347.魔導書の返却と音集め
すみません! 遅くなりました。
「先日の遠征のレポートだ。使用感や温度に不足はない。一部に相談や希望はあるようだが」
ダリヤは本日、納品している魔導具の打ち合わせに、王城の魔物討伐部隊棟に来ていた。
隊長の執務室、テーブルをはさんでグラートが渡してきたのは、一束の羊皮紙だ。
遠征用コンロ、携帯温風器など、使ってみての感想や意見のレポートである。
さっと目を走らせると『冬の遠征食がおいしくなった』『遠征用コンロ、まだ故障なし』、『携帯温風器は夜間警戒中、暖かくてよい』『四十肩が楽になった』など、好意的な意見が並んでいた。
もちろん、レポートなのでそればかりではない。
『遠征用コンロで、もう一段火力のあるものがほしい』という希望、『携帯温風器の風のくすぐったさを減らしてほしい……』と、せつせつと書かれたものもある。
「ああ、こちらはヨナス――スカルファロット武具工房と共に読んでくれ」
追加で渡された羊皮紙には、図も描かれていた。
弓騎士から『指先の冷えを防止したい。矢を射る際に邪魔にならぬ所につけたい』、その要望書だ。
確かにこちらはダリヤではわからない。ヨナス、そしてスカルファロット武具工房で、弓に詳しい者と話し合った方がいいだろう。
「あとは、遠征の看護用の馬車だが……」
「何か不具合がありましたか?」
今回の遠征の馬車のうち、一台は看護用となった。
床にはイエロースライムによる衝撃吸収材のマットを準備、冷えぬよう温熱座卓を設置、毛布、ポーションや救急用品などを一式置いたものだ。
怪我人や病人が出ればそれで搬送するということになっていた。
「隊員で軽い怪我をした者は数人おりましたが、遠征の二度ともエラルド様が同行され、全部治癒して頂いたので出番がありませんでした。遠征中は、エラルド様があの馬車を利用されておりました」
グラートの隣、ベテラン隊員がそう説明してくれた。
「エラルド様が……」
エラルドは副神殿長、銀襟の高位神官である。神殿からそんなに外に出てばかりでいいのか、ちょっと気になる。
しかし、看護用の馬車の出番がない、怪我がすぐ治せるのはとてもいいことだ。
いっそ今後も毎回付いてきてくれぬものか、そう思ってしまった。
「ずっと乗っていたエラルドにレポートを書けと言ったのだが、この通りだ」
「大層お気に召したようです」
「……ふふっ」
ダリヤは
ぴらりとおかれた羊皮紙、紙面ぎりぎりの大きさで一言、『最高!』
失礼かもしれないが、エラルドらしい気がした。
「これは隊の内密の話になるが――神殿長は白木の温熱卓を大層お気に召し、神殿長室の裏の小部屋に設置なさったそうだ。もちろん、魔羊の上掛けと敷物も一緒にな」
「……とても、光栄なことです」
金襟の神殿長がコタツでくつろぐ様が、まったく想像できない。
だが、ダリヤはなんとか顔を作って言葉を返した。
「追加で衝撃吸収のクッションもいくつか寄進した。それも大層お気に召されたらしい――話は変わるが、エラルドの修練のため、今後も時々遠征に参加するとのことだ」
話が変わっていない。
あと、これは袖の下と言うべきなのか、いや、神殿だから寄進でまちがってはいない。
だが、それで神官が魔物討伐部隊の遠征についてきてくれるなら安いものではないか。
イルマのお見舞いに行った日のことを思い返し、ダリヤはささやかな提案をする。
「グラート様、エラルド様の遠征参加とは別の話として――神殿の廊下は冷えますので、次は携帯温風器の寄進などはいかがでしょう?」
グラートは朱の目を丸くし、隣の騎士は黒茶の目を糸のように細める。
「くくく……! ロセッティ、お前もずいぶん魔物討伐部隊員になったものだな!」
グラートがわざとらしいほどに悪い顔で笑った。
「隊員は隊の
