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The Islands War  反撃の章 作者:スタジオゆにっとはうす なろう支店
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第一章 「スロリアに寧日なし」

ノイテラーネ国内基準表示時刻9月20日 午前11時18分 デリア‐ノイテラーネ中央港


 車両運搬船「出雲丸」が、デリア‐ノイテラーネ中央港の第17番岸壁に巨体を横付けしその積荷を下ろし始めて、すでに5時間余りが経過していた。


 「オーライ……オーライ……はーいストーップ」


 甲板員の誘導に従い進み出た、緑のシートにその上面を覆った車両が、地響きを立てながら続々と岸壁傍の停車場にその巨体を並べていく。姿こそ隠しているつもりだったろうが、シートから覗く特徴ある砲塔に目を見張るまでもなく、キャタピラで地面を蹴立てて岸壁を進むその様は、まさに陸上自衛隊の主力戦車 九〇式のそれだった。


 本来なら、諸外国に輸出する乗用車を運搬する目的で造られた大型船で、戦車を運ぶなど傍から見てもかなり奇異な光景ではあった。そしてここ17番岸壁もまた、本来ならノイテラーネが日本より輸出した乗用車を陸揚げする用途に広く使われていた場所であった。その成立時より商業、金融業に特化し、独自の工業基盤に乏しいノイテラーネ都市連合において、自動車、家電製品など日本からもたらされる工業製品はもはや日常生活に無くてはならないものである。また、高等行政商官(ルーエル)と呼ばれる技術官僚(テクノクラート)を頂点とする一種の階層社会を形成するノイテラーネ社会において、国交成立前後に続々と進出した日本資本のもたらす雇用と税収は、政府に新たな財源を確保させ、それらを公共部門へ還元することで、底辺層と中間層の政府に対する不満を逸らす意味でも大いに役立っていた。


 ……だがこの日、車両運搬船が積んで来たものは、日頃ノイテラーネ人が見慣れた日本製の乗用車ではなかった。


 最初――――先日に入港した一隻目は、大量の軍用トラックと軽機動車をその船腹から吐き出し、同時に何が入っているか判らないコンテナを積んだ大型の貨物トラックをも運んできた。到着と同時に、何処からとも無く現れたノイテラーネ国家警察軍に属する特殊部隊が、そのまま市中央へ向かう車列の周囲に展開し、護送にあたる。特に現地語で「火気厳禁」と銘記された貨物コンテナの周囲を厳重に固め、武装したヘリコプターまで投入するという物々しさに、傍目から見ればそのコンテナの中に何が入っているかは大体想像がつくというものだ。


 そして二隻目――――「出雲丸」は、戦車と装甲車を運んできた。そして今後の予定ではさらに三隻目、四隻目の車両運搬船、貨物船が岸壁に横付けし、それぞれの「物騒な荷物」を陸揚げする予定になっていた。しかもそれは今日だけの予定ではない。


 どちらかといえば親日的な国家であるノイテラーネではあったが、直線を多用した、無骨な形状の戦闘車両が続々とノイテラーネ人のいうところの「母なる都市」に乗り入れ、ウインカーを光らせながら郊外のPKO臨時駐屯地へ向け市の街区を通過していくさまを目の当たりにするにつけ、平静でいられる市民などいるわけが無い。


 当然、ノイテラーネ議会は紛糾した。


 『親愛なる主席閣下に申し上げたい。友好関係にあるとはいえ、外国の軍隊を神聖なる市街区に入れるとは如何なるご了見であるのか? 主席閣下には誠意あるご回答を頂きたい……!』


 対抗勢力の質問に、連邦中央政府主席 ウレム‐サレ‐クロームは鷹揚に席から立ち上がり、答弁用のマイクに向き直った。


 「……現在陸揚げされ、市内外に集積されている一切の機材は、安全保障に関する日本との事前協定第117号に基づき、転地訓練のために陸揚げされた単なる『機器』であって、それ本体では戦争行為自体には何等用を為さないものである。それらの運用、維持に必要な兵員、機材は別個に移動、もしくは移送されるものであって、従って、現下の機材の揚陸及び市中移動は、他国の軍隊の侵入を禁じたノイテラーネ基本法第14条には何等抵触しない」


