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The Islands War  破局の章 作者:スタジオゆにっとはうす なろう支店
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第七章 「出会いは唐突に」


 スロリア地域内基準表示時刻7月24日 午後2時27分 スロリア中部


 「お父様へ

遂に新たな解放戦争の火蓋が切られました。あの悪逆非道なるニホン族が、侵略の手を延ばしてきたのです。

 私は今、文明の遅れた地に自由と正しい信仰を取り戻すべく前進する共和国国防軍の一員に加えられ、彼らと共に前進を続けています。私に恐れはありません。私はこれをキズラサの神より授かった天命であり、神が賜った幸運なるお導きと信じているのです。お父様もどうか喜んでください。そして何時までも私を見守っていてほしいのです。


 たった今……たった今のことですが我が軍に朗報が届きました。義勇軍の一隊がニホン族の一部隊を待ち伏せ、徹底的な攻撃を与え全滅させたというのです。何と幸先のいいことでしょう!……おかげで我々の意気もこれまでに無いほど上がっています。私には共和国国防軍が自由と信仰の敵を倒し、スロリア全土を楽園にする未来も、極めて近い将来のことのように思えるのです。


 ―――――再び幸運なる報せを望みつつ、一度筆を置き、今次のお便りとします」



 悪路に揺れる救急トラックの荷台の中で、リーゼ‐タナ‐ランは着任以来五度目の手紙を記した。


 生命の危険に晒されている以外には、今のタナには大して気掛かりなことはなかった。強いて気掛かりがあると言えば、本土の家族が返事の手紙を寄越して来ないことだったが、半ば家出同然でここまで来たのだから、父をはじめ残された自分の家族が気を害しているのは仕方が無いことなのかもしれない。

 だが、タナには淡い期待があった。いずれは、父も分かってくれる……と。ただその一念が彼女に筆を取らせていたのだった。


 つい四日前。前線部隊に追従する移動医務班に欠員が出来たことを知らされたとき、タナは率先してそれに志願し、それに採用された。冒険心と純粋な義務感からタナはそれに志願したのではあったが、従軍看護婦の多くが本土と一味違った「解放地」での生活を単に楽しむだけの、どちらかと言えば不純な動機でやって来た者が大半だったから、彼女の決意はむしろ好奇の目で見られたのだ。


 「あなたも物好きねえ」


 と、タナが志願枠に登録を果たした日の夜。宿舎で同室になったロー‐ル‐スラもまた、そんな彼女の挑戦をからかったものだ。そこに、同じく同室のレイミ‐グラ‐レヒスが加わる。


 「戦場だからこそ、本当に頼りになる殿方が見付かるというものでしょうけど……でもタナさん、何もそこまでしてお相手探しに躍起にならなくたって……」


 タナは笑った。軍病院での課業や訓練の合間、そしてタナたちとつるむ時以外には恋愛小説を読み耽ってばかりいるレイミらしい物言いだった。


 「私ね……実を言うと結婚から逃げてきたの」


 「逃げた……?」


 「うん、両親は早くに私を結婚させるつもりだったようだけど。私、それが嫌だったからここまで逃げてきちゃった」


 「その逃げた先が戦場なんて、まるで寸劇みたい」と、ローは笑った。


 「でもねタナ。悪戯も度が過ぎたら、貰ってくれる人も貰ってくれなくなるわよ」


 「脅かさないでくださいよぉ」


 そんな会話があって数日の後に部隊に動員令が下り、ノドコールを旅立つ日の早朝。二人はわざわざ起き出してきて東方へ向かうタナを見送ってくれた。本隊に追及する救急用トラックの窓から、タナは二人の影が消えてなくなる距離まで手を振り再会を期したものだ。


 それから一週間――――義勇軍と一体となった進撃はいよいよ本格化の兆しを見せつつあった。ノドコールからは続々と主力の機械化部隊や砲兵部隊が前進を開始し、いまやスロリアの西半分を埋め尽くす勢いだ。上空には、時折偵察のため単機飛来する味方機の機影まで認めることが出来た。だが、それも朝方までのことだ。時を経る度に次第に濃くなりつつある霧がタナの隊から空に対する、さらには陸に対する視界を徐々に狭めつつあった。


