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無欲の聖女は金にときめく 作者:中村 颯希

第一部

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8.レオ、嫌がらせめいたご褒美をもらう

 入学してから、はや一週間。


 レオは、ままならぬ現実の世知辛さに、そっと溜息を漏らした。


(どこを探しても、見つからねえ……)


 そう。大事な大事なカールハインツライムント金貨様が、いくら探し回っても見つからないのである。


 時間を見つけては中庭近辺に赴いたり、それとなく周囲の胸元をじっくりと観察してみてはいるのだが、カー様の手掛かりすら掴むことはできなかった。


 きっとカー様は、今頃どこかのがめつい男あたりに拾われて、日夜撫でくりまわされているに違いない。そう考えるだけで、レオのはらわたは煮えくり返りそうであった。

 やはり、あの時、すぐに侯爵家から引き返すべきだったのだ。いくら自分を責めても、取り返しのつかない事態である。心労がたたって、

 夜は八時間しか眠れないし、食も一人分しか喉を通らなかった。


 今日も窓の外を眺めて物憂げに溜息をつくレオノーラを、周囲は「憂いの君」だとか「中庭の精霊」だとか称しているが、本人は全く気付いていなかった。


(どうすっかなー。もう見切りを付けて、町に帰るかなー)


 レオは再び溜息をついた。


 金貨が見つからない以上、小遣い稼ぎもできない学院に用は無い。無いのだが、三食風呂付を無料で、無料で――重要なので二度言った――甘受できる環境というのは大変魅力的である。当面の生活が保障されていることを思えば、この学院を出て行く理由もまた無かった。


(授業自体は面白いんだよな)


 貴族にとって最も重要な魔力の授業はからきしだが、ハンナ孤児院で鍛え抜かれたレオは基本的に器用であるので、薬の調合や実験などはお手の物だ。

 ヴァイツ語が諸事情で片言のため誤解されやすいが、本来レオは語学に堪能な方で、ヴァイツ帝国における古典に相当するエランド語も、孤児院の仲間に出身者がいたため理解できるし、算術なども得意である。


(算術っていいよな。図形や証明はあんまり身近には感じないけど、単純な計算問題とか、全部小銅貨に置き換えただけで快感が走るもんなあ)


 ちなみに「村人Aが小銅貨5つを持ってりんごと栗を買いに行き……」といった文章題は、サービスをせがむことや値切り倒すことを想像してしまって、いまいち正解を出しづらいレオである。


 授業も為になるし、タダだし、食事もうまいし、タダである。これに小遣い稼ぎができれば言うことはない。

 そこまで考えて、レオはふと目に力を込めた。


(いや……よく考えるんだ、俺。金は向こうからやってくるのを待つもんじゃない。自分で作り出すものだ。たとえそこに働き口がなくても、やり方を変えれば稼ぐ方法はきっとある。冷静になれ。そしてチャンスを窺うんだ)


 金を何か他のワードに置き換えれば、わりと名言になる指針である。


 レオは後々為にならない魔力の授業を上の空で聞き流し、学院内で実行しうる内職の検討を始めた。


 そんなこんなで、意外にも学院生活を満喫しているレオであったが、それを苦い思いで見ている者がいた。


 ヴァイツ帝国第一皇女、ビアンカである。


 彼女は焦れていた。

 入寮時から美貌の少女のことが気になっており、茶会では声をかけようとしたのに、この精霊のような少女は繊細な見かけに反して、あっさりとその場を去ってしまった。しかも、どうやら尊敬する兄の完璧な魔術を見破っているかのような言葉を残して、である。


 最初は気兼ねしているのかと思い、ビアンカの方から「わたくしのサロンに遊びに来てよくってよ」と誘ってやったにもかかわらず、レオはそれを「来てもよいということは行かなくてもよいということに違いない」と解釈し、ぶっちしていた。


 皇女にして下級学年長のビアンカ。

 彼女にとって、すり寄られず見向きもされないというのは初めてのことだった。


 そうなるとますます興味は高まり、しかしまともに友人を作ったことなどない彼女は、つい高圧的に、相手を非難するような態度を取ってしまう。その様子を見て、ビアンカは美しい新入生を排除したいのだと周囲の学生は理解し、徐々に少女――レオノーラ・フォン・ハーケンベルグに悪意を向けるようになっていった。


