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この作品にはブラック企業、自殺表現があります。

苦手な方はご注意ください。

また、病気に関して医学知識もないまま書いておりますので、実際の病状とは異なる点もあるかと存じますが、ご容赦いただきますようお願いいたします。

プロローグ

この時三根純は最期の晩餐について考えていた。

徹夜の際にいつも支えてくれたお気に入りのカップラーメンか、はたまた朝早くから開いているために徹夜明けの朝日を拝みながら会社帰りに寄っていたチェーン店のつゆだくの豚丼(三根は牛肉が苦手だった)か、それともいつか星付き名店のいずれかで金額を気にせず心ゆくまで食べ続けるという漠然とした憧れを叶えるか。

しかし彼はそのどれをも選ばず、これから自分のなそうとしていることに対するせめてもの詫びとして、少しでも多くの金を離れて暮らす家族に残す道を選んだ。

今から彼がなそうとしていることは確実に家族を苦しめるとわかっているから。

先ほど書いた遺書にも謝罪の言葉を記したが、それでは全く足りないほど酷いことを自分はしようとしていると、誰よりも自分が理解している。

けれど止まることはできなかった。

僅かな正義感と理不尽に対する抗議、そして自分たちを貶めた者たちへの復讐。

その全てを背負って、彼は明日死のうとしていた。




「天罪、今秋のアニメ化が決定しました!」

出版社と映像会社との打ち合わせを終えた担当者がドアを開けるなり叫んだ言葉に、その場にいた全員が喝采を浴びせる。

会社立ち上げ以来鳴かず飛ばずだったこの部署にも、ついに看板となる作品が誕生したのだと一様に浮かれ騒ぐ。

「やったな三根!お前のシナリオのおかげだよ」

その騒ぎに、功労者であるにもかかわらず外注業者という立場からいまいち乗り切れないでいたシナリオライターの三根は、向かい側に座っていた喜び満ちるチーフディレクターに肩を叩かれた。

「まさかお前にこっちの才能があるとは思ってなかったからな。初めは不安だったが、実際はどうだ。この部署どころか、白王社始まって以来の大ヒットだぞ!」

バシバシと加減を知らないのかと言いたくなるほどの強さで叩かれる肩を見ながら、豪快に笑うチーフディレクターとは対照的に軽く息を吐いた三根は彼を恨めし気に睨みつけた。

「それは俺も思ってもみませんでしたよ。というかギャルゲー作ってこいって言われて書いたシナリオが、乙ゲーとして採用されたことには未だに疑問を抱いています」

聞きようによっては嫌味にも思えるその三根の言葉に、しかしチーフディレクターは笑みをさらに大きくして彼を正面から見据えた。

「いやだって、会議で女死刑囚の中で看守がハーレム作るより、訳あり罪人を心優しきシスターが懐柔するって話の方が面白そうだってなったんだよ。しょうがないだろ」

にひっといたずらっ子のように笑む彼に、実際にそれでヒットしてしまった手前何も言えず「そうですが…」と三根は言葉を濁す。


『監獄の天使と7人の罪人』通称『天罪』はいわゆる乙女ゲームとして半年程前に発売されたゲームで、個人でシナリオライターをやっていた三根が原案から手掛けたものだった。

昨年夏に発売し、いつものように売れ行きの如何を知らせるメールを待つ日々の中で、しかし受けたのは電話で、受話器の向こうにいたチーフディレクターは三根が思いもしなかった数字を伝えてきた。

それは創設6年目を数える、ようやく零細を抜け出せそうな企業が零細を完全に脱却できる程の売り上げ数だった。

「マジですか?ドッキリじゃなく?」

あまりの数字に、そんなありきたりな言葉しか出てこなかった三根だが、発売から一月経ち、二月経ち、三月経つ頃には知らされる数字の膨らみ具合に「あーそーっすかー、すごいっすねー」と他人事のように言ってしまえる程度には感覚が麻痺してきていた。

