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無欲の聖女は金にときめく 作者:中村 颯希

第三部(完結編)

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18.レオ、珠の守護者と話す(前)

 レオは混乱していた。

 混乱しながら、腕を掴まれ、歩かされ、大聖堂の奥にひっそりとあった、こぢんまりとしたスペースへと連行されていた。


 東の方角にだけ窓が配され、残り三面に精霊布が掛けられた、狭い空間――祈りの間だ。


 分厚い壁で囲まれたその場所は、周囲の騒音に囚われず祈りを捧げたい信者や、都合の悪いことを聞かれたくない導師が、こぞって使用する類のものであった。


(うおおお……やべえ……これって絶対、喝入れとか吊し上げとか、そういう展開だ……)


 光の精霊が姿を消してから、しばし。


 サフィータをはじめとする導師や巫女たちは、目の前で起こったことが信じられず、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。

 やがて、隣同士でひそひそと、困惑を共有しあう。


 ヴァイツの巫女が、精霊の容姿について侮辱とも取れる発言をした。

 光の精霊は立腹するどころか、笑んでそれを許した。

 いや、爆笑するなどという異様な行動をとり、あげく祝福まで確約した。そして唐突に去った。

 どれも、史上類を見ないような異常事態だ。


 さしものレオも、「これなんかおかしくね?」「え、しかもなんか自分のせいっぽくね?」くらいのことは理解し、冷や汗をダラダラと流して硬直していた。


『――ヴァイツの巫女よ。こちらへ』


 と、そこにサフィータがつかつかと歩み寄ってきて、腕を取る。

 昨夜までは辛うじて維持していた敬語もなにもかなぐり捨て、彼は強引にレオをある場所へと連行しだした。それがこの場所だ。


 騒ぎに気付いた巫女たちの母国の侍従や護衛――彼らは聖堂の外で待たされていた――が、背後の扉から一斉になだれ込み、グスタフの「ハーケンベルグ!」と叫ぶ声も聞こえたが、レオが振り返る前に、祈りの間の扉が閉められてしまった。


 そして今、レオは夜の闇が押し寄せるこの狭い空間で、険しい顔のサフィータと向き合っている。


 精霊を侮辱したと改めて叱られるのか、彼女が唐突に去ってしまったことの責任まで押し付けられるのか。

 いずれにせよ、不穏な展開しか想像できない。


(か、勘弁してくれよお……)


 悪気はなかったのだ。

 謝罪なら、五体投地でもスライディング土下座でもするから、どうか許してほしい。

 今のレオは、ヴァイツの国を背負っているのだ。

 名誉棄損で訴えられて、慰謝料でも要求されては、たまったものではなかった。


 ついでに言えば、夜の聖堂、それも祈りの間というのは、実はレオにとって、ある種のトラウマを刺激する場所でもあった。


 かつて、「合唱団に入れば、なかなかのお給金がもらえるよ。逼迫しているソプラノになれば、給金は二倍だ」とそそのかされ、ほいほいと悪徳導師についていったあの日。

 「夜のほうが集中して施術できるから」と、その導師がレオを手術台――という名の簡素な寝台――に括りつけた場所こそ、この祈りの間だったのだ。

 分厚い壁に囲まれ、悲鳴を上げても聞こえぬ環境。

 不在を不思議に思ったブルーノが駆けつけてくれなかったら、レオは大切なタマに永久(とわ)の別れを告げてしまうところだった。


(うおお……、震えが……)


 昼はまだ平気だが、夜にこの手の場所に来ると、どうも背筋にぶるっとくる。


 いやいや、今はタマの話なんかではなく、もっと高尚な信仰とか国交の話だと自分を諫め、レオは無理やりその恐怖心を抑え込んだ。


(この娘、事態の重大さは理解しているようだな……)


 一方、手近な燭台に火をともしたサフィータは、神妙な顔で身を震わせている少女を見て、そのようなことを思った。


 現時点で、サフィータたちの目論みは、成功したとも、失敗したともつかない。

 計画通り、少女から精霊への侮辱を引き出したはいいが、なぜか光の精霊のほうが、怒るどころか少女を気に入ってしまったのだから。


 完璧な存在である精霊に対し、しかも容姿のことで難癖を付けるなど、下手をすればひどく機嫌を損ね、その場で命を奪われてもおかしくない暴挙だ。

 にもかかわらず、少女は罰ではなく祝福を得た。

 そのためサフィータは、この可憐な少女に対し、底知れなさと、ある疑念とを覚えたのだ。


 もしかしたら彼女は、暴言としてではなく、なにか意図をもってあのような発言をし、精霊はそれを見抜いたからこそ、少女を受け入れたのではないか――と。


 でなければ、真っ当な精神の持ち主が、あのような大胆に過ぎる発言をするわけがない。


(右も左もわからぬ箱入り娘ならば、ただ軽率に妄言を口にしたということもあろうが……この娘が、そのような下手を打つはずもなかろう)