 「気味が悪いわね」


 と、従軍看護婦長のラル‐ル‐カナスが言った。銀縁眼鏡の似合う恰幅のいい中年女性で、軍病院のような後方勤務より前線の野戦病院の勤務の方が長いというのは、ノドコール在籍の従軍看護婦の中でも稀有な部類に位置する。二十年近く連れ添っている国防軍少佐の彼女の良人もまた、この前線の何処かで歩兵大隊の指揮を取っているはずだった。


 「でも、過ごしやすいですよ。高原の別荘地みたい」


 タナの冗談に、ラルは苦笑で応じる。


 「その快適な場所で、兵隊さんの足を切ったり骨の出てる傷口を縫い合わせたりするのは結構堪えるものなのよ。辛い場所にいるよりずっとね」


 「…………」


 タナは、恐ろしいものでも見るような眼つきで用具箱に収められた手術道具を見遣った。痛みに呻く兵隊の肩を押さえ、ノコギリで足の骨を断つ響き。出血の止まらない傷口を押さえ、兵士の絶叫を聞きながら剥き出しの血管に縫い針を突き立てる光景……それらを想像する度、看護婦でありながらその経験が無いに等しいタナは心臓の芯から胸を震わせるのだった。


 「タナさんは、ご家族は……?」


 「本土に……」


 「どうせ無断で出てきたのでしょう?」


 「それは……」


 さすがにタナが言葉に詰ると、ラルは微笑みとともに胸のペンダントに目を細める。その中に、良人と寄り添うようにして写真に納まる彼女の姿があることをタナは知っていた。


 「戦争……早く終るといいわね」


 「はい……!」


 バァン……!


 『え……何?』


 その直後、激しい振動ときつい硝煙の臭いと共に、タナの記憶が一瞬飛んだ。



 ……再び眼を開けたときには、タナは横転した救急トラックの荷台の、かつては天井だった場所に横たわっていた。同じく漂ってくるガソリンの臭いが、タナの心臓を高鳴らせた。


 「婦長……?」


 と呼びかけて、タナは眼前の光景に眼を疑う。いかめしい外見に比して優しい性格の持主だったラル婦長は、頭から血を流して倒れたまま微動だにしない。


 「ラル婦長!」


 軋み音を立てる身体に鞭打ち、タナは身を起こした。這うように近付き、恐る恐る彼女の首元に指を充てる……そこで、彼女の瞳は動揺に染まった。


 「…………!」


 ガソリンの臭いはさっきよりも鼻にきつく感じられるようになっていた。臭気はやがて白煙となり、次には何に化けるのか、少女でも容易に想像が付いた。反射的にタナは婦長の亡骸からペンダントをもぎ取り、寝台を踏み台にして、もはや天井と化した側面出入り口に手を伸ばした。


 出入り口から顔を出した瞬間、新たな衝撃が彼女の顔を強張らせた。もう一台あったはずの救急トラックはすでに火達磨と化し、かつては救急トラックを護衛していた二台の兵員輸送トラックもまた、横転の後炎と煙に包まれた無残な姿を晒していた。荷台から放り出された兵士が、傷口らしき赤黒く染まった腹を押さえて蹲っていた。無傷そうに見えても、地面に突っ伏したまま既に動かない兵士の姿もあった。

 難渋の後、タナはトラックから降り、地面に足を下ろしかけた……まさにそのとき、彼女が足を下ろすのを待っていたかのように、トラックは轟音と共に勢い良く炎を吹き上げ、爆風に彼女の肢体が軽々と浮き上がった。


 「え……?」


 爆炎の匂いと音……そして全身に何かを叩きつけられる衝撃……それが、彼女の最後の意識だった。




 スロリア地域内基準表示時刻7月24日 午後3時09分 スロリア中部


 黒煙と炎に包まれた車を、「狩人(ハンテル)」ルガーはただ無心に見詰めていた。


 空からの追撃には抗しきれるはずも無く、丘陵の連続する大地の只中でその車は無残な残骸をさらしていた。

 死に行く味方を見捨て、ただ自分だけ逃げようとした罰だと、ルガーは今や車内で灰と化しつつあるであろう運転手に心中で語りかけた。キズラサの神は万人に対して平等だ。神は万人に対し平等に、その卑怯な振る舞いに応じた罰をお下しになるものなのだ。それを思い、ルガーは口元を皮肉っぽく歪めた。

