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The Islands War  破局の章 作者:スタジオゆにっとはうす なろう支店
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第五章 「侵攻」


 スロリア地域内基準表示時刻7月22日 午前5時27分 スロリア西部ローリダ植民地圏境


 兵士達を満載したトラックの車列は、途切れることなく続いていた。


 白み始める夜の中に浮かび上がるヘッドライトの連なりが、これから始まる「聖戦」の只ならぬ展開の予兆を、エンジン音のみの支配する平原の静寂の中にも、雄弁に告げているかのように先頭車両に乗るグラノス‐ディリ‐ハーレン大尉には思われた。


 トラックの荷台には、灰色の制服とスラフ帽に身を包んだ民族防衛隊の兵士達――――いわば民兵とでも言うべき彼らが、「キズラサの神の意に沿わぬ異教徒ども」の住む土地に出撃した部隊の主力だった。先日の午前中にノドコール首都キビルの兵営を出、途上で何度か休息と情報収集を行いつつ進むこと半日以上……長時間をトラックの荷台に揺られる民族防衛隊に属する兵士(というのも、正規軍に身を置くハーレンからすればいささか妙な表現ではあるが)の何れもが、長期の錬成で培われた精悍な顔つきの上に、熱狂的な眼光を覗かせ続けている。


 出動の発端は、先日の夕刻のことだった。


 現地種族の少女を教化し、入植者の男子への忠実なる伴侶として育成するための「教化所」から一組の姉妹が脱走した。「教化所」の司教団は姉妹が彼女らの実家にいるところを「保護」しようと向かったが、その彼らの前に突如見慣れぬ男達が現れ、聖職者たちに暴行を加え、姉妹を連れ去ったというのだ。


 その「不埒な異教徒ども」の行方は、大体見当が付いていた。未だキズラサの神の威光が及ばぬ地――――東方であるのに違いない。偏執的なまでの先入観と偏見から司教たちが導き出した結論は、実は正しかった。そして民族防衛隊の車列は、「キズラサ者としての使命」を忠実に果すべく出発したのである。

 今の彼らには、元来の神に対する忠誠以上に、異教徒に攫われたいたいけな少女を救出するという「正義」があった。その真偽のほどはどうであれ、明確な正義を眼前に示されることほど兵士の士気を鼓舞するのに適正で、最上の方法はない。最後の休息時間を終え、再びトラックの荷台に乗り込む段になって従軍司教は兵士らを集め、こう言って説教を締めくくったのだ。


 「――――この聖なる地スロリアの東側には、未だキズラサの神の恩恵に預かれぬ不幸な人々がいる。私だけではなく、今や諸君ら民族防衛隊の戦士一人一人が荒野を行き、不幸なる者に教えを与える布教者である。だが我等の違いは私が聖典を以て為す一切のことを、諸君らは銃を以て為さねばならないということである。

 諸君らは銃を以て信仰の敵を倒し、場合によっては犠牲を払わねばならない。だが諸君ら。崇高なる使命を持つ諸君らは、もし傷付き異教の地に斃れることあれば、何の齟齬なくキズラサの神の御許に召され、永遠の祝福を以て天界に迎えられることであろう」


 「キズラサの敵に死を……!」


 「神に誉れあれ!……我等神の戦士に勝利と祝福を……!」


 熱烈な歓呼の声と、神を祝福する聖典の一節の連呼が、説教に対する熱狂的なまでの反応だった。



 ……そうした光景を思い出しながら、ハーレンは空を見上げる。


 朝の冷気は頬に心地良く、いささか厚着のきらいがある軍装でもこの時間帯は凌ぎやすい。いまごろ祖国で自分の帰りを待つ妻はどうしていることだろう。すでに寝床から起き出し、朝の礼拝と食事を終え、官舎の中庭で洗濯物でも干し出しているかもしれない。職務上仕方のないこととはいえ、愛する人を一人、孤独の内に晒すのは正直辛い。


 願わくば、二人仲睦まじく平穏に暮らせる日々の早く来たらんことを……目を瞑り、心よりキズラサの神に祈るハーレンであった。彼らと行軍を共にするハーレンの率いる第四五歩兵中隊 エイラ中隊の役割は、このいささか血気に逸るきらいがある「信心深い」連中の軍事顧問―――言い換えればお目付け役――――といったところだ。


 同じような任務を、ハーレンはこれまで部下達とともに何度か経験している。それはノドコールやその他の「解放地」において、未だ抵抗を続ける敵性勢力の掃討任務だ。「新世界解放戦争」が始まって以来、当初は軍の作戦の一環だったこの種の任務は、今では大抵民族防衛隊の請け負うところとなっていた。


