2003年、アメリカ・テキサス州でセレブ一家が銃撃され、母親と次男が死亡し、父親と長男が重症を負う事件が発生しました。
当初は金銭目当ての犯行かと思われたものの、その後の捜査で犯人がまさかの人物であることが判明し、さらに裁判では前代未聞の展開となり、世界中から注目を集めていたようです。
この記事では、このセレブ一家銃撃事件の概要や犯人の動機、驚きの判決などについて、お伝えしたいと思います。
※本記事は、海外メディアの記事なども参照しています。出来るだけ確認はしておりますが、誤訳などがあった場合はご容赦ください。
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テキサス州シュガーランドで起きたセレブ一家銃撃事件の概要
それではまずは初めに、当該事件の概要から見ていきたいと思います。
2003年12月10日、ウィタカー家の家族は、長男であるバート・ウィタカー(当時23歳)が最終試験を終え大学を卒業予定であるとの報告を受け、お祝いとして近くのレストランへ食事に行くことに。
長男のバートの他には、父親のケントさん(当時56歳)、母親のパトリシア(トリシア?)さん(当時51歳)、次男のケビンさん(19歳)がいました。
↑左から次男・ケビンさん、母・パトリシアさん、長男・バート、父・ケントさん。
事件は一家がディナーを終え、テキサス州ヒューストン郊外のシュガーランドの自宅に戻った時に起こりました。
なんと、覆面を付けた男がウィタカー家に現れ、家族に向けて数発の銃弾を発砲したのでした。
これによって、次男・ケビンさんと母・パトリシアさんが、胸を撃たれ床に崩れ落ちました。
さらに、父・ケントさんは肩を撃たれ倒れ、長男・バートも左腕を撃たれました。
そして、次男・ケビンさんは数分で死亡し、母・パトリシアさんも病院に向かう途中で死亡。
父・ケントさんと長男・バートは、かろうじて生き残ったのでした。
ウィタカー家銃撃事件の犯人発覚まで
その後、事件の捜査が始められましたが、当初は金銭目当ての犯行ではないかと見られていたようです。
というのも、ウィタカー家はテキサス州シュガーランドで何世代も続く建築会社を経営していた、地元で有名な一家だったからです。
しかし警察が家を調べたところ、盗られたものは長男の携帯電話のみで、奇妙なことに部屋の引き出しはどれも同じ長さだけ、綺麗に引き出されていたり、パソコン、宝石、電子機器などの高価な物は動かされた形跡がなかったそうです。
さらに、殺害に使われたとみられる銃は、ウィタカー家が所有するもので、銃器入れは家の隅にあり、犯人があらかじめその場所を知っていたかのようだったとのこと。
こうした経緯もあり、犯人については、次第に意外な人物が疑われるようになっていったのでした。
それがなんと、自身も腕を撃たれた長男のバート・ウィタカーだったのです。
バート・ウィタカーの生い立ちや経歴
トーマス・バートレット・ウィタカー(Thomas Bartlett ” Bart ” Whitaker)
生年月日 1979年12月31日
出身地 アメリカ・テキサス州
参照:en.wikipedia
バート・ウィタカーは、幼い頃は弟の面倒を見るしっかり者の兄だったと言います。
両親にとっては自慢の兄弟で、誰もが羨む愛情豊かな家庭だったとのことです。
しかし、バートが中学に進学すると歯車が狂い始めます。
小学生までは成績もトップだったバートですが、中学に入ると急降下。
ダメなバートと弟との差は開く一方で、両親の期待もあり、バートは成績表を偽装するようになりました。
バートは成績を捏造することで優秀な息子を演じ、試験のカンニングやクラスメイトの物を盗んだりしました。
そんなバートは高校を卒業後、実家を離れてサム・ヒューストン大学に通い始めますが、その成績では授業についていくことが出来ず、すぐに脱落。
両親から授業料として送られていたお金は、友人らとの遊びに使っていたとのことです。
そしてバートは大学でも偽造成績表を送り、家族にウソをつかなければ生きていけなくなっていました。
こうして家族にウソを重ねたバートは、大学を卒業できないことがバレないように、遊び仲間に家族を襲わせ、自分も腕を撃たれることで被害者を装うという、恐ろしい計画を実行したのでした。
バート・ウィタカーや共犯者の逮捕
前述の通り、家族の殺害を計画したバート・ウィタカーでしたが、2人の遊び仲間の協力を得て、犯行を実現させました。
その仲間というのが、クリス・ブラッシャーとスティーヴン・シャンペーンという人物で、この2人は事件の数か月前に、カントリークラブでバートと働いていたそうです。
さらに、ブラッシャーはバートの大学のルームメイトでもあったとのこと。
犯行は、ブラッシャーが銃撃を行い、スティーヴンが逃走のドライバーを担当しました。
犯行はほぼ計画通りに行われましたが、父・ケントさんが生き残ったことは誤算だったようです。
その後の捜査で、警察がブラッシャーとスティーヴンに尋問した結果、最初にスティーヴンが自白。
証拠品を捨てた湖の場所に警察を案内すると、彫刻刀と弾薬、携帯電話などが出てきたそうです。
そして事件から2年近く経った2005年9月、ブラッシャーとスティーヴンは殺人容疑で逮捕されました。
一方の犯行の立案者であるバートは、事件が起きてからも7ヶ月間は父・ケントさんと住み続けたものの、捜査の手が迫っていると察し、ナイトクラブに行くとケントさんに告げたまま失踪。
バートは家から持ち出した7000ドルで、メキシコのセラルヴォという町に逃亡し、ルディ・リオスという偽名で暮らし始めました。
その後、バートはこの地でシンディ・ルー・サリナスさんという女性と出会い、サリナスさんの父親の小さな家具店で働きはじめたそうです。
そうして1年2か月ほどの間、バートはメキシコで生活をしていましたが、前述の共犯者の自供によって、2005年9月に逮捕され、アメリカへ強制送還されました。
バート・ウィタカーの動機 精神的に不安点だった?
