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The Islands War  反撃の章 作者:スタジオゆにっとはうす なろう支店
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第七章 「Strategic Reconnaissance」

ローリダ領ノドコール植民地内基準表示時刻11月01日 午後2時28分 サン‐グレス空軍基地


 アスファルトの広大な原野の直上を、ジェットエンジンの重厚な金属音が駆け抜けて行った。


 操縦性の良好なレデロ-1の場合、横転姿勢から基地管制塔を横目に見ながら、スロットルを絞りながらサン‐グレス空軍基地の全容を一周すれば、着陸に必要な針路と速度が容易に得られる。それはまた、サン‐グレスという飛行場を知るパイロットなら、誰もがその恩恵に預かっている飛行場の活用法でもあった。


 ――――そのようにして、定例の訓練飛行より帰還した四機のレデロ-1戦闘機は編隊を解き、一糸乱れぬ着陸態勢で滑走路へと滑り込んだ。絞り込んだエンジンの余勢を駆ってタキシングする機体は、地上要員の誘導に従い滑らかなまでの動きでエプロンへと入り、そこでエンジンを切ることになる。


 先端の細い後退翼と、機首先端にぽっかりと口を開けた空気取入口から、後ろへ行くにつれ絞り込まれた尾部と、そのような胴体の中で縦に組み合わされた双発エンジンの印象的なレデロ-1は、ローリダ国防軍空軍戦闘機軍団の実質上の主力戦闘機だ。主武装は機首下面に集中装備された二門の機銃、そして一門の機関砲で、その主任務は戦場における制空及び敵空軍の要撃にある。その他に爆弾とロケット弾とを少数搭載できるが、レデロ-1においてそうした装備が必要な対地攻撃任務は二義的なものだった。


 機首に測距レーダーを搭載し、全天候作戦能力を持たせた改良型のレデロ-1改では、スペースの問題から固有武装を撤廃する替りに「レヴュロス」近距離空対空ミサイルを主翼下面に二発、もしくは八連装空対空ロケットポッドを二基搭載出来る。また、レデロ-1にはその他の派生型として機体構造を強化し搭載量を増加させた対地攻撃機型のレデロ-1 デーヴェと、機体を大幅に改造したデロム-1対地攻撃機が存在し、それなりに纏った数をローリダ軍は保有し、スロリア戦線にも展開させていた。


 ……だが、当面の敵ニホン軍に目ぼしい空軍戦力の存在しない現況では、レデロ-1のみならずとも戦闘機の存在は宝の持ち腐れであったのかもしれない。むしろ後二者の戦闘爆撃機のみが気を吐き、地上支援に東奔西走している。戦闘機が表立って出てきた局面といえば、七月に南スロリア沖で、海軍が一方的な戦闘の末に殲滅した「ニホン海軍」の残存勢力の掃討に、旧型のギロ-18戦闘機を運用する飛行隊が投入されたぐらいだ。


 「隊長ぉ――――――――っ!」


 水滴型のキャノピーを開いた瞬間。地上の冷たい風に乗ってコックピットへ飛び込んでくる整備班長グルノフス軍曹の声を、レデロ-1小隊長ギュルダー‐ジェス大尉は聞いたように思った。それが間違いではないことに気付くのに、数秒しかかからなかった。コックピットの傍に立てかけられた梯子に取り付き、軍曹は大尉に語りかけた。