 だが……彼等がこの任務を何の卒なくこなして来たかというと、これまでの経緯を間近に見てきたハーレンからすれば暗然とせざるを得ない。民族防衛隊を構成する者の多くが、基本的に熱心なキズラサ教徒であり、教会の熱烈な支持者である。それは一面では、信仰という範疇から一歩外へ踏み出したときの視野の狭さを否が応にも露呈させてしまうことにも繋がる。


 そうした視野狭窄は、キズラサの威光に従わない異教徒、異種族への度を越えた排撃となって具現化する……現地文化の破壊。略奪。反抗的な態度を取る者に対する過度の報復……構成員によっては「解放地」の住民を「人間として扱うに値しないもの」として虐待することに快感を得ている節も見受けられたのだ。


 それは何も悪意から出たものではなく、悪魔を滅ぼし、信仰の敵を叩き潰しているという陶酔感である。なまじっか神の下での正義を信じている分だけ、こうした連中への対処には一層始末に困る。さらには、彼らの活動を支援している正規軍やキズラサ教会自体、彼らの暴挙を容認し、奨励しているようにもハーレンには思えるのだった。


 今回の任務でも、問題は遅かれ早かれ起こるに違いない……その対処に思いを廻らし、暗然とするハーレンであった。


 「……大尉どの」


 自分を呼ぶ声に、我に帰ったハーレンの視線の先―――荷台の向かい側に腰を下ろす中隊先任下士官のアスズ-ギラス曹長が、煙草の箱を差し出していた。


 「おやりになりませんか……? 眠気覚ましに」


 「有難う……頂くよ」


 ハーレンは吸い口の潰れていないものを慎重に選び、一本を引き抜いた。司令部の将校クラブで吸える植民地産の上質の葉巻と違い、配給の煙草は途轍もなく不味い。できるだけ状態のいいものを選んでおいた方がいい。背景には兵士を安楽な環境に浸らせれば堕落するという考え方があるのだろう。もしくは軍に嗜好品を納入する業者との間に癒着でも存在するのか。


 一服し、溜息とともに煙を勢い良く吐き出すと、ハーレンは頭を上げ、曹長に言った。


 「アスズ、武器の動作確認を」


 「ハッ……!」


 すかさず、曹長は部下兵士に武器の点検を命じる。階級こそ違え、アスズをはじめ中隊の部下達とは固い絆で結ばれている。曹長とは、何時如何なる時でもファーストネームで呼ぶ仲だ。同僚の士官によっては、「過度な馴れ合い」と陰口を叩く向きもあったが、そんな讒言はハーレンにとってどうでもいいことだった。


 そのままさらに走ること二時間……トラックが止まり、外の各所から「降車」を告げる号令が聞こえてきた。車列が停止してもなお、警戒態勢を取る人影のせいか土煙がしぶどく漂っていた。その中を掻き分けるようにしてエイラ中隊の兵士達も降車し、トラックの周囲で警戒態勢を取る。何せここはローリダの施政権の及ばぬ土地である。臨戦態勢は取るに越したことはない。

ギラス曹長と携帯無線通信機を背負った通信兵を伴い、部下兵士に指示を出すハーレンに、近付く人影があった。民族防衛隊の兵士だった。肩章から、指揮官付きの衛兵であることが分かる。


 「ハーレン大尉。指揮官殿が至急大尉に来て頂きたいと」


 「わかった。すぐに行く」


 兵士の導くままに従い、向かった先――――丘の麓に広がる光景にハーレンは思わず目を見張った。


 「…………!」


 ハーレン達の展開する丘の頂点。なだらかな勾配から遠方の平地にかけて点在する木製の櫓に、目を凝らさない者はいなかった。一体何をしているというのか?


 「石油でも掘っているんでしょうかね」


 「文明を知らぬ連中だ。石油など、何の利用価値があるか?」


 指揮官のグラフス‐ズ‐ローク予備役中佐が、双眼鏡を覗きながら副官と言葉を交わしている。その傍ら、腕を組み二人の会話を遠巻きに眺めている男には、ハーレンは実のところいい感情を抱いていない。


 その男と、ハーレンの目が合った。慌てて目を逸らそうとするハーレンに、男は口元から刃のような鋭い笑みを浮べる。


 こけた頬は、獲物を求める鷲のように鋭い眼を一層際立たせていた。中年という年齢ではないのに、骸骨を思わせる窪んだ眼つきとその周りを彩る皺が、切り揃えられた顎鬚も相まって老境に差し掛かった中年という印象を与える。その反面、細身ながらも長身、均整の取れた体躯が灰色の制服も相まって逆に只ならぬ精悍さを漂わせていた。


