて

2013年3月(1)

<2006年12月発行『DYS通信』第8号より>

新宅竜士

最近、いじめ問題に関して頻繁に義家氏をメディアで見かけるようになったが、私はあの人が苦手だ。どうも言うことなすこと、美しすぎる。メディアからの一方的な情報である以上、言っていることの是非はさておくとしても、昔自分が “ヤンキー” だったということが、あの人にとっては自らを美化する道具でしかないような気がしてならないからだ。もっと泥にまみれようよ、と伝えたい。ここはまさきさん* がどこかで言われていたように、今の経験を次のステップにつなげることに期待したい。

本題のいじめについては、自分自身の経験上 “必要悪” の一種であると解釈している。したがって、無理やりに根絶させようとすべきものではない。私はどちらの立場も経験した人間だが、今の私を形成する上で、どちらも欠かすことのできない経験だった。とくに大きかったのは、いじめられた経験だとさえ言える。今はいじめの受け手の自殺の多発によって、バランスを欠いた議論がはびこっているような印象を受けるが、私に言わせれば、自殺は、ありえない。

私は過去に、いじめによって仕事場から逃げ出した経験がある。今でも情けない記憶として強く残っている。 16歳のとき、地元の先輩の紹介で始めたこの仕事は、経営者が元ヤクザ、その立派な息子が現場を指揮していたが、最初の印象は、怖そうだが強くて大きくてやさしい人。

仕事を始めて2・3日目に、私はいきなり警察に捕まって拘留されてしまったのだが、この人はこのときわざわざ警察に情状酌量を訴えてくれた。当時暴走族の一員であった私に理解を示してくれた。さらにこの人の周りは立派なヤクザばかり。その中にはこの立派な息子に頭の上がらない者も。そんな人が自分に優しくしてくれる。これで私のハートは完全にキャッチされた。            

私は慣れれば人懐っこい性格で、これが気に入られてか、かわいがられた。言われることは何でも聞いた。しかしどうしても聞けないことがあり、それは蛮勇を振るう〔ママ〕 ことだった。例えば、強い者の下に付くと、とたんに自分も強くなったような振る舞い。街でならず者のように振舞う立派な息子を、どこか冷ややかに見ていた。これによって、次第に根性無しの扱いを受けるようになった。

この頃から、とにかく異常な暴力を受け続けた。5分の遅刻で鼻血パンチ、道具の置忘れでジャンプキック、現場で声が聞こえなくて物が飛んでくる……。さらにはほかの先輩もこれに加わるようになり、毎日仕事帰りにそのまま拉致、休日のパテンコ代打ち一日中、誘いを断ると我が家のべッドの上でひたすら殴打。とにかく理不尽極まりなし。さらにさらにほかの先輩が、助けると見せかけて私に近づき、詐欺・恐喝・etcの片棒を担がされる。これは唯一私自身に危害を加えるものではなかったため、むしろこちらから進んで介入。                        

この頃の私はムチャクチャだった。周りの友人も引いていた。次第に私も自己嫌悪に陥ったが、しかしそれでも暴力は続いていて、私は体調を崩した。それでも仕事は休めなかった。

“殺してやる” とは思えなかった。時に日本刀などをひけらかしている先輩が、とにかく恐ろしかった。もちろん自殺も到底考えられるものではない。

  ここではじめて “逃げる” ことを考え始めた。しかしそれは容易なことではない。まず暴走族の自分が親・警察に頼るわけにはいかない。これは自分のプライドを傷つけることになる。また、周りの雰囲気は逃げることを “絶対悪” であるとしている。あとで、ずるい・情けない・根性なしのレッテルを貼られることがとにかく怖い。影響力を持った人間の後押しがなければ動けなかった。「逃げろ」と言ってほしかった。

そのとき運よく、そう言ってくれた先輩が現れた。この人は一番年上で、ほかの先輩に一目置かれていた。このとき初めて 「ああ、逃げてもいいんだな」と思えて楽になれた。今考えても、当時の私にはこれ以外の選択はなかったように思う。

この経験を経るまでの私は、いじめる側の経験がほとんどで、人の気持ちをまるで考えない人間だった。逃げてすぐの時は、とにかく悔しくて情けなくて前に進めなかったが、その後に出会った人間に恵まれたことで、人のありがたさを知ることができた。

今弁護士を目指しているというのも、見返してやるという思いから来ている部分が少なからずある。そのほかにも様々な部分で、自分を強くし、視野を広げるに至った動機となった。だから私の言い分は、いじめられることも考えようによっては “必要悪” なのだ。

  ここに書きながら当時を思い返しても、やはり “自殺” という選択肢はありえなかった。なぜなら、それが頭に浮かびもしなかったからである。大まかに言えば、これが現在と当時の違いではないかと思う。今は、自殺が身近にありすぎる気がしてならない。

これはマスメディアの発達が原因だろう。今後は、“マスメディアを通して” 自殺をありえないものにしていくという考えが必要だと思っている。未成年に対するマスメディアの制限という議論は非常にナンセンスであり、時代に逆行するものである。ただし、必要最低限の制限については否定しない。

では、マスメディアを通して何を伝えるのかといえば、“逃げること” である。世間の雰囲気の大勢が逃げることを否定するものであるうちは、マスメディアが逃げることを肯定することによってセーフティネットの役割を果たすことが必要なのではなかろうか。

そんなことをしては逃げることが当たり前になってしまう、ということを言っていられる状況は、もうすでに峠を越していると、私は感じている。

(以下省略)

●「DYS」は元非行少年・少女(以下非行少年)が元家裁調査官とともに立ち上げた、非行少年の立ち直りをサポートする会です。  

● 文中の「まさきさん」とは、この元家裁調査官の正木信二郎さんです。

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