横浜未来構想会議の提言で示された「横浜市長選後の住民投票」は“大きな流れ”となるか

今年8月8日告示、8月22日投票予定の横浜市長選挙に、現時点で10人が出馬を表明している。最大の争点と言われている横浜市へのIR誘致への賛否については、8人が反対、賛成は、現職の林文子主張と、福田峰之氏の2人のみである。反対の8人のうち、小此木八郎氏、山中竹春氏、田中康夫氏の3人は、当選後、ただちに中止・撤回することを打ち出している。

私は、自分自身としてはIRに反対とした上、選挙後に、住民投票条例を市議会に提出し、住民投票で市民の意見を確認した上で、IR誘致の是非を最終決定すること、すなわち「住民投票による決着」を掲げている(【横浜IR、住民投票による決着が不可欠な理由】)。

IR誘致と住民投票をめぐる議論は、新たなステージへ

7月20日に、10人目となる出馬表明を行った松沢成文参議院議員は、カジノ反対を明言した上、「カジノ禁止条例」を公約に掲げた。松沢氏も、IR誘致に反対を掲げて市長選挙で当選するだけではなく、条例案の市議会への提出と、可決成立というプロセスが必要だとする点では私と同様だが、提出する条例案が、松沢氏は「カジノ禁止条例」、私は「住民投票条例」であるところに違いがある。

このように、横浜IR誘致をめぐっては、市長選の出馬表明者の中で様々な意見がある中、横浜港湾協会前会長の藤木幸夫氏が会長を務める「横浜未来構想会議」が、昨日(7月22日)、オンラインでシンポジウムを開催した。そこでは、武田真一郎成蹊大学法科大学院教授が、「新市長はIR(カジノ)住民投票の実現を」と題して講演し、

「カジノ反対そのものを選挙公約にすることも考えられるが、横浜の住民自治の発展のためには住民投票を契機として市民がこの問題を熟慮することが望ましいと思われる。住民投票実施を公約とする候補者が市長に当選すれば、もちろん市議会は市長選で示された民意を尊重して住民投票条例を可決する政治的な義務を負うことになる。」

との見解を示した。

それを受け、シンポジウムの最後では、斎藤勁事務局長が、同会議の提言「横浜再生の基軸」に、「市長選後の、住民投票条例の市議会への提出」を追加することを同会議の役員会で決定したと説明した。

横浜市長選が、半月後に迫る中、IR誘致と住民投票をめぐる議論は、新たなステージに入ったと言うべきであろう。

反対派候補者間の意見の違いと、IR誘致を中止に追い込むことの「確実性」という観点から、議論を整理する

昨年12月、横浜の市民団体がIR誘致に反対して住民投票を求め、19万筆を超える署名を集めて議会に提出した。それを受けた今年1月の議会では、住民投票条例案は否決されたが、世論調査の結果等から、横浜市民の民意は「IRに反対」との見方が一般的だ。

しかし、林市長が2019年にIR誘致の方針を明らかにして以来、市議会での議論を経て、関連する予算が成立し、事業者の公募が開始され、資格認定も行われて、今年の夏か秋に事業者を選定して、区域実施計画を国に提出する、という段階に至っている。

IR誘致に反対する立場からは、横浜市民の民意に反するIR誘致をストップさせ、中止に追い込むことが市長選における最大の目標であることは明らかだ。

それを前提に、反対派候補者間の意見の違いと、IR誘致を中止に追い込むことの「確実性」という観点から、議論を整理しておくこととしたい。

前提として重要なことは、日本の地方自治体では、首長と議会議員を、ともに住民が直接選挙で選ぶという「二元代表制」がとられており、市長と議員の双方が民主的な基盤を持っているということだ。

市長選挙は、その一方である市長を選ぶ選挙だが、もう一方の市議会議員も、それぞれの区ごとに選挙という民主的手続きによって選ばれる。市長選の結果がどうであれ、IR誘致に対する市議会の賛否は、基本的に変わらないという状況を想定しておく必要がある。市議会の自民・公明両党が、これまで、IR誘致に反対する署名や世論調査の結果にもかかわらずIR誘致を推進してきたこと、IRを推進してきた内閣の一員だったにもかかわらず閣僚を辞任し、IR反対を掲げて出馬表明した小此木八郎氏の推薦を、市議会自民が見送り、自主投票としたことなどからも、市長選後においても、市議会が「IR誘致賛成」が多数を占める状況に、基本的に変わりはないことを想定すべきであろう。

そこでまず問題となるのが、反対派の出馬表明者8人のうち3人が掲げる、「反対派候補の当選によって、ただちにIR誘致撤回・中止を宣言し、現市長が予定していた事業者選定、区域実施計画の国への提出を行わない」という「市長選での決着」をめざすことで、IR誘致を中止に追い込む「確実性」があるのかという点だ。

IR誘致反対を掲げる候補者が乱立する状況においては、市長選挙の結果を受けての横浜市の対応が、IR誘致についての民意を反映したものにならない可能性が相当程度ある。

まず、賛成派の林文子市長が僅差で当選した場合、予定どおりIR誘致が進められることは言うまでもない。一応「IR取り止め」を掲げている小此木氏が当選した場合も、その理由は「IR誘致の環境が整っていない」ということなので、「その後、コロナ感染収束によって環境が整ってきた」などとの理由で、IR誘致を実施する方向に転じる可能性も十分にある。

「市長選での決着」を図ろうとすれば、市長選後の横浜市が、「IR誘致反対多数」の民意に反して、実施の方向に向かうリスクが相当大きなものとなることは避けられない。

また、IR反対派の候補が当選し、実際にIR誘致撤回・中止を打ち出した場合も、話は単純ではない。前述したように、これまでIR誘致を推進してきた市議会自民・公明両党の意見が変わらないとすると、市長選後の市議会では、それまで市長と市議会との間で重ねられてきたIR誘致実施の方向の議論を覆して不実施の方針に転じることの理由の説明が求められることになる。

その際、新市長は、IR誘致を実施すべきではないとする理由について、どのように述べるのであろうか。山中氏が「IR即時撤回」の理由としているのは、「ギャンブル依存症の増加、治安の悪化がデータによって明らかだ」ということであり、当選して市長に就任しても即時撤回の理由を同様に説明するのであろうが、それが根拠に基づかないものであることは、私の公開質問状への立憲民主党側の対応で明らかになっている(【横浜市長選挙、立憲民主党は江田憲司氏の「独断専行」を容認するのか〜菅支配からの脱却を】)。

田中康夫氏の現時点でのIR反対の理由も、「カジノIRは設けないということでコンセンサスがとれている」という程度であり、しかも、そのコンセンサスというのは「各種世論調査」に基づくものに過ぎない。このような説明で、IR誘致推進の自民・公明両党が納得して、IR誘致撤回に同意するとは考えにくい。

通常、市議会での市長を支えるのは市の執行部の役割であり、市長の答弁案も執行部が作成する。しかし、これまで市の行政は、IR誘致推進の方向で、議論と根拠を積み上げてきた。市長選の結果を受け、新市長がIR誘致撤回の方針を打ち出したからと言って、市執行部が一転してIR誘致に反対する十分な根拠を示せるとは考えにくい。結局、市議会で新市長は孤立することになりかねない。山中氏の場合は、SNS上で、支持者の人達がアップしている講演や街頭演説を見る限り、市議会での答弁能力が十分にあるとは思えないし、その点については卓越した能力を有する田中氏については、過去の長野県知事時代の前例からすると、不退転の姿勢が、市長と市議会との対立、市政の混乱につながる可能性もある。

IR誘致反対の方向に市長・市議会が一致して向かうとすれば、どのような方法を採りうるか

そこで、市長選挙の結果を受けて、IR誘致反対の方向に市長・市議会が一致して向かうとすれば、どのような方法を採りうるかである。

その一つが、松沢氏が公約に掲げる「カジノ禁止条例」であろう。

横浜市におけるカジノ設置を禁止する条例を制定することができれば、カジノ付きIR誘致が中止になるのは当然だ。

しかし、果たして、市議会自民党・公明党が、そのような条例案に賛成するだろうか。カジノ禁止条例を定めるというのであれば、条例制定上の根拠・理由が必要となる。それが、一般的にIR反対派が理由とする「ギャンブル依存症の増加」「治安悪化」などであるなら、実質的に容認されているパチンコ・スロット等との関係が問題となる。そのような条例制定が可能だとは思えない。

条例案を市議会に提出したとしても否決される可能性が高い。そうなると、打つ手がないということになるのではないか。

これまでの横浜市の執行部と市議会で重ねられてきたIR誘致をめぐる議論は、形式上は何ら問題はなく、それによって、IR誘致に向けての手続は最終段階に近づいているのである。それを覆す理由があるとすれば、適切な手続によって確認された「民意」以外にあり得ない。だからこそ、市長選後における住民投票という手続が重要となるのである。

「住民投票条例」による住民投票の実施を

そこで、私が掲げるのが「住民投票条例」による住民投票の実施なのである。

私が、市長選挙に当選した場合には、市議会にIR誘致の賛否を問う住民投票条例案を提出する。

それを、市議会が否決する可能性は低いと考えられる。

上記のように、今年1月に19万筆を超える署名提出による住民投票条例案を、市議会は否決した。しかし、その際は、林市長が、条例案について実質的に反対に近い意見を付している。また、市議会での条例案の審議における反対意見は、「まだ事業計画が固まっておらず、住民投票で民意を問うべき段階ではない」というのが、主たる理由だった。

今回、市長選挙後に新市長が提出する住民投票条例案は、まさに、市長選挙の結果を受け、「住民投票を実施すべき」という市長の意見を付し、IR誘致の事業計画の中身も具体的に明示した上で住民投票を行うことを定めるものだ。前回の住民投票条例案とは、前提が全く異なる。

しかも、6月の神奈川新聞の世論調査では、住民投票に賛成する意見は76%と、IR反対意見の71%より多い。市議会自民党にとっても、新市長が市長選後の住民投票を公約に掲げて当選した以上、住民投票条例案に反対することは困難だと考えられる。

それでも、自民党・公明党等の反対で住民投票条例が否決された場合には、新市長として「IR誘致不実施」の決定をすることになる。

市長選でIRに反対の意見を掲げた候補が当選した場合、それまでIRを推進してきた市議会とは対立状況となる。その対立について、住民投票で民意を確認した上で慎重に決定するために住民投票条例案が提出されたのに、市議会がそれを否決するというのは、執行権限を持つ市長に決定を委ねる趣旨と解することになる。新市長は、自らの意見にしたがってIR誘致不実施を決定すればよいということになる。

IRについての区域整備計画の提出は、市長の権限で行うものだ。市長が、それを行わない以上、市執行部は何も行いようがない。市議会では、住民投票条例案を否決し、民意を問うことを否定した以上、市長の決定に異を唱えることはできないであろう。

それによって、横浜IR誘致の問題は完全に決着するのである。

以上述べたとおり、IR誘致をめぐる問題を決着させるためには、市長選後に、事業の内容を具体的に示し、その目的、それが横浜市の将来にもたらすメリット・デメリット等を示し、市民に判断材料を提供した上で、住民投票を行うことが不可欠である。

未来構想会議の提言を受けて、市長選挙でIR反対を掲げる候補は、市長選挙後の住民投票への賛否の意見を明らかにすることが求められることになるだろう。

IR反対を掲げる候補のうち、小此木氏は、出馬会見で、IRを取りやめることの理由としたのは「IR誘致に市民の理解を得られていない」ということであり、「市民の理解の程度」を住民投票によって確認することに反対する理由はない。

松沢氏も、今年2月に「民主的プロセスを経ていない形でIRを強行するのは反対だ」と述べていたものであり、上記のとおり「カジノ禁止条例」が無理筋であることがわかれば、民主的プロセスを経る方法としての住民投票に反対する理由はないと思われる。

また、山中竹春氏は、出馬会見では、「IRは断固反対、即時撤回」と述べているが、一方で、「住民自治」「市民が決めること」を強調しており、推薦する阿部知子立憲民主党神奈川県連会長も、ツイートで、市長選後の住民投票に賛成の意見を示していることからも、前向きな姿勢に転じる可能性は高いと考えられる。そもそも、最適な方法で住民投票を行い、民意を正確に計測することは、データサイエンティストを標榜する山中氏にとって専門領域のはずである。

「市長選後の住民投票条例」が、今後、市長選をめぐる大きな流れとなっていくことを期待したい。

政党、団体には一切頼らず、「横浜市を、菅支配から市民の手に取り戻す」ことをめざし、市民の皆さんと一緒に戦っていこうと思います。是非、ご支援をお願いします。

公式ウェブサイトにてボランティア・寄附募集中! http://nobuogohara.jp

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横浜市長選挙、立憲民主党は江田憲司氏の「独断専行」を容認するのか〜菅支配からの脱却を

7月7日の記者会見で、横浜市長選挙への立候補の意思について、横浜市長選挙への立候補の意志を持って政治活動を行うことを表明(以下、「出馬意志表明」)したが、立憲民主党が推薦候補として擁立している横浜市立大学元教授の山中竹春氏が、野党統一候補として横浜市長となるのに相応しい人物であることが確認でき、私が掲げた重点政策に基本的に賛同するのであれば、立候補の意思は撤回し、山中氏を全面的に応援すると述べ、立憲民主党神奈川県連会長宛ての質問状も公開した。

しかし、その後の立憲民主党側の対応によって、出馬意志の「解除条件」とした「山中氏が市長に相応しい人物であること」「私の重点政策の受け入れ」のうち、前者の条件が充足される余地は全くないと判断せざるを得なかったので、7月16日の記者会見で、その経緯を明らかにし、改めて、明確に市長選への出馬意志を表明した。

同日の会見の内容は、YouTube《郷原信郎の「日本の権力を斬る」》に【7月16日 横浜市長選挙出馬会見】と題してアップしている。

会見では、山中氏批判に加えて、市長選出馬でめざす

  • 横浜市を、菅支配から、市民の手に、取り戻す
  • カジノに頼らない山下ふ頭の活用 生鮮食品市場を中核とする「食の賑わい施設群」フィッシャーマンズワーフを観光の起爆剤に!

についても述べている。後者については、この構想の提案者の市長選出馬表明者である横浜市中央卸売市場の本場で水産仲卸業「金一坪倉商店」を営む坪倉良和氏も会見に参加し、固い握手を交わした。

これまで、一貫して安倍・菅政権を批判し、国会での公述人、参考人陳述や、野党ヒアリングなどで野党側に協力してきた私としては、今回の横浜市長選で、自分自身の立候補によって反自民票が分散して自民党を利することになるのは、決して本意ではない。

しかし、今回の出馬意志表明までの経緯、そして、今回の立憲民主党側の対応等で山中氏について明らかになったことからすれば、私が、敢えて出馬意志を表明するに至ったことも理解して頂けるのではないかと思う。この二つの点について、詳しく述べたいと思う。

出馬意志表明までの経過

私が、立憲民主党側と、最初に、横浜市長選挙について話したのは、今年2月下旬、江田憲司氏がIR反対の統一候補者調整を中心になって進めていることが書かれた「現代ビジネス」の記事を目にして、江田氏と電話で話した際だった。私が、横浜市のコンプライアンス顧問として同市の行政に深く関わっており、市長選にも重大な関心を持っていることを伝えたところ、江田氏は、「参院広島に出馬しないことになった場合には、横浜市長選も考えてほしい」と言っていた。

その後、市長選挙で次々と名前が上がる与党側、野党側の候補者に、市長に相応しいと思える人物が全くいないと思えたこと、不適任の人物が市長に就任した場合に予想される「コンプライアンスへの重大な悪影響」は何とか食い止めたいと考えたことから、6月10日に、江田氏と電話で話し、「市幹部からは私の市長選出馬への期待もあるようだ」と言って、私も出馬を考えていることを伝えた。しかし、江田氏は、「素晴らしい候補者が複数手を挙げていて調整に困っている状況だ」と言っていた。その中には、横浜DNAベイスターズの初代社長の池田純氏も含まれていることを認めていた。

そして6月20日頃、「立憲民主党が横浜市立大学教授の山中竹春氏を、市長選挙に擁立へ」と報じられ、山中氏について、マスコミなどから情報を収集したが、市長に相応しい人物とは全く思えなかったことから、私自身が立候補を真剣に考えざるを得ないと判断し、その直後から、県連会長や党本部選対幹部など各レベルに、「7月6日の横浜市のコンプライアンス委員会までは顧問職を全うしたいと考えているので、市長選挙について自ら表明することはできないが、横浜市長選出馬に向けて覚悟を固めている」と伝えた。

6月24日には、横浜市に、7月6日のコンプライアンス委員会をもって顧問を退任することを申し出て、手続を終え、翌日に、ヤフーニュース記事で【横浜IRをコンプライアンス・ガバナンスの視点で考える】と題して、市長選の最大の争点と目されていた横浜市のIR誘致の是非について、コンプライアンスの視点から私の見解を述べた上、記事の末尾で、7月6日でコンプライアンス顧問を退任することを明らかにした。

そして、7月6日のコンプライアンス委員会の終了をもって、顧問を退任し、翌日に行ったのが冒頭に述べた「解除条件付き出馬意志表明会見」だった。質問状への回答によって、山中氏の市長としての適格性・政策の共通性が確認できれば私は立候補の意志を撤回すると述べているが、逆に、それらが確認できないようであれば、山中氏の擁立を再検討すべきとの趣旨を含んでいた。

このような会見を行うことについては、事前に立憲民主党福山哲郎幹事長とも面談し、質問状も渡していた。質問状を受け取った阿部知子県連会長からも、「必ず書面で回答させます」という丁寧なメールが届いた。

江田氏、青柳氏らとの面談

7月14日、立憲民主党江田憲司代表代行、青柳陽一郎県連幹事長、藤崎浩太郎横浜市議の3人が、私の六本木の法律事務所を訪れ、山中氏に代わって、回答の内容を伝えてきた。

私の第一の疑問は、山中氏は、横浜市立大学教授、データサイエンス学部研究科長、学長補佐の立場にあり、「データに基づく行政」についても提言できる立場にあったのに、なぜ、年度の途中で、突然、その職も、研究も、学生の指導も投げ出して、市長をめざす必要があったのかという点だったが、この点についての合理的な説明は困難とのことだった。

2つ目の質問は、出馬会見等で「データサイエンティスト」を標榜し、「IRによるギャンブル依存症増加、治安悪化がデータから明らか」「データに基づく市政」「データによるコロナ対策」を行うなどとしていたので、それがどのようなものなのか、具体的な根拠と内容を問うものだったが、青柳氏の説明では、いずれも、具体的な根拠や内容はなく、単に、選挙向けに「データサイエンスの教授」の肩書を使っているに過ぎないことを認めざるを得ないとのことだった(江田氏は、私の質問の趣旨の説明に苛立ち、途中、一方的に退席)。

これらの立憲側の説明からすると、独禁法違反行為の一つに、「欺瞞的顧客誘引」というのがあるが、山中氏が行っていることは「欺瞞的有権者誘引」のようにも見える。

そして、山中氏の市長としての適格性に重大な疑問を持たざるを得ないもう一つの事実として、ネットメディア「ニュースソクラ」等で問題を指摘されてきた、昨年8月に吉村大阪府知事らが行った、いわゆる「イソジン会見」で、データ解析者として山中氏の名前が表示されていた問題がある。

山中氏は、記者会見を開いて、「イソジンについての共同研究に加わっておらず、データ解析は行っていない」と述べたが、大阪府の開示文書では山中氏の名前が頻繁に登場し、イソジン会見当日の朝に、グラフ作成に関して研究者の松山医師とメールのやり取りをしていることを窺わせる記載もある。ところが、山中氏は、この件に、いかなる「関与」「協力」をしたのかは全く説明していない。

一方で、山中氏の出馬会見では、同席した江田氏が、山中氏のイソジン問題への関与を指摘するメディアや他の出馬表明者に対する法的措置をちらつかせた。

イソジンの問題は、山中氏にとって、公職選挙への出馬表明に関して強調している「データ専門家」の信頼性に関わる問題だ。ところが、「データ解析を行っていない」と形式的に否定するだけで、関与についての実質的な説明は全くなされていない。地元支援者多数を政府の公式行事の「桜を見る会」に招待していた問題で、当時の安倍首相が、「募ったが『募集』はしていない」と意味不明の答弁したのと同レベルだ。

この点についても、青柳氏と話したが、合理的な説明は全くなかった。

青柳氏は、7月15日夜に私に電話してきて「本当は、郷原先生と一緒になりたいんです。でも私の力ではどうにもなりません」と率直に話していた。

なぜ推薦候補者決定を急がなければならなかったのか

こうして、16日の会見で、私は、横浜市長選挙への出馬の意志を、改めて明確に示すこととなった。

既に述べたように、私自身が、今回の横浜市長選挙に立候補する意思があることは、県連、党本部など各レベルに伝えていた。それなのに、敢えて山中氏の推薦を決定したことについて、青柳氏は、「山中氏は、6月中に出馬表明をしてくれた。郷原先生は、7月上旬まで、コンプライアンス顧問の職務との関係で出馬意志を表明できないということだったので、そこまで待つことはできなかった」と説明していた。しかし、この説明も、全く不可解だ。

山中氏が、出馬会見を行ったのは6月30日、私が「解除条件付き出馬会見」を行ったのが7月7日、その一週間の違いが、なぜそれほどまでに重要なのか。

出馬表明後、山中氏が行っているのは、横浜市内での街頭活動である。

立憲支持者のツイートによれば、以下のように、「8月22日 横浜市長選挙」と明示し、その選挙区の衆議院議員や立候補予定者の名前のノボリや看板を立てて、山中氏が、街頭演説を行っている。

また、江田憲司氏と山中氏の名前と写真を掲げ、「8月22日 横浜市長選挙」と大書した「二連街宣カー」が横浜市内を駆け巡っている。

このような「事前運動」まがいのことを、少しでも早く行うために、山中氏の推薦を決定したのであろうか。

江田氏が擁立しようとしていた池田純氏の顛末

江田氏が、調整中の複数の候補者の一人であることを認めていた池田純氏は、ダイアモンドオンラインの記事【さいたまブロンコス代表の退任から横浜市長選挙出馬の噂まで、その真相と真意について話します】(6月26日)で、次のように述べている。

2021年の1月20日のことです。私に立憲民主党から声がかかりました。今年で任期が満了となる林文子市長と自民党の統括下にある横浜市政に代わるために、横浜市長に立候補してくれないかという要請です。
(中略)
「カジノ反対なら全面的に応援と支援をする」「党を挙げて協力する。選挙資金も数千万円単位で用意するので推薦させてほしい」などなど、権威が欲しい人や、お金や利権に目がない人ならすぐにうなずくような口説き文句かもしれません。しかし、その背景には、立憲民主党が私の背後から横浜市をコントロールしたい、秋まで続く自民党との国政での戦いに横浜市長選を利用したいという意図が透けて見えます。

同記事では、市長選に出馬するか否かは明確に述べていなかったが、その後、公刊予定の著書と池田氏の名前・顔写真を大きく載せたラッピングバスを市内で走らせるなど、出馬への意欲を見せていた池田氏は、7月9日に、ツイッターで出馬しないことを明言した。それにもかかわらず、その直後から、ベイスターズ社長時代の金銭スキャンダルが、週刊誌等で相次いで取り上げられた。

池田氏が上記記事で書いているように、同氏の側から出馬要請を断ったのか、立憲民主側からスキャンダルの表面化を懸念して擁立を断念したのか真偽のほどは定かではない。しかし、少なくとも、6月10日の時点で、江田氏が、池田氏を有力候補の一人と考えていたことは間違いない。

「断固反対、即時撤回」か「住民投票による決着」か

同会見の翌日(7月17日)、山中竹春氏の支援団体などが集まる合同選対会議の初会合が開かれ、カジノ誘致に反対する横浜港ハーバーリゾート協会の藤木幸夫会長が名誉議長として出席。山中氏を全面支援する考えを示したと報じられ、記事の写真の中で、山中氏、藤木氏と並んだ江田憲司氏が、満面の笑みを浮かべている。

藤木氏は、現職閣僚を辞任して市長選に立候補を表明した小此木八郎氏と古くからの親密な関係だと言われており、同じくIR誘致反対を掲げて出馬を表明している元長野県知事の田中康夫氏も、藤木氏と旧知の間柄であることを強調していた。「ハマのドン」と言われる実力者で、横浜市の経済界に大きな影響力を有する藤木氏に、小此木氏でも田中氏でもなく、全く面識がなかった山中氏の「全面支援」と明言させた。江田氏は、藤木氏を味方に引き入れたのは、自分の功績だと言いたいのであろう。

IR誘致について、山中氏は、私が主張する「住民投票による決着」ではなく、「断固反対、即時撤回」を強調している。それは、市長選を「IR反対のための選挙」として位置づけてきた江田氏らの方針によるものであろう。

しかし、私が、コンプライアンス顧問在任中から指摘してきたように(【横浜IRをコンプライアンス・ガバナンスの視点で考える】)、IR誘致について横浜市の方針を変更するとすれば、その理由は「民意」しかあり得ない。それを確認する方法は、市長選挙の結果だけではなく、「住民投票による決着」によるべきだ(【横浜IR、住民投票による決着が不可欠な理由】)。

神奈川新聞の世論調査の結果によれば、IRに関する住民投票については、賛成が76%を超えている(IR反対の71%を上回っている。)。立憲民主党阿部知子県連会長も、「郷原さんの主張について、とりわけIR誘致をめぐる住民投票の必要性に賛成する。」とツイートし、住民投票についての私の主張に賛成と明言してくれている。

山中氏の立場に立って考えたとしても、そもそも、住民投票を否定し「IR即時撤回」と主張していることは、政策として掲げている「住民自治の確立」「デジタル技術の活用と現場を重視した市民の声を直接聞く仕組みを創設」とは整合しないように思える。

住民投票を否定し「IR即時撤回」にこだわるのは、江田氏個人の意見の押しつけとしか思えない。

山下ふ頭の活用としての「新中央卸売市場」と「食の賑わい施設」

そして、重要なことは、この「住民投票」で何を問うかである。これまでの議論は、IRがもたらす経済的・財政的メリットと、社会的デメリットを比較して、「山下ふ頭へのIR誘致の是非」だけを問うというものだった。IR賛成派は、山下ふ頭にIRを誘致することにより、観光産業の活性化を図り、カジノ収入を今後の横浜市の財政を支えるための収益源とするというIRの経済的メリットを強調し、一方のIR反対派は、カジノを含むIRは、ギャンブル依存症の増加、治安の悪化を招くなど、横浜市の社会と市民に重大な弊害をもたらすことを強調してきた。

しかし、果たして、横浜市が、カジノ賭博での「負け金」を当てにしなければ、将来の市民の生活すら維持していくことすらできない、という情けない状況だということを前提にして考えるべきなのだろうか。

歴史と伝統のある、日本でも「住みたい街」のランキングでも上位に入る横浜市には、本来、都市としての大きなポテンシャル、大きな可能性があるはずだ。今、それを横浜市民が全力で考えていくべき局面ではないだろうか。

そこで、山下ふ頭へのIR誘致の対案として、私達が考えたのが《生鮮食品市場を中核とする、市民と国内外の観光客が集う「食の賑わいと楽しみ」の施設群》を山下ふ頭に建設する構想だ。

現在、瑞穂ふ頭の少し陸側に、孤立して所在している「中央卸売市場」を、山下ふ頭に移転する。そして、その周辺の膨大な土地を、フィッシャーマンズワーフ、ファーマーズマーケット等の「食の賑わいと楽しみ」の施設に活用するのである。

かつて、日本で「食の賑わいの場」と言えば、東京・築地だった。しかし、築地市場は、豊洲に移転され、今では、無機質なコンクリートの塊の「豊洲市場」があるだけだ。豊洲に東京都が計画していた「食の賑わい施設」の計画も挫折した。

東京が失ってしまった「食の賑わいと楽しみの拠点」を、横浜・山下新市場を中心に築き上げていこう、アメリカ西海岸のサンフランシスコにあり、カジノを持たない観光地サンフランシスコの観光の拠点となっている「フィッシャーマンズワーフ」に、私達がめざすべき、横浜の未来があるのではないか。

我々は、この選択肢を、IR誘致の対案として示したい。住民投票は、決して、「カジノに頼らざるを得ないかどうか」を問うものではない、横浜市民にとって、もっとワクワクするものを提示したい。

現時点での提案は私の政治活動用webサイトにPDFで掲載しているので、ぜひご覧いただきたい。
《食のライブマーケット構想〜生鮮食品市場を中核とする、市民と国内外の観光客が集う「食の賑わいと楽しみ」の施設群》

立憲民主党は、江田氏の行動を容認するのか

私は、「横浜市を、菅支配から、市民の手に、取り戻す」というスローガンを掲げ、政党・団体の支援も協力もなく、費用も自費で、これから募集するボランティアの協力だけで選挙の準備を行っていこうと思う。私の横浜市への思いは、きっと横浜市民に届くものと確信している。

阿部県連会長も、青柳幹事長も、そういう私の思いや主張は十分に理解してくれているように思える。しかし、江田氏の「独断専行」ですすめてきた同党の横浜市長選挙への対応は、全く真逆である。そこには、「菅支配と戦おうとする姿勢」は全く見られないし、横浜市のことを真剣に考え、横浜市長に相応しい人物を擁立しようとしているとは思えない。

これまで述べてきた経緯と山中氏に関する問題を踏まえ、立憲民主党は、横浜市長選挙への対応を真剣に見直すべきではなかろうか。

菅政権のコロナ対策、オリンピック開催をめぐって、国民の不満・反発は頂点に達しつつあり、内閣支持率が30%を割り込む世論調査結果も出てきている。まさに、内閣は崩壊の危機にあるのに、一方の野党第一党の立憲民主党に対する支持率は一向に高まらない。

今回の横浜市長選挙への対応は、立憲民主党にとって「菅政権に対立する勢力としての真価」が問われるものと言えよう。国民の期待が一向に高まらない同党こそが、自民党安倍・菅政権の延命の最大の要因となっていることを、改めて認識すべきであろう。

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横浜IR、住民投票による決着が不可欠な理由

昨日(7月12日)、【横浜市長選挙を通して、「住民投票」と「候補者調整」の意義を考える】と題して、私自身も出馬意志を表明している横浜市長選挙の主要な争点である「IR誘致の是非」について、住民投票を実施することの意義について述べたところ、立憲民主党神奈川県連会長の阿部知子氏が、以下のツイートで、私の意見に賛同してくれた。

私の言わんとするところを十分に理解して頂き、大変心強い限りである。

 私は、6月25日に出したヤフーニュース記事【横浜IRをコンプライアンス・ガバナンスの視点で考える】でも、地方自治体のガバナンス、コンプライアンスの視点から、横浜IRについては、市長選挙において、賛成派・反対派のいずれが勝利を収めるかということだけで、一刀両断的に決めるのではなく、事業の内容を具体的に示し、その目的、それが横浜市の将来にもたらすメリット・デメリット等を示し、市民に判断材料を提供した上で、住民投票を行うことが必要であると指摘してきた。

 マスコミの世論調査等で、IR誘致への反対が多数を占めていると報じられていることを意識してか、IR反対を掲げる出馬表明が相次ぎ、自民党の現職閣僚だった小此木八郎氏までもが、「市長に就任したらIRを取りやめる」などと述べて出馬表明をしたが、IRを推進してきた自民党市議会議員から強い反発を受け、自民党横浜市連は、自主投票を決定した。

 IRを推進してきた現職の林文子市長も、今週中には出馬表明をすると見られている上、本日の記事で、前神奈川県知事の松沢成文氏も出馬の意向と報じられるなど、市長選の状況は、ますます混迷を深めている。

 このような状況下においては、横浜市へのIR誘致の問題の決着には住民投票を行うことが不可欠だ。そう考える理由を、改めて整理することとしたい。

選挙の結果は、必ずしも民意を反映しない

第1の理由は、市長選挙の結果で、IR誘致の是非を決めると言っても、現在の市長選をめぐる状況では、選挙の結果が、IRの賛否についての民意を反映するものになるとは限らないことである。