 そして、その最初の症状は、レオの机に現れた。

ある朝登校すると、レオの席に、ムエルタの花が供えられていたのである。

ムエルタとは花弁の多い大ぶりの黄色い花で、食用されることもあれば香油の精製に用いられることもある。だが、一番一般的な用途は――葬花であった。


 あまりに露骨な嫌がらせに、周囲がざわめく。だが、レオは一向に気にしないどころか、むしろ目を輝かせて花を手に取った。


(ムエルタ……! しかもこんな大量に! やべえ、これでポプリが量産できるじゃん)


 そう、香りの強いムエルタの花は、乾燥させればポプリにもなるのである。


 貴族令嬢の多い学院で受けそうなポプリを作れと言わんばかりの啓示、しかもその原料がタダで手に入ったことに、レオは精霊の祝福すら感じた。


「あ、あの……レオノーラさん。大丈夫ですか? よければ、わたくしたちでその花を片づけてまいりますわ」

「ご、ごめんな。俺たちが来た時にはもうそこにあって、どうしていいかわからなかったんだ」


 心ある何人かのクラスメイトたちが申し出てくれたが、レオはふるふると首を振った。


「いいえ。私、今日、もう帰ります」


 確か今日は、為にならない魔力の実技だけだ。

 そんな授業に出るくらいなら、一刻も早く、この良質な花を乾燥させておきたかった。


 急いた足取りで言葉少なに教室を出て行く少女を、誰もが痛ましそうな視線で見守った。





 それからも、レオにとっての奇跡は続いた。


 ポプリの原料は入手したものの、袋を縫う針もないじゃないかと気付いた日には、絶妙なタイミングで靴に針が仕込まれ、袋を縛る色紐もほしいなと考えていたら、ちょうどその日に礼拝用の精霊布――精霊の色を表す十二色の太糸で編まれた、大きな一枚布である――がビリビリに裂かれていた。


 そのたびにカイは真っ青になってうろたえ、すぐにでも侯爵家に連絡しようとしていたが、レオは根気強くそれを止めた。


 もちろんレオとて、これが嫌がらせの一種でないかとは薄々思ってはいたのだが、なにぶん自分に益なすものばかりなので、まったく止める気が起こらなかったのである。

 そもそも下町育ちのレオにとって、嫌がらせとは食事に馬糞を混ぜたり、相手を肥え溜めにつき落とすくらいのアグレッシブなものであった。食事と睡眠を邪魔されない限り、よほどでないと気にならないのだ。


(けしからん、もっとやれ!)


 そんなわけで、むしろ近頃ご機嫌なレオだった。


 事情を全く知らないカイはといえば、何の悪さもしていないのに嫌がらせを受け、なおかつ周囲を心配させないように、従者に対してまで気丈に振舞う主人のことを、申し訳なさと痛ましさとを半々に見つめていた。


(葬花なんて……クラウディア様のことを思い出させるだけだろうに、花に罪は無いとおいわんばかりに、あのように一つ一つ手入れされて……。自分のために裂かれた精霊布にさえ、罪悪感を感じて捨てられずにいらっしゃるに違いない。早くに親を失い、不当な扱いを受け、更には住み慣れた町からいきなり学院に放り込まれて、嫌がらせまで。本当は、ひどくお辛いに違いないのに……)


 実際、主人はここ最近授業もそこそこに自室に籠っていることが多い。見兼ねたカイが食事を届けに部屋に踏み入ると、誤魔化すような笑顔で出迎えてくれるが、その目が赤く充血していることに、目敏いカイは気付いていた。


 むろん充血は、ポプリ構想に夢中になったレオが夜なべしているためなのだが、従者がそれを知ることはない。


 学院使用人のネットワークを駆使し、嫌がらせの首謀者まで把握しているカイだったが、だからこそ、下級学年長のビアンカをそうそう弾劾することもできず、無力な自分を責める日々が続いていた。


