ピリオド

このブログ、2013年に始まって、今に至るまで、3000件の記事を書き、そのうち500件は未公開か書きかけの記事です。

 

3000件。

 

よくまあ、書いたものです。短文の制限があるツイッターではなく、そこそこ長い文章ですもんね。

そろそろ閉じる潮時のような気がしてます。
今の調子を延々と継続するのではなくて、です。
公開した文章は2500件になりますが、それが消滅したところで、わたし的には喪失感は特にないです。
そもそも、ブログやツイッターのような体系立てることが難しい媒体で、技術的な話題を取り上げる事自体が不適応だと、書きながらずっと思ってました。
どうせ書くのなら、読み返せる技術書としても役立つような媒体にしたいですし。
まあ、あれだけ大規模なジオシティーズだって、ある日をピリオドにしてスッと消えたんだし。
それでも世界は普通に回ってますしね。
このブログにもピリオドは必要です。

二値化の未来

今の制作現場の技術は、彩色工程だけでなく、多くの工程で、二値化ありきで技術がバランスしているな‥‥と思います。

 

実は演出や絵コンテの時点で、無意識に「二値化ゆえの技術」に期待しているのが解ります。

 

二値化だから可能な撮影処理とか、二値化だから可能な作画のセル分けとか、もはや制作現場は二値化ベッタリで、二値化ができなくなると演出もままならない状態に追い込まれる作品も結構多いと思います。

 

しかし、未来の映像技術・高品質フォーマットの観点で見ると、二値化が技術進化を鈍化させている現実は否めません。

 

 

 

どんなにペンタブで表情豊かな絵が描けようと、アニメには無縁。‥‥と言って過言ではない現実です。

 

そればかりか、二値化で頭の中がガチガチにフィックスされているので、何を考えるにも二値化視点で技術を捉えようと「無意識」に行動しがちです。

 

たしかに二値化は便利ですよね。特に撮影作業においてはかなり便利です。

 

カラーキー一発でマスクが抜けるなんて、他のジャンルじゃあり得ないですもん。

 

日本のアニメ制作事情以外では、どんなにベタ塗りに見えても、境界線には中間調が含まれている事がほとんどなので、アニメの現場以外でカラーキーを使う場面なんてあまり想像できません。‥‥もしかしたら、そう言う意味(=全体的には今やほとんど使わない)もあってAfter Effectsでは「レガシー(昔のプラグイン)」扱いなのかな。カラーキー。

 

現行の演出・原動画・仕上げ・特効・撮影‥‥と、どうしても二値化依存から抜け出せない構造が、知らず知らずのうちにできてしまいます。

 

 

 

このように書くと、「二値化は悪だ」と早合点する人もいましょうし、逆に余計、意固地になって二値化に固執する人も出てくるでしょう。

 

大人気ないし、子供じみた視点です。

 

技術の本質から外れています。

 

二値化&スムージングのフローは、今までの日本のアニメ業界の膨大な作品制作数を振り返れば、極めて優れた技術と言えます。

 

しかも、コミック・漫画のインクトレス線と近似性が優れているので、コミックのアニメ化には最適です。階調線だと逆に不適です。

 

 

 

もし悪があるとすれば、それは、「人のココロ」です。

 

二値化じゃないとアニメが作れない

 

二値化をベースにしてこそアニメ制作技術だ

 

‥‥と思い込む人の考えかたです。

 

ゼロ戦で一躍太平洋の覇者になって過信して、最後は爆弾を抱えて自爆攻撃を繰り返していた国民性が、アニメの技術にも発動されているように感じます。

 

高々度を飛行可能な過給器の実用化ができず、水冷エンジンの量産化もままならず、ジェットエンジンの開発は世界で最後発で実験段階の域を出ず‥‥で、技術や戦略の研究を軽んじ、精神論と個人の技量任せの戦い方では、どこかで行き詰まることの辛さは、嫌というほど日本人の歴史に刻まれているはず‥‥なんですけどね。

 

1つの物事を過信することは、かなり危ういことだと、300万人の死(第二次世界大戦での日本人死者数)から、自ら学びましょう。

 

 

 

二値化一本槍ではなく、他の技術の広がりと可能性を併せて考えてこそ、二値化は未来にも有用な選択となり得ます。

 

二値化は、心中するための道具ではなく、クールに描線を表現する道具の1つです。

 

あくまで、多く存在する中の1つ。‥‥フラットに捉えてこそ、二値化を未来も変わらず有意義に活用できます。

 

 

 

2020年代は、二値化だけでなく様々な線画のニュアンスも獲得し、その上で、改めて「二値化再発見」ができると良いですネ。

 

 