現在までに出馬表明している8人、出馬の意向と報じられている2人の合計10人の立候補予定者のうち、IR反対を明言しているのが8人、それに対して、IR賛成派は、現職の林市長と、出馬表明ではニュートラルとした上、その後に賛成を表明した福田峰之氏のみである。しかも、前回の市長選挙で、出馬表明前まで菅義偉内閣の一員としてIRを推進する立場にあり、カジノ管理委員会の委員長も務めていた小此木八郎氏については、前回市長選挙で、林市長が、「IRは白紙」として当選した後、2年後にIR誘致の方針を打ち出した前例が引き合いに出され、「IR反対を掲げて当選した後に、時機を見てIR推進に転じる可能性」が指摘されている。

このような状況で市長選挙が行われた結果、仮に、僅差で林市長が当選したとしても、選挙結果で「IRの賛成」の民意が示されたとは言えないことは明らかであり、また、小此木氏については、「IR反対・取りやめの言葉を信じてよいか」という同氏の言葉への信頼性がもっぱら評価の対象になるのであり、仮に、小此木氏が当選したとしても、それを「IR反対」の民意と見做して良いかどうかは微妙だ。

結局、現在のような市長選の状況では、選挙結果を「IR誘致についての民意」と受け止めることは到底できないのである。

従来の議論での最大の論点は「住民投票実施の是非」だった

第2に、IR誘致に関する横浜市での議論の経過を見ても、最大の論点が「住民投票を行って、民意を問うべきか否か」であったのは明らかだ。IRに反対する市民運動では、住民投票を求める法定数を超える19万筆以上の署名が提出されたことを受け、市議会に住民投票条例案が提出されたが、否決された。一方、IRを推進しようとする林文子市長のリコールを求める署名は9万筆にとどまり、法定数に達しなかった。IRをめぐる問題では、住民投票を求める意見は市民から一定の支持を得たが、市長を解職すべしとの意見は、市民の多数とはならなかった。

住民投票条例を審議した市議会の議事録によれば、「住民投票を行うことの是非」について、自公両党からは否定する意見、立憲民主、共産等からは肯定する意見が出され、それぞれ、相応の論拠に基づいて議論が行われた結果、条例は否決されている。ここで、自公側が住民投票実施反対の主たる理由としたのは、わが国の法制度上、住民投票という方法によって民意を問うことには限界があること、その時点ではIRの事業計画すら明確になっておらず、住民投票で民意を問う段階に至っていないことであった。

後者の理由については、その後、設置運営予定事業者の公募、事業者からの事業計画案の提出も終えているのであるから、現時点では、住民投票で市民に判断を求めるIRの事業内容は具体化している。また、前者の、「住民投票を行うこと自体の意義」は、地方自治における二元代表制の下で、直接民主主義をどの程度に活用していくのかという問題であり、まさに、市長選挙で市民に意見を問うべき重要論点である。

市長選への出馬表明者、今後出馬表明をすると報じられている人について見てみると、現時点で、住民投票をすべきと明言しているのは私だけだが、他の出馬表明者も、「民意」の確認を重要視していることは間違いない。

小此木氏が、出馬会見で、市長に就任したらIRを取りやめることの理由としたのは「IR誘致に市民の理解を得られていない」ということであり、「市民の理解の程度」を住民投票によって確認することに反対する理由はない。出馬の意向と報じられている松沢氏も、今年2月に「民主的プロセスを経ていない形でIRを強行するのは反対だ」と述べていたものであり、民主的プロセスを経る方法としての住民投票に反対する理由はないと思われる。また、山中竹春氏は、出馬会見では、「IRは断固反対、即時撤回」と述べているが、一方で、「住民自治」「市民が決めること」を強調しており、冒頭で述べたように、山中氏を推薦する立憲民主党の阿部知子県連会長が、住民投票に賛成の意見を示していることからも住民投票に前向きな姿勢に転じる可能性は高いと考えられる。データサイエンティストとしての山中氏にとって、最適な方法によって住民投票を行って、民意を的確に計測することの提案は、まさに専門家としての面目躍如ではないかとも思える。

結局のところ、IR誘致についての住民投票を明確に否定しているのは田中康夫氏だけである。しかし、「IR誘致への反対の市民のコンセンサスが得られている。市長選挙は住民投票を含む」とする同氏の見解が誤っていることは、【横浜市長選挙を通して、「住民投票」と「候補者調整」の意義を考える】で既に述べたとおりである。

 IR誘致反対の出馬表明者にとっては、住民投票実施を公約に掲げることは、これまでの発言からも親和性のある対応と言えるのである。

新市長による「IR撤回」が市議会との対立を招く可能性

そして、第3に、市議会との関係である。

日本の地方自治体では、首長と議会議員を、ともに住民が直接選挙で選ぶという二元代表制がとられており、自治体の意思決定は、首長と議会に委ねられている。そして、それについて、首長と議員との間で、様々な面から「熟議」が行われることが前提とされている。

市長選挙で「民意」が示されたとして、市長がIR誘致を撤回することは法的には可能であるが、それに関して、市議会で議論が行われることは必至だ。今回、IR反対を掲げて出馬表明を行った自民党県連会長の小此木氏に対して自民党の市議会議員が反発し、自主投票になったのは、多くの自民党市議の支持者がIR推進派であり、IR反対に転じることは支持者に対する裏切りになるからであろう。このような自民党市議としては、新市長がIR誘致を撤回すると言っても、それに唯々諾々と従うわけにはいかない。市議会では、なぜ、IR誘致を撤回すべきと考えるのか、徹底追及が行われることは必至だ。

その際、これまで、市の執行部と市議会で行ってきた議論を覆す十分な根拠があるのかが問題になる(それが、私が、立憲民主県連会長宛ての質問状で、「IR即時撤回」を掲げる山中氏が、その理由としているギャンブル依存症の増加、治安の悪化がデータによって明らかだ」としていることについて、データ上の根拠を問い質している所以である。)。

新市長が、十分な根拠もなくIR誘致即時撤回の方針を強行しようとすれば、市議会の多数を占める自公両党との対立が深まるのは必至である。それは最終的には、不信任決議案の可決という事態に発展する可能性も全くないとは言えない。

コロナ禍で多くの市民が、その暮らしや仕事に大きな影響を受け、コロナ対策が市政の最重要課題となっている中、市長と市議会の対立による市政の混乱は、絶対にあってはならないはずだ。

そういう意味でも、IR誘致の是非について、住民投票で民意を問うことについて、市長選挙で市民の意向を確認すること、市長選挙後に合理的な方法の住民投票で民意を正しく把握し、その民意実現のために、市長と市議会が協力し、IR問題を決着させることが、市民にとって最も望ましい方法と考えられるのである。

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横浜市長選挙を通して、「住民投票」と「候補者調整」の意義を考える

2021年7月8日、作家で元長野県知事、元参議院議員、元衆議院議員の田中康夫氏が、横浜市内のホテルで、横浜市長選への出馬表明の記者会見を行った。

その会見で、田中氏は、前日に私が行った同じ横浜市長選への「出馬意志表明会見」を意識したと思える発言がいくつかあった。いずれも、私の主張を批判的に取り上げたものだが、それらには、今回の市長選で最大の争点とされてきた横浜へのIR誘致の是非に関する意思決定の在り方や、公職選挙、とりわけ首長選挙における候補者調整の在り方について重要な論点が含まれている。

IR誘致の是非を住民投票で決着することの是非

第1に、田中氏は、

「IRについては、各種世論調査で、IR誘致への反対の市民のコンセンサスが得られている。市長選挙はIRについて市民の反対の意思を確認するものであり、住民投票を含むものだ。市長選後に、巨額の費用をかけて住民投票を行うべきだというのは誤っている。」

と言っている。

しかし、現在の市長選挙をめぐる状況を見る限り、選挙結果でIRについての市民の反対の意思が示されることになるとは限らない。

田中氏は、「当選すれば、問答無用でIR誘致は取りやめる」、ということであろう。しかし選挙結果は必ずしもそうなるとは限らない。既に、7人が出馬表明しており、そのほとんどは「IR反対」を掲げている。今後、IRを推進してきた現職の林文子市長も4選をめざして出馬を表明すると言われている。「IR反対」候補が乱立する中、IR推進を掲げる林市長が僅差で当選した場合、全体としては、市民の圧倒的多数が「IR反対」候補に投票したのに、選挙結果は「IR賛成」側の勝利ということにもなりかねない。

また、各種世論調査の結果だけで、「IR誘致反対についてのコンセンサスが得られている」と言えるのかも疑問だ。世論調査で、IR反対の意見が多いことは確かだが、民意を正しく反映したというためには、横浜市がIR誘致の理由としていることも正しく理解された上で、判断が示される必要がある。

それは、主として財政上の理由であり、(1)今後、横浜市でも生産年齢人口の減少等による、消費や税収の減少、社会保障費の増加など、経済活力の低下や厳しい財政状況が見込まれており、そうした状況であっても都市の活力を維持するための財源確保が必要、(2)横浜市は上場企業数が少なく、法人市民税収入が少ない。(3)今後、小中学校の建て替えなど、公共施設の保全・更新に膨大な予算が必要となる、などの事情だ。

そこで、従来、観光客は日帰りが多く、観光消費額が少ない横浜市の観光収入を飛躍的に増やし、IRからの収入で将来の横浜市の財政を賄おうというのである。

これに対して、IR反対派の主たる論拠は、IRに含まれるカジノ賭博によるギャンブル依存症の増加、治安悪化等の負の側面があるとの指摘だ。

これらのIR賛成派、反対派の論拠が正しく示された上で、横浜市民が、IR誘致によって、経済を活性化させ、賭博の収入で将来の市の財政を賄おうとすることの是非について、横浜市民に判断を求めようというのが、住民投票を実施することの意義だ。

かかる住民投票と比較した時、各種世論調査における、「山下ふ頭に、カジノを含むIR(統合型リゾート)の誘致に賛成ですか、反対ですか」という質問への答が、本当にIR誘致の是非に対する民意を反映するものと言えるのかは、甚だ疑問だ。

本来、地方自治体の首長選挙は、その後の4年間の任期中の市の運営や事業遂行について、市民が基本的に白紙委任する対象となる市長を選ぶためのものだ。4年間の市政を全面的に委ねるに相応しい能力・資質を持ち、人格的にも信頼できる市長を選ぶことが、まず重要であることは言うまでもない。しかも、首長選挙において民意を問うべき事項は、決して単一ではない。4年間の任期において実施の是非の判断を求められる重要施策、事業には様々なものがある。それら全体について適切な判断を行う首長を選ぶのが首長選挙であり、一つの重要施策の是非だけが問われるのではない。

また、住民投票の費用についても、公職選挙法上の「選挙」と異なり、「候補者」はいないのでポスター掲示版が不要であるなど、費用構成は異なるし、仮に、この秋に行われる衆議院総選挙と同じ日程で住民投票を行えば、費用は相当削減できるはずだ。また、そもそも、この場合の住民投票は、市長選の結果に基づいて市議会に条例案を提出して、審議を行うものであり、公職選挙法に基づくものではないので、実施方法についても柔軟に検討できる余地がある。電子投票を導入すること等で大幅にコストを削減することも検討に値するだろう。

IR誘致の是非が、横浜市にとっても、横浜市民にとっても、極めて重要な決定であることを考えれば、「費用がかかるから住民投票は行うべきではない」との立論は成り立たない。

日本の地方自治体では、首長と議会議員を、ともに住民が直接選挙で選ぶという二元代表制がとられており、自治体の運営と意思決定は、基本的には、首長と議会に委ねられている。しかし、当該自治体やその住民に重大な影響を生じさせるような施策や事業の遂行については、その自治体の住民の民意を確かめ、考慮しつつ進めていく「住民自治」の拡大が積極的に行われるべきであり、住民投票をIT化し、効率化することも、そのための重要な手段となる。まさに、横浜市にとって、IR誘致の是非について住民投票によって民意を問うことは、その試金石と言っても過言ではないのである。

首長選挙における出馬意志表明後の候補者調整の意義

第2に、田中氏が、

「公式の場で立候補を表明した後に、一本化の話をするのは開かれた談合のようなもので、民主主義が本来あるべき姿ではない。」

と述べたのは、私が、前日の会見で

「立憲民主党の推薦候補となっている山中竹春氏が、野党統一候補として横浜市長となるのに相応しい人物であることが確認でき、私が掲げた《横浜市政に関する主要政策》にも基本的に賛同して頂けるのであれば、私の立候補の意思は撤回し、山中氏を全面的に応援したいと考えています。」

と述べたことを意識し、批判したものだろう。

田中氏が言うように、「出馬表明後に候補者の人物評価、政策の擦り合わせによる候補者調整を行うこと」は、否定されるべきなのだろうか。

まず重要なことは、公職選挙の告示前の「出馬表明」というのは、あくまで、その時点で、「立候補をめざして活動していく意志の表明」であり、「確定的な立候補の決意表明」ではないということだ。「立候補の決意を固めて選挙での当選をめざす活動」を行うとすれば、「選挙運動」そのものであり、告示後でなければ行えない。告示前に選挙運動を行えば、「事前運動」として違法となる。

そういう意味では、公職選挙で立候補しようとしている者が、告示前に公の場で、明らかに問題がない言い方で「立候補」に言及するとすれば、実際に私が出馬意志表明会見で述べたように「横浜市長選挙への立候補の意志を持って政治活動を行うことを表明します。」ということだけだ。この時点での「立候補」というのは確定的なものではなく、単に、「その意志を持っている」というだけだ。

そして、「立候補の意志を持って行う政治活動」にとって重要なのは、立候補する場合に掲げる政策を検討・公表し、最終的に立候補するかどうかについて、当該選挙区域内での自らへの支持の状況を、有権者の反応や各種調査等で確認すること(「瀬踏み行為」)、他の候補と、政策面での擦り合わせ等を行い、立候補の調整を行うことなどだ。

公職選挙における民主主義のプロセスとしても、立候補者の意志を持つ者が、その意志を表明し、それが固まっていく経過の中で、どこでその意志の表明を行うかについては、様々な考え方があり得る。

国政選挙の場合は、政党中心に候補者の選定が行われるが、自治体の首長選挙等は、政党主導とは限らない。この場合、「立候補の意志を持った者」の存在がマスコミ等で明らかになるのは、出馬意志の表明、すなわち「出馬表明」の時点だ。それによって、出馬表明者の存在と、その属性、政策等が世の中に明らかになる。それ以降、出馬表明者相互間の調整を行うことも可能となり、最終的に、選挙で有権者の選択に委ねられるべき候補者が確定する。それは、地方自治体の首長選挙における民主主義の実現にとって、むしろ望ましいプロセスなのではないだろうか。

今回の横浜市長選挙に関して言えば、私が、出馬意志を表明した7月7日の時点までに、多くの人の出馬表明が行われていたが、その中で、唯一、具体的な政策を明確に掲げたのが、中央卸売市場の山下ふ頭への移転と「食の拠点化」を掲げていた中央卸売組合理事の坪倉良和氏だった。

その坪倉氏の構想に触発された私は、出馬意志表明会見において、市長選での最大の争点とされていたIR誘致の是非について、従来からの「住民投票によって決着すべし」という主張に、選択肢としての「山下ふ頭活用の選択肢としての市場と『食の賑わい施設』」を政策の一つとして加えた。市場関係者である坪倉氏の出馬会見があったからこそ、私は、このような構想を知ることができたのであり、現在、その構想の具体化に取り組んでいる。

自民党側では、現職閣僚を辞任して市長選への出馬表明を行った小此木八郎氏は、「IRは取りやめる」ということ以外に、全く政策を明らかにしておらず、これまでIRを推進してきた自民党側候補の「IR反対表明」に自民党市議団は混乱し、市長選での対応方針すら固まっていないと言われる。

一方、野党側の推薦候補である山中竹春氏は、「IR絶対反対、即時撤回」を掲げているが、それ以外の政策は、「データを活用した行政」という抽象的なものにとどまっており、前記のとおり、私が、横浜市政に関する主要政策に基本的に賛同する場合には立候補の意志を撤回し、全面支援するとしたことを受け、現在、山中氏の陣営でも、私の主要政策について検討が行われている。

私が掲げた主要政策の中の「常設型の住民投票条例を制定し、市民に重大な影響を与える事項について住民投票を実施できるようにする。」という政策を実現するとすれば、IT化等によって効率的に民意を問うことが重要な課題になるのであり、まさに、データサイエンティストとしての山中氏の専門領域だと言える。そういう意味では、私が出馬意志表明で掲げた政策は、山中氏にとっても、政策を具体化する上で参考になるものと思われる。

このように、候補者乱立の様相を呈している横浜市長選挙においても、出馬会見が契機となって、他の候補者の市長選挙に向けての政策が具体化し明確になり、それによって、立候補の時点で政策がさらに成熟したものとなることが期待できるという状況になっているのである。

「開かれた談合」としての候補者調整を否定する田中氏の見解

田中氏が言う「出馬表明後の候補者調整」が、「開かれた談合」であるというのは、まさにその通りであるが、談合の温床と言われたのが「ダム工事」であり、「脱ダム宣言」の田中氏であるから、「談合は徹底排除」ということなのであろう。

しかし、「談合」は、私にとっても、最大の専門事項の一つだ。法務省法務総合研究所研究官や現場の検察官として捜査で取り組んできたのが、公共工事をめぐる談合構造の解明であり、それは、コンプライアンス専門の弁護士としての活動の中でも主要テーマともなった(「『法令遵守』が日本を滅ぼす」(新潮新書)第1章[非公式システムとしての談合])。

談合というのは、「競争者間の合意によって競争を制限すること」であり、工事発注などでは、受注価格上昇という「価格面の問題」を生じさせる。一方で品質・価値の面では、談合による競争回避が価値を低下させる場合もあれば、逆に競争の激化が品質低下を招く場合もある。過去の談合の多くは、「プロセスの不透明性」に問題があり、それが、政官財の癒着という社会的弊害を生じさせてきた。そういう意味では、公共発注をめぐる談合は基本的に否定されるべきだとしても、世の中一般において、透明性が確保された「開かれた談合」が行われることを、一概に否定すべきということではない。

公職選挙における立候補の前の、「政治活動」の段階で、他の立候補予定者と「話し合い」を行うこと、すべて「談合」として否定すべき、というのは、田中氏のやや極端な独自の見解のように思える。そこには、「価格面の影響」という弊害はない。候補者の絞り込みは、選挙にかかる公的コストを低下させることにつながる。問題は、「一旦出馬表明した以上、すべて立候補に向かって突き進むすべし」という考え方と、出馬表明者間で、透明なプロセスで、人物評価や政策面の擦り合わせ等が行われて有力候補に絞り込まれることで、人物面・政策面で一定の評価を受けた候補者間での有権者の判断が行われるべきという考え方と、公職選挙における民主主義の実現という面から考えて、どちらが望ましいかという問題だ。

もっとも田中氏も、「候補者として、それぞれが切磋琢磨すること、個別に、或いは複数でディスカッションすることは、大いに行われるべき民主主義だろうと思う」と述べている。

田中氏も、出馬会見で、具体的な政策を打ち出しており、その中には、私が掲げた主要政策と基本的な方向性を同じくするものもあれば、考え方を異にするものもある。

今後、市長選挙告示までの間に、田中氏との間でも公開の場でのディスカッションを重ねていきたいと考えている。

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「7つの重点政策」を掲げ、横浜市長選に出馬表明~候補者調整の提案も

昨日(7月7日)、横浜市役所内で記者会見を開き、横浜市長選挙への立候補の意思について、次のように表明しました。

弁護士で、昨日まで横浜市のコンプライアンス顧問を務めていた郷原信郎です。
私は、本日から、横浜市長選挙への立候補の意志を持って政治活動を行うことを表明します。事実上の出馬の表明と受け取っていただいて構いません。
私がこのような決意をした理由についてお話しします。
私は2007年からコンプライアンス外部委員として横浜市に関わるようになり、この4年間はコンプライアンス顧問として、様々な問題におけるコンプライアンスの重要性について指導してきました。コンプライアンスによって目指してきたのは、横浜市役所の組織が地域社会、市民の要請に応えて活動をしていくことです。そういう意味で、これまで取組みをしてきたわけですが、何といっても、市長と市議会からなる二元代表制の地方自治体では、市長選は、自治体としての民主的基盤を確立する上で極めて重要なものです。
この8月に予定されている市長選挙は、これまでの選挙と違って、IR誘致の是非が争点となる、市民にとっても極めて重要な選挙だろうと思います。
しかしながら、この選挙をめぐる、これまでの情勢を見ますと、果たしてこの選挙がIR誘致の是非、それ以外の様々な横浜市が抱える問題、直面する問題などについて政策面の論争がしっかりと行われ、民意が反映される選挙になるのか、甚だ疑問、懸念がある状況です。IRについて言えば、賛成・反対が錯綜し、一体、何がどう争われていくのか分からない状況になっています。
一方、この市長選で横浜市政について、どのような政策を掲げるのかということについては、与党側も野党側も、ほとんど具体的には明らかにされていません。
極めて重要な横浜市民の選択になるべき選挙において、しっかりと政策を打ち出し、その中でIR誘致の是非についても明確な方針を示し、民意を問うことが不可欠だと考えて、私自身が立候補の意志を表明することにした次第です。

続いて、「7つの重点政策」について、次のように説明しました。

1.住民投票で横浜IRに決着

・林文子市長は、前回市長選挙で、「IRについては白紙」と言って態度を曖昧にしたまま当選し、その2年後にIR誘致を表明。これに対して、市民による19万3193筆(住民投票条例制定の直接請求に必要な法定数6万2604筆の3倍超)の住民投票を求める署名が提出されたにも関わらず、議会で否決。市議会自民党公明党の支持を得て、今年1月、IR実施方針を公表し、設置運営事業予定者の公募を開始している。今回市長選挙では、このIR誘致の是非が最大の争点とされてきたが、IR反対を掲げる立候補表明が相次いだ末、IRを推進してきた現職閣僚が、「IR反対」を掲げて立候補表明するなど、市長選でのIR誘致への賛否の構図が複雑化している。
・IR誘致の是非が市長選での争点となっても、現在のような反対派候補が多数出馬を表明している状況では、市長選の結果が民意を反映するものになるとは限らない。また、市長選の結果に市議会が従うとは限らない。
・ この問題に決着を付けるためには、市長選の結果を受け、改めて住民投票条例を市議会に提出し、可決成立させ、住民投票を実施して横浜市民の選択を求めるしかない。

2.山下ふ頭活用の選択肢としての市場と「食の賑わい施設」

・IRに替わる“有力な選択肢”として、山下ふ頭には中央卸売市場を移転するとともにフィッシャーマンズワーフを整備して食の拠点化を実施することを提案する。
・6月29日に立候補表明した坪倉良和氏の《中央市場の全面移転、フィッシャーマンズワーフ構想。ハマの文化の継承と発展へ》という構想に共感した。
・これまでIR誘致をめぐる議論には、実質的に代替案がなかった。「カジノなしハーバーリゾート構想」には膨大な資金が必要であり、調達困難。
・IR誘致は内外の観光客や横浜市民が「カジノで負けて失う金」で、将来の横浜市の財政難を補う収益源にしようとするものであり、ギャンブルによる「負の側面」の是非を問う住民投票では「消極的選択」にしかならない。
・その点、中央卸売市場を山下ふ頭に移転し、「フィッシャーマンズワーフを含む『食の賑わい施設』を作ろうというのは、内外の観光客に安らぎと充足を与える空間。横浜市民のみならず日本国民に夢を与える構想。中央卸売市場の主要施設である卸売棟は老朽化が進んでおり(卸売棟は1982年〜1986年頃整備)、今後市による建て替えが必要となっている。もともと、市場の整備には横浜市として負担すべき費用であり、IRと比較すれば、新たに必要となる費用が少ない。フィッシャーマンズワーフは民間による整備もありえる。
・「食の文化」の中心地であった築地を廃してコンクリートの塊だけの豊洲市場にしてしまった東京都とは真逆の方向性となる。

3.不要不急の予算を新型コロナ対策へ

・約2600万円の市長給料は市民感覚から乖離しており、市長給与を半額カットする。政令指定都市の市長の平均給与(2020年1765万円)を大きく上回り全国最高額となっている(横浜市の将来の財政状況を懸念するのであれば、まず、市長自身の高額給与を削減する)。
・総事業費600億円超のみなとみらい新劇場整備や市としても大規模支出が不可欠な上瀬谷通信施設跡地テーマパーク構想、花博誘致事業などが推進されており、不要不急の巨大プロジェクト予算を見直す。
・市のあらゆる予算執行に関して決算チェックを強化。無駄を徹底排除する。
・これらにより、医療体制の強化、ワクチン接種推進、生活困窮者支援、地元事業者支援など新型コロナウイルス対策予算に振り分けて行く。

4.政治的圧力との決別

・横浜市が、地方自治体として自立・独立し、政治的な介入・圧力を受けることなく、横浜市民と地域社会の要請に応える活動を行うことができる環境を実現する。
・コンプライアンス顧問として横浜市の行政に関わったこの4年間、「社会の要請に応えること」という方向性が横浜市職員によく理解され、現場で発生する個々の問題事象への対応のレベルも格段に向上した。しかし、顧問の立場上これまでは関わって来なかった自治体の運営、事業に関する重要な意思決定の部分において、果たしてそれが市職員の「社会の要請に応える」という方向での検討・議論の結果であるのか否か疑問に思えるものがあった。
・IRの誘致も、横浜市民にとって横浜市の未来にとって極めて重要な意思決定だが、横浜市の対応は、結局、政府の方針や政治的かけ引きに振り回されているだけで、地方自治体としての自立した判断が行われているとは到底言えないものだった。このような横浜市としての重要な意思決定に、外部から政治的圧力が働いているとすれば、そのような力に対して「盾」になって、その力をはねかえすのが市長の重要な役割。
・市の内部においては、自治体としての主体性、自立性を高める「ガバナンス改革」として、職員への研修を徹底するとともに、現場の職員だけでなく市幹部の意思決定の透明性を高め、市民と地域社会の要請に応える市役所に変える。

5.住民自治を発展

・常設型の住民投票条例を制定し、市民に重大な影響を与える事項について住民投票を実施できるようにする。(川崎市では常設型の住民投票条例が2009年施行、投票有資格者1/10以上の住民・議会・市長により発議が可能)
・横浜市は南北での特色の違いなど地域毎の多様性が豊か。地域毎の多様性を活かした行政を実現するため、区長権限を強化するとともに、区毎の地域協議会、区選出議員による委員会を設置、区の住民自治機能を向上させる(泉区には地域協議会あり)。
・市長や区長が積極的にタウンミーティングを開催し、市民の感覚を市役所へ反映する。
・条例により可能な、上記の区の住民自治機能強化を実施した上、法改正が必要な特別自治市構想の実現を引き続きめざしていく。

6.市民の多様性が輝く横浜へ

・新型コロナの影響で特に高齢者の生きがいや運動の機会が奪われている。ワクチン接種が進む中、引き続き感染対策に万全を尽くすとともに生きがいや運動の機会を持ちながら健康寿命を伸ばして行くことが重要。横浜市では敬老パス(横浜市敬老特別乗車証:70歳以上の横浜市民が一定額で市内のバス、地下鉄等が乗り放題になる)の見直しの議論が進められている。外出機会をさらに減らすことにつながる敬老パス見直しはストップさせる。
・女性が活躍しやすい環境整備にはまだまだ課題が残っている。まずは横浜市役所がモデルとして変化しなくてはいけない。市政に多様な視点と市民感覚を反映するために、そして、市役所の取り組みが社会に波及し、誰もが暮らしやすい社会をつくるために、区局長、部長ポストに女性の活用を拡大する。男性の育児休業取得促進など男女を問わず働きやすい職場環境をつくる。性的マイノリティの職員も働きやすい環境を整えて行く。
・その他、障害者への合理的配慮の補助新設、課題の多いハマ弁を継承して2021年度に始まった公立中学給食の検証、統計の変更で見えなくなっている隠れ待機児童対策(希望の保育所等を利用できないケースや育児休業中の家庭の児童等が含まれなくなっており引き続き待機児童対策が必要)、教員や児童相談所等のセクハラ対策の厳格化、民間団体への支援充実によるこどもの貧困対策、動物愛護センターでの殺処分ゼロ化(横浜市「人と動物との共生推進よこはま協議会」2020年度資料によると2019年犬28件、猫250件)など、横浜市が抱える様々な課題に対応していきたい。

7.市民の命と暮らしを守る

・土砂災害を防ぐため崖地防災対策事業予算を倍増する。(2021年度予算2.3億円、うち崖地防災対策工事助成金5300万円、助成金一件あたり限度額400万円)。
・横浜市では2014年の台風で緑区、中区で土砂災害死亡事故発生。2020年には伊豆市、今年7月3日に熱海市で死亡事故が発生していること、2020年6月に新横浜駅付近の横浜市道環状2号線で2回の道路陥没が発生を踏まえ、開発行為やメガソーラー設置、トンネル工事等によるリスク検証を開始する。

このような主要政策を打ち出しましたが、一方で、これまで一貫して安倍・菅政権を批判してきた私としては、今回の横浜市長選でも、反自民勢力の結集が極めて重要と考えており、私自身の立候補によって反自民票が分散して自民党を利することになるのは、決して本意ではありません。
立憲民主党が推薦候補として擁立し、6月29日には出馬会見も行って、市長選に向けての活動を開始している横浜市立大学元教授の山中竹春氏が、野党統一候補として横浜市長となるのに相応しい人物であることが確認でき、私が掲げた「横浜市政に関する主要政策」にも基本的に賛同して頂けるのであれば、私の立候補の意思は撤回し、山中氏を全面的に応援したいと考えています。
そこで、阿部知子立憲民主党神奈川県連会長宛てに質問状を送付し、同質問状には、以下の「質問事項」と上記の「7つの重点政策」を添付しました。

山中竹春氏に対する質問事項

(1)市長選挙出馬の決意表明で、「データ分析の専門家として、データを活用した市政を行いたい」と言われていますが、横浜市立大学の教授・学長代行、大学院データサイエンス研究科長という、横浜市の公立大学での要職のままで、データサイエンスの横浜市の行政に活用していくことはできなかったのでしょうか。なぜ、市長になることが必要と考えられたのでしょうか。
(2)6月29日の出馬会見の際、「カジノによって依存症が増え、治安が乱れ、教育環境が悪くなるのはデータによって明らかだ。IRの誘致には断固反対で、即時撤回する」と発言されていますが、ここで言われる「データ」というのは、具体的にどのようなものなのでしょうか。そのデータによって、カジノによる依存症増加、治安悪化が、どのように根拠づけられているのかご教示ください。
(3)横浜市立大学教授在任中に、データに基づき「カジノはギャンブル依存症の増加、治安悪化につながる」との指摘を、横浜市立大学内部で、或いは横浜市に対して行ったことはあったのでしょうか。指摘できなかったとすれば、どのような事情があったのでしょうか。
(4)山中氏は、「データサイエンスの立場から、市長として、数字と根拠に基づく的確かつ迅速なコロナ対策」を行うとされているのですが、この「コロナ対策」というのは、具体的にどのようなものなのでしょうか。現在の横浜市の対策とどのように異なるのでしょうか。