事件の計画については、事件の2ヶ月前、バートがブラッシャーとスティーヴンに、ウィタカー家の殺害に協力してほしいと頼んでいたそうで、スティーヴンの証言によれば「ウィタカー家の100万ドルの生命保険の支払いが利用できる」とバートに言われたそうです。
共犯者の動機については、おそらくは金銭目的だったようですね。
バートはこれを否定していたようですが、その後の検察の調べでは、両親が死ぬことでバートは150万ドルにおよぶ保険金を相続するところだったそうです。
さらに、弟のケビンさんを殺害したのは、保険金を2等分したくなかったからだと言います。
また、海外のwikipediaでは、バートは麻薬により精神が悪化し、家族を排除したいと思っていたといったことも書かれているようです。
さらに、海外他メディアの記事では、以下のような記述もありました。
刑務所に入って以来、精神科の検査で、バートはアスペルガー病、ADD、そして妄想的、自己陶酔的、そして反社会的特徴を持つ精神病性障害を患っていることが明らかになりました。
殺人の時に彼はまた薬物とアルコールに深く関わっていました。
(機械翻訳)
引用:
Meet the father who forgave his son for murdering their whole family.To this day, his father Kent visits Bart in prison most weeks.
そして驚くべきことに、バートが家族の殺害を計画したのは2003年12月が初めてではなく、過去にも数回、企てていたとのことです。
その1つとしては、バートの通ったクレメンツ高校の友人であるアダム・ヒップさんという方が、以下のような証言をしていたようです。
彼は、家族全員を殺すことを明確に意図して、家族全員で祖母のレイクハウスを火にかけたいと思った。
(機械翻訳)
引用:
Testimony ends in Whitaker's murder trialBart Whitaker, accused in the deaths of his mother and brother, once planned to set the...
他にもネット上には、海外メディアによる数えきれないほどの関連記事があり、当サイトではそれらを全て検証することは出来ませんが、バートの人物像や父・ケントさんの心境の変化などには、もっと深いものがあるような気もします。
しかし上述の情報からは、バートの動機については大まかには、
- 金銭目的
- 大学を卒業するというウソが、発覚するのを防ぐため
- 精神的に不安定で、家族を恨んでいた
といった理由が考えられそうです。
裁判と判決
そして2007年3月、バートは裁判の末、「死刑」が宣告されました。
バートは自ら法廷に立ち、情状酌量を訴えて死刑を免れようとしたそうです。
さらに驚くべきことには、裁判ではバートに殺害されかけた父・ケントさんも、涙ながらに息子・バートの死刑回避を求めていたそうです。
ケントさんは当時、息子を許していること、死んだ母親も息子の死刑を望まないことを訴えていたそうです。
しかし、陪審員は求刑通りの「死刑」判決を下しました。
その理由には、バートが同様のことを繰り返す可能性がある、といった判断も含まれていたようです。
また、直接、銃を撃ったブラッシャーは殺人の罪を認め、終身刑に。
逃走のドライバーを務めたスティーヴンは、懲役15年が宣告されたのでした。
バートウィタカーと父・ケントの心境
上述のように、死刑が決定したバートウィタカーでしたが、父・ケントさんを含めたその後の心境はどのようなものだったのでしょうか?
海外サイトには数えきれないほどの記事があり、全てを詳細に拾っていくことはできないのですが、その一部だけでもお伝えさせて頂きたいと思います。
2012年にバート死刑囚がメディアのインタビューに応じた際の記事があるのですが、それによりますと、当時、バート死刑囚は、
他人の人生の映画を見ているような気がすることが多い。
と語っていました。
さらに、
私の母親と兄弟が私を見守っている方法があるならば、私は彼らが私が今生きている方法を誇りに思うことを望みます。
毎日の毎分、それが私の頭の中で一番重要です。
(機械翻訳)
引用:
Bart Whitaker talks about killing family, death row complaintsImagine going out to dinner knowing when you got home that your family would be shot dead. That was Bart Whitaker's heinous plan.
