ホッケー男子、歴史が語る光と影 団体競技初のメダルと事務処理ミス
ホッケー男子には、日本のオリンピック(五輪)史を語る上で欠かせないエピソードが二つある。
一つは、日本の団体球技で初めてメダルを獲得したという輝かしい歴史だ。1932年ロサンゼルス大会で銀メダルに輝いた。
ただ、出場したのは3カ国だけだった。優勝した強豪のインドには敗れたが、地元開催の米国を破って銀メダルを手にしたのだった。
もう一つは、事務処理のミスで72年ミュンヘン五輪の出場を逃した、前代未聞の事件だ。
日本は70年アジア大会で3位になり、ミュンヘン五輪出場が確実視されていた。日本ホッケー協会は五輪関連の事務を担っていた日本体育協会(現日本スポーツ協会)に予備エントリーを依頼した。しかし、日体協が国際オリンピック委員会(IOC)に必要な文書を出し忘れ、出場が幻となった。
ホッケーはサッカーと同じ11人で行う。かつてはともにマイナー競技で、選手同士の親交も深かった。だが、サッカーは68年メキシコ大会で銅メダルを獲得。「ここからサッカーと人気、実力とも大きな差が生まれていった」。そんな思いがぬぐえない関係者もいる。
今回の出場は、そのメキシコ五輪以来だ。日本男子ホッケーの歴史を知る選手たちも、大会にかける思いは強い。MF田中世蓮(せれん)は「今まで男子ホッケーを引っ張ってきた人たちの思いも背負ってやりたい」と話す。
男子は53年ぶり出場で、愛称は「サムライジャパン」。野球の日本代表と読み方は同じだが、ホッケーは「さむらい」がカタカナ表記だ。5大会連続出場の女子は「さくらジャパン」。スポンサーである損害保険会社のテレビCMに出演するなど、女子の方が認知度が高い。(勝見壮史)