全身の筋肉が衰え、最後には死にいたる難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)。2020年7月、安楽死を望んだALS患者を殺害したとして医師が逮捕された事件は社会に大きな衝撃を与えました。ALS患者の岡部宏生さん(63歳)は、人工呼吸器をつけているため声を発することはできませんが、わずかに動く眼球を使って、自分の言葉を伝えます。「人は、ただ生きているだけで価値がある」。生と死のはざまで揺れ動く“あなた”と出会う岡部さんの旅を通して、「生きたい」と言える社会の実現に何が必要なのか考えます。
ALSは、徐々に全身の筋肉が衰え、発症後平均3年から5年で自力での呼吸ができなくなります。人工呼吸器を装着すれば、長期間、命をつなぐことも可能ですが、食事や排泄などには介助の人手が必要です。岡部さんの場合、会話は文字盤を眼球で追って行うため、口で話せば数秒で終わる内容もときには何十分もかかります。
文字盤を使う岡部宏生さん
呼吸器をつけて生きるか、それとも、つけずに死を迎えるか。すべてのALS患者は、その究極の選択を迫られます。
若い頃の岡部さん
岡部さんがALSを発症したのは、今から15年前の48歳のとき。大手建設会社から独立し、自分の会社を立ち上げて間もないころでした。
「仕事ができなくなることと、妻に迷惑をかけると思い、自殺を3回考えました。私は呼吸器をつけて生きようとは思いませんでした。治る見込みがまったくなくて、近いうちに自分では何もできなくなってしまうと知ったときに、死んだほうがよいかなと思いました」(岡部さん)
生きがいだった仕事もできず、家族に介助の負担を強いることになる人工呼吸器の装着。それは当時の岡部さんにとっては、到底受け入れることのできない選択でした。
ある調査によれば、ALS患者のうち人工呼吸器をつけない人はおよそ7割にのぼります。岡部さんも最初はその1人でした。
「寝たきりになった自分に、生きる意味はあるのか」
そんな意識を一変させたのが、ALS患者の橋本操さんとの出会いでした。橋本さんは人工呼吸器を装着しながら、当事者団体の運営や国会議員への陳情など、精力的に活動していました。
橋本操さんと岡部さん
「こんなにひどい病気なのに明るく生きている人がいることを知って、びっくりしました。自分もあんなふうに生きられないかなと思ったのが生きてみようかなと思い始めたきっかけです」(岡部さん)
人工呼吸器をつける。生きることを選んだ岡部さんは、自らも先頭に立って、ALS患者の権利を守る活動に奔走することになります。
2016年5月 衆院厚生労働委員会での参考人招致に出席した岡部さん
そんな岡部さんが今、もっとも大切にしているのが、“あなた”に会う旅。岡部さんは、ほかのALS患者たちに会うために全国を飛び回っています。月に20日以上も外出し、「日本一外出するALS患者」と言われることもあります。ただ「生きる」こと、その信念を伝えるために、これまで300人以上の患者の元を訪ねてきました。コロナ禍の今も、リスクを冒して患者に会い続けています。
この日、公園で待ち合わせたのは酒井ひとみさん(41歳)。2人は9年前からの知り合いです。
屋外で待ち合わせした酒井ひとみさんと岡部さん
岡部:お待たせしてごめんね。ひとみさんかっこいいな。
酒井さんの介助者:「そんなことないですよー」って言ってます。
岡部さんは、酒井さんに写真撮影をお願いしていました。自らが運営するNPO団体のチラシに掲載する広報写真です。
「今日の本当の目的はひとみさんがあまりにも元気がないので、こちらから頼みごとを作って引っ張り出したのです。最近、ひとみさんの症状が進んで精神的にも落ち込んでいるので外の空気を吸わせたかったのです」(岡部さん)
かつて酒井さんも、人工呼吸器をつけるかどうかで思い悩んだことがあります。
発症したのは27歳のとき。「幼子を抱えたまま呼吸器をつけたら、母親としての自分はどうなってしまうのだろうか」。不安と恐怖に襲われました。
子どもと写真に写る若い頃の酒井さん
「気管切開の手術をすると声も出せなくなる。果たしてそれで夫婦、親子関係はこれまで通り維持できるのだろうか。生き続けることに本当に意味があるのだろうかとずっと考えていました」(酒井さん)
そんなとき、ALSの患者会で岡部さんと出会いました。
酒井さん
「岡部さんと出会って、はじめてコミュニケーション方法を知りました。岡部さんが伝えたいことをヘルパーさんが代わりに発しても、不思議と岡部さんが話しているように記憶されました。それは夫と私にとって大きなターニングポイントでした」(酒井さん)
岡部さんに会った翌週、酒井さんは人工呼吸器をつける手術に臨みました。
長女が成人を迎えたときの家族写真
それから9年が経った今年、酒井さんの長女は成人を迎えました。
最近、病気が進行し、眼球の動きが悪くなってきたという酒井さん。不安が募る毎日ですが、そんなとき、いつも気にかけてくれるのが岡部さんです。
酒井:とてもうれしかったです。(岡部さんは)心の支えになってくれる大事な存在です。
「こうやって一緒の時間を積み重ねることによって生きようかなと思っていくことが多いのです。『1人ではないよ』と伝えて、私は患者と一緒の時間を過ごしています」(岡部さん)
この1年、岡部さん自身の病状も急激に進行していました。もし眼球が動かなくなれば、言葉での意思疎通ができなくなってしまいます。
「病気が進行しているのを感じるときは、絶望感にとらわれて『死にたいな、もう頑張れないな』と思うことがあります。私を支えてくれているのは、ALSによって発信ができなくなった患者です」
そう語る岡部さんが、希望を見失いそうになったとき、いつも会いにいく人がいます。
12年前にALSを発症した、加藤眞弓さん(68歳)です。
岡部さんからの花束を受け取る加藤眞弓さんの介助者
岡部:今日はお菓子でなくてお花にしました。どうぞ胃ろうからも召し上がってください。間違えました。眺めてください。
加藤さんの次女・絵美さん:ありがとうございます。ではさっそく、胃ろうから(笑)。
9年前に初めて出会ったとき、すでに加藤さんは会話ができない状態でした。それでも、家族やヘルパーたちの表情が明るいことに岡部さんは胸を打たれたといいます。
岡部:ここには何となく幸せを感じられる何かがあると思いました。なんか、ふわっとしてるでしょ?
