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The Islands War  破局の章 作者:スタジオゆにっとはうす なろう支店
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序章 「定例会議」

ローリダ国内基準表示時刻三月二七日 午前一一時一七分 首都アダロネス 共和国殿堂


 極端なまでに抑えられた照明が、返って一層場の奥行きの広さと荘厳さを際立たせていた。


 五段をぶち抜き、位置によっては壇上の人物の視認すら敵わぬ広大な講堂。そこは見渡す限りの聴衆で埋まっている。それは外部から入ってくる人影を飲み込み、聴衆は分刻みにその量感を増していくことはあっても、決して減ることはなかった。


 さらに眼を凝らせば、講壇の直ぐ下に腰を下ろす一群が、煌びやかな赤を基調とした軍装に身を包んでいる若者であることに気付くはずだった。彼らの何れもがこれより軍務に赴く身であるとは思えないほどに、初々しい少年少女の面影を引き摺っている。そしてこの場の真の主たる彼らの、忠誠心と純真さを無言の内に主張するかのような両の眼は、すでに十分近くの間にわたり壇上の弁舌に注がれている。


 ――その壇上。


「――戦争を行うからには我々は徹底的に正義に徹しなければならない。戦争における我々の行いの全てが正義であり、真実であることを周囲に示さねばならない。何故ならそれは、戦争に勝利するのと同じくらい、諸君ら国防軍軍人の名誉、ひいては共和国の将来に重要な意味を持つことだからである」


 重い意味を持つ言葉ではあるのだろうが、そうと感じさせないほど弁舌者の口調は軽く、流麗だった。その声に、場の中には共和国を守る古代神話の女神リダの御宣託を連想した者もいた。そして弁舌者は、彼らの信ずる女神にも負けず劣らず美しかった。


 背は……高い。真白い礼帽には、未亡人たるを示す紅い羽飾り。長い黒髪は白皙の頬までもその豊かさと艶やかさを以て飾り、長い睫毛の下、意思の強さを示す大きな、緑色の瞳は、暗い場内にあってもエメラルドを嵌めこんだかのように湧き水のような光を湛えていた。

形のよい、薄い唇はその静粛な外見からは想像も出来ぬほどに張りのある、耳に心地の良い声を圧倒的なまでの教養を背景とした修辞を以て場に響かせていた。


「――ナガトラーザ……ノドコール……ナサリム‐クール……その何れも現地国民を苦しめ、自由を抑圧し、我が国への明確なる攻撃の意図を持った敵であった。わが共和国、そして親愛なる共和国国防軍は、世界の正義と自由を守るべくこれらの獰悪なる敵と戦い、偉大なる勝利を収めた。だが、我等の為した偉大なる事業はそれだけにとどまらない。これら暴虐で、無能なる政府から民衆を解放し、彼らにローリダの名の下で自由と豊かな生活をもたらしたのだ。

 諸君らは、これより国防軍士官たる諸君らは、斯くの如き光輝ある歴史を持つ共和国国防軍の一員たることに誇りを持つと同時に、国防軍の一員として、共和国に、そしてこの新しい世界に偉大なる歴史をもたらすことに貢献せねばならない。かの運命の刻より三〇年……我等がこの世界に導かれし真の意味はこれまでの我等の偉大なる業績に雄弁なまでに顕れている」


 そこまで言ったところで、彼女は弁舌を止めて周囲を見回す。沈黙を守る人影の中から不意に焚かれるフラッシュにも、大勢を前に壇上に佇む者が苛まれる孤独にも、その緑色の眼光は微塵たりとも動じるものではなかった。ただ経験と天性に裏打ちされた圧倒的なまでの自信が、彼女の立ち居振る舞いの一切に満ちていた。


「――我らは実際に正義を行うだけではなく、あらゆる手段を講じて敵を徹底的に悪魔に仕立て上げねばならない。出来うれば敵と戦争状態に入る前にこれらの準備を為しておくことが望ましい。そのためには徹底的に周囲を騙さねばならぬ。敵を欺かねばならぬ。敵を貶めねばならぬ。敵の味方を減らさねばならぬ。もしくは敵の味方をこちらへ引き寄せるのが望ましい。友に裏切られた人間ほど弱く、愚行に走りやすいものだ。

 こうして敵を作り上げたとき、もう一つの利点が我らに付属する。それは正義を実現する上で我等の国民に一層の使命感と高揚感、一体感をもたらすのである――」


 この日は、ローリダ共和国国防軍士官学校第187期生の記念すべき巣立ちの日だった。平均して二十歳前後の士官候補生にとって、この日を境にまる四年に及ぶ薫陶の日々は終わり、以後彼らは本土各地の基地や教育機関。そして海外の植民地駐留軍基地へと散っていくのだった。共和国首都アダロネス中枢の建国広場。そこに面した壮麗な共和国殿堂で開かれた卒業式に赴いている彼らにとって、政界ひいては社交界において才女として名高いルーガ‐ラ‐ナードラの記念講演は最高の餞と言えるのかもしれなかった。


「――この場にお集まりの皆様には、旅立つべくここに集った若人達の壮途に心から祝福の声を送り、暖かくも厳しい眼を絶えず向けておいていただきたい。かつて私自身もそうであったように、軍人は他者の目によって育まれ、鍛え上げられていくものだからだ……最後に、心よりの誠意を込めてこの言葉を若人達への餞の言葉としたい。彼らに慈悲深きキズラサの神の恩寵あらんことを」


