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無欲の聖女は金にときめく 作者:中村 颯希

第三部(完結編)

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2.レオ、陳謝する(中)

 予想外の事態にレオが驚愕の叫びをあげるが、いやいや、叫びたいのはこちらのほうである。


『なんでよ!? なんでこんなすっからかんなの!? あなた、大規模な魔術でも使った!?』

『んなわけねえだろ! そんなんできてたら、自力で入れ替わってるわ!』

『じゃあどうしてよ! 鍛錬しておいてこれだけしかないなんて、魔力を無理やり吸い取られでもしない限り、ありえないレベルよ!?』


 レーナが言うと、レオはぴたりと動きを止めた。


「……吸い取られる?」


 幼い美貌に、「あ、まさか」みたいな動揺の色が浮かび、視線がぎこちなく泳ぎはじめる。

 その紫の瞳が、一瞬自らの胸元をかすめるのを、レーナは捉えた。


 同じくそれを見守っていたブルーノが、すうっと目をすがめて、


『レオ、その場でちょっと跳んでみろ』


 そんなことを言う。


『え……? え? や、やだなあ、ブルーノ。幼馴染に向かって、そんなカツアゲまがいなことを言うのってちょっと――』

『ほら跳べ』

『うわわわわわわわ!』


 レオが言い逃れしようとすると、ブルーノがその胴体を掴み、がつがつと揺すってきた。

 軽い体は簡単に持ち上がり、上下にシェイクされる。


 と、同時に――


 チャリーン、チャリチャリーン。


 そんな陽気な音を立てて、小銅貨が、銅貨が、金貨を模したブレスレットが、――そして、きらきらと輝く金属片が、次々に床に落ちていった。


『うわあ! うわあ! うわあああ! 俺の、俺のコレクション……!』

『……あなた、どこにどれだけ金目の物を隠し持ってるのよ』


 げんなりと散らばった硬貨やら宝飾品を見つめていたレーナが、ふと目を細める。


 視線の先には、奇妙な形をした、指先ほどの金の塊があった。


『……なにこれ?』


 貨幣ではない。

 いびつさを見るに、装飾品でもない。

 ただ、その金色の輝きには、さして金銭欲のないレーナでさえ、はっと息を呑むような美しさと、禍々しさがあった。


『レオ?』

『……ええっと、その……金の、破片、ですかね』


 レーナが静かな声で問えば、レオはもごもごと答える。

 ブルーノと二人がかりで冷えきった視線を送ると、可憐な外見の守銭奴は、小さな声で付け足した。


『……ええと。金の腕輪の、破片、です……ね』

『……レオ?』

『……その、……皇子が嵌めてた、魔力封じの腕輪の破片です……!』


 再び無表情コンボにさらされたレオは、とうとう半泣きになって白状(ゲロ)った。


 レーナは、体のどこかで、なにかがぷちっと音を立てて切れるのを感じた。

 堪忍袋の緒かもしれないし、脳の血管かもしれない。


『……こんっの、大馬鹿守銭奴おおおおおおお!』

『ごめん! まじごめん! いや、だって、まさか破片だけでも魔力を吸収されちまうなんて思わなかったんだよ! そいつが、破片でいいから俺に拾ってくれって、訴えかけてきたんだよおおお!』


 土下座するレオによれば、先日の茶会で皇子が腕輪をぼろぼろにしてしまった際、飛び散った破片のひとつをつい拝借してきてしまったらしい。

 皇子の留任、婚約話、生命の危機といった甚大なストレスを、レオは日々これをにぎにぎすることで、やりすごしてきたのだという。

 魔力など溜まるはずもなかった。


『魔力を大量に奪われつづけたら、人によっては倒れるし、死ぬのよ!? あなた、まったく気づかなかったわけ!?』

『いや……最近妙にだりいなとは思ってたけど、てっきりストレスのせいかと……』


 レーナは心の中で素数を数え、なんとか叫びの衝動を抑え込む。

 大きく息を吐きだし、低い声で切り出した。


『――とにかく。魔力がない以上、入れ替わり解消は先送りね』

『うぅ……』


 レオが情けなく首を垂れる。

 しかし彼は、次に顔を上げると、たそがれた表情のまま、思いもよらぬことを言いだした。


『……まあ、それでよかったのかもなあ……』

『――は?』


 思わずレーナは聞き返してしまう。

 すると相手は、人のよさを丸出しにしたような表情で、ぽりぽりと頬を掻いた。


『だって、このままおまえが元の身体に戻ったら、おまえが処刑されちまうかもしれねえだろ? 警護って名目で、堂々と軍人を使って俺を監視しようとするあたり、もはや皇子も手段を選ばねえ感じだもん』