【質問の理由】

横浜市では、2017年3月に「横浜市官民データ活用推進基本条例」が、自民党若手議員を中心とする議員提案で制定され、市としてのデータ活用への取組みが本格化しています。山中氏の横浜市大でのデータサイエンス研究は、その中核に位置付けられていたはずです。山中氏が横浜市大教授を突然、辞職したことによって、大学院データサイエンス研究科長が事実上空席となるなど、大学院研究科の運営にも重大な支障が生じています。山中氏は、市立大学の要職のままで、データサイエンス研究を市の行政に活用するのではなく、市長という立場に立つ必要があると考えたのはなぜなのでしょうか。
横浜へのIR誘致の是非は、今回の市長選の最大の争点とされていますが、出馬会見において、山中氏は、データサイエンティストの専門の立場から、「ギャンブル依存症の増加、治安の悪化がデータによって明らかだ」とされています。
しかし、横浜市では、「横浜市民に対する娯楽と生活習慣に関する調査」としてギャンブル依存症の実態調査を行い、「医学部を持つ横浜市立大学等と連携し、より効果的な対策や予防教育の検討を進めるなど、事業者や研究・専門機関との研究を進める」との方針を打ち出し、横浜市大の協力も得ながらデータに基づく検討を行ってきたはずです。私が、コンプライアンス顧問として、IR担当部長から説明を受けたところによれば、これまでの調査・研究の結果、ギャンブル依存症の増加、治安の悪化が裏付けられるデータは得られていないとのことです。また、治安対策については、近年、日本の経済社会全体で強化されてきた反社対策、マネーロンダリング対策等を踏まえて行われているものであり、私自身も、それらについては元検察官の弁護士として、専門知識がありますが、少なくとも、カジノを含むIRによる治安悪化は防止できる制度的整備はなされていると考えています。山中氏が、IR誘致による治安悪化がデータによって明らかだというのであれば、IR整備法等の法律の実効性に重大な問題があることになります。
横浜市大教授・学長補佐の立場にもあった山中氏が、ギャンブル依存症の増加、治安の悪化が「データ」によって明らかだというのであれば、横浜市大内部や横浜市に対して、そのデータを示して、IR誘致による弊害を指摘することができたはずです。もし、山中氏が指摘しているのに、そのような指摘やデータが横浜市大内部で握りつぶされ、隠蔽されてしまったというのであれば、横浜市にとって重大なコンプライアンス問題になりかねません。根拠となる「データ」の中身と、それがどのようにして収集されたものかを明らかににするべきだと思います。
山中氏は、市長になったらIRを「即時撤回」すると言われていますが、これまで、IR誘致賛成が多数を占めてきた市議会の構成に変化はなく、IRの「即時撤回」を打ち出した場合、その理由について、市議会で説明を求められることは必至です。その際、ギャンブル依存症の増加、治安の悪化がデータによって明らかだというのであれば、その根拠となるデータを提示することが不可欠と考えられます。
また、データに基づく「コロナ対策」についてですが、新型コロナ対策特措法上の権限は国と都道府県にあり、市町村で「コロナ対策」に関して行えることは、保健所での感染者対応、ワクチン接種、事業者支援等に限られます。データに基づくコロナ対策として、横浜市にとってどのような対策が想定されているのかわかりません。
 以上のとおり、山中氏は、IRについても、コロナ対策についても、データサイエンティストとして専門性を強調し、データに基づく立論をされていますが、今のところ、根拠が示されず、具体的な説明がありません。上記の各点についてデータ上の根拠の提示と明確な説明を求めます。

なお、今後の市長選に向けての政治活動の進め方ですが、東京でコロナ感染者が再び急増し、それが横浜市にも波及することが懸念される中、「人と人との接触」は極力回避する活動を展開したいと考えています。
まず、ホームページを開設し、「7つの重点政策」を掲げて、皆さんからの質問・意見を求めます。それに対する私の意見も述べ、ネット上での議論を活発化させていきます。
また、他候補とのネット上での討論会も積極的に行い、横浜市の当面の課題や将来ビジョンについて政策論争を深めていきたいと思います。
特に、「7つの重点政策」の中で、2.山下ふ頭活用の選択肢としての市場と「食の賑わい施設」として掲げた、山下ふ頭の活用に関する新たな選択肢については、既に市長選への立候補を表明している発案者の中央卸売組合理事の坪倉良和氏にも協力を求め、構想を具体化させ、横浜市民のみならず、全国の皆さんに、「山下市場・フィッシャーマンズワーフ構想」の素晴らしさを訴えていきたいと思います。
このような活動を行いながら、上記の山中氏への質問事項への回答を待ち、その内容によって、市長選に向けての私の対応方針を確定したいと思います。

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河井夫妻事件被買収者“全員不起訴”で「検察の正義」は崩壊

2019年7月の参院選広島選挙区をめぐり、河井克行元法相と妻で前参院議員の案里氏から現金を受け取った公職選挙法違反(被買収)の事実で告発されていた広島県の県議会議員・市議会議員ら100人について、東京地検特捜部は、7月6日、全員を不起訴とした。

既に、克行氏・案里氏について、買収の事実で有罪判決が出されており(案里氏は有罪確定)、犯罪事実が認められることは明らかだ。検察は、犯罪の嫌疑が不十分だという理由で不起訴にすることはできない。しかし、検察には、犯罪事実が認められる場合でも、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」(刑訴法248条)という「訴追裁量権」が与えられている。

今回の不起訴処分は、この訴追裁量権に基づき、被買収者全員を「起訴猶予」としたものだ。

「選挙買収」は、しばしば「贈収賄」と混同される。「贈収賄」は、国や自治体から給与を得て職務を行う公務員が、その職務に関連して金品を受け取ることが、「職務を金で売ってはならない」という、「公務員の職務の不可買収性」に反するという理由で処罰される。一方、「買収」に関して言えば、「選挙人自身の投票」や、「選挙運動」は、自らの意思で、対価を受けずに行うべきなのに、それを、対価を受けて行うことが「不可買収性」に反するということである。そういう意味で、「買収」と「贈収賄」とは構造が似ている。「買収」は、「贈収賄」と同様に、供与者・受供与者側の双方に犯罪が成立することになる「対向犯」だ。両者が処罰されるのが原則であり、その例外は、特別の事情がない限りあり得ない。

公職選挙法違反の罰則適用は、「選挙の公正」を確保するために行われるのであり、公平性が特に重視される。検察庁では、買収罪について、求刑処理基準が定められている。私が現職の検察官だった頃の記憶によれば、犯罪が認められても処罰しないで済ます被買収事案の「起訴猶予」は「1万円未満」、「1万円~20万円」は「略式請求」(罰金刑)で、「20万円を超える場合」は「公判請求」(懲役刑)というようなものだった。

今回は、多額の現金の買収事件(金額は5万円~200万円)であり、「被買収者側全員を起訴猶予にする」などというのは、検察の刑事処分としてあり得ない。公職選挙における買収事件の処罰の実務を崩壊させるものだ。

東京地検次席検事が記者会見で説明した「被買収者全員不起訴処分」の理由は、以下のようなものだったようだ(本来、社会的にも極めて影響が大きい事件の不起訴処分であり、記者会見が公開されるのが当然だが、今回も非公開の「記者説明」だったようだ。会見の内容は、マスコミ関係者からの情報による。)。

(1)克行が主導した犯罪で、克行が受供与者の選定など全体を差配し、大半が自ら実行した。克行が計画した事案。大規模買収だが組織的買収事案とは異なっている。

(2)受け取った金員をさらに他者に供与するようなことは認められなかった。

(3)積極的に求めた者はいなかった。立場の差などに基づいてやむを得ず供与を受けた者も少なからずいた。返却した者、家に保管していた者もおり、いずれも受動的。現金の受領を拒む者、むりやり渡された者もいた。

(4)リストに日時の場所の特定ができない者もいる。公判で明らかになったリストでは今回の100人以外の者も含まれているが、証拠によって認定できたものが100人。被告発人100人だけを処分するのは法的な公平性に欠ける。

しかし、いずれも、多額の現金の被買収事案を起訴猶予にする理由には、全くならない。

 (1)については、買収事件を候補者個人が主導したもので、組織的なものではないから、被買収者を処罰しなくてもよいなどという話は、これまで全く聞いたこともなく、凡そ、出てくる余地のない「理屈」だ。処罰する要件を勝手に加えているようなものだ。

 過去に摘発された選挙違反事件の多くは、末端の運動員と有権者との間の現金買収であり、上位の運動者、最終的には候補者も関わっている事案であっても、証拠上、上位者は摘発の対象とはならない場合が多い。本件のように、候補者自身や選挙運動の総括主宰者(克行氏)から直接現金を受領した事案というのは稀だ。

 しかし、同じ現金を受け取っても、末端の運動員からの受領なら処罰され、総括主宰者等の上位者であれば処罰不要などと、どうして言えるのだろうか。誰がどう考えても通用する理屈ではない。

(2)については、被買収者が、それを原資にさらに買収を行うのではなく、金を手元にとどめていた、或いは、使ってしまったからと言って、それは、被買収事件では一般的なことであり、有利な情状にも、不処罰の理由にもならない(この場合、買収金の利益を被買収者にとどめておかないように、起訴して有罪判決の中で、買収額の「没収」「追徴」が言い渡されるのが通常だ)。

(3)については、通常、選挙買収事件は、候補者側が、票や選挙運動をお金で買おうとして、積極的にお金を渡そうとするのが大部分であり、被買収者側から、投票や選挙運動をしてやるからと言って金を要求する事案というのはむしろ少ない。このような理屈が通用するのであれば、贈収賄事件の場合、贈賄業者が、政治家や役人に便宜を図ってもらおうとして多額の賄賂を強引に渡した場合、政治家や役人は「断り切れずやむを得ず賄賂を受け取った」ということで許してもらえることになってしまう。

買収事件では、「選挙の買収金を渡そうとしているとわかって、何回も押し返そうとしたが、結局、そのまま受け取ってしまって、返すに返せず、そのまま自宅で保管していた」などというのは、むしろ、よくある話だ。だからと言って、被買収が不起訴になるなどという話は聞いたことがない、

(4)も全く理由にならない。

 贈収賄の事件でも、贈賄側が、多数の公務員に賄賂を贈っていた事案の中で、賄賂の授受が証拠によって裏付けられたものが、その一部だったという場合、収賄側が自白し、証拠によって立証可能な事件は贈賄側・収賄側両方を起訴できるが、収賄側が否認し、立証が困難な事件は不起訴にせざるを得ないというのは、刑事事件の処分では当たり前のことだ。起訴された収賄者側が、公判で「他にも賄賂をもらった奴がいる。自分だけが処罰されるのは納得がいかない」と不満を述べても、凡そ、弁解として取り上げられることはないはずだ。

「他に同様の事件があるのに処罰されていない。だから偏頗な起訴だ」という主張には一切耳を貸さないというのが、これまでの検察の姿勢ではなかったのか。

 このような次席検事の不起訴理由の説明に対して、記者から質問が行われている。その回答も、唖然とするようなものだった。

(5)「金額300万、複数回の者もいるのに、一律不起訴とする判断は?」

と問われ、

本件犯行の性質から、克行・案里を処罰することがあるべき姿だと判断した。起訴するものを選べばいいのではとの指摘かと思うが、確かに金額を基準にすることも考えられるが、本件では、判決認定事実を踏まえて再度捜査し、受供与者の立場・経緯・状況・返還の有無・辞職したかどうかなど犯行後の事情は、各人各様だ。公職者をみると、10~200万。たとえば、後援会関係者と比べて、多い人も少ない人もいる。さらに少額でも返還せずに使用した者もいる。一定の線引きで選別することは、諸般の事情を考慮すると、選別が公平かどうか、合理的な基準かどうか、考えたときに、線引きをすることが困難と判断した。

 と答えた。

同種の事案で、被疑者ごとに有利な事情と不利な事情とがあり、起訴不起訴の判断に悩むということは、検察官であれば珍しいことではない。だからと言って「全部不起訴にしてしまえ」などということは、検察庁内では凡そ通用する話ではない。そもそも、前記のとおり、検察庁内にあるはずの「求刑処理基準」から言えば、すべて「起訴相当」の事案であり、その中で、特に他と比較して不起訴にすることが明白な事案がない、ということであれば、「全員起訴」が当然だ。

(6) 「公判を終えてから不起訴処分を出したのは、検察に有利な証言を引き出すためだったのではないか」との質問に対して、

河井2人の起訴の時点で、起訴すべきものは起訴した。他の者は処分を要さないという判断だったが、告発がきたので改めて捜査し、本件では、河井克行が否認していたので、克行が公判でどういう供述をするのかという経緯を見ていた。

これまた、「告発」という刑訴法上の制度を軽視するかのような、恐ろしい発言だ。

今回の河井夫妻からの被買収者の事実について、両名の起訴の段階で刑事立件すらしなかったことは、検察官として到底許されることではない。それに対して、市民が「当然の告発」を行い、その結果、刑事処分を行わざるを得なくなったのである。

それを、東京地検次席検事は、克行・案里の起訴の段階で「刑事立件も、刑事処分もしない」という判断をしていたのに、告発が行われたから、したくもない「刑事処分」を行わざるを得なくなり、不起訴にした、というのである。

《検察は、現に証拠があり、犯罪が認められても、検察は「刑事立件も、刑事処分もしない」ということを勝手に決めることができる。「起訴すべきものは起訴した」と言っておけば、理由の説明すら要らない。それに対して、「告発」などという余計なことが行われたから、不起訴処分という余計なことを行わなくてはいけない話になったのであり、それを検察官が不起訴にするのは当たり前のことだ》と言いたいようだ。

そもそも、検察官は、刑事事件として立件、起訴した事件に関連して、証拠によって認められる犯罪があり、処罰しない理由がないのであれば、刑事事件として立件するのが当然であり、それを立件しないで見過すのは「犯人隠避」にも当たり得るというのが、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で、検察が、大坪弘道特捜部長・佐賀元明副部長を、主任検察官の証拠改ざんについての「犯人隠避」で刑事立件し、起訴した検察の理屈だったはずだ

(7)「お金受け取っても不起訴になるということで、全国で悪い影響がでるのではないか」

これは、今回のような多額の被買収事件が不起訴とされたことが、今後の全国の公選法違反事件の刑事処分に影響を与えるのではないか、という当然の質問だ。

それに対する次席検事の答は、支離滅裂であり、全く答になっていない。

起訴猶予は犯罪の成立を認定している。受け取っても良いんだ、というのは違って、犯罪であるという認定は、我々はしている。検察官は取り調べをして、訓戒している。起訴猶予は良いとか、許しているとかそういうことではない。起訴をしなかっただけということ。

ここで、問われているのは、多額の被買収事件で「犯罪が認められる」としているのに、「起訴猶予」ということであれば、被買収事件についての検察の刑事処分の基準が変わったことになり、今後、同種の買収事件でも、同じような理由で「起訴猶予」にすべきということになるのではないか、買収事件での被買収者の起訴はできなくなるのではないか、という点である。

 それに対して、「検察は犯罪を認めた上で、取調べをして訓戒をして、その上で起訴猶予にして起訴しなかっただけ」というのである。

 検察は、どのような犯罪であれ、取調べて、訓戒をした上で、自由自在に起訴猶予にすることができるという「検察の独善・傲慢」そのものだ。

最後の点は、今回の全員起訴猶予の不起訴処分の決定的な問題であり、今回の事件のような多額の被買収の事案が、「受動的だった」「他に疑いがあっても証拠上立件できない被買収者がいた」などという理由にならない理由で起訴猶予になったことで、今後の公選法違反事件の刑事処罰の実務が重大な影響を受けることは必至だ。

公選法違反事件、とりわけ選挙買収事件に対して、厳正・公平な処分が行われることは、公正な選挙の基盤だ。今回の検察の不起訴処分は、今後、公職選挙の公正を著しく阻害する。

黒川弘務元東京高検検事長の「賭け麻雀」の賭博事件、菅原一秀氏の公選法違反(寄附制限違反)事件と、検察が起訴猶予とした判断が検察審査会で覆され、起訴相当議決で検察の不起訴処分が厳しく批判される事例が相次いでいる。今回の河井夫妻事件被買収者全員「全員不起訴」に対して、検察審査会で「起訴相当議決」が出れば、検察に訴追裁量権を与えていることの是非が問題とされかねない(日本のような制度を「起訴便宜主義」というが、ドイツ等は、「起訴法定主義」であり、検察官は犯罪事実が認められる限りすべて起訴しなければならない。)

今回の不起訴処分は、「検察の正義」を崩壊させるものにほかならない。

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横浜IRをコンプライアンス・ガバナンスの視点で考える

コンプライアンスは、「法令遵守」ではなく、「組織が社会の要請に応えること」である。

桐蔭横浜大学特任教授・コンプライアンス研究センター長として、本格的にコンプライアンスに関する活動を始めた2004年以降、私が、常に世の中に訴え続けてきたことである。そのようなコンプライアンスの視点から、組織をめぐる様々な問題の解決、コンプライアンス体制の構築・運用等に関わってきた。

「社会の要請に応える」という観点が特に重要なのが地方自治体である。

民間企業の「社会的要請」が、需要に反映された社会の要請に応えることがベースとなり、それが、組織の存続・成長にもつながるのに対して、地方自治体の場合、住民のニーズに応えることが最も重要な社会の要請であることは間違いないが、その時点での直接的なニーズに応えることだけで地方自治体の役割が果たせるものではない。自治体には、住民にとっての短期的利益、長期的利益のほか、その時々の国家的、社会的利益も含めて様々な社会の要請が交錯する。地方自治体の日々の業務や実施する事業に関して、「社会的要請に応えること」は、複雑かつ困難な問題となる。

そのようなコンプライアンスの視点を、自治体の行政に活用することに関して、多くの自治体の制度や仕組みの構築や不祥事対応等に関わってきたが、その中で最も深く関わりを持ってきたのが横浜市だ。桐蔭横浜大学教授コンプライアンスセンター長を務めていた2007年からコンプライアンス外部委員、2017年9月からはコンプライアンス顧問として、各部局、各区で生起する様々な不祥事、コンプライアンス問題について対応の助言を行うほか、各部局、各区の幹部に対するコンプライアンス研修も実施してきた。

その中で関わった具体的な問題について、これまでにも、日経グローカルの巻頭「直言」で取り上げた(2019年4月「社会の要請に応え信頼される自治体に」)ほか、今年6月10日には、当欄の記事【生活保護への対応と地方自治体のコンプライアンス】で、今年2月に起きた神奈川区生活支援課での生活保護の申込への対応をめぐる問題についても書いた。

コンプライアンス、ガバナンスという観点から、現在の横浜市にとっての最大の問題は、統合型リゾート(IR)推進の是非をめぐる問題だ。

横浜港・山下ふ頭にカジノを含むIRを整備する計画について、開発・運営する事業者の公募を行っていた横浜市は、5月31日、海外のIR事業者等による2グループが応募のための資格審査を通過したことを公表した。今後、事業計画の提案を受け、今夏頃に事業予定者が選定される予定とされている。

一方、IR(統合型リゾート)誘致に反対の立場を取る横浜港運協会の藤木幸夫前会長が中心となって設立した一般社団法人横浜港ハーバーリゾート協会は、IRとは異なる山下ふ頭の再開発をめざす活動を展開しており、IRに反対する立憲民主党、共産党などの野党も加わり、IR反対派の動きが強まっている。

山下ふ頭という、横浜港の中心にある広大な土地を、どのように開発し、活用していくのか、そこに、カジノを含む大規模リゾートを誘致すべきなのか否か、その判断は、横浜市の将来、地域社会の在り方にも重大な影響を及ぼすものとなる。財政的、文化的、教育的、環境的な社会の要請が複雑に絡み合い、その意思決定に関して、自治体のガバナンスの在り方が正面から問われる問題であり、まさに、最も複雑かつ困難な地方自治体のコンプライアンス問題だと言える。

 この問題についての私の見解を述べておくこととしたい。

IR推進をめぐる議論の整理

まず、横浜市のIR事業に関する議論を整理してみたい。

IR(統合型リゾート)とは、民間事業者が、展示施設・国際会議場、ホテル、レストラン・ショッピングモール、エンターテイメント施設などの施設と、これを収益面で支えるカジノ施設を一体的に整備して運営するものであり、これにより観光の振興、地域経済の振興、財政の改善を図ろうとするものである。

横浜市において、IR整備計画を推進すべきとする財政上の理由として、次のようなものが挙げられる。

(1)今後、横浜市でも生産年齢人口の減少等による、消費や税収の減少、社会保障費の増加など、経済活力の低下や厳しい財政状況が見込まれており、そうした状況であっても都市の活力を維持するための財源確保が必要である。

(2)横浜市は上場企業数が少なく、法人市民税収入が少ない。

(3)今後、小中学校の建て替えなど、公共施設の保全・更新に膨大な予算が必要となる。

  そして、観光の特性に関して指摘されるのが

(4)横浜市への観光客は日帰りが多く、観光消費額が少なく、その伸びも小さい。

  ということである。

要するに、(1)~(3)のような事情から、横浜市の財政が将来悪化すると予想されるので、IRから市に入る収入によって財源を確保しようというものである。

そして、(4)の日帰り中心の観光を、IRの整備による内外の宿泊客の増加で観光消費額を増大させ、経済の活性化を図ろうというものである。

これに対して、IR反対派の主たる論拠は、カジノ賭博によるギャンブル依存症、治安悪化等のカジノの負の側面の指摘だ。

実際に、韓国などでは、カジノを含む総合リゾート施設がカジノによる巨額の収益を上げる一方で、自国民の多くがギャンブル依存症で生活破綻に追い込まれ、深刻な社会問題となった。

このようなギャンブル依存症に対しては、IR整備法による対策として、「日本人等への7日間で3回迄、28日間で10回迄の入場制限」、「広告・勧誘の制限」や「カジノ内ATM設置禁止」など施設内制限、「本人・家族の申告による入場制限」、「日本人等への24時間毎に6,000円の入場料の徴収」等の措置がとられるほか、顔認証やAI等による入場制限など事業者独自の依存症対策も行われ、市としても独自の取組みを行うので対策として万全だというのが、IR推進の立場からの説明だ。

確かに、日本人の入場規制等の対策は、一応のギャンブル依存症対策にはなっているといえるだろう。少なくとも、連日カジノに通い詰めるような極度の依存症は防止できそうだ。

しかし、日本人が「28日間で10回」(休日はすべてカジノ)というような頻度でカジノに入り浸ること自体、立派な「ギャンブル中毒」といえる。そのようなレベルでの入場が可能であるのに、依存症を防止する「十分な対策」と言えるのだろうか。

ギャンブル依存症対策をこの程度にとどめざるを得ないのは、もともと、この事業が、カジノだけを目的に入場する日本人が失う「賭け金」による収入を相当程度見込んでいるからであるようにも思える。

IR推進派は、「カジノの面積は、施設全体の面積の3%以内」とされていることを強調し、カジノは施設のごく一部に過ぎず、「IRは、アトラクション、散策を楽しむ市民の憩いの場」であることをアピールしているが、それは、ギャンブルの収益によって成り立つ事業という「本質」を覆い隠すもののように思える。

IRは、確かに、魅力的なアトラクション、憩いの場を含むリゾート施設である。しかし、それらの施設の整備・運営がカジノの収益によって行われるものである。そうである以上、外国客だけでなく、日本人、とりわけ、横浜市民がカジノで失う賭け金による収入も相当な額に上ることが想定されているのは「厳然たる事実」だといえよう。

IRをめぐる議論は、結局のところ、上記(1)~(3)の横浜市の財政事情や(4)の観光収入の実情などから、IRによって「横浜市を豊かにすること」への期待を重視するか、横浜市の未来が「ギャンブルによって支えられる」、そこには「横浜市民がカジノで失う賭け金も含まれている」という負の側面を重視するか、ということに帰着するように思われる。

少なくとも、上記(1)~(3)の横浜市の財政事情に対しては、IRによる収入増加を図ることだけが解決策ではない。

市民が健康で文化的で安心して暮らせる横浜市のために、何が必要なのかという観点から、政策の優先順位を検討し、市の財政支出の抑制を図り「静かでコンパクトな横浜」をめざすのも一つの方向である。そこには、「超大型テーマパーク」開発に伴う相鉄線瀬谷駅付近と跡地を結ぶ新交通システムの建設、文化芸術の創造・発信の拠点となる新たな劇場の整備などを、従来の横浜市の方針どおり実施すべきなのかという問題も密接に関連する。

 

地方自治体のガバナンス

 上記のような議論の整理を踏まえて、IR事業の是非を考えることになるのであるが、その前提として、地方自治体にとって、地域社会にとって、重要な問題についての意思決定がどのような手続・プロセスで行われるべきかという、地方自治体のガバナンスについて、民間企業等などとの比較も踏まえて、整理しておきたい。

日本の地方自治体では、首長と議会議員を、ともに住民が直接選挙で選ぶという二元代表制がとられており、自治体の運営と意思決定は、首長と議会に委ねられている。

予算・条例の提出権が首長側にしかなく、議会は、それを議決する権限しかないなど、首長に権限が集中しているところに特色がある。

(大統領制に近いが、予算・法律の提出権限がなく、議会に対しては拒否権しかないアメリカの大統領と比較しても、日本の自治体の首長の権限は強い。)

首長に権限が集中し、その権限行使を議会でチェックする二元代表制の枠組みの下では、議会で議案が否決されない限り、首長の判断がそのまま自治体の決定となる。

例外として、「直接民主制」の方法である住民投票が行われる場合もあるが、地方自治法第 12 条、74条に規定される「住民による条例制定又は改廃の直接請求権」に基づく「住民投票」は、首長、議員の解職請求(リコール)のような二元代表制の構成要素の変更に関わるものや、市町村合併の是非のような自治体の存立自体に関わるものに限られる。

自治体運営に関する個別の事項について住民投票が行われるのは、自治体執行部の提案する住民投票条例が議会で可決成立した場合だけだ。法定数を超える署名によって住民投票条例制定を求める直接請求を行うことも可能だが、この場合も、執行部から議会に提出される住民投票条例が可決されなければ、住民投票は実施されない。しかも、住民投票の結果は、自治体の決定を法的に拘束するものではない。

そういう意味では、法令上は、直接民主制としての住民投票は、あくまで、二元代表制の枠内で、それを補完する機能を果たすに過ぎない。つまり、二元代表制の下では、首長と議会議員は、選挙で選ばれることによって、それぞれ住民から、その任期中「白紙委任」を受けているので(「選挙公約」には法的拘束力はないので、候補者が特定の事項について選挙公約で約束したとしても、法律的には「白紙委任」となる)、議会の了承が得られる限り、首長は、自治体の運営に関していかなる判断をも行うことができる。

もっとも、そのような首長の地位は選挙で住民に選ばれたことによるものなので、任期が満了し、選挙で首長が交代した場合は、新たな首長によって、前任の首長の判断が覆されることもある。

民間企業のガバナンスとの比較

このような地方自治体のガバナンスを、民間企業のガバナンスと比較してみよう。

株式会社の場合、株主総会で選任された取締役で構成される取締役会において、代表取締役を選任する。会社の業務執行は、重要事項については取締役会決議が必要となるものの、基本的に代表取締役の裁量に委ねられる。

一方、地方自治体の首長は、住民から直接選挙で選ばれる点において、株式会社の代表取締役が、株主総会で株主が選任した取締役によって選任されるのとは異なるが、一旦選任されれば、任期中、業務執行について広範な裁量権があること、任期満了によってその地位を失うことにおいては、会社の代表取締役と基本的な相違はない。

しかし、「地方自治体の首長と住民の関係」と、「株式会社の代表取締役と株主の関係」との間では、大きく異なる点がある。

株主が会社に求めるのは配当金の支払や株価の上昇などの経済的利益であり、基本的にはそれに尽きるのに対して、当該自治体の区域内で生活し、住民サービスを受ける立場の自治体の住民は、自治体の運営によって居住環境や生活に関しても大きな影響を受ける。

首長が担う自治体の運営は、経済的利益のみならず、住民サービスを通して、住民の日常生活に深く関わる。そういう意味で、株主と住民との間には、ステークホルダーとしての立場に大きな違いがある。

株主にとっては、株価の変動要因となり配当の多寡にも影響する会社の財務内容・業績が最大の関心事であるが、住民にとっては、自治体の財政状況や収支の状況が、将来にわたって行政サービスのレベルに影響を与える重要な要素ではあっても、その時点での自治体行政の評価に関する一要素に過ぎず、むしろ、日常的に受ける住民サービスの内容の方が大きな関心事となる。

すなわち、会社にとっての株主の意向は、基本的に、期待どおりの配当金が得られ、株価を上昇させることに尽きるが、自治体の住民の意向は、そのように単純なものではない。

既に述べたように、自治体の首長は、任期中、自治体の運営について住民から「白紙委任」を受けているが、その判断に当たって、住民の意向や意見は十分に考慮する必要があるという面で、会社の代表取締役と株主との関係とは異なるのである。

もし、首長の自治体運営や決定が、住民の意向と大きく乖離したものとなった場合、最終的には、選挙で住民の意思が示され、首長が交代することになる場合もある。しかし、自治体が行う大規模な事業等について一度決定したことが、選挙で首長が交代して覆された場合、当該自治体に大きな混乱と損失が生じることとなる(【「事業の検証と責任追及」についての小池知事と五十嵐市長の決定的な違い】)https://nobuogohara.com/2017/04/21/。

そのため、地方自治体の首長は、当該自治体やその住民に重大な影響を生じさせるような施策や事業の遂行については、二元代表制に基づき「首長の判断について、議会の承認を受けた」というだけでなく、その自治体の住民の民意を確かめ、考慮しつつ進めていくことが必要であり、その点は、地方自治体のガバナンスにおいて特に重要な点だと言える。

地方自治体にとって「社会の要請に応えること」

 このことは、地方自治体という組織にとっての「社会の要請に応える」という意味のコンプライアンスの特質にも関連する。

地方自治体にとっての「社会の要請」が、第一次的には「当該自治体の行政区域の住民からなる社会(地域社会)の要請」であることは異論のないところであろう。

ただし、それは、その地域の利益のみを図り、国全体の利益を損なうものであってはならない。「地域社会の要請」は、「国家社会の要請」と調和したものでなければならない。

また、「地域社会の要請」には、短期的なものと長期的なものがある。現在の住民の利益ばかりを図ることが、将来にわたる地域社会の利益を損なうものであってはならない。

そういう意味で、「自治体の運営・事業の遂行が民意に沿うものであるべき」ということにも、一定の限界があることは否定できない。事柄の性格によって、「民意に沿った政策決定」が求められる程度は異なる。そのために、首長と議会による「二元代表制」による「熟議」を通して、その地方自治体が、様々な社会的要請に応えられるような意思決定を行うことが求められているのである。

横浜市におけるIRをめぐる議論と自治体ガバナンス

これらの地方自治体のガバナンス、コンプライアンスの一般論を前提に、横浜市のIRをめぐる議論の経過について、改めて考えてみよう。

横浜市におけるIRの推進に関して、林文子市長は、当初、「市の将来の経済成長に有効な手段で、導入に非常に前向き」との見解を示してきたが、2017年7月の市長選の半年前に「白紙」と立場を変えて選挙に臨み、三選を果たした。

この際、選挙公約で「統合リゾートの導入検討」を掲げていたともされているが、膨大な「選挙公約詳細版」の中に小さく書かれているに過ぎず、実際に、IRの推進が、市長選挙の実質的な争点にはならなかった。

ところが、2018年7月に、統合型リゾート施設(IR)整備法が成立した後の2019年8月、横浜市は、山下ふ頭でのIR整備に取り組んでいく方針を公表した。

これに対して、IRに反対する市民運動が活発化し、住民投票を求める署名が法定数を超える19万筆も集まり、市に提出された。しかし、住民投票条例案は、市の反対意見が付されて、市議会に提出され、市議会は条例案を否決した。

林市長は、「二元代表制で、市長が提案し、議会が承認の議決をした」と強調する。確かに、IR推進の横浜市の方針は、市議会が、関連予算を可決するなどして承認しており、二元代表制という面で言えば、意思決定のプロセスに問題はない。

一方で、カジノを含むリゾート施設を、市の中心部である山下ふ頭に整備する計画は、横浜市の財政状況に重大な影響を生じるだけでなく、ギャンブル中毒症、治安の悪化のおそれが指摘されるなど、横浜市民の生活にも重大な影響を及ぼし得るものであるだけに、IR推進の是非については、「二元代表制」によるプロセスを経るだけではなく、横浜市民の民意の確認も必要だと考えられるが、横浜市のIR推進については、これまで民意の確認は殆ど行われていない。19万筆を超える反対署名が集まったことや世論調査の結果等から、現状において、多くの横浜市民がIRに否定的な意見を有していることは否定できない。

このような経緯から、IRの推進の是非については、「民意を問う」というプロセスが欠落しており、今年8月に実施予定の横浜市長選挙において重要な争点となり、選挙結果によって民意が反映されることになるのは、ある意味では必然と言える。

重要施策について首長選挙で「民意」を問うことの限界

しかし、地方自治体の重要施策について、首長選挙で賛成・反対両方の意見の候補者による選挙戦の結果、当選した候補者の意見を「民意」とみなし、それだけで、施策の是非について一刀両断的に結論を出すことが適切と言えるだろうか。