 割れんばかりの満場の拍手が、餞の言葉への答礼だった。観衆の中には感激の余り壇上に駆け寄り、ナードラに握手を求める者もいた。礼装に身を包んだ士官学校の女子生徒が、花束を捧げ持って彼女に近付いてきた。


 白皙の美貌が、満面の笑みに緩んだ。



 夕方から開かれる卒業記念レセプションには、まだ時間があった。


 今なお列席者の登壇が続く殿堂を出たところで、ナードラは大きく手を振り上げ、背伸びをした。彼女の眼前には、何も遮る物もない広場を見下ろすように透き通るような青空が広がっていた。数刻の遅れを置いて、階段の一角を占領していた鳩の一群が、背伸びがてらに空を見上げる彼女の視線を遮るように青空へと飛び上がった。


 傍に付き従う乳母が、顔を顰める。

「お嬢様。またはしたない真似を……」

「安心しろ。誰も見ていない」


 ナードラは微笑んだ。太陽に負けず溢れんばかりの笑み。こういう羽目を外すような真似をして謹厳実直な乳母を困惑させるのが、ナードラは嫌いではなかった。

 確かに、白亜の殿堂へと続く大理石造りの階段を下りているのは、今のところナードラと乳母エリサ。そして数名の護衛だけだ。だが実のところ彼女は、この式典に列席したお歴々の中で、最も多忙な部類に入る人間なのかもしれなかった。育ての親であり、現在病気療養中の祖父に代わる元老院議員代行。本家ルーガ財閥の系列企業十数社の最高執行責任者。共和国愛国企業連盟の顧問でもあり、共和国騎兵中佐の地位を擲ってまで結婚した良人を列国との戦争で亡くした彼女はまた、共和国退役軍人会及び共和国戦争遺族会の執行部にも籍を置いていた。上記の他、ナードラは両手両足の指を使ってもなお数えたりないほどの公職、そして名誉職を兼任しているのだった。


 「議員……!」


 初々しい声が、階段の下からナードラを呼び止めた。護衛が前に出た先に立ち尽くすのは、赤を基調にした士官学校の制服。襟章はあと一年で彼等が先程と同じ式典の主となることを示していた。恐らく式典の準備の合間を縫って抜け出してきたのであろう。恐縮したように彼女を見上げる士官学校の学生数名を、ナードラは興味深げに見下ろすのだった。


 「議員の御前である。遠慮しないか」


 前を塞ぐようにする護衛を、ナードラは制した。


 「構わない……用件を聞こう」


 一人の少女が、おずおずと切り出した。


 「ナードラ様のサインを……頂きたいのです」


 快諾し、差し出された手帳にサインする傍ら、注意を促すのも忘れない。


 「軍務を疎かにするのは、余り感心しないな」


 と言いつつも、その眼は笑っていた。そして、力を篭めて生徒の手を握る。はじめは緊張していた生徒の顔は、全員分のサインを終える頃には重荷から解放されたかのように晴れやかなものとなっていた。


 「これからも、学業と軍務に精励するように」


 「はい!……議員」


 レセプションが始まるまでに、ナードラには元老院において一仕事が待っている。



 建国広場から元老院議事堂まで、一切の交通法規から自由な議員専用公用車でも三十分近くの時間を要した。アダロネス市街を縦横無尽に走る主要幹線道路の走る一部の区域は、時間によっては溢れんばかりの車の奔流で埋め尽くされることがある。昼下がりの元老院の周辺は、まさにそういう場所だった。各地からやってくる元老院議員の支持者の車列で、付近一帯が埋め尽くされてしまうのだ。


 当然、その目的の大部分は利権に関わる陳情と献金にある。来るほうも来るほうだが、こうした有象無象の輩を神聖なる元老院に呼び込む俗物どもに、ナードラは何等好感触を示すものではなかった。家が富裕な財閥であり、金銭面で苦労した経験にはどちらかといえば乏しいナードラには、こうした醜態は社交界に出て十年以上が過ぎた現在でも理解の外であったとも言える。


 渋滞にはまった公用車の中で、決済未了の書類や今後の会議や議会で使う資料に目を通すのも毎度のことだ。この日は、共和国外交安全保障委員会の定例会議が、重厚な造りの元老院議事堂の一室で彼女を待っていた。会議が終る頃には、市内の高級ホテルで行われる卒業式後のレセプションはすでに始まっている。だが普段より多忙の身、さらには委員会においてこれより重要な議案を提出する身なれば、多少の遅参ぐらい、皆も笑って赦してくれるというものだ。


 途上、車は行政区に隣接する文化施設の集中する一角に差し掛かった。そこでは市民劇場や各種競技場が所狭しと威容を聳えさせ、その周辺の広場では同年代の少年少女から編成される体育団や音楽団が練習を続けていたり、つかの間の休養を楽しんでいたりする。


 「善きローリダの母となるために」――――共和国人種衛生局主導のスローガンの下、少女期のナードラもまた、かつてはそうした少女体育団の中に入って陸上競技や馬術の練習に汗を流し、青春の日々を謳歌したものだった。書類を捲る手を止め、ナードラは車窓から広がる公園の木々の連なりに静かに目を細めるのだった。