使い慣れ。

私はmacOSを常用していますが、その一番の理由は、自分のスキルとライブラリを最大限に発揮できるからです。あくまで「自分の」です。

 

なので、全くゼロから裸一貫から再スタートを切るのなら、WindowsでもLinuxでも良いのです。

 

ただ、そんな必要はないでしょう。今まで蓄積したスキルとライブラリを有効活用すれば、効率的に日々の諸々を遂行できます。

 

 

 

ごく自然な、合理的な判断に基づくものです。

 

誰しも、自分のスキルとライブラリを足場にすれば良いです。

 

 

 

アニメ制作は文字通り、アニメを制作する業務ですから、コンピュータを管理するサーバ会社ではないです。

 

つまり、クリエイティブのためにコンピュータは存在し、作品制作を効率的におこなうためにコンピュータの管理が必要です。

 

決して、コンピュータ管理のためにクリエイティブや作品制作が存在するのではないです。これはキッパリハッキリといつも頭に留めおく基本です。

 

 

 

私はmacOSでは、たとえばフォルダやその中のファイルのリネームなどは数分で自動処理のプログラム文(スクリプト文)を書けます。

 

デバッガーがなくても、適当なテキストエディタで書けます。日本語のように覚えているので、いちいち文法チェックは必要ないのです。

 

しかし、Windowsで私は同じことはできません。もちろん、Windowsでも自動処理をサクっと作ることは可能でしょうし、嗜んでいらっしゃる方も多いでしょう。

 

もしWindowsで、私がmacOSでできることをやろうとすると、何らかのShell実行環境、もしくはJavaScriptで動作する自動処理のソリューションのインストールが必要です。(既にそれらはOSが実装してるのかも?)

 

グローバルな言語〜英語のようなShell Scriptを使えば、私にとっての日本語のようなmacOSを使わなくても、自動処理は可能になります。

 

 

 

なぜ、私は日本語を使っているのでしょう?

 

それは日本に生まれて、日本語を使って日々を生きてきたからです。

 

なぜ、私はmacOSを使っているのでしょう?

 

それはMacintoshで映像制作をスタートして、macOSを使って日々の映像制作業務をしてきたからです。

 

つまり、状況なのです。

 

シューキョーじゃなくて、ジョーキョー。

 

 

 

絶対に公用たるWindowsを使うべきだ。‥‥と言う人が、日頃、英語を常用しないのは失笑を誘います。

 

言語はさ‥‥、その人が使いこなせる言語を選択すれば良いじゃないさ。

 

 

 

macでもWindowsでも宗教のように盲信している人はいますよネ。

 

盲信する必要はないです。

 

あくまで合理的に、自分の今までの経緯=スキルとライブラリの状況をジャッジして、自分が一番能力を発揮できる環境を選択すれば良いです。

 

1種類に集中独裁‥‥なんて、戦前戦中の軍国主義やファシズムみたいのは、明確に避けていきましょうよ。

 

Ein Volk, ein Reich, ein Führer ‥‥なんてまた繰り返す?

 

 

 

統一して効果があるのは、フォーマットであって、環境じゃないです。

 

環境を統一すると、多面性や多様性が阻害され、正面しか厚みのない、斜め横スキだらけの防壁になりますヨ。管理面では都合良いかも知れませんが、それによって失う作品制作の多様さを考えるのも必要です。

 

流通するフォーマットを策定する一方で、制作会社や個人が最大に能力を発揮できる環境を各々構築するのが、まさに作風も表現も技術も多彩な日本‥‥になり得ると思います。

 

 


9話。

「ぶらどらぶ」が以前から放送・配信されているようで、私も微力ながら参加しております。

 

ぶらどらぶは、第9話が印象的です。30分枠でまさかの総カット数40カット。(正確なカット数は記憶が曖昧ですが、40か60だったと記憶します)

 

‥‥そんな大胆な絵コンテを切れる人はそうそういませんね。

 

押井さん・西久保さんコンビは、前代未聞の1話数十カットでも飄々と関わって怯まず、歴戦のベテランは肝が座っていて頼もしく感じました。

 

 

 

私は、システム課の同僚さんと2人で模型制作に勤しみ、本番の素材としました。

 

私が作ったのは、F-2Aと哨戒艇で、同僚さんには、16式とB-2、対空自走砲を作って貰いました。

 

以下は、その撮影風景です。アニメ制作会社の一室なので、即席です。

 

 

 

 

ブルーのバックは、After EffectsのKeyLightで簡単に抜けます。抜け切れない部分は手切りのパスで。

 

F-2Aはハセガワの1/4816式はタミヤの1/35です。どれもディテール感がちょうど良いです。

 

 

 

