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【番外編】 無欲の聖女は金にときめく 作者:中村 颯希
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◆レオ、1日限り還俗する(前)

「無欲の聖女は金にときめく」の番外編(2019年エイプリルフール投稿の再掲)です。

本編(https://ncode.syosetu.com/n3386db/)を先にお読みください。


本編完結から3年後、15歳となった「レオノーラ」の、帰還限定還俗日の一幕。

「わぁ……! これ……! これは、なんですか!?」


 とある高級商店の中で、好奇心に溢れた可憐な声が響いた。


 鈴を鳴らすような声を紡ぐのは、薔薇の唇。

 白磁の肌は今ほんのり赤く色づき、紫水晶のような瞳は、興奮のためにわずかに潤んでいる。


 精霊のごとき美貌を持った少女の名は、レオノーラ――優れた才覚と慈愛の心を持ちながら、ある悲劇によって聖堂暮らしを運命づけられた、「無欲の聖女」である。


 下町に建てられた聖堂に籠っているはずの彼女が、なぜ、上流市民御用達の商店にいるのかというと、それは今日が、彼女に年に一度だけ許された「還俗日」だからだった。


「こ……っ、これは、最近男性の間で流行している洗髪料で……! その、清々しい洗い心地と、自然な香りが人気、で! レ……ッ、レオノーラ、さんには、あまり関係がないかと思ったんだが、もももし気になるようなら、一揃え聖堂に届けさせよう!」


 少女の輝く瞳にすっかりのぼせ上って、顔を真っ赤にしているのは、ベルンシュタイン商会が長男、フランツ。

 そう、彼こそが、アルベルト皇子やビアンカ皇女、その他学友親戚を差し置いて、「レオノーラとの二時間外出権」を勝ち取った、今年の「福男」であった。


(くっ、幸せだ……っ! この三年というもの、商会を拡大し続け、ハーケンベルグ侯爵夫妻にせっせと貢ぎつづけた甲斐があったというもの……!)


 フランツは少女に気付かれないよう、ぐっと拳を握った。


 思い返せば三年前。愛しのレオノーラが年に一度だけ還俗できると知ってから、世の人々はこぞって侯爵家に訪れ、足元に這いつくばるようにして面会時間をこいねがった。

 フランツもすぐさま飛んでいきたかったが、弟オスカーと自分で比べれば、付き合いの深さ的に、確実に弟の方に軍配が上がる。

 よって彼は作戦を変え、三年をかけてじっくりと面会時間をもぎ取ることにしたのだ。


 そうこうしている内に、侯爵夫妻たちも着実に還俗時間を増やし、三年目の今年では、三日間の還俗を確保した。

 おかげで面会時間も、以前よりは潤沢だ。

 下手に一年目に五分で面会を終わらせてしまうより、こうして三年をかけて二時間の外出をもぎ取る方が絶対よかった。

 フランツは満足だった。


「男性向けの、洗髪料……。ほほう……男性も、髪に、気を遣う、時代の到来……?」


 傍らの少女は、フランツが連れてきたベルンシュタイン商会の旗艦店で、熱心に商品を見つめている。

 フランツは相変わらず商売の話しかできない朴念仁だったが、彼女はそんな彼の話を大層熱心に聞いてくれる。

 そんな優しさまでもが、彼の心を捉えて離さないのだった。


(いやー、まじ勉強になるわー。こっから下町にトレンドが発信されると言っても過言ではないもんな。フランツさん、まじ素晴らしすぎる情報提供者だわー)


 一方、きらきらと商品を見つめる美少女――の皮をかぶった守銭奴少年レオはと言えば、相変わらず金儲けのことしか考えていなかった。


 少女――レーナの体も今や十五歳となり、いよいよ全身から匂い立つような色香と美しさをまとっているが、そんなものレオからすれば、頓着する価値もない。

 彼にとって至上の美しさとは金貨の輝きであり、しょせん発光すらしていない人体の美しさなど、金の精霊アルタに比べれば鼻くそも同然であった。


(うぁあああん、俺、今、ちょー幸せ……っ!)