首長選挙は、その後の4年間の任期中の市の運営や事業遂行について、市民が基本的に白紙委任する対象となる市長を選ぶためのものだ。4年間の市政を全面的に委ねるに相応しい能力・資質を持った市長を選ぶことが、まず重要であることは言うまでもない。

しかも、首長選挙において民意を問うべき事項は、決して単一ではない。4年間の任期において実施の是非の判断を求められる重要施策、事業には様々なものがある。それら全体について適切な判断を行う首長を選ぶのが首長選挙であり、一つの大規模事業の是非だけが問われるのではない(横浜市において、現在計画中の大規模な事業として、米軍上瀬谷通信施設跡地で進められていた「超大型テーマパーク」開発に伴う相鉄線瀬谷駅付近と跡地を結ぶ新交通システムの建設の是非、文化芸術の創造・発信の拠点となる新たな劇場の整備などがある。)

また、首長選挙は、多数の候補から1名の首長を選ぶ手続きであり、その結果は、必ずしも、当該施策の是非についての民意の多数を反映するものではない。例えば、当該施策に反対の候補者が3名、賛成の候補者が1名で選挙戦を行った結果、賛成の候補が僅差で当選した場合、「賛成」の候補が市長に就任するが、民意の多数は「反対」ということになる。

 そして、もう一つ、決定的に重要なことは、首長選挙の結果を「民意」とみなして、重要施策の是非について一刀両断的に結論を出すことは、「二元代表制」のもう一方の要素である「議会」におけるプロセスを無視することになる、ということだ。

 前述したように、地方自治体の運営や事業の遂行は、基本的に、「二元代表制」に基づいて意思決定が行われる。重要施策の是非について、首長と議会との間の「熟議」を経て、判断が形成されていくのであるが、仮に、その判断が「民意」と異なっている場合に、首長選挙において、その施策に反対の民意が示されるということもあり得る。しかし、その場合も、その首長選挙において示された民意を、地方自治体の決定にどのように反映させるべきかは、当該施策の性格や実施の段階によって異なる。

 その重要施策が、大型事業である場合、それがまだ計画段階なのであれば、首長選挙で示された民意は、事業の中止の方向に向かうことになろう。しかし、既に、首長の判断と議会の承認の下で事業実施が決定され、契約も締結され、事業の一部が既に実施されているような場合、当該事業を白紙撤回することが、自治体に大きな損失や負担を生じさせることもあり得る。

そのような場合に、仮に、事業の白紙撤回の方向に大きく舵を切るとすれば、それを首長が議会に提案し、議会で審議をした上で、白紙撤回を模索していくことになるだろう。場合によっては、白紙撤回のために大きな財政上の負担が生じ、その予算を議会が承認する必要が生じることも考えられる。

それだけに、「民意」を確認する方法も、首長選挙で事業への反対の意見の候補者への投票が、他の候補者より相対的に多数を占めたというだけでなく、首長と議会という「二元代表制」のプロセス全体に向けられた「重い民意」であるべきである。それは、住民投票のような「直接民主主義」の方法によるほかないのではなかろうか。

横浜IRについて「民意」を反映させる方法

 横浜市のIR事業に関しては、事業者からの企画提案を受け、事業者を選定する段階であり、まだ事業の実施が決定されたわけではないので、現時点での「白紙撤回」が、事業者からの損害賠償等の法的な問題を生じさせることはないだろう。しかし、事業実施を前提として行われてきたこれまでの様々な施策を見直し、現実に白紙撤回を実行していくためには、予算の見直しなど議会の承認が必要となることも多々あり、まさに「二元代表制」に基づいて市長と市議会が十分な議論を経て協力して行っていくことが必要となる。

これまでの決定のプロセスでは、民意の確認が不十分であり、反対署名の数、世論調査の結果等によれば、むしろ民意に反しているようにも思える。そのような「民意の反映」の欠落を補完する重要な機会が、市長選挙であることは間違いない。しかし、その「民意の反映」を、市長選挙において、賛成派・反対派のいずれが勝利を収めるかということだけで、一刀両断的に行い、IR問題にすべて決着を付けることができるかと言えば、決してそうではない。そのような方法は、今後の市政に大きな混乱が生じさせることになりかねない。では、市長選挙でのIR推進について「民意」を問うとすれば、その選択肢は、どう設定すべきか。それは、現職の林市長が議会の支持を得て進めてきたIRを従前どおり推進するのか、それとも、改めて住民投票で民意を問うのかのいずれかである。

横浜市のIR事業については、住民投票を求める署名が法定数を超えたことに基づいて市議会に提出された住民投票条例が否決されている。しかし、この時点では、まだ、事業の内容すら固まっておらず、その時点で住民投票を行っても、単に「カジノ賛成・反対」だけを問うものにしかならず、横浜市の将来にも重大な影響を及ぼすIR事業推進の是非についての「本当の民意」を示すものにはならなかったであろう。

 現時点では、既に事業者からの提案も出揃っているのであり、事業の内容を具体的に示し、

その目的、それが横浜市の将来にもたらすメリット・デメリット等を示し、市民に判断材料を提供した上で、住民投票を行うことも可能である。

市長選で、「住民投票で改めて民意を問うこと」を公約に掲げた候補者が当選し、その点についての民意が確認された場合、市長が市議会に、IRについて「真の民意」を問うための上記の実施方法も含む住民投票条例案を提出することになるだろう。市議会では、「住民投票を実施すべき」との民意が市長選挙で示されたことを踏まえ、住民投票条例案の可否を審議・議決することになる。市議会で住民投票条例が可決され、住民投票が実施された場合には、その結果示された「民意」に従うことになる、IR事業「白紙撤回」が多数であれば、市長と市議会と協力し、全力で民意を実現していくべきことは言うまでもない。

冒頭でも述べたように、「IR事業推進の是非」は、横浜市の将来、地域社会の在り方にも重大な影響を及ぼす、最も複雑かつ困難な地方自治体のコンプライアンス問題である。その判断が、横浜市の未来に禍根を残さないようにするためには、自治体組織としての健全なガバナンスによって、意思決定が行われることが不可欠である。

私が横浜市のコンプライアンス顧問に就任したのは、2017年、3期目に入った直後の林文子市長が、重点施策として「コンプライアンスへの取組み」を掲げたことに伴うものだった。それから4年、「社会の要請に応える」コンプライアンスは、市の組織全体に着実に浸透しつつあると実感している。林市長の任期満了に先立ち、私自身は、7月6日のコンプライアンス委員会をもって顧問を退任する。しかし、立場は変わっても、IR事業を含む今後の横浜市の行政には、引き続き注目していきたい思う。

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外環道大深度工事の地上被害は「陥没・空洞」だけではない。外環道工事延伸、リニア中央新幹線の大深度工事への波及は必至

2020年10月、東京外環道のトンネル工事によって地上に陥没・空洞が発生、周辺地域で、家屋の傾き、損傷、地盤沈下等の被害が次々と明らかになった。「地上から40メートル以深、又は、支持層の下10メートル以深のいずれか深い方」という地下空間を、公共利用のために、国交省の認可を受けて、地上の土地に関する権利と関わりなく使用できる、という「大深度法」に基づき、地上への影響はないことを前提に行われている工事だったが、その前提を覆す「地上住民への深刻かつ重大な被害」が発生したものだった。

閑静な住宅地で、平穏な生活を営んでいた住民たちにとって、何の了解も同意もなく、地中で進められた工事によって、不安と恐怖に苛まれ、甚大な被害にさらされたことは、あまりに理不尽だ。被害住民としては、なぜ、そのような深刻な被害を生じさせる事故が生じたのか、徹底した原因究明が行われ、納得できる合理的な説明と情報開示が行われることを求めるのが当然だ。

私は、東京外環道工事の被害住民17名(現時点で契約済みの方)から委任を受けた代理人弁護士からなる弁護団の団長として、NEXCO東日本・中日本、国交省関東地整という3者の共同事業者に対して情報開示や説明を求めてきた。

しかし、NEXCO東日本など事業者側が2021年3月19日に公表した有識者委員会報告書の内容には、多くの疑問点、不合理な点があり、被害住民の委任を受けた当職らが、それらの疑問に答えるよう4月9日付けで要請書を送付したにもかかわらず、事業者側は、他の被害住民からの質問と「十把ひとからげ」にして、ホームページに回答を掲載しただけであり、しかも、その内容は、要請書で示した疑問にはまともに答えず、虚偽説明、問題のすり替え、ごかましに終始している。要求している情報開示もほとんど行っていない。その一方で、事業者側は、トンネルルート直上の住民に対して、「地盤補強のための一時移転」を求めてきている。

地上被害発生への「不安」は、リニア中央新幹線大深度工事にも波及

このような事業者側の被害住民に対する説明責任も果たさず情報開示も行わない不誠実極まりない対応によって、この問題は、新たな局面を迎えようとしている。

同様に、大深度法に基づいて、東京都大田区、世田谷区などの地下空間にトンネルを掘削する予定のリニア中央新幹線工事についての地上住民に対する説明会が先週開かれた。外環道工事での陥没・空洞問題は、リニア大深度工事の地上住民にも大きな不安を与えているはずだ。この工事の事業主体のJR東海が、外環道大深度工事で発生した地上の住民への被害に対して、外環道の事業者と同様の説明で済まそうとしたのでは、住民の不安は全く解消されないことは明らかだ。

今後、外環道被害住民側からも、外環道事業者がとり続けてきた不誠実極まりない対応についての情報が、リニア中央新幹線大深度工事の地上住民側にも提供されれば、大深度工事への地上住民の不安が拡散・拡大することは必至だ。それは、今後、外環道大深度工事が再開された場合に、地上でその影響を受ける可能性がある、三鷹市、練馬区、杉並区等の地上住民にとっても、他人事ではない。

外環道工事が、その完成によって、首都圏の交通渋滞を緩和するなどの交通上の利便を提供するという意味で、社会の要請に応えるものであることは確かだ。しかし、そのための工事の施工に当たって、地上住民の生活・健康に影響を及ぼす被害・損害を生じさせないという「社会的要請に応えること」は、事業者にとって最低限のコンプライアンスだ。地上の住民・権利者の同意なく大深度地下を掘削する工事なのである以上、一層強くそれが求められるのは当然だ。大深度法という法律に基づいて施工する工事なので「法令遵守」上問題ないという「慢心」があるとすれば、それは、事業者に対する信頼を著しく損ない、今回の外環道工事をめぐる不祥事の社会的影響を一層巨大化することになりかねない。

地上被害は陥没・空洞発生以前から生じていた

昨年10月に、調布市の外環道大深度工事の地上で被害が発生した時点から、この問題は「陥没・空洞問題」と報じられることが多かった。しかし、実は、大深度工事による地上住民への被害は、陥没・空洞が初めてではなかった。それより1か月以上前の2020年8月に入った頃から、振動及び低周波音の体感的被害の被害が深刻化していた。

ある住民は、その被害の模様について、次のように述べている。

ある日、仕事を終えて夜に帰宅すると、どこからか不明の地響きのような重低音が聞こえてきた。初めは2階の家族が大音量の音楽を聴いているのかと思い、様子を見に行くと家族は音楽を聴いていなかった。鼓膜に圧力がかかり食事も喉を通らないような不快な重低音(振動)であったため、外にでて原因を確認しようとしたが、外に出ても音源に近づくことができず、不快な重低音は不明なまましばらく続いた。記憶は定かでないが21時頃に振動はやんだ。

ネットで調べてみると外環工事が進行中であることがわかり、数日耐えればよいと言い聞かせて過ごした。しかし、重低音は数日かけてゆっくりと遠くから近づき、そのまま遠のいていくことを期待していたが、一向に遠のかず、2週間以上の間、同様の振動に毎朝・毎晩悩まされた。

当時、数週間にわたり継続する異常な振動に、地盤は大丈夫なのかと不安がよぎる。 また後に、この振動が直下の掘削ではなく、直線で20m程度離れたルートの掘削であったことを知り、直下であればどれほどの振動になるのかと恐怖を感じる。

また、ある住民は、次のように述べている。

ある日、突然変な波長の震えが鼓膜をびんびん突き刺し、頭も体も振動を感じ、食   器は振動を受け、チャリチャリとなり続けた・・・3週間ほど続いた。常に2階で大男がずしんずしんと歩くような振動を感じた。

「苦情・問合せ」に対応した夜間施工時間短縮が陥没・空洞の原因との事業者説明

事業者側は、陥没・空洞の発生を受けて、有識者委員会を設置、2021年3月に公表された報告書では、事故原因について「『特殊な地盤条件』が存在し、振動・騒音に対する問合せが相次いだために、夜間の工事中止時間を延長し施工時間を短縮したところ、カッターの回転不能が頻発、それを解消するために行った特別な作業で土砂の取り込みが発生。過剰な取り込みで陥没・空洞が発生した」と述べている。

要するに、地上住民の苦情を受けて、夜間の工事中止時間を延長するという「地上住民への配慮」を行ったことが、陥没・空洞が発生した原因であるかのように述べているのである。

そして、リニア中央新幹線の大深度工事を施工するJR東海は、このような外環道の大深度工事の陥没・空洞の発生の「教訓」からか、住民説明会で、「マシンを止めないのが安全な工法。夜も進めたい」と述べ、夜間も工事を実施し、振動や騒音には個別に対応する方針を明らかにしている。

「外環道の陥没・空洞は、住民の苦情がうるさかったから夜間工事を止めたのが原因、リニア大深度工事では、なりふり構わず夜間も掘り進めるので、陥没・空洞は起きない」と考えているのかもしれない。しかし、そもそも、地上への影響がないことを前提に制定されている法律に基づいて行われる工事で、地上住民に上記のような振動、低周波音の被害を発生させ続けていたことが重大な問題であり、それに対して苦情が殺到するのは当然のことである。その当然の苦情への対応のために「陥没・空洞」が発生したのだとすれば、その根本原因となった振動・低周波音を「一次的な被害」ととらえ、その発生を防止するのが、地上住民の同意なく大深度近くを掘削する事業者の当然の義務と言うべきであろう。外形的に明らかな「陥没・空洞」さえ発生させなければよいというのは、あまりに無責任な考え方だ。

根本原因は、不十分な事前調査で地盤の把握ができていなかったこと

根本的な問題は、有識者委員会の事故原因の説明にも出てくる「特殊な地盤」について、事業者が施工計画の段階で把握して、地上への影響を生じさせないようにするための十分な対策が講じたかどうかだ。

その点に関しては、事前の地盤調査が十分に行われていたのか否かに重大な疑問がある。

事業計画では、、トンネルルート上で、200メートルに1本のボーリングを行うことが原則とされていたのに、被害発生個所周辺のルート直上では、1キロメートルにわたってボーリングが実施されていなかった。しかも、その周辺には、「NEXCO中日本所有地」、「国道事務所所有地」、「市管理の公園」というボーリング実施が可能と思える3箇所の土地があった。今年4月に、被害住民弁護団から事業者への「要請書」で、この3箇所でボーリングが実施されなかった理由について尋ねたところ、

ボーリング調査は、大型の機械により数ヶ月の作業を要することもあり、また調査作業等で周辺への影響が懸念されること等、地域の周囲の住環境も考慮の上、調査箇所を選定しております。

ご指摘の3箇所の用地については、

・住居が近接しており、騒音・振動による周囲の住環境への影響が懸念されたこと

・当時の土地利用やアクセス道路の状況から実施が難しかったこと

・周辺のボーリング調査や微動アレイ調査を組み合わせることにより必要な調査がカバーできたこと

等により、ボーリング調査は実施していないものと考えております。

ボーリング調査は、物理的に実施可能な箇所全てで実施するものではなく、既存調査等で把握した地質状況を踏まえた上で実施箇所を検討して必要な箇所で実施しております。

陥没・空洞事故を受け、地域の住民の方々に、ご不便やご迷惑をおかけしながら、ご協力を頂いて実施した原因究明のためのボーリング調査等の結果は、この事前調査の結果と概ね一致しており、工事着手前に行われる地盤状況把握のための事前調査は適切に行われていることを有識者委員会に確認いただいております。

などと回答した。

事業者側の説明は、ボーリング不実施の理由には全くならない

しかし、少なくとも、「国道事務所所有地」と「市管理の公園」は、調査時点でも道路に面しており、現に陥没事故後にはそこで特段の騒音・振動対策も行わずにボーリングが実施されている。「NEXCO中日本の用地」でも、陥没事故後に特段の騒音・振動対策も行わずにボーリングを実施しており、ボーリング調査が当該3地域において実施可能であったことが事故後に実証されている。

ボーリング調査を補完するために行ったとする「微動アレイ調査」については、地表近くの地盤状況しか把握できないとの指摘もあり、国交省のホームページにもそのような記載がある。

NEXCOは「工事着手前に行われる地盤状況把握のための事前調査は適切に行われていることを有識者委員会に確認いただいております」としているが、同委員会の小泉委員長は、「ネクスコや国土交通省の用地については説明を受けていないので認識していなかった。」(2021年2月12日ブリーフィング)、「通常のボーリングよりは距離が飛んでいる。・・・こういう事象が起こってみれば、この辺のボーリングはもっと取れればよかった。」(2020年12月18日ブリーフィング)などと発言しており、委員会として、「地盤状況把握のための事前調査は適切」と判断していたとは思えない。

事業者側の回答は、単なる「ごまかし」である。被害住民に対して、事故を発生させたことを真摯に反省し、工事の事前調査、工事施工全般にわたる事故原因の分析を誠実に行って、振動・低周波音、陥没・空洞、地盤の緩み等の被害を二度と発生させないようにしようとする姿勢が全く見受けられない。

「地盤補強のための一時移転」を被害住民に求める事業者

その一方で、事業者側は、地盤補強のための一時移転に向けての交渉を進めようとしている。陥没・空洞が発生した区間に生じた「地盤の緩み」を補強するため、薬液の注入等の工事を実施したいとして、トンネル直上の家屋の住民に対して、2年間の「一時移転」を要求している。

この工事も、口先では、大深度トンネル工事によって地上に生じた被害の復旧であるかのように言っているが、本当の目的は、工事続行ために必要な「地盤補強」であることが疑われる。というのは、今回、地上に被害を発生させたNEXCO東日本「南行きトンネル」と隣接して、NEXCO中日本が施工中の「北行きトンネル」の大深度工事が被害発生現場周辺であり、それが、今回の陥没・空洞の表面化以降ストップしている。NEXCO中日本は、工事再開を目論んでいるようであり、その工事施工のためには、今回の事故で生じた「地盤の緩み」を解消する必要があり、そのために「地盤補強」を行おうとしている可能性があるのである。

不誠実極まりないNEXCO東日本等の事業者の対応に、被害住民は、呆れ果て、その怒りは頂点に達している。

事業者側の不誠実極まりない対応による被害住民の「不安」は、今後、リニア中央新幹線大深度工事の地上となる大田区、世田谷区、外環道大深度工事の延伸先の三鷹市、練馬区、杉並区の地上住民にも波及することは必至だ。今回の事故は、単なる「調布陥没・空洞被害者」だけの問題ではないことを、これらの大深度工事が通過する行政区域の住民すべてが認識すべきだ。

なお、外環道大深度工事の問題に対する対応の経過、事業者側に送付した要請書等については、郷原総合コンプライアンス法律事務所のホームページに掲載しているので、ご関心がある方はご覧頂きたい。

➡ https://www.gohara-compliance.com/information/gaikan

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生活保護への対応と地方自治体のコンプライアンス

私は、コンプライアンスを、「法令遵守」ではなく、「組織が社会の要請に応えること」ととらえ、組織をめぐって発生する様々な問題の解決、事業・業務におけるコンプライアンスの取組みに関わってきた。

とりわけ、「社会の要請に応える」というコンプライアンスの観点が重要なのが地方自治体である。民間企業においては、需要に反映された社会の要請に応えていくことがベースとなるのに対して、地方自治体の場合、住民のニーズのほかに、公共の利益に関連する様々な要請が絡み合い、それに応えていく地方自治体の業務に関して、複雑かつ困難な問題が発生する。

その中で、最も深く関わってきたのが横浜市だ。2007年から、コンプライアンス外部委員としてコンプライアンス委員会に関わっていたが、2017年からはコンプライアンス顧問として、各部局、区で生起する様々な不祥事、コンプライアンス問題について対応の助言を行うほか、各部局・各区の幹部に対するコンプライアンス研修の実施などを通して、深く関わってきた。

コロナ禍の長期化で、社会全体が消耗、疲弊する中で、地方自治体に対する要請も複雑多様となり、バランスよく的確に応えていくことは容易ではなくなっている。こうした中で、横浜市においても、様々な不祥事の発生が続いている。

そのうちの一つ、社会的にも大きな問題となったのが、今年2月、横浜市神奈川区生活支援課での生活保護の申請をめぐる問題だ。

生活保護をめぐる複雑な社会の要請

生活保護という制度と運用をめぐっては、これまでも地方自治体の現場で様々な問題を発生してきた。そこには、制度と運用をめぐって社会の要請が複雑に絡み合う構図がある。

1つは、「生活保護は他の手段の補足であるべきだ」という要請である。誰しも、自らの資産・能力によって健康で文化的に生活できることを望んでいるはずであり、それが困難な人に対する直接的な公的支援として行われる生活保護は、「最終的な手段」だ。生活困窮者に対して、就労機会の提供や他の制度の活用などによって自立を支援できるのであれば、その方が望ましいことは言うまでもない。

2つめは、「保護を必要とする人には積極的に対応する」という要請だ。自らの資産・能力では健康で文化的な最低限の生活を維持することが困難な状況になっている人に対しては、生活保護による支援を積極的に行うことが求められる。真に生活保護を必要としている人に申請を躊躇させるようなことはあってはならない。特に、現在のコロナ禍のように、困窮者が急増する経済、社会状況においては、生活保護による支援が、より幅広く行われる必要がある。

3つめは、「保護要件の審査は厳格に行うべき」という要請だ。生活保護費は、公的資金によって賄われているのであり、保護要件の充足に関する審査は厳正に行われなければならない。いかなる状況においても、資産・能力についての虚偽申請や不正受給は許されないし、特に、暴力団関係者等による不正請求に対しては、毅然とした対応が求められる。

生活保護に対応する自治体には、複雑に交錯するこれら3つの要請に、バランスよく適切に対応することが求められる。

自治体の現場での生活保護への対応の経緯

自治体の受付窓口では、生活保護の申請があれば、まず「相談」という形で対応し、生活保護制度のほか、生活福祉資金・障害者施策等各種の社会保障施策についても説明する。そのうえで、申請の意思を確認し、様々な検討・調査が行われる。その際、自治体の側で、保護申請をなるべく受理したくないと考えて、申請書を渡さない、受け取らない、申請を取り下げさせるような対応がなされることがある。

かつて、暴力団などの不正受給防止のために厳格な審査を求める通知が厚生省から発出されたことがあり、その通知に過度に反応した現場が、申請を受理せず、窓口で追い払う傾向が強まったことがあった。それが、「水際作戦」として批判にさらされた。2006年には、北九州で生活保護申請を受理してもらえなかった生活困窮者の餓死事件が発生したことで、社会問題化した。

その後、厚生労働省は、「要保護者の申請権の侵害をしない」方針を明確に打ち出し、生活保護法23条による法施行事務監査を行って、「保護の相談に当たっては、相談者の申請権を侵害しないことはもとより、申請権を侵害していると疑われるような行為も厳に慎むこと」と徹底してきた。

しかし、その後も、2014年に銚子市で母子心中事件が起きるなど、生活保護をめぐる問題は後を絶たない。「保護申請をなるべく受理しない」という「水際作戦的な姿勢」は、まだ、自治体の一部に残っているようである。

自治体としては、窓口での対応が、そのような批判を招かないよう、最大限の努力をすべきであるよ。

横浜市神奈川区生活支援課の事案

そこで、横浜市神奈川区生活支援課で発生した事案についてみてみよう。

2月22日、横浜市神奈川区生活支援課に、「アパートで暮らしたい」という理由で生活保護を申請しようと訪れた20代女性の申請を受け付けなかったことが問題になった。女性を支援する生活保護の支援団体から、「生活保護の申請権を侵害する悪質な水際作戦」などと批判され、マスコミでも大きく報じられた。

その女性は、居所がなく、「アパートで生活をしたいため」生活保護を申請したいと希望していたのに、対応した職員が、路上生活者などに提供される横浜市の生活自立支援施設を案内し、「居所が定まらないと申請が却下される可能性がある」などと施設入所が受給の要件であるかのような誤った説明を行って、女性の当日の申請を諦めさせてしまったのである。

担当職員が事実と異なる説明を行い、申請の意思があったのに受け付けなかったのは、明らかに誤った対応だ。問題は、そのような対応が、どのような意図で行われたのか、それが、担当職員個人の問題なのか、横浜市の組織としての生活保護への対応姿勢にも問題があったのかという点だ。

この事案では、申請書を持参して「申請したい」と口頭で述べている時点で、客観的に申請意思が明らかだったと言える。路上生活者になりかねない若い女性が救済を求めてきているのであるから、上記の2つめの「保護を求めている人には積極的に対応する」要請という面では、担当職員から促してでも、申請書を受け取るべきだった。

その女性は「アパートで生活をしたい」との希望を述べていたのに、申請書を提出させる前に、施設等を案内し、そこに住民票を移せば容易に手続きできるかのような説明を行えば、施設入所が受給の要件であるかのように思われ、意にそぐわない施設入所を押し付けられたように受け取られる。そういう意味で、申請権を侵害する可能性のある対応であったことは否定できない。

「水際作戦」だったのか

しかし、担当職員の対応は、果たして、申請をなるべく受理したくないとか、申請を諦めさせようとする意図で行われたのだろうか。

支援施設を保有している横浜市の担当職員として、居所のない困窮者に対して、支援の「選択肢」として、経済的負担のない施設への入所を案内することは、一般論としては間違っていない。また、居所があることは生活保護申請の要件ではないが、居所が定まっていない場合、受給決定後の生活状況の調査等に支障が生じる可能性があるという意味で、受給の可否の決定に影響を与える要因となることは否定できない。保護が開始されるために、居所を定めたほうがよいというのも、生活保護の受給についての説明として間違っているわけではない。

そういう意味では、申請を妨げようとする意図ではなく、むしろ、良かれと思って説明していたのではないかとも思える。それは、申請を受け付けた後の要保護要件の審査で、上記の3つめの「保護要件の審査は厳格におこなうべき」との要請が働くことを念頭において、1つめの「生活保護は他の手段の補足であるべきだ」との要請から、まず、居所のない状況を解消すれば実質的な救済につながると思った可能性がある。

しかし、そうであったとしても、若い女性に、いきなり施設入所を勧めたことが配慮を欠いた対応であったことは否定できないし、それが、申請を受け付けること自体に消極的であるように受け取られ、2つめの「保護を求めている人には積極的に対応する」という要請に反することになったのである。

担当者個人の対応の背景にある、横浜市の生活保護行政の姿勢自体については、問題があったようには思えない。最近の厚生労働省の生活保護法施行事務監査において問題が指摘されたことはないし、昨年も、緊急事態宣言を受け、ゴールデンウイーク中も臨時相談窓口を開設して対応するなど、むしろ、生活保護への対応には積極的な姿勢で臨んでいた自治体である。横浜市としては、必要な生活保護費については、十分に予算確保する考えが浸透しており、申請を絞り込む動機があったとも思えない。

コロナ禍での環境変化への不適応

そのように考えると、むしろ、今回の事案は、コロナ禍での要保護者の状況の「変化」に、担当職員を含め神奈川区の生活保護担当部門が適応できていなかったことに原因があるように思われる。感染対策の影響でいきなり職を失い、住居も失って、生活保護を求めるケースが増えており、その中には、居所さえあれば施設でもよいと考える困窮者ばかりではなく、職を失って所持金は減少していても、施設には抵抗感があり、一般住居に暮らしたい、と希望する人もいる。“生活保護”と一口に言っても、要保護者が求めることの中身が多様化し、よりきめ細かな対応が必要となっていると言えよう。

そうした状況においては、受付窓口での相談の段階から、その実情、困窮の態様・程度に応じて、実質的に有効な支援を行えるよう適切な対応が必要となるし、それが、要保護者に正しく認識理解され、寄り添った対応ができるよう、より高度なスキルが求められる。

現場の知識習得・技術向上のための指導体制、人員不足の改善などにも目を向ける必要があるだろう。

横浜市は、今回の事案を受けて、5月14日、第三者による検証を行うため、「生活保護申請対応検証専門分科会」を設置した。そこでは、今回の不適切な対応について検討し、原因を明らかにするだけでなく、コロナ禍での環境激変の中で、要保護者にきめ細かなケアを行うための職員の指導監督や体制整備の方策について幅広く検討が行われることが期待される。

そして、事案の調査、上記分科会による検証を踏まえて、現場レベルでの改善措置を十分に講じることに加え、もう一つ重要なのは、自治体としての明確なメッセージを発することである。今回の事案がマスコミで「水際作戦」などと報じられたことで、横浜市の生活保護行政に対して疑念や不信が生じたことは否定し難い。それを払拭するためには、コロナ禍で増大する生活困窮者に対して、生活保護も含め、あらゆる手段を講じて積極的に支援を行っていく方針を明確に示すことが大切である。自治体のトップ自らの対応が求められる場面である。

 

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菅原一秀氏は、なぜ公の場で「国民への説明」をせず、ネット上での「一方的な発信」ばかりするのか?

