北尾修一氏のブログを再読して考えたこと

 実は北尾修一氏のブログ記事への反論、書かなくてもよいか、と思っていたんです。わざわざ反論しなくても、読めばどちらが正しいかは明らかだろう。
 でも、そうじゃなかったんですね。日に日に私への攻撃が激しくなってきたので、しょうがなく反論を書き始めました。
 だけど気分が重たく、なかなか筆が進みません。

 北尾修一氏のブログ記事を読んで、自分の記憶とのギャップに、まず驚きました。
「……え。俺のブログってこんな酷い内容の記事だったっけ?」
 というのが、最初の率直な感想です。

 自分の中では、雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』(1994年1月号)と、『Quick Japan』(vol.3)は、障害者への虐待を商業利用している点において、弁解の余地なし、と思っていたからです。
 これまでに、事実が確定しているのは、次のことです。

小山田圭吾が、雑誌での発言を事実と認め、謝罪していること。
●出版元である太田出版も、岡聡社長名義で謝罪声明を出していること。
●北尾修一氏が、「小山田さんはいじめ加害者です」と認めていること。

 ところが、北尾修一氏のブログで確認する限り、そんな事実はみじんも感じられない。ポムポムプリンの絵本のような、読んだ誰もが気分がほっこりするような内容になっています。

 これはどう読んでも「小山田圭吾は障害者と友達だった」もしくは「小山田圭吾は本当はやさしい性格だった」という記事にしか思えない。

 当時の自分は、これをスルーするほど感覚が狂っていたのだろうか……?

 ただ、ここで正直に言うと、どうも何かが引っかかるんです。

「ちょっと、いくらなんでも、何かおかしくないか。このブログと自分の記憶が、あまりにも違いすぎるぞ」と。

 と、ここまで書いたのが、ちょうど一昨日。
 この原稿、ここから一気に転調します。

 昨日の午前中、もう何年も会っていない旧い知人から、私宛にいきなり郵便物が届きました。
 封を開けると、なんと今一番食べたいと思っていた「おばあちゃんのぽたぽた焼」と、旧い友人からの手紙。
 私信なので一部だけ引用しますが、手紙には以下のような文言がありました。

「この問題、鬼畜的要素の固有名詞をカットして短文化し、あたかも優しい人に仕立てあげ脚色されたもの。作ったやつは誰か?  これは調べあげた方がいい。」
「自分も罠にハマるところだった。バックナンバー引っ張り出して読んで良かった。」

 …………え。どういうこと?

 私は北尾修一氏の「いじめ紀行を再読して考えたこと」をプリントアウトして、蛍光ペンを持ちつつ、マーキングしながら読み進めました。

 マーカーを引きながら読み進めるにつれ、やばい、動悸が早くなってきた。
 だんだんモヤモヤの正体が目の前に……。

 引っ張る気はないので、さっさとネタをばらします。

 この「いじめ紀行を再読して考えたこと」の「いじめ紀行」記事の紹介の仕方が、ものすごく奇妙なんです。

 いわゆる普通の意味での「記事の要約」になっていない。
 元記事のテキストそのものは改変していないのですが、マーカーでチェックしながら読むと、意図的にエピソードの順番を入れ替えたり、小山田さんの発言の一部を削除したり、事実に基づかないことを都合よく解釈し、自分の妄想を挿入し、それに続けてまた別の場所の記事本文につなげたり……よく言えば「繊細な編集が施されている」ですが、悪く言えば「元記事の文脈を恣意的に歪めている」。
 ただ、それらのカットアップとつなぎがあまりに巧く、スムーズに読めるので、普通に読んだらまったく気にならない(私みたいにマーカーを引きながら照合しないと気付かない)。

 このブログ運営者、素人じゃない。
 私と同じ職業の人だと直感しました。

 映画や動画の編集やインタビューの構成をやったことがある人にとっては常識ですが、元のエピソード(素材)が同じでも、順番を入れ替え、意図を持って構成し、文脈をつけて並べるだけで、受け手にまったく別の印象を与えることは可能なんですよね。
 さらに、「26年前のことではっきりした記憶がない」「これは私の妄想です」とあえて書くことによって、逆に読者をファンタジーの世界に引き込み、事実でないことを事実だと思い込ませることができるんです。
 