 あからさまに高価とわかる品々に囲まれて、レオの機嫌は最高潮だった。


 思えばこれまでの還俗日で、侯爵夫妻の管理のもと引き合わせられたのは皇族兄妹、その他学友やエランドの王子など貴人ばかりで、それはそれで有意義だったが、相手が自分に気を使いすぎるので、全力で楽しめないところがあった。


 例えば、自分の歩く先にすべて赤絨毯が敷かれ、花が撒かれていたり。

 例えば、「せっかく町まで来たから、市場に、行きたいですね」などと呟けば、最寄り市場の全露店ごとお買い上げしてしまったり。


(違う……違えんだよ、俺が求めてるのはそういうんじゃねえんだよ……!)


 買い物とは戦いだ。

 しのぎを削り、(つば)ぶつけ合う、そういう血沸き肉躍る交渉こそが、レオの魂を輝かせるのだ。

 まあ、くれるものはもらったが。


 その点フランツは、なんとかこちらをリードしようとしているものの、根がケチなので、そういうダイナミックな奢り方をしない。

 むしろレオの目の前で、露店の甘栗ですら値切ってしまい、その後はっと気まずそうな顔をしたりする。


 しかし、彼のその在り方こそが、レオに親しみと感動をもたらすのだ。

 やはり、栗ですら値切ってこそ男ですよね、と。


(出かける直前に会った皇子やオスカー先輩も、かなり太っ腹の部類だもんな。や、嬉しいんだけど、ずっと一緒にいると疲れるっつーか……)


 レオは値札からおおよその価格帯を割り出しつつ、頭の片隅ではそんなことを考える。


 還俗二日目の本日のタイムテーブルとしては、朝七時起床、夫妻との語らいを含めた朝食三時間、朝のお茶一時間、十一時から十五分刻みでアルベルト皇子、オスカーの順に面会、そしてフランツとの外出だった。

 エミーリア夫人の私情が全面ににじみ出た時間割である。


(皇子は、なんか会うたびにキラキラに拍車が掛かってんなぁ……)


 卒業から三年近くが経った彼は、今や二十歳。

 白いシャツに細身のタイ、そしてシンプルな黒いパンツという出で立ちだったが、それが恐ろしいほどに決まっていた。


 特に、あまり見たことの無い細いタイ(クラヴァット)がついつい気になり、思わずガン見してしまったほどだ。

 確信する。あれは徐々に貴族階級に広がり、いずれ下町でも流行るだろう。


 思わず指で触れて、さりげなく布地の感触をチェックしてしまったレオだったが、


「レオノーラ……。どうか、僕が我慢できる内に、手を離してくれ。そうでないと――僕はどうにかなってしまう」


 掠れた声で窘められて、慌てて指を離した。

 ネクタイで絞殺するつもりだと思われたのだろう。


(皇子とは友達になれたと思ってんだけど……なんかやっぱ、ちょっとしたきっかけで殺伐としちまうんだなあ。失敗、失敗)


 無論自分の仕草が、夫のタイを締める新妻の所作を思わせるのだとは、夢にも思わぬレオであった。


 ちなみに、気まぐれに宙に出現しながら、これらをこっそり見守っているアルタが、面白がってこの光景を孤児院に中継するたびに、レーナが怒りの余り失神しそうになっているのを彼は知らない。

 昨日聖堂を出るときなど、


「いい!? あなたの不注意で還俗期間中に攫われたり手籠めにされたりしたら、あなたに(・・・・)一生その姿でいてもらって、自分で責任取ってもらうからね!?」


 と脅しつけられたりしたものだったが――


(やれやれ、俺って下町育ちよ? 箱入り娘だったおまえよりも、ごろつきどもへの対応は慣れてるっつーの)


 レオは内心で、ははんと笑うだけだ。

 辛抱堪らずレオノーラを襲う可能性があるとしたらそれは、ごろつきどもより、皇子や貴族連中、または他国の王子や豪商の息子の方だということを、やはり彼は理解していなかった。


(オスカー先輩も相変わらず男前だったなあ。でも、ちょっと元気、なかったよな)


