▼行間 ▼メニューバー
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
The Islands War  反撃の章 作者:スタジオゆにっとはうす なろう支店
8/33

第六章 「続 ふたりの肖像」

日本国内基準表示時刻10月17日 午前9時37分 伊豆半島某所


 這うような低空飛行から一転。


 草原に響き渡る金属音の二重奏。


 『――――サクラよりドラゴンへ、降着(ランド)降着(ランド)降着(ランド)……』

 『――――こちらドラゴン、降着(ランド)了解……』


 鬱蒼と茂る密林を割るかのようなダウンウォッシュとともに、CH-47JAの巨体は、地上にその四本の脚を踏みしめた。同時に開かれた後部ハッチから、二名の普通科隊員が脱兎の如く駆け出し、屈射の姿勢で周囲に睨みを利かせた。


 やがて自らの周りに全くに人影が認められないのを確認し、隊員は89式小銃の照星を睨みながら、耳元のインカムに叫んだ。大声を出さないと、烈しいローター音に遮られてしまう。


 「グラウンド‐オール‐クリヤー」


 直後、胴体から猛烈な勢いで武装した隊員が駆け出し散開する。全員が緑、土、黒と多様な色の入り混じった迷彩服を着、その上にさらにケヴラーのヘルメットとチョッキ、そして武器弾薬を収めた装帯(ハーネス)を纏っている。顔にもまた、黒、緑とおどろおどろしい色のドーランを塗りたくっている。


 手にする武装もまた、陸上自衛隊制式の89式小銃からMINIMI軽機関銃、さらにはカール‐グスタフ携帯対戦車無反動砲、01式軽対戦車ミサイル発射機(MAT)と様々だ。これだけの装備を身につければ、どんなに華奢な体躯の人間でも、何か空想世界に出てくるロボットのような、おどろおどろしい姿へと外見を一変させてしまう。


 口径5.56㎜、重量3.5kg。単発、連発の他三連射を行える三点バーストの機構を持つ89式小銃は、おそらくこの世界でも最高水準の歩兵用小火器であろう。だが、その強化プラスチックを多用した銃身は、スロリアで文字通りに命を預けた六四式小銃に馴れた高良 俊二陸士長には、何となく馴染めずにはいた。


 ヘリを出るや否や、俊二は草の香り漂う中を密林へと駆けた。ヘリから脱するや、短い時間内にヘリから離れ素早く散開を終えねばならない。頭から草むらに飛び込み、伏射の姿勢で銃を構えた俊二の耳に飛び込んでくるのは、彼に続き草むらを駆ける複数の足音。瞬きする間も無く、隊員達は俊二と同じ姿勢で展開を終える。匍匐全身で彼の傍らに来た一等陸士と、俊二との眼が合った。


 隊員を吐き出し終えたCH-47JAのローター音が高まる。烈しいダウンウォッシュに耐えながら、俊二はひたすら前方に眼を凝らし続けた。やがてヘリはゆっくりと地上を離れ、草むらや木々を薙ぐダウンウォッシュが次第に収まっていく……遠ざかるローター音のもたらす静寂の後に続くものを思い、銃身を握る手に力が篭る。


 無言のまま、俊二は拳を上げた。一斉に立ち上がった隊員は、そのまま大地を踏みしめ、何時果てるとも知れぬ行軍へと身を委ねていく。


 『――――チャーリー、状況知らせ……』

 「こちらチャーリー、異状なし」


 左耳から延びるインカムに、俊二は囁いた。彼は今や、八名の隊員を率いる分隊長となっていた。スロリア有事に備えた法改正により、予備役や予備自衛官の多くが招集され、一般自衛官と同等の扱いを為されるようになった結果、各隊の定数は増え、それに伴い分隊の数も増えた。従って、分隊~小隊を率いる陸士長~一等陸曹クラスの下級指揮官の需要もまた増えた。


 元来、自衛隊は軍隊社会では中堅層に当たる曹クラスの階級が最も多く、全体の半分を占めるという歪な兵力構成をとる軍隊である。それは慢性的な人員不足に陥りやすい反面、特に陸上自衛隊においては急速な戦力拡充に対応できるという利点を持つ。


 ……だが、それが現場に歓迎されているかといえば、そうでもない。


 少数精鋭という側面を持つ自衛隊において、予備自という一般とは練度の違う隊員の大量流入は、訓練や動員計画に少なからぬ齟齬を引き起こしていた。もともと過酷な訓練に晒される機会の少ないこうした予備戦力の練度を急速に引き上げ、作戦行動に適応可能な状態にするまでには、まだまだ時間が必要だったのだ。



