VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(403)「小山田圭吾」は私たちのまわりにたくさんいる。

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日テレ NEWS 画面より

by ぼそっと池井多

 

小山田圭吾事件が喚起するもの

とうとう大方の国民の意向を無視して、東京五輪が開催された。

開会式の音楽は無事に流れたようだが、開会式の音楽を監督していた小山田圭吾の辞任と、開会式の演出を担当していた小林賢太郎の解任を水に流すわけにはいかない。

小山田圭吾は、過去のいじめ加害を得意然と語っている記録が掘り返されたわけだが、いじめの内容は、「魂の殺人」といってよいほど壮絶なものであった。

 

小山田圭吾から始まって、いろいろな芸能人のいじめ加害にまつわる過去が芋づる式に発掘されているようである。

おおざっぱな見方だが、社会の第一線で活躍している人は、いわゆる「強い人」が多いだろうから、昔にはいじめっ子だった傾向も強いのではないかと推測する。

すると、今後も芋づるの発掘はしばらく続くかもしれない。

 

しかし一方では、人はいったんいじめ加害者となったらもう一生、社会的な事業を行うことが許されないのだろうか。

そういうものでもないと思う。

きちんと反省し、更生すれば、よいのではないか。

けれど、その「きちんと」という部分が大切なのだ。

小山田圭吾の場合は、反省しないまま五輪という世界的なハレの舞台に出ようとしていたから、人々の怒りを買ったのだろう。

 

他方では、小山田圭吾が反省をし、辞任したあとでも、その息子に対してバッシングが行われているらしい。

これもまた異常である。

息子にバッシングをしている者たちは、小山田圭吾にいじめられた被害者たちの仇を取っているつもりかもしれない。

私自身も、どうしてもいじめられた側に自己投影してしまうので、そういう人々の動機はわからないでもない。

けれども、加害者とは別人である息子をバッシングするのでは、今度は自らが無実の人をいじめる加害者になってしまうことに他ならない。

「反いじめ」という、社会的に受け容れられることがじゅうぶんに保証されている安全な大義名分を口実として、自分のうっぷんを晴らしているのにすぎないのだ。

 

半世紀前、学園紛争のころはうっぷん晴らしをするのに、人々が口実として用いるために反帝国主義、大学解体といったイデオロギーがあった。

最近では、うっぷん晴らしをするのに、「ジェンダー平等」「LGBT差別反対」「SDGs」など、すでに社会的に確固たる正当性を保証された概念が、安全な大義名分として使われることが多い。

小山田圭吾の息子を攻撃するのでは、その「安全な大義名分リスト」に「反いじめ」が加わっただけになってしまう。

 

私は聖人でも君子でもないので、うっぷん晴らしをすることは、精神衛生を保つためにこのうえなく重要である。

しかし、そのために犠牲となる無実の他者、すなわちスケープゴートが出てくるとなると、これは捨てておける問題ではなくなるのだ。

 

いじめ被害はなかなか告白できない

本ブログでもときどき書かせていただいているように(*1)、私は幼少期からいじめられっ子であった。

そして、それは過去形ではない。

精神医療にかかったところが、功名をあせる治療者から冤罪を着せられ、他の患者たち一同からいじめられ、患者村を追い出された。

その顛末をリアルタイムな報告と回想によって書いているのが、本ブログ「治療者と患者」シリーズである。

患者村から追い出されて、ひきこもり界隈という新たな村にたどりついたならば、今度は2月に始まるネット暴力事件(*2)が起こり、またしても集団でいじめられ、当事者活動もオチオチ続けていけないような危機に瀕している。

 

*1. たとえば最近では「やっぱり今日もひきこもる私(386)」「同(387)」。

vosot.hatenablog.com

*2. 2月のネット暴力事件とは

vosot.hatenablog.com

 

 

よく、

「いじめは、いじめる側の問題であって、いじめられる側の問題ではない」

という。

なるほど、それは一般論としていじめられる側を救うために必須の考え方ではある。

しかしこのように昔と同じ構造をしたいじめが、私が人生で行く先々で起こるとなると、何か私の側にも問題があるのにちがいないと考える。

それを析出するために、いじめられた記憶を掘り起こしている。

 

いじめ被害を掘り起こし告白するのは、とてもつらいことだ。

まず、みじめになりやすい。

記憶とともに埋もれていた感情の氾濫とも戦わなくてはならない。

「被害者にまわりこんで得をしようとしている」

という疾病利得の親戚のような概念とも戦わなくてはならない。

しかし、「被害者にまわりこむ」のが一つの弱さであるとしたら、強がっていじめ被害をなかったことにするのも、またもう一方の弱さだと思う。

 