そして翌年の初めにはコミカライズの話が出て、今度はアニメ化だという。

これは何の冗談かと、チーフディレクターと何度頬を抓り合っただろうか。

しかしそれでも醒めぬこの夢はやはり現実のようで、それでも自分のこととは思えず、三根はいつも膜一枚を隔てたように他人事として天罪の躍進を見守っていた。


「いっそ続編でも作るか!」

アニメ化を祝して行われた身内だけの飲み会で、酔った勢いでというようにチーフディレクターが言ったこの一言にその場にいた三根以外の全員が頷き賛同を示した。

三根はチーフディレクターがあの程度の杯数で酔うわけがないと知っていたので、「あのおっさん今度は何言ってんだ?」などと失礼なことを考えていたが、こちらに水を向けられれば黙っているわけにもいかない。

「三根も続き、書きたいよなぁ?」

へらへら笑いながら質問という形をとった脅しでそう宣うチーフディレクターに辟易しながらも、無名の自分を可愛がり続けてくれた恩もあり、三根は「もちろんでーす」と返した。

心にもない言葉だったせいで棒読みになってしまったが、大半が酔っ払いである今の状況でそれを気にする人はいない。

「おーし!今回のモチーフは白雪姫だったから、次は不思議の国のアリスにでもするか!」

「「「さんせーい!」」」

三根の言葉に全く心がこもっていないことに気づきつつも部下を盛り上げる彼を眺めながらビールを舐めっていると、ふと気になる音声が耳に飛び込んできた。

それは貸し切り状態になっている狭い店に備え付けられているテレビから聞こえてきた音で、その音声はとんでもない内容を淡々と告げた。

『…無黒社は社員に不当な時間外労働を強いたものとみられ……』

「チーフ!!!」

三根は彼にしては珍しく声を荒げ、上機嫌で酒を飲むチーフディレクターを呼んだ。

常にない彼の様子に、水を差されたと怒ることも忘れて彼の視線を追えば、チーフディレクターの上機嫌は、彼が手から滑り落してしまったグラスと一緒に大きな音を立てて砕け散った。




翌日、社長から無黒社に警察の捜査が入り、関連企業にもその手が及ぶ可能性があるとの通達がなされた。

無黒社はこの会社にとって、創設間もなくからスポンサー契約を結んでくれ、今日に至るまで絶えることなく支援を続けてくれていた大恩人である。

無黒社の不祥事は当然ながらこの会社とは関係がない。

しかしその強固な結びつきは『関係がない』の一言では済ませてはくれない。

果たして翌日、警察の手は迷うことなく白王社にも伸びてきた。


「すまん三根。この会社はもう駄目かもしれない」

無黒社の不祥事発覚から2週間近くが経った頃、久々にチーフディレクターから電話をもらいすっ飛んできた三根に、彼はらしくもなくしょげ返った様子で呟いた。

周りを見渡せば他の社員も彼同様に沈み、それが比喩でもなんでもなく、純然たる事実として倒産の危機を迎えているのだと痛感させてきた。

チーフディレクターの語ったことによれば、無黒社は絶対に納期に間に合わない仕事を受注してしまい、それが政府からの至急の依頼であったため今だけ我慢してほしいと社員に説明し、会社に泊まり込みで作業をしてもらい何とか間に合わせたのだそうだ。

しかし絶対に納期には間に合わないはずだと発注者である政府職員は知っており、何故間に合ったのかを担当者に問うたのだという。

そこで担当者は馬鹿正直に経緯を説明し、最後には「優秀な社員たちのお陰です」と自慢したのだそうだ。

だがここで政府職員は悪知恵を働かせた。

無黒社が社員にお願いした職務内容は労働基準法に反しており、これを公にすれば彼らは罰せられる。

そうすればこの分の費用は丸々払わなくても済むのではないか、と。

もちろんそんな馬鹿な理屈は通らないのだが、政府職員は名案とばかりにこれを実行した。

その結果が今回の不祥事である。

「なんですかそれ、無黒社は悪くないじゃないですか」

話を聞いた三根の第一声は、この話を聞いた社員全員の第一声と一致するのだが、だからといって警察や好き勝手に噂をする社外の人間も同じような考えかというと、当然そうではない。

