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【番外編】 無欲の聖女は金にときめく 作者:中村 颯希
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◆レオ、口で禍を招く(後)

(おばかァああああああああああ!)


 案の定、致命的なセリフを言い放ったレオに、レーナは画面の向こう側で声なき絶叫を上げた。


 いや、下町の子どもなら誰もがこの流れで決めるだろうセリフだが、自分のこの姿で言われると、予想以上にダメージが大きい。

 それに、昨年からさらに髪を伸ばし、大人びた少女が頬を染めてそれを言うと、「抱かれ」の単語に必要以上に威力が籠もった。


『こいつ! そ、その姿でなんて発言を……! くっ、でも、当人に聞かれていないのが唯一の救い……!』

『ばか、レーナ! おまえ、そういう縁起でもないことを言うと――』


 涙目になったレーナが、ひきつった声で自分を慰めていると、珍しくブルーノが声を荒げる。

 だが、そんな彼の声も、画面の向こうの凄まじい怒声に遮られることとなった。


「カァットォオオオオ!」


 侯爵である。

 かっと目を見開いた、真っ青なその顔を見て、レーナは、いよいよ嫌な予感が急激に膨らむのを感じた。


「カット! カットだ! カットだとも! エミーリア、今の言葉、皇子には届いてはおるまいな!?」

「いいえ、あなた! ディスクの中継機能が停止するのは、指定人物による『カット』の呪文スペル展開の五秒後です。おそらく、今の一連の発言、先方はしかと聞き届けたばかりか、同時録画機能まで使って保存したかと……!」

「ぬかったぁあああああ!」


 まるで自国の城を落とされたかのような狼狽ぶりを見せる侯爵に、レーナは徐々に事態を悟っていった。


「くそっ、ディートリヒ! やはり、親切ごかした殿下の提案になど乗るべきではなかった! いくらディスクを大量に貸してくれるからと言って、この食事の光景を、皇族の連中に同時中継するなど、すべきではなかった! あのような言葉を、彼らに聞かせるべきではなかったのだぁああああ!」

「ですが父上、レオノーラの還俗風景を多角的に録画、保存するためにはやむをえない処置だと、むしろ父上こそが乗り気だったではありませんか!」


 つまりあれだ、ディートリヒの言う「先方」、ディスクを貸与してくれた相手とはアルベルト皇子で、その交換条件に、この夕食の光景を、ちょうどレーナたちと同じように、アルベルトたち皇族も鑑賞していたのだ。


(つまり、あのヤンデレ金髪皇子も、レオノーラの発言をリアルタイムで聞き取れたわけで、それってつまり、くだんの「抱いて」発言も……当然、聞い、て……)


 すーっと、血の気が引いてゆく音がする。

 レーナはシミュレーションしてみた。


 プロポーズするほどに愛していた初恋の少女を、一年ぶりに目撃したとして。

 離れていた期間分成長し、一層女性らしくなった彼女が、自分の名を聞いた途端、目を潤ませ、頬を紅潮させ、無味乾燥な聖堂での生活を嘆くように、「抱かれたい」と口にしたとしたら。


(え、普通に攫われない?)


 脳みそまで性欲に沸き立っているに違いない男という生き物の性質を考えて、レーナは真顔でそんなことを思った。


 少女を引き留めたい貴族側が、いろいろ我慢に我慢を重ねて、ようやく成り立っていたレオノーラの出家。

 ただでさえ、実際に少女を目にして感情が高ぶっているだろうところに、そんなとどめの一撃を食らったら、すり切れた綱のような理性も、いよいよぷつっと切れてしまうのではあるまいか。


「落ち着きなさい、二人とも。今は責任の所在を云々している場合ではありません。清らかなレオノーラが、この一年の間に、いったいどのような輩から、そんな言葉を吹き込まれたのか、そこを突き止めなくては」


 画面の向こう側では、真剣な顔をしたエミーリア侯爵夫人が、まるで不良娘に更生を迫るように、少女の肩をひしと掴んでいる。

 いよいよ火の粉がこちらに降りかかろうとしている予感に、レーナはぎくりと身を強張らせた。


「言いなさい、レオノーラ。それは、誰かの言葉の受け売りね? いったい誰に、そんな言葉を吹き込まれたの?」

「え、いえ、あの、こんなの、下町の住人なら、誰でも、口にする言葉で……。少しでも、男性が、いいところを見せたら、そう褒めるのは、自然なことで――」

「そう教え込まれたの? 素敵だと思った異性に対しては、だれかれ構わずそうした言葉を告げろと? おのれ、下町の住人め……レオノーラの無垢さに付け込んで、なんということを……!」


