【ネット時評 : 城所岩生(国際大学GLOCOM)】
国家戦略の視点でフェアユース導入議論を
前回このコラムで、「グーグル・ブック検索」をめぐる和解案が数々の法的問題を含んでいるにもかかわらず、米国政府はそれらを修正して和解に導くよう裁判所に要請していることを紹介した。その背景には、かつてIT企業が経済のけん引役となった状況の再来をねらう、米国の「夢よ再び」戦略がある。では、以前の「夢」はどのようにしてかなったのか。それを検証した上で、そこからわが国は何を学ぶべきか、どういう問題を抱えているかを考えてみたい。
米国の「フェアユース」産業
米国コンピューター通信産業連盟(CCIA)は07年9月、「米国経済におけるフェアユース~フェアユース関連産業の経済的貢献」と題する報告書を発表した。
フェアユースとは、使用する目的が公正なものであれば著作物の複製をしてもよい、という、包括的な権利制限規定である。オリジナル作品の市場を奪わないなど、4つの要件を総合的に勘案し、フェアユースに当たると判定されれば著作権侵害にならない。
この報告書では、フェアユースの恩恵を受ける産業の具体例として、著作権のあるプログラムの私的複製を可能にするコンピューター関連機器のメーカー、学校などの教育機関、ソフト開発業者、インターネットサービスプロバイダーおよび検索エンジンなどを挙げている。フェアユースは著作権のある著作物が対象となるが、報告書はそもそも著作権の対象とならないデータを扱う保険業や証券業などもフェアユース産業に含めている。このため「06年の付加価値額は米国GDPの6分の1を占めた」などという表現は割り引いて考える必要があるが、経年比較によって、そのトレンドは把握できる。
また、フェアユース産業が過去20年間に飛躍的成長を遂げ、米国経済に大きなインパクトをもたらした、という記載もある。メディアとしてのインターネットの開発と普及が、グーグルやアマゾンといったニュービジネスを創造し、他の経済分野の需要を喚起したというのがその理由だ。フェアユース産業は経済成長率を上回る成長を遂げており、02年から06年までの間の米GDPの成長に対して、金額ベースで5兆70億ドル、割合で18.3%に上る貢献をしているという。06年には労働者の8人に1人に当たる1080万人を就業させたそうだ。
さらに報告書が伝える06年のフェアユース関連産業の従業員1人あたり生産性は12万8000ドルと、全産業平均の9万ドルを大きく上回る。輸出も02年から06年にかけて50%近く増加。特にインターネットやオンラインサービスを含む通商関連サービスの輸出は、02年から05年にかけて全産業の中でも最も高い年率65%の成長率を達成した、としている。
この報告書の対象産業は広範なので、これをIT産業ととらえればわが国との比較が可能となる。07年4月の経済財政諮問会議資料は、「米国では2000年以降、流通・運輸や金融等のIT利用サービス業が全体の労働生産性上昇に大きく貢献している一方、日本では寄与が小さい」「日本の労働生産性の米国とのギャップは90年代半ばにかけて縮小するも、90年代後半以降、米国の加速により米国の7割程度の水準にとどまる」などと指摘している。フェアユース産業を含むIT産業がけん引した米国と、それがなかった日本との差とも言えよう。
以前、本欄の「ブック検索騒動で日本の書籍デジタル化は加速するか」で紹介したように、ブック検索サービスは書物の歴史に「グーテンベルグ以上の大変化」をもたらす革命的なサービスである。だからこそ、米国政府もグーグルがこれを世界に広め、サブプライム問題で地盤沈下した経済復活の救世主となることを期待しているのである。
報告書はフェアユースがインターネット経済の土台になっている例として検索サービスを挙げ、裁判所もこれをフェアユースと認めてきた点を指摘している。検索エンジンは索引や検索結果の表示データを作成するために、ウェブページの全文を複製して、サーバーに一時保存(キャッシュ)する。著作権侵害のおそれが大きい複製だが、一部複製では検索サービスが成り立たないことや、検索サービスの社会的有用性に鑑み、フェアユースを認めてきたのである。この著作権法の例外規定がなければ、検索エンジンは著作権侵害の責任を問われ、価値あるサービス提供に支障をきたしたはずであるとしている。その典型的なケースがわが国の検索エンジンである。
日本の検索サービス―失われた15年
検索エンジンは、日本でも米国と同じ1994年に誕生した。著作権法にフェアユース規定のある米国では、ウェブページを許諾なしに複製しても、フェアユース規定によって抗弁可能、と考え、複製されたくない場合にはその旨を表示する技術的回避手段を用意するというオプトアウト方式で対応した。これに対して、フェアユースのないわが国の検索エンジンは、著作権侵害の恐れを回避するため、事前に検索するウェブサイトの了解を取る、オプトイン方式でサービスを開始した。
検索サービスは情報の網羅性、包括性が命であるだけに、両者の差は決定的といえる。案の定、わが国の検索サービス市場では現在、日本の著作権法が適用されない米国内にサーバーを置く米国勢が圧倒的シェアを誇っている。中国や韓国では国内勢が圧倒的シェアを占め、米国勢が苦戦を強いられているのと対照的である。下記の表を参照されたい。
