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 ◆雛形◆


 隆之介が申し出た一打席勝負を、西村も受けた。


「いいぞ」

「あざます」


 小さく下げた頭を上げたとき見えた隆之介の顔つきが、雛形の知っているそれと大きく違って見える。どこか懐かしさを覚えるその顔つきは、試合中見せるそれと同じだった。


 隆之介が労うように、ぺし、とヘルメットを叩いた。

 バットを渡すと、その場で何度か素振りをする。


「負けたら何してもらおうかな」

「いいすよ。何でも。野球部の雑用でも、パンイチで校内走っても。ただ、俺が勝ったら雛形のやつ、全部なかったことにしてください」

「いいぞ。別におまえにしてほしいことなんてねえんだけど、負けたらしばらく雑用頼むわ」

「わかりました」

「ヒット以上ならそっちの勝ちでいいか」

「はい。大丈夫です」


 捕手の先輩が「悪い、守備ついてくれ」と勝負が終わるのを待っている部員に言うと、グラブを持った七人の野手が定位置に就いた。




 ……登校するとき、昇降口で待っていた西村に声をかけられたのが今週の月曜のことだった。

 何の話かと訝っていると、人けのない部室棟のそばで西村は話を切り出した。


『オレ、毎週ってわけじゃないけど、日曜はあっちのほうにある爺ちゃんの家に泊まって学校来るんだわ。でな。昨日の夜、ちょーど駅出たところで、殿村と一緒にいるあんたが見えた』


 ドキリと心臓が嫌な跳ね方をした。


『……見間違い、じゃないですか』


 どうにか言ってみたものの、間違いねえよ、と自信を持った様子で返された。


『こんな時間に何してんだろうって思って様子窺ってたら……』


 具体的なことは何も言わず、西村はいやらしい笑みをのぞかせていた。


『先生にチクってやってもいいし、チクらなくてもいい。全部オレの気分次第だ』


 西村が携帯のディスプレイを見せると、そこには週刊誌か何かのように、隆之介とラブホテルに入る様子が写っていた。

 まだ一緒にいたかったとはいえ、どうして乗り過ごしてしまったんだろう。雛形は目の前が、真っ暗になった。

 それから西村は、写真をネタに脅してきた。所属する部活に迷惑がかかり、内申書にもこのことが書かれるだろう、と。

 自分の我がままのせいで、隆之介を困らせたくはない。


『どうしたら、いいですか』


 こうして一打席勝負を提案された。圧倒的不利は承知の上で、呑む以外に選択肢はなかった。




 雛形はヘルメットを戻し、内之倉とともにグラウンドをあとにして、勝負の行方を見守ることにした。

 騒ぎを聞きつけた運動部だったり、帰る途中だったりした生徒たちが、グラウンドの外側に集まりはじめていた。


「ねえ、すぎっち。けしかけてたけど、大丈夫なの?」


 西村が対戦前に投球練習をはじめた。パァン、と炸裂音にも似たミットの音が響く。向こうは本気を出すようだ。


「あいつ、ぶっちゃけ打撃は大したことないんだよ」

「え、ダメじゃん」


 はっきりと言う内之倉に、杉内が苦笑する。


「うん。投球に比べたら全然。四番ってわけでもないし主軸だったわけでもない。でも何て言うか……勝負勘みたいなのがあるんだよ、あいつ」


 まあ見てなよ、と杉内は顎をしゃくり、隆之介の足下を見て笑いはじめた。


「そういや、あいつ上履きだった。カッコつかねぇー」


 周囲が好奇の視線を送っているのに対して、杉内は心配してない様子だった。それどころか、むしろ頼もしげに視線を注いでいる。


 西村がどうしてわざわざ一打席勝負を提案したのか。雛形は疑問だった。

 逆転の目を残してあげたほうが見世物として面白いと思ったのか。


 自分が目当てなら、そもそもそんな提案はしなかっただろう。写真をネタに脅されれば、こちらは何もできないのだから。それに、隆之介との勝負も受ける必要はなかっただろう。