隣の騎士にそう言われ、魔物討伐部隊長はようやく笑いを止めた。
「真面目な話、確かに神殿は冷える。高位神官分を先に、その後に神官分を寄進というのもいいかもしれん。家に帰ったら我が相談役に頼むとしよう」
「そうやって毎回弟君に丸投げするから、領地にこもると言われるんです」
騎士がちくちくと言うが、グラートはまるで気にした様子はない。
そういえば、グラートの相談役は弟だと聞いた。
ならば、グイードの相談役は、いずれヴォルフがなる可能性もあり――だが、どうにもそこに立つのはヨナスしか浮かばない。
「グラート様、『相談役』というのは、高位貴族の方に下位貴族がつくということはあるのでしょうか?」
「ああ、複数の相談役がいる場合はあるぞ。部門別に立てる形だな。だが、高位では王城の会議に相談役をつけたいのが一番だ。大会議となると、部屋に入れるのは子爵家当主か伯爵家以上――これは能力ではなく、王との同席故の決まり事だ」
「そうでしたか……」
「ダリヤ先生、相談役の打診でもありましたか?」
こげ茶の髪の騎士に問いかけられ、首を横に振る。
「いえ、ございません。最近、相談役について知ったばかりで、ただ思っただけのことです」
「そうか。ヴォルフに相談役の打診でも受けたのかと思ったぞ」
一拍固まった後、いえ、と何事もないふりを装う。
先日、確かにヴォルフに言われた。『ダリヤが俺の相談役だね』と。
でもあれは言葉の上のこと。貴族の仕事関係の相談役はなかなかに大変らしい。
「さて、本日こちらの用向きはここまでだ。そちらからは何かないか?」
「いえ、ございません。お時間をありがとうございました」
挨拶を終えると、グラートがちらりと窓の外を見た。
「よい天気だな。たまには新人達と一戦してくるか――」
「グラート様、本日の書類がまだ三分の二、残っております」
「いや、たまには私も肩を温めておかんと、魔物が出たときにな……」
「ベルニージ様達と一戦なさったら、ポーションか治癒魔法になる可能性が高いです。書類がすべて終わってからにしてください」
新人隊員達は人気らしい。ダリヤは会釈し、そっと部屋を出た。
「あ、ダリヤ、ちょうどよかった!」
廊下を早歩きでやってきたのは騎士服のヴォルフである。
汗か、それとも水を浴びてきたのか、髪が生乾きに見える。
「すみません、ヴォルフ、鍛錬の途中に来て頂いて……」
この後にダリヤは王城魔導具制作部に向かう予定だ。
ヴォルフは隊からの付き添いとして同行してくれることになった。
だが、そう決まったのはさきほどのレポート受け取りの少し前で、彼の鍛錬を中断させる形になってしまった。
「いや、鍛錬は区切りのいいところで休んでたんだ。これはグリゼルダ副隊長の水魔法」
「グリゼルダ様と鍛錬をなさったんですか?」
「副隊長とレオンツィオ様が槍の練習をしてて、二人とも熱くなったらしくて、周辺にざばーっと……」
レオンツィオといえば、ベルニージと共に新人隊員となった片目の騎士だ。
どうやらヴォルフは、二人の激戦の巻き添えになったらしい。
「ヴォルフ、冷えますから髪を乾かしてからで。風邪をひくと悪いですから」
「いや、平気。着替えてきたし、髪もほとんど乾いてるんだ。カークがすぐ乾かしてくれたから」
風魔法使いはこういったときに便利である。ドライヤーいらずだ。
「水で
「草むしりがいらなくなりそうですね……」
ヴォルフと共に遠い目になった。
以前も似たことをして、王城の魔導師が窓から飛び出すはめになったと聞いたが、今日はどうだろう。
他の隊員達がきっと止めてくれるとは思うのだが――
少し心配しつつも、二人で王城魔導具制作部へ向かうことにした。
・・・・・・・
馬車を降りると、少しだけ見慣れた王城魔導具制作部の棟を見上げる。