 エミーリアはすっかり、「粗野で下卑た下町の男どもが、少女に卑猥な言葉を言わせて喜んでいる」とでもいった筋書きを想像してしまったらしく、みるみる怒りをみなぎらせている。


「やはり、いくら精霊との約束とはいえど、このまま可愛いレオノーラを、みすみす下町の蛮習に晒しつづけるわけにはいかない……! そうよ、こうした悲惨な環境を許すことのほうがむしろ、慈悲の存在たる光の精霊に反するはずだわ!」

「えっ、蛮習なんて言われると、ちょっと悲し――」

「いいえ、レオノーラ! 今はあなたのその慈悲深さも発揮すべきではないわ! くっ、下町の住民め、レオノーラを独占するばかりか、玩具に仕立て上げようなど……っ」


 補足すれば彼女は、自分たち家族を差し置いて、貧民というだけでレオノーラとの接触を許されている下町の住人たちに激しく嫉妬していたのである。

 それまで理性と良識で押さえ込んでいた羨望は、今や怒りの力を借り、炎となって勢いよく噴出していた。


「その通りだな。やはり、光の精霊に抗議してでも、レオノーラの出家を見直してもらわねば。さすがに帝国軍は動かさずとも、侯爵家騎士団を総動員し、レオノーラ奪還作戦を推進すべきだろう」


 そこに、この一日で孫可愛さをすっかりぶり返し、なんならこじらせた侯爵が、重々しく頷く。


『ちょっと……冗談でしょ、よしてよ! 侯爵家お抱えの騎士団が全力で聖堂に押し寄せでもしてきたら、ひとたまりもないわよ……!』


 悪化の一途をたどる状況に、レーナが震え声で呟いていると、そこに、とどめの一撃が降ってきた。


「あの、父上! 先ほど、『カット』の呪文を四回言いませんでしたか!?」


 ディートリヒが、焦った声でそう問うてきたのである。


「む?」

「『カット』は停止と再開の切り替え合図。偶数回言えば、結局中継を再開したことにほかならない。つまり……この会話も、おそらく殿下たちはお聞きになっていますよ!」

「な!」

『な……っ!?』


 はからずも、目を剥いたクラウスの叫びと、レーナの絶叫は同時だった。


(つ、つまり……つまりっ、皇子もまた、「無垢な少女が、下町の男どもから下卑た言い回しを仕込まれている」というトンデモ妄想モードに……!)


 がたがたと膝が震え出したとき、隣のブルーノがはっと扉の外を振り向いた。


『来る……!』

『はっ!?』


 ――ォオオオオ!


 言葉とともに、地鳴りのような低い音が響き渡る。

 なにかと思えば、それは、大量の人間と馬の足音、そして唸り声なのであった。


『囲まれた……!』

『はぁっ!?』


 いよいよ困惑し、上ずった声を出した途端、窓の外がぱっと明るくなる。

 慌てて身を乗り出して見れば、それは、何十という人間が一斉に灯した、松明の火なのであった。


『なにこれ!?』


 今や孤児院裏の聖堂は、ぐるりと大量の炎に取り囲まれて、夜明けもかくやと言う明るさである。


「我ら紫聖傭兵団、皇室の御意を得てここに申し上げる!」


 やがて、代表格と思しき、体格のいい男性が、馬の上から朗々たる声で告げた。


「本聖堂にて祈りを捧げている聖女レオノーラは、光の精霊のご意思に反し、卑陋ひろうなる環境にさらされ、その清廉なる魂を汚泥に沈められる苦痛に接していると見える! ゆえに我々は、慈悲の存在たる光の精霊の名の元に、かの少女を救出、保護せんとするものである!」