 もう戻ることのない日々……それでいて、微笑と共に回想できる日々。


 大理石の白一色。壮麗な彫刻に彩られた環状の造りも煌びやかな元老院議事堂では、外交の実働機関たる外交評議会より出向して来た官僚が、ナードラを待っていた。


 「議員、委員の皆様はすでにお揃いで御座います」


 「うむ……」


 案内されるままに歩を進めた先は、一階の奥まった一室。


 やや早足気味に廊下の赤絨毯を進むナードラからは、すでに車内の穏やかな表情は何処かへと消え去っていた。部屋で待っていたのは同じく委員会に名を連ねる元老院議員と官僚だけではなく、国防軍総司令部付の高級士官も二人、末席に連なって主賓を待っていた。

 その内の一人――――大佐の階級章を付けた一人の男性と、ナードラの視線が交錯した。一瞬の目礼――――それ以上は何もなく、早足で上座に歩を進め、持ち込んだ書類を黒檀のテーブルに下ろすと、席に付かずにナードラは第一声を発する。


 「お集まりの諸君には、多忙なる中貴重なる時間をお割き頂き、感謝を表す言葉もない。だが事は急を要するものである。諸君には、今日は是非とも母国ローリダを取り巻く顕在化した、もしくは潜在的な脅威について積極的に持論を闘わせて頂くことを期待してやまない。そこでまず……現在配布中の各種資料にお眼をお通し願いたい」


 資料の草稿は、列席者に技術的な助言を行う立場として同席を願った国防軍の高級士官にはすでに渡してある。うち上級のエイダムス‐ディ‐バーヨ大佐は国防軍総司令部の気鋭の若手参謀であり、ナードラとは士官学校時代の同窓であった。


 会議が始まって数刻の間は、資料を熟読する沈黙の内に推移した。分厚くもなく、かと言って薄手というわけでもない資料の一ページ々々に眼を凝らす列席者の表情を楽しむように眺めながら、ナードラは現在首都郊外の私邸で療養中の祖父のことを考えていた。


 ……が、物思いに耽るのも一瞬。レポートの冒頭に付された題字が、彼女を現実の世界へと一瞬にして引き戻す。


 『ニホン――――新たなる脅威』


 手許に置かれた自作レポートの表題を声にならない声で呟き、ナードラは一座に向き直った。


 「現在我等の同胞による開拓の手が進んでいるスロリアでは、野蛮な現地種族との衝突が頻発しているのは周知の通りである。彼ら下等種族は土地改良の名の下、次々とローリダ人移民が開拓すべき土地を奪い、『聖典』に背く作物を育て、希少なる水資源を独占している。その背後には、対外進出を隠れ蓑にしたニホンの明確にして野蛮なる侵略の意図がある……」


 そこまで言い、一座の反応を確かめるかのようにナードラは視線を一巡させる。


 「あまつさえ彼ら……ニホン人はスロリアの奥地までその走狗を侵入させ、資源調査と称して各地の要衝を占有している。同時に彼らは現地の通商を独占し、文明を知らぬ現地種族に彼らの堕落した文化を持ち込もうとしているのだ……資料のページ10を注視して頂きたい」


 一斉にページを捲る音……ややあって、苦渋に満ちた唸りが場から漏れ聞こえてくる。ページ10には、極端なまでに戯画化された少年少女の絵。中には胸と腰を強調して表現された肌も顕な女性、そして明らかに年端も行かないと見える少女の、淫らな行為そのものを描いたシーンが載せられていた。


 「これらは、ニホンの友邦国エウスレニアで我が国の諜報機関が入手した日本の動画や漫画より抜粋したものである。ニホン人はこれら堕落した文化をスロリアにも持ち込み、最終的には世界の種族を篭絡することを企んでいるのだ。すでにニホンはエウスレニアのみならず周辺各国を経済的に支配し、心ある人々に残虐なる弾圧を加えている。我等はニホン人の打った頚木よりこれらの種族を解放し、真の自由の下でキズラサの教えに導く義務を偉大なるキズラサの神より与えられている。我等の責務は重大であり、失敗は許されない」


 そこまで言って、ナードラは末席のバーヨ大佐に目配せした。彼が隙のない動作で席より立ち上がるのと同時に、隣席の少佐が映写機の準備に取り掛かった。


 「これより御覧頂きますのは、周辺国の領海で示威行動を行うニホン海軍を映したものです。ニホンは着々と軍備をも整え、周辺国にその軍事力を誇示しております」


 ブラインドと照明の切断により一切の暗闇に覆われた室内。ややあって稼動を始めた映写機は、海原を進む一隻の船影を映し出す。その真白い船影はその巨体に関わらず比較的小口径の機銃で武装していた。一座の中で多少軍事に明るい者の中には、その不可思議さを内心で訝しがる者もいたことであろう。そしてその船腹に描かれた文字。そこに描かれていたのは、「Japan Coast Guard」というものであったが、彼らにそれが読めよう筈がない。


 「これは我が情報機関が撮影したニホン海軍最大級の艦艇です。艦内に100名の武装要員を収容できると同時に、回転翼式の航空機を二機搭載、運用できます。我々にとっては取るに足るものではありませんが、ニホンの抑圧に喘ぐ周辺の小国にしてみれば重大な脅威です」


 「……確かに、取るに足らんな。まともな軍事力がないから、かくの如く姑息な手法を使うのでしょう」


 「こんなもの、我が海軍自慢のレ‐バーゼ級を以てすれば鎧袖一触。五分で沈めて見せるわ」


 鼻で笑う声……そんなものに、ナードラは無関心だった。ただ手許の資料に付された数字に目を凝らし、捕捉説明を行うのみだ。


 「ニホンの軍事力は、実のところその経済力に比して強大とは言えぬ、だが、いずれは彼らは軍事力を増大し、我等にも侵略の手を延ばしてくるであろう。そうなる前に、彼らに打撃を与え、屈服させねばならぬ。病に罹る前にその兆候を根絶するのと罹患してから治療に取り掛かるのとではコストも手間も違う。現況では植民地の維持に手一杯の我等としては、出来うる限り前者の方策を採りたい」


