ノーベル賞受賞が決まり、喜びを語る益川さん(2008年10月7日、京都市北区・京都産業大)

ノーベル賞受賞が決まり、喜びを語る益川さん(2008年10月7日、京都市北区・京都産業大)

 ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英さんが29日までに、81歳で亡くなった。京都大名誉教授、京都産業大名誉教授。益川さんは科学者の立場から軍事研究への荷担に反対してきた。その背景には戦争の体験があった。2017年の京都新聞インタビューに、研究者の倫理や平和への希求を、京大で先輩教員にあたる湯川秀樹博士への複雑な思いを語っていた。

 「終戦は5歳ぐらいで記憶はない。名古屋市内の神社の近くに住んでいたが、3月の大空襲は鮮明に覚えている。B29は高度1万メートルを飛ぶが、日本の高射砲は7千メートルまでしか届かない。歓迎の花火を打ち上げているようなものだった。焼夷弾が自宅の屋根を突き破り、目の前に転がった。不発弾で助かったけれども周囲は焼け野原。リヤカーに家具や布団を積んで火の海の中を両親と逃げ惑った」

-防衛省は科学者に研究費を支給する「安全保障技術研究推進制度」を本年度、110億円規模に一気に増額したが。

 「ベトナム戦争では米国はジェイソン機関でノーベル賞級の科学者を集めて軍事研究させた。日本の防衛省が公募した研究テーマをみると、軍事色は薄いが、一度研究費が支給されると防衛省との関係ができてしまう。技術者は『戦争の道具を作るわけではない。民生でも使える』と言うだろう。だが、その後に防衛省に一本釣りで誘われ、ずるずると巻き込まれてしまう。科学への研究費が減っていることも背景にある」

-京都新聞の取材で、終戦前後の湯川日記の内容が明らかになった。中間子理論で日本人初のノーベル物理学賞を受賞した湯川博士は、理論物理学者として京都大教員の先輩にあたる。

 「戦時中、京大の研究は技術的に原爆を作れる段階には至っていなかった。湯川さんとしゃべった時には一度も原爆について話したことはない」

-戦時中、京都帝国大が行ってきた軍事研究についても疑問を持つ。湯川秀樹博士も京大で海軍の原爆開発「F研究」に参加していた過去が、日記の新資料で裏付けられた。

 「亡命ユダヤ人学者シラードがナチス・ドイツの原爆開発に抗するために予防的にアインシュタインの署名で米国に書簡を送った。だが、米国により原爆が投下され、アインシュタインはその事を恥じた。京大の原爆研究は、流れとして決してやらざるを得なかったという研究ではない。もっと積極的だったと考える」

 「湯川さんは原爆開発に関して具体的なことはしていないと思う。だが著書には、自分の研究が日本の大東亜共栄圏建設につながる道であるといった内容が書いてあった。湯川さんは初めから反戦主義だったわけではない」

-戦後の科学者の反省と反戦運動とは。

 「湯川さんは米国でアインシュタインと会った時に原爆で多くの人が死んだとアインシュタインが涙を流して謝り、反戦主義になったとされている。だが、湯川さんはいつを契機に反戦主義者になったという宣言はしていない。最後はしっかりと反戦主義者になっていた。ある数学者は戦後、『自分は戦争をやめろと言わなかった。それを自分は恥じる』と書き残している。僕はそれを正しいと思う。でも湯川さんはそういうけじめをつけてはいない」

-京大の教職員や学生有志が今年3月末、米軍や防衛省の研究費を拒絶する方針の明確化を求めて京大総長に提出した署名にも名を連ねた。

 「僕は名古屋大で最初から反戦の空気の中で育ち、自然と平和主義者になった。戦後、どこの大学も反戦の雰囲気があった。日本学術会議ができたのも戦争の反省があったからだ。しかし、今は日本学術会議も雰囲気が変わってしまった。会員の選挙をやめて、現会員が次の会員を選ぶ。とんでもないことで、元に戻すには違う組織をつくらないといけない。今は科学者が戦争を意識しなくなってしまった」

 「戦争賛成ではないが軍事研究を警戒すべきとは思っていない人や、軍事研究に抵抗感がなく、研究費が出るならやるという人はいる。かつて若手研究者は政治問題に敏感で、社会の状況に反応していた。今はそういう議論に対して拒否反応を起こす。我々科学者は戦争がどういうものか、国民に注意を喚起していく必要がある」

-民生技術用と軍事技術用の両義性をうたう「デュアルユース」の危うさとは。

 「1970年代に高層ビルが池袋にできた。周辺住民からテレビ映りが悪いと苦情が出て、ある会社の技術者はペンキの中にフェライトという磁石の粉を混ぜ込んで電波吸収材としてビルに塗った。その後、同様の技術がステルス戦闘機に使われた。塗料を作った人は戦争のために技術が使われたとやっと分かる。科学者は研究室にこもって研究している時が最も楽しいが、世の中の動きを注意深く見ないといけない。科学者は外に出て社会で何が起こっているか理解することが必要だ」