 要するに、兵器とそれを運用する兵士が行動を共にしているわけではないから、対抗勢力の言うところの「軍隊の市内侵入」には当たらない、というわけである。基本法の扱いについては厳格なまでの保守派に属したクロームであったが、彼でもこれくらいの論理をアクロバットさせる機転ぐらい持っていた。


 『しかし!……現在市中を走行している戦車を操縦しているのは誰か? 戦闘用トラックを運転しているのは誰か? 紛れも無い日本陸軍の兵士である。主席閣下はこれを如何にお考えになるのか?』


 「日本政府からの説明では、それらの軍用車両は大砲から小銃にいたるまで一発たりとも実弾を搭載していない。実弾を搭載していない車両が、戦争行為を行うことは不可能である。また、それらを操作している人員も、あくまで機材の移動に必要な最小限の人員であって、戦闘には適さない人員である。現に、我が国の警察部隊が武装し、これらの車列を警護していることがその何よりの証明である。従って、これらはあくまで機材の移動と見做すべきであって、軍隊の移動では決して無い」


 ……どうにか討議において対抗勢力の追撃を振り切った後、クロームは公務の場たるノイテラーネ中央政府庁舎へと足早に取って返した。その最上階、首都ティナクール市全体を見渡せる彼の執務室では、ノイテラーネの治安機関のトップたる中央政府公安委員長のディレ‐タール‐ガロムと、表敬訪問としてすでに入室していた三人の来客が彼を待っていた。


 一人は在ノイテラーネ日本大使の坂上 健。公務の都合上、よく顔を合わせる存在である。禿げ上がった頭にふっくらとした赤ら顔。何処と無く憎めないながらも何か抜けたような顔をしていながら、これまでのところ大過なく大使としての任を果している……まあ、凡庸な人物と言ったところか。

在スロリアPKO司令官 佐藤 充明陸将補。軍人らしく、ガッチリとした体躯を赤銅色の肌に覆った、典型的な前線指揮官といった印象を受ける。彼は以前着任挨拶時にここを訪れて以来、二度目の訪問となる。それ以外には余り面識は無い。


 そして、自衛隊 統合幕僚長 植草 紘之 空将……初めて見る顔ながら、実年齢を感じさせない程若々しい彼の顔立ちに、クロームは好感を覚えた。丁度、自分が中央政府主席補佐官として国政に第一歩を踏み出したときと同じような若々しさを、クロームは感じ取ったのである。


 最初に切り出したのは、坂上だった。


 「日本政府は、閣下のご尽力に感謝しております」

 「いやいや……友好国として当然の手を打ったまでのこと……」


 東京商館長時代に培った流暢な日本語で話し、クロームは坂上の顔を覗き込むようにした。


 「……スロリアにおける戦乱の余波が我が国に及ばぬよう配慮してさえ頂ければ、これ以上の対価はありません。その点は、期待して宜しいのですかな?」

 「…………」


 坂上は、その赤ら顔を植草に向けた……「どうなんだ?」という表情をしながら。


 「事が起きれば……一週間で、全ては決するでしょう。向こうは此処には指一本も触れられません。ご安心ください」


 平然と、そして淡々と植草は言ってのけた。それが、クロームを瞠目させた。ここまで発言と吊り合わない表情など、彼はこれまで見たことも無かった。同席していた坂上は唖然として、そして佐藤もまた耳を疑うような表情で、植草を凝視している。


