《閑話》 レオ、パジャマパーティーに参加する(5)
振り返れば、ナターリアに掛けてもらった上着をきゅっと握りしめた少女が、目を怒りに煌めかせて立っている。
少女はその秀麗な顔を真っ赤に染めて、まっすぐに指をドミニクに突き付けた。
「あなた、嘘を、ついていますね!?」
「レオノーラ?」
つい先ほどまで、会話も耳に入らないほどに呆然としていた様子だったのに、急に激昂しだした少女を、ナターリアたちは驚いて見守った。
「どうしたというの? 嘘つきって、どういうこと?」
「私、だまされません!」
叫ぶレオはといえば、ビアンカたちが戸惑うのも気にならないほど、怒りでいっぱいになっていた。
先ほどドミニクが「女性に興味があって下着を盗もうとした」と自白した瞬間から、レオは周囲の声が聞こえないほどに、怒りに心を支配されてしまっていたのだ。
そう、その後続いたドミニクの自白・妹バージョンは、レオの耳には届いていなかった。
(なんってことだよ! 俺のネー様下着は、女に興味があるとかいう理由で盗られ、もとい、だめにされたってことか!? んな荒唐無稽な話があっかよ!)
下町育ちのレオ的観点からすれば、女に興味がある男のすべき行動は、泥棒ではなくその女を押し倒すことだった。
たかだか布を盗んだところでなんの足しになるのだ。実体があった方が数倍よいではないか。
それでもなお下着の方を盗もうとする動機――そんなものがあるとしたら、レオには一つしか思い浮かばない。
それ即ち、
「本当は、お金の、ためでしょう!」
だって、ビアンカがくれた下着は銀貨二枚分もするのだ。
それであれば、理由としてレオも理解はできる――というか、それ以外の理由が理解できなかった。
実際にはかなり少数派のその価値観を、レオは全人類共通のものと信じて疑わなかった。
(それをよくもまあ、いかにも嘘っぽい理由でごまかそうとしやがって……!)
世の中一般的に見て、色欲目当てで下着泥棒をしたという方がよほど説得力があるのだが、基本的に世界は金のために動いていると認識しているレオにとって、ドミニクの主張は許されざる
(素直に金目当てだって自白するならまだしも、その目的まで否定しやがって! 泥棒した時点でダメダメだが、こいつは泥棒道の流儀にすら反する最低野郎だ!)
泥棒はいけないことと躾けられているが、金のためという崇高な目的については、レオとて理解できる部分もあったのだ。
しかし、それすら否定するようであるなら、もはやこの男を許す義理などひとかけらもない。
そんなわけで、レオは思う様の語彙をかき集めて、ドミニクをディスった。
「この、嘘つき! ばか……っ、……っ!」
残念ながら、馬鹿野郎だとかくそ野郎といった言葉は間引かれてしまったため、大層迫力に欠けるのだが。
仕方なく、ソフトな罵り言葉にまで対象を広げ、「心にもないことを! 詐欺師!」と続けていると、ふとナターリアが、
「お金のため……詐欺師……?」
と、ぽつりと言葉を反芻した。
「ナターリアお姉様?」
様子のおかしい従姉に、ビアンカが怪訝そうな視線を向ける。
それを受け止めて、ナターリアははっと目を見開いた。
優秀と評される彼女の頭脳の中で、その瞬間、ばちっと情報が繋ぎ合わされたのだ。
そうとも、ドミニクの主張はおかしい。
女子生徒と打合せをして臨んだというなら、なぜわざわざ、リスクを冒して自らが「外に出て下着を盗る」のだ。
女子生徒に嘘だけつかせれば、それで十分なのに。
彼は、生徒会に上申しようとして失敗したと言ったが、そんなはずはない。
ナターリアがリネン室の改革を申し出るために、過去の要望書を一通りさらったが、そんなものは全く残っていなかった。いくら取り巻きが阻もうが、要望書の投函だけは、自由にできるものなのに。
それに、魔力持ちの妹がいるというが、それもおかしい。
