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小誌記者「選手村バイト」でわかった安全・安心のウソ

甚野 博則
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記者が働いたメインダイニング
記者が働いたメインダイニング

「感染対策を徹底し、安全・安心な大会を実現する」。菅首相はこう繰り返すが、緊急事態宣言下で、安全・安心な五輪はどこまで可能なのか。五輪選手村にアルバイトとして潜入し、見えてきた「バブル方式」の穴とは――。

(じんのひろのり 1973年生まれ。大学卒業後、大手電機メーカーなどを経て2006年から「週刊文春」記者。2017年に「『甘利明大臣事務所に賄賂1200万円を渡した』実名告発」で、19年に「証拠文書入手! 片山さつき大臣 国税口利きで100万円」で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」スクープ賞を2度受賞。)

 7月23日、東京五輪の開会式が始まる7時間前、私は東京・晴海の選手村の中にいた。東京の気温は34度を記録。うだるような暑さで、背中から大量の汗が流れる。この日の選手村は、いつもより人出が多い。お揃いの派手なウェアを着た各国の選手や関係者たちは、開会式前で気分が高揚しているのか、大声で談笑する者や、中にはマスクを顎までずらしている者もいて、集団でメイン通りを闊歩している。その姿を眺めながら、アルバイト先である選手村の中心部「メインダイニング」へと歩を進めた――。

選手村内の様子
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 約7000億円の予算で「世界一カネのかからない五輪」を謳っていたはずが、いつの間にか約3兆円にまで膨らんだ東京五輪。その多くは国と都が負担する。つまりは我々の税金だ。菅義偉首相は「安全・安心な五輪」と繰り返すが、本当に税金が適切に使われるのか、本当に安全・安心なのか、疑問は尽きない。IOCや組織委員会、日本政府は五輪関係者が一般人と接触しないよう大きな泡で包み込む「バブル方式」の安全性を声高に主張してきた。(そんなことができるのか?)そう思った私は実情を知るために、選手村の奥深くに潜り込もうと企てた。5月、4社の五輪バイトの求人にエントリーし、そのうち2社で働くことが決まった。飲食業を手掛けるX社と、中堅旅行会社の子会社で人材派遣業のY社だ。

 X社の勤務地は選手村の中にある24時間営業のメインダイニングだ。時給は1300円で、22時から翌朝5時までは1625円。私が配属されたのはダイニングの裏方で、掃除や運搬、雑用係だ。中でも、スタッフたちの汗に塗れたユニフォームを巨大な土のう袋に手でギューギューと詰め込み、40キロほどの重さの袋を幾度も運び出す作業は過酷で、連日、筋肉痛に襲われた。

 選手村で知り合ったバイトの女性はこう話す。

「大学はリモートで暇な時間が多く、五輪には興味はないけど、時給がいいから働いています。同じ職場のおじさんは、居酒屋を経営していたそうですが、コロナで閉店になり、仕方がなく働いているそうですよ」

 理由は人それぞれだ。

 Y社の求人広告にはこうあった。

〈国際スポーツイベントを支える ボランティアサポートのお仕事〉

 時給1600円で、勤務地は新国立競技場など。仕事内容は、ボランティアが拾ったゴミを分別する際の案内係だ。面接官は、私にこう話した。

「アルバイトがゴミを触ることはありません。駅までボランティアを迎えに行き、ゴミ分別場所にボラの方を案内して、勤務が終わったボラの方に、2000円分のクオカードを渡します」

 大量のボランティアが支えるはずの五輪で、そのボランティアを支えるバイトが高額で募集されている……何だか奇妙な気がしたが、これにも応募し採用された。

 女性たちの笑い声が響き渡る選手村の住居棟前。選手や村内を撮影するボランティアたちだ。ボランティアは“選手村内カースト”がバイトよりもかなり上の印象だ。ウェアもカバンも靴下も靴も、スポンサーのアシックス製のものが一式支給されていて、ボランティアであることが一目瞭然。バイトには禁止されている写真撮影やSNSへの投稿、選手用喫煙スペースでのタバコ休憩なども自由なようでいかにも楽しそうだ。

「実は仕事がないボランティアも多く、3日しか活動できなくなった人もいる。でも皆、この瞬間を満喫していますよ」(大会関係者)

 ボランティアとバイトの間で小競り合いが起きたこともあった。スタッフ用喫煙小屋でのことだ。バイトが小屋の扉を閉め忘れたことを注意したボランティア男性は、バイトの態度が気に入らなかったようで、「文句あんの? あ?」と詰め寄っていた。無償でボランティアに従事している俺たちは、バイト代を稼ぎに来ているお前らよりも上だ、という態度にも見えた。

積み上げられたビールの箱

 ボランティアのみならず、スポンサーへの配慮も必要だから、バイトは気苦労が絶えない。面接の際には、きつくこう言われた。

「スポンサーはアシックスさんですので、靴やシャツなど、アシックス以外のブランドはやめてください。ナイキとかアディダスはダメなので、ブランドのロゴの上に同系色のテープを貼って隠してもらいます」

 ボランティアと違って、バイトにアシックスの靴が支給されることはない。私の履き古したコンバースがスポンサー幹部の目に触れたり、テレビに映ることなどないだろうに、過剰な配慮のように感じられた。6月、五輪での酒類の提供・販売の是非が大きな問題になった際、丸川珠代五輪担当大臣は「大会の性質上、ステークホルダー(利害関係者)の存在がある」と語った。後に火消しをしたようだが、スポンサーのアサヒビールを意識した本音が漏れたとしか思えなかった。