 「一週間……!」

 「そう……一週間です」

 「ほう……ウエクサ将軍におかれては、いい作戦をお立てになったと見えますな」

 「まあ、その前に外交で決着を付けて頂きたいものですが……それなら、小官としても可愛い部下を失わずに済みます」

 「確かに……私も以前部下を亡くしたことがあるが、あの時は辛かった」


 口を挟むように坂上が何かを言いかけたとき、クロームの秘書官が電話を通じ急報を告げた。


 「私だ……」


 ……暫くの沈黙の後、相槌を打つクロームの片眉が、くの字状に曲がりかけた。更なる沈黙を経て静かに電話を置くと、クロームは厳かに言った。


 「……貴国の首相閣下が、PKOを正式にPKF(平和維持軍)に昇格させることを決定したようです」

 「……そうですか。流石、商業大国だけあって素晴らしい情報網をお持ちでいらっしゃる」


 植草は、微笑んだ。再び、坂上が言った。


 「まことに申し上げにくいことですが、閣下にはもう一つ、日本政府より協力要請が来ることとなるでしょう」

 「何でしょうか?」

 「今次のスロリアにおける武力紛争を引き起こした武装勢力の、貴国内における扱いです。彼らは一応ローリダ共和国と名乗ってはいますが、これまでの経緯からして日本国としては彼らの国家としての主権を認めるわけには参りません。あくまでスロリアの平和を乱す『武装勢力』という扱いを一貫させる方針です。つきましては、貴国にも、それに同意して頂きたい」

 「サカジョウ大使、それは我が国以外の国にも働きかけておるのかな?」

 「はい……すでに8カ国で同意を得、あと5か国も同調する見通しです」


 クロームは、考え込むように顔を顰めた。


 「それは、承りかねる。我が国は国家である無しに関わらず、来る者は拒まずを国是としております。通商の相手、もしくは相手になり得る対象を自ら判断せぬ内に評価を下すが如き対応は取りかねる……もちろん、それ以外であなた方に協力はしますが」

 「なるほど……」


 三人は、複雑な表情もそのままに顔を見合わせた。これ以上の要求はむしろ両国の関係に瑕疵となり得るであろう。




ノイテラーネ国内基準表示時刻9月20日 午後11時9分 スルアン‐ディリ迎餐館(フラール)


 ノイテラーネにおいて迎餐館(フラール)とは、饗宴の場も兼ねた迎賓館のことを指す。


 この呼称は、事業目的でノイテラーネを訪問する数多の商人、外国からの通商使節を相手にした数ある旅館の中でも歴史と実績、そして接客の質や調度の壮麗さなど、一定の水準を満たした極少数の旅館にしか与えられない名誉の称号であり、この国において旅館を格付けする一種の指標ともなっていた。そうした迎餐館(フラール)の中でも「スルアン‐ディリ」は、特に格式の高さでは他に圧倒的なまでに隔絶しており、その接客の質の高さと内装の流麗なること「さながら天界に在るがごとし」とも評される。

 その晩、スルアン‐ディリ迎餐館(フラール)では、ノイテラーネ市創設420周年を記念した市政府主催のレセプションが開かれていた。出席者の多くが市政府の要職にある者、または市の有力者。そして中央政府の高官及びその関係者であったが、友好国の外交官や現地進出企業の関係者もまた少なからず含まれていた。


 市近郊の小高い丘に聳えるスルアン‐ディリ迎餐館(フラール)の七階大宴会場、「黄金宮の間」からは、ノイテラーネ市中央の素晴らしい夜景を一望することが出来た。昼間は陽光に照らされ、白金に輝いていた白亜のビルディング群は、夜ではその巨体から人工の多彩な輝きを発してその圧倒的な量感を主張し、見る者をその闇の深淵へと吸い込んでいくような感触へと誘うのだった。


 植草紘之もまた、その一人だった。どちらかといえば孤高の赴くままに振舞う傾向のあった彼は、高尚な会話の環からは次第に脚が遠のき、ただ一人、宝石をちりばめたような麓の美景に見入っていた。

本来、彼はこの場に招待されてはいない。また、招待されるべき立場にないことを、当の彼自身弁えていた。


 だが、午前中にノイテラーネ連邦中央政府主席ウレム‐サレ‐クロームとの面会を果たし、現地PKFの活動状況を視察の後、その日の内に日本へと取って返すつもりだった彼の許に、クローム自身の賓客という形で招待が飛び込んできた。それでも一度は固辞した植草に、使者は困惑したような表情もそのままに食い下がった。


 「……主席閣下が、是非にと」


 着飾った参加者の中で、ただ一人制服姿の植草は、否が応にも目立った。ノイテラーネはその建国理念に基づき、武力は連邦内の治安維持に必要な最小限しか保有していない。だから専門職の軍人――――もっとも、自衛官を軍人と表現するのには、自衛隊が法律上明確に「軍隊」と定義された「転移」後の日本でも未だ論争が続いている――――というものがノイテラーネの上流階層にはよほど珍しかったのだろう。会場に足を踏み入れて当初は、彼は参加者の好奇の対象になったものだった。それに、四〇代の半ばを過ぎたばかりの彼がどちらかといえばハンサムに属する顔立ちであったことも、参加した女性達の興味をそそった。しかも元戦闘機乗り!……住む国こそ違え、戦闘機パイロットが最も危険で、女性の興味を惹く仕事であるのは異世界でも万国共通だ。