菅原一秀衆院議員(前経済産業大臣)が、地元で香典・枕花等として現金を渡したとされる事件で、公職選挙法違反(選挙区内での寄附)の罪で略式起訴される見通しとなったことを受け、菅原氏は、6月1日に自民党を離党した上、議員辞職願を提出し、3日に、衆議院本会議で辞職が認められ、菅原氏は、議員の身分を失った。

来週には略式起訴が行われるとされており、裁判所が罰金の支払を命ずる略式命令を出すと、選挙権・被選挙権(公民権)が原則5年間停止となり、その間、菅原氏は、公職を務めることも、公職選挙に立候補することもできないし、選挙運動を行うことも禁止される。

菅原氏は、自らの「公式ブログ」で、

けじめとして、本日、衆議院議員を辞すべく院に辞職願を提出致しました。

などと述べているが、罰金刑で公民権停止となり国会議員失職となるからこそ、議員辞職願を提出したものであり、自発的に「けじめ」をつけたものでは全くない。

 菅原氏に対しては、野党だけではなく、自民党と連立政権を組む公明党や自民党内からも説明を求める声が上がっているが、菅原氏は、マスコミへの発表文とブログで

当局の処分がまだ出ておりませんゆえ、ここですべてをお話することは差し控えさせていただきます。

と述べ、現時点では、事件についての公式の説明を全く行っていない。

 ところが、ブログやフェイスブック(Facebook)では、上記の投稿を含め、「一方的な発信」を続けている。

 6月に入ってから辞職願を提出したことで、6月末の期末手当が全額支給されることについて野党などから批判されたことを受け、2日夕刻、Facebookで

昨日、議員辞職願を提出しました。明日の本会議で辞職が許可される予定です。尚、月末予定の賞与は当初より、全額返上するつもりでしたので、その手続きに入ります。法律上、返上が叶わなければ、昨年同様、被災地に全額お送りさせていただきます。

と投稿した。

 その後、菅原氏は、翌朝までに、上記投稿の「尚、月末予定の賞与は」の前に、「検察の処分が6月とのことで、それまで任期を全うしようとしました。」を付け加えている。

 6月1日に辞職願を提出したのは、検察の処分が出るまで任期を全うしようという意図で、期末手当をもらうためではないという「言い訳」がしたいのであろうが、そもそも、地元有権者への寄附の公選法違反の事実を認めていながら、ここまで議員の椅子にとどまったこと自体、本来、許されることではない。

今回、刑事処分に先立って辞職したのは、検察に、自発的に議員辞職したことを情状面で評価してもらい、「公民権停止期間は3年に短縮が相当」との意見を裁判所に提出してもらおうとの魂胆であろう。刑事処分後に議員辞職したのでは、情状面の評価の対象にならないことは言うまでもない。そういう意味では、「6月1日議員辞職願提出」というのは、「期末手当満額支給」で、なおかつ「公民権停止期間短縮」を狙える「絶妙なタイミング」と言える。

そして、菅原氏は、2日深夜、公式ブログにも同様の投稿を行った。

3日夜には、Facebookの投稿で、議員辞職が許可されたことの報告に加えて、

なお、期末手当について総務省と衆議院の議員課に確認したところ、やはり国庫への返納は不可とのことです。全額、被災地へお送りさせていただきます。

と述べている。

 しかし、菅原氏の「被災地に送る」というのも、「期末手当返上」として額面どおり受け取ることはできない。

 元秘書らの話によると、菅原氏は、秘書から、公設秘書が国から支給されている給与と私設秘書の給与の差額を「上納」させており、その時にも、「被災地への寄附」や「赤い羽根募金に充てる」ことを名目にしていたという。また、常時「香典袋」を持参して活動していた秘書が、地元の支援者の葬儀・通夜の情報を入手し損ねて香典等を出すことができなかった時に、「罰金」と称して秘書から金を巻き上げる際にも、「慈善団体に寄附する」などと言っていた。

 今回は、「秘書から」ではなく、「国民から」期末手当分を巻き上げることになるのだが、秘書に対して常時使っている「被災地に送る(寄付する)」という常套文句で批判を逃れようとしているのであろう。

 自分の支持者、支援者向けのブログ・Facebookで一方的に発信しているが、その内容は、公の場や記者会見であれば、追及されて、到底維持できなくなるようなことばかりなのである。 

 菅原氏は、公選法違反を犯した事実を認めていながら、6月1日まで議員の職にとどまって歳費ばかりか期末手当まで全額を受領することになった。一方で、事件の内容や経緯についても、6月1日に辞職願を提出した理由についても、国民への説明責任を全く果たさず、ブログやFacebookで身勝手な「一方的な説明」を続けている。

このような議員が、自民党の要職を務め、経済産業大臣まで務めていたというのは、巨額買収事件で後に逮捕された河井克行議員が法務大臣を務めていたのと同程度に、信じ難いことだ。

菅原氏に対する略式命令では、議員辞職したことを有利に評価することなどあってはならない。原則どおり、5年の公民権停止が当然だ。

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「検察審査会の正義」で議員辞職に追い込まれた菅原一秀氏、「秘書にハメられた」についても説明を

 菅原一秀衆院議員(前経済産業大臣)が、地元で香典・枕花や現金を渡したとされる問題で、菅原氏は、6月1日に自民党を離党し、議員辞職願を提出した。東京地検特捜部は、近く、公職選挙法違反(選挙区内での寄付)の罪で菅原氏を略式起訴する見通しと報じられている。

 私は、菅原氏の指示で有権者への香典・枕花や現金供与を行っていた元公設秘書2人の代理人として、そして、当初の検察の菅原氏に対する不起訴処分(起訴猶予)に対する検察審査会への審査申立の代理人として、この事件に関わってきた。その契機となったのは、当時公設秘書だった2人から、2019年11月、「菅原氏から、『文春と組んで代議士をハメた秘書』のように言いふらされて、事務所をクビにされそうになっている」と相談を受けたことだった。

 この事件が週刊文春で報じられた後、検察が捜査に着手し、不当な不起訴処分に終わった時点までの経緯については【菅原前経産相・不起訴処分を“丸裸”にする~河井夫妻事件捜査は大丈夫か】で詳細に述べている。

 2020年6月、検察は、菅原氏の公選法違反事実を認めた上で「起訴猶予」としたが、次席検事が異例の会見を開いて説明した理由は全く納得できるものではなく、検察審査会に持ち込まれれば、覆ることは必至だと思えた。ところが、検察は、7か月以上も前に受領していた告発状を、不起訴処分の直前に告発人に送り返し、「告発事件」ではなく、検察が独自に認知立件した事件のように装って、事件が検察審査会に持ち込まれないようにする「検察審査会外し」を画策していたことがわかった。

 私は、同年7月、告発人から委任を受け、審査申立代理人として、「有効な告発状を提出している以上、検察が不当に受理せず返戻していても『告発した者』として検察審査会への申立ては可能」との法解釈に基づいて、検察審査会への申立てを行ったところ、数日後、東京第4検察審査会から「令和2年(申立)8号事件として受理した」旨の通知が届いた。(この間の検察の不当な対応と審査申立の経緯については、ブログ記事【菅原前経産相不当不起訴の検察、告発状返戻で「検審外し」を画策か】)

 そして、その9か月後の2021年3月12日、東京第4検察審査会が、菅原氏に対して「起訴相当」の議決を行ったことが発表された。

 告発人の「申立事件」として検察審査会が受理しているのに、検察は、検察審査会から提出を求められた不起訴記録を提出しないという「審査妨害行為」を行ったが、菅原氏の元公設秘書2名が、菅原氏に指示されて公選法違反行為を実行していた状況についての「陳述書」や資料を提出するなどして審査に協力したこともあって、東京第4検察審査会として職権で審査を行うことを議決した上、「起訴相当」議決に至ったものだった。まさに、市民の代表として「検察の不正義」を正した画期的な議決であった(【菅原一秀議員「起訴相当」議決、「検察の正義」は崩壊、しかし、「検察審査会の正義」は、見事に示された!】)。

 検察官が、犯罪事実を認めた上で「起訴猶予」とした事件が、検審で「起訴相当」と議決された場合、検察が再捜査の結果、再度「起訴猶予」にしたとしても、検審での再度の審査で「起訴議決」となり「強制起訴」されることはほぼ確実だ。検察にも、不起訴処分の際に犯罪事実を認めている菅原氏にも、「逃げ道」はなかった。

 そういう意味で、検察が菅原氏を起訴し、議員失職となるのも当然の結末だった。今回、菅原氏が議員辞職したのは、現職議員のまま刑事処分を受けることを避けるためであろう。

 このような経緯の中で、最大の問題は、当初、検察が、なぜ菅原氏を「起訴猶予」にしたのかという点だ。

今回の結末からも明らかなように、現職国会議員の「違法寄附」の公選法違反行為が認められる以上、罰金刑に処するのは当然であり、「起訴猶予」などという処分はあり得ない。

 2019年10月に週刊文春の報道を受けて経産大臣を辞任した菅原氏は、その後、「体調不良」を理由に10月から開かれていた臨時国会を欠席し続ける一方で、「秘書にハメられた」と言って地元支持者回りをしていた。

 そして、2020年1月20日の通常国会の初日には、国会内で、記者に公選法違反の疑惑について質問されて、

「告発を受けているので答えられない」

と述べて説明を拒否していた。

 ところが、6月16日、菅原氏は、突然、自民党本部で記者会見を行い、

「近所や後援会関係者らの葬儀が年間約90件あり、自身は8~9割出席しているが、私が海外にいた場合、公務で葬儀に参列できない場合に秘書に出てもらい、香典を渡してもらったことがある。枕花の提供もあった。」

として公選法違反の事実を認め、

「反省している」

と述べた。

 その翌週の6月25日、菅原氏の不起訴処分が、東京地検次席検事の記者会見で公表された。

 このとき認定された違法寄附は約30万円、不起訴理由は、「後援会関係者らの葬儀には自身が8~9割出席した」という菅原氏の言い分を「丸呑み」したものだった。元秘書らは、常に「菅原一秀」という文字が印字された香典袋を持ち歩き、通夜・葬儀の情報を得たら菅原氏に金額を尋ねて香典を持参しており、菅原氏本人の出席は、そのごく一部に過ぎず、違法な寄附の総額は300万円程度に上ることは、秘書らの供述やLINEデータ等からも明らかだった。

 菅原氏の突然の「記者会見」と検察の不起訴処分のタイミング、不起訴理由の説明などから考えると、検察側と菅原氏側と間で、何らかの話し合いが行われ、不起訴の方針が決まったようにしか思えない。 

 今回、菅原氏が起訴される見込みの公選法違反の法定刑は50万円以下の罰金である。簡裁の略式命令による罰金刑が確定すれば、公選法の規定で「公民権停止」となり、衆院議員を失職する。公民権は原則5年間停止され、その間は立候補もできない。

 この公民権停止については、裁判所が、情状により、刑の言渡しと同時に、規定の不適用や期間短縮を宣告することができるとされている(公選法252条4項)。そして、それについて、検察官が、裁判所に「意見」を述べるのが通常だ。

 公民権停止期間が、原則通り5年なのか、3年程度まで短縮されるかは、菅原氏が、今年秋までに行われる次回衆院選には立候補できないとしても次々回の衆院選に立候補できる否かに関わる。近く行われる菅原氏の略式請求で、公民権停止について検察がどのような意見を述べるのか、裁判所が略式命令でどう判断するのかが注目される。(裁判所は、検察の意見には拘束されない。)

 元秘書らは、2020年3月末に菅原氏に公設秘書を解任されたが、それまで、秘書として菅原氏の指示に忠実にしたがい、職務を行ってきた。国会議員秘書の職にある者にとって、「週刊誌と組んで議員を大臣辞任に追い込んだ」などと言われることは、職業生命を奪われる程の「汚名」だ。菅原氏は、秘書にそのような汚名を着せて自らを正当化し、検察も、そのような菅原氏の言い分を「丸呑み」して不当な起訴猶予処分を行った。しかし「検察審査会の正義」によって、それが是正されようとしている。

 菅原氏は、今回の事件について、これまで全く説明責任を果たして来なかった。

 略式命令を受けた際には、「秘書に汚名を着せていた点」も含めて、公の場で説明責任を果たすべきだ。 

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2021年開催回避のための「現実的方策」としての“2024年東京パリ共同開催”

 コロナ禍による医療の危機的な状況が続き、2か月先に迫った東京五輪の開催に、国民の8賄以上が、中止か延期を望んでいるにもかかわらず、日本政府や五輪組織委員会、東京都の「開催強行」の方針は変わらず、国民の間に、強い不安と反発が渦巻いている。

 こうした中、東京五輪開催に否定的な論調のTBS系「サンデーモーニング」に出演した姜尚中氏が、東京五輪を2024年のパリ五輪と一部“共催”にする案を提示した。東京五輪開催を「賭け」と表現し、「それはしてはならない」と否定し、

「場合によっては、パリ大会の時に一部を日本で開催するなんていうことも、フランスとIOC、JOCでやって、そこで初めて日本なりに『克服しました』と世界にアピールすればいい」

と述べた。

 私は、昨年6月、都知事選の際に、「2021年東京五輪」の開催を中止し、「2021東京パリ共同開催」とすることを現実的な選択肢として提案していた(【都知事選の最大の争点「東京五輪開催をどうするのか」】)。

その時点で考えた案は、

会場設置に多額の費用がかかる種目を中心に、全種目の3分の2程度を東京或いはその周辺で開催し、パリでは、会場の整備等の費用が低額で済む競技(例えば、暑さが問題とされるマラソン・競歩や、お台場の競技会場が「トイレのような臭さ」で評判が悪いトライアスロンなど)を開催することで、競技種目を分担し、開会式は東京で、閉会式はパリで実施する

というものだった。

 7月に、あるルートを通じて、フランス側関係者の意向を確かめてもらったところ、

「フランス側としては、日本が2021年夏東京五輪開催の方針を維持している限り、2024年開催について日本側と話をすることは困難」

とのことだったので、それ以降、様々な観点から、2021年東京五輪開催を強行すべきではない、早期に開催を断念すべき、との意見を述べてきた(【”東京五輪協賛金追加拠出の是非”を、企業コンプライアンスの観点から考える】、【東京五輪開催中止「責任回避」合戦を、スポンサー企業も国民も冷静に見極めるべき】)。

 パリ五輪については、フランス政府等は、予定どおり開催の方針を崩していないが、少なくとも昨年9月末の時点では、瀬藤澄彦帝京大学元教授が、コロナ禍でパリ市内の交通網の整備、開催資金の調達等が大きな影響を受けており、決して開催準備が楽観視できる状況ではないと指摘していた(【コロナ危機の影響受ける24年パリ五輪の開催準備】。

 フランスとしても、パリ五輪開催には、国の威信がかかっているのであろうし、それに先立つ東京五輪の開催方針が変わらない以上、3年先の五輪開催に消極的な姿勢は見せられないのは当然であろう。

 しかし、東京五輪でも、開催経費は当初の予定を大幅に上回り、しかも、開催直前まで開催の是非をめぐる混乱が続いていることで、パリ五輪開催に向けてのスポンサー企業の姿勢には大きな影響が生じているはずだ。フランスにとっても、膨大な費用をかけて当初の予定どおりパリ五輪の開催を進めることに、本当に問題はないのだろうか。

 フランスのマクロン大統領は、いち早く、東京五輪開会式への参加を表明しているが、もし、「2024年東京パリ共同開催」ということにできるのであれば、東京五輪開会式を、日本とフランス政府、東京都とパリの代表だけが出席した「東京・パリ聖火共有イベント」に代替することで、日本とフランスの連携・協力をアピールする場にすることも考えられる。

 1年前から、この方向に舵を切っていれば、今のような、直前に迫った東京五輪開催に向けての「進退両難」の“断末魔状態”に陥ることはなかった。しかし、時計の針を戻すことはできない。今からでも遅くない。2021年夏開催を中止する現実的な選択肢として考えてみるべきだ。

 商業化したオリンピックというイベント自体に対して批判的な意見も多くなっており、東京五輪中止だけでなく、今後、オリンピックには一切関わるべきではないという意見もあろう。しかし、開催に向けてのIOCの強い意向を受け、政府・組織委員会・東京都が、開催に向けて「爆走」する中、「開催強行」から国民の命や健康を守るために、どうしたら、今年7月の開催中止を実現できるのかを考えるしかない。「2024年東京パリ共同開催」は、国民の命を守り、しかも、これまで東京五輪にかけてきた膨大な費用がすべて無駄になってしまわないように2021年東京五輪開催を中止する現実的な選択肢だ。

 今からでも遅くない。パリ五輪に関する情報収集を行い、パリ市側との水面下での意見交換を行って「東京パリ共同開催」を模索することが、開催都市の東京都にとって、「東京都民の命を守る」という社会的要請に応える “究極のコンプライアンス”だと言えよう。

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自民党重鎮「関与否定」発言から明らかになった「1億5千万円提供の指示者」~資金使途は関連書類「仮還付」で解明可能

2019年参院選を巡る買収事件で有罪が確定した河井案里元参院議員の陣営に、自民党本部から、同じ自民党公認の溝手顕正氏の10倍の1億5000万円もの資金が提供されていた問題について、党重鎮の発言が波紋を広げている。

5月17日の自民党本部での記者会見で、二階俊博幹事長は、資金の支出について「私は関係していない」と述べ、林幹雄幹事長代理も「実質的には当時の選挙対策委員長が広島を担当していた。幹事長は細かいことはよく分からない」と説明した。

党本部が資金を支出した2019年4~6月、自民党の選挙対策委員長を務めていたのは、甘利明・税制調査会長だったが、同氏は、18日、記者団に「(1億5000万円の支出には)1ミリも関与していない。1ミクロンもかかわっていない。事件後の新聞報道を見て初めて知った」と述べた。

このような自民党幹部の発言に関して、岸田文雄前政調会長は、18日に出演したBS番組で、「1億5000万円を出したその後、それを何に使ったか、これを明らかにしてもらいたい。我々が申し入れをした論点と、昨日から騒ぎになっている論点、これはちょっとずれている」と発言した。

自民党本部から河井陣営に提供された1億5000万円に関して問題になっているのは、

(1)溝手候補の10倍もの資金提供は誰が決めたのか、

(2)何に使ったのか、

の2つの点だ。

(1)の点は、そもそも、自民党広島県連の強い反対・反発にもかかわらず、参院広島選挙区に2人目の候補として案里氏を公認したのは、いかなる目的だったのか、という点に関連する。

克行氏が公判で供述しているように「自民党の党勢拡大、憲法改正の発議のため」だけだったのか、安倍晋三前首相が「溝手氏への私怨」から同氏の落選を狙ったのか、或いは、菅義偉氏、二階氏らが、総裁選を見据えて、安倍首相の後継の自民党総裁の有力候補だった岸田氏の大番頭の溝手氏落選を狙ったのかなど、様々な見方がある。

いずれにせよ、1億5000万円の資金提供を決定した人物は、10倍もの資金提供の理由について説明責任を負うことになる。

一方、(2)の点は、資金提供の違法性、不当性に関連する。

結果的に、買収原資に充てられたというだけでも、その政治的・社会的責任は重大だ。もし、資金提供が、「案里氏を当選させる目的で」買収原資に充てられることを認識した上で行われたのであれば、公選法の買収目的交付罪に該当する可能性もある(【検察は“ルビコン川”を渡った~河井夫妻と自民党本部は一蓮托生】)。

この点について最もよく知る克行氏は、自らの公判の被告人質問で、買収の資金について、「私の手持ちの資金で賄った」「衆議院の歳費などを安佐南区の自宅の金庫に入れ保管していた金で賄った。」と供述した。しかし、検察官から、日頃から議員活動のために「借り入れ」をしていることとの関係や、平成31年3月に金庫にあった現金の額について質問され、「覚えていない」としか答えられず、また、検察官から「自宅を検察が捜査した時点では大金はなかった。」と指摘されても「わからない」と述べるだけだった。

一方で、克行氏は、公判供述で、県連が溝手氏だけを支援し、案里氏の支援をすべて拒絶しており、「県連が果たすべき役割を果たしていない」ので、「やむを得ず」「市議、県議に県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げ」たと述べている(【「事実を認めた」河井克行元法相の公判供述は、広島県連・安倍前首相・菅首相にとって「強烈な刃」!】)。

克行氏は、5月18日の公判期日の被告人最終陳述では「1億5000万円の交付金の使途につき、いわゆる買収資金には一銭も使わなかった」と述べたが、弁護人の弁論では買収原資については全く触れておらず、「買収資金はポケットマネー」という克行氏の公判供述は弁護人にも信用されていない。

このように、上記(2)について、買収資金に充てられたことが明白になっており、上記(1)の1億5000万円の資金提供を誰が指示・決定したかが特定されると、責任追及が必至ということで、二階氏・甘利氏ら自民党重鎮が「関与否定発言」を行っていると見るべきであろう。

岸田氏も求めている、上記(2)の点についての自民党としての事実解明について、二階氏などは、これまで「検察から書類が戻れば、報告書を作成し、総務省に届ける」と述べて、「関係書類が検察に押収されていること」を、事実解明ができない「言い訳」にしてきた。しかし、河井夫妻の公判の状況からすれば、現時点では、その「言い訳」は全く通用しない。1億5000万円の使途を明らかにする関連書類の入手はすぐにも可能だ。

証拠物の押収というのは、捜査や公判立証のために行われるものであり、原則として、当該事件の裁判が終わるまでは押収物は返還されないが、刑訴法上、「押収物は、所有者、所持者、保管者又は差出人の請求により、決定で仮にこれを還付することができる。」(222条1項、123条2項)とされ、「仮還付」が認められている(仮還付を受けた者はその物を、証拠価値を変動させないように保管する義務を負う)。

案里氏の公判は終了して判決が確定し、克行氏の公判は、既に、検察官立証も論告弁論も終了し、判決を待つだけの状況になっている。関係書類の押収を継続する必要が全くなくなったとは言えないとしても、仮還付が行えない理由は考えられない。党本部が「任意提出」し「領置」(捜査機関が任意提出で証拠物を取得すること)されている関連書類については、党本部が仮還付を求めれば、すぐに仮還付されるだろう。また、克行氏が捜索の際に押収された資料は、克行氏自身が検察に仮還付を求めなくてはならないが、党本部が、克行氏に、総務省への報告のために必要だとして関係書類の仮還付を検察官に請求するよう要請すれば、克行氏が拒むことはできないはずだ。克行氏がその理由で仮還付を求めれば、検察官も仮還付を拒む理由はない。

つまり、現時点では、党本部にとって、1億5000万円の使途の全容の解明はすぐにも可能であり、上記(2)について岸田氏の要請に応じない理由はないのである。

では、自民党幹部の説明が食い違っている(1)の「誰が資金提供を決めたのか」という点は、どうなのだろうか。

この資金提供は、自民党の公式の政治資金によるものであり(原資の大部分は「政党助成金」と言われている)、自民党本部の会計責任者の事務総長が手続を行ったものと考えられる。その事務総長に対して、資金提供の指示を行ったのは誰なのか。

幹事長が関わるのが通常だろうが、もし、二階氏が言うように、「幹事長が関わっていない」とすると、自民党本部内で事務総長に指示できるのは、幹事長より上位の役職者しか考えられない。

そして、広島の選挙を担当していた選挙対策委員長の甘利氏が「1ミクロンも関わっていない」のであれば、「幹事長より上位の役職者」が、選対委員長を飛び越して、直接、事務総長に指示したことになる。

「首相動静」によれば、この合計1億5000万円の党本部からの資金提供が行われた前後に、克行氏と当時の安倍首相(自民党総裁)とは頻繁に単独面談を行っている。案里氏を公認した3月13日の前後の2月28日と3月20日、党本部から案里氏が代表を務める政党支部に1500万円を振り込んだ2日後の4月17日、3000万円を振り込んだ3日後の5月23日に安倍氏と克行氏とが単独で面会しており、6月10日に案里氏政党支部に3000万円、克行氏政党支部に4500万円が振り込まれた10日後の20日にも安倍氏と克行氏とが単独で面会し、その一週間後の同月27日に克行の政党支部に3000万円が振り込まれている(【“崖っぷち”河井前法相「逆転の一打」と“安倍首相の体調”の微妙な関係】)。

これらの単独面談の中で、克行氏から安倍氏に「広島県連が、案里氏の選挙への協力をすべて拒否し、果たすべき役割を果たしていないので、やむを得ず、県連に代行して市議、県議に、党からの交付金を現金で差し上げざるを得ない」という説明が行われなかったとは考え難い。

2019年参院選広島選挙区の買収事件で有罪が確定した河井案里氏陣営に提供された1億5000万円をめぐっては、依然として多くの「闇」が残されている。しかし、案里氏の夫で元法相の克行氏の公判供述によって、「党本部からの交付金」である1億5000万円が買収原資になったことは、もはや否定する余地はなくなっている。押収された関連資料も仮還付可能な状況となり、事実解明を拒否する自民党本部の「検察庁に資料が押収されている」との言い訳も通用しない。

では、資金提供を指示したのは誰なのか。

事ここに至って、にわかに自民党重鎮間で「関与否定発言」の応酬が起きたことで、それが誰であるかが一層明白となった。そして、その資金提供の指示が、地元政治家に、党からの交付金を現金で渡すことになると認識して行われたことも、否定することは困難となっている。

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河井元法相公判、懲役4年”実刑論告“で「最重要論点スルー」の謎

2019年7月の参院選広島選挙区をめぐる公職選挙法違反(買収)事件の河井克行元法務大臣の公判で、4月30日に論告求刑が行われた。

検察は、懲役4年を求刑し、「現職国会議員によるこれほどの大規模買収事件は過去に前例はなく、正に前代未聞の悪質な犯行である」「被告人の刑事責任は極めて重大であって、被告人に対しては厳罰をもって臨むべきであり、被告人には相当期間の矯正施設内処遇が必須である」と述べた。

懲役4年は、総括主宰者に対する法定刑の上限である。また、「相当期間の矯正施設内処遇が必須」という表現は、「絶対に実刑に処すべき」ということであり、通常、「執行猶予付判決であれば控訴」を意味する。

かつて、検察組織を指揮監督する立場にあった元法務大臣に対する論告として、誠に厳しいものだったといえよう。

しかし、論告全文を入手して読んだところ、その内容が、厳しい論告求刑に見合うものと言えるのか、甚だ疑問だ。現金供与が、「党勢拡大、地盤培養活動の一環としての政治資金の寄附」であったのか否か、そうだとした場合に、それが、買収罪の「犯罪の情状」にどう影響するのかが、克行氏が実刑か執行猶予かを分ける最大のポイントになることは必至だが、論告では、その最重要論点をスルーしてしまっているのだ。

河井克行氏は、県議・市議・首長など地方政治家への現金供与について、「自民党の党勢拡大、案里及び被告人の地盤培養活動の一環として、地元政治家らに対して寄附をしたもの」と主張し、弁護側も、初公判での冒頭陳述で、同主張を前提に、「被告人が現金を供与した趣旨は、それぞれ相手方によって異なるが、いずれにしても、実務上、広く慣習として行われ、法的にも許容されている政治活動に伴う現金の供与であった」と述べて無罪を主張していた。

被告人質問の冒頭で、罪状認否を変更して、殆どの起訴事実について「事実を争わない」としたものの、その後、5日間にわたる弁護人からの被告人質問でも、その「政治資金の寄附であった」との主張を維持し、主張に沿った供述を詳細に行った。

次回期日での弁護側の弁論では、情状面の主張として、克行氏の現金供与が、従来摘発されてきたような、投票や選挙運動を直接依頼する「買収」とは異なることを徹底して主張するはずだ。従来は許容されてきた「政治資金の寄附」という性格の現金供与であり、「違法性の低いもの」と主張してくるのは確実だ。

被告人質問終了の時点で出した記事【河井元法相公判供述・有罪判決で、公職選挙に”激変” ~党本部「1億5千万円」も“違法”となる可能性】で述べたように、克行氏が「事実を争わない」としたものの、地方政治家に対する現金供与は「政治資金の寄附」であるとの供述を維持したことで、克行氏への有罪判決において、「政治資金の寄附であっても当選を得させる目的で金銭を供与すれば買収罪が成立する」との判断が示される可能性があり、そうなると、党本部が、国政選挙の際に都道府県連を通して政治家の支部に交付する「選挙資金」も、使途を限定しない「供与」であれば「買収罪」に該当することになりかねない。公職選挙の在り方に重大な影響を与えることになるため、克行氏公判での検察官の論告、弁護人の弁論、それらを受けて言い渡される判決に注目すべきと述べた。

県議・市議らへの現金供与について、克行氏の「自民党の党勢拡大、案里及び被告人の地盤培養活動の一環として、首長・県議ら地元政治家らに対して、寄附をした」との主張は、初公判から被告人質問まで一貫しており、検察官の質問でも揺らいでいない。

この点の克行氏の主張を否定することができるのか。検察官が、「政治資金の寄附」であることを否定するとすれば、「政治資金収支報告書に記載されていない」「領収書が授受されていない」などの根拠が考えられる。

しかし、河井夫妻の公選法違反事件で同氏らの事務所への捜索が行われたのは2020年1月、2019年分の政治資金収支報告書の提出期限の前で、収支報告書の記載が確定していない時期であり、収支報告書の記載の有無で「政治資金」かどうかを判断することはできない。

また、克行氏の供述によれば、政治資金の財布は4つあり、寄附については、金額などを調整して先方とも協議し、最終的に報告書に記入していたとのことであり、現金の授受の時点で領収書の授受を行わないのは、通常のやり方と変わらないことになる。領収書を受領していないことも、「政治資金」であることを否定する理由にはならない。

現金供与は政治資金の寄附だという克行氏の一貫した供述を否定することは困難なのではないか。(一方で、克行氏の「買収原資がポケットマネーである」とか、「溝手氏を落選させる意図はなかった」などの供述は、検察官の反対質問で崩されており、信用性がないことは明らかになっている。)

それでも、検察の論告では、現金供与が「政治資金の寄附」であることを否定する主張をするのか、それとも、「政治資金の寄附であることは、現金供与が買収であることを否定するものではなく、違法性を低下させるものでもない」と主張するのか、そこが、論告の最大の注目点だった。

ところが、検察は、この最も重要な論点について、ほとんど触れておらず、克行氏の主張の中に再三でてくる「党勢拡大」「地盤培養」という言葉も全く出てこないし、「政治資金の寄附」という言葉も見当たらない。

検察は、5万字を超える論告の大部分を、克行氏が本件選挙における案里氏の当選に向けた活動全般を取り仕切る立場にあった選挙の総括主宰者であったこと、案里氏の現金供与が買収に当たり、それについて克行氏の共謀が認められること、克行氏が、事実を争っている県議会議員4名に対しても現金供与の事実があり買収罪が認められること、などに関する記述に費やし、克行氏が、事実を争わないとしつつも、被告人質問の時間の大半を費やして行った「自民党の党勢拡大、案里及び被告人の地盤培養活動の一環として、地元政治家らに対して寄附をした」との主張については、県議会議員、市議会議員、町議会議員及び首長らへの現金供与の趣旨に関する被告人の弁解についての項目でわずかに述べているだけだ。

その内容も、初公判の弁護人冒頭陳述で「克行氏自身の政治基盤を強固にすること」だけではなく、「自民党の党勢拡大」「案里氏のための地盤培養」のための「政治資金の寄附」だと主張し、被告人質問でも、克行氏は、その主張に沿って詳細に供述したにもかかわらず、検察官は、克行氏が「自分自身の政治基盤を維持し強固なものとする目的」であったとだけ主張しているように引用し、それを否定する理由として、各現金供与当時に目前に迫っていたのは克行氏の選挙ではなく案里氏の選挙であったことや、現金を供与した際に自己の広報誌「月刊河井克行」の配布や自己の活動状況の報告を一切行っていないことなどを取り上げている。

しかし、国会議員の政治基盤強化のための政治活動は、自らの選挙が迫った時期だけではなく、日常的に行われているのが実態であり、広報誌の配布や自己の政治活動の報告もそれがなければ政治活動ではないと言えるようなものではない。検察の主張は、克行氏の主張を正しくとらえていないだけでなく、政治活動の実態に反する全く的はずれの主張だ。

克行氏は、被告人質問で、「一般的に、県連が、交付金として党勢拡大のためのお金を所属の県議・市議に振り込むが、県連からの交付金は溝手先生の党勢拡大にのみ使われ、県連が果たすべき役割を果たしていないので、やむを得ず、その役割を第3支部(克行支部長)、第7支部(案里支部長)で果たさないといけないと思い、県議・市議に、県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げた」と供述し、県議・市議などへの現金の供与は、自民党広島県連が行っている「党勢拡大のための資金の振込み」と同じ性格のものだと主張して、自らの現金供与を正当化しているが、検察は、これに対しても、何ら反論できていない。

検察は、一方で、法定刑の上限の懲役4年を求刑し、「実刑必須」と述べたのである。

検察官の論告と、弁護人の弁論を受けて判決が出されることになるが、裁判所としては、「懲役4年求刑」「実刑必須」という検察の厳しい論告なので、執行猶予判決は容易には選択できない。一方で、実刑を言い渡すとすれば、弁護人の主張に正面から判断せざるを得ないことになる。

弁護人が、「自民党の党勢拡大、案里及び被告人の地盤培養活動のための政治資金の寄附」であることを情状に関する主張として強調することは確実であり、裁判所としても、克行氏の現金供与が「政治資金の寄附」であるのか、そうだとして、それが情状面でどう評価されるのかについて判断を示さなければ、克行氏に実刑判決を下すことはできないだろう。

しかし、「政治資金の寄附ではない」という事実認定を行うとしても、検察は、否定する根拠を何一つ示せていない。また、上記のとおり、克行氏の被告人質問での供述からも、現金供与が、「当選を得させる目的」であると同時に、「政治資金の寄附」でもあることを否定することはできないので、「党勢拡大、地盤培養活動の一環としての政治資金の寄附」であることを認定した上で、「当選を得させる目的で供与した以上、公選法違反の買収罪が成立する」との前提で、それを情状面でどう評価するかの判断を示すことになるだろう。

河井夫妻を買収で起訴する一方で被買収者の処分を全く行っていない検察は、今後、被買収者の刑事処分という、誠に厄介な問題に直面することになるが、克行氏の判決で、地方政治家への現金供与が「政治資金の寄附」であったのか否か、それが、買収罪の「犯罪の情状」にどう影響するのかについて示される判断は、被買収者の刑事処分にも大きな影響を与えることになる。これまでは、検察の「自己抑制」によって、「政治資金の寄附」の弁解が予想される、選挙に関連する政治家間の資金のやり取りの事案が刑事事件として立件されることはほとんどなかったが、河井夫妻の事件で、検察は、敢えてそこに踏み込み、元法務大臣の現職国会議員を逮捕した。ところが、検察は、論告で「政治資金の寄附」と買収の関係の問題をスルーする一方で、克行氏を「実刑必須」と主張する、誠に不可解な論告を行った。

「政治資金の寄附」を情状面で強調する弁論を受けての判決では、「政治資金の寄附と買収罪の関係」が裁判所の判断の対象となることは避けられない。それによって、元法務大臣の多額現金買収事件による日本の公職選挙の「激変」が、現実のものとなるのである。