 部隊は黙々と歩き続ける。


 日差しはとうの昔に、鬱蒼と茂る木々に遮られ、地面に届くのは僅かな光のみ。


 闇と光が混沌と渦巻くそのような環境で、通常の軍装の上に蔦やススキを纏った身体では、森に溶け込むことなど造作もない。馴れない者だと、近くを歩く味方の存在すら気付かないことがある。それぐらい、陸自では欺瞞や擬装が徹底されている。


 生気の失せた眼で歩きながらも、緊張を覚えている俊二がそこにはいた。


 伊豆の山々は、元々陸自でも最精鋭のレンジャーにとって、修練の場であり、庭のような場所だ。そのレンジャーを山中に潜む敵勢力に見立てた掃討作戦が、今回の演習で俊二たちの隊に与えられた任務だった。レンジャーは手強く、俊二の小隊はこれまでの模擬戦闘で全敗を強いられている。これは別に俊二の隊だけではなく、他の隊の成果も似たようなものだ。むしろ対抗部隊たる普通科教導連隊が強すぎるのである。


 地面を踏む長靴が枝を折る音が、冷気漂う山中では乾いた響きを立てて四方に伝わっていく。


 俊二の隣、MINIMI分隊支援機関銃を抱えて歩く隊員の吐く息は白く、それだけが辛うじて彼の存在を判別する術となっていた。冷気は例年にない早さでこの山中にまで浸透の手を延ばしている。


 「…………」


 何気なく、俊二はインカムの先端を抓んだ。通信機は上空に待機するCH-47J指揮統制機と繋がっている。その指揮統制機は後方に布陣する「サクラ」こと統合作戦センター(JOC)に、前線の各部隊から報告されるあらゆる情報を集約して伝え、JOCはそれに基づき作戦に関する判断を下すのだ。戦況を俯瞰しうる上空を通し地上の各普通科部隊を指揮統制する方式は、アーミッド戦で試験的に採用されて以来、主に第12、11旅団といった空中機動部隊でその運用が推進されていた。ちなみに、今次演習時の指揮統制機のコードネームは「キキョウ」だ。


 「チャーリーよりキキョウへ……情報が欲しい。送れ」

 『―――こちらキキョウ……各隊とも敵との接触はない』

 「チャーリー……了解」


 分隊は、森の奥へと一層分け入っていく。


 拡げた地図とコンパスは、現下の針路に間違いがないことを示していた。


 分隊の総意として、正面から対抗部隊とぶつかるような事態は避けたかった。だから対抗部隊を撒くための韜晦針路は事前に徹底して検討している。あと二時間何の問題もなく進めば、分隊は収容部隊のヘリの待つ盆地へと無事に辿り着けそうだった。


 「どうやら、今度は無事に行けそうですね」


 と、分隊員の松中 建斗一等陸士が言った。今年で19歳になる彼は、俊二と違い高卒の志願入隊だったが、不思議と俊二とは気が合った。兵士としても優秀な男だ。ひょっとすれば、中学、高校と空手を続け、全国大会の上位まで行った彼の個人としての戦闘能力は、俊二よりも上かもしれない。


 「うん……」


 頷いたところで、俊二は顔を曇らせる。


 「どうかしましたか……?」

 「他の隊が掴まったら、結果は同じだしね……」

 「……そうですね」


 と、松中は苦笑した。俊二の心配性に、内心で辟易しているのかもしれない。


 『……キキョウよりチャーリーへ、ブラヴォが敵と接触、交戦中。増援に急行せよ……位置は――――』


 空電混じりの報告が、俊二の心臓を僅かに震わせた。反射的に見遣った地図は、敵の位置がこちらからそれほど離れていないことを示していた。指揮統制機は、戦闘地域から最寄の分隊としてこちらを指定してきたのだ。