 ルガー達がここに辿り着くまでに、対地哨戒任務に出撃したレシプロ攻撃機より逃走中のニホン軍の車両を捕捉し、破壊したという報告が届くまでに二十分も過ぎている。それくらい、相手はしぶとく空からの追尾から逃げ回り、抵抗したことになるわけだが、惜しむらくは彼――――運転手の敢闘精神はそれよりずっと前の段階で発揮されるべきだった。


 「それにしても、何と無骨な車でしょう」


 と、部下が語りかけてきた。


 「姿形といい、到底文明人が乗る車とは思えません」


 「俺としては、いい車だと思うがな……贅肉を削ぎ落とした猟犬に見える」


 「そうでしょうか……?」


 炎は次第に収まりつつあった。その安心感が民族防衛隊の兵士たちに、車への接近を促した。

そのとき、一人の兵士が血相を欠いて叫んだ。


 「隊長っ……!」


 その只ならぬ様子が、ルガーを車への注視に駆り立てた。足早に歩を進め、完全に煤に染まった運転席付近に足を記した瞬間。ルガーの顔色が一変する。


 「…………!」


 半開きになったドア……そこから外へ続く足跡……その方向からかなり離れた場所には、小規模な森があった。


 ルガーは背後を振り返った。


 「あの森に逃げたぞ! 全員やつを探せ!……早く行けっ!」


 唖然とする兵士を急きたて、肩を叩きながら、ルガーは腰の拳銃を引き抜いた。そして微かに笑った。


 「さてと……狩りの時間だ」


 こうでなくては……精気に満ちた眼を爛々と輝かせるルガーを、無線手が呼び止めたのはそのときだった。


 「隊長……友軍より通信です」


 「何だ?……後にしろ」


 「それが……」


 と、困惑したような顔を浮べている。その表情から只ならぬ事態を悟ったルガーは、舌打ちして無線機をひったくった。


 「俺だ……この忙しい時に何の用だ?」


 少しの事情説明の後、次第にルガーは目を細め、忌々しげに歯を食い縛るようにした。通信の内容が、彼の機嫌を損ねる種類のものであることはもはや誰の目にも明らかだった。


 「この馬鹿野郎がっ!……正規の奴らに知られたらどうするつもりだ!?」


 そう叫び、無線機を無線手に叩き付ける様に投げ付けると、ルガーは怒りに満ちた表情で森とは打って変わった方向を見遣った。眼を凝らせば、霧の覆う中でもうっすらと稜線を浮べる丘陵地帯の向こう側に、数条の薄い黒煙が立ち昇っているのが見える。不味いものを無理して胃袋に詰め込んだような表情を崩さず、ルガーは部下を振り返った。


 「命令変更!……撤収だ。あの方向へ向かうぞ」


 去り際、ルガーは白い高機動車のドアを勢い良く蹴り飛ばした。先程の上機嫌な彼の面影は、もはやその片鱗すら伺うことが出来なくなっていた。




 スロリア地域内基準表示時刻7月24日 午後3時47分 スロリア中部


 木村三曹を殺したあの鷲鼻の男は、望遠鏡の中で部下に何やら怒鳴りまくっていた。


 「…………」


 自分を追ってきた武装勢力が、いきなり踵を返すように撤収していく様を、俊二は森の茂みに身を伏せたまま伺っていた。追っ手から完全に逃れたという安堵など彼の胸中にはなかった。死んだとはいえ、七人に仲間をはるか西側に置いて来たことへの自責の念が彼を苛んでいたのだ。

それにしても……と俊二はもはや真黒い残骸と化した高機動車に眼を凝らしながら思う。制服らしき灰色の統一された服装は勿論、自前の戦闘機まで持っている武装勢力とは、一体どういうことなのだろう?……これでは、正規の軍隊ではないか。


 あの時……間一髪、窪地の虐殺から逃れたのも束の間。俊二は上空からの間断ない攻撃に晒された。二機のプロペラ機が交互に銃撃をかけてきたのだ。拙い運転技術では度重なる回避など気休めにもならなかった。操作を誤り岩に正面から突っ込んだ車体はタイヤを引っ掛けて派手に横転し、俊二はサバイバルナイフで腰のシートベルトを切り裂き、転がるように車内から脱出した。

そこに再び襲い来る爆音と銃撃!……俊二は間一髪物陰に飛び込んで爆発を逃れた。二機は俊二の眼前で、蒙蒙と立ち昇る黒煙を掻い潜れるかのような低空を航過し、勝ち誇ったかのように銀翼を翻し高度を上げて去って行った。乗員もろとも、哀れな獲物を片付けたとでも思ったのかもしれない。