「それでも、労働基準法違反は事実なんだ…」

それが、世間の事実なんだ。

チーフディレクターは両掌を額に当て、悔し気に呻く。

「そしてその処罰の対象に、この会社も入っている。お前も、身に覚えがあるだろう」

そう言われて思い出すのは、天罪がテストプレイをクリアし、大詰めを迎えた頃のことだ。

その時は誰もが夢中になり、一週間以上家に帰らない者もいた。

例えばそれは目の前のチーフディレクターであり、三根自身でもある。

確かにそれは労働基準法で言えばアウトだろう。

残業代さえ払えば何時間でも働かせていいわけではないことはもちろんわかっている。

まだ三根は社外の人間だからギリギリセーフかもしれない。

けれど誰よりも楽しみ、誰よりも愛し、誰よりも全霊を懸けていたチーフディレクターは社員であるがため、完全にアウトだ。

しかし今回のこれは会社命令ではなく、個人の意思だ。

それでも世間はそれを許さないのだろうか。

もう、この会社はダメだというのか。

「俺のせいだ。俺がめんどくさがらずに毎日帰っていれば、せめて三日に一度は帰っていれば…!」

ダンッと渾身の力でデスクを叩いた彼は泣いていた。

自分の不注意で会社が潰れるなどあってはならないのに。

ようやく軌道に乗ったところで、これからは存分に仕事を楽しめるはずだったのに。

こんなに大きく取り上げられている事件に関わってしまえば、例え違反が彼1人だけだったとしても社名に大きな傷がつく。

それは致命傷であり、回復は絶望的だ。

そう語る彼の背を見つめながら、三根は密かに怒りを燃やした。




『一度家に帰ります』

そう言って三根が姿を消したのは1週間前だった。

それから今までの間に、事件は悪い方へと進展していった。

まず、無黒社の社長及び社員の数名が亡くなった。

社長は世間の風当たりに耐えられなくなった家族から酷く責められ、会社しか居場所がないと言って泊まり込んでいたところ、深夜に放火されそのまま死亡が確認された。

その死は慕っていた社員や同じ境遇で支え合っていた社員の心を折り砕き、生きる希望を奪った。

その結果、会社跡地での集団自殺という悲劇を招いた。

それでも世間は許してはくれなかった。

無黒社に向いていた批難の火は獲物を変え、チーフディレクターが危惧していた通り白王社を含めた関係企業へも牙を剥いた。

今や白王社もいつ無黒社の二の舞になるかわからない。

そんな鬱々とした日々の中で、今日ふと三根のことが脳裏に浮かんだ。

あの日、「お前は大丈夫か」と問う俺にあいつはただ笑顔で「大丈夫ですよ」と言うだけで。

後ろ手にドアを閉めたあいつの姿がやけに脳裏に焼き付いて離れない。

まるで今生の別れのようだと思ったのは気のせいであってほしい。

けれど得てしてそのような嫌な予感というのは的中してしまうものだ。

今回のように。


「チーフ、これ見てください!」

倒産までにやらなければならないことを淡々とこなしながら三根のことを考えていた俺の耳に部下の声が届いた。

彼は俺の方を振り向き、焦ったように大きく手を上下に振ってそちらへ来るようにと示していた。

何なんだと思いながらも先ほど浮かんだ嫌な考えが頭をよぎり、急く気持ちを宥めるようにゆっくりと部下のデスクへと向かう。

「これです、見てください」

部下が椅子を引いて場所を開けながらパソコンの画面を指差す。

「これを開いたのは偶然なんですけど、そういえば最近三根さん見かけてないから活動報告とかないかなって、なんとなく検索したんです。そしたら」

そう言う部下が偶然開いたページというのは、日々の呟きなどを載せる有名な青い鳥のサイトだった。

そこには検索された三根のアカウントの最新の呟きが表示されていた。

『本日10時に皆さんへ向けてメッセージを発信したいと思います。無黒社の事件に関連し、僕たちのことを好き勝手に話す皆さんたちにです。お時間のある方は是非お越しください』