 「前進……見張りを厳に……!」


 俊二は手を上げた。


 分隊は、歩を早めた。


 早足は、やがて疾走となった。


 目指す先は敵の後背。上手く行けば挟み撃ちに出来る……はずだ。


 ハァ……ハァ……ハァハァハァ……


 銃を抱え、重い装具に身を包まれながら、荒くなる息はなにも疲労のせいではなかった。緊張と恐怖が、彼らの呼吸を早めていた。


 荒い息遣いもそのままに、俊二は後背を見遣った。分隊の最後尾、重い無反動砲を抱えた大柄な村田 正一等陸士と眼が合う。


 「…………」

 『大丈夫……』と、村田はギョロつく目で言っていた。

 「敵襲っ……!」


 松中の声に張り倒されたかのように、分隊は一斉に伏せた。

高台の茂みからの小銃音が、その後に続いた。


 MINIMI……? と俊二は銃声を聞いた。


 乾いた発砲音の次に、ピー……という甲高い電子音。射撃と同時に敵の銃から照射されたビームが、誰かの受傷判定装置(バトラー)に反応したのだ。


 上か!……上を向いた俊二の視線からやや遠く、高台の茂みに、枯れ枝に彩られたブーニーハットが二つ蠢いていた。


 俊二は撃った……一発……二発……三発!……空砲を放ち、きつい火薬の匂いを嗅ぐ内に、つい数秒前の気だるい雰囲気は跡形もなく消えていく……


 茂みから放たれたもう一斉射に、さらに電子音が重なる。


 「こちらチャーリー……敵の待ち伏せに遭っている」

 『……チャーリー、君の隊が一番近い。伏撃を突破し、何としても救援に向かってくれ。ブラヴォは壊滅寸前だ』

 「……了解!」


 応答しながら、俊二は村田一士の傍までにじり寄った。そして肩を叩く。


 「一緒に来い」


 ……そして、分隊最先任の松中に目配せする――――それだけで、二人の意思は通じる。


 「分隊長を援護っ……!」


 松中の声に送られ、俊二と村田、そして装填手の西野二士の三人は、木々に身を隠しながら丘陵を登った。そして敵に気付かれないまま、敵の潜む茂みの側面に回りこんだ。


 「準備よしっ……」

 「…………」


 無言のまま、俊二は村田のヘルメットをごついた。


 カール‐グスタフが唸り、その砲口と後方から火焔を吹き上げた。もちろん、これもまた空砲だ。


 耳を劈く轟音!……数刻を経ずして、バトラーに死亡判定を下された二人の敵手が手を上げて茂みから進み出る。彼らには目もくれず、俊二は援護に回った分隊を省みた。


 「損害はっ……!?」

 「一名死亡。一名頭部に軽傷。もう一名……足に重症です」


 確かに、個々のバトラーの被弾状況表示端末は、「トウブ ケイショウ」「キャクブ ジュウショウ」の文字をそれぞれに表示していた。ちなみに、こうした被害状況は兵員間のデータリンクですぐさま後方の統裁部へ電送され、今後の反省材料となるのだ……それはまさに、電子環境の下で繰り広げられる仮想の戦争。


 「チャーリー……敵の掃討を完了。これより援護に向かう。一名死亡。二名負傷」

 『チャーリー……ブラヴォは全滅した模様。敵の待ち伏せに注意せよ』

 「…………!」


 舌打ちし、俊二は命令を下した。


 「二名残れ、あとは掃討に向かう」

 「了解……!」


 分隊は、再び歩を進める。


 大量に分泌されたアドレナリンが行き場を失ったかのように心臓に集中し、胸を裂くような鼓動を一層高めていく。かつては登るのに難渋した山道を自分でも知らないうちに軽々と踏破し、下りを滑り降りた先に、俊二は敵を見た……木の葉を敷き詰めたようなギリースーツに身を包んだ、木のお化けのような敵を。それは一人ではなかった。


 敵は、待ち構えていた。木陰から複数の火線が瞬いた直後に複数の電子音が鳴る。銃声は、下方だけではなく分隊の後方からも煌き、破滅へのビームを俊二たちに注ぐのだった。

銃声と電子音の交差する中で、俊二は撃った。敵を挟み撃ちにするつもりが、こちらが挟み撃ちに遭っていることに苦笑する暇などなかった。


 ―――――一士、死亡。


 ―――――二士、戦闘続行不能。


 ―――――二士、重症。


 続々と飛び込んでくる味方の被害に震え、怒りつつ弾倉をまる一本空にした直後、俊二のバトラーが不快な唸りを立てた。はっとして眼を遣った先で、判定装置の端末が破滅的な一文を俊二の眼前に突き出していた。


 ―――――キョウブカンツウ シボウ


 『――――こちらショウブ。チャーリー分隊は全滅……分隊は現場に待機し、指示を待て』


 被害状況が伝わるのは統裁部の方が早く、こうして非情な宣告がインカムに入ってくる。

俊二は嘆息し、圧し掛かってくる脱力感とともに、木に凭れかかった。




ローリダ国内基準表示時刻10月17日 午前10時11分 首都アダロネス市内 アダロネス港


 「――――お父様へ

 抗い難い献身の発露への衝動から、私は再びスロリアの地を踏むことを決心するに至りました。私は更なる不孝を重ねることとなりますが、もはやお父様には、更なる身勝手を許していただこうとは思っておりません。ただ私は、今次の戦役の帰趨を私自身の目で直に見届けたいと思ったのです。