 「ウエクサ将軍は、今でも戦闘機にお乗りになるの?」

 「ええ、技量を維持する程度には」

 「まあ……だからこんなに見事な体型を維持していらっしゃるのね。それに引き換え、うちの良人(ひと)と来たら……」


 植草に話しかける淑女に付き添う、太った中年男性は膨れっ面を隠さない。これでは、場の男達の好奇の念がそのまま嫉妬と警戒に変わってしまうのも無理は無い。


 ……自然、植草の足は会話の場からは遠のいた。


 ソフトドリンクを手に夜景を十分に堪能し、巨大なガラス窓から足を遠ざけ掛けた植草は、背後に人影が歩み寄るのを感じた。ゆっくりと振り向いた先で背後に佇む人物に植草は目を細める。気配の主は、紛れも無く彼をこの場に招じ入れたクローム主席本人だった。


 「これは……」


 さすがに植草が頭を下げようとするのを、クロームは制した。


 「将軍には多忙な中、このような場に足を運び頂き、感謝の言葉も無い」

 「いえ……閣下には素晴らしい時間を経験させて頂き、まことに恐縮の至り」


 そこまで言って、植草は顔を曇らせる。自分の言葉は、主席にはひょっとすればお門違いな場に放り込まれたことに対する皮肉にも聞こえたかもしれない。


 だが、クロームは闊達に笑った。すっかり白くなった顎鬚を撫で、彼は言った。


 「どうだね、街の夜景は?」

 「はあ……素晴らしいものです。あれに比べれば横浜ベイブリッジなんてとても……」


 クロームは手を挙げ、言った。


 「まあ、そう謙遜することは無い。日本にだって、京都東山の夜桜という素晴らしい夜景があるではないか。月明かりの下で眺める桜に勝る夜景は、この世界の何処を探してもないよ。ノイテラーネの夜景は単に目を楽しませるだけだが、あれは見る者の胸を詰まらせる」


 植草は夜景を一瞥した。


 「今度来た時も、この夜景を見たいものです」

 「君は……今度戦争になれば必ず勝つと言ったが、その所信は今でも変わらんのかね?」


 クロームの問いに、植草はソフトドリンクのグラスに視線を落とした。


 「閣下、残念ながら戦争は既に始まっております。実際に敵と戦火を交えるにあたっての下準備も戦争と捉えるならば……ですが」

 「その下準備とは……?」

 「閣下も通商に明るい身なれば、参入する市場及び競合相手の内情を事前に調べ上げるのは利益を得んとする上で必須のことと存じます」

 「なるほど、その通りだ」

 「市場と競合相手に関しては、我々は悉くを調べ尽くしました。現在の我々に必要なのは、市場のニーズに合う商品作りの時間と、商品投入の時期を計ること……と、だけ言っておきましょう。我々の戦争を商売に喩えれば、調度そういう表現になります」

 「……ウエクサ将軍。君は素晴らしい事業家になれるはずなのに、どうしてこんな因果な仕事を選んだのかね? 私は、君自身のために現在の君を遺憾に思うよ」


 植草はばつ悪そうに頭を掻いた。


 「人生というものは、なるようにしかなりません。閣下にはまた別の人生観がおありとは思いますが……」

 「いや、私の人生観もまた君と同じだよ。つくづく……君をこの場に招いた私の眼に、狂いは無かった」


 二人の会話に終わりを告げたのは、会場の司会者の、このレセプションに向けたクローム自身のスピーチが始まるのを告げる言葉であった。


 『――――ご来駕の皆様には、間も無くウレム‐サレ‐クローム連邦中央政府主席の記念スピーチが始まります。皆様には奮って主席のご登壇を、拍手を以てお迎え頂き、ご清聴の程お願いしたい!―――――』