2月のネット暴力事件の本質

小山田圭吾は謝罪して辞任したが、「2月のネット暴力事件」のいじめ加害者たちは、いまだに反省も謝罪もしていない。 

そして謝罪前の小山田圭吾と同じように、いじめ加害を得意然として語っているのである。

そんな言葉を拾ってみよう。

 

ひらのしょういち (2月16日)

いいね数、484対 13(今現在)。数の面ではおがたけさんの圧勝

(……中略……)

「数の力でいじめられた」と相手方が言うくらいには、数で圧倒したのだろうか。

 太線部、編集者

よく、

「いじめ加害者は、自分がいじめているという自覚がないのではないか」

といわれるが、「2月のネット暴力事件」に限っては、このように首謀者が明確に「いじめ」の意識を持っていたことがわかる。

わかったうえでやっているのだから、なおさら悪質であり、罪は重い。

 

「2月のネット暴力事件」の序章は、今年の2月7日に開催された庵-IORI- というひきこもり系のイベントであった。

庵-IORI- は、「タブーがなく何についても話すことができる場」という主旨で開催されており、参加する人はすべてその主旨を理解して参加している。

その日、オンラインで開催された庵-IORI- は、4つのテーブル(分科会)に分かれて進行し、私はそのうちの1つである「ひきこもりは地域に支えられたいのか」というテーマのテーブルでファシリテーター(進行役)を務めた。

 

そこで、参加者の一人である男性ひきこもり当事者から、このような主旨の意見が出た。

「ひきこもりだって恋愛もしたいし、セックスもしてみたい。

当事者同士を紹介してくれるひきこもり支援があったらいいなと思う」

私個人としては賛同できない部分も含まれる意見ではあったが、意見は意見であり、私が発言を止める立場にはなく、止める理由もなかった。

ファシリテーターは参加者の発言を「言いやすくする(=ファシリテートする)」のが役目であり、議長(チェアパースン)とは異なるのである。

だから私自身の意見もあえて言わず、当然のごとく出てきた反対意見を女性自身の立場から発言していただくのが精いっぱいであった。

 

その場で起こったのは、たったこれだけのことである。

そのテーブルは、何の問題もなく終了した。

そこでは、のちに語られるように「性暴力」も「性被害」も起こっていないし、「女性がモノとして扱われた」事実も、また女性が「踏まれた」事実もなかった。

何でも発言できるという場で、一人の男性が自分の意見を言った。

ただ、それだけである。

 

ちなみに、私のこのときのファシリテーターとしての進行は、のちにこの件について開かれた庵-IORI- の反省会でも「問題なし」と判断された。

 

歪曲と誇張の始まり

ところが、その場には居なかったおがたけという人物が、このテーブルの報告を書いた本ブログの記事(*3)の一部だけを切り取り、以下のように歪曲してインターネット上に発信したのだった。

 

 

(前略)

単刀直入に、女性は、ヒトは、モノではないぞよ、と……。
あと、わたしは庵の運営に最後にかかわったのは、2019年の9月が最後で、わりと暴力について色々と論じてたと思うんだけど、この男性の当事者の発言、話、かなり暴力、ハラスメントではないかしら?


そこ色々と考えてきた庵が、そこを止める側でないのは、ちとまずいのではないかしら……?


地域のノンケ男性のひきこもりのかたがた、わたしに性的にあてがわれてくれる??いや、ありえないのでは。あ、「ノンケとセクマイはそもそもセクシュアリティーがかち合わないから」って思うかもしれないけど、隠れて男同士でえちえちなことをしてるノンケ男なんて、ザラです、ハイ。


うーん。うーん。
ダメじゃないかなぁ、この話。しんどくないですか??(しんどいと思ってんのに、共有して、すみません……)
「いや、男はこの気持ち分かる」とかいう結論になって、話を続けてしまえるところがあるなら、それって男はなにかと「踏む側」でいられるから、ではないでしょうか……?(*4)

 

 *4. https://ooooooga.hatenadiary.org/entry/2021/02/09/213236

ならびに2月9日21:30 のfacebook投稿

太線部 引用者

 

この時点で、読んだ私が、

「それはいったいどこで起こった話をしているのでしょうか」

と訊きたくなるほど、すでに全然ちがう話になっているのである。

「男はその気持ちわかる」

などという結論にはなっていないし、その話題が続けられた事実もない。

 