 「……で、ナードラ議員に置かれては、その後はどうなさるおつもりか?」


 「腹案でもあるのか?」という問いに、ナードラはこの場で初めて笑った……微かに、そして皮肉っぽく。


 「ニホンを屈服させ、内政の一切を掌握した後に、全ては始まる。まず第一段階で彼らの指導者の悉くを処分し、彼らの忌まわしい制度、機構の全てを廃止する。第二段階で彼らを彼らに相応しい地域に隔離し、断種を以って彼らの個体数を制御する。第三段階で彼らの奇怪にして愚昧なる文化を完全に断絶させる。ニホンに対しては、これらの段階を徹底して行っていくことが望ましい。全ては―――――神の御心の下に行われる」


 人工的な暗闇の中、周囲から聞こえ来る感嘆の溜息が、彼女の腹案に対する回答だった。




 「――――意義ある議論の場を設けてくださった皆様には、心より感謝したい。ではまた……」

儀礼に塗り固められた言葉で場を締めくくり、一同を解散させた後。会議室にはナードラとバーヨの二人が残された。末席から椅子に凭れかかり、バーヨは只じっと、書類を纏めるナードラに目を細める。書類を手繰る手を止めず、ナードラは言った。


 「……言いたいことがあれば、どうぞ?」


 その言葉に、一切の隔意は無い。車内の柔和な顔に戻っていた。


 「会う度に君は変わる。全く……素晴らしい女になったものだ」


 「お褒めに預かり光栄だけど、それで逆上せ上がる自分は、もうとっくに捨てたわ」


 「軍に戻る気はないのか? 今の年齢でも、中佐で充分通用するだろう」


 「生憎だけど、私は俗物よ。最前線に立たされるより、元老院議員として華やかなパーティーの場に立っていた方がずっといいわ」


 バーヨは笑った。その態度から、彼は彼女の言葉を当然本気にしてはいなかった。そしてナードラ本人も、気の利いた冗談を吐いたつもりだった。


 「……君は、共和国の英雄であり、俺たちの出世頭だった。今頃将軍になっていたかもしれないのに。君は栄達を棄て、サドレアスの許に走った。士官学校じゃ君や俺より成績が悪かったあいつに……いいやつだったが、あいつが君を射止めたことを知ったとき、俺を含め同期の男共みんなが悔しがったものさ」


 「あなたも、戦闘機隊に戻るつもりは無いの? 撃墜王さん?」


 「確かに……後方で机を操縦するのには、もう飽きたな」


 苦笑とともに、バーヨは大きく背伸びをする。少年という年齢ではないのに、その挙作は遊び盛りの少年のそれを思わせた。


 「……実は、実戦部隊に戻ることになった。とはいっても、第一飛行師団司令部付だがね」


 「栄転じゃない」


 ナードラは顔を綻ばせる。第一飛行師団は、首都防空を一手に担う精鋭戦闘機隊だ。パイロットも粒よりの精鋭が集められ、機材もまた最新鋭のものが優先的に充てられる。


 「ゼラ‐ラーガは嫌いだな。あれは乗っているというより、乗せられているという感じがする」


 バーヨの愚痴にも似た言葉を聞き流すかのように書類を鞄に納めながら、ナードラは言った。


 「今日のレセプション。もちろん来るでしょう?」


 「どうしようかな……俺は花街の居酒屋で仲間と酒でも飲んでいたようがいいよ」


 「元老院名誉勲章(プロコス‐シュア)持ちの英雄が、そんなこと言っていいのかしら? 皆も、貴方が来るのを待ってるわよ」


 「『華の180期』の皆様方……かい?」


 「貴方も含めて……ね。それに……これから神聖な軍務に赴く候補生のみんなが、英雄に会えるのを楽しみにしていることも忘れないようにね」



 ナードラを乗せた公用車が、帰宅に急ぐ車列を縫って首都中枢の最上級ホテルの地下駐車場に滑り込んだときには、すでに空は暗くなりかけていた。新世界でも北半球に位置するローリダ列島。そのほぼ中央の首都アダロネスの空は、五月に月が変わってもなお、冬の装いをだらだらと引き摺っていた。八角を各方向の守護神の彫像で飾り、金の刺繍で装飾された赤絨毯の敷き詰められた広間では、壮大な宴会場に入りきれなかった要人の着飾った姿。そして国防軍幹部の紅い制服が立ち尽くし、世間の話題、事業の話題を問わず各所で話の華が咲いていた。


 そこに一歩を踏み込んだナードラに、周囲の視線が殺到する。


 「見ろ、才女のお出ましだぞ」


 「ほんと……何をお召しになっても似合う方ね。羨ましい……」


 感嘆の声と熱い視線……それらを意に介さないかのように、ナードラは歩を進める。宴会場へ向かう彼女を取り囲む幾重もの紅い制服。卒業式を終え、明日にも新しい任地へ向かう士官候補生たちの真摯な眼差しに、ナードラは口元を綻ばせるのだった。


 「議員、サインをお願いできますか?」


 「……でき得れば、握手を」


 「一緒に写真を撮って下さい」


 どちらかと言えば少壮軍人には敬遠されがちな元老院議員の身でありながら、元は国防軍の逸材。さらに国家の英雄なればこそ、将来軍を背負って立つ青年たちの信望も自然と集るのかもしれない。