『はああああ!?』


 要は、「レオノーラが下卑たやつらに汚染されそうだから、皇室で奪還します! 光の精霊的にもオッケーなはずだよね!」という宣言である。


『ちょ、冗談……!紫聖傭兵団なんて初耳よ。っていうか、来るにしても早すぎるでしょ!』

『いや、おそらく、口実は後付けだろう。部隊を配置して、少しでも隙があればいつでもレオノーラを奪還できるよう、用意していたにちがいない』

『全然未練引きずってんじゃないのよクソ皇子!』


 恐慌のあまり、レーナは口汚く不敬の言葉を吐き捨てた。


『だいたい、金の精霊を通じて、この付近には魔力持ちや貴族は近付くなって誓約をたてさせたわよね!? 思いっきり反故してんじゃないのよ!』

『いや、身なりや顔つきを見た限り、この連中は皆、下層市民か、移民から成る部隊のようだ。有事に備えて、下層市民を積極的に登用、育成したようだな』

『動機以外は名君かっ!』


 レーナはばんっと窓を枠に叩きつけたが、そんなことをして事態が改善されるわけでもない。

 代表の男が、


「聖堂を預かる代表者よ、速やかに出て来い! この事態をなんと申し開く! 説明がないようであれば、我々は、速やかに聖女レオノーラの救出作戦を展開する。代表者は、即座に『レオノーラ身柄預かり誓約書』を破棄せよ!」


 と告げたのを聞き、いよいよ彼女は真っ青になった。


 こんな夜更けに、速やかに責任者が出てきて、十分な説明をすることなどできるわけがない。

 要は難癖をつけて、聖堂側――というかまあ、その管理を任されている孤児院側に、一方的に「おまえらからレオノーラを保護する権利を奪うからな!」と通牒を突きつけるのが目的なわけだ。


 これが帝国のやり方か! とレーナが歯噛みしていると、幸い、ばんっと孤児院側の裏戸が開いて、つかつかと小柄な人物が夜の庭を突っ切っていった。

 寝間着姿のハンナだ。


 彼女は、二階にいるレーナたちからも憤怒が読み取れるような形相を浮かべ、「あ˝ぁああああん!?」と柄悪く傭兵団に対峙した。


「夜分にわちゃわちゃやって来て、大声で怒鳴り散らしてなんだい! うちの孤児院に、なにか文句でも!?」

「さ、先に告げた通りである! 我ら、紫聖傭兵団は――」

「おおっとあんた、数年前にはこのリヒエルトの下町でヤクザ崩れをしていた、ゾンネベックんとこの坊やじゃないか。三十近くにもなって、高齢者を敬う姿勢も、他人様ん家を訪問する時間帯もまだ身に付かなかったのかえ?」

「げっ!」


 さすがはハンナ、いかつい男相手でも微動だにせず、むしろ相手を圧しにかかる。

 男の仰々しい口調が乱れ、元下町の住人らしい悲鳴が漏れた。


「で、なんだい。あたしらが卑しいあまり、聖女様に苦痛を与えている、だって?」


 小柄な体からにじみ出る迫力に、男はたじたじとなる。

 その隙をついて、ハンナはぱっと聖堂の二階、そして孤児院の屋根裏部屋を振り向き、よく通るエランド語で怒鳴った。


『者ども! 三秒以内に降りてきな! ただし、いいかい、エランド語ができるやつと、そこそこ頭の回るやつだけだ。ほかの子たちは、いい子で寝てな!』


 孤児院で三日以上過ごそうものなら、誰でも脊髄反射で従いたくなるようなハンナの命令だ。

 反骨精神が売りのレーナですら、「はい!」といい子のお返事をして、無意識に聖堂を飛び出してしまった。


 同様にして、孤児院側からも次々と子どもたちが飛び出してくる。

 彼らがずらりと背後に整列したのを確認すると、ハンナは砲撃許可を出す軍人のように、前を睨み付けたまま片手を挙げた。


『よくお聞き。こいつらがねぇ、あたしたちのことを、レオノーラ様に悪影響を与える卑しい人間だって言うんだよ。あたしたちがいかに教養高くて高潔な人間か、とくと見せつけておやり』


 要約すると、「敵だ、ぶちのめせ」ということである。

 ハンナの態度から、どうやらこれは戦いの一種であるらしいと理解した子どもたちは、一気に覚醒し、院長直伝の、好戦的な笑みを浮かべた。


『おはようございます、お客さま方。随分と遅い時間にお越しですね』

『常識ってごぞんじです?』


 ある者はエランド語で威圧し。


「先ほどの奪還宣言、寝支度をしながらではありますが、拝聴しておりました。私どもの卑陋さが原因とのことですが、卑陋という言葉には性的ないやらしさを否定するニュアンスが含まれますね。それでは性的なものとそうでないものの定義、あるいはフェミニズムの隆盛、構造型セクシャルハラスメントの社会的影響について少々議論しませんか?」