 洗髪料コーナーを眺めながら、レオは次に、オスカーのことも思い出す。


 彼は熱っぽくこちらを眺め、「髪も随分伸びた。きれいになったな、レオノーラ」などと褒めてくれたが――狙われている気がして、レオはさりげなく黒髪を隠した――、時折ふと何かを切り出しかけては、口を噤むのが気になっていた。


 彼の悩みと言えば、やはり髪関係だろうか。

 もしや、三年の時を経て、ヅラが劣化してしまったとか。ハ……が進行してしまったとか。


 気になったレオは、


「あの……。以前髪を譲ってからもう三年が経ちましたが、……その後、いかがですか?」


 面会中、遠回しに水を向けてみた。

 するとオスカーはひどく驚いた顔をして、またも口を開きかけたが、ややあってから、再び自分を戒めるように首を振った。


「実は、また……。……だが、どうか気にしないでくれ。こうして再会できただけで満足すべきところを、またおまえに頼ろうなどとは思わない」

「え……?」


 レオは目を見開いた。

 かなりぼかされたが、それはつまり、再びオスカーの髪がピンチに陥っているということなのか。


(え!? え!? どこが!? 少なくとも今見える髪はふさふさに見えるけど……。ヅラが劣化した、ってわけじゃないよな? 中身の方か? え、でもそれって、一年でそんなに進行するもんなの?)


 オスカーとは昨年も、妹のカミラと一緒に面会したばかりだ。

 そのときは、なんの憂いもなさそうだったのに。


「その……見た感じでは、わからないというか……。前に、会った、時には、こう……とてもコンディションが、よさそうだったのに……」


 おろおろしながら問えば、オスカーは辛そうに頷く。


「医師の話では、再発したり、しかもそれが急に進行したりすることもまれにあるそうだ。それで……カミラも本当は今日同席するつもりだったんだが、朝になってやはり無理だと言われてな……」

「そこまで……!?」


 兄の毛髪障害が進行したというだけで、一緒に出歩くのを嫌がるカミラのシビアさに、レオは慄いた。


「ああ。だが心配しないでくれ。今は幸い、魔力をふんだんに持つアルベルト皇子とも良好な関係を築いている。折を見て彼に相談するつもりだ。きっと協力してくれるはずだからな」

「え……っ!?」


 金髪の王子が、黒髪のオスカーの毛髪問題にどう協力するというのか。

 理解に苦しんだレオは言葉を途切れさせてしまったが、その間に、


「そんな話より、おまえのことだ。聖堂暮らしはどうだ? なにか不便は――」


 オスカーはさっさと話を変えてしまった――。




(ううーん、やっぱ気になるよなぁ……)


 ずらりと並ぶ洗髪料を見つめながら、レオは溜息を落とす。

 これから男性も髪に気を遣う時代が訪れるという今、オスカーの悩みの深さはいかほどだろう。


 学院時代かなりお世話になった人物だ、なんとか力になってやりたい。

 ついでに言えば、三年前に髪を譲っただけの恩はそろそろ時効の気もするので、できれば豪商令息に、この辺で再び貸しを作っておきたい。

 本音は後者が八割だ。


「あの……フランツさん。お聞き、したいのですが……オスカー先輩は、また髪……いえその、大切な存在のことで、悩んで、いるのですか……?」


 そこでレオは、無礼覚悟で、兄のフランツに質問をぶつけてみた。

 するとフランツは、「まさかあいつ、レオノーラさんに相談を……?」と、ひどく驚いた顔をする。


「あ、いえあの、相談というか、オ……っ、私が、勝手に、そうかなと思っただけで……」

「そうなのですか?」


 暴言封印の術に喉を焼かれながら、慌ててフォローすると、フランツは少し落ち着きを取り戻したようだ。

 が、やはり難しい顔つきで続けた。


「僕たちとしても、何とかしてやりたいとは思っているんですがね……。再発ということで、今回本人は『これはもう体質的なもので、宿命だとも思っている。二度も周囲の手を煩わせたくない』と言っていたもので……。その意思を尊重しようとすると、あれこれ相談してまわるのも憚られて……」