撮影の素材なので、塗装はグレー仕上げです。ウェザリングや墨入れは控えめです。

 

サーフェイサーのグレー、またはタミヤのXF-19「スカイグレイ」で塗装し、PhotoshopやAfter Effectsで加工しやすいように仕上げます。

 

*下地は成形色の上に筆塗りで青銀と赤銀を、わざとムラを残して塗っておきます。上塗りする塗料の下から良い具合に透けて見えます。

 

*1/72では絶望を感じる小ささのHUDですが、1/48なら塗装できます。とはいえ、細かいのが苦手の私には辛い作業です。

 

 

 

 

これらの素材を撮影して切り抜いて、カットアウトで動かしました。

 

カットアウトで動かす際に、元になる素材は、平面レイヤーを切り抜いたパスの絵でも良いし、自分で描いた絵でも良いし、こうした模型を撮影した素材でも良いし、工夫とアイデア次第で活用できます。

 

まさに「止まっているものを動かす」醍醐味が味わえます。

 

アニメーター=線画描き限定ではなく、広義の「動かす人」であっても良いと思うのです。

 

 

 

被写界深度の問題があるので、iPhoneでは撮影は難しいです。一眼レフはどうしても必要になり、各種交換レンズも必須です。

 

模型撮影は深度が浅くなりがちなので、F値を絞れるレンズ、明るい照明、しっかりとした三脚の三点セットが欠かせません。

 

カット内容に合わせるために、広角から標準〜望遠を使い分けます。‥‥なので、撮影する場所もある程度は広さが必要になります。

 

一眼レフは、HDR合成用のブラケティング撮影(露出を変えて複数撮影する)が可能で、しかもデジタル一眼レフだとフィルムのコマ数の制限が実質存在しないので(RAWでも1枚のカードに1000枚撮れれば困ることはない)、素材撮りにはうってつけです。

 

 

 

ぶらどらぶ9話はもともとユニークな内容ゆえに、模型カットに限らず全カットにおいて作り方がユニークでした。

 

そしてそのユニークさが完成画面に表れているので、興味のあるかたはどうぞ。

 

 

 

*模型ストックには、F-15モドキきもあります。墜落したハインドも。

 

 


After Effectsの基本機能で

Perticle Systems II で、色々なエフェクト表現が可能なのは、前回の記事の通りです。

 

After Effectsには、その他にも、基本機能だけで山ほど可能なことが存在します。

 

例えば、これ。

 

 

 

 

簡素な絵なら、After Effectsだけですぐに絵を描いて動かすことが可能です。「平面レイヤー」「シェイプレイヤー」という機能で、元の絵が作れます。

 

これができるのですから、当然、以下のような手描きの絵も動かせます。iPadのドローソフト(Procreateやクリスタ)で描いた元ネタの絵です。

 

 

 

動かすと、以下のようになります。

 

 

 

 

そして、背景(写真加工)やカメラワーク、撮影効果を加えれば、After Effectsと自分ひとりで、全ての工程を作業して映像を完成できます。

 

 

 

 

After Effectsの基本機能を使いこなす前から、ミラクルなツールや完成物を期待しないほうが良いのです。

 

「自動中割り」ではなく、「自分で動かす」気概をまず持ちましょう。

 

基本機能・標準装備を使って、習熟度が向上すれば、以前は「そんなこと、できると思わなかった」ミラクルへと繋がっていきます。

 

上のサンプルムービーは従来のアニメっぽい絵柄ですが、「この絵が動かせるとは考えていなかった」ような絵まで、動かすことが可能になるでしょう。

 

 

 

After Effectsは「撮影さん」のツールだと、思考停止していませんか?

 

After Effectsはアニメーターが使うに値する、アニメーションのソフトでもあるのですヨ。

 

タイムシートとレイアウトに「パーティクル」と書くだけで、あとは撮影さん任せでは、アニメーターの「絵を動かす職」が泣きます。

 

カメラワークは撮影さん任せで良いでしょう。カメラマンにカメラを任せるのですから。

 

しかし、カメラに写る動く被写体まで、撮影さんに任せっぱなしで、アニメーターとして本当に良いのかな? ‥‥元ネタの線画を描くだけがアニメーターの仕事ではないでしょう。

 

アニメーターが使うツールとしても、After Effectsはまだまだ可能性をたくさん秘めています。

 

 

 

自分の今できることの限界や閉塞感を突破するために、様々な技術の可能性を探りましょう。

 

2020年代はそれができる時代です。

 

可能性を生かすも殺すも、アニメーター本人次第です。

 

 


perのやつ。

私のパーティクルの主力は、After Effects標準装備のPerticle Systems II です。様々な表現が可能です。

 

パーティクルにレイヤー画像を適用したい時は、やはり標準装備のプレイグラウンド、どうしても高機能なニーズがある場合にTrapcodeのパーティキュラーの登場となります。

 

なぜ、標準装備を優先的に用いるか?