 片やいっそ主人を攫って逃亡してしまおうかと思いつめ、片やもう少し香りの原料がほしいなと欲張っていた、そんなある日。

 膠着していた状況を打ち破るような出来事が起こった。


 レオノーラ宛てに、ビアンカのサロンへの正式な招待状が届いたのである。


「ビアンカ様のサロン? お……私が?」


 言葉の途中でびくりと肩を震わせた主人に、カイはもっともだと思いながら説明した。


「はい。順番に新入生をもてなすお茶会を開いているので、今度こそ来てほしいといった内容が書かれています。もちろん、額面通りに受取るわけにはいきませんが……」

「そう、ですか?」


 いかにも思わしげなカイの様子に、レオはことりと首を傾げた。


 よもやピアスのねこばばがバレて今さら呼び出されたのかとも考えたが、それにしてはタイミングがおかしいし、他に思い当たる節も無いからだ。はて、としばらく考えていると、カイが焦れたように言葉を継いだ。


「レオノーラ様もお気づきの通り、ここ最近の、その……嫌がらせを先導しているのはビアンカ様です。その彼女が名指しでレオノーラ様をお招きになるということは、いよいよ、何か直接的なことがなされるのかもしれません」

「直接……」


 その言葉で、はたとレオは思い至った。


 これまで、なんとはなしに入手できたものたちをありがたく拝借して、ポプリ作りに勤しんでいるが、そういえばそれをくれたのが誰であるかを追及してもいなかったし、お礼を伝えてもいない。意図はどうあれ――心からの善意でも偽善でも、施しの額に変わりはないように――物を頂戴したのだから、その感謝は伝えるべきである、と。


(ついでに、今度くれるなら匂い付きの布がいいって直接言っておきたいしな)


 本音の九割はそれだった。


「私、行きます」

「レオノーラ様……」


 カイは表情を曇らせたが、もとより帝国の第一皇女に招待されて断るなどという選択肢はないのだ。

 しかも、既に主人は一度それをかわしたことで嫌がらせまで受けている。カイにできるのは、何事も無いよう祈ることくらいであった。


 先方のホームであるサロンへの招きに対し、従者を伴っていくのは失礼にあたる。カイはそれでも、「何かあればすぐ駆け付けられるよう、扉の前で立っておりますので」と連日主人に言い聞かせ、二人は茶会当日を迎えた。



***



「ようこそ、紅薔薇の間へ」


 ビアンカの取り巻きの一人と思われる、ブルネットの少女に案内されながら、レオはきゅっと口許を引き締めた。


 というのは、「紅薔薇」などというベタなネーミングに、ともすれば噴き出しそうになってしまったからだ。


(紅薔薇……! 薔薇だけならともかく、紅薔薇……!)


 庶民のレオにとっては、年頃の少年少女が陥りがちな、ナルシシズムと耽美思想のかほりが漂う名前のように思える。思えるのだが、きっとこれも貴族の間では標準装備なのだろう。


 必死に口許に力を入れていると、やがて部屋の奥から


「ようやく来てくれたのね? 待ちくたびれてよ、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ」


 深紅のドレスに身を包んだビアンカが笑いかけた。


 さすがのレオでもわかる。ここは「紅薔薇の間」で、つまりビアンカは「紅薔薇様」で、だから取巻き達も一様に赤っぽい色の服を着ているのだろう。

 もちろん、この日もレオは薄墨のサバランを身にまとっていた。


「初に……おめも、も……っ」


 一応最初くらいは、と思い貴族っぽい挨拶を捻りだしてみたのだが、レーナの呪い基準では発音にご満足いただけなかったらしく、途中で言葉が消えてしまった。なんだか早口言葉のようだ。


「まあ! 斬新な挨拶ですこと!」

「およしになって、マルグレッテ。下町では流暢な方なのかもしれませんわ」


 途端にくすくすと取巻き達の嘲笑が響く。

 だが、


「よしなさい」


 ぴしりとビアンカの声が響くと、それらは一斉に止んだ。


 暖炉も設えられ、クロスの張られたテーブルに案内される。ひとまずタダ飯は頂いていこうと大人しく従うと、レオはビアンカの向かいに座らされた。大きな丸テーブルに、レオとビアンカの他に取り巻きが五人。ちょっとした弾劾裁判である。


「さて、わたくしのことは知っているわね?」

「はい、ビアンカ様」


 ビアンカがゆったりと切り出したので、レオは素直に頷いた。

 金髪の少女は「そう」と頷くと、はっきりとした口調で続ける。


「わたくし、まどろっこしいことは嫌いなの。だから、はっきり言うわ。新入生、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ。あなた、わたくしの集いに――紅薔薇会に入らない?」

