なぜ神は虐殺を命じたのか? | 死ぬまでに必ず知っておくべきこと - JESUS

なぜ神は虐殺を命じたのか?

テーマ:神とは

「行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」(‭‭サムエル記上‬ ‭15:3‬‬)

 

 

 

 

これは、創造の神が、イスラエル初代王サウルに与えた命令です。

 

 

 

 

アマレクとは当時、カナン地方(現イスラエル)南部からエジプト国境にかけて住んでいた民族です。

 

 

 

 

愛であるはずの神が、この民族を容赦も跡形もなく、徹底的に滅ぼすこと、つまり大虐殺を命じたのです。

 

 

 

何も分からない、未来がある子供や赤ん坊までもです。

 

 

 

 

 

聖書にあるこの箇所は、クリスチャンであっても理解に苦しんだり、納得がいかないことが多く、未信心者や無神論者が議論の中でよく持ち出すことでもあります。
 
 
 
 
「敵を愛せと言いながら神は簡単に殺すじゃないか。」
 
「私たちには『殺すことは罪』と言いながら自分は殺すなんて、矛盾している。」
 
 
 
 
 
この文脈だけを見れば、そう思っても不思議ではありません。
 
 
 

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(‭‭ローマの信徒への手紙‬ ‭8:28‬‬)

 

 

 

 

とあるのに、一体これのどこが益なのでしょうか?

 

 

 

 

これらをもって理解するためには、聖書に散りばめられた事実を集めて見ていくことが必要です。

 

 

 

 

例えば、

 

 

 

「あなたたちがエジプトを出たとき、旅路でアマレクがしたことを思い起こしなさい。 彼は道であなたと出会い、あなたが疲れきっているとき、あなたのしんがりにいた落伍者をすべて攻め滅ぼし、神を畏れることがなかった。」(‭‭申命記‬ ‭25:17-18‬‬)

 

 

 

という箇所です。

 

 

 

アマレク人はユダヤ人が約束の地であるカナンに向かう途中、弱っているところを見計らって攻撃を仕掛けました。

 

 

 

 

ユダヤ人は、様々な短所はあっても神にとっては愛する大切な子供です。

 

 

 

 

そんな大切な子供を、しかも弱っている時に卑怯にも襲ったアマレク人は、神の怒りを買ったのです。

 

 

 

 

この攻撃に関し、主はモーセと以下のようにやりとりしています。

 

 

 

「主はモーセに言われた。 『このことを文書に書き記して記念とし、また、ヨシュアに読み聞かせよ。『わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る』と。 モーセは祭壇を築いて、それを『主はわが旗』と名付けて、 言った。 『彼らは主の御座に背いて手を上げた。 主は代々アマレクと戦われる。』」(‭‭出エジプト記‬ ‭17:14-16‬‬)

 

 

 

 

神を畏れなかったアマレク人は、神の民族ユダヤ人を卑怯に襲ったことにより、神の裁きを受けることになったのです。

 

 

 

 

しかし神はすぐに行動に移したわけではありません。

 

 

 

 

神はモーセの時代からサウル王の時代までおよそ4世代に渡り、アマレク人に猶予を与えました。

 

 

 

 

わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。」(エゼキエル書‬ ‭33:11‬‬)

 

 

 

 

 

という神は、もしかするとアマレク人が悪の道から離れ、正しい道を歩むのを待っていたのかもしれません。

 

 

 

 

 

しかしアマレク人が罪を悔い改めることはなかったのです。

 

 

 

 

 

神の命令に従い、アマレク人を襲撃することになったサウル。

 

 

 

 

この時のことについて、留意すべき点が2点あります。

 

 

 

 

一つ目は、神がカイン人と言う民族を救ったことです。

 

 

 

 

「サウルはカイン人に言った。『あなたたちはアマレク人のもとを立ち退き、避難してください。イスラエルの人々がエジプトから上って来たとき、親切にしてくださったあなたたちを、アマレク人の巻き添えにしたくありません。』カイン人はアマレク人のもとを立ち退いた。」(‭‭サムエル記上‬ ‭15:6‬‬)