といった記述も見られました。
これは、噛み砕いて言えば、
もし死んだ母と弟が天国から見ているとしたら、彼らが今の私の生き方を誇りに思ってくれると願いたい。
そうなるように生きることが、一番重要な目標。
といったところでしょうか?
また、バート死刑囚はこの時、死刑囚に対する待遇に対して不服とする訴訟を起こしていたようです。
その理由としては、テレビや電話の欠如、悪い食べ物、悪い医療、そして1日23時間独房に監禁されることなどを挙げていたようです。
以下は、これに関するバート死刑囚のコメントです。
誰もここ(独房)にリッツカールトンを作り上げようとはしていない。
私たちが創出しようとしているのは、罰が目的を持つ合理的な環境だけです。それが収監に関することです。
(機械翻訳)
引用:
Bart Whitaker talks about killing family, death row complaintsImagine going out to dinner knowing when you got home that your family would be shot dead. That was Bart Whitaker's heinous plan.
また、同年2月には仮釈放なしの終身刑について、強い反対を表明していたそうです。
しかし、LWOP(仮釈放のない終身刑)は私が信じるすべてのものを怒らせ、侮辱させます。それは取消不能の形でリハビリの可能性を否定します。それは希望を完全に覆い隠します。たとえそれが死の行への回帰を回避する唯一の方法であったとしても、私がそれにサインすることは決してないであろうのはこの理由のためである。
Thomas Bartlett Whitaker(2012年2月17日公開)
(機械翻訳)
引用:en.wikipedia
一方の父・ケントさんは、バート死刑囚が上記の行動を取っていた時期には、この事件についての著書を書き、許しについて語るためにアメリカ中を飛び回っていたようです。
そして、バート死刑囚の元へはほぼ毎週訪問していたとのこと。
以下は、ケントさんのバートさんに対するコメントです。
私たちは今までになく近づいている。
我々は基本的に夜間に通過する2隻の船でした。今、我々は非常に接近しています、そして私はここでしたことのいくつかについて彼が私を誇りに思うと思います。
(機械翻訳)
引用:
Bart Whitaker talks about killing family, death row complaintsImagine going out to dinner knowing when you got home that your family would be shot dead. That was Bart Whitaker's heinous plan.
これらの情報はほんの一部ですし、本当の気持ちは本人達にしか分からないとは思いますが、ご参考までに記載させて頂きました。
死刑執行直前でまさかの展開 バート・ウィタカーの現在は?
そして、バート死刑囚の薬物注射による死刑執行日である2018年2月22日が近づいていました。
父・ケントさんは事件についての著書を書いたり、バート死刑囚の助命を嘆願し、弁護団も死刑を回避する全ての手を尽くし、執行は州知事の判断に委ねられていました。
想像してほしい。家族の中でもっとも愛する人2人を思い浮かべるとする。片方がもう片方を殺す。罰は絶対に必要だ。
だが、あなたは処刑を求めるだろうか? その人物が、残された唯一の子どもだとしたら?
(弁護団のキース・ハンプトン氏のコメント)
さらに看守らは、38歳になったバート死刑囚について、協力的で利他的な模範囚だと述べていたようです。
そして死刑執行当日の2018年2月22日、テキサス州のグレッグ・アボット知事は、刑の執行直前に停止を命令したのでした。
知事は声明を発表し、バート死刑囚について「この凶悪犯罪の罰として、残りの人生を獄中で過ごす必要がある」と指摘。
また、実行犯が死刑判決を受けていない事情も考慮したと説明し、
死刑囚の父親は刑の執行に強く反対している。
テキサス州が残った最後の近親者を処刑すれば、自分は再び犠牲者となると主張している。
と明かしました。
これに対しバート死刑囚は、
私のためではなく、父のためであるこの決定に感謝している。
私はどんな罰を受けてもおかしくなく、またこれからも受けることになるだろう。
私は自分の犯した罪によってあらゆる罰に値するが、父は何も悪いことをしていない。
今日、刑事司法制は父の味方をし、そして私は自分の責任を果たすために精一杯努力していく。
と、テキサス州の刑事司法当局が公開した声明で、コメントしていたようです。
そして2019年現在、バート死刑囚の判決内容は、仮釈放なしの終身刑に減刑されたそうです。
↑父・ケントさん(左)とバート・ウィタカー受刑者(右)
終わりに
色々と稀に見る展開となった、ウィタカー家銃撃事件の概要や、犯人であるバート・ウィタカー受刑者についてお伝えさせて頂きました。
ネット上には、「子供を甘やかせすぎた親の責任もある」といったような厳しい意見も見られましたが、「家族を殺した家族をどう受け止めるのか?」といった、ある意味では究極的な問いでもあるのかなと感じました。
勿論、亡くなられた母と次男のことを考えると無念ですし、バート受刑者には今後も懸命に罪を償って頂きたいと思います。
本記事の情報参照元:
など
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