 さらに、背中に背負った細身の軍刀(サーベル)……ハーレンに言わせれば、この男こそ始終鷹揚な、腹の出た予備役中佐よりも遥かに危険で油断ならない男だった。


 「狩人(ハンテル)」ルガーと、民族防衛隊の兵士達は彼をそう呼んでいた。その響きにはどちらかと言えば畏敬の念よりも恐怖の要素があった。その名の通り、彼は狩人だった……ただし「人間狩り」専門の。


 戦争行為に意義を見出す者には二種類ある。戦争を愛国心の発露と見做す者と、単に殺戮を楽しむ者とに、である。ハーレンから見れば、彼は明らかに後者の方だった。「キズラサの神の敵」を掃滅することには熱狂的なまでの意欲を示す民族防衛隊の兵士の間でも、彼のやり口は恐れられ、困惑を以て受け止められていたのである。


 女子供も問わず対象たる敵を徹底的に追い詰め、無慈悲に止めを刺すというのが、彼の流儀だった。それだけに止まらず、止めを刺した「獲物」の首を切断し、頭蓋骨をコレクションしているという事実が周知のものとなるに至っては、味方であるはずの民族防衛隊に於ける彼の人望は極限値までに暴落したのである。その「戦いぶり」に関し、民族防衛隊の上層部から苦言を呈されたことも一度や二度ではない。

 それでも彼が組織を放逐されたり何らかの処分を加えられないのは、教会の関係者を親類縁者に多数抱えているからであり、実戦においてもこれ以上望めないほど優れた技術と指導力を持つ前線指揮官であるからでもあった。そして彼自身。周囲の白眼視などかつて彼が直接手に掛けた獲物と同様、何等意に介していないのだった。


 不意に、随行の兵士が麓の一点を指差した。


 「指揮官!……車です」


 トラックであるのだろうが、それにしては小さすぎた。丘の頂上に布陣するこちらに驚いたのだろう。その車は荷台に駆け込む人影を載せ、タイヤのスピン音もけたたましく東へと走り去っていく。それは彼等が初めて見た日本製の軽トラックだった。


 「ホウ!……車を作れるのかどうかはともかく、走らせる程度の文明は持っているようだな」


 ロークの感嘆は、心からのものであったのに違いない。だが、向こうに対する拭いようの無い優越感は隠しようが無かった。


 パン!……パン!……丘に陣取る兵士達が一斉に射撃を始めた。ロークの副官が慌てて制止しようとして、やめた。この距離からは当たらない。威嚇に止めておけばいいという判断の方が働いたのだ。


 案の定。逃げるトラックは小銃の射程外に達し、そのまま見えなくなった。


 「ここで態勢を整えておいた方がいいでしょう。あの文明度だ。何が待っているかわかりません」

 と、ハーレンはロークに言った。それに同調しかけた彼を遮るかのように、あるいは無視するかのように兵士達に指示を出したのは、ルガーだった。


 「行けっ……!」


 低いが、それでいて良く通る声だった。あたかも地獄の底から絞り出されているかのような印象を受ける。あの声で凄まれては、どんな者でも抗弁など不可能に近いであろう。間を置かずして猟師に追い立てられる猟犬宜しく、民族防衛隊の兵士達が一斉に丘を駆け降り始めた。固い表情を崩さずに彼らの後姿を注視するハーレンに、ニヤついたルガーは言った。


 「大尉殿は行かなくてもいいのかい?」


 数秒、声の主を睨みつけると、ハーレンは二人の部下を伴って丘を下り始めた。ハーレンが下りるのを見計らったかのように、ルガーも丘の斜面へ一歩を踏み出すのだった。




 スロリア地域内基準表示時刻7月22日 午前8時43分 スロリア西部ローリダ植民地圏境


 「総員降りろっ!」


 と、ローク中佐が号令を下すまでも無かった。彼らにとっての「敵」を目の当たりにした高揚感からか、兵士達は思い思いにトラックの荷台から駆け降り、一斉に村の入り口へと殺到してきたのである。銃を構える者。三人一組で重機関銃を担ぐ者。拳銃を振り上げ、部下を叱咤する者……それらはまさに椎葉達が見た、「転移」前の世界で撮られた戦争映画の情景そのままだった。


 ハーレンをはじめ、エイラ中隊の面々もその中にいた。こちらは万事心得たと言う風にハーレンたち指揮官の周囲を兵士達が囲み、相手の警戒心を抑えるべくゆっくりとした歩調で進むだけだ。