 ある者は社会学のディベートを迫り。


「おや、皆さんずいぶん煌々と松明を掲げているようだが、集会法によって、十人以上が同時に火器を携帯する場合には、リヒエルト知事の承認が必要だと、まさかご存じない? いくら皇室の御意とはいえ、伝達方法は市民の法に則るべきと愚考するが、署名は取得済で?」


 またある者は法律を盾にちくちくと相手をいたぶる。

 ちなみに、後半二人はレーナとブルーノである。


 完全に圧倒された傭兵団は、じりっと後退しかけたが、皇室の威光はこちらにありとでも思ったのか、代表の男が悪あがきを見せた。


「ぺ、ぺらぺらと、こざかしく! いいか、こっちのバックにゃ皇子殿下がいるんだぞ! 俺たちだって殿下には相応の恩があるんだ。好きな女を傍に置いてやりてえだろうが! だいたい、玉の輿に乗ったほうが、女は幸せってもんだろ!? さっさと誓約書を差し出せ!」


 素直な、けれどだからこそ熱のある主張に、傭兵団たちがにわかに勢いづく。


「そうだそうだ!」

「だいたい、ハンナ孤児院ばっかレオノーラ様の世話をしやがって、ずるいぞ!」

「俺たちだって、ずっと遭遇のチャンスを狙ってたんだぞ!」


 彼らの側もだんだん本音が滲みはじめて、「下卑た孤児院連中」vs「高潔なる皇室」だったはずの構造は、いつの間にか「レオノーラの世話を任されたハンナ孤児院」vs「それにあぶれたほかの下町住人」の諍いへと移行しはじめた。


『だったらどうして、貴族側に寝返ったんだよ! おまえらにレオノーラ様を慕う資格はあるのか!?』

「ええい、エランド語でまくし立てられてもわからん!」

「あっこら、勝手に聖堂に入るな!」

「誓約書さえ破棄すりゃ、少なくとも聖堂での世話人役は、ほかの人間のところにも回ってくる。野郎ども、聖堂をしらみつぶしに探せ!」


 もはや大混乱である。

 傭兵団たちが、支給された武器に物を言わせてどっと聖堂に押し入ろうとしてきたので、軟弱なレーナは悲鳴を上げた。


(ああもう、ああもう、あああああもう!)


 これではもはや、紛争である。


『金の精霊よ! あなたの愛し子の危機だ。なんとかしてくれ!』


 とそのとき、苛立ったようなブルーノの祈りが響き、それと同時に、ぱぁああああ!と、あたりを白く染め上げるような閃光が、空一面に広がった。


 ――なにをしているのです


 黒髪に、金の瞳――光の精霊に擬態した、アルタの登場である。

 侯爵家の中継を切り上げ、こちらに顕現してくれたようだ。


 彼女は、すっかり板についた至高精霊ぶりを披露し、宙に浮いたまま剣呑に目を細めてみせた。


 ――わたくしが眠る夜の間に、我が愛し子を聖堂から略奪する手筈を付けようと?


「ひ……っ、光の精霊様……っ」

「りゃ、略奪だなんて、そんな……!」


 あれほど強引だった傭兵団たちは、いざ精霊実物を目の当たりにすると、途端に尻尾を挟んだ犬のように勢いを失ってゆく。


「ふ、不遇にある聖女様を、お助けするのは、精霊様のお心にかなうと、思ったからで……!」


 腰を抜かしながら、代表の男が辛うじて大義名分を唱えたが、


 ――は?


