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無欲の聖女は金にときめく 作者:中村 颯希

第三部(完結編)

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14.レオ、その過去を語られる(前)

「寒い」


 うっそうとした森の中、ぶすっと不機嫌な少年の声が響いた。


「暗い。飛び出た枝が邪魔。膝まで生えた草とか意味わかんねえ。虫がうざい。獣の気配もうるさい。荷物重い。足痛い」


 不平不満のオンパレードである。

 かすかにそばかすの残った顔をむっと顰めながら、少年――の身体に収まったレーナは、前方に向かって乱暴に言い放った。


「聞いてんのかよ!」


 すると、


「――……ああ、話しかけていたのか」


 迷いのない足取りで歩いていた少年が、褐色の顔を振り向けて、軽く眉を上げた。


「独り言かと思った」


 その口調は淡々としており、黒曜石のような瞳も意思を悟らせない。

 レーナはこみ上げる怒りのままに、盛大に相手を罵った。


「どこの世界に、延々小一時間も独り言を続ける人間がいるんだよ。さっきから、勝手に馬車を飛び出した無鉄砲などこかの誰かに、まごうかたなき非難を突きつけてるんだろ。わかれよ!」


 そう。

 レーナたちは、契約祭のエランドに向かうべく、路銀を掻き集めてリヒエルトからの乗合い馬車に乗っていたのである。


 ところが、国境近くの森に差し掛かったとたん、なにを思ったかブルーノが馬車を飛び降りてしまった。

 泡を食いながらも、辛うじてともに下車したレーナが、文句を言いながらブルーノの後を追いかけつづけているというわけである。


「つーかここどこだよ……。もはや道っていうより、獣道じゃねえかよ」


 コンパスもなく、たまに太陽を見上げながら黙々と歩くブルーノについていくだけなので、はっきり言ってレーナには今ここがどこなのだか、さっぱりわからない。

 ただ言えるのは、ここが森というより山といったほうがいい険しい場所で、日没がだいぶ迫ってきているということであった。


「せっかく集めた路銀をどうしてくれるんだ。というか、まさかここで夜を明かすとか言わないよな」

「――だから、おまえは馬車に残っていろと言ったのに、レーナ」


 ぶつぶつ文句を言っていると、ブルーノが静かな声でそんな言い訳を寄越す。


「仕方ないだろう。あの回り道ばかりする馬車に乗っていたのでは、契約祭三日目の朝に間に合わないし、そもそも契約祭のさなかのエランドに近づいたなら、獣には乗らないほうがいい」

「なんだよそれ、寿ぎの巫女じゃあるまいし」


 なにげなく言い返すと、相手は少しだけ驚いたような顔をした。


「……よく知っているな」

「まあ、調べたから」


 レーナは不機嫌な表情のまま答える。

 レオが寿ぎの巫女としてエランド行きを決めたと聞いた際、彼女は持てる伝手のすべてを使って、この滅びた小王国の来歴や儀式についてを、ひととおりさらってきたのである。


 というのも、この「大脱走inエランド」プロジェクトの要であるブルーノが、契約祭までの一週間というもの、しょっちゅう院を空けていたせいで、レーナ自らがエランドの事情について調べざるを得なかったからだ。