 「今日の狩りはどうでしたか?」


 「狩り」とは空軍の隠語で「空戦」もしくは「空戦訓練」のことを指す。


 「…………」


 無言のまま、大尉はフルフェイスのヘルメットを軍曹に放った。忠実な整備班長は、それだけで彼の上官が抱いている不満を感じ取ってしまう。


 「機体に何か不調でも……?」

 「……違うよ」


 作り笑いを浮かべ、大尉は座席から腰を上げた。大尉が背中に担いだ落下傘を、軍曹は慎重な手付きで外した。


 「隊長……?」

 「ん……?」

 「戦争は、何時始まるんでしょうねえ?」

 「お前も、気になるか?」

 「そりゃあもう……みんなスロリア解放の瞬間に何時立ち会えるのかヤキモキしていますよ」

 「この分だと、その前に俺たちに帰国命令が下りそうだがな」

 「そんな……」


 と、グルノフス軍曹は苦い顔をする。そのときにはギュルダーは彼に背を向け、訓練の疲れを労うべく、彼らパイロットの憩いの場へと一歩を踏み出している。


 愛機から降り、整備員に引渡しの手続を済ませて彼の向かった先は、戦闘機の居並ぶエプロンの一角。そこでは折りたたみ椅子と巨大なパラソルとが用意され、個々に割り当てられた訓練時間が来るまでの短い間を、基地の戦闘機パイロット達はそこで過ごしていた。カードをしていたギュルダーの同僚たちが、歩み寄る彼の姿に気付き、呼び声と共に手招きした。


 「ようギュルダー、今日の狩りの成果は?」

 「二機殺してやったよ。もう一機殺してやろうとおもったが、そこで時間切れさ」


 と、何と言うこともないという感じの口調で、ギュルダーは椅子に腰を下ろした。


 「ジェス大尉殿におかれましては、日々の空戦訓練にさぞやご不満であらせられるようですなあ……」


 と、おどけた口調でカードを手繰るのは、レグス‐ルラ‐ガナス大尉だ。


 「不満も何も、ちょっとは刺激が得られるとは思ったが、ここに来てみても結局何も変わらん」

 「でも……本国と比べればここは天国さ。何せ、あの喧しい法規に縛られずに飛べるからなあ」

 「結局は……それだけじゃないか。俺たちは戦闘機乗りだぜ? しかも戦場にいるのなら、やるべきことがあるだろう」

 「ガナス大尉殿、ジェス大尉殿は空戦をやりたいんですよ」


 と、口を挟んだのはラプナス‐レ‐クラス中尉だ。飛行訓練を終えて未だ半年、そして基地に着任して僅か二週間。隊でも最年少で、独特の愛嬌を持つ彼は何かとパイロット達に目を掛けられる存在だった。


 「空戦だぁ? 当のニホン人に戦闘機があれば、それも夢じゃあないだろうな」

 「だが哀しいかな、あの野蛮人は戦闘機なんて持ってない。空を飛ぶ方法すら知っているのかも疑わしいぜ」


 パイロット達は笑った。純粋な悪意のなせる業ではなく、戦闘機乗りとしての自信と誇りとが、彼らに余裕を持った言葉を語らせていた。そんなとき、彼らの傍にゆっくりとした歩調で近付いてくる人影を最初に認めたのは、配られたカードの役の悪さに顔を顰めていたジェスだった。


 「お茶は、如何ですか……?」


 遠慮がちな声の主は、未だあどけなさを残した少女だった。ノドコールの民族衣装を纏った背は高く、形のよい顔の輪郭とも相まって育ちの良さを誰もに感じさせた。だがそれは、彼女が国を失った現在、何等意味を為さないものであったかもしれない。


 「お茶……如何ですか?」

 「…………」


 更なる問い掛けに、ジェスは黙ってテーブルの上を指し示した。それから、少女はお茶の準備を始める。


 出自の判らない流浪の身であった少女が、街角で一人のパイロットに見出されてここで働き始めて、すでに一年が過ぎようとしていた。誰に対しても心を閉ざし、無表情な彼女の過去に興味を持つ者は確かにいたが、ローリダに滅ぼされたノドコールの王族に連なる者であるという、根拠に乏しい風聞以上の実相を誰もが掴むことが出来ずにいた。それに日々の多忙な軍務の中、「取るに足りぬ劣等種族」のことなど、誰もが長きにわたり構っていられようはずがなかったのだ……そして何時しか、彼女はこの「憩いの場」の風景を為す一個の「部品」と化していた。