小道を歩きながら、ここに辿り着く前、櫓の点在する平原で起こった一悶着をハーレンは内心で反芻していた。平原を発つ直前。あの「狩人(ハンテル)」ルガーが、こともあろうにローク中佐に櫓を焼き払うことを進言したのである。



 ――――当初平原まで下り、櫓を間近に目にしたとき、ハーレンはこれは井戸を掘っているのだと確信した。それにも増して彼が驚いたのは、その櫓が機械に頼らず、身近な材料を利用したものでありながら、誰の手でも極めて効果的に作業を行えるように作られていることだった。現に櫓の幾つかはすでに水脈に達し、その奥底に飲用にも差し支えない清水を湛えていたのである。


 文明の利器と称し、何のバックアップもなしに高価で繊細な掘削機械を僻地に持ち込んだ挙句、無残な失敗を繰り返してばかりいるこちらと比べ、何という差か!……戦慄と感銘の入り混じった眼差しもそのままに、ハーレンはローク中佐に進言した。その指揮能力を買われて兵科に移籍するまではハーレンは工兵畑一筋であったから、彼の言葉には説得力もあった。


 「この技術は我々の役に立ちます。是非西方に持ち帰るべきです。もしくは現地種族に造り方を聞くかするべきでしょう」


 ……だが、それを破壊しろ、とルガーは言う。


 「土人に学ぶことなどない。全部残さず焼き払え」


 「土人云々は兎も角、これは我が軍の役にも立つのだ」


 「どうします?……中佐?」


 と、ルガーは彼の上官を見遣った。その曰く有り気な目付きからして指示を仰ぐというより、自分の意見に関し同意を得るといった意図がありありだ。それが一層、ハーレンの隔意を煽るのだった。本来なら隊全体の方針に一切の権限を持つはずのローク中佐が彼の言うがままに従っているのは、相応の鼻薬を嗅がされているからか?……それとも何か弱みでも握られているのだろうか?


 ルガーの一瞥―――というより一睨み―――で、ローク中佐は節目がちに口を開いた。


 「よろしい……ルガー君、君に一任する」


 無言のまま、ルガーは兵士に目配せした。反射的に櫓へ駆け寄る兵士の一群。指揮官としてのルガーの威光が行き届いているというより、彼に対する限りない畏怖感で隊が支配されているかのように思えた。


 「大尉殿、噂には聞いていましたがあの『狩人』、相当な曲者ですね」


 と、傍に居たギラス曹長が忌々しげに囁いた。彼に対するあからさまな嫌悪感は隠しようもない。


 「何でもあいつ、民族防衛隊幹部全員の弱みを握ってるって話ですよ。あのロークという予備役中佐なんか、キビル郊外の官舎に年端も行かない男娼を囲っているとか……」


 「中佐は同性愛者か……?」


 さもありなんという風にハーレンは頷いた。同性愛など、キズラサ教の教義ではタブー中のタブーである。明るみになればまず社会的な抹殺は免れない。ギラスの言うことが本当なら、ルガーはその確たる証拠を何処かいかがわしい筋から仕入れているのであろう。ハーレンもまた「忠実なるキズラサ者」として同性愛という嗜好には好意的ではなかったが、それが脅迫の材料となっていることを思うと、ルガーに対してはそれ以上に好意的ではいられない。


 わずか三〇分にも満たずして、櫓には全て火が放たれた。ハーレンにとってそれが命令とはいえ、何か大切なものを失いつつあるという感は拭えない。全ての櫓が火に包まれるのを見計らい、再び東へ進軍する間際になって、ルガーは炎を眺めるハーレンの傍に来て言った。


 「……大尉殿には、異種族の奥方がおられるとか?」


 「妻と今の任務と、何の関係がある?」


 「ローリダ人の女はお嫌いで?」


 「私の場合……愛した女がたまたま異種族だっただけだ。そして私は、未来永劫彼女を愛し続けるだろうな」


 ルガーは笑った。低い声から一転した、高らかな、子供のような笑い声だった。


 「大尉殿におかれては、相当な人格者であらせられるようだ」


 「君は……女を愛した事は無いのか?」


 「大尉殿……私にとって女とは一夜を共にするか、それとも酒の勺をさせるか……ただそれだけの存在です。異種族なら尚更のこと」


 「そういう考え方もあるだろうな」


 ハーレンは逃げるように踵を返した。彼にとってもっとも怒りを覚えることは自分の妻を他人に斟酌され、貶されることであったのだ。これ以上この男と面と向かって話を続ければ、その怒りを抑えきれる自信は今の彼にはなかったのだった。


