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無欲の聖女は金にときめく 作者:中村 颯希

第三部(完結編)

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5.レオ、国外雄飛を決める(後)

 肉が多く入っているシチューの皿を選んだつもりが、焦げたにんじんだった。

 借金取りのおっちゃんを撒いてぼろ小屋に飛び込んだら、むしろそこが借金取りのアジトだった。


 そんな、期待や安堵が一瞬で絶望に様変わりする世の無常を、先ほどからレオは冷や汗をかきながら噛み締めていた。

 皇子を避けて屋敷に来たら、皇子がいた。


(くっそお……! 皇子は妖怪か幽霊の類かよ。なんで振り向けばいつもそこにいるんだよ……!)


 夫妻が三日と空けずにレオを誘いまくってくれたおかげで、実は精霊祭以降、皇子と会うのはこれが初めてだ。


 つまり、殺意のレベルが今どれくらいに落ち着いているかを、判断する材料がない。

 レオはなるべく視線を合わせずに、膝に置いた両手をぎゅっと握り、俯いていた。


 もちろんそれは、傍目からは、愛しい皇子に思いがけず会えた驚きと緊張で、初々しく俯いている可憐な少女にしか見えなかった。


「それで――レオノーラ。どうだろう。君さえよければ、寿ぎの巫女を引き受けてはくれないだろうか……レオノーラ?」

「え……っ!? あ、は、はい!?」


 名を呼ばれてびくりと肩をすくませる。

 轢き殺す?

 いや違う、引き受ける。なにをだ。


 慌てて前後の文脈を手繰り寄せていると、どうやら説明が不十分だったらしいと思ったエミーリアが、フォローを買って出てくれた。


「無理もないわ。あまりに重大なお役目ですもの。ああ、それとも、寿ぎの巫女の役割については、今まで聞いたこともなかったかもしれないわね。貴族の、それもほんの一部の女性にしか関わらないことだから」

「ええと……はい……」


 レオは曖昧に頷く。

 下町育ちのレオにとっては、契約祭はトマト投げ祭りやカーニバルのような、「他国におけるビッグイベント」くらいの認識だ。

 機会があればぜひ行ってみたいな、などとは思うが、その詳細を知っているわけではない。

 周辺国から貴族連中が集められるとは聞いたことがあるものの、彼らもまた観光をしているのだと思っていた。


「契約祭では、一般の市民が参加する祭とはまた別に、精霊教の大導師のみで執り行われる儀式があるの――元は、こちらこそが契約祭の主眼なのだけれど。光の精霊からの祝福を授かるために、祈りと試練を捧げる儀式よ。これには、エランドの民と、外国人は清らかな乙女しか参加できない。そして、祝福を授かりたいと願う国が、国を代表して差し向けるその乙女こそが、『寿ぎの巫女』なの」

「寿ぎの巫女……」

「巫女の器によって、その国の授かる祝福は増えるとも減るとも言われるわ。だからこそ各国は、その国で一番の乙女を派遣するのよ」

「はあ」


 レオはなんとなく、「祝福」と書かれたパンを群衆に向かってばら撒く大導師と、それに向かって、他国の代表を押しやりながら食らいつこうとする選手、みたいな構図を思い浮かべた。

 国の威信をかけたパン食い競争のようなものだろうか。


 食らうのが山吹色のお菓子(カネ)、だとかであれば参加も検討するが、祝福なんざいらねえや、と思ったレオは、即決二秒で断ろうとした。

 が、それよりも早く皇子が口を開く。


「なにしろ国の代表になってもらうわけだから、皇家としても全面的に支援をすることになっている。現地までの移動手段や、食事、宿泊場所の調整、そしてそれらの費用については、まったく心配しなくていい」

「…………」


 アゴ・アシ・マクラ付きでエランドに行けるということだ。

 レオの心は早くもぐらつきはじめた。


「ただ、巫女として、エランドでの過ごし方にはいくつかの条件が付けられる。それが『試練』と呼ばれるものだ。これが、多くの令嬢にはつらいと言われていてね」

「試練?」

「ああ、精霊の地になじむための試練だ。滞在中は主に精霊の言葉(エランド語)で話し、町は動物を使わずに歩き、食事はエランドの土地に根差したもののみを食す」


 暴言封印の魔術を逃れて話せて、町は足でくまなく観光できて、現地食を頂けるということだ。

 レオのモチベーションはますます上がった。


「極めつけに、精霊の地を守るという観点から、契約祭の最中、外国人の聖堂への接近は制限される。つまり……三日間の滞在中、巫女は護衛や侍従から離れて、自力で生活を整えなくてはならない。カイすらも含め、僕たちや騎士団は、君と距離を置かなくてはならないんだ」

「な…………」

(ナァァァァァァイス!)