 ……勝負が一巡し、大勝ちしたガナス大尉がカードを配りながら(おもむろ)に切り出した。


 「最近、前線の飛行隊で奇妙な噂が流れているのは、知っているか?」

 「初耳だな。第一、ここも前線じゃないか」


 と、先程の勝負で少なからぬ額を巻き上げられたこともあって、ジェスは不機嫌そうに言う。


 「変なものが空を飛んでいるのを、見たって奴がいるらしい」

 「変なもの?……地上の野蛮人どもから見れば、我々の戦闘機は変な乗り物であるのは間違いないだろうが」

 「違う違う、見たのは我等が敬愛すべき同僚さ。そいつによれば、すごい飛行機が前線を飛び回っているのを見たそうだ」

 「すごい飛行機?……どんな飛行機だ?」

 「夜明け前だったんでよくわからなかったそうだが、異様に主翼の広い、でかい飛行体だったらしい。しかもそいつは垂直尾翼を二枚持っていて……我々の戦闘機より遥かに高い高度を飛び、遥かに早い速度で飛ぶ」

 「うちの司令部も怠慢が過ぎたな、何も敵がいないからって目が悪いやつを空に上げることはないだろうに……」

 「なあギュルダー、そいつを見たのは一人じゃないんだよ。フロスの部隊じゃもう三人も見ている」

 「……ニホンの戦闘機か?」

 「それは……判らん」

 「例え俺たちにはわからずとも、地上のレーダーぐらいには映るだろう?」

 「知り合いがレーダーサイトにいるが、そんな機影はただの一回も確認したことがないそうだ」

 「じゃあ……今から確かめてみるか?」

 「確かめる……?」

 「ああ……確かめるのさ」


 そう言って、ジェスは頭上に広がる蒼穹を睨んだ。不敵な笑みを浮べながら。


 「戦闘が近い今なら、多少の無茶も許されるだろうさ……」




スロリア地域内基準表示時刻11月02日 午前2時17分 スロリア亜大陸南方沿岸上空


 『――――まもなく、スロリア南方沿岸に到達します』


 後席の報告が、前席で操縦桿を握る身には頼もしく、それでいて無機質なものに聞こえた。照準器と連動したヘルメットを通して見る夜空を背景に、小刻みに動く飛行姿勢指示バーと縦横に連なる各諸元の数字が、強過ぎない緑色の光を彼の網膜に投掛けていた。


 地上の闇など、30000フィートの上空まで駆け上る頃にはその効力はとうに失われてしまっている。

周囲には幾重もの綺羅星が、自らの領域への闖入者に対し冷たい光を投掛けていた。

眼下に目を転じれば、重厚な層雲の絨毯が、地上と天空を隔てるかのように広がっていた。


 『――――敵地上空まであと七分……』


 後席の兵装システム操作員 室井 義人二等空尉の報告に、航空自衛隊第501飛行隊所属のRF-15DJ戦術偵察機機長 梶 源一郎三等空佐は、溜めていた息を一気に吐き出した。吐き出された息は酸素マスクの内壁で反響し、それは二人の聴覚を通し、解放された緊張を狭いコックピット内に否が追うにも伝播させた。


 RF-15DJは、航空自衛隊のF-15DJ複座戦闘機を改造した航空自衛隊の新鋭偵察機だ。RF-4ファントムの後継となるべく開発され、航空自衛隊唯一の戦術偵察飛行隊たる第501飛行隊において、全機の更新が完了したのは二年前のことだった。


 RF-15DJが従来型のF-15DJから大きく変更された点は、大きく三つに分けられる。

 第一に、機首のレーダーを新型のフェーズド‐アレイ‐レーダーに換装したことにより多数目標の探知、追尾能力が大幅に強化された。また、搭載レーダーは低空及び地上目標の捜査、探知能力も持ち、広範囲の偵察飛行に威力を発揮する。


 第二に、胴体両側にCFT(コンフォーマルタンク)を装備し航続距離が1000km以上延長されたことだ。これにより、RF-15DJの作戦行動半径は従来型のRF-4より飛躍的に拡大されるに至った。これに空中給油機の支援も加わり、航空自衛隊の戦術偵察能力は飛躍的に拡大された。