 どんな挑発にも動じぬ振る舞いや、卓越した讃頌。

 その性根が傲慢であるかはともかく、少女が人並み以上に聡明であるのはたしかだ。

 年頃の娘なら必ずと言ってもいいくらいのぼせあがる、自分の容貌を前にしても、そこにはまったく心動かされた様子もない。


(名声に執着する野心家とはいえ、そのぶん計算高いのは確か。一見高潔に見える演技力もたいしたものだ。気を引き締めてかからねばならぬ)


 この娘は、今まで自分の周囲にいた、美しいだけで愚かな女ではない。

 そんな思いが、サフィータの態度を慎重にした。


 この不思議な娘の企みを明らかにしてやる。

 強い決意を持って、彼はとうとう口を開いた。


『……ヴァイツの巫女よ。光の精霊は祝福を許したとはいえ、先ほどの発言が深刻な不敬にあたることは理解しているだろう』

『は……はい。大変、申し訳ござい――』

『言え。なにが目的だった。なにを考えて、あのような発言を寄越した? 理由いかんによっては、女だろうと容赦しない』


 早々に謝罪して幕引きを図ろうとしているらしい相手を遮り、サフィータは一歩少女との間を詰めた。

 小柄な少女が、びくりと肩を震わせる。

 その様子はいかにも可憐で、サフィータはその擬態の巧妙さに、いっそう警戒心を高めた。


『いえ、目的もなにも、その……本当に、思ったことが口をついてしまっただけで……。自分にとっては、もはや光の精霊が光の精霊に見えていなかったと言いますか……』

『は、ではなにに見えていたというのだ』

『そのう……金の精霊様、ですかね』

『はっ、戯言を!』


 いもしない精霊を持ち出して、稚拙な言い訳をする少女を、鋭く切り捨てる。

 精霊譜に載るすべての精霊を把握しているサフィータを、適当な精霊の名で誤魔化せると思っているなら、ずいぶんな侮辱であった。


(私も舐められたものだな)


 サフィータは険しい顔で、もう一歩距離を詰めた。

 狭い空間の中で、たちまち少女が壁に追い詰められる。


 至近距離から、腕に囲い込むようにして『言え。なにを考えていた』と問うと、少女は紫色の瞳に困惑を浮かべて、縋るようにこちらを見上げた。


『いえ……! ですから、本当に、ただ思ったことを言っただけで……!』


 必死にこちらを覗き込む、その宝石のような瞳を見て、ふとサフィータの脳裏にある噂がよみがえった。


 このたび帝国第一皇子の婚約者候補となった侯爵家の娘は、真実を見通すハーケンベルグの紫瞳を持っている、というものである。


(出自の怪しさをごまかし、箔をつけるための流言かと思っていたが……)


 だが、精霊と見まごうこの美貌に、俗事に囚われぬ言動。

 もしかしたら、本当にこの娘は、真実を見通す瞳とやらを持ち合わせているのかもしれない。


 だとすれば、少女の真意を、なおさら聞き出さずにはおけない。


 サフィータは身を起こして踵を返すと、壁の隅に備え付けられていた棚から、小ぶりな香炉を取り上げた。

 乱暴な仕草で中身に火を落とし、手の中でくゆらせる。


 距離が取られたことでほっとした様子の少女は、しかし、不思議な行動に出たサフィータを見て、小さく首を傾げた。


 香炉の正体を理解できていないようである娘に向かって、サフィータは冷ややかな笑みを浮かべた。


『……これがわかるか、ヴァイツの巫女よ』

『いいえ……』

『これはな、信徒が罪を告白する際に用いる、懺悔の香だ。この香りを嗅げばたちまち虚飾がはげ落ち、あらゆる隠し立てが叶わなくなる』


 瞠目した少女の細い腕を取り、サフィータは無理やりに香炉を顔に近づけた。


「わ、……っ!」


 少女は悲鳴を上げかけてからびくりと身を震わせ、その拍子に大きく香を吸い込んでしまう。

 途端に、その宝石のような紫の瞳がすぅっと煙り、淡く色づいた唇からあえかな吐息が漏れた。


(のおおお!? なんだこれ、頭がくらくらする……っ)


 レオはラリった感覚にびびりながら、咄嗟に背後の壁に手をついて、体を支えた。

 が、めまいはすぐに消え、代わりに強い酒を飲んだ後のような、心がふわふわと軽くなった感覚を抱く。

 思考もどこか靄がかかったようで、ついでになんだか、ぺらぺらと話し倒したくて仕方ない気分になってきた。


(こ、これが、懺悔の香……)