 クロームは手を差し出した。


 「将軍、君とは有意義な会話ができた。出来うれば再会を期したいものだ」

 「こちらこそ……では、また日を改めて」


 差し出された手をしっかりと握り、植草は頷いた。その制服の下で、マナーモードにした携帯電話が不快に蠢いていた。




ノイテラーネ国内基準表示時刻9月21日 午前1時24分 パン‐ノイテラーネ空港


 途中の渋滞を巧くかわし、夜の街中を縫って日本大使館ナンバーをつけた公用車が滑り込んだ先は、ノイテラーネ市に隣接するパン‐クット市郊外に位置する広大なパン‐ノイテラーネ空港の、「在ノイテラーネ 航空自衛隊スロリアPKO分遣基地」と銘打たれた一角だった。


 スロリア亜大陸の東端。ソラ‐テラーゼ島とモナド島の二島を基幹に、それを取り巻く大小82もの中小の島嶼から成る「中央シャリア群島」。そこに建国されたノイテラーネは、それ自体が島々を結ぶ複数の橋梁の連結と埋立地の造成による拡大の末に形成された一つの巨大都市である。特に連邦の経済的拡大に伴い、増大する一方の交通量解決のために橋や道路の増設を繰り返した結果、島を越えて複雑に重なり合い、交差し合う立体道路網。さらには埋め立てを繰り返した挙句に複数の島を潰して形成された高層都市群という独特の奇観を現出するに至った。


 先日の段階でPKFへの昇格が決定されたスロリアPKOではあったが、その訓令が行き届く間も無く、警備兵の立つ基地入り口に立てられた看板は依然「PKO」のままだった。基地内に入る三分も前から、その開設時から敷地内に敷設された移動式レーダーや衛星通信用アンテナを収めたドームの威容が見え、さらには先月に施設の増設を行ったばかりの基地では、離発着機への補給はもちろん、簡単な整備補修もできるようになっていた。


 敷地内に入った車は、やがてプレハブ造りの本部指揮所の前で止まった。


 「お帰りなさい。幕僚長」


 と、敬礼と共に植草を出迎えたのは、基地司令官の森田二等空佐である。


 「出迎えご苦労」


 と言い、植草は煩わしげに制服の上衣を脱ぎ、ネクタイを緩めた。そこで、訝しげな森田の視線に気付く。


 「……どうかしたか?」

 「……はぁ、幕僚の方々を先に帰して、本当に良かったのですか?」


 クロームとの会談と現場視察が終った時点で、植草は随伴の幕僚には先に日本へ戻るよう指示を出してあった。


 「いいんだよ……で、準備は?」

 「万全であります。あとは幕僚長自らお確かめ頂きたく、一同お待ちしていたところです」


 少し会話を交わした後、植草は基地員に案内され更衣室に入った。そこではトランクに詰められた航空自衛隊制式の飛行服と、バイザー付きヘルメット。上半身を固縛するハーネス。そして下半身全体をきつく締め付ける耐圧服―――――戦闘機操縦の際に必要な航空装具一式が、彼に着用されるのを待っていた。

 慣れた手付きで装具一式の着用を終え、植草はそのまま航空機格納庫へと向かった。日本で見られるごく一般的な二階建ての家二軒を縦に収容できるくらいの大きさと奥行きとを持つ小型機用の架設格納庫では、傍目から見れば信じられない光景が、二人を待ち構えていた。


 「幕僚長に敬礼……!」


 植草と同じくヘルメットを脇に抱え、戦闘機操縦用の航空装具を着用したパイロット三名が、そこで植草を待っていた。彼らの傍ら、長距離飛行訓練と言う名目ではるばる日本本土より飛来し、格納庫で翼を休める二機のF-2B支援戦闘機に、植草は目を細めるのだった。

植草は答礼し、パイロットに語りかけた。


 「任務ご苦労。君らにはさらに苦労を強いることになるが、これよりこの老いぼれ、植草紘之も一戦闘機操縦士として訓練に参加する。お手柔らかに頼む」


 老いぼれどころではない……既に退役したF-4EJ改より戦闘機乗りとしてのキャリアをスタートさせ、F-2支援戦闘機時代には名飛行隊長と謳われた幕僚長を、三人のパイロットは畏敬の篭った眼差しで見詰めた。航空装具に身を固めた彼らの最高司令官の姿は、戦闘機乗りとしての盛りを過ぎたとは思えないほど若々しく、そのまま第一線の空戦指揮官と形容しても通用してしまうほどの精悍さを漂わせている。