 「大尉殿……?」背後から彼を呼び止める声に、元々少なかった彼に対する敬意はもはや完全に失われていた。


 「私は忙しいのだよ。ルガー君」自分の声が、柄にも無く荒々しくなっているのをハーレンは自覚する。


 「……女が御入り用なら、手配して差し上げますよ」


 「…………」


 何かに耐えるかのように目を瞑り、ハーレンは早足で部下の待つトラックへ向かっていったのだった。


 ――――トラックを降りて歩く内、ハーレンには一目で東方のこの村が、想像を超えて開拓の行き届いた土地であることに愕然とする。ローリダの施政権下にある西方から、遥々ここまで進軍を続けて辿り着いた人間の住む土地。ハーレンの知る西方の土地とは全く趣の異なるそれに、いささか拍子抜けを禁じえないハーレンであった。


 「…………?」


 道の両側からは、食用であろうということだけは察することが出来る植物が、見渡す限りに青々とした葉を茂らせていた。それはローリダの「解放地」の、未だ土壌改良の進んでいない荒れ果てた大地しか知らないハーレンにとって、信じられない光景であった。


 住民が住んでいるであろう家も、それなりに立派なものだった。レンガ造りの壁に藁葺きの屋根。西方には、度重なる不作と災害の末、住む家を失い農地より遠く離れた洞穴に住んでいる者だっているというのに……少なくとも、彼等が自分たちが住むのに快適な家を作るほどの余裕を持っていることは感じられた。


 「何だこれは?」


 民族防衛隊の一人の兵士が、畑にズカズカと踏み込み、青い葉を引き抜いた。引き抜いた根元に丸々と赤黒く肥えたサツマイモを見出し、思わず腰を浮かす。


 「赤い作物……これ、食べられるのか?」


 「さあ……」


 などと、首を傾げあっている。民族防衛隊に属する兵士の多くが、根が純朴な若者であるだけに、純粋な興味を持って見ているのだろう。


 無人と化した家に入った兵士が、上官を呼ぶ声がした。歩を進めたハーレンの前に兵士が持ってきたのは、軍用の携帯無線機をさらに小さくしたような、伸縮式のアンテナの付いた箱であった。箱にはダイヤルが付いていて、ハーレンがそれを捻ると箱はたちまち現地種族らしき女性の声を響かせ、ハーレンは顔を綻ばせた。


 「これはラジオだ……!」


 「蛮人がラジオなど使うのですか?」


 「ノドコール人だって使うんだ。ここの連中が使っているとしてもおかしくないさ」


 だが、両手に納まるくらいに小さなラジオをハーレンが目にしたのは初めてだった。それに声の質もいい。ローリダにも、これほどのものはない。


 「不思議なものだな。辺鄙な土地なのに、これほどのものを持っているとは」


 「不思議といえば、連中の車もそうでしたね。まるで本土の田舎にでも帰ってきたような感じです」と、ギラス曹長。


 「もっと進軍すれば、都市があるかもしれんぞ」

などと言い合っているうち、本隊が追及してきた。先頭を行くローク中佐に敬礼し、ハーレンはラジオを差し出した。


 「住民の家より発見したものです。お改めを」

中佐は困惑したようにそれを受取り、形ばかりに弄くると、間を置かずしてそれをハーレンに突き返すのだった。


 唖然とするハーレンに、中佐は言った。


 「ハーレン大尉。こんなものより……その、何というか……金とか宝石は無いのかね?」


 「宝物ですか……?」


 今度はハーレンが困惑する番だった。「キズラサ教の尊厳と信者を守るべく」して創設された民族防衛隊だが、当の構成員。特に指揮官クラスにその自覚があるとは到底思えない。彼らの一部には、隊としての任務をむしろ手っ取り早く国外の金や土地を得るための手段の一つと考えている節があった。

気まずい沈黙を破ったのは、一人の兵士の声だった。


 「指揮官っ!……人がいます」


 場は、途端に色めきたった。視線を転じた先に、物陰から走り去る二人の人影。反射的に複数の兵士が小銃を構え、遠くへ走り去る小さな人影へ向けて発砲を始めた。


 「やめっ!……発砲やめ! 未だ子供じゃないかっ!」


 ハーレンは声を張り上げ兵士を怒鳴りつけた。矢鱈滅多らに発砲したがるのも、民族防衛隊の悪い癖の一つである。舌打ちしたルガーが、未だ銃を構え続ける兵士を蹴飛ばし、襟を引き摺り上げて跳ね飛ばした。先程の態度とは打って変わったルガーの態度に、ハーレンは唖然とする。