 

大体のことは、標準装備で事足りるからです。

 

そして、サードパーティ製のプラグインを無闇に使うと、互換性がダダ下りになるからです。

 

After Effects基本装備だけで表現できれば、互換性は良好です。After Effectsにもバージョンは存在するので、完璧とは言えませんが、「このプラグインがない」「あのプラグインがない」と警告され絵が壊れるようなことがないです。

 

誰かに技術をレクチャーする際にも、あれをインストールしてこれもインストールして‥‥ではなく、After Effectssさえインストールしてあればすぐに解説できます。

 

 

 

実際、現在作業中の仕事は、Perticle Systems II をメインで使っています。

 

煙も炎も水も魔法も衝撃波も、ほとんどがPerticle Systems II で作成可能です。

 

桜の花びらを無数に散らしたり、自分で描いた雪の粒を降らせたりするのは、Perticle Systems II では機能的に無理ですが、他の標準装備のエフェクトとの組み合わせで、極めて複雑な表現も可能です。

 

 

 

多分ね‥‥。Perticle Systems II は第1印象が良くないんでしょうね。

 

これね。

 

 

 

 

Lineが噴水のように吹き出す初期設定のアニメーションから、様々な自然現象や空想のエフェクトをイメージできるのは、そこそこキャリアがある人でしょうから、特に初心者は「使えねえな」と雑に判断しちゃいます。

 

Perticle Systems II は、パーティクルにしてはパラメータが少ないので、慣れてくれば初期設定を1分くらいで完了して、すぐにアニメーション表現に取りかかれます。フットワークが軽いのです。

 

そりゃあ、LineやTriPolygonがそのまま使えるわけはないです。Perticle Systems II のパーティクルの粒がそのまま使えることは極めて珍しい事例です。

 

Perticle Systems II は小麦粉のようなものなので、「必ず練って加熱して使う」のです。小麦粉をそのまま食べ始める人はいないですよネ。茹で上がった練り物を、そのまま何も付けずに食べることもないでしょう。かならず、汁かソースなど、他の具と合わせて「料理」として作って、食べます。

 

練って茹でて、味付けしたのは、以下。元ネタは、上図のLineのパーティクルです。

 

 

 

 

これをそのままにLineから別のパーティクルに変えてみます。例えば、TriPolygon。

 

 

 

 

熱々のソースから、冷製に変えてみましょう。

 

ブルートーンに変更するだけで、同じネタでも随分と変わります。もはや、Perticle Systems II の初期イメージは跡形もなく、何か魔法のエフェクト表現のようです。

 

 

 

 

パーティクルはそれそのままでは材料のままです。

 

材料をどのようにして「調理」するかが、「シェフ」の腕の見せ所です。

 

私は手軽な「薄力粉」で作り始めるが好きなので、Perticle Systems IIを愛用しています。

 

たとえ、スタート地点が「使えそうもないLineのパーティクル」でも、上図のように如何様にでも作り込むことが可能です。

 

しかも、Perticle Systems II はシンプルなので、作業時間もちゃちゃっとフットワーク軽く進行します。After Effectsに標準装備されているので、直近10年のどのバージョンのAfter Effectsでも使用可能です。

 

 

 

TrapcodeやVideoCoPilotのプラグインは美麗で素晴らしいですよね。FormやMirは、Trapcodeならではの表現です。

 

でも、それがなければ美麗な映像が作れないわけではないです。

 

工夫次第で、基本装備でも美しくかっこよい映像は作れます。

 

まずは基本装備・標準機能を使いまくってみることです。

 

スキルや腕っ節は、別売の何かでどうこうなるものではなく、自分で育んでこそ。‥‥です。

 

 


投資は人の為ならず

情けは人の為ならず。

 

これは「人にかけた情けは、巡って、自分への情けとして返ってくる」という意味です。

 

決して「情けは人のためにならない」という意味ではないので、勘違いしないでおきたいですネ。

 

 

 

情けだけではないです。

 

他者への投資は、巡りめぐって、自分への投資となる

 

何かに投資したことは、やがて自分への投資につながり、自分の能力に還元されます。

 

 

 

ソフトウェアのサブスク。

 

今でも、「買い切りが良い」「サブスクは悪」とかの論調を目にしますが、本当にそうでしょうか?