魔力持ちの庶民には早くから監視が付き、生徒会にだけ情報が報告されるようになっている。
しかし来年入学予定の年齢で、魔力持ちの市民はいなかったはずだ。
なにより。
「思い出しましたわ……あなたの苗字」
「え……!?」
ぎょっとして顔を上げたドミニクに向かって、ナターリアはすうっと目を細めた。
「ドミニク・マイニッツ。――マイニッツランドリーサービスの、ご子息ね?」
「マイニッツランドリーサービス……?」
ナターリアの言葉を拾ったビアンカが、眉を寄せて繰り返す。
しかしその後、彼女は弾かれたように顔を上げた。
「――そういうこと!?」
マイニッツランドリーサービスは、このたび従来のリネンサービスに代わり、名乗りを上げてきた民間の洗濯屋だ。
頻発する下着泥棒を起因としたリネン室の改革。
そこにタイミングよく名乗り出た、洗濯屋。
彼らの行動は実にタイミングがよい――いや、
少女が、ドミニクを指して「金目当て」だとか「詐欺師」だとか言った理由を、ビアンカもようやく悟ったわけであった。
「――……道理で、苗字を追及されはじめた途端、ぺらぺらと『自白』しだしたこと」
「それも、わたくしたちが躊躇わずにいられないような理由を、よくもまあ……」
最初彼が、色欲目当ての下着泥棒を装いかけたのは、そちらの方が罪が軽くなると考えたからだろう。
ヴァイツ帝国法において、詐欺は重犯罪のひとつだが、少額の泥棒は万引きと同じく軽犯罪の部類だ。
それでも家名の追及が免れないと分かるや否や、彼は咄嗟にビアンカたちの責任感に付け込むことを思いつき、主張を変えたと、そういうわけだった。
「いえ、あの、確かに私はマイニッツですが、今回の受注の件とはまったく関係なく――」
彼は一見爽やかそうな顔に、真摯な表情を浮かべて訴えつづける。
が、その額には、夜目にもわかるほどびっしり冷や汗が浮かんでいた。
「あら。『受注』ってなんのことでしょう? このたびのリネンサービスの外注化については、生徒会でも一部の人間しか知らないというのに」
「…………!」
言葉を詰まらせたドミニクは、ばっとその場から逃げ出そうとしたが、
――ビキッ!
「ひっ!」
ビアンカの短い詠唱とともに、地面の雪が、彼の足にまとわりつく氷の枷へと姿を変え、彼は無様に尻餅をついた。
「つれなくてよ、ドミニク・マイニッツ。淑女を前に、ひとり立ち去ろうだなんて」
「ひ……っ、も、申し訳……」
シミューズ姿のビアンカが、素足のままゆっくりと近づいてくる。
その大胆な姿に頬を赤らめるどころか、ドミニクは顔色を失って、カタカタと震えながら皇女を見上げた。
「ビ、ビアンカ様……?」
戸惑ってしまったのはレオである。
金目当てのくせに女目当てだとか言い張る、どうしようもない野郎だと思っていたのだが、なんだかもう少し複雑な背景があるらしい。
(さ、詐欺? 洗濯屋の受注? えええ? そんな話だっけ!?)
展開の飛躍っぷりに、ちょっと付いていけない。
「あの、私も、話……」
話に混ぜてくれませんかね、とレオはおずおず背後から呼びかけてみたが、
「レオノーラ。あなたはこんな下賤の輩と話してはいけないわ。黙っていなさい」
「はいっ」
大層剣呑な声でビアンカに言いつけられ、咄嗟によい子のお返事をしてしまった。
なにかこう、怒れる皇子と確かに同じ血を感じたのである。
仕方なく、この場では穏健派のはずのナターリアに視線を向けると、
「レオノーラ、ちょっと目と耳を塞いでいましょうね」
なぜか優しく微笑んだ彼女に、背後から顔を隠すように抱きしめられ、レオは焦った。
「え? え? え……!?」
塞がれゆく視界の向こうで、
「さあ、マイニッツ。ちょっとお話を、させてくださる?」
ビアンカが
レオはこの世のものならざる悲鳴を聞いた気がした。