どうか女だてらに出すぎた真似を……とは思わないで下さい。私にもローリダ市民として、国家の命運の掛かった戦争に参加する権利があります。あなたの娘は、その義務感と彼女自身の自己責任において、危険な戦地に向かうのです。


 ……お父様? いままで私は、貞淑なるローリダ女性の鑑となるようお父様やお母様に躾けられ、諭されてこれまで育ってきました。私もまた、そう振舞うようこれまでを生きてきました。お父様、どうか願わくば、私に今一度躾けに背く暇をお与えください。前線の試練を経て、母なる祖国に帰ってきたとき、もはや私は永遠に、かくのごとく振舞うことを放棄するでしょう。これが最後の機会です。


 ――――戦勝祝いの歓声渦巻くアダロネス港の埠頭にて」


 一層盛り上がる群集の歓声に、リーゼ‐タナ‐ランはノドコールへと向かう貨物船の船室で走らせていた筆を置き、舷窓を見遣った。埠頭から高らかに響き渡る軽快な行進曲には、聞き覚えがあった。戦地へ赴く将兵を送る「栄光の共和国国防軍」の歌だ。


愛国の志高く 我ら行く

その手に執る銃 騎兵刀

我ら圧制に抗し 愛する者を護らん

我ら野を征き 敵を打ち砕かん

武器を執り赤竜の軍旗の下に集わん

勝利の栄光を掴むため 我らは征く 地の果てまで

神の愛を戦場に抱きて 神の威光を知らしめん


 群集の唱和は、船内にまで壮麗な響きを伴って聞こえてくる。煩わしげに手紙に封をしたタナの部屋に、一人の人影が駆け込んできた。


 「お姉さま、少尉さんたちが来るよ」


 と、今回の旅立ちを見送りに来てくれた従妹のユウシナ‐レミ‐スラータが言った。もちろんタナの両親にも、彼女の両親にも内緒の上での話だ。手紙を取り、タナは立ち上がった。


 「さあ、ユウシナ、行きましょう」

 「うん……!」


 役場の従軍看護婦募集窓口に赴くよりも、そのまま現地へ向かい入隊する途をタナは選んだ。国内で英雄扱いである現在、半ば押し掛け状態でもなければ自分の志望を取り合ってもらえないし、本土と比べて入隊を大々的に扱われずに済むと彼女なりの考えがあったからだ。そしてタナは、ユウシナにだけ自分の決意を打ち明けた。ユウシナは、彼女の両親に黙って見送りについて来てくれた。


 上甲板へと登る途上、そのユウシナが言った。


 「お姉さま……本当に、いいの?」


 心配そうな顔で自分を見上げるユウシナに、タナは微笑みかけた。


 「大丈夫、絶対に生きて帰って来るから。それよりユウシナ 学校は?」


 全寮制の学校に通っているユウシナは、すでに休みが明け学校にいなければならない時期でもある。その後に待ち受ける懲罰を思えば、タナとしてはユウシナの勇気と決心に感銘を受けざるを得なかった。


 「お姉さまは、お姉さまのことだけ考えていればいいんだよ。タナお姉さまの決めたことなら、神様が反対したってユウシナは応援するんだから」

 「…………」


 強がりとも取れるユウシナの言葉に、タナは目を僅かに緩ませた。勢いよく駆け上がったタラップの先、上甲板ではすでに乗客の大半が鈴なりになって埠頭の喧騒に見入っていた。舷側の齧りつく人々を押し分けたタナの視線の先で、輸送船に乗り込まんとする近衛騎兵連隊の将兵が行進し、見送りの群集の祝福を受けていた。


 国旗と並び、隊列の先頭に高々と掲げられる深紅の連隊旗。


 その場に集り、そして居合わせた人々の高揚感と一体感とを煽る軽妙な行進曲。


 趣向を凝らした派手な服装に身を包み、曲芸をしながら隊列の周りを取り巻く道化たち。


 神の名を唱え、万歳を叫ぶ人々……場の熱狂は一気に沸点に達し、埠頭を吹飛ばそうかという勢いだ。


 やがて、タナとユウシナの眼前で隊列は止まった。程無くして一人の端正な容姿の高級士官が隊列の横に進み出る。近衛騎兵連隊長デナクルス-イ-ファ-タナス大佐だ。


 「左……!」


 先任士官の号令に、隊列が一斉に二人の眼前で彼に向き直った。中隊副官として列の先頭に立つ騎兵少尉オイシール‐ネスラス‐ハズラントスの姿を見出した時、タナは微かな緊張に頬を引き攣らせた……が、当人はタナに気付く様子がない。ネスラスはといえば、ただひたすらに、彼の上司に着目するばかりだ。