 その植草は自分と共に飛ぶ三人の顔を一通り見比べると、三人の中央、編隊長の宗像 駿太郎 二等空佐に向き直った。


 「宗像二佐、F-2の調子はどうか?」

 「ハッ、なにぶん単発でありますので洋上の飛行には不安が無いわけではありませんでしたが、ここまでは何の異常もなく飛行を続けることが出来ました。復路もこの調子で行けると思います」

 「エンジンが止まれば、当然私と一緒に日本まで泳いで行くんだろ?」


 と、軽口を叩いて一同を笑わせ、場の空気を解きほぐした後、植草は再び乗機に向き直った。


 「……では、日本へ帰るとしようか」


 航空自衛隊において、就役から30年近くを経ても未だ数の上での主力を占めるF-15J/EJに乗り慣れたパイロットからすれば、それよりだいぶ後れて就役したF-2の操縦席に違和感を覚える者は少なくない。

 まず、後方に30度も傾いた座席に腰を下ろした瞬間、あたかも仰向けに近く、かつ無防備な状態で機首から空中へ放り出されたかのような感触を受ける。独特な座席配置は実際のところ、機体が急激な機動を行った際に襲い来る重力の作用に起因する、パイロットの体内の血液の頭部からそれ以外の部位への急激な移動を防ぎ、突発的なブラックアウトからパイロットを守る効果を与えている。逆に言えば、そのような座席をわざわざ作ってパイロットの身体を守らねばならないほどF-2の旋回性能は他を圧しており、凡そ人間の操作し得る限界に達している。もう一面では、F-2のコックピットはバブルキャノピーの採用も併せパイロットに全方位をカバーする良好な視界を与え、見張能力の向上にも役立っている。


 また、機首のレーダーはアンテナを構成する多数の電荷素子を個々に操作することで複数目標の捜索、追跡、さらには地表走査まで行うことを可能としたアクティヴ‐フェイズド‐アレイ‐レーダーであり、AAM(空対空ミサイル)を多用した視界外の空戦に威力を発揮することはもちろん、対地攻撃にも有用である。複合材による一体整形の主翼は面積が広く、F-2に良好な旋回性能を与えると同時に胴体と併せ最大で13のハードポイント(吊下点)を設けることができる……つまり、空中戦をやり、敵の戦闘機を撃墜することがF-2の主任務ではない。それは空自においてはあくまでF-15Jの仕事なのだ。


 遠距離を進出し、海路を以て日本本土へ侵攻する敵艦隊及び敵上陸部隊への、敵制海/制空圏外からの洋上阻止攻撃を可能とする機体―――――この構想の下、F-2開発計画は産声を上げた。日本が「転移」する20年以上も前のことである。そして、その完成への道程は決して平坦ではなかった。

 第一にして最大の問題は技術的な問題ではなく政治的な問題だった。当時、「前世界」の軍事大国であると同時に日本の有力な同盟国であり、莫大な対日貿易赤字に苦しんでいたアメリカ合衆国は、自国の強大な軍需産業に仕事を与え、日本の進んだ材料工学、電子工学技術を収得する意図で、日米共同開発を提案したのである。F-2開発に当たり当初から独自開発を指向していた日本だったが、アメリカの政治的圧力を前に遂に屈し、提案を呑まざるを得なくなった。


 ……その結果、F-2の機体設計は多分にアメリカのF-16ファイティング‐ファルコンのそれを多分に反映したものとなり、従来より指向していた未来型の設計からは程遠いものとなってしまった。さらには、F-16系の特長とも言うべき電気制御式操縦系統の構築に必要なリソースの提供を米議会が拒否してしまったため、日本は一から自力で操縦コードを構築しなければならなくなった。結果として、その開発に予想外の出費が嵩んだ。実機が完成してからも、主翼強度の不足、搭載レーダーの不具合など様々な問題が露呈し、その改修のため一時は当初の就役予定時期が大きく遅延するという事態にまで発展している。