なお参考までに、このおがたけという人物は、ゲイであることを公表しており、自身の性別に関してはこう書いている。

 

性別の認識が「男とは思えないし感じないし、かといって女性ともつかない、女性ではない……」といった感じで、「性別の認識がつかない感じがある」といった感じです。
(……中略……)
カラダの性別は、生まれてからずっと男性の身体です。(*5)

 

したがって、おがたけを性別代名詞で受けるときには「彼」で受けることにする。

 

彼は、どういうことに女性が脅威を感じ、女性が怒りをおぼえるか、よく知っている。

そのため、そうした知識と感覚を使い、自ら歪曲した話を「踏む / 踏まれる」という、女性の体感にうったえるのに効果的な語彙を用いて拡散していった。

こうして、捏造ねつぞうされた被害に怒る人たちがネット上で彼のまわりに集まってきたのである。

 

彼ら彼女らは群集心理に酔い、互いに互いの怒りをあおりあい、事実はどんどん誇張され、またその誇張を楽しんでいるようでもあった。

事実から感情をおぼえるのではなく、感情があってそれに見合う事実がつくられていった。

そうした投稿のいくつかを見てみよう。太線部や下線部は編集者による。必ずしもこの順番で発言されたものではない。

 

おがたけ

瀧波ユカリさんが別件で書いてた「人が踏まれてるのを眺めながら「でもこれはこれで考えるきっかけに」とか言っちゃうの恐ろしすぎるでしょ。」と言うことでもあると思う。

 

Tomoko Ito

踏む側」という言葉、言い得て妙ですな。私も使おうかしら。

 

左東茉奈

これだけ周りからボコボコに叩かれてて「俺が悪い?どこが?」という態度はちょっと人間性疑い始めます。

 

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ひらのしょういち

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ひらのしょういち

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f:id:Vosot:20210722214914j:plain(*8)

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f:id:Vosot:20210724061720j:plain(*10)


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 *7.8.9.10. 時期的には本件に関連してのちに開催された第1回VOSOTオンライン対話会のころのもの。その対話会についてはこちらをご参照のこと。

 

このように暴力による脅迫が、現実のものとなっていった。

庵-IORI- では、昨年の10月に実際に暴力者の乱入事件が起きている。

そのため庵-IORI- も、また私が主宰するVOSOTも、暴力者たちに対しては厳戒態勢を取るようになった。

 

しかし、その次に行われた4月の庵-IORI- には、実際にフラワーデモの人たちが乱入してくることはなかった。

それはそうだろう、と思う。

フラワーデモの人たちも、おがたけからこのような話を持ちかけられて困惑したのではないか、と想像する。

なぜならば、ちゃんと事実関係を調べれば、おがたけが歪曲と誇張をしているだけであって、フラワーデモの人たちが抗議している性暴力が実際に現場で起こったわけではないことは、すぐにわかるからである。

「こんなことを相手にしている時間はない」

と判断されたのかもしれない。

 

そうなのだ。

2月のネット暴力事件は、男性vs女性の対立の問題などではない。

フェミニズム vs セクシズムの問題でもない。

フェミニズム」「性暴力」「ジェンダー平等」は口実として利用されているだけであり、おがたけひらのしょういちが持つ私への投影が真の問題なのである。

 

いじめ被害者は泣き寝入りしなくてはならないか

幼時から、私はストレスが重なると皮膚にアトピーなどのかたちで疾患に出ることは、以前このブログでも書いたことがある(*6)。

 

 

ネット暴力を受けるようになって、大きくただれたかゆい湿疹のようなものが私の身体のあちこちにでき始めた。

 

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あちこちに現われた帯状疱疹。猛烈なかゆみと痛み。

しばらくかゆみ止めの軟膏を塗ってごまかしていたが、あまりにひどくなってきたので、福祉事務所に連絡し、医療券をいただいて皮膚科へ行った。

帯状疱疹という診断であった。

過労やストレスで発症するという。

ひきこもりで働いていない私は、過労というのは考えられない。

原因はいじめ加害者たちから与えられるストレス以外に考えられなかった。

 

皮膚科医には注意された。

「湿疹だ、などと高をくくってはいけません。

このままひどくなれば内臓疾患や失明にもつながる、こわい病気ですよ」

 

しかし、こういった通院は、

「暴力をふるわれて怪我をし、病院へ行った」

と同じであるとは、一般に考えてもらえないだろう。

「肌がかゆいだけじゃないか。蚊に刺されたのと同じなのに、大騒ぎしやがって」

と馬鹿にされてオシマイかもしれない。

 