白い石造りの四階建てが、双子のように並んでいる。向かう一課は、大きな赤い旗がはためく方だ。
中に入ると、受付で待たされることもなく、魔導具制作部長のいる部屋に向かう許可を得た。
「失礼します」
鈍い銀色のドアを開くと、魔導具制作部長のウロスとその従者がいた。
片眼鏡をつけた朱色の目を笑みの形にゆるめ、ウロスは作業部屋へ招き入れてくれる。
型通りの挨拶を交わした後、ダリヤは鞄から黒い布包みを取り出した。
「ウロス様、こちら、本当にありがとうございました」
包みの中身は、ウロスから借りていた魔導回路の短縮化に関する魔導書だ。
昨年末、ウロスに借りてから一ヶ月と少し。毎日といっていいほどに書き写し作業に励み、ようやく昨日終わった。
「ダリヤ会長、そう急がずともよかったのだぞ」
「まだ覚えてはおりませんので、書き写させて頂きました」
「この短期間で仕事をしながら丸一冊書き写すなど、やはり急いだではないか。無理はいかんぞ」
ウロスに注意されてしまったが、借りていた魔導書はとても貴重なものだ。
通常、魔導具師が己で綴る魔導書は、弟子か同じ魔導具工房の者などにしか教えることはない。
それなのに、ウロスは交流の少ないダリヤに貸してくれた。
『魔物討伐部隊相談役魔導具師』という立場があってのことだが、父カルロがすでにいない今、これは本当にありがたかった。
もちろん、ダリヤも絶対に外部には漏らさぬよう、書き写した新しい魔導書に
「無理はしておりませんし、私が長く独占するにはもったいないものですから。それに写させて頂いただけなので、勉強はこれから頑張ります」
貴重な魔導回路の設計書を見て、自分の回路のロスを猛省した。
どの図面でもまず五パーセントは短くできる。
すでに商業ギルドに出している仕様書の図面、その改良版を今年中に全部引こうと心に誓ったほどだ。
「そうか。なら、わからぬところが出たら声をかけてくれ。手が空いていれば応じよう」
「ありがとうございます」
王城の魔導具製作部長に質問できるという、限りなく贅沢な機会が手に入った。
しかし、実行するには胃痛との戦いになるかもしれない――そう考えていると、ウロスが従者に客室に紅茶を出すよう命じた。
「あの、ウロス様のお仕事の邪魔になりませんか?」
「ちょうど区切りだ。試作がようやく仕上がったのでな。見ていくといい」
棚から出されたトレイの上、銀に虹色の巻き貝のようなものが載っていた。うずらの卵と似た大きさだが、一度も見たことのない魔導具である。
ヴォルフは知っているだろうか、そう思って横を見ると、少しだけ眉間に皺を寄せていた。
「『音集め』、一定の集音効果がある魔導具だ。
集音効果、つまりは盗聴器ということか。
やはり王城でもそういったもので身を守る必要が――そう考えて肩に力が入ってしまう。
ウロスはそんな自分を見て、手を軽く横に振る。
「ああ、盗聴器とは別のものだぞ。こちらに広範囲の集音効果はない。年齢的な耳の衰えや、聴力の弱さをカバーし、会話などを補助するためのものだ」
「なるほど、聞こえづらい人にはありがたい魔導具になりそうです」
これは前世の補聴器ではないか。じつに画期的な魔導具だ。
流石、王城の魔導具製作部長である。
「こちらはご高齢の方に重宝されそうですね」
「それもあるが、王城の魔導師に耳の聞こえづらさを抱えている者がいるのだ。特に、風魔法使いは耳を悪くしやすいと聞いた。治癒魔法をかけるにも、気づいたら遅かったとか。魔導師は己の詠唱が聞こえぬようになると、魔法の発動が遅くなったり、難しくなったりするのでな」
「そうなのですか……」
「初めて知りました……」
ヴォルフも驚いている。
王城勤めの彼でも知らぬことだったらしい。
「せっかくだから試してみるか? ここからなら廊下を歩く者達の足音が大きめに聞こえるか、外で鳴く小鳥の声が聞こえるかもしれん」