虎口から逃れたという実感を得る間もなく、放心したように俊二はその場に座り込んだものだ……今でも、それはつい一分前のことのように思い出される。その度に俊二は恐怖にへたり込みたい衝動に駆られる。


 「…………」


 流れ落ちる脂汗をそのままに、俊二は自分の傍らを見遣った。二脚を立てかけた六四式小銃……それが今の彼の、唯一の命を繋ぐ手段であり、道具だった。その小銃の弾倉が三つ。あとは司令部までは到底電波の届かない分隊間通信用の小型無線機。

 そして車内から脱出する間際に引きずり出した背嚢……その中の非常用糧食や水を以てしても、一週間程度しか食い繋げない。それまで敵の勢力下にあるこの場所に止まって救助を待つなど、自殺行為であることぐらい俊二にも判る。


 最善の策は――――自分でも認めたくないことだが――――万難を排してひたすら東に歩き、味方の前線まで辿り着くしかなかった。


 散々逡巡した挙句、俊二は防護服を捨てた。生命の保護よりも移動の優位を選んだのだ。それに防護をしていたがために徒に苦痛を引き伸ばす結果となった同僚を目にした経験が、彼を防護に関し投げ遣りな気分にさせていた。


 円匙で掘った穴に防護服を埋め終えると、俊二は背嚢を背負った。移動に有利な夜を待つつもりなど彼には無かった。


 俊二は、歩き出した。早くここから立ち去りたかった。




 スロリア地域内基準表示時刻7月24日 午後4時12分 スロリア中部


 炎の揺らぎ続ける中で、鉄の焼ける匂いを感じながらタナは目を開けた。頬に纏わり付く熱気を振り払うかのように頭を振り、タナは仰向けの姿勢のままで頭を上げた。


 「…………!」


 黒煙の中を蠢く人影……敵だ!……と思った。その人影とタナとは、十分に距離があった。気配を殺し、這うように、横転した救急トラックの荷台にタナは潜り込んだ。荷台の内壁に耳を当て、タナは外の様子に耳を欹てた。


 「どうだ? 生きているか?」


 「さあ……」


 敵ではなかった。聞きなれたローリダの言葉が、タナを心臓が滑り落ちるかと思わせるぐらい安堵させた。だが荷台から這い出ようとした瞬間、一人の男の声にタナは表情を強張らせた。


 「参ったな……味方だったとは。正規の連中にどう申し開きしたものか……」


 「貴様が誤認するからだろう。どうするんだ?」


 「この霧だぜ? 間違わないのがおかしいってものさ」


 不意に、タナの瞳に込み上げてくるものがあった。打って変わって荷台に背を凭れ掛けると、流れ出ようとする何かを抑えようと瞳を一杯に開き、タナは両手で口を覆った。誤射の犠牲になったことは勿論だが、何よりも人事のような味方の態度がタナには大きな衝撃だったのだ。


 そこに、また誰かが来る気配がした。車のエンジン音だった。


 「隊長!」


 「この馬鹿ども。やってくれたな……!」


 ドスの利いた、低い声だった。誤射された味方に対する同情の念など、そこからは聞き取れなかった。


 「隊長!……生存者がいます!」


 足音が一気に荷台の傍から離れて行くのをタナは聞いた。だが、次に聞こえた隊長の一言は彼女の想像を超えていたのだ。


 「比較的軽傷のようですね」と部下。


 「生きていられちゃあ目障りだ。殺せ」


 生存者の絶叫。それも一人ではなかった。次に続く銃声でまた一人、もう一人と生存者の絶叫が消えていく。何か恐ろしい夢でも見ているかのように、タナは歯を震わせて呆然とその光景を聞いていた。

これはきっと夢よ……お願い、夢なら醒めて……!


 虐殺の嵐は一分も満たぬ内に過ぎ去り、その後に続いた「隊長」の声は、タナにとってまさに(とど)めだった。


 「いいか、この連中は俺たちが殺したんじゃない。この部隊はニホン軍の襲撃を受け、非戦闘員も含め一人残らず虐殺された……いいな?」


 「ハッ……!」


 『そんな……!?』


 流れる涙もそのままに、タナは呆然と内壁に座り込んだ。だが神は、彼女に場の傍観者たるを許さなかった。


 「他に生存者がいないか探せ。いたら……楽にしてやれ」


 軍靴が八方に散る音をタナは聞いた。それが命令に対する返事だった。反射的にタナは手を当てて震える口を塞ぎ、荷台の隅に蹲るようにした。他に隠れるところなどなかった。


 各所からパン……パン……と銃声が聞こえてきた。生死を構わず目にした人間に駄目押しの一撃を撃ち込んでいる義勇兵たちの光景をタナは想像した。そしてさらに恐ろしいことには、彼らは何れ自分の所にも辿り着く……!