 不快そうにアルタが呟いた、たった一音節の「は?」により、あっさりと封殺された。


「申し訳ございません! 申し訳ございません! なんでもありません!」


 至高精霊に出て来られてしまえば、しょせん今のところは市民の寄せ集めにすぎない傭兵団に、奪還の任務は荷が重すぎる。

 結局彼らは、ほうほうの体で、蜘蛛の子を散らすようにその場を逃走したのである。


 あとには、すんでのところで戦闘行為を回避した、孤児院の面々が残った。


「レーナ、ブルーノ……」


 はー……、と、ハンナが、体がしぼんでしまいそうなほどの特大の溜息を漏らす。


「いったい、どういうことだい」

「……ええと、レオが、あまりにもレオで、皇子以下貴族連中が興奮してしまって……」

「もういい、だいたいわかった」


 疲れすぎたレーナの雑すぎる説明を、ハンナは面倒そうに手を振って制止した。

 見かねたアルタが地上に舞い降りて、「抱いて」に始まる一連の騒動をかいつまんで伝えると、ハンナは再び溜息を落として、額を手で覆った。


「それだけで、これかい……」


 皺に囲まれた瞳は、傭兵団たちが投げ出した松明の残骸をぼんやりと眺めていた。


「これ、あの子が還俗するたびに、起こるんじゃあるまいねぇ」

「…………」


 レーナもブルーノも、アルタでさえも、もうなにも言えない。


「……今後も、たとえば一年に一回は還俗する、なんて話になったら、その時には皇子殿下も、もうちょっと気合いを入れて奪還作戦を練りそうだねぇ」

「…………」


 なにも、言えない。


「…………ひとまず、あの大馬鹿守銭奴には、金輪際『抱いて』みたいな言葉は、禁じようかね」

「…………孤児院の連中にも、徹底させます。あと、あの大馬鹿守銭奴が戻ってきたら、速やかにすり潰します」

「俺も協力する」


 唯一レーナたちが保証できるとしたら、そのくらいだった。


 ――ええと、まあ、レオをはじめ、子どもたちみんなの品がよくなるというのなら、いいことなのではない? ほら、元気を出して?


 アルタが、やけに人間臭く、とり成すように肩を竦める。

 こうして、その日を境に、ハンナ孤児院からは、下卑たジョークが消えたのである――。




 ***




「とまあ、こういうわけで、な……」

「レオ兄ちゃん……」

「あまりにもレオ兄ちゃんすぎる……」


 レオ姿のレーナが遠い目をして語り終えると、エミーリオとマルセルは、顔を覆って俯いた。


「わかったか? ちょっとした口の利き方が、どれだけ大きな禍を呼び寄せるか」

「わかった……」

「僕、もう二度と冗談で『抱いて』なんて言わないよ……」


 レーナがアンニュイに空を見上げて問えば、子どもたちは顔を覆ったまま、こくこくと素直に頷く。

 レオが還俗している今日もハンナ孤児院は平和だったが、その平和は戦士レーナたちのたゆまぬ努力と尻拭いの上に成り立っているのだと、彼らは噛み締めたのだった。


「さて、レーナ。朝の『お勤め』も済ませたし、いったん聖堂に戻るぞ。そろそろ侯爵家で朝食が始まる頃だ。去年の傾向から行くと、間違いなくなにかしらは起こるだろう。場合によっては、精霊の瞳を開けてもらわねば」

「正直、還俗によっておこるドタバタを、これ以上見たくないんだけど……」


 ブルーノが切り出せば、レーナはどんよりと応じる。


「いやまあ、気持ちはわかるが。逃げていては、やがてツケが回ってくるだけだしな」

「…………だよな」


 はああ、と重苦しい溜息を落としてから、レーナは自分を慰めるように言い聞かせた。


「少なくとも、男を慕うような発言は絶対にするなと言い聞かせたし。あいつもあいつで、少しは自重しようとしてるみたいだし。たぶん、きっと、もしかしたら、去年みたいなことは……起こらない……はず。あのフラグ量産野郎め……」

「あー、うん」


 ブルーノはもう、匙を投げたような雑さで頷く。


「おまえのそうした発言こそが、ことごとくフラグになっているように、俺は思うんだがなぁ……」


 因果の不思議を閉じ込めた、ブルーノの小さな呟きは、呑気に晴れた空に溶けてしまい、誰に聞き取られることもない。


 今年も今年とて、レオ扮するレオノーラが、考えなしにも皇子に対して「白いドレスが欲しい」とねだったり、その結果アルベルトがフィーバーして、あわや純潔の危機に陥りかけたりすることを――幸か不幸か、彼らはまだ知らないのであった。

小説を通じて、皆さまの心が少しでも軽くなりますように。

近々(明日くらい?)、活動報告内でお楽しみ企画を予定していますので、お時間ある方は覗いてみてくださいませ。

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