 「連隊長訓示……!」


 形のいい口髭を扱き、軽く頷くと、大佐は第一声を放った。


 「名誉ある出征への餞の言葉を、諸君らはすでに聞き飽きるほどに聞いたと思う。だから本官としてはこの期に及んで諸君らに何も言うことはない。従って、この際述べておくことは現地に於ける注意に留めておく。


 諸君らは全国民を代表して戦地へ赴き、共和国の命運を賭け悪辣なるニホン兵と干戈を交える身である。従って戦地においては、諸君らは本土に在る以上に共和国軍人としての節度に身を委ねなければならない。先ず、女を買ってはならない。そして、現地の水及び食べ物を安易に飲み食いしてはならない。現地の種族とむやみに誼を通じてはならない……これだけは本官に約束してもらいたい。戦は来年の春先には終わり、諸君らは国民の歓呼の声に包まれて再びこの港に凱旋を果すであろう。上官として命令する。諸君ら、栄誉ある近衛騎兵連隊の諸君らには、戦争に勝利し、赫々たる武勲を立てるであろう諸君らを本土で待つであろう諸君らの大切な人々のためにも、穢れなき身体で生きて本土の土を踏んでもらいたい。それこそが、何物にも勝る諸君らの祖国への最大の献身である……では、乗り込め!」


 タナのいる船の手前に泊まる、二周り巨大な輸送船が、連隊の乗り込むフネだった。その舷側では野砲や軍馬など、連隊の作戦に必要な装備や物資の積み込みがすでに始まっていた。


 「前進……前へ!」


 号令一過、一糸乱れぬ行進に取り掛かった連隊の中、何気なく視線をめぐらせたネスラスと、貨物船の舷側から進み行く隊列に眼を凝らしていたタナの目が、一瞬合った。


 「…………!?」


 信じられないものを見たかのように見開かれたネスラスの蒼い眼を、タナは慌てて逸らすようにする。不意に沸き起こった汽笛に急かされる様にタナは、過ぎ行く隊列に見とれていたユウシナの肩を軽く叩いた。


 「ユウシナ、もう出港の時刻だから……これをお願い」


 と、したためたばかりの手紙を握らせる。ユウシナは真剣な目つきでタナに向き直った。


 「……お姉さま? 無茶しては……駄目だよ」


 タナは大きく頷いた。旅立ちは、無情にも迫っている。




日本国内基準表示時刻10月17日 午後1時17分 伊豆半島某所


 密林を脱し、薄暗さに慣れた眼には、降り注ぐ陽光が怒涛の如く感じられた。


 ヘルメットを脱いだ頭に、俊二はスポーツドリンクの入った1.5リットル瓶を一気にひっくり返した。


 顔面全体に1.5リットル瓶から振り注ぐスポーツドリンクの甘さを感じるとともに、染み付いた火薬の臭いが洗い流されていくのが感じられた。飛び散る飛沫が日光を反射し、戦闘服に覆われた俊二の身体を彩った。頭を振って飛沫を払いながら、生気の戻った眼で俊二は周囲を見回す。皆はすでに戦闘糧食の封を開け、水で戻したアルファ化米をかっ込み談笑に浸っていた。


 再び、見上げた空の上には低空を飛ぶUH―1Jの機影。ローターのばら撒く気流が、汗を流し終えた肌には心地良かった。航過の瞬間、胴体の日の丸が俊二の眼には鮮やかに飛び込んでくる。


 思う存分にスポーツドリンクのシャワーを浴びた後、残りを飲み干す俊二を呼ぶ声がした。分隊員の松中一士だった。


 「分隊長、こっち、こっち」


 俊二が眼を細める先では、訓練を終え、束の間の休養を満喫する分隊員が車座になって遅い昼食を取っている。ボディアーマーを脱ぎ、俊二は小走りに車座へと駆け寄った。村田一士が煮立ったレトルトの袋を取り出し、中の惣菜を飯盒に盛った米飯にかけた。即製の親子丼の彩りと香りに食欲中枢が反応し、本人の意思とは関係なく腹が鳴る。


 「隊長、どうぞ」


 と、村田は親子丼を差し出す。口に運んだ途端に広がる貴重な塩気に、頬が歓喜に震えるのを俊二は感じた。その震えに耐え、飯を飲み込んだときの安堵感は何物にも変え難いものだ。