 内壁越しに人の気配を感じた。今回の蛮行を指揮した「隊長」と呼ばれる男が、自分と薄壁一枚隔てた向こう側にいることを、タナは悟った。


 「隊長。司令部より命令です。現在第二中隊がニホンの物資集積所を攻撃中。貴隊もこれに合流せよ、と。」


 通信手の報告に、ルガーは面白く無さそうにマッチを取り出した。横転したトラックの、むき出しとなったタイヤに芯を擦り付けると、彼は火のついたマッチをガソリンタンクに放り込んだ。勢い良く燃え上がる炎は荷台をたちまち飲み込み、ルガーの痩せぎすな頬を赤黒く照らし出した。


 「もういいだろう……撤収だ!」


 専用のオープントップに飛び乗ると、ルガーは発進を命じた。仕事を終えた兵士が続々とトラックの荷台に飛び乗り、それに続く。

快速で離れるオープントップから、勢い良く赤い柱の立ち昇る現場を見遣りながら、ルガーはほくそ笑んだ。


 ……これでいい。


 ルガーは思った。あとは自分が正規軍の連中に「証言」すればいいのだ。それに自分の友人は報道機関にもいる。戦争の大義を欲する政府も嬉々として自分の「証言」を取り上げるだろう。


 ……そうすれば、あとは全て上手く行く。




 スロリア地域内基準表示時刻7月24日 午後6時57分 スロリア中部


 歩く内に空は赤黒く染まり、やがて限りなく黒に近い灰色に染まった。俊二が歩く方向を東から少し北に変えて、すでに一時間は経っていた。危険を冒して方向を変えたのには理由があった。

 それは森を出てから一時間程が過ぎた頃に起こった。自分の歩く方向から北に、黒煙が立ち昇るのを俊二は見たのだ。


 味方の部隊がやられているのだろうか?……それとも、遂に本格的な戦闘が始まったのだろうか?……上手く行けば、味方に合流できるかもしれないという微かな希望に俊二は賭けた。もし希望が叶わない時は?……そのときは、もう諦めるしかない。


 黒煙は空が闇に染まるに従い、炎の明るさを際立たせるようになっていた。それが道標の欲しい俊二には有難かった。火に急かされるがまま、俊二は歩いた。肩に食い込む背嚢の重さ、吊革越しに首に食い込む小銃の重さなど、もはやどうでも良かった。


 歩くことに時間を費やすにつれ、俊二は自分の目指す場所が戦の場ではなく址であることに気付いた。あすこでは戦は現在進行形ではなく、もはや過去形だった。それは返って俊二を安堵させた……ひょっとすれば、一息付けるかも知れない。

 あそこに行って、ぼくは食事を摂り、水を飲むんだ。そしてしばらく眠る……足を引き摺るように歩きながら、俊二はあの火の傍で寛ぐ自分を想像した。

すでに霧が晴れ、星の瞬きまで目視できる程になった空を俊二は見上げた……今頃日本はどうなっているのだろう?


 「――――番組の途中ですが報道特別番組をお送りいたします――――」


 と、したり顔で捲し立てるキャスターの顔を俊二は想像した。ゲストは何処かの「自称」軍事評論家か?……それとも、公共放送では今頃政府の公式発表を生中継しているのだろうか? 


 かつて自分がスロリアへの一歩を印したノイテラーネには、現地邦人の保護とかそういう名目で陸自の特殊部隊が到着し、救出作戦の算段でもしているのかもしれない。スロリア近海には、さしずめ海自の護衛艦隊が結集し万全の布陣を強いているのだろう……そして不意に、そんな場合ではないのにそんなことを考えている自分の事が、可笑しくなった。


 「…………!」


 その炎を前にして、俊二は立ち止まった。未だ炎を燻り出しているトラックの残骸に、自分の予想が裏切られたことを俊二は悟った。


 そこには味方はいなかった……そして、敵もいなかった。かつてはトラックだった物体や、かつては生きた人間だった何かが、只見渡す限りに無造作に転がり、打ち捨てられていた。少なくとも俊二には、そう見えた。


 「何があったんだ……?」


 小銃を構え直し、俊二は周囲を見回した。味方の反撃でやられた敵なのだろうか? 


