そこで「蛇類」のページを見たところ、こう記してあった。
〈長さ五、六メートルのものは餘り希有ではなく、十二米乃至十五米のものもあり、(略)二十二米のものを殺したといふ話もある。(略)此等は大分割引きして聞かねばなるまい。〉
神谷氏がこの本に、〈50mもあるスクリーがおるとあったと記憶している〉と書いたのは記憶違いだったのだ。
藤井氏の著書に掲載された「40m」大蛇の写真
藤井卓治著『世界の宝庫アマゾン』(1955年、日本農林協会刊)は本文115ページの小冊子だ。発行元の「財団法人農林協会」の住所は東京・霞が関の農林省内(現・農林水産省)とあり、日本で印刷し ブラジルで配布されたもののようだ。
この冊子の中に大蛇写真とともにこういう記述があったのだ。
〈スクリジューは河中に棲む大蛇で、その最も大きいのは重さ五噸(トン)、長さ四十米(メートル)、胴の直径八十糎(センチ)に及んでいる。〉
神谷氏が見た「40mの大蛇」は、この冊子の記述と写真のみだったのだ。
1979年に私が聞いた、「1950年代末頃に100mの大蛇の写真を見てます」と聞いた大蛇とは、100mではなく「40m」のこの大蛇の写真を指していたのだろうと思う。つまり藤井卓治氏は、すでに1955年にはその写真を入手して『世界の宝庫アマゾン』に掲載していたことなる。
1950年は第二次世界大戦の終戦からわずか5年という遠い過去のできごとだが、確かに「写真」はあったのだ。
ついに幻の写真のプリントを入手
驚いたことに1990年代の半ば、あの写真が掲載されてから45年になろうかというある日、一時帰国した私のアマゾン在住の知人の一人が「マナウス市で入手できたんです」と、あの幻の写真のプリントを手渡してくれたのだ。
ついに、長年探し求めていた写真があっけなく手にできた!
A4サイズより少し小さい判で赤茶けたモノクロ写真のプリントの下には文字が焼き込んであった。
“Peso ― 5 Toneladas (重量 5トン)
Diamentro ― 80 cm. (直径 80cm)
Comprimento ― 40 mts” (長さ 40m)
“SUCURIJU GIGANTE” ― AMAZONAS (オオアナコンダ アマゾン地方)
アマゾンの最大大蛇伝説の「原点」がこの写真だったのだ。
「5トン、80cm、40m」という数字は、この写真に焼き込んだ文字に発し、信じ難い大蛇伝説として広がっていったのである。
(続く)
◎(連載)【山根一眞の万有探査】「大蛇」の恐怖と魅力と「伝説」
(1)逃走事件のヘビより巨大だった我が家の4メートル「アナコンダ」
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(2)『星の王子さま』に登場する「象を呑み込む大蛇」の誤認
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(3)100メートルの大蛇がいる?この目で確かめにアマゾン奥地へ
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(4)大蛇が釣り人を呑み込んだ!ブラジルで飛び交ったフェイク記事
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