 黙々と飯をかっ込む俊二を他所に、隊員たちは話を始めていた。


 「さっさとこんな訓練は終わりにして、早くスロリアにでも行けねえかなあ……」

 「おれは嫌だね。ここなら負けてばっかりでも、死なずに済む」

 「スロリアに行っても、戦争やるとは限らないんだぞ」

 「どっちみち、戦争になるさ。このままやられっぱなしでいいのか?」

 「政府は交渉をやるって言ってるけどなあ……」

 「交渉の時期なんか、もうとっくに終ってる。ヤクザの喧嘩に喩えれば、こっちはもう頭の(タマ)()られてるんだ。反撃しなきゃあ、世間からも、他の組からも舐められる」


 松中が苦笑する。


 「オイオイ……乱暴な例えだなあ。ねえ、分隊長」

 「ん……?」


 飯盒から頭を上げ、俊二は松中を見返した。きょとんとした表情が、不意に隊員達の笑いを誘ってしまう。


 「分隊長はどうです?」

 「何が……?」

 「戦争についてですよ」

 「そりゃあ……ぼかぁ基本的に戦争反対、平和主義だよ」


 分隊員はまた笑った。俊二の言葉を強烈な冗談と受取ったのかもしれない。


 「分隊長、ボケは無しですよ」

 「ボケてなんかいない……」

 「じゃあ、何で分隊長は隊に残ったんですか……?」

 「何でかって……忘れ物を、してきたのさ……向こうに」

 「忘れ物って……何かカッコイイ言い方ですね隊長」


 村田が笑顔で俊二の背を叩いた。すかさず他の隊員も彼を囃し立てる。俊二としては、この少年の雰囲気を残した若者達を慌てて宥めるしかない。だが彼らもまた、一度命令が下れば、その小さな背中に国家の命運を負って戦いに赴かねばならない立場にある。


 スロリアで分隊長が体験した全てを、分隊員たちは彼の話から知っていた――――――但し、話の端々にタナとの出会いは伏せてあったが。


 それでも特に、俊二の所属していた分隊が壊滅した時の話、その後の救出されるまで続いた執拗な追撃の体験談から、皆はローリダ軍という未知の敵に、胸を震わすような敵愾心を覚えたようだった。また、村田一等陸士は海保職員だった父をスロリア沖で殺されている。普段温厚な彼も、その話が出ると人柄が一変してしまう。


 「おれはあいつらを許さない。戦争になったらローリダ人を殺して殺しまくるんだ」


 と、皆がギョッとするようなことを言う。同じような目に遭わされたとはいえ、それを聞くのは俊二には実のところ辛い。


 「皆の様子はどうか?」


 と、落ち着いた感じの声が遠くから聞こえてきた。周囲のざわめきが、先刻までとだいぶ趣の変わったものとなるのに、時間はかからなかった。俊二たちが振り向いた先に、俊二の属する連隊の指揮官が車座になる彼の部下に声を掛けていた。第2普通科連隊長の佐々 英彰 二等陸佐だ。現統合幕僚長と同じく一般幹部候補生出身だが、その風貌は最盛期真っ只中にあるプロ野球の熟練選手のような、溌剌とした生気に満ちている。さらにはその高潔な人格には誰もが敬服を覚えている。部下を伴って隊員を労う佐々二佐の笑顔に、俊二は思わず眼を細めるのだった。


 「オイ見ろよ、大山曹長殿もご一緒だぜ」


 と、松中が促した先、佐々に付き従う男に、未だ拭い難い緊張を感じ取る俊二だった。名は大山 寿信 当年52歳。階級は陸曹長。連隊では最先任の曹である。一瞥して、これほど鬼軍曹という表現が似合う人間も珍しかった。


 隊に籍を置くことすでに34年。背は高く、年齢を感じさせないほど上半身から引き締まった腰にかけて、見事な逆三角形を形成していた。赤銅色の肌は潅木のようにささくれ立ってはいたが、未だ魁偉な筋肉を宿している。短く刈り込んだ頭髪にもだいぶ白いものが混じり、それが一層歴戦の勇者然とした精悍さを際立たせており、そして分厚い胸板には普通科の徽章と共に、陸自最精鋭の証でもあるレンジャー徽章が鈍い光を放っていた。「転移」前後にわたる実戦経験の豊富なことも然ることながら、柔道、剣道、空手、少林寺拳法、さらには銃剣道と徒手格闘術合わせて30段という強者中の強者だ。確かに、こういう人間が隊にいれば心強い。


