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無欲の聖女は金にときめく 作者:中村 颯希

第三部(完結編)

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40.エピローグ

 庭先に咲いたトルペの花が、うららかな春を告げる、昼下がり。

 ハーケンベルグ侯爵家の広間では、部屋から溢れんほどの大勢の人物が、厳粛な面持ちで資料に視線を落としていた。


「はい」


 凛とした表情で顔を上げ、最初に挙手したのは、この一年ですっかり女性としての艶を増し、大輪の薔薇にたとえられるようになった皇女――ビアンカ・フォン・ヴァイツゼッカー。


 彼女は威厳ある態度で資料をテーブルに戻すと、その一番奥に座る人物に向かって、厳かに告げた。


「この資料の指摘する、身分差別を撤廃した王に光の精霊が祝福を授けた、というエピソードには、わたくしもかねてから注目しておりました。過日、わたくしは下級学年長としての最後の権限を用い、寮室に関する身分差別の撤廃条例を通しました。この行いは、きっとかの精霊の御心に適うものと思います」


 力強く言い切れば、議長席の人物――侯爵夫人エミーリアは、重々しく頷く。


「素晴らしいことですわ。ぜひ今年の奏上内容に加えましょう。……レオノーラの還俗日数増加が叶った際には、間違いなく、殿下との茶会時間を確保いたします」

「ありがとうございます、夫人」


 エミーリアの確約に、ビアンカはテーブルの下で密かにガッツポーズを固めた。

 その一連のやり取りを見ていたほかの者たちが、次々と挙手を始める。


 クラウスやカイといった、侯爵家に連なる者はもとより、アルベルトやナターリアといった皇族、オスカーやロルフといった商人や下級貴族、そしてグスタフやクリスなどの聖職者まで。

 その顔ぶれは多彩であり、身分や性別、年齢もさまざまである。


 ただひとつの共通項があるとすれば――彼らはみな、とある目的を持った会の一員であった。


 議長を務めるエミーリアは、次々となされる提案を柔軟に受け入れながら、満足そうに微笑む。

 そうして、その上品な面差しに、燃えんばかりのやる気を見せて、周囲に呼び掛けた。


「慈愛深きかの精霊が、聖堂の見事さと、わたくしたちの日頃の行いを喜び、レオノーラを一日だけ(・・・・)俗世に解放(・・・・・)してくださった奇跡から、はや半年。夢のような一日は瞬く間に過ぎ、わたくしたちは再びレオノーラのいない日常に慣れはじめました」


 彼女はすっとその場に立ち上がり、ひとりひとりの目を覗き込みながら続けた。


「かの精霊の慈愛に感謝し、その一日のみを大切にせよとの声もあるでしょう。それ以上を望むなとの声もあるでしょう。ですが、レオノーラに一目逢いたいと願う者はあまりに多い。その痛切な願いのすべてを、たった一日の『還俗』でこなすことなど、可能でしょうか? いいえ、とうてい不可能です」


 お手本のような反語表現に、全員から頷きが返る。

 それにまた頷きで返しながら、エミーリアは朗々と言葉を紡いだ。


「一度あることは二度ある。二度あることは三度ある。光の精霊が喜ぶとレオノーラを俗世に解放してくれるというならば、我々は、あらゆる手段を講じて、かの精霊に功徳を差し出そうではありませんか。魂を磨き、美徳を育て、世の中を光へと導き――」


 そこで彼女はぐっと拳を握った。


「こうして毎年、レオノーラの還俗日数を、どんどん引き延ばしてまいりましょう……!」


 そう。

 彼女たちは、別れを惜しみ切ったはずのレオノーラ・フォン・ハーケンベルグを、なんとかこの手に取り戻そうと、潔いほどの悪足掻きを見せているのである。


 事の起こりは、九か月ほど前。

 それぞれの想いを抱えながら、少女を聖堂へと送り出したその数週間後、エミーリアの枕元に黒髪の麗しき精霊が立ったのだ。


 驚愕するエミーリアに、彼女はこう告げた。


 あなたの痛切なる願いは、わたくしの胸を揺さぶりました。

 捧げられた聖堂の美しさと、その善行の輝かしさへの報いとして、レオノーラを一日限り、あなたのもとへとお返ししましょう、と。


 指定された一日というのは、特に精霊祭があるわけでも、契約祭があるわけでもない。

 あえて言うなら、町では大々的に期末セールが行われるくらいの、なんの変哲もない一日であったが、エミーリアはそれに飛びついた。


 そうして、昼近くなって、たくさんの戦利品――もとい、お土産を手に現れた少女と、夢のような時間を過ごしたのである。


 会えずとも、家族。

 けれど、……会えたならば、それに越したことはない。


 エミーリアはご満悦であった。


 しかし、それを知って黙っていなかったのは、少女に会えなかった侯爵夫妻以外の面々だ。

 彼らは、毎年そのような奇跡が起きるのならば、自分たちだって少女に会いたいと主張し、エミーリアもまた、一日では全然足りないとの思いを強くしていたことから、両者は手を取り合った。