その文章は三根らしくない挑発ともとれる書き方で不特定多数に向けられていた。

慌てて壁に掛けてある時計に目を向ければ、あと2分と経たず三根が示した時間になるところだった。

「どう思います?」

三根さんらしくないですよねと部下が俺の顔を見る。

その意見には全く賛成だが、同時にひどく三根らしいとも感じた。

あいつは大人しくて物静かな人間だが、同時に納得ができない出来事があると納得するまで一歩も引かず食って掛かってくるような気の強さ、芯の強さがある。

「あ」

どうしたものかと考えていると、三根のアカウントが新たな呟きを載せた。

『時間になりました。暇人はこちらからどうぞ』

そんなメッセージと共にURLが記載されている。

見た瞬間、何も考えずに俺はそこへアクセスさせた。

会社のパソコンであれば普通は絶対にやってはいけないことだが、どうせもう1ヶ月も経たずに潰れる会社だ。

ウイルスやらなんやらを気にしなくてもいいだろう。

第一三根がそんなものを仕込むとも思えない。

「あ、動画、いや、生放送ですね」

URLから飛んだ先は動画配信サイトの生放送だった。

そして画面の中央にはよく知った顔が写っていた。


『えー、皆さんどうも。この放送に来た方は当然ご存知かとは思いますが、シナリオライターやってます三根です。とりあえず人が集まるのを待とうと思うので、もう少しお待ちください』

いっそ気が抜けるような調子で三根の放送は始まった。

白いTシャツの上に黒シャツを羽織り、濃色のデニムを履いたラフな格好で部屋をうろうろする様子がカメラに映る三根は、以前よりも痩せたように見える。

ただでさえ吹けば飛びそうだった痩躯が今は吹かなくてもどこかへ飛んで行ってしまいそうな程だ。

『お、閲覧者がどんどん増えてますね。ついでにコメントも来るようになりました。はは、ひでー言われ様だな』

準備が整ったのか、画面前にようやく腰を落ち着けた三根は、自身のパソコンに表示される数字やコメントの文字に他人事のような反応を示す。

見ているこちらの気も知らないで暢気なものだと思いながらも、そんな軽口を叩く余裕もない。

『待ってる間にこの生放送の主旨でも説明でもしましょうか。と言ってもさっき書いた通り、今回の無黒社から端を発した事件について、ちょっと俺の意見を聞いてほしいというだけなんですけどね』

三根は人が集まるまでの場つなぎとしてだろう、生放送に至った経緯を語り出した。

『で、誰に聞いてほしいかっていうと、今回の件に対して批判した人、無黒社や関係企業に対してバッシングをした人になんですよ。あ、別にそれが悪いって言いたいんじゃないですよ?あくまでそういう人たちに聞いてほしいっていうだけで、そういう意見を否定するわけじゃないです』

へらりと、普段は浮かべない種類の笑みを刷き、手をパタパタと振る様子は緊張感がない。

だからか、最初は『喧嘩売ってんのか』『言い訳はいいんで上層部の処理はよ』『ご苦労社畜w』など馬鹿にするような挑発的なコメントが目立ったものの、今では『当事者の意見も聞くべき』『三根はどっちかっていうと被害者側じゃね?』など、三根を擁護するようなコメントも混ざり始めていた。