 たとえば村上清が原稿冒頭で書いている「まえがき」、北尾修一氏はこれが「孤立無援のブログ」から丸ごと削除されていると主張し、それを引用します。
 ところが、北尾修一氏もまた、自分に都合の悪い部分は丸ごと削除しているのです。そして、次のような文章を続けます。

 M氏は「マンガみたいな現実」が好きだと自己紹介し、その「マンガみたいな現実」の具体例をいくつか挙げた後、そのひとつとして「そんな僕にとって、“いじめ”って、昔から凄く気になる世界だった」と、「孤立無援のブログ」にUPされている部分(以下参照)につなげているんです。

 北尾修一氏が削除した「マンガみたいな現実」の具体例、気になりませんか? それはこうです。

 関係ないけど「スティービー・ワンダーは必ず綺麗な女を選ぶ」とか「ビーチ・ボーイズはメンバー全員カナヅチだ」とか、「火葬場はやはり火事が起こりやすく、職員が焼け死ぬことがよくある」とか、そんなエピソードも大好きだ。」
 「火葬場」の部分には注記があり、「猪瀬直樹・著『日本凡人伝・死を見つめる仕事』(新潮文庫)参照、とある。
(『Quick Japan』(vol.3 52ページ)

 なぜ北尾修一氏は、この部分を削除したのでしょうか。この部分があるのとないのとでは、村上清の人格や読んだ時の印象がずいぶん変わると思いませんか?

 知的障害者や家族らで作る一般社団法人「全国手をつなぐ育成会連合会」はその声明で、「小山田氏の行為は極めて露悪的である」と批判しましたが、それはこの記事の執筆者である村上清の文章にも表れています。

 盲人や焼死をあざ笑うことのできる俺ってカッケー。
Quick Japan』は、こうした読者の神経を逆なでするようなディテールへのこだわりで構成されています。その構成をしたのはいったい誰でしょう。この露悪趣味の不快な感じは、テキストで読んだだけではなかなか伝わりません。ぜひ雑誌の現物をチェックしてください。

 つまり、この「いじめ紀行を再読して考えたこと」は、意図を持って構成が練られた、全体で22pにわたる長編読み物(=起伏のあるストーリー)なのですが、「いじめ紀行を再読して考えたこと」はその文脈を無視し、煽情的な語句(情報)だけを削除した上で、読んだ人の気分が良くなるように意図的に並べ替えた上で公開しているものなんです。

 たとえるなら、「絵本はたくさん読むけど、文芸評論や学術論文は生まれてから一度も読んだことがない人が作るまとめ記事」みたいなものです。

 以下、私が元記事と「いじめ紀行を再読して考えたこと」を照合して気付いた点を列挙します。

●村上清が書いた「去年の一二月頃、新聞やテレビでは、いじめ連鎖自殺が何度も報道されていた。『コメンテーター』とか『キャスター』とか呼ばれる人達が頑張って下さい』とか『死ぬのだけはやめろ』とか、無責任な言葉を垂れ流していた。嘘臭くて吐き気がした」。という文章が「いじめ紀行を再読して考えたこと」からは削除されています。(著者注:1994年には、同級生11人が関わった愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件が起きている)(『QJ』vol.3 本文53p)

●村上清が書いた「僕も市立中学・高校とエスカレーターで通っていたので、他人事とは思えなかった。僕の当時の友人にはやはりいじめ加害者や傍観者が多いが、盆や正月に会うと、いじめ談義は格好の酒の肴だ。盛り上がる。私立って、独特の歪み方をする。」(『QJ』vol.3 本文53p)という一文が「いじめ紀行を再読して考えたこと」からは削除されています。
「僕自身は学生時代は傍観者で人がいじめられるのを笑って見ていた。短期間だがいじめられたことはあるから、いじめらっ子に感情移入することは出来る。」(『QJ』vol.3 本文52-53p)と併せて読むと、村上清が「壮絶ないじめサバイバー(生還者)」だという北尾修一氏の主張に、少し疑問が湧いてきませんか?