 かくして、毎年春には、レオノーラへの面会希望者で寄り集まり、光の精霊の歓心を買うための奏上の準備をしようと、そのような運びになったわけである。


 それはさながら、実績をアピールして有給休暇の支給日数を引き上げんとする、労使者協議。

 まさしく、春の闘い――春闘の現場であった。


 議長の肩書に恥じぬ、鋭い眼光を宿したエミーリアは、嫣然と扇を広げて宣言した。


「昨年の実績は一日。ですが、わたくしたちは美徳を積み、かの精霊の満足度を引き上げることによって、これからの十年で、年間三十日の還俗日数実現を目指します」

「三十日……!」


 もはや、嫁に行った娘だってそんな長くは帰省しないだろうという日数だ。

 というか冷静に考えて、年中寮住まいをしている学生よりも、よほど実家滞在期間が長くなる仕様だ。

 しかし、彼女の発言を誰も突っ込むことはせず、「分割取得を可能とすべきだろうか」「いやそれより日数確保が優先だ」などと、議論は大いに盛り上がった。


「その、妻よ――いや、議長よ。かの精霊は芸の美しさをも好むと聞く。奏上するだけでなく、我が騎士団を動員して、聖堂で演武を披露させてはどうだろう」


 日数についての議論が一段落すると、今またひとり、春闘の一員が真剣な面持ちで提案を寄越す。

 エミーリアはそれにゆったりと頷くと、


「素晴らしいですわ。ただしかの精霊は、龍の血が聖堂に近づくのを好まぬ様子。紫龍騎士団ではなく、市民から武芸に優れた者を育成し、それを披露する形としましょう。武だけでなく、学芸に優れた者を募ってもよいかもしれません」


 さりげなく、光の精霊が一層好みそうな内容に、体裁を整えていった。


「であれば、上級市民だけでなく、下級市民や貧民にもその範囲を広げては?」

「いや、ならばいっそ、国籍を問わず、近隣の国々にまで範囲を……」

「性別も」

「年齢も」


 すべての存在が、光の祝福を等しく授かった世界の宝物である、という精霊教の教えを実践すべく、彼らはどんどん「光の精霊 歓び組」の範囲を拡大していく。

 それは図らずも、身分の貴賤を問わず、老若男女を差別しない金貨王の治世に、先鞭をつける役割を果たすこととなったのである――




***




 レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ。

 精霊のような美貌を持ち、この世のあらゆる美徳を体現したかのような少女の名を、この大陸で知らぬものはいない。


 彼女は不幸にも下町に産み落とされ、過酷を極める環境で幼少時代を過ごしたのち、一度は侯爵家に保護され、即位前の金貨王と、清らかな恋で結ばれる。

 しかしながら、その美貌と聡明さが災いして、異国の邪導師に闇の精霊へと捧げられかけたところを、光の精霊に救われ、十二の若さで一生を聖堂で過ごすことを運命づけられた、悲劇の女性である。


 特筆すべきは、かような境遇にあってなお、彼女がその慈愛の精神を失わなかったことだろう。


 帝国学院に在籍していた際には、貴族と市民の間に立ってその仲を取り持ち、水不足に喘ぐ貧民のため、水の召喚陣実現に貢献。

 自らはなにも望むことなく、出会う人すべてに救いをもたらして回った。


 聖堂に身を寄せたのちも、そこを拠点に、かつて自分を追い詰めたエランド自治区宗主を励ます手紙を書き、さらには、交誼を結んだエランドの下町を活気づけるための策を伝授した。

 彼女の忠言を受け入れた下町は、やがてエランド有数の観光地と成長し、多くの外貨で潤うこととなる。

 ほかにも、彼女の慈愛と機転溢れる提案によって、多くの発明や交流がもたらされ、主には貧しい人々に光を投げかけてゆくこととなった。


 また、俗世に残された家族や友人が、少女との再会を望み、こぞって光の精霊への美徳を積みあげたことから、彼女の周囲には、綺羅星のごとき傑物が集まったという事実も指摘せねばならぬだろう。


 筆頭は、その治世において、ヴァイツ帝国史上最大の隆盛を極めた金貨王・アルベルト。

 彼は、少女との約束を胸に、貴族が特権を握る階級制度を緩和し、陣によって魔力を市民へと解放。

 柔軟な登用制度と併せ、市民の台頭と文化の前進を促した。


 ならびに、ベルンシュタイン財閥の偉大なる兄弟、オスカーとフランツ。

 彼らは、陣の普及を具体的に推し進めることにより、金貨王の治世を経済的に支えることに成功する。


 女性の地位を飛躍的に向上させたビアンカ・フォン・ヴァイツゼッカーや、女流作家として、ヴァイツ国中の識字率を引き上げたナターリア・フォン・クリングベイルの存在も忘れてはならない。

 彼女たち以外にも、少女の影響を受け、研鑽を続けた学院出身の人間は数知れないが、ここでは割愛しよう。


 かように、まるでそこにいるだけで、周囲を引きつけ、その磁力を伝播させるような存在。

 それが、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグなのである。


 例えば彼女が毎年一定期間だけ還俗を許され、町を歩くとき、普段はがめつい言動で知られる孤児の少年が、まるで人が変わった(・・・・・・)ように(・・・)、金銭への興味を示さなくなるのだという。

 それは、町に下りた少女の無欲さが伝播して、金に汚い少年の精神をも作り変えているからに違いなく、人々はこのエピソードひとつをとっても、少女の清廉な人柄を感じ、彼女のことをこう呼び称えるのであった。


 精霊の花嫁、光の聖女。

 あるいは――無欲の聖女、レオノーラと。

これにて完結となります。

第一部の一話目を投稿してから一年半、ずっと皆様からの温かなコメントや評価が励みでした。

最後までお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

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