 ……だが、死体の緑色の制服は、あの灰色の連中のそれとは明らかに異なっていた。歩を進める内、俊二は彼等が実戦向きの部隊ではないことに気付いた。どちらかと言えば、後方支援とかそういう種類の部隊だと俊二は思った。死体に年を食った人間や女性らしきものが多く含まれていることが、その感を一層強くした。


 周囲に脅威のない事を確認し、先程のトラックの傍まで戻ったところで、俊二は背嚢を下ろした。炎の勢いは、先程と比べ大分治まっていた。


 「…………!」


 人の気配を感じ、俊二は反射的に周囲の一点へ振り返った。誰かいる……?


 銃を構え、俊二は気配を感じた方向にゆっくりと歩き出した。かつて本土で、そしてノイテラーネの分遣基地でイヤというほど叩き込まれた戦闘の手順を俊二は何度も脳裏で反芻し、声にならない声で呟き続けた。


 「…………」


 虐殺の址で泣き明かし、そして救急用トラックの荷台で眠りから醒めたばかりのタナにとって、来訪者の存在は晴天の霹靂だった。


 あいつらが戻ってきた?……最初はそう思ったが、違った。外の雰囲気で判ったのだ。タナは荷台の死体に視線を落とした。横転の衝撃で首があらぬ方向に曲がった兵士の死体……その腰には、拳銃があった。


 「誰か……?」


 ローリダの言葉じゃない!……タナは顔を引き攣らせた。そして声の主は、確実にタナの近くまで歩み寄っていた。


 「誰か……!?」


 もう一度、俊二は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。銃身の遥か先に自分の親が出てきても、反射的に引き金を引いてしまいそうだった。その緊張感が俊二を追い詰めていた。ドアが開きっぱなしになった軍用トラックの荷台を、俊二は震えを抑えながら睨み付けた……そう言えば様子を探っていないのは、この中だけだ。


 ドアの傍に立ち、俊二は中に人がいないことを祈った。

震える手で、タナは今までに数えるほどしか撃ったことの無い拳銃をドアへ向けた。

深呼吸をすると、ドアの中に飛び込むつもりで俊二は勢い良く小銃を向けた。


 「…………!」


 「…………!」


 ドアを隔てた向かい側には、お互いの予想を超えた光景が飛び込んできた。


 「女……?」


 小銃を向けた相手が、未だ年端の行かない少女であることに、俊二は愕然とした。余りの驚きに、引き金に指を充てている事すら忘れるところだった。


 「…………!?」


 自分は、生まれて初めてニホン人を見た……そう思いながら、ドアの向こう側で自分に小銃を向ける青年を、タナは拳銃と引き攣った口元で迎えた。だがそれは、生まれて初めてどころか生涯で唯一……という事態にも繋がりかねなかった。


 暫しの沈黙と膠着……それを最初に破ったのは俊二だった。


 「銃を捨てて、こっちに来い!」


 「イヤ……!」


 「こっちに来いってば……!」


 タナは大きく頭を振った。拳銃は俊二に向けたままだった。誘いに乗っては、何をされるかわかったものではない。


 俊二は手を差し伸べた。もはや相手に対する敵意は失われていた。


 「お願いだからっ……頼むよ!」その口調は、もはや哀願に近い。


 「…………?」


 目の前のニホン人が、何か哀願している風である事に、タナは思い当たった。そのニホン人の眼に殺気はなかった。自分が何か敵というより守るべき何かのように扱われているのではないかと、タナは思わずにはいられなかった。


 自然、紅葉が落ちるように拳銃を構える手が下りた。その直後、タナの前に驚くべき光景が広がった。


 「…………」


 俊二は、ゆっくりと小銃を下ろした。少女の目に触れないように銃を隠すと、少女が外に出やすいように後ずさりした。目の前の少女が、撃たないことを俊二は確信していた。自分でも、その理由は判らなかったが……


 一方で、タナは少なからぬ戸惑いに身を任せていた。


 ニホン人は、自分が撃たないことを……知っている?


 目の前で銃を置いたニホン人……それは、タナにとっても信じられない光景であり、出逢いだった。



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