●「小山田さんは、『今考えるとほんとヒドかった。この場を借りて謝ります(笑)』とも言っている。だったら、ホントに再会したらどうなるだろう。いじめっ子は本当に謝るのか? いじめられっ子はやっぱり呪いの言葉を投げつけるのか? ドキドキしてきた。対談してもらおう! 最終的にはいじめられていた人の家の中まで入った。しかし結局この対談は実現せず、小山田さんへの個人インタビューとなった。」(『QJ』vol.3 本文53-54p)という一文が「いじめ紀行を再読して考えたこと」からは削除されています。
 細かい点ですが、「ドキドキしてきた。対談してもらおう!」という表現が気になります。というのは、後述しますが、村上清のことを、当事者でない第三者が「壮絶ないじめサバイバー(生還者)」だと決めつけていいのか、再読して私にはかなり疑問だったからです。

で、元記事では、最初にその沢田君のエピソードが語られます。

●「だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)「サワダです」とか言ってさ、「うわ、すごい!」ってなるじゃないですか。」(『QJ』vol.3 本文55p)という発言が「いじめ紀行を再読して考えたこと」からは削除されています。

 これに限らず、いじめの壮絶なディテールが北尾修一氏のブログではすべて削除され、その代わりに「僕は沢田のファンになっちゃってた」「小山田さんはクラスに友達がいなかったので、お互いアウトサイダー同士で沢田君とは仲が良かった」という、いい話が付け加えられています。

 しかし、元記事の大半を占めるのは、小山田圭吾が語る障害者への差別的な言葉の暴力です。北尾修一氏はこうした障害者への差別発言の一切を削除して、小山田圭吾が自分に都合よく語ったコメントの一部を切り取って、あたかもこれが良い話だったかのようなすり替えを行っています。

 小山田圭吾は謝罪文の中で、「記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されております」としています。
 北尾修一氏は、「素直に読めば、この性虐待エピソードは小山田さんとは別人の犯行です。小山田さんは周りで笑いながら引いていた、というポジションです」と書いていますが、このエピソード自体が小山田が話を盛っただなのかもしれません。小山田圭吾の発言が信用できないということは、「沢田君とは仲が良かった」「いじめの実行犯ではない」と語る小山田圭吾の発言も、信用できない可能性があります。
 当事者が記事の検証をしていないので、現時点では、誰にも何が事実なのかはわかりません。
 それにもかかわらず、北尾修一氏は、小山田圭吾の発言を事実として扱い、それをもとに自分の考えを述べられています。
「ロッキンオン・ジャパン」(1994年1月号)のインタビューで、小山田圭吾は次のように語っています。

「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」
●でも、いじめた方だって言ったじゃん。
「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」
●やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」
●(大笑)いや、こないだのカエルの死体云々っつってたけど「こんなもんじゃねえだろうなあ」と俺は思ってたよ。
「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイディアを提供するだけで(笑)」
●アイディア提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという?(笑)
「そうそうそう! 『こうやったら面白いじゃないの?』って(笑)」
●どきどきして見てる? みたいな?
「そうそうそう!(笑)」
●いちばんタチ悪いじゃん。
「うん。いま考えるとほんとにヒドイわ」

 このインタビューを担当した編集長の山崎洋一郎は、「そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。27年前の記事ですが、それはいつまでも読まれ続けるものであり、掲載責任者としての責任は、これからも問われ続け、それを引き受け続けなければならないものと考えています」と謝罪しています。
 しかし北尾修一氏によれば、「この性虐待エピソードは小山田さんとは別人の犯行です。小山田さんは周りで笑いながら引いていた、というポジションです。そして、この「笑ってた」という小山田さんを責める資格、少なくとも私にはありません」と書いています。
 なぜそのことが事実だと、北尾修一氏にわかるのでしょうか?
 現時点では、小山田圭吾の発言はすべて信用できないかもしれない、という予断を持たなければなりません。
 仮に別の人がやったことでも、小山田圭吾は「アイディア提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという?(笑)」という問いに、「そうそうそう!」と答えています。(前掲「ロッキンオン・ジャパン」)
 こちらが事実であるなら、小山田圭吾も同罪ではないですか。

 いったい何が事実なのか。
 確実に言えるのは、こうした記事が雑誌に掲載された、ということです。この事実は揺るぎません。
 私のブログ記事は、雑誌記事の正確な引用によって、書かれています。
 しかし、北尾修一氏は、事実関係がわからないものを、さも事実であると決めつけ、そのうえ自分の妄想を膨らませた私見まで述べています。

