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さて、苫米地 英人氏がリリースする一連の特殊音源CDを効果的に活用する方法を発表するにあたり、まずは先に、苫米地氏の著書に対する疑問と言いますか、批判的捕捉から始めたいと思います。
もっとも、「批判」という言葉を使うと「えっ、アンタって苫米地さんのファンじゃなかったの!?」と驚かれるかもしれません。
イヤイヤ、ちょっと待って下さい…
確かに、私は苫米地氏の「応援者」です。
しかし、決して「信者」ではありません。
そもそも、苫米地氏自身が科学者なわけですから、その科学者が発表した理論や方法論に対して、私達読者が同じように科学的読解や検証を試みてはいけないという事にはならないワケです。
(宗教ならば「信者」は「教祖」に対して一切の批判をしてはいけないのかもしれませんが…)
今回、私が苫米地氏に対して疑問と捕捉を呈したい著書は「脳を味方につける生き方」(三笠書房)です。
この本の197ページから「脳力を高めたいなら青竹踏みをしてはいけない!?」と題して、以下のような記述があります。
「健康器具が働きかけるのは抽象度の低いところです。抽象度を上げたところへ影響が及ぶ事はありません」
「青竹を踏もうが、河原をウォーキングしようが、血流がよくなることには変わりありません。そんなところから頭をよくしようと考えること自体が、頭を悪くしています」
さて、この記述を読むと、苫米地氏は明らかに「物理脳の健康」と「情報脳の思索能力」を分けて考えていると捉えられます。だからこそ、著書や特殊音源を次々と発表しているのでしょう。
しかし、私達一般の読者は、実に素直に次のような疑問を抱く筈です。
「物理脳の健康と情報脳のレベルアップ、両方に効果がある方法論って無いの??」
はい、ワタクシ、それを発見いたしましたので、他の苫米地ファンに先駆けて大々的に発表しようと思います!!
その方法とは、実に単純です…
特殊音源を聴きながら運動する
↑ はい、たったそれだけです。脳科学に興味をお持ちの方なら、苫米地氏以外にも、茂木 健一郎氏、久保田 競氏、池谷 裕二氏、利根川 進氏などの日本の研究者や、Eric R.Kandel氏、John J. Ratey氏、Giacomo Rizzolatti氏、Nancy C. Andreasen氏などの海外の研究者の著書を読まれた事があると思います。
一口に「脳科学」とはいっても、実際には脳神経外科学、認知神経科学、精神医学、臨床心理学等の各詳細分野があるわけですが、どの研究者の本を読んでも「運動しても頭はよくならない」とは一言も言っていません。
特にJohn J. Ratey氏などは「脳を鍛えるには運動しかない!
なるほど、これでは苫米地氏が胡散臭く思われるのも無理はありません(爆笑)
まぁまぁ、苫米地氏の言いたい事は、よく解るんです…
他の脳科学者が言うところの「脳力」、つまり記憶力や計算能力、瞬間的判断力や推理、推論能力といったものは「全て個人的な脳力に過ぎない」という事なんです。早い話が「運動すれば世界平和について真剣に考えられるようになるのか??」って事ですね。
学生時代に運動部に所属していた方なら、きっと頷いて頂けると思います。
得点を競って勝敗を決する競技であれば、本来なら実力主義、つまり成績上位の者ほど発言権があり、なおかつそれに比例して、成績下位の者に対して技術的指導をする責任も求められる筈です。
しかし、実際には学年として先輩であるというだけで、後輩に対して技術的指導とは何の関係も無い「単なるイジメ」を行う奴が居ましたよね??
京都教育大学生による集団強姦事件なんてのもありました。
だからこそ、苫米地氏は著書の中で何度も何度も「抽象度」という言葉を用いて、「個体と全体の関係を多層的に認識する能力」を強調するのでしょう。つまり、「自分の頭だけを良くしようとしている奴は頭が悪い」という事です。
しかし、ここで一つ、困った矛盾が生じてしまいます。
確かに、苫米地氏が言わんとする「世界全体の事を考えられるようになってこその頭脳だろう」という主張は、よく理解できます。
ですが、他の多くの研究者が提唱している「運動をすれば脳が活性化する」という学説は、否定されていないどころか「通説」として定着しつつあります。
はたして、物理脳の活性化と情報脳(内部宇宙)の拡充、この二つは相容れないテーマなのでしょうか??
ワタクシは、その二つをくっつけてしまおうと思いますww
そんなわけで、次回は私が実践してみた「特殊音源を聴きながらの運動」を紹介したいと思います。
続編 苫米地 英人氏の特殊音源CD活用レポート【2】