遅まきながら事の重大さに気づいた政府は、09年の著作権法改正で個別権利制限規定を追加し、検索サービス事業者は日本国内にサーバーを置いてサービスを提供できるようになった。今回の改正で、検索サービス事業者が日本の著作権法が適用されない海外にサーバーを置くことにより、通信費等がかさむなどのハンデは解消する。しかし、ネット市場では先に市場を押さえたプレーヤーが一人勝ちする傾向が強い。国内勢全部合わせても10%に行くか行かないかというレベルから、シェアを取り戻すのは至難の業である。
当初、マスコミに「日の丸検索エンジン」と騒がれた経済産業省の情報大航海プロジェクトも、3年目の今年度で最終年を迎えるが、日本勢のシェアを巻き返せそうな勢いは感じられない。対照的に自国での圧倒的シェアで力をつけた中国、韓国の検索サービストップ企業は、日本市場への進出を足がかりにグローバル・プレーヤーに育ちつつある。失われた15年はあまりにも大きい。
対症療法の限界
フェアユースのような包括的権利制限規定を持たないわが国では、個別の権利制限規定を必要の都度、追加することで対応してきた。しかし、アナログ時代に作られた著作権法へのこうした対症療法的な政策には限界がある。検索サービスだけを例にとっても以下の問題点が指摘できる。
まず、アーカイブ(文書保存)である。米国の非営利団体インターネットアーカイブは、過去のウェブページをアーカイブする「ウェイバックマシン」を運営している。このウェイバックマシンに対する著作権侵害訴訟は提起されていない。非営利団体で、かつ歴史的資料の保存という社会的に意義のある目的を果たしているため、当然フェアユースが成立すると思われるからだ。今回、日本の著作権法改正で認められるのは検索エンジンのサーバーへのキャッシュ(一時保存)までであって、ウェイバックマシンのような永久保存は認められない。われわれの過去のホームページを見るのも米国の民間団体のサービスに頼らざるを得ないのである。
アーカイブの問題は「ブック検索騒動で日本の書籍デジタル化は加速するか」で見た、国会図書館のデジタル化にもかかわる。今回の著作権法改正で著作権者の許諾なしにデジタル化できる対象は広がったが、権利者や出版社などとの合意で、デジタル化しても館外には出せない。これに対し、韓国は今年5月に国立デジタル図書館を開館した。世界初のデジタル情報専門図書館で、有益なウェブ情報も保存する。わが国はウェブ検索サービスだけでなく、アーカイブや書籍デジタル化でも他国の後塵を拝しているのである。
次にブック検索。著作権者らは許可なく書籍を複製することは著作権侵害だとして訴えた。グーグルは検索可能にするために書籍全文を複製するが、表示するのは数行の抜粋だけで、フェアユースであると主張した。フェアユースの抗弁が認められるかどうかについては、1年前の和解案発表直後の本コラム「『ネットも本も』」覇権握るグーグル(上)――図書館プロジェクトで著作権者らと和解」で勝算はかなりあると指摘した。この訴訟は集団訴訟であった。集団訴訟は和解で決着するケースが多いが、和解によって計り知れないメリットが得られることもあって、グーグルは和解案に合意し、裁判所の承認を求めた。しかし、訴訟が続けば、フェアユースが成立すると見る米国の識者も多かったのである。
わが国への示唆
今回の著作権法改正の最大の目玉とされるウェブ検索サービスの適法化ですら、立法化に15年かかった点で"Too Late"であり、アーカイビングやブック検索サービスをカバーできないという点で"Too Little"なのである。
検索サービス以外にもフェアユース規定の有無が日米で明暗を分けた新技術・新サービスの実例は枚挙に暇がない。これについては10月14日の日本経済新聞「経済教室」への寄稿で代表的な例を挙げて紹介したので、ご関心ある読者は参照されたい。繰り返すが、必要の都度、個別権利制限規定を追加する対症療法的な改正では技術革新の時代に追いつけない。予測不可能な技術革新にも柔軟に対応できる、フェアユース規定のような権利制限の一般規定の必要性は高い。
政府の知的財産戦略本部が6月に発表した知的財産推進計画2009は、デジタル・ネット時代に対応した知的財産権制度を整備する施策の一環として、権利制限の一般規定(日本版フェアユース規定)の導入を掲げ、今年度中に結論を得て、早急に措置を講ずるとしている。これを受けて、文化庁の文化審議会は、著作権分科会の法制問題小委員会で検討中である。
ブック検索サービスに米国再生の夢を託す米国のしたたかな国家戦略に対抗すべく、わが国も情報大爆発時代の社会インフラ化した検索サービスの育成、書籍デジタル化への対応など国家戦略の視点でフェアユース導入を議論すべきであろう。
<筆者紹介>城所 岩生(きどころ いわお) |
2009-10-26 カテゴリー : ネット時評 , 城所岩生(国際大学GLOCOM)
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