それを眺めていると画面の中の三根が心持ち居住まいを正し、

『そろそろ集まり切りましたかね?8分待ったしいいよね?じゃ、始めます』

とやはり緊張感のない様子で本題に入った。


『今回の無黒社の件ですが、俺が知っているあらましは【会社や政府のために現実不可能な納期を守ろうと努力した無黒社及び社員は、結果的に裏切られて破滅、しかも道連れ多数】って感じかな。んでその道連れの中に俺がお世話になってた白王社も入ってたわけです』

目を閉じ、思い出すようにゆっくりと口火を切った三根の言葉は、語り口とは裏腹にオブラートに隠しもしない直球だった。

『そして白王社で唯一引っ掛かったのが、俺が原作を手掛けた天罪プロジェクトのチームでした』

三根は目を閉じたまま説明を続ける。

『天罪のリリース前、俺たちは最終調整のために会社に泊まって作業しました。それは納期がどうとかじゃなくて、単純に帰るのが面倒だったとか、集中力を切らしたくないとか、早く完成させたいとかで、天罪の原型が出来てからは完成度を高めたいとか、そういった理由からでした。もちろんそれがよくないことは知っています。けれど俺たちは止まりたくなかった。そうですね、例えるなら切りがいい場所まで小説を読もうと思ったら徹夜してたとか、それこそ徹夜でゲームをやる感覚に近かったと思います』

そこで三根は1つ息を吐き、目を開く。

『それって、罪だと思います?』

そして強い力で画面から睨みつけてきた。

『結論から言えば罪だったんでしょうね。だから白王社はもうすぐ潰れる。でもね、働いている俺たちは会社命令でもなけりゃ嫌々でもなかった。むしろ楽しんで、自分から望んでそこにいたんです。それって、ダメですか?』

言いながら三根は困ったような、泣きそうな顔で、それでも笑っていた。

『無黒社の社員だってそうだ。会社のピンチだからって社員全員でなんとか頑張ってやり遂げた。それって、罪なんですか?自分が働く会社のためにできることをしただけなのに、何がダメなんですか?法で定められたことを守ってこその法治国家でしょうけど、その国家の政府自体が守れないような要求をして、必死に応えた結果が、これだって言うのかよ!ふざけるな!』

話しながら三根は段々語気を強めていく。

『俺たちは誰かのために、自分のために望んでそうしただけだ。何故それを知らない奴にとやかく言われなきゃならない?したり顔で『ブラック企業に当たって大変だったね』『無茶な働かされ方してたんでしょ』『無黒とか白王とかブラックは潰れろ』『悪いことするから天罰が下るんだ』とか言ってる奴になにがわかる?シナリオライターとして芽が出なかった俺を拾ってくれたありがたさも、何度もチャンスをくれて、挫けかけても一緒に頑張ってきてくれた人たちのことも何もわからないだろ?その人たちに恩を返せるチャンスがあったら、多少無茶しても返したいって思う俺の気持ちも、何一つわからないだろ!?なのに、そんな奴らが俺の居場所を奪うんだ。頑張ってきたこと全てを浚うんだ!』

次第に俯いていった三根がダンッ!とパソコンの乗った机を叩く音が大きく響いた。

そして顔を上げた三根は泣いていた。

『何の権利があって俺たちの生き甲斐を奪うんだ?大好きな人たちと大好きなことを楽しむ時間を、なんで奪うんだよ!』

ふー、ふーと荒い呼吸で三根の薄い肩が上下する。

それを見て思う。

ああ、こいつはこんなことを考えていたのかと。

いつも一歩引いてチームの皆と関わっていたこいつも、気持ちは一緒だったのだと。

それを嬉しいと感じる俺の目からも、気がつけば涙が流れていた。


三根の呼吸が整うまでの、恐らく1分にも満たない時間、無音が空間を支配していた。

そしてそれを破ったのは当然ながら三根だった。

『ふ、ということで、俺は法律と、人の死を天罰だといってせせら笑う心無い世間に大切なものの大半を奪われました』

軽く息を吐いてから、言いたいことは言ったと清々しい表情でこちらを見る三根は先ほどと違って穏やかに笑っていた。

だが俺はそれに妙な焦燥感を覚える。

何故このタイミングでこんなにも落ち着いていられる?