 「今度はやけに聞き分けがいいじゃないか?」


 「感じないか?……大尉殿」


 ルガーの鷲鼻が微かにひくついているのに、ハーレンは気付いた。鷲のような眼が一層細まり、その口元には刃物のような笑みが宿っている。節くれ立った指で顎鬚を撫でながら、ルガーは言った。


 「人間の匂いがする……遠くないし、場所も近い」


 ルガーは舌なめずりした。その残忍な響きに、背筋を震わす何かを感じざるを得ないハーレンであった。




 スロリア地域内基準表示時刻7月22日 午前9時07分 スロリア東部


 「やつらが来たぞっ!」


 荷台の若い衆を振り落としながら村に滑り込んできた軽トラックがもたらしてきたのは、予想通りの凶報だった。


 姉妹は、長谷川がJICAノイテラーネ支部に掛け合い特別にチャーターさせた軽飛行機で先日の内に後送してある。姉妹に付き添う形で、支部への連絡に向かう長谷川を、椎葉はこう言って送り出したものだ。


 「お前の仕事はガキどもを安全なところへ運んだら、直ぐ状況を本部に、余すことなく伝えることだ。それまでおれ達が何とかして時間を稼ぐ。自衛隊でもなんでもいい!……仕事が終ったら一刻も早く、応援を連れてきてくれ!」


 長谷川は頷いた。軽飛行機のレシプロエンジンが、金属音も高らかに一層回転を強める。急ごしらえの飛行場で滑走を始めたばかりの機体。その半分閉じかけたドアから長谷川は身を乗り出し、見送る椎葉を振り返った。


 「椎葉さん!……おれ、必ず戻ってきますから」


 長谷川の視線の先で、笑みを浮べる椎葉がぐっと親指を上げた――――それが、長谷川が彼を見た最後だった。


 一方で、すでに村は覚悟を決めている。女子供はもとより、村長を除く全ての老人は夜の内に山に避難させてある。本当なら村長も避難させたかったのだが、再三に渡る説得にも関わらずここに残ると言って聞かなかったのだ。


 村長の家の庭には、村の若い衆をはじめ近隣の村からも集ってきた連中が一群を成して手に手に棒や鋤を持ち、緊張した面持でヴァクサと椎葉の言葉に耳を傾けていた。

椎葉は言う。


 「いいかっ……我々の目的は先方と争うことじゃあない。あくまで話し合うことだ。現在長谷川君がJICAの出張所と連絡を取っている。従って応援の人員がすぐにやって来る。我々の目的は対話で時間を稼ぎ、先方を納得させることである。ただし、先程言ったように連中はかなり非友好的だ。場合によっては君達の感情を害することがあるかもしれん。だが激情に駆られ、軽々しい振る舞いは絶対に控えて欲しい……!」


 人員の配置など、細部に関する説明をヴァクサに譲り、座から席を外した椎葉を、軽トラックを運転し息せき切って帰ってきた三島が呼び止めた。


 「椎葉さん、来ましたよ」


 「連中の数は?」


 「それはもうたくさん。トラックを連ねてやって来てますよ。しかもこれ、見てください」


 軽トラの側面を彩る生々しい弾痕に、さしもの椎葉も眉を顰めた。


 「やつら、本気か……?」


 「もうちょっとズレてたら、僕ぁもうここにはいませんよ」


 「おいあれを見ろっ!」


 悲鳴のような声とともに、一人が遠方を指差した。村から離れた遥か遠方。丘を隔てた向こう側から蒙蒙と立ち上る黒煙が、皆のどよめきと怒声を呼び起こしたのだ。


 「あれは、井戸掘りの現場じゃないか……」


 誰かが、放心したように言った。その瞬間、この場の誰もが未だ見ぬ連中との対話に絶望していたのは確かだった。


 「来たぞっ!」


 後席に機銃座を据え付けた車を先頭に、重厚なフォルムをしたトラックの車列が続々と村へと近付いてきた。その荷台の何れにも、非友好的な眼差しをした灰色の制服の群れを伴っていた。遠雷の如きディーゼル音とともにこちらまで伝ってくる茶色の土煙が、その場の皆の頬を、頭髪を、そして背筋を撫で、砂風は生暖かい風に煽られ、無関心を装うかのようにさらに東へと流れていく。


 トラックから湧くように這い出してきた灰色の制服の一群が、蜘蛛の子を散らすように農道に、そして畑に散開していく……すわ略奪かと思いきやそうではなく、単に人間を探しているのだということが彼らの素振りから感じられた。