 第三の点は、前方監視赤外線(FLIR)及び下方監視赤外線(DLIR)はもとより、敵の索敵レーダー等の電波発信源を探知し、位置を評定する電波源探知システム(ELS)を導入したことにより、航空写真やレーダー画像に拠らない高精度な偵察能力を付与されたことだ。これにより、RF-15DJは全天候の作戦能力を保持するに至っている。また、新開発の戦術電子妨害システムを搭載し、攻撃作戦時には味方攻撃編隊の先頭を飛行し、敵の地上レーダーにジャミングをかけ攻撃を支援する役割をも付与されている。その上に、収集した情報をデータリンクによりリアルタイムで後方の基地に電送する機能も持っていた。


 そのRF-15DJがスロリア亜大陸上空に侵入し、隠密裏に情報収集飛行を開始して、すでに一ヶ月近くが過ぎようとしていた。


 臨時の展開基地たる航空自衛隊嘉手納基地を発進し、すでに三時間。その間南西諸島上空の会合点でKC-767空中給油機と会合(ランデヴー)し、その後は単機、偵察機はスロリア近海を北西へと進んだ。

 現在、スロリア上空では過密なまでの偵察飛行が行われていた。沖縄の基地からはRF-15DJの他、海自のEP-3C電子偵察機が発進し、安全な空域から電波、電子等の各種情報を収集している。空自もまた、ノイテラーネ空港に電子偵察機及びE-767|早期空中警戒/管制システム《AWACS》機を展開させ、二四時間態勢で情報収集活動を行っていた。


 当然、情報収集活動は空だけに留まらない。スロリア近海に展開した海上自衛隊潜水艦はすでにスロリア南方海域における「武装勢力海軍」の動静を把握し、本土においても、各地に設置された陸上幕僚監部直属の通信施設は積極的に機能し、終日スロリアに展開する武装勢力の通信を傍受している。それらの情報を照合、分析した結果、統合幕僚監部の情報収集部門はスロリアにおけるローリダ共和国陸、海、空軍の動静を短日時の内にほぼ完全に把握するに至り、そのためのあらゆる努力は依然継続中であった。


 ……そして現在。


 『――――ヒヨドリよりカゲロウへ、カゲロウを確認。カゲロウは敵地上空に入った。現針路及び高度を維持……貴機の周囲に現在脅威の存在は確認されていない』

 「……カゲロウ、了解(ラジャー)


 後席の報告ではない。「カゲロウ」ことRF-15DJは、ここから500km以上離れた空域でスロリア上空を監視するAWACSの支援を受けている。隠密侵入という観点から策敵レーダー波を出せない偵察機に代わり、AWACSはその優秀な探知能力を以て空域に存在する脅威を事前に察知し、安全な離脱ができるよう誘導まで行う手筈になっているのだ。その点に関しては梶三佐もまた、AWACSに全面的な信頼を寄せていた。すでに三回、梶、室井のペアは偵察飛行を成功させている。


 「……室井、ELSに反応は?」

 『……ありません(ネガティヴ)


 兵装システム操作員の室井二等空尉は、後席でELSのCRTディスプレイとコンソールに向き合い、敵より発進される電波の存在を探っている。これまでの経験から、あと三〇分も飛べば敵の地上部隊が展開する上空に到達するはずだった。


 「こちらカゲロウ……高度を下げる」


 通常、偵察飛行は三〇〇以下の高度で行われる。即ち、レーダーに察知されるのを防ぐため低空を飛ぶ必要がある。高度を上げれば、より広範囲を写真撮影できるが、レーダーに掴まり、最悪迎撃機を上げられるか、地対空ミサイル(SAM)を撃ち込まれる危険性もまた増す……あくまで、こちらの知識で予測を立てればそうなる恐れがある。