 北尾修一氏は、「沢田君が、透明な下敷きの中に石川さゆりの写真を入れてきて、隣の席の小山田さんがツッコミを入れるエピソード」について、「個人的にはまさに青春、という良いエピソードだと思います」と書いています。
 また、次のようにも書いています。

●高校生になってエチケットに気を付けるようになった沢田君。ポケットティッシュがすぐなくなってしまう沢田君に、小山田さんは首にかけられるようにビニール紐を通した箱のティッシュをプレゼントしました。それ以来、沢田君は自分で箱のティッシュを買うようになったというエピソード。これも「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文60p)。

 北尾修一氏は、これを「いい話」として簡単にまとめていますが、原文を読むと印象が変わります。原文は次のようになっています。

 こいつ、高校ぐらいになると、ちょっと性に目覚めちゃうんですよ、それがまた凄くてね、朝の電車とかで、他の学校の女子高生とかと一緒になったりするじゃん、そうすると、もう反応が直だからさ、いきなり足に抱きついちゃったりとかさ。
 あと、沢田じゃないんだけど、一個上の先輩で……そいつはもう超狂ってた奴だったんだけど……長谷川君(仮名)という人がいて、そいつとかもう、電車の中でオナニーとか平気でするのね、ズボンとか脱いで、もうビンビンに立ってて(笑)。いつも指を三本くわえてて、目がここ(右の黒目)とここ(左の黒目)が凄く離れてて、かなりキてる人で、中学だけで高校は行けなかったんだけど。
 沢田は、そこまではいかなかったけど、反応は直だから。
 沢田はね、あと、何だろう……"沢田、ちょっといい話"は結構あるんですけど……超鼻詰まってんですよ。小学校の時は垂れ放題で、中学の時も垂れ放題で、高校の時からポケットティッシュを持ち歩くようになって。
 進化して、鼻ふいたりするようになって(笑)、
「おっ、こいつ、何かちょっとエチケットも気にし出したな』って僕はちょっと喜んでたんだけど、ポケットティッシュってすぐなくなっちゃうから、五・六時間目とかになると垂れ放題だけどね。
 で、それを何か僕は、隣の席でいつも気になってて。
 で、購買部で箱のティッシュが売っていて、僕は箱のティッシュを沢田にプレゼントしたという(笑)。
 ちょっといい話でしょ? しかも、ちゃんとビニールひもを箱に付けて、首に掛けられるようにして、「首に掛けとけ」って言って、箱に沢田って書いておきましたよ(笑)。それ以来沢田はティッシュを首に掛けて、いつも鼻かむようになったという。それで五・六時間目まで持つようになった。
 かなり強力になったんだけど、そしたら沢田、僕がプレゼントした後、自分で箱のティッシュを買うようになって。
 でも別に、仲いいって言ってもさ、休みの日とか一緒に遊んだりとか、そういうことは絶対なかったし、休み時間とかも、一緒に遊んだりっていうのは、絶対なかったんだけど。
(『QJ』vol.3 本文59-60p)

 小山田圭吾は「沢田のファンだから」と言いながら、こうした発言をしているのです。これを読んだ後では、その「ファン」という言葉が意味するものは、明白な障害者への差別意識だとわかるでしょう。
 北尾修一氏は、都合の悪いこうした文章を削除して、ファンタジーを作り上げているのです。
「もしかしたら小山田圭吾はそれほどわるくないのではないか」と考えたい人たちの心理に付け込み、彼らが望むファンタジーへと誘導しているのです。

月刊カドカワ』(1991年9月号)の記事によると、小山田圭吾は。沢田君を含む障害者のことを「知恵遅れ」と呼んでいたことが発覚しています。
小山田圭吾、『月刊カドカワ』でもいじめ自慢 「小学校人生全部をかけて復讐した(笑)」: J-CAST ニュース

 小山田氏は、「フリッパーズ・ギター(編注:小山田氏が所属していたバンド) お洒落な不遜」と題したインタビューで、幼稚園での思い出として「○○ちゃん(伏字は編集部)ていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな」と語っていた。

 小学生では、同級生へ執拗に嫌がらせをしていたと明かしている。

「小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、『小山田君の嫌なこと』とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集は見せられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部をかけて復讐した(笑)」