 「盗賊じゃない……マジもんの軍隊だ」


 と、椎葉が忌々しげに呟いた。弾けるような銃声が轟いたのは、そのときだった……程無くして、昨夜山に逃がしたはずのエディロ達村の子供が、息せき切って家に駆け込んできた。銃声の原因が彼らにあることを察した大人たちが目を剥いた。


 「ばかっ! 怪我でもしたらどうするんだ」


 「変なやつらが来るっ……もうすぐ来るよっ!」


 そのときには、灰色の一群はすでに村の広場へと達していた。村長の家からは目と鼻の先。そこで一群は動きを止めた。先日に椎葉達がひと悶着を起こした連中が着ていたのと同じ黒衣に身を包んだ老人が進み出た。


 自分たちの居場所が知られている……と、椎葉は思った。


 良く通る声で、老人は叫んだ。


 「キズラサの神の名において背教の徒へ告ぐ! 直ちに神の忠実なる僕ラムシア‐ミレスとキュリア‐ミレスを我等が元へ帰し、汝らもキズラサの教えに従え!……さもなくば、比類なき災厄が汝らに降りかかるであろう」


 「椎葉サン、連中、どうやらあの二人を帰せと言ってるみたいですね」

と、ヴァクサが言った。椎葉は無言で頷くと、すたすたと広場へと下りる道を歩いていく。


 「椎葉サン、何処へ……?」


 「ちょっと連中と話を付けてくる」


 「先生、そりゃムリですって」


 三島と石川が止めようと椎葉の肩を掴んだが、椎葉はそれを振り払い、さらに歩を早めた。


 「わしが行きますよ」


 と、学校管理人の横山が進み出る。日本にいたときは機動隊から教員に転身し、不良校ばかりを渡り歩いた気骨のある男だ。椎葉より一歩間を空け、ただ黙々と彼の後に付いて行く。そこにヴァクサも続いた。後を追おうとする村人を、彼は制した。


 彼ら三人の様子は、すでに進軍してきた民族防衛隊の察知するところとなっていた。


 「住民が来ます……!」


 「数は……?」


 「三名です」


 双眼鏡を覗く兵士の報告を、「狩人(ハンテル)」ルガーは満足気な笑みとともに聞いた。そして、背後のローク中佐を振り返った。


 「どうやら、降参するつもりでしょうな」


 ハーレンが俯きがちに頭を振った。


 「いや、話し合いの機会を持つつもりだろう」


 「話し合い?……そんな知性のある連中には到底見えませんがね」


 「本官の勘は結構当たるのだよ。ルガー君」


 「私だって、狩人としての勘ぐらいは備えているつもりですが」


 「今あそこから向かっている住民は、『狩り』の対象ではないぞ」


 苦笑交じりに眉を顰めるルガーを他所に、ハーレンはローク中佐に向き直った……隊を離れる同意を得るために。


 「あれは誰だ……?」


 二人の男が、広場に足を踏み入れた椎葉達の方へ向かってくる。反射的に、椎葉は二人を制し、歩を止めた。


 濃緑色のコートに身を包んだ中肉中背の青年と、彼の後に付き従う同じ服装をした大男の二人。青年は肩から拳銃を掛けており、大男の方は小銃を提げていた。外見からすれば、非友好的極まりない出で立ちである。


 さすがに緊張の顔を隠せない椎葉の前で、二人も歩を止めた。突き刺すような青年の蒼い眼と無表情とが、椎葉達の緊張を否が応にも高める。


 その青年が、言った。


 「君らはここの住人か?」


 「彼がそうだ。我々二人は違う」


 と、椎葉はヴァクサを指差す。


 「君らの素性は兎も角、直ぐに我々の要求を受け入れてもらいたい」


 「要求と言うと、二人の少女のことか?」


 ハーレンは頷いた。そして三人を凝視する。住民と指された一人を除き、他の二人に関してはその素性に関し疑念を抑えることが出来ないハーレンであった。それに、住人と比べ顔立ちにかなりの違いがあるのも気に掛かる。


 その二人の中で比較的若い顔立ちの中年男性――――椎葉が言った。


 「あんた達には悪いが、それはできない」


 「何故?」


 「もともと二人を親元から無理矢理引き離したのは君達だ。人道上そんな君達に二人を託すわけにはいかない。」


 「二人を……どうするつもりだ?」


 「親元に帰す。君達が邪魔をしないのならば、の話だが」


 「君達の善悪観はともかく、二人を今直ぐにこちらに寄越さないと、我々はこの村を攻撃することになる。」


 「ちょっと待ってくれ。二人を連れて行ったのは我々だ。ここの住人とは無関係だ」


 「君達がか……?」


 ハーレンは椎葉の顔を覗き込むようにした。


 「とにかく、この件に関してはもっと突き詰めた話し合いをしたい。できればもっと時間を置いた上でまた話し合いの機会を設けたいが」


 「その間、二人の身の安全は保障するか?」


 「もちろんだ」と、椎葉は頷いた。


 「…………」


 ハーレンは、興味深げに椎葉を見詰めた。決して敵意の篭った眼差しではなかった。それに、貴重な水源を確保するために苦心を重ねたであろう櫓を燃やされた上でのあの落ち着き払った態度……彼は嘘を言う男ではない。本気で話し合いを望んでいるのだろう……実戦と人生経験で培われた審査眼が、彼の心中にそう言っていた。