 最後の内容を聞いて、レオは思わずガッツポーズを決めかけた。

 代わりに、魔術で喉を焼きびくっと肩を震わせる。


(なにそれなにそれ! じゃあ、皇子からの暗殺の危機も、うっとうしい監視もなく、気ままにエランド滞在を楽しめちゃうってことか!?)


 ただのレオ得な儀式でしかなかった。

 ブルーノがこのタイミングでエランドに向かうことといい、これはもう、金の精霊様が「タダでエランドにおいでよ」と言ってくれているとしか思えない。


 巫女とやらの役目がある分、金儲けの時間は取れないかもしれないが、いやいや、タダでエランドに行き、タダでエランドグルメを堪能できるだけで十分というものだ。

 それに、自分の足で街を歩いて回れば、異文化ビジネスの原石と出会えるかもしれないし、なにより――


(その監視が外れたタイミングで、レーナと入れ替わればいいんじゃん!)


 国外逃亡して体を戻せる、というのが最大の魅力であった。

 もし脱走した後に皇子が軍を向けてきたとしても、顔が割れているヴァイツ国内よりはエランドのほうが、まだ潜伏しやすい気がする。

 そうだ、なんならブルーノの力を借りて、レーナと三人で半年くらい、エランドで行商して過ごしてもよいかもしれない。


「最後の部分が、君にとっては一番不安の大きいところかもしれないが――」

「やります!」


 そんなわけで、レオは挙手する勢いで、巫女就任に名乗りを上げた。


 その即断に驚いたのは周囲のほうである。

 特に、孫の身の安全を第一に考える侯爵は、先ほどまでの調子のよい考えも忘れ、心配さに顎ひげを撫でた。


「レオノーラ。決めるのは、もう少し考えた後でもいいのだぞ。もっと、安全かどうか、一人で快適に過ごせそうかどうかを検討した後でも」

「いいえ、やります」

「だが、おまえの安全より優先すべきものなど――」

「あります」


 レオはきっぱりと遮った。


「快適さや、安全などより、優先すべきものが、私にはあるのです」


 その可憐な声には、今や凛とした気迫がみなぎっていた。

 普段はあどけない紫水晶の瞳にも、見る者をはっとさせる強い意志の輝きがにじむ。

 その気迫ある佇まいは、周囲から反論の言葉を奪った。


「お話は、それだけですか」

「あ、ああ……――」


 いつも控えめな少女の珍しい態度に、話を持ってきた当人であるアルベルトも少し目を見開く。


「当日の振る舞いや、出発前までの段取りは、引継ぎという形で教えてもらうよう、ナターリアに頼んである。急だが、明日から早速彼女と打ち合わせてくれ」

「わかりました」


 こくりと頷くレオはといえば、降って湧いた入れ替わり解消の機会に、全身これやる気に満ちていた。


(精霊は俺を見捨てなかった! ふはは、皇子め、のこのこ脱走の機会を与えたあたり、俺が逃げ出すはずもないと高を括ってやがるな)


 だが、レオとて男だ。

 再度捕まるリスクを冒してでも、機会があれば逃げ出してみせる。


(最初に言い出したのは、あんたのほうだからな)


 公開処刑され、レーナに盛大にディスられて委縮していた心が、ここにきてうきうきと弾んでくるのを感じる。

 こみ上げる笑いをなんとか堪えながら、


「――この話を、持ってきたのは、皇子、ですからね?」

「え?」


 よせばいいのに、レオは皇子に向かって捨て台詞を吐いてやった。


「私は、皇子が言ったから、エランドに、行くのですからね?」


 ざまあ!