 ……だが、度重なる情報収集活動においても、「武装勢力」がSAMを保有しているという確たる情報は得られていなかった。かと言って無いとも言い切れない。


 梶たちの乗るRF-15DJは、航続距離を延伸するため両主翼及び胴体中央部に増加燃料タンクを装備している。これがジャミング任務ならば、増加タンクの代わりに最大三基の高出力ジャマー・ポッドを搭載することにより、RF-15EJは強力な電子作戦機と化すのだった。その上に胴体にはチャフ‐フレアー発射機はもとより自機防御用の小型ECMポッド、翼下ハードポイントには同じく防御用のAAM-5短距離空対空誘導弾を二発搭載している。それは敵の勢力圏にある上空を単機飛行する上で、これ以上望めない重装備ではあった。


 ミサイルの搭載を意識する度に梶は思う。何時の日か、こいつを使うような局面に陥ることがあるのだろうか?……と。


 ……否、遥か後方でAWACSが目を光らせている限りそれはないだろう。隠密性を何より重視する偵察機が敵機と遭遇し、さらには戦闘を交えるような事態をAWACS、さらに後方の司令部が許してくれるはずがない。梶もかつては第一線の戦闘機乗りだったこともあり、敵の戦闘機と一戦交えてみたいという気持ちは当然強かったが、それによって引き起こされる政治的な混乱を慮る冷静さもまた、持ち合わせていた。


 『機長……電波を探知。通信波と思われる。針路0-1-4……位置座標――――』

 「目標の種類は……?」

 『……発信源複数。おそらく大部隊と思われます』


 来たっ……反射的に、梶は慣性航法(INS)装置の方位入力用テンキーを叩いた。地形追随レーダーと連動した自動操縦装置は、急激な針路変更にも関わらず自機に安定した低空飛行を続けさせている。間を置かずして機は新たな侵入コースに入り、しきりに上昇と下降を繰り返した。


 地形情報を表示したCRTディスプレイに目を遣る。ディスプレイは、機が峻険な山岳地帯に差し掛かったことを示していた。従来型のF-15DJのコックピットパネルを一新し、グラス-コックピットの概念を多大に取り入れたRF-15DJのそれは、合計三つの巨大な多機能表示端末(MFD)を主軸に構成されている。


 『……目標到達まで、あと三分』


 と、イヤホンに室井二尉の抑制された声が響く。


 「赤外線カメラ準備……」

 『カメラ準備、完了しました』


 闇に馴れた眼前に、緩急自在な丘陵地帯が目を覆わんばかりの量感を以て飛び込んでくる。その瞬間、丘陵はものすごい早さで後方へと過ぎ去り、次の丘陵が眼前に出現する。


 ふと、全てを投げ出して操縦桿に噛り付きたい衝動に駆られるが、自己の本能以上に自分が操縦する機械への信頼が無ければ、現代戦を戦う戦闘機パイロットとしては失格だ。自己の勘以上に、計器類が空に於ける自己の状況を最も的確に知らせてくれるものなのだ。パイロットが飛行中に乗機の姿勢を錯覚する空識感失調(バーティゴ)など、その典型例と言えた。


 ――――そして、緊張が頂点に達したそのとき。


 『……赤外線カメラに目標を捕捉。野営地と思われる……大きい』


 報告が入ったときには、機はすでに水平飛行に入っていた。山地を抜けたのだ。


 『撮影に入ります……!』


 室井の弾んだ声もそのままに、梶は闇に覆われた眼下へと目を凝らした。垂直カメラ、側方カメラ、パノラミック・カメラ……RF-15DJが目標上空に差し掛かった瞬間、およそ機体に装備されたありとあらゆるカメラが作動し、神懸り的なまでの正確さでRF-15DJの航過する全ての地上の情景を写し撮って行く。それに対する地上からの反応は、水を打ったかのような静穏でしかなかった。偵察機は滑るように夜空を駆け、その見たいもの全てを電子の目に写し撮った。