「紅薔薇会……」


 まんまだ。レオはまたも噴き出しそうになるのをぐっとこらえた。


「あら、警戒しないで。これまでのことは、わたくしの友人がちょっとばかり気が急いて、あなたにアプローチしただけよ。わたくしの側に付くのなら、今後そのようなことは一切なくなると約束するわ」


 それはつまり、施しがなくなるということなのだろうか。レオは「え……」と戸惑った。


「ふふ、理由がわからないようね。なら教えてあげる。わたくしはあなたに興味があるのよ、レオノーラ」


 ビアンカは幼さの残る顔に妖艶な笑みを浮かべ、そっと腕を差し出した。


「その美しい顔に、悲劇的な身の上。誰もが構わずにはいられなくなるような子よね、あなたって。この前の歓迎会では、お兄様の術まで見破っていたようじゃない。わたくしは見極めたいのよ。あなたが、お兄様にふさわしい人物かどうか、ね」

「アルベルト様に、ふさわしい……? ここは、学院です。なぜ、関係?」


 学院に入学しただけで、なぜ息子の嫁に相応しいか検分する姑のような視線に晒されねばならないのか理解できない。レオはきょとんとした。


「あら、まさかあなたがわからないはずはないでしょう? フローラの禍の関係者でもあるあなたが!」


 少々いらだった様子のビアンカの説明を、要約するとこういうことだった。


 学院に大きな混乱をもたらした「フローラの禍」の後、当時の皇帝はある決断を下した。それは、今まで学生に与えていた自治権を、更に強化するというものだった。


 ただでさえ学生自治権が大きすぎたために、このような悲劇は起きたのだ、自治権を取り上げよ、とハーケンベルグ侯爵家は反発したが、皇帝はあえてその逆を行った。つまり、学生だからと処分や報奨を中途半端にせず、実社会そのものを学院に再現させたのである。


 禍が起きた時は、強大な自治権と言いつつ、結局は学生という守られた身分への甘えがあったために、どの生徒も行動を起こさなかった。だからこそ、皇帝はその檻であり保護柵を取り上げてしまったのだ――たとえ学生であれ、悪き行いをすれば死刑すら免れないと。


 ただ彼は同時に、報奨の方も拡充させた。優秀な成績を収めれば、学生であっても帝国の政治運営に関与できるし、王妃としての資質が認められれば、学生であっても皇族の妻となれる。


 その計らいは奏功し、学院はそれまでの温室から脱皮して、自浄的な、緊張感漲る実社会そのものとなった。つまり、実質的な政治機関にも、後宮にもなったのである。


「つまり、ここに入学してくるほとんど――いえ、全ての学生が、将来の高官や王配をめざしている、というわけ。だからこそ、わたくしは、まだ学生たちが小さな芽である内に、よきものは育て、悪しきものは摘み取ることを旨としているのよ」


 レオは、へえと内心で相槌を打ちながら紅茶を啜った。三軒隣の家で生まれた猫が三毛猫だった、という話くらいには興味が持てる。


「……何よ、その反応。さっきから、わたくしの話を聞いているの? 思っていることがあるなら、はっきり言ったらどうなのよ」


 特に何も思っていないレオとしては、困るばかりだ。


「ええと」

「何よ」

「香水、いい香り、ですね?」


 結局、先程からちょっとだけ気になっていたことを口にした。


 ビアンカはさすが皇女だけあって、実に品の良い香水をまとっているのである。どことなく甘さを含んだ厚みある香りは、先日から制作しているポプリとも相性が良さそうだった。


(これの匂いを染み込ませた布を混ぜれば、香りも持ちもよくなるし、値段ももっと釣り上げられそうなんだけどな)


 常日頃、ハンナ院長や孤児院の女性陣から鍛えられているレオは、女性受けしそうな一工夫にも詳しいのである。

話の腰を折られ、しかし褒められた形となったビアンカは、目を白黒させた。


「な……何よ! わたくしは今、紅薔薇会に入るかどうかを聞いているのよ!」

「あ、入らないです」


 レオはあっさりと断った。


「紅薔薇、趣味、合いません」

「な……っ!」

「なんと無礼な!」


 ビアンカと仲間たちが一斉にいきり立った。

 特に、今まで正面切って拒絶を受けたことなどないビアンカは怒り心頭だった。


 こちらから切り捨てることはあっても、相手から「合わない」などと――!


