ここでは私家版の中国論『橘玲の中国私論』でどんなことを考えたのか、かんたんに紹介してみたい。
中国を旅していつも感じるのは、「中国人として生きていくのは大変だ」ということだ。なぜなら、あまりにも中国人が多いから。
私はかつて、中国人の知人から次のような愚痴を聞いたことがある。
人間の記憶力には限界があり、日本でも中国でも「有名大学」と聞いてひとびとが思いつく数はたいして変わらない。日本だと東大、京大などの国立大と、早稲田・慶応などの私立大。中国だと精華大学、北京大学、復旦大学、上海交通大学など「国家重点大学」の上位校になる。
日本の人口が1億に対して、中国は13億もの国民を抱えている。それを考えれば、中国の大学ランキング100位は日本の大学ランキング10位に相当するはずだが、誰も「一流大学」とは思わない。中国では大学入試をはじめ、すべての競争が日本の10倍以上、厳しくなる……。
これが、本書の基本的なアイデアになった。
世界でもっとも「腐敗にきびしい社会」
ひとは幸福になるために(あるいは欲望を実現するために)自らが置かれた環境に対して最適な戦略をとろうとする。人口が少ない社会と、人口圧力がものすごく高い社会では、ひとびとの行動や考え方がちがって当然だ。中国が「関係(グワンシ)」の社会だといわれたり、中国市場で勃興する中小企業がライバルの模倣(それもしばしば違法なコピー)ばかりしているように見えるのも、人口圧力による過当競争を前提にしないと理解できない。
習近平政権になって汚職の摘発がきびしさを増している。これを見て、中国社会がいかに腐敗しているか揶揄するひとたちがたくさんいる。これは間違いではないが、しかしその一方で、中国が世界でもっとも「腐敗にきびしい社会」であることは失念されている。
これは別に、冗談をいっているのではない。
中国では贈収賄や業務上横領の最高刑は死刑で、実際に多くの官僚や経済人が毎年銃殺(または薬殺)されている。日本を含めほとんどの国では、経済犯が極刑に処せられることはない。
中国は国際人権団体から「死刑大国」との強い批判を浴びているが、共産党はどれほど欧米の“外圧”を受けても経済犯に対する極刑を廃止しようとはしない。これは一見、奇妙なことに思える。贈収賄で死刑に処せられるのは、たいていは高い官職にある権力者なのだから(そうでなければ巨額の金銭を受け取れない)、さっさと死刑を撤回してしまった方がはるかに自分たちにとって有利だろう。
ではなぜ、共産党は経済犯を極刑にするのか。それは人民が厳罰を求めており、法改正は共産党の正統性を致命的に傷つけることを知っているからだろう。中国では官僚は清廉潔白であるべきで、人民の信頼を裏切れば生命で償うのが当然とされているのだ。
だとすれば、問いは次のように立てられなければならない。
「これほどまでに腐敗にきびしい社会が、なぜ底知れぬ腐敗に侵されるのか」
こうした奇妙な“現実のねじれ”はほかにもある。
急激な経済成長にともなって中国はカネが万能の社会になり、犯罪が激増していると報じられている。こうした犯罪者集団は一般的に、“チャイナマフィア”と呼ばれている。
文化大革命の時代の中国はきわめて倫理的な社会で、売春婦はいなかった。日本の外交官のあいだでは、中国勤務になれば“外遊”と称してやってくる政治家に女を斡旋しなくてもすむとして人気があった。
それがいまでは、大学のキャンパスに「二奶(愛人)急募」のポスターが堂々と貼られるまでに“堕落”してしまった。麻薬や人身売買、金融犯罪なども同様で、多くの事件がメディアやネットを賑わしている。
しかしその一方で、実は現代中国には“チャイナマフィア”は存在しない。
中国は伝統的に秘密結社大国で、戦前の上海では青幇(チンパン)と呼ばれる秘密結社が裏社会に君臨し、戦後も台湾では竹連幇、四海幇、香港では三合会、14Kなどのヤクザ組織が跋扈した。だが中国共産党が支配した中国本土では、こうしたヤクザ組織はいっさい生まれなかった。
だとすれば、ここでも問いは次のように立てられなければならない。
「なぜ犯罪組織のない社会で、これほどまでに犯罪が多発するのか」
中国人が中国全土の民主化に賛同することはぜったいにない