『は……?』

『やっぱせめて、その辺りを解消してからじゃねえと、体なんて戻せねえよなあ……』


 がくりと肩を落とすレオを見て、レーナは、ようやく自分たちが食い違った会話をしていたことに思い至った。

 こちらとしては、「溺愛のあまり警護レベルが跳ね上がり、入れ替わりや脱走が困難」なことについて怒っていたのに、レオは「憎悪のあまり警戒レベルが跳ね上がり、生存が困難」なことについて懸念していたとは。


 レオの言い分では、警護が厚くなったのは、それすなわち自分を見張るため。

 精霊祭以降、やけに皇子がやる気に満ちているのは、殺害対象(レオ)を前に()る気が昂っているため。

 ほかにも、はたから聞いたら求愛以外の何物でもない言葉や行動が、ことごとく尋問や脅迫という認識にすり替わり、心底皇子におびえているようであるのだ。


(こ……っ、この期に及んで、まだその解釈だったわけ……!?)


 レーナはくらりとめまいを覚えた。

 そりゃあ、手紙の返信で、丁寧に皇子の恋情について解説しなかった自分も悪いかもしれないが、まさか本当に、ずっとその説を信じつづけているなんて。


 しかし、レオはあくまで真剣に、『うん……そうだよな……やっぱケツは自分で拭かねえと』とかなんとか、悲壮な覚悟に拳を固めている。


 それを見て、レーナは大いに呆れ、困惑し――同時に胸の奥が、少しだけ軋んだのを感じた。


(……馬鹿なレオ)


心の内で、ぽつんと相手を詰ってみる。


 せっかく再会できたというのに、謝罪するばかりで、彼からは一向に「早く体をもとに戻してくれ」と迫ってこなかったわけを、彼女はようやく理解した。

 彼は、ありもしない死刑の危機からレーナをかばおうとしているのだ。

 それが自分の責任だと信じて。

 せめて生命の危機を回避しなくては、入れ替わり解消を頼むのも気が引けると、そう思って。


(あなたは馬鹿だし、……私は卑怯ね)


 同時にレーナは、自分のこともそう罵った。 


 先の手紙で誤解を正すこともできたのに、結局しなかった理由。

 それは、下手に勘違いを解消して事態が悪化するのを恐れた、というのが最も大きいが、――このまま誤解させておけば、それを口実にもう少し入れ替わったままでいられると、心のどこかでそう思ったからだ。


 現に、今も同じ理由で、この守銭奴に皇子の恋情について解説するのをためらっている。

 さっさと事態の解決に向けて動きだすべきだと、わかっているのに。


 レーナは今、レオとは違う理由で、この状況に安堵している自分がいるのに気付いた。


(だって、魔力切れが理由なら、私は卑怯者だっていう事実を突きつけられずにすむ――)