何故笑える?

その疑問は、三根の次の言葉で回答を得る。

『唯一とも思える生き甲斐を失った今、もう生きていてもしょうがないので、俺は死ぬことにしました』

得られた答えは、俺が望んでいるものではなかったが。

というよりそんな回答は認められない。

「おい、誰か三根の家知ってるか!?」

あいつの目を見て瞬時に本気を悟った俺は声を上げる。

いつの間にか複数のデスクに分かれて全員が三根の放送を見ていたので、その意味は過たず全員に伝わったのだが、残念ながら首を縦に振る者はいなかった。

「くそっ!」

俺はポケットから社用の携帯を出し、登録してある三根の番号を呼び出す。

すぐさま通話ボタンを押して耳に当てると、画面内の三根のスマホから音が鳴るのを固唾を飲んで待った。

果たして、数秒で画面内の三根の部屋から着信音とバイブの音が同時に鳴った。

『あれ?電話だ』

そして画面内の三根が気づき、着信者を確認する。

『ん?チーフ?このタイミングってことはもしかして、これ見てるのかな?うわ、なんか知り合いに見られてるとか恥ずかしい』

三根はそう言って憑き物が落ちたような顔でスマホの着信画面を見るが、一向に出る様子がない。

出ろよと念じてみても三根はスマホの画面を眺めるだけだ。

「ああ、もう!埒が明かない!」

出る気がないのが画面越しに伝わってきたため、俺は一度通話を切った。

そしてすぐさまメッセージアプリを起動する。

そして一言だけ送ると再度通話画面を開き、三根を呼び出した。

『うわ、『出ろ』ってだけのメッセージ来た。これもう確実に見てるじゃん。しかもなんなら軽く怒ってるじゃん』

三根はまた困ったような泣きそうなような顔で苦笑すると、どこか諦めたように小さく息を吐き、今度はメッセージに従って電話に出た。

『もしもし?』

「軽くじゃない、かなり怒っている」

ようやく電話に出た三根に、俺が最初にしたことは訂正だった。

あんな言葉を聞いてブチ切れないほど俺の中で三根は軽くない。

『やっぱり見てました?てかなんでこの時間に俺の呟きなんか見てるんですか』

仕事中でしょうにと苦笑を深める画面の三根は俺を怒らせている自覚がある割には逆に楽し気に言葉を返してくる。

「たまたま高木が見つけたんだよ。よくやったと俺は褒めたい」

見えないとわかっていても、答えながら三根の呟きを見つけた部下の頭に手を置いてグリグリと撫でた。

『マジかー。あの人そんな空気読めない人でしたっけ?』

「バカ野郎、これ以上ないほど読んでるわ」

『俺的には全く読んでもらってませんが』

あははと笑う三根の様子に、さっきのは聞き間違いだったかと思ってしまう。

とてもではないがこれから死のうとしている奴には思えない。

「お前、さっきのどういう意味だ?」

だからもしかして、死ぬというのはただの比喩だったのかと期待してしまった。

『さっきのって、もしかして俺がこれから死ぬって言ったことですか?』

「他に何がある?」

『まあそうですよね。ただ、そのままの意味なので、どういう意味も何もないんですけど』

三根は再び苦笑すると、俺に向けてなのか閲覧者に向けてなのか、続きを話し始めた。

『俺は今から死にます』

「何故?」

『世間の人に『自分の身勝手な意見を独りよがりな正義感で押し付けると、押し付けられた方は死んじゃうよ』って教えるためです。『俺を殺したのは間接的にあなたですよ』と。意見だけ言っても結局同じことが起こった時に同じことが繰り返されるだけだと思うから、それならいっそトラウマレベルで身に染みて理解させようかなって。俺はそのための人身御供みたいなものです』