 

 

 

まず、サブスクに限らず、実際に自分が体験していないことを、伝聞やネット情報を鵜呑みにして、さも体験したかのように錯覚する人は結構多いように思います。

 

サブスクを悪者扱いする人は、実際にサブスクを体験したことはなく(もしくは体験版など僅か)、「毎月お金が徴収される」というところに過剰反応しているように思えます。

 

サブスクでソフトウェアが最新の状態に保たれ、購入当時のバージョンに縛られない状況は、果たして、悪でしょうかね?

 

 

 

一度、ソフトウェアを買ったからには、できるだけバージョンアップの追加費用なしに使い倒す。

 

最初に払ったお金だけで、その後の全てを賄おうとする。

 

これは、本当に良いことでしょうか。

 

ソフトウェアを使いこなして仕事をする人が、例えばクリスタの月額1000円を支払わず、最初に買った数万円のお金だけでその後は一切課金しない行為は、長期的な視点を欠いているように思います。

 

 

 

ソフトウェアのサブスクリプションは、サスティナブルな開発を支援するのと同義です。

 

時代とともに変動して変化し続ける、コンピュータやネットの世界に適応するように、ソフトウェアはメンテナンスとアップデート、時にはバージョンアップも必要になるでしょう。

 

その際に、開発のお金が必要です。

 

 

 

サブスクを悪に見立てて、買い切りを善にする人って、結局、限られたスキル止まりのように思います。

 

だって、ソフトウェアを1バージョン買ったら、それで停止状態になるんでしょう?

 

つまり、ソフトウェア会社にお金をできるだけ支払わないことが、巡り巡って、自分の能力への投資にもお金を支払っていないことにもなり得ます。

 

 

 

ソフトウェア会社とユーザは、一蓮托生です。

 

ソフトウェア会社に「一度買ったソフトは永遠に無償アップデートせよ」なんて要求したら、関係性は崩れます。

 

ソフトウェアの開発を続行し、セキュリティアップデートやバージョンアップなど、様々なリアルタイム対応を望むのなら、私はサブスクが最適と思います。

 

共倒れしちゃ、元も子もないですよネ。

 

 

 

それに‥‥1ヶ月10,000円なら躊躇するでしょうが、クリスタ1ヶ月1,000円に「高い!」とか言う絵描き職業の人って、どういう稼ぎ方をしているのか、もし個人事業主なら機材運用に大問題を抱えている‥‥と推測します。

 

クリスタで仕事をして稼いでいるのに、1000円の使用料・投資金を支払えないのは、ナゾ過ぎて、家計簿を見てみたいです。

 

つまり、クリスタはインストールしてあるだけで、実際はあまりクリスタでは稼いでないのが、見えてきます。使ってないソフトなら、そりゃあ、1000円だって惜しいでしょう。

 

毎日使っていて、それで自分の年収を支えているソフトウェアなら、機能維持&更新の側面を有するサブスクに対して、容易に悪だの善だの言えないと思うんですよね。長所と短所をしみじみ実感することはあるでしょうけどネ。

 

 

 

アドビのAfter Effectsの不具合には最近困りましたが、アドビスイートの全体を見てみれば、月6000円で全てのソフトウェアが使えるのは、その昔に各ソフトのバージョンアップ費用に苦しんでいた身としては、格段に運用しやすくなりました。

 

After Effects、Photoshop、Illustrator、DreamWeaver、Premiere、Audition、InDesign、etc‥‥。これらをまともに個別バージョンアップしてたら、月6000円の積み立てでは到底追いつきません。

 

考え方を変えれば、Adobe CCを契約しておけば、色んな場面で、色んな仕事が出来る業務基盤を形成できます。

 

加えて、個人の自主プロジェクトも推進可能です。自分だけのスキルを獲得するのに、サブスクゆえの高機能はうってつけです。

 

 

 

情けは人の為ならず‥‥ですが、買い叩きは人の為ならず‥‥です。

 

他を買い叩けば、やがて、自分自身が買い叩かれる立場に追い込まれるでしょう。

 

ソフトウェア会社の開発スタッフも、使用するユーザーも、霞を食べて生きている仙人ではない‥‥のは、同じです。

 

「私は一度お金を払ったのだから、この先ずっと、私のために無償で提供せよ」と要求するのは、開発者に「霞を食べて生きていけ」と言うのと同義です。

 

価格設定の是非はあるでしょうが、サブスクそのものを「悪」という論調は、やがて自分の絵描き業務にも禍を呼び込むように感じます。

 

 

 

コンピュータを使いこなす絵描きにとって、ドローソフトの機能維持は、ライフラインと同じです。

 

ガス電気水道と同じように、自分が生きていくためのインフラです。

 

そして、自分の能力やスキルが成長していくためにも、ドローソフトのアップデートやバージョンアップは足並みが揃っていて欲しいです。

 

であるなら、共に成長するために何が必要か。

 