 『―――撮影終了』

 「こちらカゲロウ、離脱する……!」


 そう言って、梶三佐はコックピットパネルの一点に目を凝らした。ミサイルや敵機の接近を示す警報装置は、今日の飛行でも沈黙を守っていた。任務初日や二回目の飛行では、それを僥倖であるかのように梶は感じたものだったが、三度も連続すればそれはもはや拍子抜けとともに受け容れられてしまう。

帰投針路を取るべく機体を翻しながら、梶三佐はふとコーヒーを飲みたい気分に駆られていた。だが、ここから数千キロを隔てた基地に帰り着くまでにもう一度、機は空中給油を受けなければならない。飛行の疲れか、神経を使う夜間の給油機とのランデヴーや接近動作のことを考え、やや悄然とする梶ではあった。


 「こちらカゲロウ……」


 梶が帰投の報告を口に出そうとしたそのとき―――――


 『――――ヒヨドリよりカゲロウへ、注意(コーション)……識別不明の飛行物体四機(フォーアンノウン)、低空で貴機の七時方向14nm(ノーティカルマイル)を東進中。至急1-7-8へ針路を取り(ステア1-7-8)接触を回避せよ(ブレイク)

 「…………!?」


 探知漏れか?……愕然とする梶を他所に、警告はなおも続いた。


 『飛行物体の機種判明……識別不明機(アンノウン)敵戦闘機(バンディッツ)と確認……敵機、急速に上昇中。至急、高度30000(エンジェル30)まで離脱せよ』


 操縦桿を引いた。その直後、今まで鳴りを潜めていた重力加速度という獣が、牙を剥いて此方へと圧し掛かってくる。耐Gスーツが反応し、万力のように梶の下半身を締め付け、全身の血液の下半身への逆流を防ぎ止める。それもまた、鋼鉄の猛禽を操る者には比べるもののない苦痛。


 「…………!」


 それらに耐えながら、梶は一気にスロットルレバーを前方に押し上げた。アフターバーナーに点火した機体は、矢の如き勢いでイーグルの巨体を夜空の高みへと押し上げる。優先すべきは、敵から距離を取ることだ。逃げられるべき時は逃げる、それが戦術偵察の鉄則だった。

 18000……24000……27000……梶のHMDヘルメットマウンテッドディスプレイの眼前で、高度計の数値が目まぐるしく上昇する。網膜と重なったベロシティベクター指標が、満天の星空へ機を導くかのように棚引く灰色の雲雲を飛び越えていく。


 それに見とれるのも束の間、幾重か雲海を突き抜けながら、梶はじわりとスロットルレバーを絞った。燃料を馬鹿食いするアフターバーナーの作動を続けるのは、今後のことを考えるとあまり賢明とは言い難い。HMDの表示する高度は、すでに30000フィートを越えていた。レーダー警報装置には、高度を上げることにより懸念した脅威の接近を告げる兆候は見られなかった。


 ―――――そして、梶は何気なく背後を振り向いた。




スロリア地域内基準表示時刻11月02日 午前3時24分 スロリア西部上空



 何だあれは……!?


 驚愕と共に凝らした視線の先には、インクを流したような夜空を背景に延びる一閃の軌条。

 竜の炎の如く赤く延びた光は、紛れも無いジェットエンジンの咆哮を示していた。遥かな高みへと延びるそれの勢いは衰える事を知らず、それがいっそう、遠方から眼にする者の驚愕、そして興味を掻き立てる。


 夜空を行く愛機レデロ―1のコックピットで、ギュルダー‐ジェスは戦慄にも似た感情に全身を震わせていた。昼下がり、前線を飛びまわる「幽霊」への些細な好奇心から仲間に持ちかけた訓練を名目とした「夜間飛行」。その初日で望む「幽霊」に出くわした幸運を噛み締める間も無く、ジェスは自らの追尾から離れ行こうとする光芒に圧倒されていたのだった。