 そのほか、高校でのエピソードとして、「K(編注・小山田氏はインタビュー中で「知恵遅れ」と表現)は鼻炎だから、いつも鼻をかんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュを買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた」などと話していた。
(引用元 JCASTニュース「小山田圭吾、『月刊カドカワ』でもいじめ自慢 「小学校人生全部をかけて復讐した(笑)」)

 また北尾修一氏は、私のブログ記事がインタビューの合間に入る村上清の文章を削除しているとして、非難しています。

●小山田さんのインタビューの合間に入るM氏の文章。
「いじめ談義は、どんな青春映画よりも僕にとってリアルだった。恋愛とクラブ活動だけが学校じゃない。僕の学校でも危うく死を免れている奴は結構いたはずだし、今でも全国にいるだろう」(『QJ』vol.3 本文61p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
SNSがなくて学校外に居場所を作りづらかった時代の感覚なので、今の若者にはピンとこない文章だと思いますが、M氏が「いじめ自慢を並べる、鬼畜系記事」を意図していたとしたら、あまり必要のない文章に思えます。

 こうして北尾修一氏は村上清を擁護し、これは「いじめについて新しい角度から考える、自分にしか書けない記事が作れないか」という切実な問題意識に基づいた記事だと主張します。
 しかし、元記事を読むと、小山田圭吾の発言以上に、村上清が書いている本文もひどいです。
 吉田豪は次のようにツイートしています。

 ちなみにボクが数日前久しぶりに全文読み直して思ったのは、この問題を拡散するきっかけになった例のブログは小山田圭吾の人間的な部分を意図的にカットしてるんだなってことと、企画者でもある村上清の文章が小山田圭吾以上に悪質だってこと。彼には、この件についてコメントすべき責任がありますよ。

QJ』3号掲載、「村上清のいじめ紀行 小山田圭吾の巻」。当時の記事を読む限り、この連載を企画したのはライターの村上清本人で、内容もいじめ被害者側に立ったものではなく、いじめをエンターテインメントとして面白がるものでした。なので、そこが完全にアウトだったとボクは思ってます。

 吉田豪の私への指摘ついては前回の記事で、私は被害者側の視点に立って書いているので、加害者の人間的な部分には興味がない、ことを述べました。
 それでは、北尾修一氏が意図的に削除している村上清の文章を引用します。

 小山田圭吾が、村田さんへの「毒ガス攻撃」を語り終えた後で、村上清はいじめをあおるように、こう書きます。

 しかし、どんなタイプのやつでも行かなきゃいけないのが修学旅行だ。この学校行事最大のイベントで、何も起こらないわけがない。(『QJ』vol.3 本文63p)

 そして、バックドロップとオナニーの凄惨ないじめ描写が続きます。それが終わった後、村上清は、こう書いています。

 以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。
 残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。
(『QJ』vol.3 本文64p)

 北尾修一氏もその現場にいて、「笑っている」と村上清は書いています。
 この一文を、北尾修一氏は削除しています。ここに意図がないとはとても思えません。
 北尾修一氏はこの壮絶ないじめを語った後、小山田圭吾が「かなりキツかったんだけど、それは」(『QJ』vol.3 本文64p)という一文を私が削除したことを、意図的なものだと批判しています。
 たしかに私は、この一文を引用していません。その理由は、被害者への虐待を面白おかしく語った後、こうしたセリフをしれっと言える小山田圭吾人間性に、強い嫌悪感を抱いたからです。小山田圭吾による自己弁護なのか、保身なのか、後悔なのかはわかりません。
 虐待の後に語られた、「かなりキツかったんだけど、それは」というのは、どういう言葉のトーンで、どういう態度で語られたのか、活字だけでは伝わりません。本当のことは小山田本人と、現場で見た人にしかわからないでしょう。
 しかし現場にいた北尾修一氏は、それを聞いて「笑っている」と書かれています。だとするなら、小山田圭吾の「かなりキツかったんだけど、それは」という言葉も、反省や後悔からではなく、冗談のひとつだったのかもしれません。

 したがって私には、北尾修一氏が並び立てる「良いエピソード」の数々は、被害者をさんざん虐待した後にピースサインでツーショットを撮らせる、非道な行いにしか思えません。北尾修一氏には、これが被害者への二次加害になるという意識さえ感じられません。