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「参院広島再選挙」後、被買収議員の起訴は確実!「政治×司法」の権力対立が発端の「激震」が続く

2019年7月の参院選広島選挙区をめぐる河井克行元法務大臣の公職選挙法(公選法)違反事件の被告人質問が、3月23日から4月8日まで7期日にわたって行われ、そこで克行氏が供述した内容と、今年6月頃にも言い渡される判決が、日本の公職選挙に「激変」をもたらす可能性があることを、前回の記事【河井元法相公判供述・有罪判決で、公職選挙に”激変” ~党本部「1億5千万円」も“違法”となる可能性】で述べた。

一方、案里氏から現金を受領した4人の広島県内の政治家については、案里氏の公選法違反の事実について有罪が確定し、克行氏から現金を受領した首長・議員らの大半も、現金を受領したこと、それが選挙買収の金であったことを認める証言をしている。本来、これらの被買収者についても公選法違反で起訴され、公民権停止となり、一定期間、選挙権もなく、選挙運動も禁じられるはずであるのに、被買収者らについては、いまだに公選法違反の刑事処分が行われていない。

そのような状況で、案里氏の当選無効に伴う、上記参議院広島選挙区の「やり直し」の再選挙が告示されるといという「異常な事態」が生じているが(【河井夫妻買収事件「被買収者」告発受理!処分未了では「公正な再選挙」は実施できない】)、自民党は、元経産官僚の西田英範氏を擁立し、野党統一候補の宮口治子氏との「事実上の一騎打ち」となって、激しい選挙戦が繰り広げられている。

この再選挙に関して、克行氏の公判供述と有罪判決の見通しを踏まえ、広島県の有権者が認識しておくべき重要事項がある。それは、再選挙後、遅くとも、今年6月頃の克行氏有罪判決の頃までには、検察が被買収者の県議・市議らを起訴することは確実ということだ。

河井夫妻起訴時、被買収者の刑事処分はなぜ見送られたのか

これまで、検察が、克行氏・案里氏を公選法違反で起訴する一方で、本来であれば、当然、同時に起訴すべき被買収者らの刑事処分を行わず、処分未了のまま河井夫妻の買収事件の公判に至ったというのは、検察の常識からは本来あり得ない。そのような異常な対応が行われたのは、河井夫妻の公選法違反事件のうち、首長・県議・市議らの地元政治家に対する買収事件というのが、選挙の告示から離れた時期に現金が授受されたものであり、「党勢拡大,地盤培養活動のための政治資金の寄附」の主張が予想されるという点で、過去にはほとんど例のない異例なものだっただからだ。

検察は、今回、敢えて、その異例の公選法違反事件の摘発に踏み切ったが、河井夫妻を起訴する一方で、被買収者の刑事処分を行わなかった。その理由として考えられるのは、

(1)河井夫妻と同時に被買収者を起訴した場合、河井夫妻の公判での証人尋問で被買収者らが、克行氏らと同様に「党勢拡大,地盤培養活動のための政治資金の寄附」だとして案里氏の「参院選挙のための買収」との認識を否定することで、河井夫妻の無罪主張が裏付けられ、公判が混乱するおそれがあったこと

(2)判決で「党勢拡大,地盤培養活動のための政治資金の寄附」を理由とする無罪主張が認められて起訴事実の多くが無罪となる可能性があったこと

である。

異例の河井夫妻「買収事件」摘発の背景

従来は、上記(1)(2)のような懸念があるのであれば、強制捜査に着手する段階で、検察組織内で消極意見が出され、着手を断念するのが通常であった。しかし、元法相の克行氏と現職参議院議員の案里氏の公選法違反事件に対する捜査が進められていた昨年の今頃の検察は、当時の安倍政権との関係で、「異常な状況」に置かれていた。安倍政権、その中でも特に中央省庁の官僚の世界に強大な支配力をもっていた菅義偉官房長官らが、当時東京高検検事長であった黒川弘務氏を検事総長に就任させる人事を強行しようとし、検察庁法に露骨に違反する東京高検検事長の定年延長を閣議決定し、それが、過去の法解釈を恣意的に変更する「禁じ手」まで使ったものであったことから、国会で厳しい追及を受けた。さらに、黒川氏定年延長の閣議決定を事後的に正当するための「検察庁法改正案」が国会に提出されたことで、国民的な批判が沸き起こり、元検事総長を含む多くの検察OBが、反対の声を上げるという事態にまで至り、結局、安倍政権は検察庁法改正案の撤回に追い込まれた。

元法務大臣の河井克行氏夫妻に対する、異例の公選法違反の強制捜査は、そういう政権と検察をめぐる「異常な状況」の下で、従来であれば刑事立件しなかった「国政選挙をめぐる政治家間の現金授受」を、敢えて立件されたものだった。

被買収者の首長・議員らの刑事処分の見通しを十分に考える余裕がないまま、河井夫妻を逮捕・起訴することを最優先して捜査を進めた結果、河井夫妻の起訴の時点で、上記の(1)(2)の理由から、被買収者の刑事処分を行わないという「異常なやり方」をとらざるを得なくなったというのが実情だったものと思われる。

本来、公選法違反事件の刑事処罰は、「選挙の公正」を確保するために行われるべきものであり、検察が、買収者を起訴する一方、被買収者の刑事処分を行なわない、などというやり方は、常識では考えられない、法目的を逸脱したやり方である。しかし、当時の安倍政権側の検察への介入も、検察制度を根本的に揺るがしかねない不当きわまりないものであり、当時の稲田伸夫検事総長以下の検察幹部が、まさに「手段を選ばず」、河井夫妻の逮捕・起訴に突き進んだのも、理解できないわけではない。

河井夫妻公判の進展と被買収者「刑事処分見送り」事由の解消

そのような公選法の趣旨・目的に反する異例の河井夫妻の起訴の結末が、河井夫妻の公判で被買収者の証人尋問がすべて終わった後に、さらなる異常事態を引き起こした。

案里氏に対しては有罪判決が確定し、案里氏の当選無効に伴う、やり直しの「参院広島再選挙」が行われることになったが、河井夫妻の買収の事実が認められれば、当然に被買収の公選法違反で公民権停止になるはずの広島県内の首長・議員らの刑事処分が未了であるため、被買収者にも「やり直しの再選挙」の選挙権が与えられ、選挙運動にも法的制限がない。まさに、「公正な選挙」が著しく阻害された状況で、与野党の激しい選挙戦が行われている。

しかし、一方で、このような事態を招いた「被買収者の刑事処分見送り」の結果、河井夫妻の公判の証人尋問では、被買収者側のほとんどが、「現金受領時に買収の目的を認識していた」と認めたために、上記(1)の理由は解消された。そして、案里氏は有罪判決が確定して当選無効となり、克行氏も、被告人質問の冒頭で、罪状認否を変更して、首長・県議・市議らに対する買収を含め、ほとんどの事実について「事実は争わない」と述べ、有罪判決が確実となった。それにより、上記(2)の理由も解消された。現時点では、検察が被買収者の刑事処分を見送っていた上記(1)(2)の理由はなくなったのである。

それどころか、既に、案里氏について有罪が確定し、克行氏についても近く有罪判決が出るのであるから、市民団体の告発が受理され、刑事立件されている被買収者の公選法違反事件について、処分を遅らせる理由は全くないのである。

しかし、現時点においては、被買収者の刑事処分が行えない「重大な事由」がある。

案里氏の当選無効を受けての参議院広島選挙区の再選挙が告示され、選挙期間の最中であり、そのような「選挙期間中における選挙に重大な影響を与える公選法違反の捜査や処分は差し控え、選挙の終了を待つ」というのも「捜査機関・検察にとっての不文律」であり、再選挙の投票日までは、被買収者の刑事処分は差し控えざるを得ないのである。

再選挙投票日後に行われる被買収者刑事処分

それは、投票日以降は、可及的速やかに刑事処分が行われることを意味する。遅くとも、克行氏の一審有罪判決が出ると予想される6月初旬頃までには、刑事処分が行われることは確実であろう。

その刑事処分は、一方の買収者側の河井夫妻が有罪である以上、犯罪事実が認められる前提で行われるのは当然だ。「犯罪を認める証拠が不十分」という「嫌疑不十分」による不起訴はあり得ない。不起訴にするとすれば、「犯罪が認められるが敢えて起訴しない」という「起訴猶予処分」しかあり得ない。しかし、公選法違反のうち買収事件については、求刑処理基準があり、「起訴猶予」は「1万円未満」、「1万円~20万円」は「略式請求」(罰金刑)で、「20万円を超える場合」は「公判請求」(懲役刑)というのが一般的な基準だ(私が現職検察官だった当時の基準だが、今でも大きな変更はないはずだ)。

今回、県議・市議らが河井夫妻から現金を受領した金額は、10万円から50万円、最も多額の者は150万円であり、検察の求刑処理基準に照らして「起訴猶予」はあり得ない。

仮に、何らかの口実をつけて、無理やり「起訴猶予」にしたとしても、告発者の市民団体が検察審査会に審査を申立て、市民の常識で判断されれば、間違いなく「起訴相当」議決が出されるだろう。

検察には起訴猶予の選択肢はない

検察の「起訴猶予処分」は、このところ、相次いで検察審査会の議決によって覆されている。

黒川氏の「賭け麻雀」の賭博事件について、検察は「起訴猶予」処分としたが、検察審査会の「起訴相当議決」を受け、一転して、「略式請求書面審理で罰金刑)」に至った。また、菅原一秀氏の公選法違反事件でも、検察は「起訴猶予」処分としたが、その後の露骨な「検察審査会の審査妨害」にもかかわらず、検察審査会の職権による「起訴相当議決」が出されている(【菅原一秀議員「起訴相当」議決、「検察の正義」は崩壊、しかし、「検察審査会の正義」は、見事に示された!】)。

このような現状からは、この上、河井夫妻事件の被買収者の大量の「起訴猶予」処分が検察審査会で「起訴相当」議決を受けることになれば、検察の訴追裁量権(起訴猶予処分を行う権限)に対する信頼は地に堕ちることになりかねない。

現職の県議・市議を含め、被買収者のほとんどが、遅くとも6月頃までには起訴されることになることは避けられないのである。

県議・市議の大量失職という「異常事態」

このようにして、被買収者が公選法違反で起訴された場合、その殆どは、証人尋問で、現金の授受と案里氏の選挙に関連する金であることの認識を認めており、河井夫妻の有罪判決が出た後に、起訴された場合、その証言を覆すことはできない。略式命令で早期に確定するか、公判になっても短期間で決着するだろう。

その対象となる被買収者の中には、現職の広島県議会議員・広島市議会議員、それぞれ13名が含まれており、その殆どは自民党所属の議員だ。罰金であれ、懲役刑であれ、公選法違反で有罪判決を受ければ公民権停止となって議員を失職するだけでなく、一定の期間内、選挙権・被選挙権がなくなるので、公職選挙に立候補することはできず、当然のことながら再選挙にも立候補できない。

県議・市議の起訴・大量失職によって、今回の事件が、「河井夫妻の個人的犯罪」ではなく、従来からの自民党の選挙をめぐる資金の供与の慣行に根差す問題であること(【河井元法相公判供述・有罪判決で、公職選挙に”激変” 】)が一層明白になるだけでなく、多数の議員失職によって大混乱に陥ることとなる広島自民党は、「解体的出直し」を迫られることになる。新聞紙上に「自民党広島県連 再起動」などと題する全面広告を出している県連会長の岸田文雄氏には、選挙後に予想される「恐ろしい事態」に対する認識が完全に欠落していると言わざるを得ない。

そして、公明党にとっても、再選挙後の県議・市議の起訴・失職の見通しは「他人事」ではない。

今回の再選挙は、自民党としては、過去の参院広島選挙区での与野党の得票差から、再選挙になっても自民党候補が圧勝できると見込んで再選挙に臨んだものの、「政治とカネ」問題への予想外の逆風により、情勢調査では自民党候補の西田氏と野党候補の宮口氏とはほぼ互角の情勢となっている(広島県民を舐め切った自民党執行部の「見通しの甘さ」には、ただただ呆れるしかない)。

そこで、自民党が「頼みの綱」としているのが公明党である。次期衆院選で、克行氏の小選挙区だった広島3区に斎藤鉄夫政調会長を擁立し、自民党の全面支援を受けようとしている公明党は、今回の参議院広島再選挙でも、自民党西田候補支援に全力を挙げているとされる。

しかし、公明党は、参院再選挙後に自民党を直撃する「恐ろしい事態」を認識しているのだろうか。いくら、今回の再選挙で自民党候補を支援して自民党に恩を売っても、再選挙後、県議・市議の起訴・大量失職で混乱に陥る自民党には、公明党に「見返りの支援」をする余裕などなくなるのではないだろうか。

「政治権力」対「司法権力」の激突によって生じた巨大な地殻変動

前法務大臣の衆議院議員とその妻の現職参議院議員の公選法違反による同時逮捕という「憲政史上前代未聞の大事件」は、克行氏の有罪判決で、戦後続いてきた「政治資金を隠れ蓑とする選挙資金の供与」が買収罪に問われることで、日本の公職選挙に「激変」をもたらすだけでなく、そのような旧来のやり方で選挙資金の供与を受けた広島県の地方政治家が大量に被買収の罪に問われて失職するという、さらなる「大激震」につながることは必至だ。

その発端は、戦後最長の政権となった安倍政権とその中枢の菅官房長官という「政治権力」と、大阪地検不祥事等で信頼が損なわれたとは言え、多くの日本人にとって「正義」と期待される検察という「司法権力」とが、検事総長人事をめぐって激しく対立するという、前代未聞の「権力VS権力の激突」によって憲政史上初の大きな地殻変動が生じたことにあった。

案里氏有罪確定に伴う参院広島再選挙をめぐって今起きていることは、日本の政治を襲う巨大な地震・津波の衝撃のほんの「序の口」でしかない。

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実態とかけ離れ形骸化した法令で処罰されることの“理不尽”~「条約違反の豚肉差額関税」との戦い

有罪率99%超、無罪を主張する者は、「人質司法」での長期身柄拘束で塗炭の苦しみに晒される、という恐ろしい日本の刑事司法の現実の中、謂れのない容疑で「犯罪者」とされる人は後を絶たない。検察官や弁護人の言葉で「絶望的な現実」を知らされ、裁判では起訴事実を認め、犯罪者の汚名と屈辱に甘んじるという選択をする人が大部分だ。

しかし、その中でも、無実・潔白を訴えて、権力機関と戦い続ける人もいる。

私自身が、弁護を担当した事件で、「権力機関と戦い」を続けてきたのが、美濃加茂市長事件での藤井浩人氏、そして、青梅談合事件の酒井政修氏。いずれも、一審で無罪判決を受けながら、驚愕の控訴審逆転有罪判決を受け、有罪が確定した事例だ。

最近、納税者人権救済センター主催で開催されたオンライン・シンポジウムに参加し、現在も刑事裁判が続いている「関税法違反事件」での不当な人権侵害のことが取り上げられた。

東京税関と東京地検特捜部という権力機関による強制捜査を受け、逮捕・起訴され、一貫して無罪主張を続けているのが、田邉正明氏だ。

不合理極まりない、前時代の遺物のような「差額関税制度」の下での関税法の罰則を適用され、手続的にも、実態的にも不当極まりない東京地裁の一審判決で実刑を言い渡され、現在、東京高裁に控訴審が係属中だ。

日本の刑事司法の絶望的な現実の下で、「権力機関との戦い」を続けている田邉氏の関税法違反事件、なぜ、日本の刑事司法においては、このような理不尽で非道なことが起きるのか、その背景からみてみよう。

刑事事件の「2つの類型」

日本の刑事司法について考える上で重要なことは、刑事事件には、被害・被害者が存在する事件と、それがない事件という「2つの類型」があるということだ。

刑事事件で、まず思い浮かべるのは、殺人、強盗、住居侵入窃盗、振り込め詐欺などのように、被害者・遺族に具体的な被害が発生する「犯罪」だ。現に被害が発生している以上、犯人を特定し、処罰するのは、当然だ。警察捜査・検察官の起訴・刑事裁判によって、犯罪者の処罰が行われることは、被害者・遺族の要請に基づくものでもある。

そのような事件で犯人とされ、逮捕・起訴された場合でも、無実を訴え、無罪を主張する者もいる。刑事裁判の結果、容疑者の「犯人性」が否定されて「冤罪」が明らかになることもある。一旦は有罪判決が確定しても、長い年月を経て再審が開始され、ようやく冤罪が明らかになった事例もある。しかし、その場合も、現に犯罪は発生し、被害者・遺族が犯人の検挙・処罰を求めているのだから、犯人を検挙するための犯罪捜査が行われたこと自体が否定されるものではない。

この場合の「冤罪」というのは、「真犯人は別にいるのに、犯人ではない人間が犯人扱いされた」ということだ。この場合は、真犯人ではないのに犯人とされて重大な人権侵害が発生したことについて、捜査機関や検察官の判断の誤りが問題となる。

人間の営みがある以上、犯罪が行われ被害が発生するという「社会的事象」を完全になくすことは不可能であり、冤罪を100%防ぐことも困難だ。犯罪被害も、冤罪も、国家がその防止と救済のための努力を最大限に行うしかない。

しかし、容疑者が逮捕・起訴され、裁判が行われる「刑事事件」の中には、具体的な被害も被害者もないのに、権力機関が犯罪を認定して、捜査に着手し、処罰が行われることがある。

それは、「法令違反行為」によって、国家的法益あるいは社会的な法益(利益)が侵害されたとして、検察(主として「特捜部」)・警察捜査二課・国税庁・税関・証券取引等監視委員会等の犯罪の検挙を任務とする権力機関が、独自に「犯罪」を認定して逮捕・起訴に至るパターンだ。

ここで犯罪の疑いをかけられるのは、多くの場合、定まった仕事を持ち、社会に貢献している人達だ。そういう人が、ある日、突然、家宅捜索・身柄拘束等の刑事手続の対象とされる。その日から、その人生は激変する。

そこには、処罰を求める被害者・遺族はいない。権力機関が権限を行使する理由は、建前上は「使命感」「正義感」「規範意識」だが、実際に、その原動力となっているのは、「組織としての実績作り」「個人の組織内での評価」「出世願望」ではないかと考えざるを得ないような事件が見られる。

「被害のない刑事事件」はなぜ摘発されるのか

このパターンの「刑事事件」で逮捕・起訴された者は、「真犯人が別にいる」ということによって「冤罪」を明らかにすることはできない。この場合、逮捕・起訴された者にとっては、権力機関側の判断の前提となる事実認定と法律適用を争い、「犯罪自体が存在しない」と主張する以外に術がないのである。

しかし、その前提事実と法律適用は、権力機関側が権限に基づいて認定・判断したものであり、それを否定する主張をすると、組織の面子・責任回避・保身のため権力機関側からの容赦ない熾烈な反撃に遭う。

その典型的な手段とされるのが「人質司法」だ。犯罪事実を否認し、無罪を主張する被告人の保釈に対して、検察官は、関係者との口裏合わせなどの「罪証隠滅のおそれ」があることについて詳細な意見書を提出して、強く反対する。保釈許可決定が出ると、準抗告を申立てて抵抗する。その結果、無罪主張する被告人は、気が遠くなる程の長期間にわたる身柄拘束を受けることになる。

後に一審無罪判決が確定し冤罪であったことが明らかになった村木厚子氏は165日間身柄を拘束された。最近では、オリンパス事件の共犯等に問われ、無罪を訴えた横尾宣政氏は965日にわたって勾留された。

法令・制度の実態との乖離の典型例としての「豚肉差額関税制度」

「法令違反」を犯したのであれば、処罰されるのは当然と思われるかもしれない。しかし、法令や制度が実態と乖離し、形骸化しているのに、そのまま存続しているために違法行為が恒常化する、ということは、日本では、しばしば起きる事象だ(拙著【法令遵守が日本を滅ぼす】新潮新書:2007年)。

そういう法令に関して、権力機関が、独自に「犯罪」を認定し、恣意的に、狙い撃ち的に不当な摘発が行われることがある。

田邉氏が逮捕・起訴された豚肉差額関税をめぐる関税逋脱事件は、その典型と言える。

差額関税制度は、1971年に貿易自由化が実施された際に導入された制度だ。外国から国内価格より安い物が輸入されて供給過剰になったり、逆に供給不足によって価格が高騰したりするのを防止するための制度と説明されているが、実際には、豚肉の輸入・流通の実態と乖離しており、制度の必要性は全くなくなっている。

2000年以降の差額関税制度は、

基準輸入価格を546.53円/kg、分岐点価格を524円/kgとし、輸入価格が64.53円以下の場合は1kg当たり482円の従量税を課し、輸入価格が64.53円を超えて524円(分岐点価格)までの場合は基準輸入価格(546.53円)と輸入価格との差額を関税として課し、輸入価格が524円(分岐点価格)以上の場合は4.3%の従価税を課す

とされている。従量税が適用される1kg64.53円以下の豚肉など存在しないに等しいので、実際には、基準輸入価格と輸入価格の差額と同額の関税、つまり「差額関税」が課されることになる。基準輸入価格を下回る価格で輸入すると、下回った分をすべて関税として徴収されることになるのであり、関税法を遵守する限り、基準輸入価格546.53円以下の価格で輸入することは、経済的に見合わないものとなる。

冷凍加工用豚肉の輸入と流通の実態

日本では庶民の食卓に欠かせない生活必需品といえるハム・ソーセージ等の加工品は、主として、ウデ・カタ等の低価格部位の輸入冷凍加工用豚肉を原料として製造されている。それは、ハム・ソーセージ等を製造するメーカー(以下、「ハム・ソーメーカー」)が、加工用豚肉を、安価な価格で仕入れることができることが前提となっており、加工用豚肉の国内相場は、実際に、概ね1kg当たり300円前後で推移している。

原産国からの低価格部位の輸出価格の相場は、概ね1kg当たり200円から300円程度なのであるが、差額関税制度の下では、そのような低価格で冷凍加工用豚肉を輸入しても、高額の関税がかかり、国内価格はそれの差額関税を上乗せした水準になるはずだ。ところが、実際には、輸入価格は基準輸入価格の546円に張り付いている一方、国内での実勢価格はそれを大きく下回り、ハム・ソーセージメーカーは安価な加工用豚肉を仕入れている。

関税法違反の「違法行為」の恒常化の実態

差額関税制度があるのに、なぜ、そのような安価な冷凍加工用豚肉の輸入が可能なのか。

所管官庁の農水省は、差額関税制度の下では、低価格部位と高価格部位を組み合わせるいわゆる「コンビネーション」による輸入が運用上認められていて、組み合わせによって関税が一番安くなる部分に価格を合わせるような形で輸入し、その後、高価格部位は高く、低価格部位は安く売ることが可能だからだと説明してきた。

しかし、コンビネーションを組むことで低価格部位の加工用冷凍豚肉を大量に安価で輸入するためには、ヒレ、ロースなどの高価格部位の冷凍豚肉を同時に大量に組み合わせる必要があるが、高価格部位は僅かな量しか取れないので、大量の高価格部位を確保することは困難だ。しかも、高価格部位の国内需要は、外食・中食用の冷蔵物のテーブルミートの需要が大部分であり、冷凍物の需要は少ない。冷凍の貨物によって、高価格部位と低価格部位とを組み合わせて分岐点価格に近い価格となるようにして大量に輸入するなどということは、理論上は可能だが、実際の需要から考えると極めて困難だ。

結局、コンビネーションの方法は、合法的に差額関税を免れる方法としては使えないのであり、実際には、「豚肉の輸入業者が、基準輸入価格546円近辺の価格で輸入したように申告して差額関税を免れる」という行為が横行し、当局にも、事実上「黙認」されることによって、冷凍加工用豚肉の国内相場が安価に維持されてきたのが実態なのである。

加工用豚肉の輸入価格は、エンドユーザーである大手ハム・ソーメーカーが仕入れ価格を「指値」をし、そこから仲卸業者のコミッションと輸入業者の費用と口銭を差し引いた金額になる。そもそも大手ハム・ソーメーカーの指値が300円程度と、基準輸入価格を大幅に下回っているのであるから、輸入業者が差額関税を支払って豚肉の輸入を行うことは不可能なのである。

一方のハム・ソーメーカーの側としても、もし、低価格部位の輸入冷凍豚肉を、基準輸入価格を前提として国内で取引するということになれば、600円を超える原料を使用して加工品を作ることとなり、それを加工品の価格に転嫁すると、庶民的な食品であるハム、ソーセージ等の豚肉加工品の価格が暴騰し、庶民の家計を圧迫し、食生活を脅かす結果となる。しかし、メーカーがそのことを慮って仕入れの高騰分を加工品の価格に転嫁しなければ、仕入れ価格が販売価格を上回り、大きな赤字を抱えることになる。

いずれにしても、ハム・ソーメーカーは、国内では生き残れず、事業を存続しようと思えば、安い原料豚肉を求めて海外に工場を移転することにならざるを得ない。そうなれば、国内産業の空洞化を招くばかりか、豚肉加工品を輸入に頼ることとなって、海外で加工された食品に対する食の安全の問題も生じる。

豚肉差額関税制度を維持する合理的理由は失われた

このような豚肉の「差額関税制度」が維持されてきたのは、もっぱら国内の豚肉生産者を、安価な輸入豚肉との競争から保護するためとされてきた。しかし、近年、国内豚肉生産者の事業構造や豚肉の流通の状況も大きく変化し、差額関税制度を維持する合理的な理由も失われている。

国産の豚肉は、通常は生で流通し、多くはそのままテーブルミートとして供給されるため、冷凍された状態で輸入される加工用の豚肉とは市場が全く異なる。また、仮に国産豚肉の低価格部位が加工用に回されているとしても、それは、小間切れやスライスでテーブルミートとして売られた残りであり、国産豚肉のごく一部に過ぎない。したがって、主として加工用である輸入冷凍豚肉が分岐点価格を下回る価格で輸入されたとしても、主としてテーブルミート用の国産豚肉の相場にはほとんど影響せず、国産豚肉と輸入豚肉は棲み分けができている。

また、豚肉においてもブランド化が相当進んでいる。牛肉では松阪牛などのブランドが有名だが、日本の消費者にとっては、豚肉においても牛肉と同様、沖縄のあぐー豚、鹿児島の黒豚、関東のTOKYO X、神奈川の大和豚などがブランド化している。国内消費量が増え、豚肉の飼育頭数も増えていることから、国内養豚は、廃れるどころか、極めて順調に成長している。ブランド化した豚肉は、輸入豚肉に比べて相当高価であるが、それでも日本の消費者は、テーブルミートとして、輸入豚肉でなく国産豚肉の方を好んで購入する。

国内養豚も、近年益々企業養豚化され、経営の著しい合理化によって、これまでの零細ないわゆる「庭先養豚」から、大規模養豚に集約されつつある。このような企業化・大規模化した国内養豚に対し、差額関税制度という消費者の利益にならない不合理な制度によって、牛肉に対して国が与える保護以上の保護を与える必要性はなくなっているのである。

条約違反・不合理性の指摘、制度撤廃の方針

豚肉差額関税制度に関しては、1971年の制度創設当初から、同制度の不合理性、違法状態の常態化等の問題点がたびたび国会で指摘されてきた。そして、1994年のウルグアイラウンド合意以降は、WTO(世界貿易機関)条約(農業協定)で禁止された非関税障壁の一つである「最低輸入価格制度」に該当する違法な制度だと批判されてきた。2005年頃からは、国内でも同制度の不合理性を指摘する世論も高まり、大手新聞各紙の社説等において同制度の問題点が指摘され、見直し、廃止等が強く叫ばれてきた。当時の所管大臣も、閣議後の記者会見で、この世論に応ずるように、同制度の見直しの検討を行う旨明言したことがあった。また、2007年の経済財政諮問会議においては同制度の廃止が提言され、経済財政改革の基本方針にもその趣旨が盛り込まれた。

このように、差額関税制度については、廃止等が議論されてきたにもかかわらず、実際には、同制度が抜本的に見直されることは一度もなく、現在に至るまで、40年以上も制度が維持されてきた。

加工用豚肉の輸入・流通の実態に反し、消費者の利益を害する著しく不合理な制度である差額関税制度が実質的に形骸化する中、差額関税を免脱して輸入された冷凍豚肉が、基準輸入価格をはるかに下回る価格で国内に流通し、大手ハム・ソーメーカーに原料として使用されているのが現実なのである。

差額関税の逋脱事犯摘発の正当性の根拠は失われた

2013年3月15日、安倍晋三首相は、「聖域なき関税撤廃」を標榜するTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に向けた交渉に参加する決断をしたこと、その旨、交渉参加国に通知をすることを公表した。その議論の中で豚肉は関税撤廃の例外品目として明示されなかった。つまり、この時点で、国の政策として、豚肉の差額関税制度が見直しの対象となることは必至の状況となった。

そして、2016年に締結されたTPP、2018年に締結された日本・EU経済連携協定(日欧EPA)においては、発効から10年後において、分岐点価格は現行の524円(部分肉kg当たり)のまま存在し続けるが、その価格を境として、高い豚肉は無税(現在は従価税4.3%)とされて関税が撤廃され、安い肉にはkg当たり50円の従量税が課せられることとなった。

これにより、安い豚肉について従量税が極めて安くなり、コンビネーションを組むためにかかるコストなどを考慮すれば、わざわざコンビネーションを組む必要がなくなるため、最低輸入価格維持のための差額関税制度は、実質的に廃止されたことになる。

制度創設当初から、加工用豚肉の輸入・流通の実態に反し、消費者の利益を害する著しく不合理な制度とされ、WTO条約で禁止された非関税障壁の一つである「最低輸入価格制度」に該当する違法な制度だとの批判もあった差額関税制度は、関税法違反の輸入行為が恒常化し、実質的に形骸化していたが、それに加えて、日本政府がTPP加入に伴って、実質的に「最低輸入価格制度」を廃止したことで、法律の実効性を確保する実質的理由もなくなったのである。

恣意的かつ狙い撃ち的な税関当局による摘発

このように豚肉差額関税制度は形骸化し、ほとんど全ての豚肉は基準輸入価格で輸入したように申告されて、差額関税は支払われないというのが実態で、最近の制度改正により、差額関税制度そのものがその存立の基盤を失った。

ところが、従来、税関当局は、このような関税法違反の豚肉輸入の大部分を黙認する一方で、昔から、特定の業者を狙い撃つかのように、基準輸入価格による輸入申告によって関税を免れたとして、恣意的に関税法違反事犯の摘発を行ってきた。

前記のとおり、エンドユーザーである大手ハム・ソーメーカーが仕入れ価格を「指値」をし、そこから仲卸業者のコミッションと輸入業者の費用と口銭を差し引いた金額が輸入価格となるので、輸入業者が得る利益は、実際には、1kg当たり数円の口銭に過ぎない。

ところが、一度、その豚肉輸入が、税関当局に差額関税の逋脱事犯として摘発されると、実際の輸入価格を前提として、本来、申告納付すべきだったとされる差額関税の額すべてが脱税額となる。例えば、300円が輸入価格だとすると、基準輸入価格と輸入価格の差額の246円となり、「脱税額」は膨大なものとなる。それは、実際に輸入業者が得ている利益とは著しくかけ離れたものである。所得税の逋脱事案では、事後的に納税が行われることも多いが、差額関税の場合は、免れたとされる関税の金額は到底支払困難な金額となり、有罪とされた場合の量刑も厳しいものとなる。

このような、実態に反した理不尽極まりない税関当局による差額関税の逋脱の摘発によって不当な逮捕・起訴を受け、差額関税制度の内容が大幅に改正され、実質的に廃止されたに等しい現在に至っても、その刑事裁判が続けられているのである。

田邉氏は、千葉県柏市の食肉卸会社「ナリタフーズ」の社長として、2007年に関税約59億6千万円を脱税したとして千葉地検に逮捕・起訴され、12年9月に懲役2年4カ月、罰金1500万円の判決が確定した後、2016年5月に、同市の畜産物輸入販売会社「ナンソー」と「OAK」などの実質経営者として、約61億5千万円の関税を免れたとして、東京地検特捜部に逮捕・起訴されて、2020年3月に、東京地裁で合計懲役3年6カ月の実刑判決を受け、現在控訴中だ。