それでもネット暴力事件との因果関係が証明できれば、加害にくわわっている一人一人は傷害罪で訴えられるだろうか。

いや、それも、そう簡単にいかないだろう。

こういった病症が「外傷」と同じことが法的に認められたとしても、事件との因果関係を立証するハードルが残る。

もし、そういうことが簡単にできるならば、プロレスラーの木村花さんを同じくネット暴力によって死に追いやった者たちは、とっくに皆、殺人罪で起訴されているはずである。

実際はそうではない。せいぜい侮辱罪で、一人また一人と略式起訴が遅々と進んでいる程度であるらしい。

被害者が自死して一年以上経っても、そんなものなのだ。

大方のいじめ加害者たちは、その数が多いゆえに罪悪感も分散されて薄くなって、誰も責任を取らず、何事もなかったように今日も幸せに生きているのだと想像されるのである。

そういう想像から来る怒りが、冒頭の小山田圭吾に投影されたのだとも考えられる。

 

結局いじめは、数の面でまさっていて、しかも匿名性の高い加害者の側がつようにできているのだ。

そして、加害者の側が数の面でまさるのは必然的である。

なぜならば、いじめが始まると、「自分の頭でよく考えない人」が群衆心理によって加害者に加わるから、加害者側の人数は増えていく。

かたや、「自分の頭でよく考える人」は加害者側に加わらないかわりに、被害者側にも加わらず、遠巻きにして見ていることが多いから、被害者側の人数は増えない。

そのような冷たい態度を、私はけっして責められない。

同じ立場だったら、私もまずは傍観に留まるだろうと思うからである。

 

キング牧師は、

「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である」

といった。

それはまったくそのとおりなのだが、いじめのような人から人への暴力は、ちょっと見ただけでは、第三者にどちらが正しいかわからない。

とくに、「性暴力」「ジェンダー平等」「人権擁護」のように、いまどきの正義の記号を利用しているいじめはそうである。

だから賢い人、すなわち「自分の頭でよく考える人」は必然的に態度を保留し、どちらの側にもつかず遠巻きに眺めていることを選ぶだろう。

 

すると被害者は孤立し、加害者は数の面でまさる。

加害者は、これを多数決原理による勝利のように喧伝し、自分たちのいじめの正当化の根拠にするのである。

 

上にも掲げたひらのしょういちの言葉は、まさしくそれを裏づけている。

 

ひらのしょういち 

いいね数、484対 13(今現在)。数の面ではおがたけさんの圧勝。

(……中略……)

「数の力でいじめられた」と相手方が言うくらいには、数で圧倒したのだろうか。

 

こう考えてくると、あらゆる面でいじめは加害者が得をし、被害者が損をする現象のように見えてきて、私たちは暗澹あんたんたる気分になる。

それでは、いじめ被害者はただ泣き寝入りをするしかないのだろうか。

私はそうは思わない。

ここは、皆さまにいろいろな意見がおありだろうが、ひとまず「憶えておく」というのが、いじめ被害者ができる一つのささやかな抵抗だと私は思うのである。

 

「いやな思い出は、さっさと忘れてしまいなさい」

というアドバイスがあることは知っている。

そして、そういうアドバイスが有効であることもある程度わかる。

 

しかし私は、忘れてしまわない、なかったことにしない、いじめ被害者の抵抗としてしっかり憶えておく、という選択肢をひとまず採ろうと思うのだ。

なぜならば、どんなにつまらなく見えても、人生に起こっていることにはすべてきっと意味がある、と考えるからである。

 

 

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Add Starbeni5288hoshimegurikai
  • beni5288

    事実は事実として淡々と発信し続けるのがいいのかもしれませんね。あの時ファシリテーターのぼそっとさんが負う責任は場の参加者の発言する権利を守ることであって、発言の内容に責任を負うのは発言者自身なのですよね。それが自由に発言することの条件のはずです。どこまでなら許されるのかという議論はあってしかるべきですが、「タブーがなく何についても話すことができる場」である以上、参加者自身も自分の思想信条と相容れない意見を聞く覚悟が必要なのではと思います。実際、発言者の男性と反対意見を出された女性の考えは相容れないものでしたが、それ以上の進展は何もなく参加者全員が多様な意見を持ち帰ったということで、流れとしてはあれでよかったと思います。