 北尾修一氏が主張するような、私が意図的に削除したとされる部分をすべて掲載しても、記事の印象はさほど変わらないと思います。なぜなら『Quick Japan』の元記事は、読者の良識を逆なでするよう細部まで作りこまれているからです。
 これは雑誌の現物を見た者でないとわかりません。
 表紙からして、藤子不二雄の『魔太郎がくる!!』を手にした小山田圭吾という悪趣味なものです。ページをめくると、ポーズを決める小山田圭吾のグラビア、そこには「だから、何かほら、『ロボコン』でいう『ロボパー』が転校してきたようなもんですよ」というキャプション。その横のページにはスタジオでギターを弾くおしゃれなスナップショットが対峙されています。
 そして本文に付けられた悪意に満ちた注記、例えばそれは「こいつチンポがデッカくてさ」という小山田のセリフに、「性器の大きないじめられっ子、というストーリーは筆者(村上)の通学した大阪の高校にも見受けられた」という注がつけられているといった具合。壮絶ないじめ描写に加え、こうした悪趣味なディテールこそ、この記事の本質であると思います。

 すでに「ロッキンオン・ジャパン」の記事で、小山田圭吾は「アイディア提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという」加害者だったことを認めています。
 そして北尾修一氏は、村上清が書いた次の一文も削除しています。

 『月刊ブラシ』のことは覚えていてくれたものの、やはり引き気味のコーネリアス。しかし話をしていくうち、お互いいじめ談義で盛り上がってしまう。
 小山田さんは、いじめグループの中でも"アイデア担当"だったらしい。
 僕の確信は間違ってなかった。小山田さんもこういうのが好きなのだ。大体、昔テレビの「私のお気に入り紹介」*3みたいなやつで、他の人は好きなパンとか好きな文房具とかを紹介してるのに、一人だけアメリカ凶悪殺人犯のトレーディング・カードを紹介していたぞ。
 小山田さんとのいじめ談義は、同じ学校の奴とバカ話しているようで、凄く楽しい時間だった。独り占めするのはもったいないので、僕がシビレた話を掲載しよう。
(『QJ』vol.3 本文55p)

 北尾修一氏は、なぜこの一文を削除したのでしょうか。
 それはブログの読者に、いじめの実行犯は他にいて小山田圭吾はそれをそばで見ていて「キツかった」と感じるような優しい性格だった、という印象を与えたい北尾修一氏にとっては、まずいからです。
 だから、小山田圭吾が「アイデア担当」だったことを伏せて、印象操作したのです。
 また北尾修一氏は、この記事は本来「いじめについて新しい角度から考える」という問題意識持って企画されたものだった、と述べています。しかし当初の企画がどうであれ、出来上がったものは、「露悪的で、読んだ誰もが気分の悪くなるような内容」になってしまったのです。
 村上清は記事の中で、「小山田さんとのいじめ談義は、同じ学校の奴とバカ話しているようで、凄く楽しい時間だった。独り占めするのはもったいないので、僕がシビレた話を掲載しよう」と書いているのです。
 北尾修一氏がこの一文を削除したのもまた、村上清が「壮絶ないじめサバイバー(生還者)」という印象を与えるのに、不都合だからでしょう。

 こうやって元記事を再読すると、記事の中で大きいのは露悪的で、読んだ誰もが気分の悪くなるようないじめの描写と、「ロボパー」「超ハードコアなおかしい人」「南米人とハーフみたいな顔」「フランケン・タイプ」といった差別的な文言の数々です。が、北尾修一氏の「いじめ紀行を再読して考えたこと」だけを読むと、この事実はまったく伝わってきません。

 北尾修一氏は、村上清から沢田君の消息を知らされた小山田について、「(ここが、この読み物で一番大事なところなのに!)」と主張しています。
 被害者のいる実在の事件を扱っていながら、「全体で22pにわたる長編読み物」だとか「この読み物」と書く北尾修一氏の神経には、正直、ついていけません。
 北尾修一氏は、次のように書きます。

 この沢田君への小山田さんからの言葉が、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」という記事全体のクライマックスです。この記事の末尾に記事全体の画像を貼っていますので、みなさんぜひ実際の記事を読んで確かめてください。
少なくともこの「いじめ紀行」という記事だけで、第三者が「小山田さん=障害者を暴行した加害者」「沢田君=暴行被害を受けた障害者」という単純な関係性だったと決めつけるのは、あまりに乱暴ではないかと私は思います。