 握手がてら、一人の候補生に、ナードラは話しかけた。 


 「貴官の任地は……?」


 背を正し、青年は敬礼した。


 「ノドコールであります……!」


 海峡を挟んでスロリア地域に隣接する植民地の名を、候補生は口にした。


 「それは、貴官の志望か?」


 「はい!……第一志望でした。志望が叶えられて嬉しいです」


 「国防の最前線だな。しっかりと軍務に精励するように」


 再び、両手で青年の手を包み込むように握る。強く、そして暖かく。


 同じく、遠方で士官候補生に囲まれる人影には、見覚えがあった。深紅の軍服に包まれながらも、その恰幅の好い長身は隠しようもない。


 最初に声をかけてきたのは、彼の方だった。


 「ナードラ……!」


 コバンザメに集られる巨鯨宜しく、追い縋る士官候補生たちを掻き分けながらこちらにノシノシと歩み寄ってくる大男。分厚い胸板とガッシリとした顎。そして(こわ)い揉み上げをナードラは忘れようもなかった。


 「ロフガムス!……ノドコールから何時帰ってきたの?」


 駆け寄ってくるや否や巨木のような豪腕でナードラを抱き、彼は頬を寄せてきた。彼は何時もそうだった。いちいちオーバーアクションなのだ。だが、それが彼の愛嬌と言えるのかもしれない。それでもこの仕草から彼がその剛力を以て伝説上の英雄デルガディオスの再来と呼ばれ、部下将兵の信望も厚い勇猛な前線指揮官であることに、誰が思い至るであろう。


 国防軍陸軍少佐。ロフガムス‐ド‐ガ‐ダーズは大声で笑った。


 「今日さ! 空軍基地に着いたのがつい二時間前だ。総司令部はどうするつもりなんだろうなぁ。たかがパーティーで国防軍の逸材がいちいち引っ張り出されるようでは、国防はガタガタだぜ」


 「それほど、今日は特別な日だということよ。まあ、息抜きの時間だと思って楽しんで頂戴」

 二人の会話を遠巻きに見守る候補生達。その瞳の何れにも、熱いものが宿っていた。「転移」から十数年後に本格化した「解放」戦争で第一線指揮官として活躍。数々の戦功と勲章を独占した国防軍士官学校「華の180期」の声望は、未だ衰えてはいない。



 漸く一歩を記した会場では、新たな出逢いが二人を待ち構えていた。


 「ナードラ! ロフガムス! 二人揃ってどういう風の吹き回しだ!」


 「ディラゲネオス。他意はない。成り行きってもんだぜ」


 手を上げて二人を迎えたのは。青い軍服に身を包んだ中佐だった。士官学校を卒業後海軍に進んだディラゲネオス‐ル‐ファ‐ランパスだ。


 「聞いたぜディラゲネオス。艦長になったんだって?」


 「おうよ。潜水艦「レヴァロ」だ。よく覚えとけ。遊びに来たら飛び切り美味い酒を出してやるからなァ」


 「酒保を空にするくらい、飲んでやらァ」


 「潜水艦にそんな上等なものあるわけないだろうが!……そういやお前は士官学校にいた時分から飲兵衛だったなあ」


 昔話に盛り上がる二人に、無言のまま目を細めるナードラの肩を、叩く者がいた。振り向いたナード

ラの眼が、喜びに見開かれる。


 「ディーナ……!」


 「久しぶりね、ナードラ議員?」


 ナードラに語りかける美しい女性は、紅い軍服ならぬ白を貴重としたドレスに身を包んでいた。銀製の装飾品に彩られた金髪は短めだったが、鼻筋の通った美貌と丸っこい碧眼も相まって、いかにも貴族階層と見做すに相応しい気品と知性の高さを醸し出していた。国防軍を大尉で退役し、名門ヴァフレムス家に嫁いだディーナ‐ディ‐ロ‐テリア‐ヴァフレムスだ。


 「身体は、もういいの?」


 ナードラの言葉に、先月の初めに第一子を出産したばかりのディーナは恥ずかしげに頷くのだった。


 「大丈夫よ。病気じゃないもの」


 「元気な、女の子だそうね……よかった」


 その言葉にディーナは顔を曇らせる。ナードラもまた、自分の発言の無神経さを意識し、ばつ悪そうに俯くのだった。


 「跡継ぎなんで……急がなくていいのよ。未だ若いから」


 ディーナは微笑んだ。暗い笑顔だったが、少しは気を取り直してくれたようだ。


 「ありがとう、ロルメスもそう言ってくれているわ」


 ナードラのような「例外」こそあれ、ローリダは基本的には男性優位の社会である。軍と同等、或いはそれ以上に閉鎖的で保守的な社会である貴族階層に嫁いだ彼女が、古くからの因習と良人への愛の狭間で苦悩している様子は、ナードラにも手に取るように判るのだった。


 「ロルメスも、来ているのでしょう?」


 ディーナは笑った。大きく開かれた口元に、白い歯とともに眩いばかりの笑窪がしっかりと顔を覗かせていた。彼の名を出すだけでこの喜びよう。それだけでも彼女がいかに自分の良人を愛しているかが判るというものだ。