サスティナブルな関係性が必要‥‥ですネ。

 


カットアウト、色々

エフェクト作画は凝ったことをすると、すぐに動画枚数が膨らんで、300枚600枚に容易に及んで、1000枚を超えることすらあります。

 

エフェクト作画は、野放しにすると、全方面に金がかかるのです。時間も金のうちです。

 

なので、エフェクト作画は節約の対象になります。

 

節約の悪手は「書き込み」です。普段なら別セルにする要素の数々を、1枚に書き込んで「上辺の枚数を節約」するわけですが、これは動画に重度の負担がかかるので「悪手」と表現した次第です。

 

今は二値化の画像で素材を作るので、なおさらです。‥‥二値化はマスクが極めて容易に抽出できるので、煙と破片と炎T光とビームT光を1枚に描いて分離することすらできます。‥‥書かされる動画マンの身になって考えれば、地獄ですよネ。

 

 

 

少なくとも私はもう、「キングボンビーのなすりつけあい」みたいな制作構造には加担したくないのです。

 

ゆえに、エフェクト作画は真先にカットアウトへと技術転換しました。

 

カットアウトなら、例えば1000枚かかる凝ったエフェクト作画が、数枚の素材で可能です。しかもその素材のほとんどは動仕不要です。

 

 

 

そんなに節約できるのか‥‥と言われそうですが、カットアウトは節約のための技術ではないです。

 

枚数制限なしに、アニメーターが絵を動かすためにあります。

 

「何枚かかるか」という足枷なしに、自分の思うように動かすための技術です。

 

「動画枚数」という概念自体がないので、枚数超過を気にすることなく、とことん絵を動かせます。

 

プラグインとも違います。

 

爆発のエフェクトはシミュレーションではなく、モーションを全てアニメーターがコントロールできるのが、プラグインエフェクトと全く違うところです。

 

しかし、そうした本質ではなく、付随の「枚数節約」だけが一人歩きして受け取られがちです。

 

ゆえに、技術的な解説は一般の目に触れる場所では、ほとんどおこなっていません。

 

安く完成させるための方便に使われるのはわかりきっているので。

 

 

 

実際、「自動中割り」という言葉に多くの人は何を期待しているのか、ちょっと考えてみれば、わかりますよね。

 

なので、「誰でもカットアウトをやってみよう!」なんていう初歩技術の記事は書けないし、書くべきでもないのです。

 

 

 

自分だけでどうしても思い通りに動かしたい人は、必ずハードルを超えるでしょうしネ。

 

ただ、情熱があっても、いくつかのハードルを超えられない人もいるかも知れません。そういう人には、どんどん教えていきたいのですが、どこでどうやって教えるかが難しいです。このブログでは不特定多数過ぎて、前述の通り危ういですしネ。

 

カットアウトはとにかく膨大なキーフレームを制御するので、例えば、頻繁に用いる操作は定型スクリプトにしてショートカットに割り当てて、瞬時に呼び出せるようにしないと、容易に物量に押し流されて時間を消費します。‥‥とはいえ、作画だけをやってきたアニメーターが、スクリプトをすぐに扱えるようになるわけはないです。

 

絵作り以外のところで結構つまずくのです。挫折して心折れるポイントです。

 

 

 

しかし、ハードルを超えれば、欧米とは全く違う作風のカットアウトが作れるでしょう。

 

ディズニーとは違うアニメを日本は作りましたよね。

 

カットアウトだって、同じことが起こります。

 

 

 

ちなみに、欧米のカットアウトは今や、360度回転までできるようになって(巧妙な仕組みで)、「紙芝居」と揶揄している日本人の手描きのアニメのほうが、紙芝居っぽい枚数制限に縛られていることすらあります。

 

技術の発達した欧米の人々が「その手があったか」と気づく前に、日本流のカットアウトを実現したいんですけどね。

 

とにかく、扱えるアニメーターがあまりにも少ないので、どうにもならんです。‥‥増やそうとしても、安普請根性で阻まれるし。

 

 

 

数年前の私とは違って、今は心境が変化してまして、「もし日本がカットアウト技術をマスターしなくても、それは運命だな」と思うようになりました。

 

しょうがないよね。

 

やらないんじゃ、お話にならんもん。

 

 

 

今どきのゲームは、アニメが手放してしまった要素が盛り沢山です。

 

アニメが忘れてしまった多くの要素がゲームには含まれています。

 

怪獣、ヒーロー、勇気団結勝利、動物愛、知らない国々への冒険、etc‥‥。

 

昔のアニメの定番でした。

 

近年の「内輪受けネタとラッキースケベ」が主軸の作品もあって良いと思いますが、もっと他の作風も増やさないと、本当に内輪受けだけで衰退していくように私は感じるのです。