    それと、ぼそっとさんの過去の記事から察するに男女交際は肉欲より心的交流を求めるタイプでしょうから、ぼそっとさん個人としても内容そのものについては考えが相容れなかったのではないでしょうか。なので、二重の意味でぼそっとさんへの批判意見が的外れなように私には見受けられました。

    発言の内容について、私個人としてはやはり賛成の立場です。私は若い頃モテるタイプではなかったので(今もですが 笑)、初体験は風俗のおねーさんでした。振り返ると色々思うことはあるのですが、それまであった女性へのおかしなコンプレックスがなくなって多少なりとも男性として自信がついたので、あの時のおねーさんには今でも感謝の念を持ってます。そのような経緯もあって、性産業で働かれてる女性を可哀そうな存在としてではなく人の役に立つプロフェッショナルな存在と認知してる身としては、彼女ら・または彼らの社会的地位を高めたいという考えです。
    確かにあの世界では嫌な話や居た堪れない話も数多くありますが、フェミニストが理想に思い描くような悲惨な世界でもないです。性産業に限らず誰もが懸命に生きてるだけの話です。

    性、特に自身の性問題というのは非常に語りにくいものですね。社会問題として性被害問題を声高に叫ぶ人々というのは、本当に向き合うべきモノと向き合うのを怖れている点では被害を押し黙ってしまう状態と実のところ大差ないのではないかと、コメントを書いててそのようなことを感じました。

  • 昼行灯 (id:mondo-nakamura)

    私は、小山田圭吾を集中攻撃する、芸能人そしてごく普通の人のメンタリティの方が、問題視するべきだと思います。今回、集中攻撃している人たちは、いじめの被害経験のあった者よりも、むしろいじめ加害者であった者の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。自分が、過去に、他人をいじめたことを忘れ、正義面して、小山田圭吾を批判する。彼らにそんな資格があるのか、はなはだ疑問です。2月の炎上事件については、私は、ぼそっとさんと見解が異なるのでお許しください。「ひきこもりだって、恋愛したい、セックスしてみたい」こういったものは、ひきこもり当事者のみならず、恋愛弱者男性の切実な心の叫びだと思います。残念ながら、女性の人権が必要以上に擁護されている現代の風潮にあっては、こうしたことを議論することは、極めて、リスクを伴います。必ず、フェミニズム、ジェンダー平等の思想と抵触する意見が出てくると思います。2月炎上事件の加害者になり得る人たちは、まだまだ潜在的に存在し得ると思います。また、フラワーデモの人たちは、今回何も言いがかりをつけてこなかったけれど、絶対的な権力を持ち、私は、その活動に疑問を感じます。今年、フラワーデモよって、性犯罪の判決に大きく影響を与えました。何十年も、無実を訴え続けている冤罪事件には、裁判所は、無視を決め込んでいるのに。私は、ミソジニーではないですが、「女性の人権を錦の旗」にして、人の言質を取る人たちが、確実に増加している気がしてならないのです。その最たるものが、伊藤詩織さん事件だと思います。支離滅裂になって、申し訳ございません。

  • OG

    今日は小山田氏の件についてぼそっとさんの考えを知りたいと思っていましたがご自身のネット暴力被害についての話がメインでしたね。もちろんぼそっとさんのブログなので私が不満を言う筋合いのものではありませんが。
    ただ、タイトルも「小山田圭吾は私たちのまわりにたくさんいる」ということで小山田氏とぼそっとさんを攻撃してきた人間を同列に扱うような表現は彼ら彼女らに火に油を注ぐことになりはしないかと危惧します。
    小山田氏の行為は鬼畜の所業としか思えず、しかも10年以上経って少なくとも年齢的には立派な大人なってから当時のことを面白おかしく雑誌のインタビューで話すというのはこの人は人の痛みが全く想像できないサイコパスかもしれないと寒気がしました(他にも雑誌で末期がん患者が亡くなったことを楽しげに話しています)。

    ぼそっとさんを攻撃した人達ももちろん悪質ですが自分達が正義のつもりでブログの文章を曲解して糾弾しているものだと思います(繰り返しますが本当に悪質です)。
    小山田氏の場合は、おそらく何の抵抗もできなかった弱者への徹底した虐待行為で悪質さのタイプが違うもので一緒に並べて語ることには私は違和感を覚えるのです。

    常連の投稿者の方々と比べても全く拙い文章でお恥ずかしい限りですが小山田氏の件に対しては何とも言えない嫌な気持ちが消えず私なりに思ったことを述べさせていただきました。

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