 いずれは、体を戻す。約束は守る。

 でも、もう少しだけ。

 入れ替わり後の脱走の準備と、心の準備ができるまでは。


 そういった後ろめたさが、レーナの声をやわらげた。


『……まあ、いいわ。今は、できることを考えましょう』

『できること?』


 レオがぱっと身を起こす。

 その、こちらをかけらも疑っていない顔を見ていられなくて、レーナはさりげなく視線をそらした。


 前は愚かな少年をだますことなど、なんでもなかったはずなのに、なぜだろう。

 今は、それがひどく骨の折れる作業のように感じる。


 レーナはなるべくいつもの平静さを装って切り出した。


『――例えば、そうね。あなたの身体に残っているカスみたいな魔力をかき集めて、今後のためになる魔術を展開するとか』

『暴言封印を解いてくれんのか!?』

『……そうしたいのは山々だけど、それには魔力が足りないわ』


 そう。魔術は言語で展開されることが多いだけに、その言語を制約する暴言封印の魔術というのは、なかなかの上級魔法なのだ。

 諸々の厄介ごとが、おそらくこの片言のせいで発生しているのだろうことがわかるだけに、これについてはレーナも忸怩たる思いだった。


『今の状態でできるのは……そうね、すでに展開している魔術の効力を増やすことくらいかしら』

『すでに展開している魔術?』


 不思議そうに首を傾げたレオの腕を取り、レーナは「そう」と頷いた。


「出現せよ、監視の水晶。ふたつに分かれよ」


 ヴァイツ語で素早く唱えると、ふわりと光が踊り、レオの掌に見覚えのある水晶が現れた。

 それはくるりと回転し、次の瞬間には、ひと回り小さなふたつの玉に分かれる。

 レーナはそのうちのひとつを手に取り、もう片方をレオに返した。


『ほら』


 手渡すが、相手はきょとんとするばかりだ。


『え? なんでレーナも持つの? 二人がかりで皇子を監視するとか?』

『少しは頭を使いなさいよ。こうしてお互いが「相手の今の姿」を再生すれば、遠くにいても会話できるでしょうが』

『……おぉぉおおおお!?』


 監視の水晶の思わぬ使い方を示され、レオが膝を叩いた。


『なるほどな! すげえ! ん? 携帯できる会話陣っていうコンセプトって、立派なビジネス――』

『邪念は今すぐ捨てなさい』


 すぐに金儲けに思考を巡らせようとするのを、光の速さで制止する。


『いい? まがりなりにも今、あなたはこの国の皇子の婚約者候補なの。今日はこうして会えたとしても、今後ますます、私たちは会いにくくなるわ。手紙のやり取りだって難しくなるかも。その時のための水晶よ。乏しい魔力でふたつに割ったから、頻繁に使ったら壊れてしまうかもしれない。くれぐれも、雑談なんかで使わないでよね』

『わかった! 使用をケチるのは得意だぜ。任せてくれよ』

『……必要なときには、間違いなく使ってよね?』


 相手が自信にあふれているほど心配になるというのは、いったいどうしたことだろう。

 漠然とした不安に駆られながら、レーナは自分用の水晶を懐にしまった。


『ともあれ、連絡手段を確保した以上、今できるのはこのくらいかしら。あとは、もうちょっとあなたを取り巻く状況について聞かせてもらって――』

『――悪いが』


 とそこに、ブルーノが軽く片手を上げてきた。


『すべきことも、レーナの怒りも一段落したようなら、俺は少し席を外していいか』

『え?』


 レオとレーナが同時に振り返る。レオの一番の友人を自任する彼が、自らこの場を離れたがるのは少々不思議だった。


『つれねえじゃんか、ブルーノ。あ、もしかして仕事か?』


 孤児院の子どもたちは、己の食い扶持を稼ぐべく、日々分刻みの内職やバイトをこなしている。

 レオがそれに思い至って尋ねると、しかしブルーノは静かに首を振った。


『いや。野暮用だ。だが外せない』

『ふぅん……?』


 感情を窺わせない黒い瞳で告げられると、詮索するのもためらわれる。

 レオが曖昧に頷くと、相手はさらに驚きの発言を続けた。


『ついでに言うと、来週から一週間ほど孤児院を空ける。もしことを構えるなら、そのあとにしてくれ』

『え? 一週間もどこ行くんだよ。行商か?』

『……エランドに行ってくる』


 ブルーノはいつも嘘をつかないし、たいていのことはためらいなく、淡々と答える。

 しかしこのとき、返答までにわずかに間があったのを、レーナは怪訝に思った。


『エランドに? 逃れてきた国に足を伸ばすって、なにごとよ。今更、会いたい家族でもいるわけ?』

『ほう。レーナ、さてはおまえ、俺のことが気になって気になって仕方ないか』

『な……っ! 気になんてなるわけ、ないでしょ!』


 すると、いつものように混ぜ返され、脊髄反射でそんな返答をしてしまう。

 質問の糸口を失ったレーナの隣では、レオが、


『えー! エランド!? 契約祭の迫ったエランド!? 大陸中から観光客が押し寄せる、光降月のエランド!? 金の匂いしかしねえじゃん! 俺も行きたい! 連れてって!』


 などと鼻息を荒げて喚いていた。


 精霊のはじまりの土地・エランドは、ヴァイツに支配されてなお宗教的自治を堅持しており、精霊たちが大陸への祝福を更新するという「契約祭」には、観光客だけでなく、近隣の王侯貴族までがやってくるのである。


 人の集まるところに金あり。

 そして、金あるところにレオあり。


 レオは早くも、どんな商売ができるかな、などと思考を巡らせはじめていたが、ブルーノはそれに対しても『だめだ。おまえは金儲けより先に、まず自分のことを片付けろ』とあしらうだけだった。


『ええ! 冷てえよ、ブルーノ! やっぱ商売って、土地勘があったほうが有利だしさ。今まではおまえ、エランドに全然帰りたがるそぶりもなかったから、この話はタブーなのかと思ってたけど、そうじゃないんなら、ぜひ――』

