経営理念
私たちはモノづくりを通じて、機械産業の生産性向上に寄与し、素材の価値を創造する事によって産業界の新たな時代を支えます。
- 社是
- 一、私たちは人と人とのつながりを大切にし、感謝し感謝される事を通じて自身の成長と家族の幸せを追求して行きます。
- 二、私たちは社会を支えている責任と自信を合わせて持ち、永続的な発展の中で次世代へと会社を繋げて行きます。
|日本語|ENGLISH|
NISHIMURA GRAPHITE CO.,LTD.
私たちはモノづくりを通じて、機械産業の生産性向上に寄与し、素材の価値を創造する事によって産業界の新たな時代を支えます。
会社名 | 西村黒鉛株式会社 (Nishimura Graphite Co.,Ltd.) |
創 業 | 昭和6年(1931年)7月 |
会社設立 | 昭和25年(1950年)1月 |
資本金 | 4,860万円 |
代表者 | 代表取締役 西村 悟志 |
従業員数 | 45名 |
本社 | 〒532-0033 大阪府大阪市淀川区新高1-1-8 TEL.06-6394-2241 / FAX.06-6395-7124 |
枚方工場 | 〒573-0131 大阪府枚方市春日野1-2-3 TEL.072-858-8410 / FAX.072-859-1007 |
広島支店 | 〒730-0831 広島県広島市中区江波西1-26-25 TEL.082-231-2045 / FAX.082-292-7628 |
名古屋支店 | 〒466-0059 愛知県名古屋市昭和区福江1-15-18 TEL.052-871-2451 / FAX.052-881-8035 |
東京駐在所 | 〒270-0032 千葉県松戸市新松戸北 2-1-1、2-204 TEL.047-347-4314 / FAX.047-347-4326 |
1931(昭和6年) | 創業者西村茂が乾電池の材料である黒鉛、二酸化マンガン、炭素棒などのアジア各国向け輸出商社として「西村商店」を大阪市西区南堀江にて創業する。 |
1934(昭和9年) | 大阪市淀川区新高(現本社)に黒鉛、二酸化マンガンの精錬工場を設立し、社名を「西村黒鉛満俺精錬所」と改名する。 |
1943(昭和18年) | 乾電池業界の大手集約にともない、他業種向けの黒鉛精錬専門工場に変更し、鋳造用黒鉛の生産を開始する。 |
1950(昭和25年) | 株式会社に組織変更し、社名を「西村黒鉛株式会社」とする。 |
1954(昭和29年) | 広島市中区に広島出張所(現広島支店)を開設する。 |
1957(昭和32年) | 日本初となる完成型鋳造用水性塗型剤「ダイヤコート」を開発する。 |
1960(昭和35年) | 新東工業(株)の代理店となり、鋳造用機械(鋳機)の販売・修理を開始する。 |
1964(昭和39年) | 大阪府茨木市に茨木工場を開設する。 名古屋市昭和区に名古屋出張所(現名古屋支店)を開設する。 |
1969(昭和44年) | 大阪府枚方市に枚方工場を開設、本社工場・茨木工場を枚方工場に一本化する。 |
1975(昭和50年) | Vプロセス用塗型剤「TNコート」を開発する。 |
1976(昭和51年) | 創業者西村茂が会長に、西村恭二が社長に就任する。 |
1981(昭和56年) | 焼着防止用下塗剤「ラミガード」を開発する。 |
1981(昭和56年) | 創業50周年を迎え、記念式典を挙行する。 |
1986(昭和61年) | バリ取り装置「サイジンガー」の製造・販売を開始する。 |
1997(平成9年) | 千葉県松戸市に東京駐在所を開設する。 |
1999(平成11年) | 一般財団法人 素形材センターに「西村 茂 賞」を設置される。 |
2004(平成16年) | 製造部門で品質マネジメントシステム(ISO9001)の認証を取得。 |
2010(平成22年) | 経済産業省より「戦略的基盤技術高度化支援事業」の認定を受ける。 |
2011(平成23年) | 創業80周年記念式典を取りやめ東日本大震災被災地へ義援金を寄付。 |
2015(平成27年) | 西村恭二が会長に、西村悟志が社長に就任する。 |