 

 

 

 

 

神は闇雲に誰でも殺すわけではありません。

心を見る神は、誰が裁きの対象でそうでないか、ちゃんと知っているのです。

 

 

 

 

二つ目は、サウルが主の命令に背いて生存者を残したことです。

 

 

 

 

「サウルはハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討った。 アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼした。 しかしサウルと兵士は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くした。」(‭‭サムエル記上‬ ‭15:7-9‬‬)

 

 

 

 

 

 

神は「全て」を滅ぼすように命じたにも関わらず、サウルは欲望に目が眩み、またどういったわけかアマレク王アガグを生かしてしまったのです。

 

 

 

 

その後預言者サムエルによってアガグ王は殺害されますが、聖書を読む進めると、サウルが命令を完全に遂行しなかったことにより、アマレク人の生き残りが再びユダヤ人にとって脅威となることがわかります。

 

 

 

 

その一つは、サウルのすぐ後に王になったダビデの時代です。

 

 

 

 

「三日目、ダビデとその兵がツィクラグに戻る前に、アマレク人がネゲブとツィクラグに侵入した。彼らはツィクラグを攻撃して、町に火をかけ、 そこにいた女たち、年若い者から年寄りまで、一人も殺さずに捕らえて引いて行った。 ダビデとその兵が町に戻ってみると、町は焼け落ち、妻や息子、娘たちは連れ去られていた。」(‭‭サムエル記上‬ ‭30:1-3‬‬)

 

 

 

 

と書かれているように、アマレク人は戦利品を盗む目的でダビデたち住んでいた場所を襲い、住人を誘拐したのです。

 

 

 

 

世界最古の外交文書とされるアマルナ文書などで『略奪者・盗賊』と呼ばれているなど、アマレク人は当時悪名高き民族だったのです。

 

 

 

 

次にアマレク人がユダヤ人にとって大きな脅威になったのは、サウルの時代からおよそ550年経ってからのことです。

 

 

 

 

バビロン帝国支配後、ペルシャ帝国の支配下で暮らしていたユダヤ人は、あることからハマンという、王の次に権力の首相の怒りを買い、ハマンは帝国に住む全てのユダヤ人を虐殺する計画を立てます。(詳しくは以下のブログをご覧ください)

 

 

 

 

 

 

このハマンこそ、「アガグ人ハメダタの子」(‭‭エステル記‬ ‭3:1‬‬)、つまりサウルが生かそうとしたアマレク王アガグの子孫なのです。

 

 

 

 

芝生に生える雑草や人間の体を蝕む癌などは、根こそぎ徹底的に取り除かなければ、再びその根を生やし、どんどん広がって脅威となります。

 

 

 

 

全てを見越していた神は、アマレク人がユダヤ人にとって多大な害となることを知っていたからこそ、根こそぎ滅ぼすことを命じたのです。

 

 

 

 

善悪の判断がつかない小さな子供や赤ん坊は、自動的に天国へ行くとされています。

 

 

 

 

しかし悪に染まった民族の中で成長すれば、恐らく親と同じように悪の道を歩むことになってしまったでしょう。

 

 

 

 

神はこれ以上アマレク人が悪の道を歩み続けないよう、悪を根本から引っこ抜いたのです。

 

 

 

 

丁度、終わりの時に全て神に背く人が滅ぼされるように、です。

 

 

 

 

 

 

 

「万事が益となるように共に働く」のは、「神を愛する者たち」に対してだけです。

 

 

 

 

アマレク人に救いがなかったのは、彼らが神を畏れなかったからです。

 

 

 

 

 

神の敵になることほど、恐ろしいことはありません。

同時に神は、誰でも心から悔い改め、神に立ち返る人には必ず憐れみを降り注ぎます。

 

 

 

 

どうかアマレク人のようにならず、今すぐイエス・キリストを受け入れて裁きの神の目に正しくされてください。

 

 

 

 

 

 

 

アーメン✝️

 

 

 

 

 

 

 

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参照:

https://www.gotquestions.org/Amalekites.html