 早くも脱走を決めた後のような解放感に酔いながら、レオは「早速、用意したいので。失礼、いたすます」と告げ、応接間をさわやかに走り去っていった。




***




 その後すぐ屋敷を辞した皇子を見送り、執事に新しい紅茶を淹れてもらいながら、エミーリアはほう、とため息をついた。


「ああ……、今日はレオノーラと一緒に、アデイラの劇場の下見でもと思っていたのに、すっかり予定が狂ってしまいましたわねえ」

「ああ。だが、巫女を終えれば堂々と一か月休学できる。むしろ、一緒に過ごせる時間が増えたと思えばよいではないか」


 クラウスもまた、ゆったりと紅茶をすすりながら、そう答える。

 しかし、液面を見つめるその表情は、どことなく思わしげだった。それに気付いた夫人が、不思議そうに「あなた?」と呼びかける。


「どうかなさって?」

「いや……本当にあの子の巫女就任を容認して、よかったものかと思ってな」


 ためらいがちに返された内容に、エミーリアはまあ、と片方の眉を上げた。


「あの子がやりたいと言ったことではありませんか。孫が最高の栄誉を目指したいというのを、止める理由などどこにあって?」

「最高の栄誉。女性はそういったものが好きだな。蹴散らす必要のない相手まで蹴落として、一番を目指すというあり方には、いささか私は疑問を覚える」


 虚仮(こけ)にされれば全力で相手を叩き潰すクラウスだが、特に貶められたわけでもないのに勝ちを取りに行くという、それほどまでの好戦性は持ち合わせてはいないのだ。

 困惑しながら呟くと、エミーリアが宥めるように言った。


「まあ、あの子もそういった名誉欲には無縁でしょうけれど。とにかく、殿下に認められたい一心なのでしょう」


 実際、先ほど孫娘は「皇子のために自分は行くのだ」と言っていた。

 快適さよりも安全よりも、皇子の依頼に応えるということが、彼女にとっての優先事項なのだろう。


「そこまで殿下を愛しているのかと思うと、微笑ましさと同時に、少々嫉妬を覚えてしまいますが」

「――そうだろうか」


 エミーリアが唇を尖らせていると、夫はふとそう口にした。

 真実を見通すと評判の紫の瞳が、虚空に向かってわずかに細められる。


「どうもあの子は、愛しい婚約者の前だというのに、やけに緊張していたと思わないか? 巫女をやりたいと言いだしたときも、依頼に応えたいというよりは、もっと切迫した感情があったように思うのだが……」

「切迫した、ですか?」


 思いがけない指摘に、エミーリアの眉が寄せられる。


 と、そのとき、


「失礼いたします」


 ノックが響き、少女の従者――カイが再び入室してきた。

 そのアーモンド形の瞳には、いつになく張り詰めた色がある。


 父である執事長の許可も得ずに話しかけてきたことや、それよりも珍しく強張った表情を浮かべていることが気になり、エミーリアは首を傾げた。


「どうしたの、カイ? あなたがレオノーラのそばを離れるなど珍しいこと」


 話を促すと、カイは一度父のほうを見やり、目配せで「自由に奏上してよい」との承諾を得る。

 そして、手に握りしめていたあるものを、夫妻の前に差し出した。


「ご無礼をお許しください。こちらを、閣下と奥様の目にお入れしたほうがよいと思いまして……」

「これは?」


 エミーリアたちが眉を顰めてしまったのも無理はない。

 掲げられた両手の中にあったのは、なにかの紙片の燃えかすだったのだから。


 焼け残り、煤にまみれている部分をじっくりと見つめ、はっとする。

 そこには、奇妙な筆跡で「卑シキ」の文字が読み取れた。


 カイは一度唇を舐めると、言いづらそうに切り出した。


「町暮らしをしている知り合いから聞いて、事実を確認してからご報告をと思っていたのですが――先日、一部の地区で配られる新聞に、『卑しき身の妃など不要だ』と書かれた紙が折り込まれていたそうです。それもちょうど、精霊祭でのレオノーラ様の美しさを称える記事にです」

「なんですって……!?」


 夫妻が青ざめる。タイミングといい内容といい、それは孫娘を中傷する文言に違いなかった。


「聞いた話では、レオさん――その地区の孤児院で新聞配達をしている少年がいるのですが、彼がほかの友人たちと走り回り、中傷の紙をだいぶ回収してくれたそうです。ですがそれでも、一部の購読者には届いてしまったそうで……」


 新聞を読むのは上層市民であり、その中にはエリートならではの妙な貴族主義や、血統主義にとらわれた人物もいる。

 貴族はむしろレオノーラを認めているというのに、そういった人物たちが、「夜盗の娘が妃になるのはいかがなものか」などと、見事に中傷文に煽られて騒いでいるとのことだった。


「ごく一部の話ですし、レオノーラ様とは接点もない階層の話です。お耳に入れるまでもないと思っていたのですが、どうやら検閲のない孤児院からの手紙に紛れて、中傷文を送りつけてきた不届き者がいたようで」