 このように、その行く末が大いに危惧されたF-2ではあったが、「転移」前後から漸く強力な支援戦闘機という評価が定着し、それが未だに続いているのは、かつてこのF-2で訓練飛行を重ね、数々の実戦任務も経験した植草からすれば喜ばしいことではあった。


 星々の集る夜空の下、誘導灯より地上から照らし出されたF-2Bの後席で、植草は三ヶ月ぶりで腰を下ろしたコックピットに顔を綻ばせた。通例のようにコックピットの中央ではなく右隅に配され、申し訳程度に取っ手を覗かせたスティック――――F-2の操縦桿はどの方向へ傾けてもほんの数ミリ程度しか動かないようになっている。

 だが、フライ‐バイ‐ワイヤ―――――圧力感知式、かつ電気制御式の操縦系統では、その数ミリの傾きがF-15Jならば操縦桿を一杯に傾け、かき回したときに匹敵する反応をF-2に与えるのだった。さらに、操縦桿とスロットルレバーの各所に鏤められる様に配されたボタンや摘みは、その種類や指加減によって、その双方から手を離さずとも指を伸ばすだけで飛行や任務に必要なあらゆる操作を可能としていた。


 タービンの奏でる金属音――――それが、F-2のエンジンの鼓動。


 前席に陣取る宗像二佐の手により、静かにエンジンを始動させたF-2のコックピットでは、すでに光を発し始めた三対のMFDマルチファンクションディスプレイが、飛行に必要な各種の数値と地形情報を刻み始めている。繋いだばかりの酸素マスクから漏れる熱い酸素を顔の下半分一杯に感じながら、植草は表示された情報の羅列に目を凝らす。


 エンジン始動に続き宗像二佐は、慣性航法システム(INS)端末に目的地の緯度、経度を打ち込みながら、ケーブルを通じ地上の整備員と交信を続けている。その様子は、後席の植草の耳にもイヤホンの声として入ってくる……操縦系統、エンジンの作動、電装系の作動……パイロットと整備員とのマンツーマンで行われる飛行前の各種点検作業は、一見煩雑に見えながらも、空では航空機の挙動の一挙手一投足がパイロット本人はもとよりそれ以外の他者の生命に関わることがあるため、必要な事項にして当事者達にある種の真剣さをもたらすものだ。植草もかつては一度事故とそれに伴う緊急脱出(ベイルアウト)を経験したことがあるから、そのことを十分に弁えていた。


 やがて飛行に必要な全ての点検を終え、パイロットの交信先は地上の整備員から基地の飛行管制室。通称「ノイテラーネ・タワー」へと鮮やかなまでに切り替わる。


 「ノイテラーネ管制塔へ(ノイテラーネ タワー)……こちら(ディスイズ)C17(チャーリー17)滑走及び(リクエストタクシー)離陸を要請(アンドテイクオフ)……」

 『――――C17(チャーリー17)離陸後(テイクオフ)南東へ針路を取り(サウスウェスト)、高度20000フィートで飛行せよ(エンジェル20)……離陸後の使用周波数は(チャンネル)Z(ゼータ)以後復唱せよ(リードバック)――――』


 「Z」とは、パン-ノイテラーネ空港管制塔の通信周波数のことだ。本来なら周波数は四桁の数値で表されるが、通信の簡略化と誤用を避けるためあらかじめこのようにアルファベット記号を振ってある。基地の管制室は空港の管制塔と密接にリンクしており、ここを発進した自衛隊機は例外なく離陸後は速やかに基地の管制から離れ、空港の管制下に置かれることになる。有事の際、自衛隊機の作戦飛行に関する航空管制の権限を何処まで伸張させられるかは、防衛省による今後の交渉次第だった。


 「了解(ラジャー)……南東(サウスウェスト)……25……Z……」

 『復唱は(リードバックイズ)正しい(コレクト)離陸を(クリヤードフォア)許可する(テイクオフ)風向(ウインド)232。風速5(5ノット)……』


 二機は、暗闇を縫い軽やかに滑走を始めた。


 地上の整備員の敬礼に答えて基地のハンガーを離れ、誘導灯に沿って滑走を続ける。滑走路を形成するアスファルトの海の遥か遠方には、国際空港を形成する各施設からなる不夜城の一群が浮かび上がっていた。二四時間稼動のハブ空港として建設されたノイテラーネ空港では、およそノイテラーネと国交のある世界各国の旅客機が絶え間なく離発着を繰り返している。その過密な空の渋滞の中に割り込む形で離陸をするのだから、喩え百戦錬磨の空自パイロットと言えども緊張を感じぬはずが無い。