 だが部下上官を問わず対する者に対し厳格で、孤高な性格の持主としても知られ、以前、営庭でかちあった俊二が恐る恐る敬礼でもしようものなら、「何処の若造だ」と突き放すような眼で一瞥され、ぶっきらぼうに答礼されたものだった。他にも隊規違反や怠慢のかどで彼に散々絞り上げられた隊員が多いこともあって、皆が彼にはいい感触を持っていない……確かに、彼が軍隊という組織に必要な種類の人間であることはわかるのだが。


 佐々連隊長が、俊二の隊へと近付いてきた。慌てて腰を上げようとする俊二を、佐々は手を上げて制する。


 「高良陸士長、そのまま」


 吹けば飛ぶような陸士長でも、その前歴からか俊二の名は、多少は連隊内でも知られている。そういう意味では、俊二は連隊長の「覚え目出度い」位置に居る。


 「訓練では、散々だったな。私も残念だ」

 「はい……なかなか勝たせてもらえません」


 と、俊二は赤面した。佐々は笑った。決して、悪意ある笑いではなかった。


 「それは何処の隊も一緒だ。教導が手も無く負けるようでは訓練の意味がない。かと言って手を抜くのも、駄目だぞ」

 「はい……!」


 満足気に頷き、踵を反す佐々を、俊二は躊躇いがちに呼び止めた。


 「あのう……連隊長」

 「何かな?」

 「戦争は……近いのでありますか?」


 佐々は眉を顰めた。悪いことを行ったかな……と、俊二は内心で後悔する。


 「それは……政府次第だろうな、我々のどうこうできる問題じゃあない。だが……」

 「…………?」

 「何につけ、平和なのが一番いいさ」


 淡々とした口調が、俊二に情勢の、これ以上の斟酌を躊躇わせるのだった。




ローリダ国内基準表示時刻10月17日 午後2時12分 アダロネス港外


 碇を上げた船がまどろっこしい船足で波間を割り始めて一時間近くが過ぎようかという頃、船は一つの岬に差し掛かる。


 「ロンモール岬」または「ロンモールの乙女」と、ローリダより船旅に赴く者、そして長い船旅から母国ローリダに帰り着かんとする者は、岬をそう呼んでいた。その由来ははるかな昔、ロンモールという名の一人の女性が、長い船旅に出たまま還らない恋人をその生の果てるまで岬に立ち待ち続けたという挿話に基づいている。それ以来、岬はアダロネス沿岸を母港とするローリダのあらゆる船乗りにとって信仰の対象となり、今では岬の先端には白亜の処女像が建立され、遥か先の水平線に向かってその視線を注いでいる。


 出入港の際、船乗りや船の乗客はその処女像に一礼して航海の安全を祈り、また無事な航海に感謝の念を示すのが海の慣わしだった。

 ――――そしてタナもまた大勢の例に漏れず、かつて両親に無断でスロリアへ飛び出した際も、そして再びスロリアへ赴かんとする現在も、手を合わせ岬へ祈ったのだった。


 「…………」


 声にならない声でタナは呟く……神様、どうか戦争が起きません様に。私の不安がどうか、杞憂だけで終りますように……


 前線に飛び込む身でありながら、戦争の再開を願わないというのは確かに矛盾した感情であるのかもしれない。だがタナには、その矛盾をどう説明してよいものか判らなかった。ただ彼女は、彼女自身の主観と直感から為る予感にのみ突き動かされ、前線へ飛び込む決心を固めたのだった。そして万が一、その予感が的中した瞬間に、彼女は当事者の一人として立会い、そこで繰り広げられる一部始終を見届けたかったのだ……喩え自分の身が傷付き、命を落とすことになろうとも……


 「…………」


 ……瞑目を解いた瞳の先に、併走する大型輸送船。それは紛れも無く、ネスラスの属する近衛騎兵連隊の将兵を乗せた船だった。心なしか、船足が早まったようにタナには感じられた。甲板上では、制服の深紅も眩しい近衛騎兵連隊の将兵が鈴なりになり、こちらに向かって手を振っていた。それに応えるように、タナの船からも歓声が上がる。


 船は二隻に留まらず一隻、また一隻と眼の届く距離に現れ、やがて一個の巨大な船団となった。それらを取り巻くように現れた、一般の船とは趣の異なる特徴的な船影……「海軍だっ……護衛の海軍だっ!」と、安心感からか誰かのはしゃぐような声が甲板上に響き渡る。その光景だけでも、今次の戦役に賭ける軍や政府の意気込みが伝わってこようというものだ。


 「見ろっ…………!」


 一人の乗客が指差した上空を、ジェット戦闘機の八機……否、十数機編隊が重層的な陣形で一直線に船団の向かう方向へと空を駆け抜けていく。決して見送りではなく、こちらと同じく命令を得て前線へと向かう空軍機の編隊だった。