絵美さん:岡部さんの言ってることに共感しますか?(かすかに動いた加藤さんの唇を見て)あっ、すごい共感してる。
かすかに唇を動かす加藤さん
ALSを発症しても、聴覚は最後まで残ると言われています。家族やヘルパーは、常に声をかけ、細かな反応から加藤さんの気持ちを汲み取ろうとしています。
「もしも眞弓さんの周りが歯を食いしばって生きさせているという感じなら、私はつらくなってしまうと思うのです。重い障害を持っていてもそれが必ずしも不幸かというと、そうではないことを眞弓さんとこの環境が作り出しているのだと思います。眞弓さんを見ていると、発信は難しくても生きているのはありだと思えます」(岡部さん)
3年前にALSと診断された、佐藤裕美さん(50歳)は、岡部さんが今、とくに気にかけている人です。
佐藤裕美さん
病気になってから書き始めたブログ。ALSを抱えながら生きることへの不安が、記されています。
佐藤裕美さんのブログ「書くこと。生きること。」
「24時間自分の『生』を見つめて生きています。自分は、家族はこれからどう生きたらいいのか」
「そして私の生きるこの『社会』とは一体何なのか」
(佐藤さんのブログ「書くこと。生きること。」より)
今年4月。医師から呼吸器をつけるかどうか、家族と相談しておくようにと告げられました。
佐藤さん
「もうずっと経ってるのに、ずっと決まらないまま。そこまでして生き続けたい世の中かな。ずっと生きていたいって思えるものがここにあるのかなって」(佐藤さん)
佐藤さんの心をかき乱すのは、1年前の京都ALS嘱託殺人事件です。「動かない身体で生きる意味はない」という女性の訴えに多くの人が同調し、安楽死を認めるべきではないかという声も沸き起こりました。そんな社会の風潮に対し、佐藤さんはこう綴りました。
「私はこの話題に触れるたび、大急ぎで耳をふさぎ、ギュッと目を閉じたくなります」
(佐藤さんのブログ「書くこと。生きること。」より)
「あなたが生きるとすごく負担がかかる人がいますよとか、家族は大変ですよとか、医療の資源、社会保障の資源とか、いろんなものをこういう人はすごく使うんだということを言いたがったりする人だとか。私たちが生きることに対しては希望的な議論がない。尊厳ある死を語るんだったら、尊厳ある生を語るべきであって、同じように語らなければ違う」(佐藤さん)
今年2月、佐藤さんは知人の紹介で岡部さんと知り合いました。そして呼吸器をつけるかどうか、揺れ動く気持ちを伝えました。
岡部さんは、佐藤さんが好きな山のぼりに誘ったりしてはその思いに耳を傾けてきました。
佐藤さんの自宅の鳥
岡部:「ただ生きている」ことを動物とか鳥から感じますよね。
佐藤:感じますよね。今、楽しいことをめいっぱいやってるんだろうなと思って。こんなふうになれたらいいなと思うときがよくあります。きっと先のことを考えて、今がこわばっちゃうみたいなことってあんまりなくて・・・。今は今でいちばんしたいことをしてるんだろうなと思うと、こうありたいなと思うことはあります。
岡部:私も本当にそう思います。ただひたすら生きていければいいなと。ほかの生き物はみんなそうなのに人だけはそうもいかないな。
佐藤:読んだり考えたり書いたり、どうしたらいいんだろうってずっと思っていることではあって、自分なりの形で抗いたいなというのはいつもすごく思うんです。
岡部:いいですね。時間をかけて発信していってください。裕美さん、あと30年はいけるよ。
「真っ暗闇で1人で立っていると思っていたら、となりに人がいたことにハッと気づいたみたいな。それで心強くもなったり、また新たに考えることもあったり・・・。そういう感じがします」(佐藤さん)
ただ生きているだけで、価値がある。それを受け入れた先に、生きる意味も見えてくるかもしれない。
同じALS患者の“あなた”に会う旅を重ねながら、岡部さんもまた、『生きる』とは何か、自らに問い続けています。
岡部さん
「『生きる』にはふたつあると考えています。ひとつは生きることそのものです。もうひとつはその生存の上に立って『どうやって生きていくか』ということです。ときとして人間は、ひとつ目の『生きる』を忘れてしまいます。『どうやって生きていくか』だけで価値を断定しがちですが、まずは生きることそのもの、生存していることがその前提にあるのです。生存こそが『尊厳』であることを考えてほしいです」(岡部さん)
【特集】生きたいと言える社会へ
(1)相模原事件から5年 “わたし”からの問いかけ 前編
(2)相模原事件から5年 “わたし”からの問いかけ 後編
(3)京都ALS嘱託殺人事件から1年 “あなた”に会う旅 ←今回の記事
※この記事はハートネットTV 2021年7月7日放送「特集 生きたいと言える社会へ 第2夜~京都ALS嘱託殺人事件から1年 “あなた”に会う旅~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。