 カクテルグラスを傾けるディーナの視線のはるか先に、彼女の良人が政財界の要人、そして軍の高官に取り巻かれ社交話に花を咲かせていた。二十台の半ばであるのに十代と形容したくなるほどの端正で若々しい美貌。建国以来の名門ヴァフレムス家の現在の当主であり、幼少より指導者としての英才教育を受け、父の早世に伴い17歳の若さで元老院議員となり、今では民部省民生保護局長官であるロルメス‐デロム‐ヴァフレムスだった。早くから時期執政官補佐官の有力候補と目され、国政の最高権力者たる執政官の地位も、そう遠くない距離にあると専らの噂だった。


 そのロルメスに付き従う太った老人には、見覚えがあった。


 「あの男は……?」


 「映画監督よ。ノドコール駐留軍のことを映画にしたいから、撮影のため現地に行かせてくれるよう植民省と国防省に取り次いでくれって聞かないのよ」


 確かにその男の顔には見覚えがあった。何か映画関係の集会で目にしたことのある顔だった。映画監督というよりは土建屋の親分のような、ふてぶてしい風貌。さらには禿げ上がった頭に凡そこの場に似つかわしくない粗末な服。決して金銭的に困窮しているわけではなく、そちらの方にはてんで無頓着なのだろう。ナードラも貴人の嗜みとして多くの芸術家のパトロンを務めている経験上、あの手の人間に、場に馴染まない変人の()が多い事を知っていた。


 「名前は……たしかアティケナスと言ったかしら。政府や軍に請われて色々と広報映画を撮っているらしいわ」


 ディーナが、囁くように言った。もう一人の見覚えのある人影を、ナードラが目にしたのはそのときだった。


 僧帽と黒一色の法衣に細身の身体を包んだうら若い女性が、集った来賓を前に説教をしている姿……ディーナ達と同じく、士官学校以来の友人であり、任官して程無くして聖職に入ったサフィシナ‐カラロ‐テ‐ラファエナスの現在の姿に、未だ馴れない自分がいた。


 『――――キズラサの神はこう仰いました。我を信ずる選ばれし者が自らの力で辿り着き、切り開いた土地は全て彼らのものである……と。植民者たちは、キズラサの神への愛と忠誠のみに突き動かされ、如何なる苦難も乗り越えられるという希望を抱いて日々の開拓に勤しんでいるのです。しかし、それだけでは十分とは言えません。いまこの場に巡り合わせ、神の言葉に耳を傾けておられる皆様の協力も必要なのです。全てのキズラサ者は団結せねばなりません。団結して暴戻なる異教徒に当り、植民者に安寧をもたらさねばなりません――――』


 説教に誘われるまま、ナードラとディーナはサフィシナの前に歩み寄っていた。二人に気づいた彼女の眼が、やや和らいだ。にわか聴衆に一人が、彼女に質問する。シルクと毛皮で着飾った、気品ある老女だった。


 「その異教徒とは、どういう輩なのです?」


 『――――キズラサの神の威光に従わない異種族。現地のまやかしの神を崇める野蛮人など色々ありますが、それ以上の脅威は、最果ての地より侵入して来るニホン人です』


 「ニホン人……?」


 聞き慣れない名に、場がざわつく。我が意を得たり……という風に、ナードラは頷く。


 「……彼らは、スロリアを平和で豊かな地にすると称し、様々な災厄の種を持ち込んでいるのです。異教徒を富ませるためにまやかしの技術を持ち込み、徒に土地を肥やし、水を独占し、異形の作物や家畜をも持ち込んでいます。彼らの暴虐が、キズラサの神が我々に約束した土地を侵食し尽くす前に、何としても手を打たねばなりません」


 普段物静かなサフィシナらしく、その口調は淡々としていたが、内容の深刻さは覆うべくも無かった。


 「ニホン人とは、どういう連中かね? 彼らを教化することは出来ないのか?」


 一人の来賓の質問に、サフィシナは落ち込んだかのように頭を振った。


 「恐らく、彼らにはその意思も能力も無いでしょう。ただ打算と欲望の赴くまま、彼らは暴利を貪り、不道徳な行いに手を染めているのです。あなた方はご存知ですか? 彼らは生の魚を好んで食べ、現地の野蛮な風習に平然と迎合します。その上、彼らは自然の至る所に神が潜み、神と人間は平等だと信じているのです」


 「けしからん……! 我等の神聖なる事業を何だと考えておるのだ!?」


 一人の紳士が声を荒げる。キズラサの神への永遠の忠誠を示す数珠を握る手が、わなわなと震えていた。


 「今直ぐ軍を派遣し、その不遜な連中を叩き潰すべきだ。二度とキズラサの神に抗うことなきよう、徹底的にな……!」


 「ニホンの国土なぞ、全部馴らしてカボチャ畑にでもしてしまえばいい。まず空軍の爆撃が必要だろうな」


 「この際、軍や政府も本格的に動くべきだ。あの蛮族どもに手痛い教訓を垂れてやるべきだ。真の信仰の何たるか、をな」


 義憤に駆られた声の高まりが、その頂点に手を延ばしかけたそのとき……


 『お集まりの皆様。元老院第一執政官ギリアクス‐レ‐カメシス閣下がたった今、式場に到着なされました。ご来賓の皆様には、どうぞ盛大なる拍手と賞賛とを以てお迎え頂きたい……!!』


 司会者の一声が終るか終らないかの内に、会場より一段と高い壇上。その隅に配置を終えていた軍楽隊が、一斉に軽快な楽曲を奏で始めた。国権の最高指導者たる執政官の登場を告げる「執政官行進曲」だ。