 強い憤りに駆られたビアンカは、咄嗟に、手近にあった香水瓶を掴んだ。


「この無礼者……! 香水が好きだと言ったわね? くれてやるから、もう少し身の程を弁えなさい!」


 カシャーンッ……!


 薄いガラスの割れる音と共に、強い香りが立ち上る。瓶は少女のドレスの裾に当たり、液体がびっしょりと下半身を染め上げていた。


「あ……」


 はっと我に返ったビアンカが青褪める。ここまでする気は無かったのだ。


 だが、既に強烈な香りは辺りに立ち込め、気分が悪くなるほどになっていた。目の前の少女も、ショックを受けたようにじっと濡れたドレスを見つめている。


「あ、レオノーラ……」


 やり過ぎたとは思うのに、謝罪の言葉が出てこない。自分の傲慢さを、ビアンカは呪った。


「ビアンカ様」


 だが、やがて少女は顔を上げると、臭気にも負けず微笑んだ。


「ありがとうございます」

「え……?」

「お礼、言っていませんでした。お花も、針も、布も。もらってばかり。私、嬉しかったのです」


 だが、途中でとうとう込み上げるものがあったのか、彼女はくしゃりと顔を歪めた。


「失礼、いたすます」


 美しい目尻に、わずかな涙を浮かべているのを、ビアンカは見た。


「あ……」


 呆然と見送っていると、扉の向こうからくぐもった叫び声が聞こえた。カイとかいう綺麗な従者だろう。

 誰も声を発することすらできずに立ち尽くしていると、扉を叩く音が響いた。


「失礼いたします」


 はたして、扉を開けたのは、澄んだアーモンドアイに、くっきりと怒りを浮かべた従者だった。


「ぶ……無礼な。ここをどこと心得ます」


 容貌の整った少年に睨みつけられ、一瞬気圧されかけたビアンカだが、皇女の矜持にかけて叱責を飛ばす。しかし、カイはそれにも負けず言い返した。


「お言葉ですが、失礼なのはどちらでしょうか」

「何を……」

「母を亡くしたのは自分のせいだと責めている幼い主人に、葬花を送りつけ、針を仕込み、祈りの布を裂き。あまつ、香水で侯爵様からのサバランまで汚して。流暢に話せない我が主人を貶しめて、楽しかったですか? クラウディア様の二の舞を避けて、波風立てることなく学院生活を過ごしたいという、ささやかな望みを責め立てて、さぞや気分のよろしかったことでしょう」


 ビアンカははっとした。紅薔薇会の辞退に、そのような想いがあったとは考えつかなかったのだ。


 いや、とすぐに自らの考えを打ち消す。


 気付くべきだったのだ。帝国中を揺るがしたフローラの禍は、いわば派閥争いの延長。レオノーラはその被害者の娘なのだから。「合わない」というのは、紅薔薇たるビアンカ自体を否定したのではなく、そういった派閥に属することについて趣味ではないという意味だったのだろう。


 カイは更に言葉を重ねた。


「レオノーラ様は、クラウディア様を早くに失い、ただでさえ御身に合わない下町で、充分な保護も無く育ちました。なぜ母語であるヴァイツ語さえ満足に話せないかお分かりですか? なぜ、日よけなどもない下町の出でありながら、あれほどの白い肌をお持ちかお分かりですか? それは……っ」


 綺麗なアーモンド形の瞳に、ふわりと涙が滲んだ。


「心ない大人が、レオノーラ様の美貌に目を付けて、ろくな教育も与えずに閉じ込めたからです!」


 違います!


 だが、その真実を叫べる者は、残念ながらこの場にいなかった。


「そのようなお育ちにもかかわらず、真っ直ぐなお心を持たれたレオノーラ様だからこそ、ビアンカ様。あなたのご友人が送り付けた花も、針でさえも、喜んでいらっしゃいました。こんな風にもらい物をしたのは初めてだと」


 その健気さに――そしてその痛ましさに、誰もが息を飲んだ。

 ビアンカは、先程の少女の発言を改めて思い返し、きゅっと唇を噛み締めた。


「わたくしは……なんということを……」


 水を打ったような静けさの中に、ビアンカの悔恨の呟きが響く。

 カイは、


「出過ぎた発言、どうぞご容赦のほど」


 慇懃に頭を下げると、踵を返した。

 自室で独り涙しているであろう主人を、どう慰めようかと考えながら。

タイトルの付番を修正しました。

誤字を修正しました。

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