 そのジェス機の脇では同じく、驚愕に襲われた同僚を乗せたレデロ-1がただ虚しく、光芒の消え行く方向に銀翼を傾けていた。


 『……おいギュルダー、見えているか?』

 「……」


 驚愕に続く放心が、ジェスから返事をする余裕を奪っていた。レデロ-1もまた「幽霊」を見つけるや機首を上げ、すでに雲雲の棚引く層を遥か眼下に見る高さにあった。


 『ギュルダー……!』


 叫ぶような列機の呼びかけに、ジェスは反射的に操縦桿を傾けた。それが合図だった。振られた主翼のきらめきを合図に、列機が前へ出た。


 「ラヴァス編隊よりフロス管制塔へ、所属不明の航空機を確認。照合を求む」


 ……数分の後、イヤホンは地上からの明瞭な報告を吐き出した。


 『……フロス・レーダーよりラヴァス01へ、所属不明機は此方の呼びかけに応じない。個体識別装置に照合機なし……直ちに撃墜せよ……!』


 来たっ……緊張から一点、躍る胸をそのままに、ジェスは「幽霊」を睨んだ。


 「レグス、賭けないか?……どちらが先に墜とすか」

 『それ……乗った』


 と、同僚たるレグス‐ルラ‐ガナス大尉の弾んだ声がイヤホンに入って来る。


 ジェスもまた、獲物を弄ぼうとする鷲になったつもりでほくそ笑んだ。笑みと共に全開にされたスロットルに反応し、レデロはぐんと加速した。アフターバーナーを10秒かけ、機銃発射ボタンをほんの二秒押し続ければ、全ては解決するはずだ。それまさに空を行く飛行機乗りの思考ではなく、野を駆ける狩人の目算だった。


 光芒は接近するにつれ、闇に馴れた肉眼の前で、翼を拡げた明瞭な機影になった。星々の投掛ける光をもろに浴びる夜の高空ならば、それを捉えるのに何等不都合はなかった。


 だが……鼻に付くくらいに前方に機体を寄せて来たガナス機の存在が、ジェスに照準を合わせるのを躊躇わせた。そのまま姿勢を変えないところを見ると、既に照準を合わせてしまっているところなのだろう。ほんの気の緩みから列機を先に行かせたのは拙かった……それに気付き、ジェスは舌打ちする。


 直後、ガナス機の機首が赤く煌き、漆黒の中へ数珠繋ぎの眩しい光を吐き出した。弾幕は撓り、目標の黒い影を僅かに掠めたようにジェスには見えた。


 その途端に機影がバランスを崩し、糸が切れた凧のように機首を下げた。一気に機首を下げ、ジェスはそれを追った。夜空で必中を期すべく距離を詰め過ぎたせいか、目標の急激な動きに反応できなかったガナス機より距離を取っていたことが幸いした。それでも、完全な闇の支配する雲海の下に達するまでに、獲物に止めを刺さねばならない。その時間が短いことを、ジェスは直感の内に悟っていた。


 それでもジェスには十分だった。ジャイロ式照準機の丸い照星の真ん中には銀灰色の雲海を背景に尾翼の無い、渡り鳥を思わせる奇怪な機影がより明瞭に浮かび上がっていた。ジェット機ではない……プロペラ機?……と、その瞬間ジェスは思った。これが幽霊の正体?


 ……だが、躊躇も一瞬の後。


 「…………」


 終わりだ……機銃の発射ボタンに充てられた指に力が篭った。


 吐き出された光弾は、微妙な曲線を描きながらも一連射で機影を錐揉みに追い込み、雲海に吸い込まれる直前で紅蓮の炎を発して爆発した。その直後、いきなりあらぬ方向から飛んできた弾幕を回避すべくジェスは操縦桿を引いた。血気に逸るもう一機――――ラプナス‐レ‐クラス中尉が、獲物を狙おうと勢い余った結果、ジェス機の針路上に射弾をばら撒いたのだ。


 「この馬鹿っ……!」


 上昇に転じた愛機のコックピットで、全身に圧し掛かる重力に耐えながら、ジェスは横目で地上へ引き込まれゆく光芒を見遣った。だがそのときには、光芒はおろか機影もまた既に消えていた。耐圧航空服を着用していなければ、今頃失神していたところだ。


 『ギュルダー……!』


 何時の間にか、傍にはガナス機が此方に付き添うように主翼を連ねていた。


 『大丈夫か?』


 小僧が……家に帰ったらたっぷりとヤキをいれてやる!