『帰りたいわけではない』


 レオは食い下がったが、それもまた遮られる。

 その低い声に、一瞬、周囲に沈黙が落ちた。


 少しだけ張り詰めた空気。

 ぎこちない静けさ。


 いつもテンポよく会話する彼らしか知らないから、レーナはこんなとき、どう振舞ってよいかわからなくなる。

 ブルーノ、となんとなく呼びかけようとしたとき、それよりも早く、


『……そっか。わりわり、ならいいや』


 レオがいつもの朗らかで能天気な笑みを浮かべた。

 途端に、場の空気が緩む。


 彼はなにごともなかったように、ブルーノにおねだりを始めた。


『じゃあ代わりにお土産頼んだ! あ、でも、おまえのセンスってまったく信用ならねえからなー。来週までにリスト送るわ、百行くらいのやつ!』

『そんなリスト、誰がいるか。俺のセレクトを信じろ』

『いや信じねえよ? アンネ用のぬいぐるみを頼んだら、熊の死体を担いできたおまえのセレクトなんて、誰も信じねえよ?』

『もふもふだったろうが』

『臭かったわ! だが美味かった』


 そんな会話を交わす彼らは、すっかりいつも通りだ。


 その後二人は、しばらくお土産に関する攻防を続けていたが、やがて「二十五行のリストを送り、それ通りのものを買う」というあたりで折り合うと、ブルーノは部屋を出てった。


 あとには、レーナとレオだけが残された。


『……ちょっと意外だわ』


 ブルーノがめくった魔術布が、ゆらゆらと揺れながら元の位置に収まるのを見つめ、レーナはぽつんと呟く。

 レオが「え?」と首を傾げてきたので、補足した。


『あなた。金儲けのことなら、もっと食い下がるのかと思ってた。話、そらしたでしょう』

『んー』


 いや、お土産は本気でほしいんだけど、と頬を掻きながら、レオは答える。


『だってまあ……誰だって、触れてほしくないことのひとつやふたつ、あんじゃん?』

『……ブルーノは、なぜエランドから逃げてきたの? 戦禍を逃れるためとはいえ……敵国の首都なんかに』

『知らね』


 答えは至極あっさりしていた。

 そしてそれは、別にごまかしでもなんでもなく、純粋に事情を知らないようだった。


『ブルーノ、思い出話はしても、その辺は話さねえし。俺も聞こうとは思わなかったしな』

『それも意外ね。あなたたちって、気味が悪いくらいに仲良しこよしなんだと思ってた』

『や、仲良しよ? でも別に、過去なんて知らなくてもなれんじゃん、ダチなんてさ』


 さらりと返された答えに、一瞬言葉を失う。

 レーナがなんと続けるべきかを思いつく前に、レオが『……それにさあ』と付け足した。


『あいつ、今日、すげえ目ぇ黒かったじゃん?』

『……は?』


 レーナが眉を顰めてしまったのも、無理からぬことだろう。

 だって、黒い瞳、褐色の肌というのがブルーノの標準装備だ。


『なにそれ。やつは、日によって目の色か変わる生態の持ち主なわけ?』

『や、それ、わりと普通だろ? マルセルは興奮すると、灰色の目がちょっと青っぽくなるし、エミーリオは緑が濃くなるぜ?』

『……それは、そうかもしれないけど』


 指摘されるまで気付かなかった悔しさがにじまぬよう、レーナが小さく答えると、レオはひょいと肩をすくめた。


『ブルーノの場合はさ、うまく言えねえけど……こう、黒の色が強くなるんだよ。光るみたいに、強い色になんの。最初に気付いたのはいつだったかなあ。あいつが孤児院に来て、わりとすぐだったかな? ブルーノって、小せえ頃はもっと灰色っぽい瞳だったんだぜ。それがいつの間にか黒くなってってさ、人種的なもんだって言ってたけど。で、それが、なんか大切なことがあるときとかに、さらにぐぅっと黒くなんだよ。それで……』

『それで?』


 続きを促すと、レオはちょっと困ったように笑った。


『そういうときに限って、ふらっといなくなって……なんか、すげえぼろぼろになって帰ってくる』


 ブルーノという男と「ぼろぼろ」という単語が結びつかない。

 どういうことかと尋ねてみたら、喧嘩で負傷しただとか、そういうことではないらしい。

 ただ、今にも倒れそうなほど疲れ切って、そのまま寝てしまうのだそうだ。


『そういうときのブルーノって、本当に触れてほしくなさそうだし、犯罪に手を染めてるわけでもなさそうだから、放っといてる。べつに、俺はあいつの保護者じゃねえしな。で、たぶん今回も、それ(・・)なんだと思う』