 カイはきゅっと眉を寄せると、「申し訳ございません」と深々頭を下げた。


「私が先ほど部屋を訪ねたとき、レオノーラ様は慌ててこの中傷文を暖炉に放り込んでおいででした」

「では、彼女は読んでしまったのだというのだな」

「はい。それどころか、私に気取られぬよう燃やそうとまで……! どうも急いで私に部屋を出るよう仰るので、不思議に思って先ほど部屋を検めたところ、この燃え残りを見つけました」


 俯けた顔に、苛烈な罪悪感がにじむ。

 カイは跪いたまま胸に手を当て、主人の傷の深さを思った。


「レオノーラ様は、懐が……心が冷えると仰っていました。聞き間違いでなければ、私が入室する直前、『自分は誤っていたのか』といった呟きを漏らされていたようにも思います。おそらくは、中傷文のせいで、婚約者候補としての素質を疑問に思われたのでしょう……っ」

「なんということ……!」


 エミーリアはその若草色の瞳に、怒りと嘆きを浮かべた。


 卑劣な輩に鎖に繋がれ、自己否定を植え付けられて育った孫娘。

 そんな彼女が家族の、そして異性からの愛を受け、ようやく傷を癒そうとしているのに、それを根底から突き崩すような中傷を寄越すとは。


「よりによって、卑しさとは最も無縁なレオノーラを、そのような言葉で貶めようとは……!」

「フォルカー。紫龍騎士団に通達を出せ。全隊使っても構わん。必ずや犯人を見つけ出し、その生皮を剥いでやろう」


 誇り高き侯爵も黙ってはいない。

 彼は、不要な戦いこそしかけないが、必要な戦いには過剰な武力でもって臨むのだ。

 執事長に指令を飛ばすべく片手を上げようとしたところを、


「お待ちください」


 しかし、カイが制止した。


「レオノーラ様のお気持ちは、そこにはないものと思います」

「なんだと?」


 クラウスの険しい視線がカイを射抜いたが、幼い従者は怯まなかった。


「レオノーラ様は、はかなげでありながら、その実、芯が強く矜持高いお方。ご自身に降りかかった厄介ごとを、他者の手ではねのけられることは、本意ではないでしょう。たとえば先日、レオノーラ様の御身を心配し、無理に孤児院から連れ帰ったところ、私は三日口をきいてもらえませんでした」

「ぬ……」

「まあ……」


 無敵の侯爵夫妻の恐れるもの。

 それは孫からの拒絶である。

 夫妻は虚を突かれたように黙り込んだ。


「それに、これまでのレオノーラ様はいつも、自らを貶めてきた相手に復讐するのではなく、ご自身の高潔さを示し、見返すことによって戒めてきました。おそらくは今回も、それがレオノーラ様の目指すところなのではないでしょうか」


 クラウスの脳裏で、ばちりと情報が繋ぎ合わさる。


「なるほど……。今回の巫女就任は、殿下の期待に応えるというだけでなく、彼にふさわしい地位を得る、という覚悟がもたらした決断だったのだな。寿ぎの巫女を務め、誰にも卑しいなどとは言わせぬと……」

「それなら、思いつめた表情をしていたのも、頷けますわね」


 まったく頷けない。

 だが、夫妻はぴたりと符合した事実が真実であると、かけらも疑わなかった。

 そしてまたカイも、神妙な面持ちで「さようでございますね」と相槌を打った。


 侯爵は紫の瞳をすうっと細め、「……あいわかった」と低く呟いた。


「身の安全が、だとか、別に栄誉など求めなくとも、だとか思っていた私が間違いだった。これは、レオノーラが、愚かな思考に染まった敵を蹴散らすための闘いなのだな」

「……あなた?」


 いつになく剣呑な雰囲気をまとった夫に、思わずエミーリアは眉を寄せた。

 びりりと全身の毛が逆立つような闘志。戦場の修羅と呼ばれた男が、そこにはいた。


「いくら使っても構わん。持てる金脈、人脈のすべてを使い、レオノーラに巫女教育を施す……!」

「あなた……」

「レオノーラの健気な決意を、我々は全面的にバックアップする。最高の誉れを、レオノーラに掴ませるぞ。契約祭まで二十四時間体制で、レオノーラに知識作法心構えに社交術を詰め込むのだ――!」

「あ、あなた……っ?」


 エミーリオたち渾身の中傷文が、ハーケンベルグの紫瞳を曇らせ、同時に、レオの軟禁生活を決定づけた、それは瞬間であった。

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