「お前のそれだって独りよがりな意見だ。無駄に終わるかもしれないぞ」

『別にいいんですよ。だってもう生きている意味もありませんし』

「意味はある。俺は天罪チームをメインに新しく会社を興そうと思ってる。そしてその中にお前も入ってる!」

『それはとても光栄ですね。でも無理です』

「だから何故?お前の命はそんなに安くないぞ」

俺は必死に三根を説得する。

しかし奴はのらりくらりと、というより全てを諦めた顔で笑ってそれに応じようとしない。

何が三根をここまで頑なにするのかと、俺は焦る頭の片隅で考える。

三根はそこまで執念深くもなければ執拗な性質でもなかったはずだ。

『ところが、俺の余命、あと3年くらいらしいんですよね』

「は?」

そんな俺に冷や水を浴びせるように、何の前触れもなく三根はまた爆弾を落とした。

言われた言葉の意味が理解できないのに、それでも理解できてしまう部分に俺の指は温度を失くし、無様にカタカタと音を立てて震えている。

『実はこの間姉から電話がありまして、無茶な働き方したなら一度人間ドックをやれって言われて。大げさだなーと思ってたら脳に腫瘍が見つかりました。位置が悪くて手術ではどうにもできないし、薬で治すにはでかすぎると医者に匙を投げられましたよ。それからずっとこの命の使い方を考えてきました』

肩を竦めてやれやれとでも言いたげな様子で語る三根は、それでも晴れやかな表情を浮かべた。

ようやく命の使い道が見つかったと、三根はそう言いたいのだろうか。

「…結論がトラウマのための人身御供?」

『はい』

「お前そんなに頭のネジ飛んだ考えを持つ奴だったか?」

『俺も今回初めて知りました』

思わず項垂れた俺は悪くない。

どちらかというと本人がこんなにあっけらかんとしているのが悪い。

いや、絶対悪い。

「……止めても無駄か?」

『はい。今はまだ普通にしていられますが、もうすぐ体のあちこちに麻痺とかの不調が出るらしいですし。例え3年ある寿命がゼロになっても、俺は俺の意志で自由に動けるうちにやりたいことをやります。それに3年で死ぬ奴と仕事なんて気が重くて仕方がないでしょう?』

真っ直ぐに、画面越しに俺を射抜くみたいに三根は俺だけを見ていた。

その目を見て、俺も覚悟を決めた。

「わかった。最後に1つだけ言わせろ」

『はい』

「お前が死んだら俺は、俺たちは全員泣く。ていうか現在進行形で泣いている。それでも俺たちはお前を応援してるし、ずっと仲間だと思っている。今まで世話になった、ありがとう」

『…はい。俺も、ありがとうございました』

「どうするつもりか知らないが、お前の人生の幕引きが穏やかなものであることを願ってるよ」

そう言って俺は通話を切った。

三根の決意も意志も、全てを受け入れて見届ける。

その覚悟を持って俺は溢れ出る涙を拭い、三根の姿を目に焼き付けるために画面を睨んだ。


『いやー、思いがけないことがあったせいで、もう放送終わらなきゃならない時間になっちゃったな。と言ってもある程度言いたいこと言えたし、もういいかな』

三根はそう言うとカメラのスイッチに手を掛けた。

そしてにやりと笑うと、

『それでは皆さん。人を殺したという罪の意識を一生背負いながら、俺の分まで生きてくださいね』

ぶつりと、スイッチを切った。




その日の昼過ぎ、三根の死亡を報じるニュースが各局で流れた。

放送を見ていた者はもちろん、ニュースで再三流れたお陰で三根の最期の言葉は多くの人の目に触れることとなった。

しかし1ヶ月も経つ頃にはニュースから三根純の名前が消え、2ヶ月後には白王社が倒産し、無黒社に関する世間の関心はどんどん薄れていった。

読了ありがとうございました。

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