 まるまる一個小隊分の数はいようかと見紛う程の従者と護衛を従え、夫人を同伴して入ってきた老人は、細目と白い、よく切り揃えられた顎鬚。そしてふさふさと延びた納まりの悪い頭髪をしていた。だがその年齢に似合わない、常に満面に漂わせている子供っぽい笑みが、好々爺ぶりを演出しようとして返ってその真意を掴みづらいものとしているかのようだ。


 カメシスは第二執政官ボニフェアス‐ティアスと並び第一執政官となり、今月を以て丁度、五年の任期の内半分の二年半を漸く折り返したところであった。今日は身内の不幸が原因でレセプションには出られない第二執政官と違う点といえば、ティアスが元は市井のありふれた商家の出で、長じて学会に身を置き、やがてその学識を買われてとある閥族の入り婿となり、降って沸いたように元老院議員たる権利を得た「苦労人」であるのに対し、カメシスは代々元老院の要職を輩出してきた名門の家系に属する者であるということだ。


 単に元老院議員止まりならともかく、本来なら執政官になることはおろか実利と名誉に満ちた要職を務めることすら敵わないはずのティアスが、斯くの如き栄達を遂げるのに至ったのは、彼自身の行政家としての才幹にも負う所が大きかったが、結局のところ平民派と閥族派の、元老院における勢力均衡への努力の偶然の帰結であった。ティアスの抜擢などいわば閥族派に権勢の集中する政界に不満を持つ平民層への「ポーズ」というものであって、当然、執政官としての実権はその過半に於いてカメシスに帰するのだった。


 両手を振り、来賓の握手に答えながら、カメシスはゆっくりとした足取で壇上に上った。彼の傍に付き従う金モールや勲章に彩られた赤い軍服の一群。さらにその背後に続く各種企業連合体の重鎮……その光景は、カメシスが政界のみならず軍部や財界もまた、完全に掌握していることを如実に物語っていた。


 否……軍部に至っては、あえて掌握された振りをしていると言った方が正しいのかもしれない。軍の最高幹部たちの先頭に立ち、時折カメシスと話を交わす初老の将官を、ナードラは苦々しく見詰めるのだった。


 「……あそこまで来れば、ドクグラム閣下の立場ももはや磐石といったところね」


 と、サフィシナが呟くように言った。ナードラも苦笑する。


 「違うわ。磐石になったのはむしろカメシス閣下の方よ」


 カザルス‐ガーダ‐ドクグラム。痩せぎすの長身と高い鷲鼻、そして鷲の様に鋭い眼光が印象的な男である。第一線から遠ざかること二十年。初老に差し掛かりながらも、その動作のひとつひとつに隙を微塵たりとも感じさせることはなかった。


 ドクグラムは国防軍大将にして、首都防衛を一手に握る近衛軍団の軍団長であり、軍の最高権力者でもある。軍人でありながら元老院議員をも兼任し、国防委員会の最高顧問も務める。顧問と言えば大して聞き映えのしない響きだが、国防委員長の席が今や引退寸前の老議員の名誉職と化した現在、国防に関する実質上の権限はこの男に集中していた。


 過去十数年に及ぶ「解放」戦争の結果、軍事行動の尖兵となった軍部の発言力は飛躍的に増大した。執政官の選定条件に軍部やそれに連なる軍需産業の意向が色濃く反映されるようになって、果たしてどれ程の時が過ぎたであろうか? 裏を返せば、彼らの支持を取り付けた元老院議員には、望外の栄達と発言権が保証されるわけである。過去十年にわたりカメシスがやってきたことはまさにそれであった。


 それを知っているからこそ、元老院の軍部に対する優越―――つまりシビリアン‐コントロール―――の確保を目指すナードラは、自分が忠誠を尽くすべき執政官に内心では好意的ではいられない。


 「軍がいるからこそ、私たちも安心して『教化事業』に励める……彼らのやり方はおかしいとは思うけど……まあ、今のところは必要悪といったところね」


 「今のところ……か。主人は、あの人たちとはあまり仲が良くないから……」


 と言ったのはディーナだ。貴族階層に生を享けながら、開明的な思考の持主であるロルメス‐デロム‐ヴァフレムスは、恵まれない民衆への福祉の充実を主張する余り、国防予算の配分や植民地の治安維持の方針を廻って事あるごとにカメシスや軍部と対立し、元老院で論争を繰り広げている。


 壇上、マイクの前に立ったカメシスが、拍手や声援を制するかのように手を振った。彼の背後にはトクグラムを始め軍や財界の支援者が座り、彼らの執政官の一挙手一投足を見守っていた。


 『……諸君。静かに……静かに。私に構わず酒と料理を楽しんで頂きたい。ああー……今日の主役の候補生諸君には悪いが、飲酒は成年に達するまで控えておいた方がいいぞ。ここで下手に羽目を外せば今後の出世にひびくでな』


 軽い冗談に、沸き起こる笑いとともに場の空気が和らぐのをナードラは感じた。執政官がこの種の才能を持っていることだけは、彼女でも認めざるを得ない。


 『……この栄えある日に列席し、諸君を前に話が出来ることをわしは誇りに思う。ご来賓の皆さんも、晴れて士官学校の校門を出で、これより国防の第一線に赴く若人たちの壮途を祝って欲しい。国のために青春を捧げるのは若人の特権である。彼らがその特権を行使するさまを、老いたる我等は僻まず、妬まず暖かく見守りたいと思う。わしもまた士官学校の卒業式に列席し、これより国防軍士官となる青年らの精悍なる晴れ姿を見るにつけ、共和国の国防の磐石なるを確信した。この上はその確信を、現実のものとせねばならぬ。それが候補生諸君の義務であり、キズラサの神より与えられた使命である。