 ちなみに、その酒についてだが、村内への持ち込みは禁止されてはいない。ある夜、選手村近くのローソンには普段と違う光景が広がっていた。通路に積み上げられたビールの箱、箱、箱。酒を中心とした飲料商品が、陳列棚への補充が追い付かず店内通路に所狭ましと並べられている。チーズなどのツマミも品薄状態。そうした商品を買い込み村内に戻る関係者の姿が散見された。自室で1人で飲む建前だが、実際のところはどうなのか、誰にもチェックはできない。

 私が面接を受けたのは5月末のことだが、翌6月には選手へのワクチン接種が始まっていた。この頃、IOCのバッハ会長は、選手村の選手らの接種率が大会時には8割を超えるとの見通しを示していた。丸川大臣も、ボランティア全員への接種を検討していると表明。IOCと政府は、世間に“安全・安心な五輪”を印象付けようと懸命だった。ところが、対象は選手やボランティアだけで、我々バイトや業務委託スタッフへのワクチン接種に関する言及は一切なかった。

 選手村のダイニングでは約5000人が働いているという。業務委託を受けたガードマンや他のバイトも含めれば、おそらく万単位の人間が選手村で働くはずだ。だが、ワクチンはついに間に合わず、私は開会式の前に一度、X社の職域接種を受けただけで業務に従事した。それでもまだマシな方だった。Y社からは7月6日、文書が届き、「昨今のワクチン残数等の状況から接種することが難しくなっております」と、早々にバイトへの接種は諦めた旨が記されていた。

ワクチン接種なしでバイトする人も

 都内の五輪会場が無観客と決定されたのは7月8日だが、その直前、Y社からは、「もしも無観客が決定しますと、このお仕事は消滅してしまう可能性が高い」と記されたLINEが届いた。代わりに時給1600円で選手や関係者のPCR検査をサポートする仕事を紹介したいとの連絡がきた。ワクチン接種をしていないバイトが選手のPCR検査を手伝うという冗談のような話だが、Y社は大真面目に「シフトを調整して連絡する」と言っていた。ワクチン未接種、または一度だけ接種したスタッフらが料理をサーブし、案内や下処理をしていたことなど選手は知る由もないだろう。

「選手村は最高レベルのセキュリティーエリアです」

 面接の際にそう言われた。

 通称PSA。スタッフやボランティアが村内に入る際の手荷物検査場のことだ。ここでは組織委から発行されたアクレディテーションカード(五輪参加資格証)の提示と顔認証を行い、手荷物を調べて入村する。厳重な検査は迷彩服を着た自衛官が行っている。PSAを通過し村内に入っても、多くの自衛官が迷彩服のまま集団で巡回している。全国から集められた警察官も多く配置され、運河では海上保安庁が船で警備にあたる厳戒態勢だ。

自衛官が手荷物を検査

 ところが、この厳重さは「入る時」だけ。「出る時」は自由なのには驚いた。

 各国の五輪関係者は、入国後、14日間は外出が厳しく制限されている。食事も原則、選手村と競技会場のみ。ただし、事情がある場合は監督者が帯同の上で、コンビニなどへ出かけることが認められる。だが、7月下旬の夕刻、勤務を終えた私は、PSAの前で不可解な光景を目にした。

「絶対に制圧できない」

 監督者の日本人スタッフと、INDIAと書かれた青いジャージ姿の男性が2人で選手村を出た。出るときには何のチェックもない。監督者はスマホの翻訳アプリを使って話しかけているが無視されていた。そして、横断歩道を渡ると男性が突然、「ココでマッテ!」と片言の日本語で監督者に言い放った。そして、待ち合わせをしていたと思しき同じジャージの知人と合流。街中へと足早に消えていった。その場で立ち尽くし、オロオロするばかりの監督者。やがて諦めたのか、1人で選手村へと戻っていった。

 別の夜にはスラッと背の高いコソボのジャージを着た2人組の男性が軽やかな走りで、退勤中の私を追い越した。夜の村内ジョギングかと思いきや、彼らはそのまま選手村の外へとノンストップで走り去っていった。出口には一応、警察官と警備員がいるのだが、疲れた表情で立っているだけで、誰何(すいか)しようともしなかった。こうした状況では、出ていく人が入国後14日を経過しているのか、外出が許可された人物なのかなど確認しようがないだろう。

 

 村内の喫煙小屋は、警察官や業者の憩いの場になっている。密を避けるため小屋には一度に9名しか入れないが、外には長蛇の列が出来ており、それが“密”になっている。私と同時に喫煙小屋に入った業務委託の警備員はこう呟いた。

「選手はみんなガチで村内をマラソンしてますよね。あの筋肉質の身体を見ると、一斉に暴動を起こされたら俺たち絶対に制圧できないですよ」

 私は幾度も、喫煙場所以外でタバコをふかす選手や、マスクなしでトレーニングする者を目撃した。7月末には、村内の公園で選手が酒を飲んで騒ぎ、トラブルになったと報じられたこともある。屈強な選手たちに業務委託の警備員がどれだけ強く注意できるのか。

 私は“バブル方式の穴”を現場でいくつも目にしたが、菅首相は、壊れたレコードのようにこう繰り返している。

「安全・安心な大会の実現に取り組みます」

 8月2日現在、大会関係者の陽性者数は、7月1日からの累計で270人以上にのぼっている。

source : 週刊文春 2021年8月12日・19日号

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