 

そんな中、ほんの1分のパイロットだけでも、カットアウトで数人で作って、新しい作品表現の可能性を探ることは、2020年代の今は可能です。作画枚数がどうしても重荷になる作り方ではないからこそ。

 

でもなあ‥‥カットアウト自体を敬遠しているような状況では、可能性を探る以前の話‥‥です。

 

 

 

No Fate。

 

‥‥と思いたいですが、運命は決まってるのかな。

 

枚数をいっぱい描くことだけが動かすことと同義で、その枚数の膨大さゆえに単価も安く時間もかかり、新しい作風へは切り込めず、自己模倣を延々と繰り返すだけで新しい映像フォーマットにも対応できない。

 

やっぱり日本では無理なのかな。

 

 

 


エフェクトは自分で

エフェクト作画のイメージがあるのなら、2020年代はもはや、自分でコンポジットまでしたほうがストレートでダイレクトだと思ってます。

 

エフェクトのアニメーションを実現するのに、線画で止まる必然的な理由はあまり感じません。

 

After Effectsなりのコンポジットソフトウェアを使えるようになって、素材をゼロから自分で作って、自分の思う通りに動かせば、動画さんに単価に見合わぬ大変な作業を強いることもないですし、割り間違いも原理的にゼロですし、仕上げさんが割り間違いを修正しながら細かい塗り分けのペイントすることもないですし、問題点の多くが払拭できます。

 

何よりも自分の思い通りに最初から最後まで表現できるのが良いです。

 

エフェクトの作画を30年以上前から描いてきた私としては、動仕の負担をゼロにして、かつ、画面の揺れや照明効果に至るまで、思った通りのエフェクトが表現できるのは、まさに願ったり叶ったりの状況です。

 

 

 

エフェクトを作画した人なら、原理は理解できると思います。

 

エフェクトの最初単位のオブジェクトを、線画で作画スタートして作るのではなく、After Effectsの平面レイヤーで作れば良いのです。

 

こんなふうに。

 

 

 

これを無数に組み合わせれば、以下のようになります。

 

 

 

 

え?あの団子でこれを??‥‥とか引く人もいましょうが、いやいや、動画作業はこれを1つ1つ追いながら描く作業ですから、そっちのほうが大変です。

 

もう何度も掲載したサンプルムービーですが、この作業は2008年でしたから、10年以上前の話です。当時のAfter Effectsで出来ました。

 

まあ、いかにも大変そうなサンプルなので、まずは簡単なヤツを。

 

 

 

これは5年くらい前に作った教材的な素材です。

 

ガンエフェクトだけでなく、キャラも含めて、「カットアウト」です。カットアウト入門にはちょうど良い内容です。

 

半日でゼロからここまで出来ました。曲解する人が多いので制作時間の速度の話はあまりしたくはないですが、作る本人に映像のイメージがあれば、線画から最終までいっきに完成します。もちろん、ひとりで効率的に作業を進めます。数人で分担すると、経由の時間も含めて5〜10日くらいはかかるんじゃないでしょうか。内容もただ飛び出して撃つだけですし、監督チェックもありませんし、キャラに凝った処理もないので、作業時間が短縮できただけです。

 

 

 

エフェクトは冷遇されるんですよ。

 

まあ、しかたないんですけどね。

 

時間が限られて切羽詰まっていれば、エフェクトの完成度よりキャラの完成度を優先するのは、どの作品でも同じです。

 

でも、エフェクト作画を担当する身としては、苦渋の日々です。苦労しても報われない。

 

なので、自分でゼロから最後まで作るようになったのです。

 

必要は発明の母です。

 

 

 

エフェクトを最後までかっこよく作りあげたいのなら、ぜひ、素材作りのゼロからスタートしてフィニッシュまで自分で担当するスキルを身につけてください。

 

そうすれば、エフェクト以外でも色々と仕事ができるようになりますしネ。

 

 


フリッカーの除去

大判3コマ作画にPANのカメラワークが加わると、盛大なフリッカーが発生する問題。
 

そもそも大判で作画する‥‥と言うことは、ほとんどの場合、カメラワークが付随するでしょうから、その時点でフリッカーの危険性を孕んでいると考えるのが良いです。

 

 

 

大判作画で、フリッカーが発生しないケースは、止めの大判です。巨大ロボットの決めポーズ(止まった状態)を下から上に見上げるカメラワークなら、どんなに大判でも「3コマの動きに絡んだフリッカー」は発生しません。‥‥だって、止まって動いてないですからね。

 

巨大ロボをPAN UPして、カメラが止まった後ならどんなに動いても、カメラワークと衝突しないので、フリッカーは発生しません。

 