 聞きたいことは山ほどあったのにと、レーナは日々苛立ちを募らせていた。


 しかも、なかなか会えないブルーノと打ち合わせるのに難儀し、結局出発までもがぎりぎりになってしまった。

 脱走決行は三日目の予定だが、馬車の到着予定は三日目の朝だ。

 ただし、なにぶん格安のおんぼろ乗合い馬車なので、しょっちゅう補修や休憩を挟んでの道中で、時間通りに着くのかは相当怪しかった。

 それもあっての、ブルーノの行動なのだろう。


 自分自身、間に合わなかったら困るので、レーナはふんと鼻を鳴らしてブルーノの暴挙を受け入れると、建設的な質問に移った。


「……で、ベテランガイド・ブルーノによれば、あとどれだけ歩けばエランドに着くんだよ」

「もう峠は越している。この山道を下りつづけ、森が開けて、気温が一気に上がったら、そこがエランドだ。……まあ、あと三、四時間といったところか」

「三、四時間!?」


 思わず絶叫してしまう。

 レーナは走り寄ってブルーノの肩を掴むと、それを揺さぶりながら訴えた。


「このまま!? 連続で!? あと三、四時間歩く!? 無理! 死ぬ! 人間がこなしていい運動量じゃねえよ。即座の休憩を申し入れる!」


 孤児院暮らしで鍛えているレオの身体のおかげで、少女であったときよりは数段体力があるとは思っているが、それでもすでに足が痛むのだ。

 というか、肉体以上に精神が疲弊しきっていた。

 暗い森の中をひたすら歩き続けるなんて、断固ごめんである。


 レーナはレオの身体を人質にとって、ブルーノを恫喝した。


「言っとくが、ここでこの体をぼろぼろに疲れさせたら、せっかくの脱走計画もおじゃんだからな。入れ替わった後、あわれ疲弊状態のレオは探索隊から逃げることもかなわない。それでもいいのか?」

「…………」


 ブルーノの顔が、いかにも迷惑そうに顰められる。

 しかし、無言のうちに到着時間を計算したのか、小さく頷くと、彼は「休憩にするぞ」と静かに溜息をついた。


 なるべく水分の少ない枝を集め、火を起こす。

 ブルーノが巧みに野営の準備をする間、レーナはしびれるように重くなっていた足をもみほぐし、ようやく人心地ついていた。


 移動用の小さな鞄からナッツの詰まった袋を取り出し、いくつかかじる。

 葉の隙間から差し込んでいた赤黒い夕陽が、徐々に青白い月光に取って代わられていくさまを、レーナは無言で見守った。


 濃密な夜の森の闇に、ぱちぱちと、赤い炎が爆ぜる。


 辺りに降り積もるような沈黙の重さに負け、とうとうレーナは口を開いた。


『……ずいぶん、野営に慣れてるのね。エランドから逃げてきたときに、身に着けたの?』


 エランド語の響きに、傍らに座るブルーノが少し視線を上げる。

 それを見て、レーナは小さく肩をすくめた。


 レオも、レーナも、ブルーノも、ヴァイツ語では本来の口調で話せない。

 明確にルール化したわけではなかったが、だからブルーノにエランド語で話しかけるのは、「本音で話しましょう」というレーナなりの合図だった。


『……いや』


 それを悟ったのか、ブルーノもまたエランド語で答える。

 彼は揺れる炎をじっと眺めながら、胡坐に頬杖をついていた。


『狩りや採集で山に入ったとき、レオに教えてもらった。エランドでは逃亡中でさえも、野宿などしたことなかったからな』


 ほんのわずか、彼の過去が垣間見える内容に、レーナは目を見開いた。


 エランドからの難民という以外、ほとんどが謎に包まれているブルーノ。

 彼の存在はレーナにとって、あまりに疑問に満ちている。

 敵国の首都なんかに逃げてきた理由もそうだが、時折見せる意味深な言動。

 契約祭のタイミングでの、突然の帰郷宣言。

 結局、彼の言う「野暮用」の内容を、レーナはいまだ聞き出せていない。


 気に掛けておいてくれという、レオの言葉がよみがえる。


 聞くなら、今しかない。

 だが、どう切り込んでいいかわからない。


 カイのような他人相手の誘導尋問であれば、呼吸するようにできるというのに、長く生活を共にした相手にそれをするというのは、ひどく難しいように思われた。


 逡巡の後、レーナは口元を軽くゆがめ、「野宿をしたことがなかった」という情報ではなく、ひとまず「レオに教えてもらった」という情報に対して踏み込んでいくことを決める。