 隆之介は、打席に入る前に屈伸を何度かして、これが最後だというように、ブンッと小気味いい空気音を鳴らした。


「中学のときから辞めるまでの公式戦の結果を調べて、オレ、ふとおかしなことに気づいたんだ」

「おかしなこと?」


 雛形が尋ねると、杉内はうなずいた。


「数えてみたら、勝った試合のうちの半分以上、殿村が決勝点打ってたんだ」

「けっしょうてん?」


 耳慣れない言葉に、雛形と内之倉が首をかしげる。


「一対〇で勝ったらその一点が。サヨナラヒットも逆転打も、もちろん。そういう、勝敗を決する得点のことね」


 しゃす、と隆之介が小さく頭を下げて打席に入りバットを構えた。


「普段の打席はまるでダメだけど、勝敗を決める状況において、あいつほど頼りになる打者はいないよ」




 ◆殿村隆之介◆


 よく知った元チームメイトが守備について、いよいよ野球をしているって実感が湧いてきた。

 けど、バットってこんなに重かったっけ。


「トノ、別にオレたちゃ、学校一の美少女の水着マネなんて見てえわけじゃねえんだよ」


 打席に入ると、捕手の先輩がぼそっとこぼす。


「西村と付き合ってほしくも、もちろんねえ。トノだけなんだよ、西村がこんなにムキになるのって。たぶんあいつ、おまえに勝ちてえんだよ」


 口数は決して多くない西村さんのことを思い出す。その分、対抗心やライバル心を感じることは多々あった。後輩にポジション取られればいい気がしないのもわかる。

 雛形がいつか言ったように、俺が辞めたからエースになれた人――そう思われているのが癪なのかもしれない。


「……雛形さんの打席は、ちょっと大人げねえし誠実さもねえし、やり過ぎだわ」

「了解っす。じゃあ球種とコース教えてもらっていいすか」

「アホか。あくまでも真剣勝負なんだから不正はよくねえだろ」


 そっすよね、と俺は苦笑して担いだバットを立てる。


 初球は空振り。

 いい音を響かせたボールはミットに収まった。


 完全に振り遅れたな。

 本気じゃねえか。たぶん球速一三〇キロは出てるぞ。

 こっちはブランクあるのに、大人げねえ……。


 続く二球目。

 変化球で完全にタイミングを外されて空振り。

 あとがなくなった。


「いいリードするだろ、オレ」

「こんなにいいリードするとは、俺知らなかったっすよ」

「悲しいなぁ、バッテリー組んでたのに。青春してる間におまえもう忘れちまったのかよ」


 ひとつ大きく深呼吸をして、集中し直す。

 西村さんがサインに首を振り、やがてうなずいた。


 俺に勝ちたい、か……。

 サインに首を振る……ムキになるってことは、『そういうこと』なんだよな、たぶん。


 自分の心臓の音が周囲の音より大きく聞こえる。


 投手がモーションに入った。振りかぶり、ゆっくりと足を上げてボールを投げ込む。


 俺は踏み込んだ瞬間思いきりフルスイングした。





「ドキドキした」


 帰り道。

 隣を歩く雛形は、自分の胸を押さえて言った。


「ヒットだったね」


 快音とは言えない当たりで、今もまだ手に痺れが少し残っている。


「真っ直ぐめっちゃ詰まった」

「マッスグメッチャツマッタ?」


 聞き慣れないから呪文みたいに聞こえたらしい。


「何であれ、ヒットはヒット」

「結果的にそうなってよかったけど、どうする気だったんだよ。負けてたら」


 雛形は、自信満々にうなずいた。


「大丈夫。水着マネのほうを選ぶから」

「全然大丈夫じゃないと思うんですよねそれ」


「水着の上に制服かジャージを着るから、問題なし」

「は?」

「水着を着るっていう条件だけで、上に何も着るなとは言われてなかったから」

「一休さんかよ」


 何とっさにトンチ思いついてんだよ。


 雛形から、今週何があったのかすべて聞いた。相談しろよ、と思わないでもなかったが、俺を巻き込みたくないと思ったようだ。


「写真のデータ、消してもらった」

「うん。それならよかった」


 不意に雛形が立ち止まった。


「――――ざまぁーみろーっ!」


 両手を口元にやって大声で叫ぶと、相好を崩した。それから沸々と湧き上がってきた何かが堪えきれなり、笑いはじめた。


「何がそんなおかしいんだよ」

「痛快だった」


 嫌な思いをさせられてたわけだからな。


「隆之介も、嫌な気分になったはず」


 先輩だし、言い分も心情も理解できるから、雨の日の放課後は何も言い返さなかった。でも、やっぱり俺は顔に出やすいタチらしく、思ったことは雛形にはバレていた。

 今回あの人が出した条件も不快だったしな。


「多少はな」

「隆之介もやって」


 促され、誰もいないことを確認して、俺も同じように大声を出した。


「ざまーみろ!」

「声おっきい!」

「男子ナメんなよ」


「『ドキドキした』っていうのは、対決のときのことだけじゃないから」

「俺の打席は、自分の水着マネがかかった打席だったから、まあ、そりゃ無理もない」


 ううん、と雛形は首を振った。


「……そういう意味じゃ、ない」

「じゃあどういう……」

「いい意味の、ドキドキ」


 はにかんだように、唇を内側にしまって目をそらした。

 いい意味の、ドキドキ?


「それよりも、教えて」

「いいけど、何を?」

「杉内くんに聞いた。高校進学のときに、何校か特待生の話があったって」


 あいつ、余計なことを。


「どうして、うちだったの?」

「近いから」


 顔を背けたのに、雛形は俺の視界に入ってくる。


「近いから、選んだの?」

「そうだよ」

「他に、理由、ないの?」

「ねえよ」


 はっきり言うと、雛形が小さく膨れた。


「ふうん。そう」

「雛形は、どうしてうちを選んだんだ?」


 立ち止まる雛形を振り返ると、夕日に照らされた雛形は、真っ直ぐ俺の目を見た。


「好きな人が、その学校だったから」


 まじまじと見つめられることに慣れてないせいか、どきっとしてしまう。


「そ、そう。そりゃよかった」

「うん。よかった」


 にこりと笑うと、小走りで駆け寄って来て隣に並んだ。


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