 「これだけの大軍がスロリアに向かえば、ニホン人も腰を抜かすだろう」

 「馬鹿な連中だ。低文明種族の分際で我々に戦いを仕掛けようというのが、そもそもの間違いだったのさ」


 ニホンが戦いを仕掛けた――――――誰もが口にし、テレビや新聞でも当然のことのように伝えられているその言葉を、タナはもはや全く信じてはいなかった。そしてニホン人が、此方よりも遥かに野蛮で、低文明な種族であるということをも……そもそも、文明というものは優劣の観念で測ることができるものなのだろうか?


 ……ふと、タナは思った。


 彼……シュンジはいま、何処で何をしているのだろう?……潮風に煽られる金髪を庇いながら、タナは空を見上げた。


 彼女の蒼い瞳の先、雲ひとつない深みのある空の蒼が広がっている。




日本国内基準表示時刻10月17日 午後2時35分 伊豆半島某所


 ―――――青空の下


 冷たい木洩れ日は、密林を駆け抜けた先で暖かい日差しとなった。開けた草原一帯では、着陸を終えたCH-47JA十数機が、その長大なローターを回転させながら隊員達を待ち構えていた。軽快なホバリング音とともにその上空を舞う直援役のUH-1Jからは、74式機銃を構えた銃手がその砲口と共に眼下の地上を睨んでいた。


 「急げーっ……!」


 CH-47JAの巻き起こす強烈なダウンウォッシュの嵐に腰を屈めて抗いながら、俊二は草むらを駆けた。列を為して草原を駆け抜ける隊員の姿を取り巻くように枯れ草や落穂が軽々と舞い上がり、そして溢れんばかりの日差しを乱反射させ、転地機動の一コマを幻想的なまでに彩るのだった。

搭乗整備員の誘導に従い、隊員の人影が続々とCH-47JAの太い胴体へと飲み込まれていく。


 「……二班、全員収容完了!」

 『ドラゴン02……これより離陸する……!』


 ローターの羽ばたきが急激にその間隔を狭め、機体がぐっと軽くなったように搭乗した皆には感じられた。窓から見える隣の機は、すでに機首を浮き上がらせかけていた。


 そして……俊二の分隊を乗せた機もまた、浮き上がった。


 完全に飛び降りられない高度にまで達したチヌークの窓に、俊二はさり気無く眼を遣った。地上に在ったときには眼の高さまであった草むらはすでに消え、その高度からは朱に色付いた稜々たる箱根の山々、さらに眼を凝らせば富士山の透き通るような碧を伺うことが出来た。


 「スロリアって、どっちの方向だっけ……」


 と、松中が何気なく言った。


 無言のまま、方向を指差したのは、俊二だった。


 「遠いですかね……?」

 「こいつで行けば、そんなにかからないよ」


 俊二の指差した先――――ヘリコプターの収容ハッチに塞がれた先に、彼の目指す陸地はあった……そこが、彼等が真に戦うべき場所であった。


 そして再び、窓の風景へ向き直るうち、演習に明け暮れる間に、自然と脳裏の片隅に追い遣っていた一人の女性の面影を、何時の間にか追い求めている俊二がいた。


 「……分隊長、どうしました?」

 「いや……知り合いのことをね……どうしてるかと思って」

 「知り合いといえば隊長、女と別れたって、本当ですか?」

 「え……?」


 俊二は驚いて松中を見詰めた。だが驚くには当たらない。この種の噂は娯楽に乏しい自衛隊である分、驚くべき早さで伝わるものだ。


 俊二は、渋々と頷いた。すかさず、分隊員達がまた彼を囃し立てる。


 「じゃあ晴れて俺たちと同じですね。どうです、今度前橋までご一緒に命の洗濯を……」

 「……いやだ」

 「そんなこと言わずにぃ……いい女がいるソープをひとつ知ってますから……」

 「絶対いやだ……!」


 俊二は頭を振った。タナの面影を守るために、彼は滑稽な抗戦を強いられることとなった。


 ……そして俊二は、それが束の間の安息であることをも、無意識の内に感じていた。






  • ブックマークに追加
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。

― 感想を書く ―

1項目の入力から送信できます。
感想を書く際の禁止事項をご確認ください。

※誤字脱字の報告は誤字報告機能をご利用ください。
誤字報告機能は、本文、または後書き下にございます。
詳しくはマニュアルをご確認ください。

名前:


▼良い点
▼気になる点
▼一言
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。