 だから、放っておくのだとレオは言う。


 相変わらず、この二人の付き合いというのは、べったりなのか、ドライなのか、よくわからない。

 なんとなく取り残されたような感覚を抱いたレーナが口をつぐんでいると、レオが『でも』と、こちらに向き直った。


『でも一週間なんて長いのは、今回が初めてだ。行き先がエランドっていうのも、ほんとはすっげえ気になってる。――だからさ、レーナ』


 珍しく、その瞳に真剣な表情を浮かべてレオは告げた。


『あいつのこと、ちょっと気に掛けといてくれねえかな』


 なんで私が、という言葉は、喉元までせりあがってきたものの、音にならずに消えた。

 ここは意地を張るべき場面ではないと、そう思えるくらいには、レオの声には重みがあったからだ。


『……私が』


 しばし考えたのち、レーナは結局別の言葉を口にした。


『私が気に掛けないと、あなたが気に掛けるってわけでしょう?』

『ええっと――』

『なら仕方ないわ。あなたには入れ替わり問題だけに専念してほしいから、私が、仕方なく、いやいや、しぶしぶ、気に掛けといてあげる』


 そっぽを向いて答えると、相手からはしばし間があった。


『レーナ……』

『なによ。文句あるの?』

『いや。おまえ、――かわいいな』


 レーナは絶句する。

 一瞬遅れて「はぁ!?」と声を上げようとしたが、それすらもどもって、「は、は、はぁ!?」となってしまった。恥で死ねる。


 うっかり耳の端まで赤く染めていると、それを褒められたせいと思ったらしいレオが、にやにやとこちらを見ていた。


『やー。おまえのこと、とにかく高飛車でやなやつとか思ってたときもあったけど、レーナ語がわかるようになると印象変わるな。うん。かわいいわー』


 かわいい、かわいい。

 まるで妹かペットにでも言うような口調で繰り返され、レーナはひくりと口の端を引きつらせた。


『――……レオ』

『ん?』

『爆ぜろ』

『はっ!?』


 ぎょっとする無神経な守銭奴に向かって、レーナは吐き捨てた。


『うるさい。私は今機嫌が悪くなった。今日はもう終わり。あなたはとにかく、なにもしないで。以上。さっさと出てけ』

『は!? え!? な、なんで、ってか、え!? だって、せっかく、今後の対策――』

『続きは水晶で! もう、さっさと出てけええええ!』


 ついでに背中をぐいぐいと押して、部屋から追い出す。

 扉の外で立っていたらしいカイが、それまでの会話もわからず目を白黒させているのを認めると、レーナは笑みを張り付け、いけしゃあしゃあと説明した。


「やあ従者くん、お勤めご苦労。話し合いは今終わったから、さっさと、もとい、丁重に、彼女を連れ帰ってくれるかな」

「お……っ、て……っ」

「お手洗い? 玄関の隣だ。ごゆっくり」


 おそらく、「おい、てめえ」とでも言おうとしたのだろうレオを無視して、レーナはにこやかにカイに身柄を引き渡した。


「夕暮れが近づくにつれ、このあたりの治安は加速度的に悪くなるからな。名残は惜しいが、あんまり引き留めて彼女を危険な目に遭わせてもいけない。気を付けて帰れよ」


 治安、危険、気を付けて、は、この番犬のような従者を奮い立たせる魔法のワードだ。

 案の定カイは、それまでの戸惑いをかなぐり捨てると、「主人を安全に連れ帰らねば」という使命感に瞳を燃やしだした。


「ちょっ、あの……カイ! だまされないで! 安全です! 全然、安全です! もう少し、いましょう! ね!?」

「お気持ちはわかりますが、レオノーラ様。このあたりの治安の悪さを甘く見てはなりません。まだ日も高いですが、早いに越したことはない。さあ、そろそろ学院に帰りましょう」

「ええええええ!?」


 町に下りればヤのつく自由業の男に絡まれ、森に赴けば湖に溺れてくるレオの、安全面における信用度はゼロに近い。


「レオノーラ様、失礼いたします」


 カイが、忠誠心由来の強引さでもってその身を抱き上げると――このために、彼はこの数か月トレーニングを行い、少しずつ筋力をつけてきている――、可憐な守銭奴は、あっさりと馬車に連行されてしまった。


「うわあ。お姫様抱っこだ。レオノーラ様、かぁわいー(・・・・・)


 馬車の扉が閉まる直前、棒読みでレーナが告げると。


「なんで……っ」


 おそらくは、「なんでだよおおおおお!」と叫びたかったのだろう声が、中途半端に途切れながら、耳に届いた。

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