 今まさに誘導路を出ようとした二機の鼻先を、巨大な五発プロペラ機が鈍重な滑走で突っ切っていく。その巨人機の直ぐ横を、鋭角的なフォルムのジェット機が翼端灯も眩しく軽々と追い抜き、星空へと駆け上がって行くのだった。


 ――――そして、離陸。


 単発とはいえ、エンジン推力に余力のあるF-2は、驚くほど短い滑走で空に上がることが出来る。それでも宗像が機首が十分に上がった時点で、燃料浪費を承知でアフターバーナーを使ったのは、混雑する飛行場を目の当たりにして、早くこの場を離れたいという心理が働いたからであろう。これが昼間ならば、天を仰ぎ真っ直ぐに飛び上がるF-2の翼端と機体上面から、水蒸気を派手に噴出す姿が見られたかもしれない。


 「…………」


 圧し掛かってくるGに顔を曇らせつつも、植草は振り向きざまに背後より離れゆく夜景に目を凝らした。地上にあれば圧倒的なまでの量感を以て迫ってきたであろうノイテラーネの摩天楼が、振り向いたときには暗闇に閉じ込められた宝石箱へと変わっていた。舞い上がった空は地上より若干明るく、仄かに白く輝く千切れ雲の広がりの下に、広大な地上の闇と球状の境界を為していた。


 『――――こちら空港管制塔。C17へ告ぐ、針路1-0-9を取り(ステア1-0-9)、高度30000で飛行せよ(エンジェル30)

 「……C17、了解(ロジャー)


 この高度まで達すれば、空港との交信と自機の発する単調なタービン音以外に、耳に入ってくる音は無い。軽い眠気を覚えながら、植草は事前に作成した航空図に目を凝らした。機は快速を生かしノイテラーネの領海線に達し、ここで宗像はINSのスウィッチを入れる。起動させるや否や不意に機体が右に傾き、あらかじめ入力された数値に従うまま、F-2は目指す日本への針路を自動的に取り始めるのだった。


 植草は言った。


 「日頃の訓練と比べて、単に飛ぶだけでは退屈だろう?」

 『……いえ、いい息抜きになります』

 「君らは西空第6飛行隊だったな」


 九州に本拠を置く西部航空方面隊所属 第6飛行隊は、F-2本来の任務である洋上阻止任務を専門とする部隊だった。


 『はっ……自分も、中空や北空のように、対地攻撃訓練をやってみたいものです』

 「真冬同然の日本アルプスと、鮫がうようよいる日本近海とでは訓練の過酷さはそう変わらんよ」


 植草の冗談に、宗像は笑った。


 『……飛行隊の皆は、戦争が近いと言っておりますが、どうなのでしょう?』


 口には出したものの、聞くのを躊躇う風な感触を、植草は彼の言葉から受けた。


 「……君らは、戦争が何時起きてもいいように訓練に励んでいるのではないのか?」

 『それはそうですが、スロリアのこともありますし……それに、うちの隊には実際に身内をローリダ軍に殺された者もおります』

 「……仇を取ってやりたいか?」

 『……はいっ!』


 宗像の返事は、決着を期する人々の心からの叫びであるように、植草には聞こえた。


 『……まったく、スロリアに、寧日なし……ですね』


 植草は苦笑した。確かに、ノイテラーネとスロリアとを取り巻く周辺は、近来に無く騒がしい。


 スロリアに、寧日なし――――植草は唇を震わせ、何度も呟いた。呟く度に、言い知れぬ感慨が湧いた。


 ふと目を転じれば、機は既に、孤高なまでの雲上遥か高くに達している。


 急激な機動と危険な洋上低空飛行とを繰り返す通常の訓練飛行とは全く趣の異なる、静穏一色なF-2のコックピット……その静謐の中で、植草は東京へ提出する報告書の文面を考え始めていた。





2013.5/6:ルビの振り方やっとわかった。めんどくせぇ……

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