 ハーレンは未だ黒煙の燻る丘陵の向こう側を指差した。


 「あれは、井戸を掘っていたのだな?」


 「人間はたくさんいるから、また造ればいいさ」


 「あれはいいものだ。我々の土地でも普及させたい。できれば作り方を教示願いたいが」


 「ああ、喜んで教示する」


 ハーレンは微笑んだ。青年らしい、爽やかな笑いだと椎葉は思った。


 「……隊を代表し、同僚の非礼をお詫びする」


 一礼し、安堵の嘆息とともに、ハーレンは背後を振り返った。


 「ちょっと待っていてくれ、私が指揮官に掛け合ってみよう」


 と、ローク中佐のもとへ戻りかけたそのとき―――――


 ハーレンが踵を返すのを見計らったかのように、村の家々から勢い良く火の手が上がった。赤い炎はその手を四方に延ばし、やがては畑までも飲み込んでいく。周囲だけではなかった。火の手は村の各所から上がり、村全体を灰にする勢いだ。


 「これはどういうことだ!?」


 椎葉の怒声。ハーレンははっとしてルガーを見遣った。


 「貴様っ!……一体何を?」


 「この村の占領及び住民の教化は司令部の規定路線だ。やつらの時間稼ぎに付き合っている暇は無い。」


 口を開いたのは、意外にもローク中佐だった。唖然としてハーレンはルガーを見詰めた。


 「司令部……!?」


 「そう、あんたらの大親分さ。植民地軍総司令部のご指示だよ」


 無線機を弄くりながらルガーは言う。ハーレンを相手にすることの煩わしさは隠す様子もない。


 「頼むっ……止めさせてくれ! こことは何の関係もないんだ!」


 ハーレンに掴みかかる椎葉の背後に忍び寄った兵士が、無慈悲な銃床の一撃を椎葉の背中に振り下ろした。激痛と衝撃に耐えかね足元から崩れ落ちる彼を助け起こそうと駆け寄る二人も、たちまちその両脇を灰色の制服に取り囲まれ、強引に組み伏せられる。その三人の前に憤懣やるかたない表情の従軍司祭が歩み寄り、指を振り上げ詰問した。


 「異教徒よ今一度問う。キズラサの神の御心に従い、我等の導きを受けるか? 受けぬならば、永遠の業罰が下されるぞ……!」


 その間も容赦なく振り下ろされる銃床。そして胸といわず腹といわず体中を蹴りつけられながらも、椎葉はハーレンへの哀願を止めなかった。


 「頼む……お願いだ……止めさせてくれ」


 「…………」


 ハーレンとしては、無様に地面を這い回る椎葉をただ見詰めるしかない。その顔からは、明らかに血の気が引いていた。周囲では兵士が家屋に火を放ったり、家々から家畜を略奪したりなど、文字通りに好き放題に振舞っている。それを止める力はもはやハーレンに残されてはいなかった。というより、当初民族防衛隊の「お目付け役」として派遣されたはずの自分が、本当は何の成果も期待されていなかったことに気付き、只愕然とするばかりだったのだ。


 それまでずっと兵士達の「制裁」を見守っていたルガーが、言った。


 「そこに転がっている豚共を俺の目の届かんところに連れて行け。目障りだ」


 そして、広場から臨む一点を注視し、続ける。


 「……住民が向こうにいるな」


 「どうする気だ……?」と、ハーレンは声を震わせる。


 「安心しろ、殺しはしないよ。何てったって……貴重な商品だからな」


 「商品……!?」


 思わず、ハーレンはルガーを振り返る。顎鬚を撫で付けながら彼は続けた。


 「幸い、ここは質のいい労働用奴隷をたくさん供給できそうだ。うちのお偉いさんも涎を垂らして喜ぶことだろう」


 先程ルガーが注視した先から、銃声が轟いてきた。後に続く怒号と絶叫……それらを聞きながら、兵士の容赦ない弾圧に晒されているであろう住民と同じく、ハーレンはもはや震えているしかなかった。





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