「そ、そこまでの、覚悟を……?」

「ええ。どうやら魔力は、一時的に症状をよくするのが限界のようなのです。もっと根本こんぽんから生命力を回復させねば、症状は改善しない……。この先、魔力の効果が途切れるたびに、こうして周囲に魔力を乞うて回るくらいならいっそ、と、本人は思っているようです」

根本ねもと……」


 そりゃあヅラでは、根本的な解決法にはならないよなと、レオは複雑な思いで頷いたが、もちろんフランツの語る事態というのはそんなものではなかった。

 深刻な事態に陥っていたのはオスカーの髪ではなく、カミラだ。

 精霊の呪い、ともあだ名される病が、再び彼女を襲っていたのである。


 日に日に弱ってゆくカミラを、もちろん魔力で救うことはできる。

 特に情の深いオスカーはそれを勧めたものの、この数年ですっかり芯が強くなったカミラは、そのようなその場しのぎの人生を良しとはしなかった。


「なにか、オ……私にも、お手伝いできることが、あれば……」

「そのお気持ちだけで充分ですよ。そうですね、僕たちの願いを叶えてくれるなら、今日くらいはあなた自身のわがままを言って欲しい。ベルンシュタインの名に懸けて、なんでも叶えてみせますから」


 レオは髪を掴みながらおずおずと申し出たが、フランツはそう笑うだけだ。もちろん彼としては、ここに来ても他人のことばかり心配してまわる少女に、感嘆しているのであった。


「華やかなドレスなどどうですか? ここの商品は皆、試験的に試着可能にしています。試着室、というスペースを設けたのですが、これがなかなか好評で。よければレオノーラさんも試してみてください」

「試着室……?」


 あえて明るい口調で持ちかけられた話題に、ついレオは反応してしまう。


(なるほど、実際に商品のよさを体感させることで、購入意向を高めようって取り組みか……さすがだぜ)


 ドレスなんぞ全く興味はないが、その着眼点にはそそられる。

 気付けばレオは、数着のドレスを押し付けられ、立派な小部屋に通されてしまったのだった。


(ほほう、二面鏡張りの部屋……おお、メイクが付かないように被る布や、試し履きの靴まで……! すげえな、全方向から、商品愛と金儲けへの意欲が感じられる!)


 ドレスは脇に放置し、空き巣のように部屋を検めていると、突然コンコンと扉を叩かれる。


「え、あ、は……っ、すみません、まだ……」


 さてはフランツがもう様子を尋ねに来たのかと慌てたレオだったが、ふと、あることに気付いて首を傾げた。

 ノックされたのは、先ほどレオがくぐった扉ではなく、その反対側に取り付けられた小扉だったのだ。


(あ、フィッティングのための、スタッフさん登場……?)


 貴族令嬢が着るドレスの着付けは難しく、単身ではままならない。

 てっきり、侍女メイド的なスタッフがやって来るのかと思ったレオだったが、


『――初めまして、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ殿』


 踏み入ってきたのが、ブルーノとよく似た、褐色の肌を持つ青年だったので、えっと目を見開いた。

 エランド語だ。


『え、あの……。ど、どちら様で……?』

『フエル・アド』


 青年は琥珀色の瞳を剣呑に細め、短く名乗る。


『ふ、増える……? そのお名前は……』


 そんな場合ではなかったが、さっき話していた内容が内容だっただけに、ついレオは「縁起がいいですね」と続けそうになってしまった。


 すんでのところで呑み込んだレオを、青年は『ほう?』と意外そうに見つめる。

 それから、皮肉気な笑みを閃かせ、強引にレオの腕を取った。


『名前を聞いただけでぴんと来るほどには、罪悪感を抱いてくれているということかな?』

『え……』


 正直、何を言われているのかわからない。

 が、続く彼の言葉に、レオは驚き、息を呑んだ。


『まさしく、俺はフエル・アド――光の聖女に手を掛けようとした大罪人アリル・アドの孫であり……この三年というもの、罪人の子孫として、どの国でも迫害され続けた男だ』

続きは明日20時に!

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