 その怒声を、ジェスは憤懣と共に胸の奥に押し込んだ。クラス中尉は、きっと墜ちゆく敵機を追って雲の下まで下りて行ったのに違いない。夜空を低空で自在に飛べるほどに、あいつの腕は未だ精妙ではない。


 「ラプナス!……追尾を止めてこっちまで上って来い。早く!」

 『……大尉殿っ……目標の墜落を確認。位置は――――』


 弾んだ声が、ジェスの中尉への返答だった。呆れ顔を隠さず、ジェスは続ける。


 「それは俺の獲物だ。お前には関係なかろう」

 『そんなぁ……自分も弾を撃ち込みましたし、墜落を確認したのも自分ですよ?』

 『何を言ってるんだ。おれが最初に弾を撃ち込んだから、まっさかさまに墜ちていったんだ。賭けは俺の勝ちに決まってるだろう?』

 「レグス、一番弾を撃ち込んだのはこの俺だぜ?」

 『だが、お前が弾を射撃できるように仕向けたのは、この俺だ』

 「ようし、帰ったらじっくりと話し合おう」


 やがて、確認を終えたクラス中尉のレデロ―1が編隊に合流し、三機は再び隊形を組み直した。それを見計らい、ジェスは再びマイクのスウィッチを押す。


 「ラヴァス編隊よりフロス管制塔へ、未確認機を撃墜した」

 『……こちら管制塔。了解した。ラヴァス01、貴隊は飛行コースを大幅に外れている。直ちに復航し、帰投せよ』


 少しは喜んでくれればいいものを……抑揚に乏しい、機械的な地上管制塔の声に、ジェスは口元を忌々しそうに歪めた。


 だが、地上では歓呼の声とともに我々を迎えてくれるだろう。スロリア上空で勃発した初の空戦の勝者たる我々を!……微かな期待を胸に、ジェスは編隊を雲海の涯と導くのだった。その先には、彼らの家たる空軍基地がある。




スロリア地域内基準表示時刻11月02日 午前3時27分 スロリア南部上空



 『……こちらヒヨドリ、貴機は既に危険空域より脱した。既定の針路を取り、帰投せよ』

 「周辺空域に異状はないか……?」


 何気なく口走った一言に、抑制の効いた報告が帰ってくる。


 『同空域を気象観測飛行中の無人偵察機が消息不明。撃墜された模様……』

 「…………」


 唖然として、梶は背後を振り向いた。だが漆黒に包まれた空では、既に過ぎ去ったことを目視で確認する術など無い。人命こそ失われなかったが、貧乏性の梶としては一機40億円とも言われる高性能偵察機が失われたという事実は、多少の痛痒をもたらす事実ではあった。


 「燃料は……?」


 燃料計の表示は、アフターバーナーのなせる業か目だってその数値を減らしていた。ふと、空になった燃料タンクを投棄したい衝動に駆られたが、地上に落とすことで偵察活動の存在を白日の下に晒す恐れと、スペアの調達費の馬鹿にならないことを考えれば、それは愚かな選択だろう。


 「……こちらカゲロウ……基地に帰還する(RTB)……!」


 安堵の息と共に、梶は帰投の報告を吐き出した。梶のペアは殆ど紙一重の差で敵機との遭遇を免れたが、明日出撃する他の一機が、今日のように成功裏にフライトを終らせることが出来る保証は、何処にもなかった。そして日を置いて再び出撃するであろう彼が、今日のようにフライトを成功させる保証もまた、なかった。


 『……まもなくスロリア亜大陸南岸上空を通過――――』


 室井二尉の報告。やや白みかけた夜空の高みに、梶三佐はHMDディスプレイのベロシティ-ベクターと本土で待つ家族の面影とを重ね合わせる―――――




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