 レオの話題というのが、結局のところ、ふたりが最も気楽に話せる内容なのだ。


『……まったく、エミーリオたちといい、あなたといい、レオ、レオ、そればかりね。大切なことはすべてレオ兄ちゃんに教えてもらった、って? 大した刷り込みだこと』

『まあ実際、金以外の面ではやつを尊敬している子どもも多いからな』

『そうね、金以外の面ではね』


 ほら。

 レオの話題ならば、言葉選びに慎重にならずとも会話が弾む。


 しかし、


『そんな大好きな「レオ兄ちゃん」が、私なんかと入れ替わってしまって、残念だったわね。あなた、私に相当むかついたんじゃないの?』


 レーナが皮肉気に顔を歪めて軽口を言ったとき、ブルーノは驚くべき発言を寄越した。


『――……ああ。少し、殺そうかと思うくらいにはな』

『あら、少しなの。……って、……は……?』


 なんとなく相槌を打ってしまってから、ぎょっとして聞き返す。

 塩はどれくらい入れたの? 小さじ一くらいかな、みたいな口調で、この男はなんと不穏なことを口にするのか。


 ブルーノは、これでなかなかひょうきんだが、嘘はつかない。

 さらりとした発言の中に、殺意の余韻を感じ取って、レーナは無意識に唇の端を引きつらせた。


『……へえ。そうなの。それはまた』

『だが、いくつか理由があって、結局実行しなかった』

『……へえ。そうなの』


 同じ相槌を繰り返してしまった自分に気付き、もう少しまともな返答はできないものかと顔をしかめる。

 相手に気圧されている、などという状況は、プライドの高いレーナにとって受け入れがたいものだった。


『理由があって、ね。ああそう。そりゃ、この身体を傷つけるわけにはいかないものね』

『いや。体を損壊させず精神を殺す方法など、いくらでもある』

『…………』


 本当に、この男の過去が気になるのはこういう瞬間だ。

 不穏すぎる。


 同時に、彼や孤児院連中における、レオと自分の比重の違いを突きつけられたようで、レーナはくさくさした気持ちになって、無理やり言葉を吐き捨てた。


『……ああ、そう。本当に、あなたたちのその暑苦しい友情とやらには、感動するわよ。愛し愛され、永遠の絆ってね。レオもさぞかし喜んでいることでしょう』


 ほとんどやっかみだ。

 しかし、意外なことに、ブルーノはその言葉にふと視線を上げた。


『……さて。どうかな』

『え?』

『やつは、人からの好意というものを人生から切り捨てて生きているし、俺だって、少なくとも最初、やつのことを嫌っていたしな』


 告げられた内容に、絶句する。

 あんなにもお人よしで、多くから慕われているレオが「好意を切り捨てている」というのが相変わらず解せなかったし、なにより、ブルーノが彼を嫌っていたというのが意外だったからだ。


『……あなたたちは、……少なくともあなたは、最初からレオ教の信徒だったのだと思っていたわ』

『なんだそれは。人を変な宗教に入信させないでくれるか』


 ブルーノは淡々と反論すると、言葉を切った。


 ぱち、ぱち、と火の爆ぜる音が響く。

 揺れるオレンジ色の光を頬に浴びながら、やがてブルーノが静かに切り出した。


『……孤児院に来たばかりの俺は、がちがちの精霊教徒だったからな。精霊こそ至高の存在、エランドこそが至高の土地。そう信じて、ヴァイツ人の誰とも口を利かなかった』


 レーナの目が見開かれる。

 無言で相手を窺うと、ブルーノはじっと炎を見つめていた。

 リヒエルトでは滅多に見られない黒い瞳に、オレンジ色の影が踊った。


『……あなたはいつ、孤児院に来たの?』

『七年前。先の契約祭が終わり、エランドの戦が終わった、その数か月後だ』

かすれた声で問えば、ゆっくりとした答えが返る。


 そうして、ブルーノの昔語りが始まった。


『――戦後の混乱の中、俺は母親に救われる形で命を長らえ、エランドを出てな。母には半分ほどヴァイツの血が流れていたから、その伝手を使って、リヒエルトにやってきた。親戚に世話になるはずだったが、肌色の違う俺を育てるのをその家の妻が嫌がった結果、リヒエルトでは最も良心的と評判の、ハンナ孤児院に預けられたんだ』