「ぜひお願いします!」
わくわくしつつ、ウロスから音集めを受け取る。
小さなそれは耳の穴にぴったりくっつけるのかと思いきや、裏に銀のツル金具がついていた。
眼鏡をかけるときのように、耳の上部にツル金具をかけると、耳の中に銀の巻き貝を飾ったようになる。ちょっとかわいい。
ウロスにヴォルフ、そして自分と、一つずつ付けた後、ドアを少しだけ開く。
誰かが廊下を歩いてくるコツコツという足音が、いつもより一段大きく響いた。
「そちらの家にも打診があったか。家にもだ」
「家族で話し合いの末に断った。父は前向きだったが、母が反対してな、妹の縁談に差し支えるかもしれぬと……」
話し声がはっきり聞こえてしまった。
はっとして外そうとしたが、その後に続く声は耳に大きく響いた。
「魔付きを養子にというのはな。金貨を背負ってこられても、万が一となれば、家では責が負えん」
「母方が他国の爵位なしというのもな。せめて、身分がそれなりであれば――」
内容に思い当たる者が一人いる。
だが、とりあえずこれ以上は絶対に聞くまいと、音集めを耳から外す。
ダリヤの目の前、唇をきつく噛んだヴォルフがドアを音もなく閉じる。
目の前のウロスは、ひどく渋い
「二人とも、耳を汚させたな」
「……いえ、よく聞こえませんでした」
「記憶に残っておりません」
「そうしてくれ。あやつらはまったく――場所を考えるよう、よくよく教育しておかねば」
王城魔導具製作部長らしいというべきか、貴族らしいというべきか、ウロスがとても厳しい顔をしている。
だが、話の中身については触れていない。
ヨナスのことであるとわかっただろうか。ウロスももしや、彼らと同じように考えているのだろうか、それがどうにも気になった。
ついその朱の目を見つめれば、彼は静かに言った。
「ヨナス殿は間もなく男爵になるのだ。一人家から始めても困らんだろうに。兄も過保護なことだ」
「兄上が、ですか……」
グイードがヨナスの養子先をいろいろと探しているのだろう。
ヴォルフにしても気がかりなことに違いない、そう思ったとき、ウロスが言葉を続けた。
「ヨナス殿の兄上が、金貨や武具の融通まで付ける条件で養子先を探している。だが、同格より上に願っているので、了承が得られていないのだ」
以前、ヨナスが兄と馬場で話していた声を思い出す。
あのとき、ヨナスは己の兄を、『グッドウィン様』と呼んでいた。
その兄が骨を折って養子先を探しているのは、家のためか、弟のためか――自分にわかることではない。
「二人とも、心配はない。一族の上部から、『グッドウィン』を使わぬようにと言われたところで、姓だけの借りならばいくらも先がある。ヨナス殿の剣の腕はベルニージ殿と互角だとか。姓に左右される力量ではあるまい。なんなら、母方の姓でも、男爵家で新しい姓を生み出してもいいのだ」
自分達が黙っていたのを気遣ってくれたのだろう。
ウロスは柔らかな口調でそう教えてくれた。
「俺が、いえ、私が、こういったことで、ヨナス先生の力になれればよかったのですが……」
ヴォルフの悔しげな声に心から同意する。
ダリヤもどうにもできない話だ。
「ならばこの際、『ヨナス・スカルファロット』にでもしたらどうだと、グイードに話しては?」
「ああ、なるほど! そう致します!」
思いきり笑顔になったヴォルフに、即行で提案しそうなことだけは理解した。
しかし、その形がいいのか、通るものなのか、いろいろと問題はないのか――ダリヤにはまったくわからない。
だから、目の前のウロスが、困り果てた
「『ヨナス兄上』、あまり違和感がないかも……」
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