 繰り返しますが、この時の小山田圭吾の言葉も、北尾修一氏の言葉も、被害者をさんざん虐待した後にピースサインでツーショットを撮らせる、非道な行いにしか思えません。小山田圭吾でさえ謝罪文で「長らく罪悪感を抱えていた」と述べているのに、北尾修一氏の文章からはまったくそれが感じられないことに、私は心底ぞっとします。
 山崎洋一郎は謝罪し、記事を掲載した出版社も非を認めて謝罪しています。
 それにもかかわらず、北尾修一氏はこの26年間、まったく罪の意識を感じることなく、過ごしてきたのです。
 被害者の心情を考えると、やりきれません。
 北尾修一氏がいくら印象操作を行っても、「小山田さん=障害者を暴行した加害者」「沢田君=暴行被害を受けた障害者」という関係性は変わりません。
 小山田圭吾と沢田君は、そもそも対等な関係ではないのです。
 北尾修一氏の頭の中には、その当たり前の事実がすっぽり抜け落ちています。

 そして、卒業式当日の沢田君と小山田さんのエピソードが披露され、記事本文は終わります。最後に、沢田君が小山田さんに送った年賀状の実物が掲載されています。

 ここから、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」が「沢田君の年賀状」を掲載している理由について、自分なりに推理していきます。
 まず本文56pに、この年賀状について、以下の小山田さんの発言があります。
「それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ(筆者注:沢田君)、人に年賀状とか出さないんだけど。僕の所には何か出すんですよ(笑)。」

 北尾修一氏は「ここで、沢田君が小山田さんに年賀状を毎年出していた(沢田君は小山田さんを友達だと思っていた)ことが分かります」と書いていますが、これはそんなに単純に決めつけていい問題ではありません。
 北尾修一氏は削除していますが、小山田圭吾は沢田君のことを「そういう人の中でも僕好みのキャラなんですよね。なんか、母ちゃんにチクったり、クラスの女の子に逃げたりしないしね」(70p)と語っています。
 前掲の『月刊カドカワ』の中で、小山田圭吾はいじめた相手がそのことを学校の文集で告発したことを根に持って、「小学校人生全部をかけて復讐した(笑)」と語っています。
 沢田君は、いじめの被害を、お母さんにさえうまく伝えられなかった。だから小山田にとっては都合のいい存在だった、と読めるのではないでしょうか。
 だから、沢田君が学校でいじめられていることを、お母さんは知らなかった。
 沢田君と同級生の小山田圭吾には、本当に息子の良い友達になってほしいという願いから、お母さんは毎年年賀状を出していたのではないでしょうか。そう考える方が自然です。

 これも事実はわかりません。事実が不明なことについて、私はこれ以上語りません。
 それにもかかわらず、北尾修一氏は「沢田君は小山田さんを友達だと思っていた」と、書いています。北尾修一氏に、沢田君の本当の気持ちなど、わかるはずがありません。これが印象操作でなくて、何でしょうか。

 そして、ポイントになるのは、この年賀状の画像が、記事本文を読み終わってページをめくったところに掲載されている、ということです。
 この「沢田君の年賀状」がなぜこの位置に掲載されているのか、その編集意図を推測するとこうなります。

Quick Japan』(vol.3)は、いじめを題材にした藤子不二雄のマンガ「魔太郎がくる!!」を手にした小山田圭吾の露悪的な表紙と、障害者をからかう「ロボパー」というキャプションがつけられた小山田圭吾のグラビアから始まります。
 記事本文では、鬼畜的要素満載の固有名をちりばめて、障害者を虐待して、残酷な見世物にします。
 読んだ誰もが気分が悪くなるような内容で、その記事がようやく終わった……。

 その本文が終わってページをめくったところに、突如ドドーンと現れるのがこの「沢田君の年賀状」なわけです。
 ということは、この画像が象徴しているものは、「さんざん虐待した障害者に、最後のとどめを刺す」です。どこかに救いを期待した読者に、そんな救いなどないのだ! と思い知らせるための画像、のはずです。
 北尾修一氏は、村上清が最後に書いた文章を、削除しています。