2007年に千葉地検に逮捕・起訴された時点でも、差額関税制度が、加工用豚肉の輸入・流通の実態に反し、WTO条約で禁止された「最低輸入価格制度」に該当する条約違反の制度であることなどが厳しく批判されており、2007年の経済財政諮問会議においては同制度の廃止が提言され、経済財政改革の基本方針にもその趣旨が盛り込まれるなど、制度の正当性の根拠は失われていた。刑事裁判の中で、田邉氏は、差額関税は条約違反の違法な制度であり、それに基づいて定められた罰則も違法であることなどを強く訴え、上告審まで争ったが、裁判所が、そのような主張に耳を傾けることはなかった。

2016年の東京地検特捜部による田邉氏の逮捕は、日本政府が、TPP協定に調印し、それによって10年後に、高額の関税を課す差額関税制度は実質的に廃止されることが決まった後のことだ。制度としての正当性の根拠が失われ、実効性を確保する必要性も低下している中で、敢えて、罰則適用しなければならない理由があるのか。しかも、田邉氏の起訴事実の一部は、前刑で服役中に会社が行った豚肉輸入が対象とされている。刑務所の中から関税逋脱を共謀したとされているのである。

なりふり構わず「有罪」に固執する権力機関、むやみに従う裁判所

税関や検察等の権力機関は、このように実態と乖離し、制度としての正当性が失われ、国が批准した条約にも反しているにもかかわらず、関税法の罰則を適用して田邉氏を処罰することに異常なまでにこだわり続ける。そこには、いったいどのような動機があるのであろうか。

そして、そのような権力機関を丸ごと容認し、「有罪ありき」で刑事裁判を行ってきたのが、一審裁判所であった。

実態として「悪法」に反する違法行為が恒常化している中で、その違法行為の一つに「悪法」が適用されて逮捕・起訴された以上、適用の是非はともかく、「悪法」そのものが否定されない限り、有罪は免れないだろうと思われるかもしれない。しかし、話は、そのように単純ではない。

「悪法」である豚肉差額関税を含む関税法は、実質的に形骸化し、実勢価格が200~300円程度であるのに、基準輸入価格の546円での輸入申告が常態化し、豚肉の差額関税は、実際にはほとんど納税されていなかった。それは、実質的にみると「違法状態」で、「差額関税の免脱」が恒常化していたということである。しかし、それに対して関税法違反の罰則を適用して、処罰を行うというのであれば、そうした「違法状態」の中で、関税法に違反する犯罪行為が具体的に特定されなければならない。

まず、関税を逋脱した犯罪が成立するのは、「関税納付義務」を負う者であり、それは「貨物を輸入する者」である。通常、貨物の輸入申告の名義人となるが、裁判例等では「実質的にみて本邦に貨物を引き取って処分する権限を有している者、すなわち、実質的に輸入の効果が帰属する者」に関税を課すべきとされており、このような者が「貨物を輸入する者」に当たると解されている。

しかし、実際の豚肉の輸入取引の主な流れは非常に複雑であり、多くの取引は、まず先にハム・ソーセージメーカーが必要な量、価格を決定し、その条件に合う形で多くの取引先を介して輸入される。介在する業者は販売先を変更できず、販売条件の決定権もほとんどないことから、実質的な処分権限はない。

このような豚肉の輸入取引の流れの中に介在する特定の業者を「貨物を輸入する者」と認定し、関税の納付義務者だと決めつけることには、もともと無理がある。

さらに田邉氏は、当時「ナリタフーズ」の社長として収監され服役中であり、「ナンソー」と「OAK」、さらにその他取引先に対して指示を出し、他社を巻き込んで主体的に販売価格や販売条件を決定し、「ナンソー」らに実質的な処分権限があるような輸入を行うことはそもそも困難であった。

検察は、ナンソーを「貨物を輸入する者」と認定し、田邉氏を含む会社関係者を起訴したが、それ自体が、もともと無理筋だった。

もう一つの問題は、この場合の「課税価格」の基準となる価格が、「当該輸入取引に関し買い手により売り手に対して、現実に支払われた価格」とされているので、誰が「売り手」に当たるのかという点だった。

検察は、当初の公訴事実では、「売り手はサプライヤー(米国タイソンなど)」とし、その主張を前提に、多くの証人尋問や被告人質問が行われて証拠調べが終了した後に、「予備的訴因追加請求」が行われて、「売り手がサイプレス」との主張が追加を求めたのに対して、弁護人は強く反対したが、裁判所は訴因の追加を認め、追加の訴因に対する反証のための証人尋問請求をすべて却下して結審して、判決では、「売り手がサイプレス」だとする追加訴因を認定して、有罪としたのである。

このような経過を見ると、実態と乖離した「悪法」である差額関税を含む関税法を強引に適用して田邉氏を逮捕・起訴した検察は「なりふり構わず」有罪判決に固執し、一審裁判所も、最初から「有罪判決ありき」で裁判を行っていたとしか思えない。

冒頭でも述べたように、この事件には、「被害」も「被害者」もない。単に、権力機関の、面子だけを維持するために有罪にしようとする検察に、裁判所は、なぜ、そこまで「肩入れ」をしなければならないのだろうか。

ここにも、「日本の刑事司法の闇」がある。

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河井元法相公判供述・有罪判決で、公職選挙に”激変” ~党本部「1億5千万円」も“違法”となる可能性

2019年7月の参院選広島選挙区をめぐる買収事件で、公職選挙法(公選法)違反の罪に問われた河井克行元法務大臣の被告人質問は、3月23日の第47回公判から4月8日の第53回公判まで、7期日にわたって行われて終了した。これで、証拠調べは終了し、次回4月30日の公判で検察官の論告と弁護人の弁論が行われ、その次の期日で判決が言い渡される。 

克行氏は、初公判では起訴事実は買収には当たらないとして全面無罪を主張していたが、被告人質問初日に罪状認否を変更し、首長・議員らへの現金供与も含め、殆どの起訴事実について、「事実を争わない」とした。

しかし、「自民党の党勢拡大,案里及び被告人の地盤培養活動の一環として,地元政治家らに対して,寄附をしたもの」との初公判での主張は、被告人質問でも何ら変わっていない。克行氏は、ほとんどの事実を「争わない」として買収罪の事実を認めたが、認めた事実関係は、従来どおり「自民党の党勢拡大,案里及び被告人の地盤培養活動」の主張そのものなのである。

被告人が「争わない」としている以上、有罪判決が出ることは確実だが、その前提となる事実は、克行氏が7期日にわたる被告人質問で述べたことと、それまでの公判での証言等によって認定されることになる。それは、党勢拡大・地盤培養活動等の「政治資金の寄附」であっても、「当選を得させる目的で金銭を供与」すれば買収罪が成立することを意味する。

そして、弁護人の質問の最後で、克行氏は、党本部からの交付金と買収資金の関係について、

「1億5000万円は別の用途に使い切った。買収資金を政党交付金から出す発想は全くない」

と言い切った。しかし、克行氏の公判供述全体を見ると、むしろ、自民党本部からの1億5000万円が買収の実質的原資となったことが明白になったといえる。

それは、戦後の日本社会で当たり前のように繰り返されてきた「自民党的選挙資金の提供」が、丸ごと公選法違反(買収罪)に該当することを意味する。まさに、「河井克行元法相有罪判決」は、日本の公職選挙に「激変」をもたらす可能性があり、その激震の直後に行われるのが、今年の秋までに実施される次期「衆議院議員選挙」なのである。

克行氏の被告人質問での供述全文を掲載している「中国新聞デジタル」の記事【詳報・克行被告第47回公判】~【詳報・克行被告第54回公判】に基づき、公判供述を整理し、この裁判で、「有罪」と認定されることが必至の克行氏の公選法違反について解説することとしたい。

弁護人質問での克行氏の供述

まず、第47回公判から第51回公判までの「弁護人質問での公判供述」の要点は、以下のとおりだ。

(1)(県議・市議に現金を渡した事実について)妻案里の当選を得たいという気持ちが全くなかったとはいえない、否定することはできない。全てが選挙買収目的だったということは断じてないが、全般的に選挙買収罪の事実であることは争わない(【第47回】)。

(2)案里が公認されても溝手氏の票が大きく奪われると予期していなかった。顧客層が違う。溝手氏は70歳過ぎで、大臣経験、広島の東部出身、宏池会(岸田派)。一方、案里は40代女性で広島西部が地盤。溝手氏の票が案里に移るのは考えられない(【第47回】)。

(3)現金を渡したのは、「陣中見舞い」「当選祝い」の名目で、党勢拡大・地盤培養、自分自身の広島県自民党内での支持拡大を狙う等の政治的目的である(【第48回】)。

(4)「陣中見舞い」には、立候補者が選挙に出る過程で発生する費用、選挙にまつわる政治献金、寄附という性格と、4年に1回しかない統一地方選挙での選挙戦を通じて政治献金を集めるという性格がある。「当選祝い」は、当選後ずっと行っていく政治活動全般に関する政治的な支援のための献金である(【第48回】)。

(5) 「氷代・餅代」は、党所属の地方議員に対して3区支部長から交付金として支出するお金のことである。3区支部からの交付金となり、党勢拡大の動機付けになる(【第48回】)。

(6)「陣中見舞い」や「当選祝い」の現金は私的なポケットマネーでお渡しする。収支報告書にすぐ記入するのではなく、翌年の3月末までに政治資金収支報告書を作成して県の選挙管理委員会(選管)か総務省に出すが、その前に確認をして、政治資金として処理して領収書を受領するかどうかを決める(【第48回】)。

(7)県議の中には、私からお金が渡っていることが知られると、県連の関係者から弾圧されると想像する人もいる。「領収書を下さい」と言うと相手方を政治的に追い込む可能性があるので、領収書を求めないこともあった。そういう場合は、ポケットマネーから支払ったという処理をするほかなかった(【第48回】)。

(8)領収書を受領して、政治資金規正法に則って処理する方法と、相手方への配慮で、表に出さない方法の二つがあり、結果的には河井案里が当選したが、渡した時点では広島の政界の構図が変わるのか、まだ分からなかったので、選挙の結果が出てから法にのっとって適切に処理するか、表に出さない配慮をするかを決めようと考えていた(【第48回】)。

(9)私の場合、政治資金の財布が、「自民党第3選挙区支部」、「自民党新広島支部」、「河井克行後援会三矢会連合会」、「河井克行個人の私的な財布」と、少なくとも四つはあった。寄附については、金額などを調整して先方とも協議し、最終的に報告書に記入し、選管に提出することにしていた(【第48回】)。

(10)選挙運動というのは、特定の選挙で票を得る目的での、選挙はがきの郵送、電話作戦、政党名・候補者を挙げての投票依頼、街頭演説、個人演説会、総決起集会を開いて投票のお願い、党員・党友・友人・知人への投票の呼び掛け、公営掲示板でのポスター張り等である(【第48回】)。

(11)(現金を渡す時に)「案里を応援して」と言ったのは、心の中で、「案里の政治活動をよろしく応援してください」という意味合いだったが、政治活動の延長線上に選挙があるので、政治活動だけ応援してくださいと、内面で切り離すことができない。「案里の選挙を応援してください、当選させてください」いう気持ちもあったことは否定できない。相手との間で、票を得ることについて、相談したり、聞いたりしたことはなかった(【第48回】)。

(12)私自身が広島の政界で孤独感・疎外感を味わっていたので、関係がよくなかった人にお金を差し上げることで少しでも関係が改善すればと思い、妻の選挙を名目に、自分の政治基盤を固めるために妻をだしにしてお金を差し上げてしまった(【第48回】)。

(13)第7選挙区支部の河井案里支部長を通じての党勢拡大・地盤培養行為に協力してポスター張り、後援会入会申込書の配布・回収、集会を開いて後援会の会員・支持者への出席依頼、街頭演説への協力、自民党の号外配布などの実動部隊として動いてもらいたいという趣旨で県議・市議に現金を渡した(【第50回】)。

(14)一般的に、県連が、交付金として党勢拡大のためのお金を所属の県議・市議に振り込むが、県連からの交付金は溝手先生の党勢拡大にのみ使われ、県連が果たすべき役割を果たしていないので、やむを得ず、その役割を第3支部(克行支部長)、第7支部(案里支部長)で果たさないといけないと思い、県議・市議に、県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げた(【第51回】)。

(15)地方議員・後援会員に供与した現金は、全て私自身の手元にあった資金から支出した。議員歳費などから貯めていた。党本部からの1億5000万円は自民党の機関紙「自民党号外」を3回発行し、県内の全世帯に配布し、その印刷費・ポスティング・郵送費等の実費、経費、自民党広島県参院選挙区第7支部の事務所開設費用、賃料、人件費、党勢拡大のための看板の制作費や交通費、通信費、光熱水道費に全て完全に使い切った。買収資金を政党交付金から出す発想は全くない(【第52回】)。

(16)2019年参院選の際の最大の争点は憲法改正が成就できるのか。安倍内閣でギリギリの段階だった。憲法改正の国民投票にかける決議には両院の3分2が必要だが、安倍政権の下では問題は参議院だった。賛成の政治勢力を3分の2確保するためには、情勢調査では、あと1、2議席足りない。1、2議席を取れるかどうか憲法改正のぎりぎりのせめぎ合いだった。普段の参院選の1議席の重みと、あの参院選の1議席の重みは政治的には全く違っていた。溝手氏と案里が勝つことでなんとか3分の2、1票差でもいいから、国会発議が出来る多数を獲得することが目的だった(【第52回】)。

検察官質問に対する克行氏の供述

第53回、第54回公判では、検察官からの質問が行われた。

弁護人質問で克行氏は、

「案里の自民党の二人目の候補としての公認は、2議席確保が目的であり、溝手氏側から票を奪う気も全くなかった。2人当選の目的が果たせなかったので、案里が当選しても『万歳三唱』すらやらなかった」

などと供述していた。また、「2議席確保」は、憲法改正の発議のために参議院で3分の2を確保することが目的だったことを強調した。

検察官は、克行氏が、ブログでの発信を請け負う業者に宛てたメールの文面について質問した。

「期待していた通り、溝手顕正が失言してくれました。どうすれば拡散できるのか、アングラな方法がいいのではないか、あるいは、懇意な記者に伝えましょうか」

という文面で、溝手氏に関する悪い噂をネットで流すことを依頼する内容だった。業者側が情報源がバレないか心配しても、

「よろしくお願いします、どしどしやって下さい」

と、溝手氏の悪い噂の拡散を重ねて依頼するメールを送っていた。

克行氏のPCに残されていた「県議、市議らの名前と金額」のメモの意味について、検察官に「実際に支払った金額を記憶に基づいて記したのではないか」と質問されて、「お金を差し上げるとすれば、どういう方々にいくら渡すのか頭の体操のために書いたもの」と供述し、実際に渡した事実を記載したことを否定した。

それに対して、検察官から、最終更新日が、選挙後、現金を配布した後であることを指摘され、合理的な説明はできなかった。

そして、検察官から、「データ消去の理由」について質問され、

「10月下旬に案里の参院選の車上運動員の報酬について週刊誌報道がなされた。事務所スタッフの意見を総合すると、支部の職員が内部流出させたのは間違いないと聞いたので、後援会の個人情報や機密情報がさらに流出するのではないかと恐れて、復元出来ない形で消去することにした。」

と答えた。しかし、支部の事務所で作成したデータを消去しただけではなく、議員会館・議員宿舎のPCのデータなど、克行氏しか触っていないデータまで消去していたことについて質問され、合理的な説明はできなかった。

買収原資についても、検察官の質問には、

「私の手持ちの資金で賄った」

「衆議院の歳費などを安佐南区の自宅の金庫に入れ保管していた金で賄った。」

と供述したが、検察官から、日頃から議員活動のために「借り入れ」をしていることとの関係や、平成31年3月に金庫にあった現金の額について質問され、「覚えていない」としか答えられなかった。さらに、検察官から「自宅を検察が捜査した時点では大金はなかった。」と指摘されても「わからない」と述べるだけだった。

克行氏初公判での罪状認否・冒頭陳述と公判供述の比較と公判供述の信用性

克行氏は、被告人質問の冒頭で、罪状認否を、県議・市議等への買収などほとんどの起訴事実について、「争わない」と変更したが、それに引き続いて行われた被告人質問での克行氏の公判供述と、初公判での罪状認否・弁護人冒頭陳述の内容とを比較すると、公判供述で付け加えられた点はあるものの、罪状認否・冒頭陳述の内容は被告人質問でもほとんど変更されていない。

克行氏は、被告人質問の冒頭で「案里氏を当選させる目的」を認めたが、初公判では、罪状認否でも、冒頭陳述でも、「当選を得させる目的」について明確に述べてはいなかった。

3月初めに出馬表明した後の河井夫妻の状況からして、「党勢拡大・地盤培養」など政治活動に関するものであっても、「当選を得たいという気持ち」が全くなかったなどということは常識的にあり得ない。被告人質問では、「政治活動の延長線上に選挙があるので、政治活動だけ応援してくださいと、内面で切り離すことができない」(上記(10))と述べているが、それは、あまりに当然のことを認めたに過ぎない。

問題は、県議・市議らに現金を渡した「趣旨」である。

この点について、冒頭陳述では、

「自民党の党勢拡大,案里及び被告人の地盤培養活動の一環として,首長,県議らと面会を重ね,政治信条を同じくしていたり,将来有望であり,広島の将来を担うと目される地元政治家らに対して,寄附をしたものであって,特に,統一地方選挙に立候補した政治家に対しては,陣中見舞いや当選祝いの趣旨も含め,現金を供与した。」

と主張していた。

7日間にわたる被告人質問で行った供述も、ほぼ同趣旨であり、初公判での主張を具体的かつ詳細に展開したに過ぎない。

要するに、克行氏は、罪状認否を変更し、結論として、公選法違反の買収の事実を認めたが、主張の内容については、初公判の時点と全く変わらないのである。

一方、初公判の冒頭陳述の記述には含まれておらず、被告人質問で初めて述べた点もある。

その一つが、

自民党の案里氏公認は、参議院で憲法改正の発議に必要な3分の2を改憲勢力が獲得するために、広島選挙区での「2議席獲得」が目標で、案里氏ともう一人の候補の溝手氏は得票する有権者の層も違うので、克行氏としては、溝手氏から票を奪う気も落選させる気も全くなかった。

との供述だ。

しかし、「溝手氏の票を奪う気はなかった」とする克行氏の供述は全く信用できないことは、事務所関係者が、(克行氏が)「建前は自民党2議席だが、溝手さんの票を取れるだけ取ってと相談をしていた」(【第38回公判】)、「代議士は『溝手を通さんでもいい。案里が通ればいい』と大声できつく言っていた」(【第40回公判】)などと証言していることからも明らかであり、検察官の質問で示された克行氏のメールの「期待していた通り、溝手顕正が失言」との記載からは、溝手氏から票を奪い、案里氏を当選させて、溝手氏を落選させようとしていたことが強く疑われる。

この点に関連して、憲法改正発議のために、2人目の公認候補として案里氏を擁立したと強調しているのも、「溝手氏を落選させる意図」を否定するための「作り話」であろう。

同様の参議院の2人区のうち、前回選挙まで自民党と野党が1議席を分け合い、自民党が野党候補にダブルスコア以上で圧勝し、共倒れの恐れもないという点で共通しているのが広島と茨城である。2019年参院選の茨城では、立憲民主党と国民民主党との間で候補者調整が難航し、候補者の確定が大幅に遅れた上、国民民主党は推薦を見送るなどし、選挙結果も、自民党候補が5対2の得票での圧勝だった。2人目候補を擁立した場合の2人の当選確率は高かったと思われる茨城では、その動きが現実化することはなかったが、その一方で、なぜ、広島では、県連の強硬な反対を押し切ってまで2人目の公認候補を擁立しようとしたのか。憲法改正の発議のためとは到底思えない(そもそも、衆議院が小選挙区制となった直後の1998年参院選を最後に、自民党の参院地方区の2議席独占は全くない)。

もう一つは、

地方議員・後援会員に供与した現金は、全て議員歳費などから貯めていた私自身の手元資金から支出した。党本部からの1億5000万円は自民党の機関紙「自民党号外」の印刷費、ポスティング、郵送費等の実費、経費、参院選挙区第7支部の事務所開設費用、賃料、人件費等に完全に使い切った。買収資金を政党交付金から出す発想は全くない。

との供述だ。

これについては、検察官の反対質問で、議員活動のために日常的に借入をしていること、自宅の捜索を受けた時点の現金残高などを指摘され、「買収原資は歳費を貯めていた手持ちの現金」との説明自体が疑わしいことが明らかになった。

しかも、上記(13)(14)のとおり、弁護人質問で、

「一般的に県連が交付金として党勢拡大のためのお金を所属の県議・市議に振り込むが、県連からの交付金は溝手氏の党勢拡大にのみ使われ、案里氏に関しては県連が果たすべき役割を果たしていないので、県議・市議に、県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げた。」

と述べて、県連に代わって交付金を現金で、県議・市議に渡したことを認めている。克行氏が、「買収資金を政党交付金から出す発想は全くない。」と述べているのは、県議・市議に現金を渡す時点では「買収」と認識していなかったからであり、現時点では、それが買収であることを「争わない」のである。1億5000万円の党本部からの資金提供が、交付金が買収資金の原資となったことを実質的に認めているに等しい。

「被告人質問で敢えて行った信用性の希薄な供述」の政治的背景

上記の2点は、自民党本部との関係や安倍前首相などの利害に密接に関連する。特に、「2人目公認候補としての案里氏擁立の目的と憲法改正の関係」については、克行氏の供述どおりであれば、この点について、安倍氏の溝手氏への積年の恨み、菅義偉氏と岸田文雄との総裁選をめぐる確執などの「個人的な動機」が2人目の公認候補擁立の真の動機ではないかとの見方(「安倍政権継承」新総裁にとって“重大リスク”となる河井前法相公判【前編】)は、すべて否定されることになる。

克行氏は、冒頭陳述では触れていなかったこれらの事項について、自民党本部側や安倍前首相らの利益に沿う内容の供述を、議員辞職の意向を明らかにした後の被告人質問で行ったが、信用性に重大な疑問があることは上記のとおりだ。

克行氏が、敢えて、このような「信用性の希薄な供述」を行ったことには何らかの政治的背景があると合理的に推測することが可能だ。3月初め保釈された後に、自民党本部側から克行氏に何らかの接触があり、議員辞職の時期を、再選挙が4月25日に実施されない「3月15日以降」とすることに加え、上記事項の供述内容についても何らかの「自民党側からの要請」があった可能性もある。

「党勢拡大・地盤培養のための政治資金」との供述をどう扱うのか

一方、県議・市議らへの現金供与についての「自民党の党勢拡大,案里及び被告人の地盤培養活動の一環として,首長,県議ら地元政治家らに対して,寄附をした」との主張は、初公判から被告人質問まで一貫している。

従来から、検察が、選挙期間から離れた時期の政治家間の金銭のやり取りを買収罪の刑事立件の対象としなかったのは、このような弁解が予想されることが実質的な理由だった。

克行氏は、一貫してこのような主張を維持する一方で、罪状認否を変更して「買収の事実を争わない」とした。判決では、この点についてどのような事実認定が行われるのだろうか。本件の事実認定として、「政治資金の寄附」だとする克行氏の主張を否定することが可能だろうか。

まず問題となり得るのは、交付した相手方から領収書を受領し、政治資金収支報告書に記載すべきなのに、それを行っていないことである。被買収者の中には、領収書の受領を拒否されたと証言している者もいる。

しかし、克行氏は、「政治資金の寄附」の処理の方法には、領収書を受領して、政治資金規正法に則って処理する方法と、相手方への配慮で、表に出さない方法の二つがあり、選挙の結果が出た後に処理の方法を決めようと考えていたと供述している(上記(8))。

政治資金規正法上は、「会計帳簿の作成・備付け」と「7日以内の明細書の作成・提出」が義務付けられ、政治資金の収支を、発生の都度、逐次処理することを求めているが、実際には、領収書の発行・会計帳簿の記載の確定・明細書作成は、収支報告書の作成の時期にまとめて行われるのが実情であり、現金授受の時点で領収書の交付がないことは「政治資金の寄附」を否定する決定的な根拠とはならない。(拙稿【政治資金規正法、「ザル法」の真ん中に“大穴”が空いたままで良いのか】では、その是正のための制度改正を提案している)。

河井夫妻の公選法違反事件で同氏らの事務所への捜索が行われたのは2020年1月であり、2019年分の政治資金収支報告書の提出期限の前なので、収支報告書の記載が確定していない時期だ。収支報告書の記載の有無で「政治資金」かどうかを判断することはできない。

また、克行氏の供述によれば、政治資金の財布は4つあり、寄附については、金額などを調整して先方とも協議し、最終的に報告書に記入していたとのことであり(上記(9))、現金の授受の時点で領収書の授受を行わないのは、通常のやり方と変わらないことになる。領収書を受領していないことも、「政治資金」であることを否定する理由にはならない。

「PCデータ消去」についても、上記のとおり、「情報流出を防止するため」との克行氏の公判供述は信用し難い。しかし、県議・市議への現金供与を「政治資金の寄附」と認識していたとしても、その時点では表に出ていない政治家間の現金授受で、政治資金収支報告書の記載も確定していなかったのであるから、それに関するデータを検察に押収されることを避けたいと思うのは不自然ではない。「データ消去」も、「政治資金の寄附」と認識していたことを否定する根拠にはならない。

克行氏から現金を受領した県議・市議の多くの証言も、「参議院選で案里をよろしく」という趣旨だと認識した旨証言しているが、それは、「克行氏に案里氏を当選させる目的があると認識していた」ということであり、克行氏の「政治活動の寄附」の主張を直接否定するものではない。

結局のところ、県議・市議への現金供与についての「自民党の党勢拡大,案里及び被告人の地盤培養活動の一環として,首長,県議ら地元政治家らに対して,寄附をした」という点について、克行氏の供述の信用性を否定する証拠はない。判決の事実認定も、この点を前提とするものとなる可能性が高いと考えられる。

「政治活動の寄附」であることと公選法違反(買収罪)の成否

では、県議・市議への現金供与が、克行氏の主張どおり「自民党の党勢拡大,案里及び被告人の地盤培養活動」に関するものだったと認められた場合、それは、公選法違反の買収罪の成否にどう影響するのか。

公職選挙法違反の買収罪の成立要件は、(a)「当選を(得る又は)得させる目的で」(b)選挙人又は選挙運動者に(c)金銭、物品その他の財産上の利益を「供与すること」、である。

克行氏は、「案里氏に当選を得させる目的があった」ことは認めている。

「供与」というのは、一言で言えば「相手に得させること」である。公選法上の「供与」は、「使途を限定せず、自由に使えるものとして、相手に得させること」、つまり「差し上げること」を意味する。

克行氏は、県議・市議に、現金を「差し上げた」と繰り返し供述しており、「自由に使えるものとして得させた」ことに争いはない。

その「当選を得させる目的の」「供与」が、「選挙人」又は「選挙運動者」に対するものかどうかについては、少なくとも、県議・市議が、参議院広島選挙区で選挙権を有する「選挙人」であることは明らかである。また、「選挙運動者」について、判例では、「選挙運動とは特定の公職選挙につき、特定の候補者の当選を的として、投票を得は得させるために直接は間接に必要かつ有利な一切の為を指称するもので、同条の選挙運動者とは、かかる為をなす者、なした者、なすことを約諾した者及びなすことの依頼を受けた者等を含む」と広く解されており、「一面政治団体の活動である場合」にも「選挙運動」に該当し得ること認めている(仙台裁昭29・5・20)。

つまり、克行氏が現金を供与した県議・市議らが、「選挙人」又は「選挙運動者」であることを否定する余地はなく、要するに、「当選を得させる目的」で「金銭を供与」したのであれば、「党勢拡大」「地盤培養」等の政治活動の性格があろうがなかろうが、買収罪が成立することに変わりないのである。

これまでの検察の実務では、買収罪の起訴事実は、「投票又は票の取りまとめを依頼し、その報酬として」と記載されてきた。本件の克行氏の起訴状でもそのように記載されているが、克行氏はそのような依頼を行ったことは否定しており、県議・市議の側も、明示的に「票の取りまとめを依頼された」と証言している者はほとんどいない。

起訴事実の記載からは、「投票の依頼をしたか」「票の取りまとめを依頼」を行ったか否かが有罪無罪の判断に分かれ目のように思えるが、そのような記載方法自体が、検察当局が、従来、選挙に向けての資金のやり取りのうち、「政治活動」に関するものを買収罪による摘発の対象から除外する「抑制的運用」をしてきたことを前提にするものと言える。

克行氏が主張するように「党勢拡大・地盤培養活動」に関する「寄附」であっても、「買収罪」は成立するのであり、むしろ、ストレートに、「河井案里に当選を得させる目的で、選挙人であり、かつ選挙運動者である〇〇に金銭を供与した」、と認定すればよいのではなかろうか。

予想される「克行氏有罪判決」と公職選挙への影響

「自民党の党勢拡大,案里及び被告人の地盤培養活動」に関する「寄附」であっても、特定の選挙で「当選を得させる目的」で「金銭を供与」すれば買収罪が成立するということになれば、公職選挙全般に与える影響は甚大だ。

案里氏の当選が無効になり再選挙になっている2019年の広島選挙区の参院選においても、もう一人の自民党候補の溝手氏側も、同様の「金銭の供与」を行っていたことが明らかになっている。

克行氏からの被買収者の一人である奥原信也県議が、2019年6月に溝手氏側から50万円の資金提供を受けたことを、克行氏の公判で証言し、奥原氏は、中国新聞の取材に、

「溝手氏側から一方的に私の関係支部の口座に振り込まれた。参院選に近い時期なので、選挙での応援を求める目的だったのだろう。呉市内の私の支援者の票を頼りにしていたのではないか。」

と述べている。(【決別 金権政治 第3部 選挙とカネ <1> 「まさか溝手さんまで…」 金頼み 姿勢大差なく】)

また、2019年参院選当時、自民党広島県連会長だった宮沢洋一氏が代表を務める「同党県参院選挙区第六支部」が、昨年11月に県議11人に交付したと政治資金収支報告書に記載している各20万円について、平本英司県議が、2020年12月24日の克行氏の公判で、自身が受け取ったのは「昨年5月ぐらい」と証言しており、政治資金規正法違反(収支報告書虚偽記入)の疑いが生じている。

克行氏も、県議・市議等に現金を供与したことについて、

「本来であれば、参院選の選挙資金は、自民党本部から広島県連に提供された選挙資金が、広島県内の市議・県議等の自民党政治家の支部組織に提供され、公認候補の溝手顕正氏と案里氏の両方の選挙に関連する政治活動に使われるはずなのに、19年の選挙では、県連は、溝手氏だけを支援し、案里氏の支援をすべて拒絶していたので、県連が果たすべき役割を果たしていないので、やむを得ず市議、県議に県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げた」

と供述している(弁護人質問供述(14))。

つまり、党本部から提供される選挙資金を県連から県議・市議に提供するという本来のルートが使えなかったので、やむを得ず「現金」で、自分が直接手渡すという方法を使ったということであり、克行氏が県議・市議に対して行った現金供与は、金額の規模に差はあっても、広島県連の県議・市議への交付金の提供と、ほぼ同じ性格ということになる。

国政選挙の前に、現金で選挙のための活動資金を提供するのは、克行氏だけの話ではなく、広島の自民党においてかねてから行われてきたやり方である。克行氏が公判供述を前提に県議・市議への現金供与が買収罪で有罪とされるということは、そのような広島自民党のやり方自体が、公選法違反の買収と判断されることを意味する。

そして、そのような観点からは、そもそも、自民党本部が、広島県自民党の「第3支部」、「第7支部」に「交付金」として克行氏に提供した合計1億5000万円も、「案里氏を当選させるための党勢拡大・地盤培養のために、使途を限定せず、自由に使えるお金」として克行氏に「供与」したものなのであれば、克行氏が、案里氏の参院選の「選挙運動者」であることを否定する余地はない以上、1億5000万円それ自体が、公選法違反の「買収罪」に該当する可能性も否定できないということになる。

選挙に関して、金銭を「供与」することが最大の問題

「自民党の党勢拡大,案里及び被告人の地盤培養活動」に関する「寄附」であっても、特定の選挙で「当選を得させる目的」で「金銭を供与」すれば買収罪が成立するということになると、党本部が、国政選挙に際して、都道府県連を通して政治家の支部に交付する選挙資金も、使途を限定しない「供与」であれば「買収罪」に該当する可能性があることになる。そのように公職選挙に関して金銭を「供与」することが、本来、許されてよいのであろうか。

公職選挙によって有権者の代表を選ぶことは、民主主義の基盤である。それは、投票日、又は期日前に、投票所に足を運び、投票をすること、支持する候補者の応援・支援、他の選挙人への働きかけなどが、すべて、無償で自発的に行われること、そのために、国民が一定の負担をすることで成り立つものである。

そのような選挙に関して、「選挙人」又は「選挙運動者」が利益を得ようとする行為そのものが、公職選挙の目的に著しく反するものである。選挙に関して、様々な費用がかかることは否定できないが、その費用は、すべて具体的に特定して、選挙運動費用収支報告書に記載して提出させ、公開する、というのが公選法のルールである(192条第4項)。その趣旨からすれば、特定の候補者を当選させるために資金を提供するのであれば、その使途を具体的に明確に特定した上で提供し、事後的にも使途の報告を求められるようにしなければならない。特定の選挙に関して、「使途を限定せず、自由に使えるお金として差し上げること」自体が、公選法の趣旨・目的に著しく反するものであり、公選法は、そのような行為を「買収罪」として重く処罰することにしているのである。

「当選を得させる目的で使途を限定せずに金銭を供与する行為」が、従来の検察の「抑制的運用」のために、「政治資金の寄附」を隠れ蓑に、買収罪の適用を免れてきたことで、克行氏自身が述べているように(克行供述(4))、「選挙の際に、それを名目にして政治資金を集める」というような行為の横行につながってきた。それが、まさに、選挙に関連して「供与」される金銭に群がる「政治家」が、国政や地方政治を動かすという日本の「金権政治」の大きな要因となってきたといえる。

前法務大臣の河井克行氏が、多額の現金買収の罪で検察に逮捕・起訴されるというのは「憲政史上の汚点」となった。しかし、一方で、克行氏が、その裁判で、現金提供の大部分が、「自民党の党勢拡大,案里及び被告人の地盤培養活動」であることを詳細に述べ、一方で、それが、「妻の案里氏を参議院選挙で当選させること」を目的とするものであったとして買収罪に該当することが認められることで、今後、「特定の選挙で特定の候補の当選を得させる目的」で行われる「金銭の授受」は、公選法違反の買収罪に該当することになる。それは、日本の公職選挙の在り方を抜本的に変える大きなインパクトを生じさせるものである。

そのような観点から、今後の、克行氏の公判での検察官の論告、弁護人の弁論、そして、それを受けて言い渡される判決に注目したい。

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「事実を認めた」河井克行元法相の公判供述は、広島県連・安倍前首相・菅首相にとって「強烈な刃」!