つまり、絵コンテの工夫で3コマ作画+カメラワークのフリッカーは、ある程度(=カットの設計が回避策を許せば)は元から抑制できます。

 

 

 

大判作画で3コマで動いている最中に、カメラワークが既についている場合。

 

BG組みや着地点が見えていないレイアウトの場合なら、フリッカーのチラつきは除去できる可能性が残されています。

 

ただ、100%解決可能ではないですし、大判作画のそれまでの苦労が水の泡になりますし、コンポジット作業者の負担になるので、良い解決方法ではないのですが、紹介しておきます。

 

まず、PANの際にしゃくりのないフルモーション(1秒24コマにおける1コマ作画)の動きです。3コマの動きではないので、1コマで動くカメラワークと衝突しません。

 

 

 

しかし、これは現場では現実的とは言えません。

 

フリッカー抑制のために、まさか大判で1コマ作画を連発するわけにはいくまい。

 

 

 

なので、都合、3コマの動き+1コマのカメラワーク。「Flicker」の輪郭がしゃくってチラついています。

 

 

 

相変わらず、輪郭のガタつきが酷いですね。

 

どんなに苦労して原動仕を作業しても、安く作った感じになっちゃいます。

 

まあ、この「Flicker」の文字がブレながら動くのは、可笑しくて味があるとも言えますが、それはあくまで「怪我の功名」であって、いつでも通用するものではありません。

 

 

 

じゃあ、どうするか。

 

誰でも一度は考えてみる、安易に解決するための、悪手はコレ。カメラワークを3コマにする方法です。動きのタイミングを作画とカメラ両方とも3コマにします。

 

 

 

画面全体がチープになりますネ。

 

3コマ作画は、1コマで動くカメラワークの中でこそ、いつものアニメになるのです。

 

全体を3コマ=8fpsにしてしまったら、20年以上前のゲーム機(プレステ1とか)のアニメパートよりフレームレートが低いです。

 

よく言えばパタパタとあどけなくて可愛い‥‥とも言えますが、かっこよさとシャープな切れ味が求められるカットだと、台無しですネ。

 

 

 

では、どうすれば良いのか。

 

こうします。3コマ大判作画を切り取って、スタンダードサイズ作画と同等に変えてしまいます。

 

 

 

作画は3コマ、カメラは1コマ。‥‥いつもの感じです。いわゆる「スタンダードサイズの作画+BG・BOOK引き」と同じ状態・結果です。

 

この状態をして、「解決できたじゃん」とか安易に言うのは、ダメですよ。

 

何のために大判で作画したのよ。大判の苦労が全くの水の泡です。だったら、最初からコンパクトなスタンダードサイズで作画しておけば良かったのです。

 

大判で原動画を描き、大判で彩色して仕上げて、挙句の果てに撮影でスタンダードサイズで切り取る手間もかけて‥‥と、「苦労のマッチポンプ」です。

 

なので、この方法はできるだけ封印したほうが良いです。レイアウト時点からちゃんと見通して無駄な大判作画を回避することが良策です。

 

なんでも「こうすれば回避できるよ」と情報を垂れ流すことだけがネットの役割ではないでしょうから、実際はどうやるかはここでは解説しません。いまどきの撮影さんなら少なからず対応しているでしょうしね‥‥。

 

ちなみに、BG組みなどの位置合わせ、足の接地などが見えている場合は、2コマ目・3コマ目にズレてしまいますので、前述した通り、100%解決可能ではないことを補足しておきます。

 

 

 

そもそも1秒間を24分割程度しかしない、フィルム由来の24コマのモーションには、そこかしこに限界と制限が存在します。

 

24コマは万能ではありません。

 

むしろ、24コマは制限だらけです。

 

iPadですら、120fpsのこのご時世、24コマで映像を作るには、制限と障害を回避する専門の映像分野の知識が必須です。じゃないと、時代にどんどん遅れてチープな状態へと化し、「先人の遺物」になっていきます。

 

アニメ制作を愛し、24コマを愛するのなら、アニメと24コマの技術をもっと深く学びましょう。そして、映像制作にフィードバックするのです。

 

でもまあ、「俺は愛してねえし。金稼ぐのにちょうどいいだけだ。技術なんてめんどくせえ。」と言う人もいるでしょうから、全員参加にはならんでしょうね‥‥。残念ながら。

 

そういう人々は別にして。

 

アニメが未来に劣化することなく、社会から忘れ去られることもなく、アニメを生涯作り続けたいのなら、24コマ・24fpsの特性を理解し、むしろその弱点を魅力に変えていくくらいの気概をもちたいですね。

 

 

 



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