ステレオタイプでは理解できないことが中国にはたくさんある。もうひとつの例として「民主化」を挙げてみよう。
香港特別行政区行政長官選挙の候補者指名制度をめぐり、2014年9月から香港の金融中心街を学生たちが占拠しはじめた。「雨傘革命」と呼ばれたこの民主化運動は世界じゅうで大きく報じられたが、中国本土で呼応する動きはまったくなかった。
これは中国共産党が情報を統制していたためだろうか。じつはそんなことはなく、中国のひとびとはネットなどを通じて香港の出来事を詳細に知っていたものの、それを冷たく突き放していたのだ。
なぜかほとんど指摘されないが、香港の民主活動家たちは“中国”の民主化を求めたわけではない。香港で完全な民主選挙を実現したとしても、それを全国に広げていきたいわけでもない。なぜなら、それがとてつもない災厄を招くことがわかりきっているから。
欧米のナイーヴなリベラリストが望むように、中国全土で民主的な選挙が行なわれたとしよう。そのとき確実に権力を握る方法は、沿海部と内陸部の人口比率を見れば誰でもわかる。“民主中国”の権力者は、沿海部の富を強権によって奪い取り、貧しい内陸部に分配することを公約したポピュリスト以外にはあり得ない。
中国人はみんなこのことを知っているから、(香港と同様に)上海人が上海の民主化を、広東人が広東省の民主化を求めることはあるかもしれないが、中国全土の民主化に賛同することはぜったいにない。香港の民主化運動が中国本土でなんの支持も得られなかったのは、それが本質的にエゴイスティックなものだということを見抜かれていたからだ。
その一方で、実は中国共産党自体が「民主化」を求めている――もちろんこれも冗談ではない。
温家宝元首相はことあるごとに民主化の必要を説き、“独裁”といわれる習近平も、中国は(中国型の)法治と民主化の途上にあると述べている。
民主政(デモクラシー)のもっとも重要な機能は、権力に正統性を与えることだ。ヒトラーを例に挙げるまでもなく、歴史上もっとも破壊的な独裁者は暴力によって権力を奪取したのではなく、民主的な選挙から生まれている――アフリカの独裁者のほとんどは選挙に勝利した者だ。
中国はもともと、宋の時代に身分制を撤廃し、科挙に受かれば誰でも士大夫=官僚になれるという世俗社会を世界に先駆けて実現した。このような“進歩的な”社会でひとびとが権力の正統を受け入れるのは、伝説をまとった王朝の創始者とその子孫――すなわち天命を受けた者だけだった。
“毛沢東王朝”は抗日戦・国共内戦の勝利と建国の神話とともに誕生したが、伝説をまとったのは鄧小平までで、それ以降の権力者は成功した士大夫=官僚にすぎない。中国共産党の最大の政治問題は、使い古しの“神話”以外に自らの正統を示すものがないことだ。
このように考えると、次のような奇怪な矛盾に気がつくだろう。
中国共産党が今後も権力を維持しようとすれば、彼らは自分たちの権力の正統を、(かたちのうえだけでも)“民主的な選挙”によって示さなければならない。すなわち、彼らは“民主化”を必要としている。
しかしこのような“民主選挙”を、香港をはじめとするゆたかな沿海部のひとびとはぜったいに認めないだろう。もしも中国が“民主化”するようなことになれば、ゆたかな地方はかつての軍閥のように事実上独立し、自らの権益を守ろうとするかもしれない。
おそらくこのことが、革命の正統性を失っても共産党支配が続く最大の理由になっている。中国のひとびとは独裁に苦しんでいるが、独裁を必要としてもいるのだ。
――現代中国が抱えるこんな“不思議”に驚きたいひとは、ぜひ本書を手に取ってみてください。
<橘 玲(たちばな あきら)>
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(ダイヤモンド社)『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)など。ダイヤモンド社から新刊『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』が発売予約中。
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