河井克行元法務大臣の公選法違反事件の公判、3月23日から始まった被告人質問で、克行氏は、議員辞職の意向を示したのに加えて、それまで全面的に否認し無罪を主張してきた公選法違反の事実を「一転して」認めたかのように報じられた。そして、4月1日、克行氏の議員辞職が国会で認められた。

河井案里氏が有罪確定で当選無効になったのに加えて、克行氏も「罪を認め」議員辞職したことで、この事件は「一件落着」だと思っている人が多いかもしれないが、それは全くの誤りである。その後も続いている克行氏の公判での被告人質問では、4月8日告示の、案里氏当選無効に伴う参議院広島選挙区での再選挙に、そして、自民党本部の選挙対応にも重大な影響を与えかねない供述が行われているのに、マスコミでは、ほとんど報じられていない。

【河井元法相・公選法違反公判、いったい何を「一転認めた」のか】でも述べたように、克行氏の供述内容は、

「河井案里の当選を得たいという気持ちが全くなかったとはいえない、否定することはできないと考えている」

という、誰がどう考えても「否定する余地のない当然のこと」を認めただけで、従前の主張と実質的に異なるものではなかった。

昨年9月の初公判での克行氏の罪状認否や弁護側冒頭陳述等での主張は、

《「当選を得させる目的」はあったが、そのために「選挙運動」を依頼して金を渡したのではない。あくまで、案里の当選に向けての「党勢拡大」「地盤培養行為」のような政治活動のための費用として渡した金である》

というものだったが、先月始まった被告人質問で、個々の買収の事実について具体的に質問され、克行氏は、従来からの主張をさらに明確に述べ、その内容は、自民党広島県連や自民党本部の選挙への対応にも重大な影響を与えかねないものとなっている。

克行氏の弁護側冒頭陳述では、

広島県連では、参議院議員選挙が近づくと、衆参国会議員から立候補予定者・候補者への秘書派遣による、党勢拡大活動、地盤培養活動などの政治活動の支援、選挙運動期間中には選挙運動の応援等が行われ、県連の要請により、広島県連職員、各種支持団体の関係者なども派遣されて同様の活動を行うのが通常であったが、案里氏については、公認が大幅に遅れたため、周知のための政治活動期間・立候補のための準備期間が明らかに不足しているのに、広島県連からの人的支援が得られず、後援会の設立や組織作り、後援会員の加入勧誘、政党支部の事務所立上げなどの政治活動や選挙運動に従事することとなる人員確保など体制作り自体に苦労する状況にあり、県議、衆議院議員として長い政治家としてのキャリアを有する克行氏が、その人脈を頼って、それら案里氏のための活動を行わざるを得なかった。

と主張していた。

3月31日の第51回公判での被告人質問で、克行氏は、以下のような供述を行った(中国新聞デジタル【詳報・克行被告第51回公判】弁護側被告人質問<2>)。

実態として今回は県連が溝手先生だけ支援すると決定していました。

県連所属の県議会、市議会、各級議員のみなさんが溝手先生を通じた党勢拡大活動を実行すると考えていました。

実際には私が県議選に初当選したのは平成3年。

平成4年の参院選では広島県から宮沢洋一前県連会長の父の宮沢弘さんが立ちました。

県連から20万~30万円を参院選に向けてちょうだいしていました。

一般的に県連が交付金として党勢拡大のためのお金を所属の県議、市議に振り込むことは存じ上げていました。

交付金は溝手先生の党勢拡大にのみ使われると思っていました。

県連が果たすべき役割を果たしていない。やむを得ず役割を第3、第7支部で果たさないといけない。

市議、県議に県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げないといけないと実行に移しました。

克行氏は、市議会議員、県議会議員等に配布した現金は、本来であれば、参院選の選挙資金は、自民党本部から広島県連に提供された選挙資金が、広島県内の市議・県議等の自民党政治家の支部組織に提供され、公認候補の溝手顕正氏と案里氏の両方の選挙に関連する政治活動に使われるはずなのに、19年の選挙では、県連は、溝手氏だけを支援し、案里氏の支援をすべて拒絶しており、「県連が果たすべき役割を果たしていない」ので、「やむを得ず」「市議、県議に県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げ」たと言っている。

要するに、克行氏は、党本部から提供される選挙資金を県連から市議・県議に提供するという本来のルートが使えなかったので、やむを得ず「現金」で、自分が直接手渡すという方法を使ったと供述している。それを前提とすれば、克行氏が、市議・県議等に対して行った現金供与は、広島県連が市議・県議に対して行った、自民党本部からの参院選の選挙資金としての交付金を提供したのと、同じ性格のものだということになるのである。

実際に、2019年参院選当時の自民党広島県連会長だった宮沢洋一氏が代表を務める「同党県参院選挙区第六支部」が昨年11月に県議11人に交付したと政治資金収支報告書に記載している各20万円について、平本英司県議が、2020年12月24日の克行氏の公判で、自身が受け取ったのは「昨年5月ぐらい」と証言しており、政治資金規正法違反(収支報告書虚偽記入)の疑いが生じている。このことからも、克行氏が公判供述で述べているように、国政選挙の前に、現金で資金を提供するのは、克行氏だけの話ではなく、広島の自民党において、かねてから行われてきたやり方だと見ることができるのである。

今回の参議院広島選挙区の再選挙に関して、自民党広島県連会長の岸田文雄氏は、BS番組で

「河井事件という、とんでもない事件が起こって、広島の政治、あるいは自民党の政治に対する大変厳しい批判があり、そして信頼が損なわれた、大変残念な状況になっています。もういま惨憺たる状況です」

などと語っており(【参院広島選挙区再選挙、自民党は、広島県民を舐めてはならない】)、あたかも河井夫妻の事件が「とんでもない事件」で、それによって信頼が損なわれた自民党広島県連は被害者のような言い方だ。

しかし、元法相の克行氏の公判供述によれば、広島県連自身も、選挙に関する資金の提供を同様の方法で行ってきた。広島県連にとっても、選挙資金を提供する自民党本部にとっても、河井事件は、「他人事」どころか、まさに、自分自身の問題なのである。

しかも、克行氏の供述を前提にすると、安倍晋三前首相や菅首相も、克行氏が「市議・県議に県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げる」という行動に及ばざるを得ないことを、認識していなかったとは考え難い。安倍前首相は、自民党が参院選の候補者として案里氏を公認した3月13日の前後の2月28日と3月20日、自民党本部が案里氏が代表を務める政党支部に1500万円を振り込んだ2日後の4月17日、自民党本部が案里氏の政党支部に3000万円を振り込んだ3日後の5月23日に克行氏と単独で面会し、6月10日に案里氏政党支部に3000万円、克行氏政党支部に4500万円が振り込まれた10日後の20日にも克行氏と、それぞれ単独で面会している。そして、菅義偉首相も、選挙期間中に、2回も広島に応援に入っている。

安倍前首相・菅首相の2人は、広島県連が案里氏の支援を拒否していることは当然に認識していたはずである。自民党本部は、克行氏・案里氏に1億5000万円の資金を提供したが、その資金が活動資金として市議・県議に提供されることはわかっていたはずだ。県連を通じてのルートが使えない克行氏にとって、克行氏自身が「県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げる」という方法に寄らざるを得ないことも十分に認識していたと考えるのが合理的だ。

「事実を認めた」はずの克行氏の公判供述は、広島県連・自民党本部にとっても、安倍前首相・菅首相にとっても「強烈な刃」である。今、案里氏の当選無効を受けて行われている再選挙に、候補者を擁立して選挙戦を戦おうとしている自民党には、克行氏が公判供述で述べている事実について、重大な説明責任がある。

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何を「一転認めた」のか!河井元法相公選法違反“公判供述”

河井克行元法務大臣の公選法違反事件の公判で、昨日(3月23日)から被告人質問が始まった。

3月3日に保釈された克行氏が、その後、議員辞職の意向を固めたと報じられていたが、昨日の公判では、議員辞職の意向を示したのに加えて、それまで全面的に否認し無罪を主張してきた公選法違反の事実を「一転して」認めたかのように報じられている。

しかし、産経新聞の公判詳報(《【克行議員初の被告人質問】(1)「結婚20年」「案里の当選得たい気持ち、なかったとはいえない」》 ~(7))を見る限り、実際の河井氏の供述は、「一転して」公選法違反を認めたというようなものではない。

克行氏が公判で、起訴事実について述べた内容は、「河井案里の当選を得たいという気持ちが全くなかったとはいえない、否定することはできないと考えている」という、まさに、誰がどう考えても「否定する余地のない当然のこと」だ。

そして、それ以外の克行氏の供述は、要するに、

(1)妻の河井案里には、政治家として素晴らしい素質があり、広島県民からの支持も見込めたので、2人目の自民党公認候補として立候補しても当選するものと予想していた、という政治家・河井案里への礼賛。

(2)現金を配布してまで、案里氏を擁立し、選挙運動を行ったのは、(「当時の首相安倍晋三氏の溝手顕正氏への遺恨」や、「当時の官房長官の菅義偉氏の岸田文雄氏との総裁選に向けての確執」などという、マスコミで取り沙汰された「背景」によるものではなく)、純粋に、「自民党公認候補での2議席独占」をめざしたものだった(ベテランの溝手氏と若手で女性の案里氏とでは支持層が全然違うので、自民党支持層の投票先が溝手氏から案里氏に移ることはあり得ない、という自民党本部の対応の正当化。)

(3) 広島県連は、長年にわたって、自民党1議席、野党1議席というぬるま湯につかった選挙をしてきた。真面目に地盤培養、党勢拡大をしてきたとはとても思えない。溝手氏や、県連会長を務めていた宮沢洋一氏は、案里が出馬することで楽な選挙ができなくなるとして、案里の立候補に反対した、という自民党広島県連への批判。

の3つである。

克行氏公判供述は「自白」なのか

克行氏は、主張を変えた理由について、

「本当に、案里を参院選に当選させたいという気持ちがなかったのか。家族同然の後援会の皆さんが証言されている姿を見て、連日深く自省しました」

などと、もっともらしく「自白に至った経緯」を話しているが、「案里を当選させたい気持」があったことは、誰が考えても当然のことであり、「深く自省」しなければ供述できないことではない。

検察の主張は、領収書も受け取らず、「違法な裏金」として多額の現金を配布した、というものだ。「違法な裏金」だと認識して現金を配布したというのでなければ、「事実を認めて自白した」ということにはならない。

一方、克行氏側の従前の「無罪主張」は、

《「当選を得させる目的」はあったが、そのために「選挙運動」を依頼して金を渡したのではない。あくまで、案里の当選に向けての「党勢拡大」「地盤培養行為」のような政治活動のための費用として渡した金である》

という主張であり、「無罪主張を翻す」ということであれば、

「案里への投票と、そのための選挙運動を依頼するために金を渡したものであり、政治活動に関するものではなかった」

と認めることになるはずだ。

ところが、弁護人から、「選挙に向けた準備」について質問された克行氏は、

「党勢拡大活動と地盤培養行為を真面目にやっていくことに尽きる。」

と述べており、結局のところ、案里氏の選挙に向けての「政治活動」を行っていたという従前の主張に何ら変わりはない。

克行氏は、

「選挙人買収の目的のみではないが、事実として認める。」

と、抽象的に事実を認めるように言っているだけだ。具体的な「自白」ではなく、「公選法違反」を「結論」として「自認」しているだけに過ぎない。

広島県連に対する批判

克行氏の供述では、案里氏が立候補した参院選での広島県連(自由民主党広島県支部連合会)の対応に対する批判も、相当な時間をかけて行ったようだ。

「県連は県議が主体の組織であり、彼らの政治的な目標は、一義的には県政であることが1番大きな違いです。県政の延長線上に国政選挙がある。国政では与党と野党で政策を異にしていますが、広島では共に県政を運営してきた。彼らにとっては、これを維持することが最重要の政治課題なのです。過去21年続いていたように、県知事選挙と国政において自民と民主系の議席を仲良く分け合うことが、彼らの政治的目標なのです。」

と述べて、県連が、野党側と馴れ合っていることを批判し、参院選に向かって党の結束を訴える絶好の機会だったのに、溝手氏の隣に案里氏を並べたくないとして県連会長が県連大会の無期延期を決めたこと、県連のホームページに溝手氏の情報だけで、同じ自民党公認の案里氏の情報が一切なかったことなど県連の対応について述べた上、弁護人の質問に答えて

「本来は県連がする党勢拡大を自分や案里が主体となってしなければならなくなった」と述べた。

今後の公判の進行

克行氏は

「全てを選挙買収と断ぜられることは禍根を残す。選挙活動を萎縮させる悪影響があってはいけない。できるだけ正確に、あの春から夏にかけて、どういう現場の状況だったのか理解していただけるように説明していきたい」

と述べており、次回以降の公判審理も、従前どおりのスケジュールで被告人質問が行われ、起訴事実のすべてについて、詳細に説明・弁解をしていく方針に変わりはないようだ。

克行氏が昨日の公判で述べた内容は、第1回公判での弁護人冒頭陳述の内容とほとんど変わりはない。

克行氏が、被告人質問で「一転して」事実を認めた、と聞いた時点では、被告人質問の予定も短縮され、論告・弁論、判決までの期間も、短くなることを予測したが、実際には、公判のスケジュールには殆ど影響はなさそうだ。

克行氏の供述は量刑上評価できるか

克行氏は、従前どおり案里氏の選挙に向けての活動を「党勢拡大」「地盤培養行為」のためと供述は変えておらず、多額の現金配布も、そのような「政治活動」を目的とするものであり、それは「本来、県連側が行うべきことだった」とまで言っている。

そうなると、県連の協力が全く得られず、県連ルートで選挙に向けての政治活動の資金提供ができない中で、地元の首長・議員に、選挙に向けての政治活動の資金を提供する手段は「現金配布」しかなかったというのも、従前の主張と同様だろう。

そのような供述をするだけでは、表面的に「公選法違反の大部分を認めた」と言っても、量刑上有利な事情としての評価は限られたものでしかない。今後の被告人質問で、「違法な裏金」であることの認識を認めるとか、案里氏の参院選立候補に至る経緯や、多額の買収資金の原資と党本部からの1億5000万円の選挙資金の提供との関係などについて具体的に供述するなど、これまで明らかになっていなかった事実を自発的に供述するのでなければ、3000万円もの多額買収事件での執行猶予判決を得ることは困難であろう。

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菅原一秀議員「起訴相当」議決、「検察の正義」は崩壊、しかし、「検察審査会の正義」は、見事に示された!

検察審査会が同時に出した「2つの議決」

3月12日、菅原一秀衆議院議員の公選法違反事件の不起訴処分(起訴猶予)に関して、第4検察審査会による「2つの議決」が出された。一つは、(1)申立審査での却下の議決、もう一つは、(2)職権審査での「起訴相当」とする議決である。

申立審査の却下の議決の末尾には、「なお、被疑者に対する公選法違反被疑事件の不起訴処分の審査については、当審査会において、職権で立件し、審査した」と記載されている。

つまり、菅原氏の不起訴処分に対する申立審査は「却下」という結論になったが、それに代えて、同じ事件について、同じ検察審査会が、「職権による審査」(検察審査会法第2条2項3号)を行い、「起訴相当」の議決を出したということだ。

職権審査というのは、極めて異例である。菅原氏の不起訴処分に対して、このような異例の「起訴相当」の議決が出されたのは、菅原氏の事件に対して、東京地検特捜が、極めて不透明な経過で、不当極まりない不起訴処分を行ったことが原因だ。

「起訴相当」議決を受けて、東京地検は、再捜査をした上、刑事処分を行うことになる。再び不起訴処分を行った場合、再度、検察審査会で審査され「起訴すべき」との議決が行われると、裁判所が指定した弁護士による起訴(いわゆる「強制起訴」)が行われることになる。しかし、もともと検察は、犯罪事実は認められるが、「犯罪の情状」を考慮して、起訴を猶予するという「起訴猶予」の処分を行った。それが、市民の代表で組織される検察審査会の議決で「起訴相当」と議決されたのである。議決書には、「被疑事実の中には既に時効が完成したものもあり、順次公訴時効期間が満了するため、速やかに起訴すべきである」と書かれている。議決を受けて再捜査をすることになる検察には、再度の不起訴処分を行う余地はない。元東京高検検事長の「賭け麻雀」の事件の「起訴猶予」処分について検察審査会の議決で「起訴相当」とされたことを受け、検察が略式起訴の方針と報じられているが、菅原氏についても、速やかに起訴せざるを得ないだろう。

菅原氏不起訴処分は、明らかに不当だった

2020年6月30日の当ブログ記事【菅原前経産相・不起訴処分を“丸裸”にする~河井夫妻事件捜査は大丈夫か】で詳述したように、2019年10月の週刊文春の記事が出た直後から、私は、菅原氏の公設第一秘書のA氏と公設第二秘書のB氏の代理人として、文春側や菅原氏側への対応を行ってきた。検察は、不起訴処分になった事件について、証拠も記録も開示しないので、一般的には、不起訴処分の不当性を証拠に基づいて論じることは困難だ。しかし、今回の菅原氏の公選法違反事件については、私は、A・B両氏から事実関係を詳しく聞いており、また、文春の記事が出て以降、両氏の代理人として対応する中で、菅原氏の態度、行動なども、相当程度把握している。

菅原氏の不起訴処分については、東京地検次席検事が異例の「不起訴処分理由説明」を行い、(ⅰ)香典の代理持参はあくまでも例外であり、大半は本人が弔問した際に渡していたこと、(ⅱ)大臣を辞職して、会見で事実を認めて謝罪したこと、などを挙げ、「法を軽視する姿勢が顕著とまでは言い難かった」と説明した。

しかし、文春記事が出た直後から、菅原氏は、「A秘書が週刊文春と組んで違法行為をでっち上げて、大臣辞任に追い込んだ」などと、秘書に「濡れ衣」を着せて、自らの公選法違反行為を否定していた。経産大臣辞任後、「体調不良」を理由に国会を欠席していた間も、地元の後援者・支援者などにそのような話を広め、通常国会開会後、国会に出席するようになってからは、政界関係者などに広めるなど、一貫して自らの公選法違反を否定していた。その菅原氏は、6月16日、突然「記者会見」を開き、一部ではあるが、秘書に香典を持参させていたことを認めて「謝罪」した。しかし、それまでの言動から考えて、それが真摯に反省して事実を認めたものとは到底考えられなかった。「会見を開いて違法行為を認めて謝罪すれば起訴猶予にする」という見通しがついていたからこそ、そのような「茶番」を行ったものとしか考えられなかった。経産大臣を辞任したのも、その直後から菅原氏が、「秘書にハメられて大臣を引きずり降ろされた」と言っていることからして、公選法違反の犯罪を反省して辞任したというのではないことは明らかだった。

次席検事の不起訴理由説明の(ⅰ)が全く事実に反すること、(ⅱ)の「反省」「謝罪」も凡そ真摯なものとは言えないことは明らかだった。

不起訴処分に対しては、告発人が検察審査会に審査を申し立て、その結果、「不起訴不当」あるいは「起訴相当」の議決で検察の不起訴処分が覆されることは必至だと思われた。

検察の姑息な「検察審査会外し」の“画策”

ところが、その直後、検察が、検察審査会に審査申立ができないように、検察審査会の審査を免れるための姑息な「画策」を行っていたことがわかった。

菅原氏に対する告発状は、2019年10月下旬に、東京地検に提出され、その告発を受けた形で、同氏の公設秘書のA、B両氏らや他の関係者の取調べ等が行われ、菅原氏の起訴をめざして積極的に捜査を行っているものと思われた。ところが、検察は、翌2020年6月に、菅原氏に対して「不起訴処分」を行った。その不起訴処分が行われる直前に、告発状が、告発状の不備を指摘する文書とともに告発人のC氏本人に返戻されていた。C氏の告発を受理しなかったということだ。不起訴処分が検察審査会での審査に持ち込まれないようにする「検審外し」の画策としか思えなかった。

「告発事件」について不起訴処分を行えば、告発人は、検察審査会に審査を申し立てることができる。そこで、検察は、告発状をC氏に返戻したうえで、それと別個に、検察自らが菅原氏の公選法違反事件を独自に認知立件し、その「認知事件」を不起訴にする、という形にして、告発人が検察審査会に審査を申し立てることができないようにしたのだ。

私は、告発人のC氏の依頼を受け、検察がC氏に告発状を返戻した理由のとおり、C氏が提出した告発状に不備があり「有効な告発」とは言えないものか、について検討を行ったが、ほとんど問題にならない形式的な不備だけだった。

検察官は、告発状を受け取ったまま7ヵ月以上にわたって受理の判断をせず、被疑者の公選法違反の捜査を継続し、不起訴処分を行う直前に、告発状を返戻した。告発状に、そのままでは受理できない不備や不十分な点があるというのであれば、提出を受けた直後に返戻すればよかったはずだ。検察の告発状返戻の理由は、「言いがかり」であり、「検審外し」のための画策であることは明らかだった。

告発人の委任を受け代理人として審査申立書を提出

そこで、私は、C氏から委任を受け、申立代理人として審査申立書を作成して、2020年7月20日に東京の検察審査会事務局に提出した。申立書では、

・C氏の告発状は、公選法違反の「有権者に対する寄附」の犯罪事実を特定して処罰を求めており、告発状が返戻される理由は全くないこと、

・不起訴処分は、その告発状記載の事実を含む、「有権者に対する寄附」の犯罪事実を認定した上で、「起訴猶予」とした不起訴処分であることから、C氏は検察審査会に審査申立をすることができる「告発をした者」(検察審査会法第2条第2項)に該当すること、

・菅原氏の「起訴猶予」の不起訴処分には全く理由がなく、不当極まりないものであること

を記載した。

それに対して、7月27日、私の事務所宛てに、東京第4検察審査会から

「令和2年(申立)8号事件として受理した」

旨の通知が届いた。こうして、菅原氏の公選法違反事件の刑事処分は、東京第4審査会の11人の審査員の判断に委ねられることになったのである。

それまでの経過については、【菅原前経産相不当不起訴の検察、告発状返戻で「検審外し」を画策か】で詳細に述べた。

私は、審査申立書提出後にも、8月19日に、「審査申立補充書」を提出し、A、B両氏の陳述書と、二人が、菅原氏から指示を受けて、選挙区内の有権者に対して、香典、枕花を贈与していた状況を詳細に明らかにする資料(LINEの記録等に基づいて作成したもの)を添付し、検察が不起訴処分の際に認定した公選法違反事実が、違反全体のごく僅かに過ぎず、違反の規模はそれより遥かに大きいこと、選挙区内の有権者の訃報に接した場合には、菅原氏が葬儀に行く行かないにかかわらず、まず、秘書が香典を持参するように指示されていいたことなど、検察の不起訴理由が事実に反することを明らかにし、速やかに「起訴相当」の議決をするように求めた。

ところが、この審査申立書・補充書の提出後、半年経過しても何の動きもなかった。菅原氏の公選法違反事件の公訴時効は3年であり、古い事件から、順次公訴時効が完成していき、処罰できなくなる。

私は、検察審査会の審査に対して、検察が協力を拒否しているのではないかと思った。本来であれば、検察は、申立が受理された事件について、不起訴記録を検察審査会に提出して、審査に協力しなければならないが、検察がその協力を拒否しているのではないか。もちろん、検察のそのような対応は、検察審査会制度を否定するものであり、到底許されるものではない。しかし、もし、検察が、そのような不当な対応をしていた場合、検察審査会には、強制的に不起訴記録を提出させる権限はないのだ。

検察は不起訴記録の提出を拒否していた

昨日出された2つの議決のうち、(1)申立審査に対する「申立て却下」の議決書には、以下の記載がある。それにより、検察の対応が、私が考えていたとおりだったことがわかった。

本件審査申立てに伴い、当検察審査会は東京地方検察庁検察官に対し、本件審査に必要な不起訴処分記録の提出を求めたが、「当庁においては、審査申立人の告発を受理しておらず、したがって、提出依頼のあった不起訴処分記録は、同人の告発に基づいて行った捜査に関するものではない。」旨記載した書面のみ提出され、不起訴処分記録の提出はなかった。

本件審査申立ての経緯としては、審査申立人が、令和元年10月25日ころ、東京地方検察庁等に告発状を提出したが、令和2年6月9日ころ、東京地方検察庁は、審査申立人に対して告発状を返戻するとともに返戻理由書を送付し、同月25日、被疑者に対する公職選挙法違反被疑事件について不起訴処分をした事実が認められる。

返戻理由が形式的であるにもかかわらず、審査申立人が告発状を提出してから、東京地方検察庁が告発状を返戻するまで相当期間経過していること、告発状の返戻から約2週間後には、東京地方検察庁検察官が不起訴処分としたこと、不起訴処分記録が提出されていないことなど、一連の東京地方検察庁の対応には、疑問を抱かざるを得ない。

私が告発人の代理人として行った審査申立は、「申立事件」として受理され、審査会は、検察に対して、審査に必要な不起訴処分記録の提出を求めた。ところが、検察官は、「審査申立人の告発を受理していない」として、不起訴記録を提出しなかったということだ。検察官が「告発した者」として扱わなかったので、告発事件に対する審査を受ける筋合いはない、と言いたいのだろう。しかし、検察がそのような理由で、審査を免れることができるとすれば、検察の判断で、どのような告発も、受理しないで「返戻」することによって、検察審査会の審査の対象外とすることができてしまうことになる。

東京第4審査会の職権審査による「起訴相当」議決は画期的

検察審査会としては、(1)申立審査で上記のとおり「東京地検の対応には疑問を抱かざるを得ない」と述べているが、検察官の法解釈を否定する権限がないので、申立を却下するしかなかった。しかし、それに代えて、検察審査会法に基づく職権審査の権限を発動して、同一事件について(2)の職権審査を行ったのである。

結局、審査会は、(2)職権審査の結果、菅原氏の公選法違反事件について「起訴相当」とする議決を行ったのである。

今回の事件で、検察は、告発状を不当に返戻し、告発受理と不起訴通知を行わないで済まし、その結果、不当な不起訴処分が検察審査会に持ち込まれることを回避しようとした。そして、私が代理人として行った審査申立てが「申立事件」として検察審査会に受理されたのに、その(1)申立審査に対して、検察は、不起訴記録の提出を拒否するという審査の妨害を行った。検察審査会の審査を受ける立場である検察が、このような手段で審査を免れることができるとすれば、「公訴権の実行に関し民意を反映させてその適正を図る」(検察審査会法第1条)という検察審査会制度の目的は没却されてしまう。

東京第4検察審査会は、そのような検察の不当な対応に屈することなく、(2)職権審査によって不起訴処分を審査し、「起訴相当」議決に持ち込んだ。今回の検察審査会の対応は、まさに、検察審査会制度の目的に沿う、画期的なものと言えよう。

同時期に行われた河井夫妻公選法違反事件の刑事処分

菅原氏に対する不起訴処分が行われたのは、ちょうど、河井前法相夫妻が多額の買収の公選法違反事件で逮捕され、刑事処分が行われる直前だった。不起訴処分が不当極まりないことを指摘する【菅原前経産相・不起訴処分を“丸裸”にする~河井夫妻事件捜査は大丈夫か】では、以下のとおり、その直後に行われる予定の河井夫妻事件の処分に、以下のように言及している。

検察は、河井夫妻から現金を受領した側の現職の自治体の首長・県議会議員・市議会議員等に対する刑事処分をどうするか、という大変悩ましい問題に直面している。現職の首長・議員は、公選法違反で罰金以上の刑に処せられると失職となる可能性が高いことから、それらの刑事処分をめぐって、様々な思惑や駆け引きが行われるであろうことは想像に難くない。

検察は、これまで自民党本部側が前提としてきた「公選法適用の常識」を覆し、公選法の趣旨に沿った買収罪の適用を行って河井夫妻を逮捕した。そうである以上、現職の首長・議員に対しても、公選法の規定を、その趣旨に沿って淡々と着実に適用し、起訴不起訴の判断を行うしかない。間違っても、菅原氏の公選法違反事件の不起訴処分で見せたような姿勢で臨んではならない。

検事長定年延長、検察庁法改正等で検察に対する政治権力による介入が現実化する一方、検察の政権の中枢に斬り込む捜査も現実化するという、まさに、検察の歴史にも関わる重大な局面にある。

ここで、敢えて言いたい。

しっかりしろ、検察!

しかし、私の懸念は、現実のものとなり、7月8日の河井夫妻の勾留満期に行われた刑事処分は、両名の起訴だけで、多額の現金を受領した被買収者に対して、全く刑事処分が行われないという信じ難い事件処理となった(【河井夫妻事件、“現金受領者「不処分」”は絶対にあり得ない】)。

その後、河井夫妻の公判が始まり、被買収者の証人尋問が行われたが、その間も、刑事処分は全く行われないまま、案里氏の有罪確定による当選無効で参院広島選挙区での再選挙が4月25日に実施されることになった。

案里氏「当選無効」に伴う参議院広島再選挙、被買収者の選挙関与で「公正な選挙」と言えるか】で述べたように、本来、公選法違反の処罰に伴う公民権停止で投票も選挙運動もできないはずの多数の被買収者が、自民党公認候補の選挙運動に加わるなど、不正や不正義がまかり通る状況が「野放し」になっている。

このような絶望的な状況の中で、今回の菅原氏の不起訴処分に対する審査で、東京第4検察審査会の「11人の怒れる市民」が示した「正義」に、心から拍手を送りたい。

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