 その語り口は淡々としていた。

 だが、レーナはむしろ、それが感情を挟むのを躊躇うほど厭わしい記憶だからなのではないかと思え、相槌すら打てずにいた。


 誰かの打ち明け話を聞くのなど、初めてだ。

 聞き出したがったのは自分のはずなのに、いざそれが始まると、どうふるまってよいかがわからなかった。


『ヴァイツ語は、母親に習ったことがあって、おおむね理解できた。それでも、俺は孤児院の連中と話そうとは思わなかった。数週間、誰とも口を利かずにいたら、院長にお目付け役を付けられた。――それがレオだ』


 へその緒も取れぬうちから孤児院にいたレオは、誰より孤児を迎え入れる経験が豊富だった。

 必然、幼い「新入り」や、「少し難しい子」の面倒を、彼が見ることが多かったという。

 ブルーノは、その後者の枠に収まったというわけだった。


『言葉も通じない、肌の色も顔立ちも違う、エランドからの難民。大体が腫れ物に触るように接する中、やつだけが違った。第一声はこうだ。「なあ、カンノウ小説って知ってるか? 一番よく売れる本のジャンルの名前なんだって。エランド語を訳せたら、俺の時給は跳ね上がるんだ。エランド語、教えてくんねえ?」』


 エランドが自治領とはいえヴァイツの統治下に入ったことで、当時はエランド語の書物が一気に国内に流入してきていたのだ。

 書物など上流階級の嗜好品だし、官能小説のなんたるかもわかっていなかったくせに、それが金に繋がることだけは理解して、鳶色の瞳を輝かせていた。

 それがレオだった。


 当時のやりとりを思い出したのか、ブルーノはわずかに目を細めた。


『ヴァイツなど野蛮の国だ。そう思っていた俺でも、……いや、だからこそ、エランド語の教えを請われれば、悪い気はしなかった。最初のうち、あいつは俺のエランド語がわからなくても、とにかくいろいろと話しかけてきた。それが不思議なことに――不快ではなかった』


 たとえば故郷とはあまりに異なる寒さに、険しい顔で立ち尽くしているとき。

 喧嘩に巻き込まれ、いわれのない罪をかぶせられかけたとき。

 ふと、心にひやりと氷が張りそうなタイミングで、いつもレオは屈託なく笑いかけてきたのだという。


 ――あん? おまえはやってない? 知ってるよそんなこと。ただ、主張しねえと。

  てかおまえ、トラブルに巻き込まれすぎなんだよ、このトラブルーノ!


 ――なあなあ、ここのスラングももったいぶらずに教えてくれよ。頼むよ、金ヅルーノ!


 ――え、なになに? 怒ってんの? 荒ぶっちゃってんの? 荒ブルーノ?


『……待って。いい感じの話にまとまるのか、お寒い与太話に終わるのか、今ので着地点を見失ったわ』


 半眼のレーナが挙手すると、ブルーノも『奇遇だな、俺もだ』と真顔で頷いた。


『当時の俺にも、やつのへらへらとした態度が理解できなかった。それであるとき、聞いてみた。なぜおまえは、俺を妙なあだ名でばかり呼ぶのかと』


 エランド語とヴァイツ語の押し問答を繰り返すことしばし、ようやくブルーノの質問を理解すると、レオは、そのそばかすの散った頬をぽりぽりと掻き、ちょっと困ったように笑った。


 そうして言ったのだ。


『――「だって、おまえ、ブルーノって呼ばれたくないんだろ?」と』


 レーナは、はっと息を呑む。

 言葉を継げずにいる彼女をちらりと見やると、ブルーノは再び揺らめく炎を見つめた。

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