わし、ギリアクス-レ-カメシスはこの場を借りて諸君に申し上げる。近年、我が共和国は重大な安全保障上の危機に直面している……』


 不意に沸き起こる困惑の声。そして幾重もの注視。「危機」の一言に誰もが話をする口を止め、グラスを運ぶ手を止め、発言の主たる執政官に見入るのだった。ナードラたちは無言のまま、壇上に目を凝らす。壇下の来賓の反応を舐めるように見回すと、執政官は再び口を開くのだった。


 『ここより海原を隔て、3000リーク離れた肥沃なるスロリアの地に、万難を排し開拓の第一歩を標した植民者は現在とある獰悪なる種族の侵食に晒されている。我等がこうしている間に、彼らは今でも、ただ祖国への忠誠心とキズラサの神への愛だけを拠所に蛮族どもと戦っているのだ。その獰悪なる種族とは、スロリアの遥か東方より侵略の手を延ばしてきたニホン人である。彼らはキズラサの神が我が入植者に約束した土地を奪い、その汚らわしい土足で踏みにじっている。我等は善きキズラサ者として、これを断固として排除せねばならぬ。候補生の諸君ら、ひいては我々は、近い将来この最大にして最悪の蛮族といずれ雌雄を決することとなろう……! 今日の主賓たる候補生たちに、そして日々を国防に捧げる軍の将兵に、親愛なるキズラサの神の御加護あらんことを!』


 何処からとも無く湧き上がる歓呼の声は、一気に会場を圧した。


 自然と浮かぶ微笑と共に、ナードラの白くたおやかな手が、壇上へ向けワイングラスを掲げるのだった。



 宴もたけなわ、日頃の激務の故か軽い疲れを覚えたナードラは、夜風に当たろうと縁側へと歩を進めるのだった。窓を開け、ホテルの中庭を臨む縁側に出たところでナードラは先客の存在に気付き、歩を止めた。サフィシナだった。石造りのベランダに行儀悪く腰を凭れかけたままナードラに会釈すると、隣に来るよう勧めるのだった。


 開口一番、サフィシナは言った。


 「不思議なものね……私達、同じ学校の門を出て十年になるかならないかの内に、今じゃ全く違う道を歩んでいる」


 確かに……ナードラとしても内心で同意せざるを得ない。国防の志を抱いて士官学校の門を出て以来、ナードラ、サフィシナ、そしてディーナ、仲の良かった三人の人生は確かに大きく急転した。一人は聖職者。一人は元老院のサラブレットの伴侶……そしてもう一人は、元老院議員。特にナードラとサフィシナは、士官学校一の座を賭けて馬術と剣術の腕を競ったライバルであり、親友だった。


 「スロリアの『教化事業』は、うまく行ってる?」


 「ええ……今のところは」


 と、サフィシナは笑う。その笑顔が、士官学校以来全く変わり映えしないことに、ナードラは内心で安堵する。


 「教化事業」とは、文明の遅れた異郷の地に、キズラサ教信仰と文化を広める国家事業のことだ。事業に携わる聖職者、その支援者の何れも蛮族の地にキズラサ教信仰を広めることこそ自己と国家の天命と考え、「転移」以来二〇余年をそれらの事業に費やしてきたのであった。


 サフィシナとて、例外ではなかった。遠く離れたスロリアの地に飛び込んで以来、彼女が取り組んできたのは、現地種族の子供達に対する、キズラサ教の宗教教育だったのである。

その「宗教教育」については以前、ルーガ家での夕食の席で、サフィシナはナードラにこう語ったことがある。


 「子供達は、親と引き離して生活させるの。親はもう、彼らの野蛮な風習に芯まで浸かりきっているから、先ず次代を担う子供達を文明化しなくてはね……」


 「可哀相……」


 というナードラに、サフィシナは事も無げに首を横に振って見せるのだった。


 「野蛮人に文明を与えるのに必要なことだもの。仕方がないわ」


 その光景を思い出し、ナードラは聞いた。


 「……で、サフィシナの子供達は今どうしているの?」


 「今じゃ皆、だいぶ寮の生活に馴れたみたい。たまに親に会いに行こうとして脱走を図る子もいるけど……当然、罰も与えているわ。あの子達は、もう旧い文化に触れてはいけないの。永遠にね」


 「苦労しているのね」


 というナードラの言葉に、サフィシナは微かに頷くのだった。一方でその金色の瞳は、満更でもないという風情を漂わせていた。


 ――――回想に身を委ねる中を、不意にドアが勢い良く開き、ディーナが駆け込むように入ってきた。


 「二人とも、こんな所にいたの? コソ泥みたいにヒソヒソ話していないでこちらにいらっしゃいな。ディラゲネオスやエイダムスも皆待ってるわよ。一緒にケーキを食べようって……」


 「エイダムスも来たの?」


 というサフィシナの問いに、ディーナは笑顔で頷く。彼女の背に手を当て、ナードラは言った。


 「さあ、男子達のお招きに預かりましょう。たかがケーキなんだから、別にキズラサの神の罰も当たらないわよ」


 ナードラの言葉には、粗食を以て旨とする「キズラサ者」サフィシナへの配慮も滲んでいる。


 「……それも、そうね」


 振り向きざまに飛び込んできた満点の星空に、思わず微笑が込み上げてくるナードラだった。



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