 先ほどから特に嘘はついていないので、主張が翻ってしまうなどの心配はしていないが、油断するとヴァイツ語やスラングが出てきそうである。

 その都度喉を焼くのはごめんなので、レオは内心で「エランド語!」「丁寧に!」と自らに言い聞かせた。


 そんな努力も知らぬげに、サフィータが再び距離を詰めてくる。

 彼はレオの顎を掬い取ると、逃さないとでも言うように、その青灰色の瞳でじっとこちらを見据えた。


 まさかの、異国顎クイ。

 ただ今回の場合、下手を打つと国家規模の慰謝料という禍が降りかかりそうなので、恐怖もひとしおである。

 いや、だがその恐怖心も、今はどこか遠い。


『さあ、話せるな? 先ほど、なにを考えていた』

『先ほど……』


 ぼんやりと相手の言葉を反芻し、レオははてと首を傾げた。


 先ほど。

 自分はなにを考えていたのだったか。


『ええと……だから……ちがう、ですから、自分には、あの精霊は金の精霊様に見えて、それには、髪の色が、違う、と……』

『……本気で言っているのか……?』


 サフィータは、香が効いていないのか、はたまた本当に少女が「金の精霊」などというものを信じているのかを計りかね、眉を寄せた。


(なぜだ? なぜこの娘は、顕現したのが光の精霊ではないかのような発言をするのだ……?)


 真意がさっぱりつかめない。

 サフィータは問いただすつもりで、再度少女に香を吸い込ませた。


『言え。なにを考えている。いったいそなたは、なにを考えているのだ』

『なにを、考えて、いる……』


 レオはぼんやりと繰り返した。


 なにを考えているか。

 それはもちろんカネのことだ。

 自分は年がら年中四六時中、意識のある間も夢の中でも、金のことだけを考えて生きている。

 この心を震わせるのは、いつだって金色の輝きだけなのだから。


(あ……、でも、さっきなんか違うこと考えて、震えた気がする……)


 なんだっけ。


 どうも、思考がはっきりしない。

 質問の意図はなにか違うところにある気もするのだが、レオは額面通り、「さっきなにを考えていたのだっけ」という点をぐるぐる考えて、ぽつんと言葉を漏らした。


『ああ……。タマだ』


 そうして、その紫の瞳でぼんやり虚空を見つめ、まるで啓示を得た巫女のように呟いた。


『タマのことを、考えていたのでした。……もし失ってしまったなら、どれだけの絶望に襲われたものだろうと』

『――なんだと!?』


 ぎょっとしたのはサフィータのほうである。


 この神聖な場において、珠という言葉が指すのは精霊珠にほかならない。

 真実を見通すとの評判通り、神秘がかった視線を投じたかと思ったら、まさか、エランドの至宝について言及しだすとは。


 しかも、布で覆って隠していたというのに、エランドがそれを腐蝕によって失いかけていることまでも悟っているようである。


 真実を見通すハーケンベルグの紫瞳。

 その力を目の当たりにして、サフィータは身を震わせた。


 顔を強張らせたサフィータを見て、少女は一瞬我に返ったらしい。

 はっとしたように口に手を当て、「なんてことを」といった独白を漏らしている。

 こちらに、真実を見通していることが伝わってしまったのを慌てているのだろう。


(うおやっべえ! なんか今ぺろっと、王子サマの前でおゲレツ発言しちまった!)


 いや違う。

 レオは単に、このすかした王子の前で、下ネタを発した自分を恥じているだけであった。

 これが下町仲間なら全然気にならないが、なんといっても相手は元王子で大導師である。

 レオは気まずさに顔を顰め、己の口を両手で覆い隠した。


『す……すみません……! こんなことを言うつもりでは――』

『そなたが言うのは、至宝の珠のことか』

『至宝……!? ああ、それはもちろん、タマは大切な――至宝というか、秘宝ですよね。……って、ああ……! だから、こんなことを言うつもりではなくて……!』


 己の意志を裏切って、ぺらぺらと口をつく下ネタに、思わず涙目になる。

 しかし傍目にはその姿は、その力を隠そうとしているのに、見通した真実を告白させられている敬虔な巫女のようにしか見えなかった。


(うああ、うああああ! なんで俺はこんなほぼ赤の他人状態のお貴族様に、せっせと下ネタを振ってんだよおおお!)


 自分は、その手の話はあまり得意ではないはずなのに、どうしてこういうことになってしまうのだろう。

 というか、サフィータもそんな真顔で聞き返したりしないでほしい。対応に困るから。


 だが、レオが気まずさに真っ赤になって、ぎゅうぎゅう喉を握りつぶしている間に、サフィータはさらに突飛な行動に出た。


『は……!』


 ばっとローブを捌き、禍々しい笑みを浮かべたかと思うと、まるでこちらを攻撃するかのような、かすれた叫びを上げてきたのである。


『ではそなたは、見通したというのか……! 我が至宝の珠が穢され、腐蝕しようとしていることを……!』

『え……っ!?』


(なんかこの人、乗ってきたあああ!?)


 衝撃の展開に、レオは思わず絶句した。

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