 今回僕が見た限りでは、いじめられてた人のその後には、救いが無かった。でも僕は、救いがないのも含めてエンターテイメントだと思っている。それが本当のポジティヴってことだと思うのだ。(『QJ』vol.3 本文 71p)

 正直、「ここまでやるのか」と私には戦慄が走りました。さんざん虐待をした後に、最後のとどめを刺したような感じがしました。
 私の感想の方が、間違っているのでしょうか。

 記事本文で小山田圭吾は、「僕は出してなかったんだけど」と語っているのに、年賀状には「手紙ありがとう」と書かれているのも謎です。
 北尾修一氏は、この年賀状は小山田圭吾が沢田君からもらったものだと判断していますが、これも事実はわかりません。ネットでは、「小山田が雑誌でさらすためにわざわざ友人から借りてきた」との説もあります。それなら、「手紙ありがとう」と書いていることとの、整合性が取れます。同時に、北尾修一氏がいう、友情の証という根拠は崩れます。
 いずれにせよ、こうしたことは、事実がはっきりしてからでないと何も言えないのではないでしょうか。

 それなのに北尾修一氏は、「記事のラストとして上手い」「感動的」と絶賛します。無断で年賀状を雑誌にさらされた沢田君とお母さんの気持ちは考えないのでしょうか。感動のためには、障害者の気持ちなど関係ないのでしょうか。
 北尾修一氏は、この26年間、そうやって雑誌や本を作ってきたのでしょうか。
 北尾修一氏は、いったい誰のために、本を作ってきたのですか?

 以上、『Quick Japan』の現物を素直に頭から読めば、どう考えても「沢田君の年賀状」はこういう解釈になります。この悪意に対抗するには、「障害児の母親からもらった年賀状を雑誌でさらして爆笑」というセンセーショナルなタイトルで紹介するしかなかったのです。北尾氏の指摘に従って、タイトルを訂正しました。
 怪物と闘おうとして、私もまた怪物になりつつあったのかも知れません。私にも行き過ぎはあったでしょう。

 なので、ここまで読んでくださったみなさんはぜひ、今web上やメディアの記事で「小山田圭吾氏のいじめ問題、北尾修一氏の記事を読んで印象が一変しました!」と書いている人は全員、実際の記事を読んでいない(確定)という、リトマス試験紙に使っていただければ幸いです。

 と、ここまで確認してきて分かるように、たとえば7月21日「朝日新聞」の天声人語欄にこうありますが。
「(筆者注:小山田さんが)小中学校の頃、同級生や障害者にひどいいじめをしていた。20代半ばになって、それを雑誌で得意げに語っていたことが問題となった」
 この天声人語の執筆者は、きちんと元記事にあたっている、と私は思います。しつこく確認してきたとおり、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」の現物記事を読めば「《得意げに》語っていた」という言い回しに絶対になるはずなのです。

 北尾修一氏は、他にも「元記事を読むかぎり、アポなしではなくM氏は事前に電話をしているようです」と書いていますが、これも正確ではありません。「沢田さんに電話してもお母さんが出た。電話だけだとラチが開かないのでアポなしで最寄駅から電話」(67p)というのが、正しい記述です。
 あまりにもいろんな罵詈雑言が飛び交っていて、ここまで炎上すると下手に近づくと自分も丸焦げになるに決まっているわけですが、少なくとも私は私の気づいたことを知らせるべきだと思ったので、火の粉を被る覚悟の上で「元記事の記述はこうですよ」ということを報告しました。

 で、実は私の話、これでまだ前哨戦なのです。
 話が長くて恐縮ですが、次がいよいよクライマックスです。
 今回指摘したポイントは些末なことで、元記事を再読した私が一番驚き、世の中に伝えたいと思ったことを、最後に書きます。ここまで読んでくださったみなさんは、どうか次回も読んでください。
 では、また後ほど。

(北尾修一氏のある意味「文学的な」印象操作に対抗するには、北尾修一氏が使ったプロパガンダ手法をそのままお返しするしかありませんでした。北尾修一氏の熱情と悪意の込められた文章を、パロディに使ったことには陳謝します) 
 この項続く

小山田圭吾、『月刊カドカワ』でもいじめ自慢 「小学校人生全部をかけて復讐した(笑)」: J-CAST ニュースwww.j-cast.com

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